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あちこちどーちゅーき 〜看板の示す道〜
「ブラックジャックだ!」
野太く、潰れた声が響いた。
桐苑・敦己はテーブルに並んだ自分の札と相手の札を見比べる。まるで、そうすれば手札の数字が変わるのではと願うように。
「…………」
二十一対三十。
敦己のトランプは二十一を余裕で超えていた。
○
敦己はトイレの個室にこもり、は、と息をついた。
「落ち着け。どうしてこうなったか、冷静に考えるんだ」
独白し、事の経緯を思い出す。
○
いつものように当て所もなく全国を放浪していた。
田舎というに相応しい、見慣れぬ街並みの中、一本道を歩いていたときだ。途中に今時珍しい、木製の看板が土に突き立っていた。
だが敦己の目が引かれたのは看板ではなかった。道が右へ極端にカーブを描いていたことだ。不自然な道のあり方は旅人を誘っているようでもあり、敦己の足を止めさせる。
敦己は頭を捻らせ、看板を見る。街の名が書かれている。どうしようかと思ったが、深く考えるのをやめた。雲が泳ぐ青い空を一瞥し、脚の動きを再開。
声をかけられたのはそのときだった。
「もし……」
ギクリとして敦己は振り返る。すると、さっきまで誰もいなかったはずなのに少女が立っていたのだ。
淡く透けるようなライトブルーの髪を肩まで伸びしている。眉尻を下げた赤い瞳。白い着物に身を包んでいた少女は、やや躊躇いがちに顎を引いて敦己を見ていた。
恐る恐る声をかけ返す。
「あの、俺に何か?」
「ああ、アナタ、私の声が聞こえるのですね……よかった、本当によかった……」
少女は言うなり、いきなり泣き出してしまった。
「え、ちょ、ちょっとっ」
敦己は慌てふためくしかなかった。
話を聞けば、ある日のこと、ここの賭場を仕切っているボスが姉を無理矢理連れ去ったという。理由も何もない、一方的で理不尽な行為。再三に渡り、少女は姉を返してくれるよう頼み込んだ。そのたびに袖にされ、時に水をかけられることもあったという。
それでもめげず通い続け、ようやく姉を連れ去った理由を知る。どうやら姉がいる限り、この街は寂れていく一方で、ボスは私腹を肥やすために姉を監禁しているというのだ。
お姉さんは警察か何かと尋ねても少女は首を横に振る。ただの娘に過ぎない、と説明された。
少女は悲しげに眉を下げて訴える。
女の私では到底、姉を助けることができない。どうか姉を助けてください、と。
ここまで深く事情を知ってしまった敦己は、見過ごすこともできず、まあなんとかなるだろうとマイペースにその話を受けた。
○
「まではよかったけど……」
口八丁で姉を賭けたゲームに持ち込んだ。しかし結果は惨敗。これでは姉を取り返すところではない。むしろ自分の身すら危うい。
どうしたものか、と敦己が口の動きだけで呟く。
「なんとしても、お姉さんと一緒に助けないと――」
「敦己さん……」
声に敦己は顔を上げた。足元の隙間から少女の足が見える。
「もう、いいです。私のために、ここまでしてくれただけでじゅうぶん。アナタまで街から出られなくなってしまいます。どうか私たちのことは捨てていって」
扉越しからでも少女の真摯さが伝わってくる。
「それは本音ですか?」
敦己は聞き返す。少女は、はい、と。か細い声で答えた。
「……ならどうして、そんな悲しい声を出すんです?」
「それは……」
少女は言葉に詰まる。やがて声に鳴らない音がトイレに響き出した。
嗚咽。感情を押し殺したような、鼻にかかった声だった。
敦己は眉を詰め、渋い顔。
どうしたものか、ともう一度呟いてポケットに手を入れ、顔色を変えた。
「そうだよな。迷ったときは、いつだってこいつで決めてんだ。なら俺の進む道と彼女たちの人生を決めてみるのもありか」
