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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


オベロンの翅音 

 あんまり暑くて舌が出そうだ。
 もっとも人間の身体じゃ、舌を出した所で一度だって体感温度が下がるはずもないんだが。
 夏は嫌いじゃない。
 冬だったら耳を澄ませなきゃ聞こえない生き物の音が、うるさい位に反響する。その感覚が心地良い。
 けど、適温ってものがあるよな。何事も。
「和鳥、アイスコーヒーもう一杯」
「……藍原。こっちは仕事中なんだぞ」
 俺、藍原和馬は今、結城探偵事務所の応接コーナーで、ソファに寝そべりくつろいでいる。
 客でも来たら印象悪そうだが、まあこの暑い中来る奴も居ないだろ。
 そろそろ日が落ちる時間だが、外はまだ熱気に支配された世界だ。
「ほら、頼むからソファにこぼすなよ? 俺が拭くんだから」
「わかってるって」
 文句を言いながらもテーブルに冷えたコーヒーを運んできてくれるのは、ここの調査員の和鳥鷹群。
 童顔の見た目と丁寧な物腰に騙されてる奴が多いが、敵には鬼みたいに容赦ない男だ。
 裏家業で一緒に組んだ時はその刀さばきに正直寒気がした。
 ま、基本的にいい奴なのは違いないんだけどな。
 ふと、欠伸をしている結城恭一郎と目が合った。
「ああ、失礼」
 珍しく大きく口を開けて、欠伸をした後、気まずそうに結城は笑った。
 事務所で働いている結城さんは、あまりこういった面を見せない人間だ。
 欠伸なんてしたい時に好き勝手にやってる俺とは違うんだよなぁ。
「所長、寝不足ですか?」
 資料をまとめる手を止め、和鳥が心配そうに結城さんを見る。
「この頃暑い夜が続くしね」
 照れたように言って、結城さんは「心配ないよ」と続けた。
「夜になると……多分羽虫だろうけど、窓を叩く音がするんだ。それが気になってね」
 するとデスクから立ち上がった和鳥が俺の手を取り、宣言した。
「俺がこいつと一緒に何とかします!」
 しかしヤバイ。使命感に燃える和鳥の瞳が熱すぎる。
「え?」
「鷹群、多分羽虫の仕業だから……」
 俺と結城さんの言葉は和鳥の耳に届いていないようだ。
「今晩は俺もこいつもここに泊まります! だから所長は安心して下さいっ」
 おいおいおい。
 俺の予定は聞かないのかよ!
「ちょっと待ってって! 俺、今夜は……」
「きっと羽虫だから……」
「じゃ、さっさと事務所の仕事、片付けましょう!」
 バサバサとファイルを棚に突っ込みだした和鳥はかなり本気だ。
「あーもう……」
 俺はこうして成り行き上、結城探偵事務所に一泊する事が決定してしまった。

