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<東京怪談ノベル(シングル)>


鬼灯を愛でる



 開け放たれたままの扉から、園児達の元気な歌声が流れ、聞こえる。
 月人は、いつものように教会内の清掃を終えると、さわやかに晴れ渡った夏空に溶けこんでいく歌声にふと笑みを浮かべ、教会の奥にある事務室へと足を向けた。
 教会の扉の傍には、ほおづきの鉢植えが一つ。先日ぶらりと足を向けた浅草で買ってきたものだ。比較的大ぶりな実がいくつかぶら下がっていて、その内の二つほどが赤く色づいている。
 まがりなりにも、教会という、洋式な建築のなされたこの場所に、ほおづきの鉢植えは少しばかり場違いであるようにも思えるが、教会を遊び場の一つにしている園児達には、案外好評だ。
 ほおづきの実を指でつつきながら屈託なく笑う子供達に、月人は微笑み、話すのだ。
「このほおづきはね、お迎え用の灯りなんですよ」
 穏やかな金色の眼差しを細めてみせる月人に、子供達は無邪気に問う。
「おむかえって、だれをおむかえするの?」
 そんな時、月人は少しばかり困ったように首を傾げてから、高く広がる空を指差し、口を開く。
「人は天命を終えると、神の御許へと招かれます。しかしこの時期になると、こちらに遺した人達の様子を窺いに、数日間だけ戻っていらっしゃるんですよ」
 それは、月人が在する教義とはまた異なる経典によるものだ。だが、月人は構わずに子供達の頭を撫でる。
「皆さんの亡くなられたおじいさんやおばあさん方も、皆さんのお顔を見たくて戻っていらっしゃるんですよ。このほおづきは、そんな方々をお迎えするためのものなんです」
「じゃあ、おじいちゃんもかえってくるの?」
 大きな目に期待の光を宿してそう訊ねてきたのは、可愛らしい顔立ちをしている男児。月人はふとその子を見やり、柔らかな髪をくしゃりと撫でてからうなずいた。
「そうですね。きっと戻っていらっしゃいますよ。きみの元気な姿を見るためにね」
 微笑み、首を傾げてみせると、子供は大きくうなずいて満面の笑顔を浮かべた。
「ぼく、おじいちゃん大好きなんだよ! はやくきてくれないかなあ!」
「お祖父さんがいらした時に、きみが元気に遊んでいたら、きっと嬉しく思ってくださいますよ」
「うん!」
 教会を後に走り出していったその子供を追いかけて、月人の周りにいた子供達が園庭へと駆けていく。
 駆けていった子供達の一人が、ふと足を止めて振り向き、眩しそうな顔をしながら月人に訊ねた。
「せんせいは、あいたいひといるの――?」
 月人はそれを見送りながら教会の扉に体をもたれかけ、かすかに笑ってうなずいた。
「秘密です」

 月人の答えを受け、子供達が駆けていく。
 汗だくで転げまわり遊ぶ子供達の上に、夏の陽射しが降り注がれる。
 少し蒸し暑い風が吹き、月人の髪を揺らす。月人はその風に目を細ませて、揺らいでいる朱赤色の実を眺めた。
「――――私が逢いたいのは、」
 呟き、言葉を飲みこむ。
 風がさわさわと流れていった。

 ――――鬼灯はね、月人。 
 懐かしい声が、風の声と重なって聴こえる。
 ――――鬼灯はね、暗闇の中の道標よ。迷子にならないよう、こちらにおいでなさいって……招きの灯火なの。
 ほおづきの赤が風に揺れる。追憶の中で、凛とした赤い光彩を放つ人の双眸が微笑みを浮かべた。
 
「これはまた、可愛らしい実がなったもんですなァ」
 不意に、老いた男の声が背から聞こえ、月人は視線を持ち上げた。振り向くと、そこには一人の老人の姿がある。
 教会の中には、もちろん、人がいたはずがない。
 月人は扉から体を起こし、つと足を進め、軽く頭をさげた。
「おかえりなさい。お立ち寄り、ありがとうございます」
 丁寧にそう述べると、老人はふと驚いたような表情を見せた後に、なにか悟ったように笑った。
「灯りが見えたものだからね。なるほど、おおぶりなほおづきだ」
「浅草で売っていた鉢の中から、大きめのものを選んでいただきました」
「ほおづき市かね? ああ、懐かしいねえ」
 老人はそう言って懐かしげに目を細ませる。穏やかで優しい眼差しが、過ぎた時の思い出をさぐるように夏の空を仰いだ。
 月人は、老人のその視線を追うように目を動かして空を見やり、訊ねる。
「足を運ばれていたのですか? ほおづき市に」
「孫とね、毎年行ってました。孫が生まれる前は、まぁ気が向いたら行くかってな感じだったんですがねぇ」
「そうですか」
 微笑み、空から目をおろす。老人は、園庭で遊ぶ子供達を眺め、嬉しそうに頬をゆるめていた。
「優しい子でねぇ、わたしがもう臥せて起きらんなくなった時もね、ずぅっと横で泣いてくれましてね」
「お孫さんは、あなたがとても好きだったんですね」
 返すと、老人はつと足を踏み出して、ほおづきの鉢に片手を伸べた。
「ひとつ、もらっていってもいいかな」
 おおぶりの朱赤に指をかけながら、老人はふと振り向いて月人を見やる。月人は微笑みながらうなずいて、「どうぞ」を告げた。
「ほおづきは、あなたのような方を導く灯りなのだと聞きました。迷わぬよう、道中お気をつけて」
 ゆっくりとそう述べると、老人は嬉しそうに目を細ませて、ほおづきの一つを手にとった。
「お若く見えるのに、そんなことをご存知だとは」
 ほおづきを手に持って感嘆の息をひとつついている老人に、月人はふと首を傾げ、ほおづきの鉢へと視線を向ける。
「昔……そう話してくれた人がいましたので……」
 
 ほおづきの実が風に揺れる。園児達が元気に歌う声がする。
 懐かしい眼差しが追憶の中で笑みを浮かべる。涼やかで優しい声が聴こえる。

 気がつくと、老人の姿は消え失せていた。
 ただ、数が一つ減ったほおづきが、吹く風に揺れている。
 月人は、残った朱赤の実を確かめて、陽射しにも似た金色の目をゆるめ、笑んだ。
「確かに、これは道標なんですね。……今年はあと何度灯りをお渡しするのでしょうね」
 一人ごちて、夏の空を見上げる。そこには、ほおづきの色とは対称的な、瑞々しいまでの青が満ちている。

 風が吹き、月人の髪を撫でていく。
 月人はゆっくり立ちあがると、ふと眼鏡を外し、前髪をかきあげて背伸びをした。

 いつかは私をあなたの元へ導いてくれるのだろうか。
 あなたの、その懐かしい眼差しが。


―― 了 ――