敦己はポケットの中の物を握り、不敵に微笑んだ。
「凄いのは出たかい?」
ボスが皮肉な笑みを浮かべて聞いた。
「おかげさまで」
敦己も不敵な笑みを返す。
「俺と一つ違う勝負をしませんか?」
「違う勝負? ブラックジャックじゃ不服だってのか?」
その言葉にボスは片眉を上げた。
「いえ。でもブラックジャック一辺倒じゃ、芸がない」
椅子を引いて悠然と腰かけた敦己は続ける。
「次でちょうど十戦目。こいつを最後にデカイ勝負をしよう、ってことです。俺としては負け分に金を三倍額で賭けます」
「テメェ、正気か?」
「もちろん。それとも、ここらを締める貴方がこの勝負を逃げますか? ここで逃げれば俺の負けは決まります。でも、たかが俺程度の小物を相手に逃げたとあっては、今後に支障をきたしたりしませんかね?」
「逃げる? 小僧が調子に乗るなよっ」
ボスは怒りで顔を紅潮させてテーブルをぶっ叩いた。
「いいだろう。テメェの話に乗ってやる!」
敦己は頷き、ポケットから一枚のコインを取り出した。
「裏か表か。二者択一の最高のギャンブルでしょ」
言って、ボスにコインを投げ渡す。
ボスは片手で受け取り、仕掛けがないかを入念に確かめて投げ返した。
「一つ、約束してください」
ボスは、なんだ? と目で聞いた。
「これで負けたとしても文句はなし。約束どおり姉を返す、と」
「約束は必ず守る。通すべき仁義くらい俺にだってある」
敦己は頷き、
「絵柄が裏、数字が表。公平を期すためにコインは第三者に投げてもらいましょう」
「なら私が投げましょうか?」
声をかけてきたのはカウンターで酒をやっていた青年だった。
「なんだテメェは?」
ボスが不審げな瞳を向ける。青年は邪気のない笑顔を浮かべ、
「単に伊達と酔狂が好きな者ですよ」
「……わかった。お前が投げろ」
では、と青年は敦己からコインを受け取る。
親指に乗せ、上に弾いた。
耳鳴りに似た金属質な音が店内に木霊した。
緊張の一瞬。青年が右手の甲でコインを受け、左手をかぶせた。
「表、いや裏だ!」
ボスが声を張った。
少女は不安げに敦己を見守っている。大丈夫です、と敦己は唇を動かし、
「表だ!」
声を張り返した。
青年が敦己とボスを交互に見つめ、ゆっくりと左手を挙げた。
○
夕暮れ。夕陽を背に、妹が敦己に向かって頭を深く下げた。隣で姉も頭を下げている。
「見ず知らずの私たちに、これほどよくしてもらって。ありがとうございました」
妹によく似た姉が瞳を潤ませながら言った。
「困ったときはお互い様です。情けは人のためならずとも言いますから、お礼ならそれくらいでいいですよ」
敦己の意を汲み取ったか、姉妹はそれ以上は言わなかった。ただ微笑して敦己を眩しげに見つめる。
「ところで、別の道というのは?」
「すぐにわかりますよ。私たちの立っているところから後ろに十歩進んで、振り返ってみてください」
「はあ……」
要領を得ない答えに敦己は気の抜けた返事をする。しかし言われたとおり姉妹を背にして一歩を踏み出した。
「では、せめて」
「アナタの旅がよきものであるように」
「「私たちは祈っています」」
最後に言葉をそろえて姉妹は言った。
その言葉を敦己は背で受けて十歩目を踏んだところで振り返った。
「あれ?」
姉妹の姿はなかった。更に道が二つに分かれていた。
敦己は目を丸くして、足早に分かれ道へ。見覚えのある看板を見つけ、板が一枚増えているのに気づいた。。
右側は『危険! 廃村!』とあり、左側は『行楽名所! 一度は足を運んで!』とあった。
敦己は頭を捻り、すぐに考えるのをやめた。
朱色の空を一瞥。顔には笑顔を作り、歩き出した。
左側へ。
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