 
 夕食の買出しに出かける和鳥が「何か食いたい物は?」て聞いてきたので、俺は「うまい肉」と言ってやった。
 もちろん奢りだろうな。
 ついでに暇潰し用のゲームも持ってきてもらう事にした。
 人生をお気軽にシミュレートするあれだ。
 最近はボード版で遊ばないのか、和鳥の家にあるのはゲームソフト版らしい。
『バイクでゲーム機本体も持ってくるのって面倒なんだよな』と頭をかいていた。
 和鳥のバイクのエンジン音が聞こえなかった所を見ると、結城さんの車を借りたようだ。
 和鳥が出かけてしまったので、俺は結城さんと二階のリビングで喋っていた。
 結城さんの足元に座った雪狼が、赤い瞳で俺を見上げる。
 ぱっと見は普通の白い狼だが、これは結城さんの武器・咆哮鞭で実体化したものだ。
 雪風って名前の通り、白い毛並みに触れるとひんやりとした感触が返ってくる。
 一匹だけだと可愛いんだけど、こいつらが何匹も実体化して狭間と戦うの見た事がある。
 隙のないコンビネーションは狩りを行う狼の群れそのものだった。
 普段は温厚で穏やかな結城さんの隠された一面て奴なのかな。
「藍原くん予定があったんだろう? 済まなかったね」
「ハハ……まあ、予定はあって無いようなもんですから」
 知り合いとはネットゲームでほとんど毎日顔合わせてるから、逆に顔出さない方が変な感じするんだよな。
「ところで、ここのアンティーク揃えたのって結城さんですか?」
 結城探偵事務所は明治に建てられた洋風建築で、内装はほぼ当時そのままに残されている。
 二階に上がったのは初めてなんだが、結城さんのプライベートルームも家具はアンティークが多い。
 天板に花模様が彫られたライティングデスク、暖炉の前に置かれた黒い螺鈿細工の衝立、真鍮のシェードが優美な線を描くスタンド。
 骨董屋で働く俺から見ても、結構いい趣味だ。
「ここの前の持ち主が揃えた物だよ。俺はそういったものは良くわからないんだ」
「へぇ……」
 こんな広い家に一人で住んでるなんて、寂しくないのかね。
「窓を叩く音、でしたっけ?
確かに気になりますけど……虫が何かに気付いて欲しくて窓を叩いているとか、中にいる人間に引かれて寄ってくるとか、そういう線もあるかもしれませんね」
 結城さんは「うーん」と唸ってソファにもたれた。
「人の魂が虫の姿を借りて現われるなんて、夏には良くある話だけどね。
俺はただの虫じゃないかと思うんだ」
 結城さんの言う通り、この家で霊的な物は感じられない。
 それどころか、『綺麗すぎる』くらいだ。
 結界でも張ってるのか? 呪言の痕跡は見えないが……。
「ただいま戻りましたっ」
 リビングの向こうのキッチンから和鳥の声がした。
「今晩は焼肉です。藍原のために」
「一言余計なんだよ!」
 キッチンに向かって毒づくと、「その分働けよ」と返ってきた。口の減らない奴め。
 だが、俺が「手伝おうか?」とキッチンを覗いたら「つまみ食いされるから来るな」と追い返されてしまった。
 生肉なんて食わねぇよ!
 準備といっても切る物は野菜くらいで、ホットプレートを用意すればすぐに食事に入れる。
 和鳥は焼肉の他に、おにぎりときゅうりの浅漬け、あさりの柚子味噌和え、キャベツと春雨の中華サラダをテーブルに並べていた。
 これ、男の手料理レベルじゃないよな。
「すげぇ手込んでないか?」
「そうか? 食わせたい相手がいればこの位作るだろ」
「え、もしかして俺の為に腕ふるってくれたとか?」
 両手を組み合わせて可愛く言ってみたら、露骨に嫌な顔をされた。
 冗談だって。
 けど、きっちりワイシャツにエプロンまでかけて作るか?
 美味そうだからいいけどね。
 キッチンに入ってきた結城さんが、冷えた缶ビールを出してくれる。
 結城さんは酒に弱いって言うから、来客用なんだろう。
「鷹群の料理は上手いよ。今でも時間がある時は作ってくれるし」
「どういう意味です?」
 ホットプレートに肉を並べる和鳥が答える。
「俺、高校生の頃からしばらくここに間借りしてたんだよ。
住んでた頃は俺が食事当番だったから」
「ああ、どうりでやけにキッチンにも詳しいと思ったよ」
 料理する動きに遠慮がないというか、自分のテリトリーでの行動だった。
「所長は放っておくと食事も忘れるから、まわりの奴が見てないとだめなんだよ」
「仕方ないだろう、集中するとそんなの気にならなくなるんだから……」
 肩をすくめている結城さんに和鳥が言った。辛口でもぶっきらぼうな優しさが含まれているような、そんな口調で。
「俺がいる限り餓死させませんよ。ほら、焼けたぞ藍原」
「おうっ」
 いいね焼肉。冷たいビールでいくらでも食えそう。
 無言で俺たちは肉をビールで胃袋に流し込んだ。美味い物食ってる時は無言になるよな。
 結城さんはビールじゃなく烏龍茶を飲んでいた。下戸らしい。
 あらかた食べきった所で夕食は終了。
「じゃ、お待ちかねのゲームを始めっか!」
「所長この手のゲームってプレイした事あります?
ここにいた頃も俺はゲームって結構遊んでましたけど」
 ゲーム機をリビングのテレビに繋いだ和鳥が振り返る。
「……いや」
 ふるふるとソファで結城さんは頭をふった。
「ボード版のも? ホントに?」
 一度はやった事にあるものなんじゃないのか、この手のゲームって。
「やってるうちにわかりますよ。簡単だし」
 いちいち和鳥が結城さんに教えながらゲームが始まった。
「……だあッまた借金増えた!!」
「所長、地味に結婚早いですね」
「ええと、ご祝儀もらえるのかな?」
 ゲームでも貧乏になってくると気分が滅入るな。
「株券ってどうすればいいんだろう?」
「それ、最後まで持ってて下さい」
 和鳥は堅実にコマを進めるタイプで、人生も堅実に歩んでいる。
 結城さんはのんびり進めつつも大きな借金もない人生だ。ゲームでは早々と結婚して奥さんと子供もできてる。
 このあたりは本人と似てるのかな。
 そして俺はというと、ぶっちぎりでコマを進めてはとんでもないアクシデントにぶつかるというのを繰り返している。
 これは俺の人生と似てる……とは思いたくない。
 中だるみになりながらもようやく一人生終らせた頃、時計は一時をまわっていた。
「そろそろ所長の部屋に行ってみますか」
「そうだね」
 結城さんの寝室もやはりアンティーク家具が配置された部屋だった。
 その中で机の上のパソコンが浮いている。
 これだけの家具ごと家買ったって、下世話な話、結城さんてすげぇ金持ちなんじゃないのか?
 狭間狩りだけでそこまで儲かるとも思えないんだけどねぇ。
 白のカッティングレースがあしらわれたカーテンを引いて、窓のまわりを確かめてみた。
 特におかしなところはないよな。
「念のために明かり消すけど、藍原は夜目利くよな?」
「ああ、問題ないぜ」
 結城さんと俺は椅子に座り、明かりを消した和鳥が愛刀・紅覇を抱えて窓際に佇んだ。
 緋色の鞘と桜の透かし彫りになった鍔が印象的な刀だ。
 人工精霊を載せているとかで、抜刀すると和鳥の傍に長い髪の清楚な女が実体化する。
 綺麗な顔と裏腹に、紅覇の性格もかなり曲者なんだけどな。
 じっと耳を澄ませながら、月光に浮かぶベッドのシルエットを俺は見つめていた。
 いつかの夜。
 誰かの温もり。
 どこかでかいだ、胸を締め付けられる甘い香り。
 忘れてしまった記憶の断片が不意によみがえる。
 こんな静かな夜には、俺自身も忘れた過去が浮かび上がる。
 ――ぱたん。
   ぱた、ん。
 窓をかすかに、何かが叩く音がした。
「来た」
 和鳥が抜刀するよりも早く、俺は窓辺に駆け出した。
「任せな!」
 俺は思い切り叫んだ。ワーウルフの咆哮聞きやがれ!
 窓ガラスがたわんで揺れ、ついで近所中から一斉に飼い犬が吠え返してきた。
「俺は犬じゃねぇ!!」
「いきなり叫ぶなよ……」
 耳を押さえて呆れた和鳥が窓を開けてバルコニーに顔を出す。 
「……蛾だね」
「……ですね」
 和鳥の手の中には、弱々しく翅を動かす白い蛾がいた。
 青白い燐粉がほのかに甘い香りを放っている。
「まったく人騒がせだよな」
 闇に再び翅を広げ、消えていく蛾を見送ってそう言うと、和鳥の不機嫌な声が俺に投げられた。
「人騒がせなのはお前だ、藍原。夜中に吠えやがって……!
明日、近所中にお詫びして回らなきゃならないぞ」
 紅覇に右手がかかって、和鳥が抜刀寸前に見えるのは気のせいだろうか。
 人間、物事を都合よく解釈するって言うが……これは現実だって認めるのが怖い。
「雪風が驚いて吠えた事にするから、藍原くんは気にしなくて良いからね」
 結城さんがなだめるように言ったが、和鳥の目は据わっている。
「所長は甘いんです!」
 チ、と抜刀の涼やかな金属音が響き、和鳥の傍に実体化した紅覇が寄り添った。
「ここは結城様の私室とお見受けしますが、皆様どうなさいました?」
 のんきに紅覇は小首をかしげ、俺と和鳥の間に走る緊迫感を無視してまわりを見渡した。
 紅覇は俺に気付き、にっこりと艶やかな口元を引いて笑みを作る。
「藍原様、お久しぶりです」
「ハ、ハハ……俺も会えて嬉しいよ紅覇」
 紅覇が実体化されているという事は、そこに斬るべきものがあるからだ。
 そしてそれは、俺を指しているようだ。
「残念だな、すぐにお別れだ狼男」
「あ、ま、待ってって和鳥! 人に刃物を向けるな! な?」
 夏とは思えない寒気が俺の背筋を駆け上った。


(終)

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1533/藍原・和馬/男性/920歳/フリーター(何でも屋)】

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■         ライター通信          ■
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藍原和馬様
納品までお待たせしましてスイマセンでした!
虫オチはお笑い路線なので、普段書いてるものと雰囲気が違って驚かれたかもしれません。
藍原様はいじり甲斐のあるタイプなので(笑)こちらも書いていて楽しかったです。
ともあれ、少しでも楽しんで頂けると嬉しいです。