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<東京怪談ノベル(シングル)>


例えこの胸が痛んでも


「あのさ、草間さん」
「ん?」
 草間武彦は狭い興信所の、己の机の上に見っとも無く足を投げ出して、その上で新聞を広げながら気のない調子で答えた。
 相手は興信所のソファに陣取って雑誌を捲っている、草摩・色。
 ケラケラと笑う合間に、なんとはなしに会話を繰り広げている二人だったが。
「俺、今日誕生日なんだ」
 目線を固定したままの色の言葉に、武彦は眼鏡の奥で片眉を上げた。
「それは、おめでとう。何歳になったんだっけ?」
大事なんだか些事なんだかイマイチわからずの武彦は、とりあえず新聞を畳んでみた。色はそれを見とめると、屈託無く笑う。
「イエ〜16歳!若いだろ?」
 机に固定された扇風機の風圧に、色素の薄い色の髪の毛が靡いた。細められた瞼から覗く瞳の色は濃い茶色だが、その中心にはどことない違和感がある。――彼の本来の銀色の瞳が、コンタクトにより隠れている事を知っているからだろうか、と武彦は思った。瞳の色が真白と言える程薄いのだ。まるで視力を感じさせない、少し不気味なもの。
 最も、今更その程度で恐れる武彦では無いが。
 だからこの少年も、興信所に入り浸っているのだろう。自身を偽る必要がないから。あるいは、偽りを屁とも思わない武彦が居るから。
「16歳の中学生!?――ああ、留年してんだっけ?」
「……うるっせぇな、不可抗力だよ!!」
 からかい半分に言えば、ムキになった笑い声がほっとけと返す。何時もの、軽い調子の言葉。
 お互いに余計な干渉が無い。だから心地よいのだという事を色は知っている。だから波風を立てない。期待しない。
 色の異質な瞳と能力の事も、それを持つ切欠となった病の事も、それによって留年を余儀なくされた事も、そして色が今所属する団体の事も、知った上で武彦は何も言わない。何も聞かない。それが巧く関係を保つ為のコツ。
 二人にとってはそういう事なのだ。余計なものを背負う余裕は無い。だから手を伸ばさない。不可侵の領域という名のソレ。
「って、そんなら尚更ウチに居る場合じゃないんじゃねーの?」
「何でさ?」
「だってお前の年頃じゃ、家族――は無くても、友達とかに祝ってもらうもんじゃねぇの?」
「そんな常識っぽく言われても、友達は知らねーもん。ホラ留年だから、誕生日教えてねーし。家族は、俺一人暮らしだし?」
「一人暮らしって、いい暮らしだな中坊の分際で」
「やはは、いいだろ〜♪」
 色の指が更に雑誌を捲った。
「しっかし一人暮らしなら尚更、こういうイベントのある時に戻った方が良いだろ。中々会えないんだろーし」
「んー確かに」
「何、実家遠いわけ」
「そんなとこ〜」
 武彦は煙草に火を付けながらハッとした。適当な相槌を打ったつもりでいたが、家庭関係の話題はタブーになる事も多い。大体色が一人暮らしをしている時点で、何やら深い事情があると悟っても良いはずだ。
(あー失敗したか?)
等と後悔しても後の祭り。色の態度が変わったわけでも、まして空気に変化があったわけでも無い。だから武彦の勘繰りという線も大いにあるにはあったが、何せこの少年は心の奥を見せない。故、傷を抉ってしまっても、気付けないのが厄介だ。それにこの少年は巧く発散出来るように見えて、溜め込んでしまう性質らしい。
 それは色の組する団体の、色の後見人である、色と草間の仲介を行った男の、たった一つの忠告だった。
 が武彦の目から見る色には、何の動揺も見受けられない。この年でこれだけの擬態が行えるのだったら、武彦は舌を巻くしかない。
 むしろ焦っているのは武彦の方で。
「草間さん」
 色は相変わらず雑誌を見てケラケラと笑いながら、いつも通りの明るい口調で続ける。
「俺ね、死んだ事になってんの」
「……あ?」
「ゴーストに入る前の俺の友達や、家族や近所の人にとってね、草摩・色は生まれてすぐ死んじゃった人になってんの。だから俺の記憶ってないわけ」
 唐突にとんでも無い事を、それもまるでちょっとそこまでのノリで言ってくるものだから、武彦は口をパクパクさせるだけで言葉を紡げない。ようやく言えた言葉は、「あ、そう」だ。
「そう。だから家族んトコ帰って一緒にパーティーなんて有り得ないワケよ」
「……」
色が横目に武彦を見れば、煙草を吸って吐いて吸って吐いて、冷や汗まで流した姿に、笑いを誘われる。
 だから、なのか。彼があまりにも、予想通りに反応してくれるから、だからだったのか。それともこんな場面を望んでいたからなのか。心のどこかで、こんな機会を願っていたからなのか。
 色は訥々と語りだした。どうしようも無い事と知りながら。
「俺さ、ゴーストからショウジさんが派遣されてきた時――あ、俺の後見人の事な。んで、奴が俺の能力をゴーストにって来た時、はっきり言って俺心の中で万歳したよ」
やはり視線は雑誌に落としたまま、世間話の様な調子で、声音は明るく、一切の変化無く。
「母ちゃん父ちゃん、俺が心底怖かった筈なのに、そんなんもうとっくに知ってたのにさ。必死に俺の事守ろうなんてしてくれちゃって、普通の子だからって――そんなワケねぇって思ってんのが笑えたけど。もう修復出来ねぇの知ってたし、元に戻れねぇのわかってたし?だけどなんか、その手を離す切欠が無かったし。俺、まだ一人だけでやってく手練手管なんて持ってない、ガキだったし――だから、あの家族離れられるって聞いてほっとしたんだよ、マジで」
 そう、心から。怯える瞳や、狂気に叫ぶ母親や、壊れた心と接しなくて済む事を、本当に、純粋に喜んだ。
 出て行く時にゴーストの能力者を使って、両親から近所に至るまでの自分の記憶を抹消するように頼んだのも、色だった。迷いなど無かった。自分の記憶がある事で両親は苦しむだろうし、何より怨念にも似たあの二人の愛が、自分には重かった。
 枷でしかなかったのだ、家族は。
 痛みでしかなかったのだ、絆は。
 もう戻れない状況が欲しかった。振り返らない誓いが欲しかった。最後まで捨て切れなかった救いを、笑顔を、温もりを、二度と求めたりしない様に。彼等に浅はかな期待を持たないように。
 ただ、それだけで。
「ゴースト行って一人ってわけじゃないし、退屈はしねぇんだ。日々は普通に過ぎてくし、後悔なんて一個も無かった。ぶっちゃけ忘れてた位」
茶菓子に手を伸ばしながら、色は肩を竦める。
 武彦の表情は見なくてもわかった。困った様に煙草をふかして、眉間に皺を寄せて。視線だけ平静装って、目が合えばそんでと笑うんだ。
 その状態を想像したら、無性に笑えた。
 更に饒舌に色は続ける。
「二年くらい前の俺の誕生日にね、ショウジさんが言ったんだ。俺に弟が生まれたって。誕生日一緒だぜ?何の因果かと思った」
 自分の思い出に、心の奥底に封じ込めた思い出に、被った。幸せだった幼い日に。
「気付くと俺、家まで行ってた。三年間ちっとも思い出したりしなかったのに、家までの道覚えてんのが不思議だった。で――着いた家ではさ」
 顔を上げた色の瞳がぶつかったのは、思いの他真剣な武彦の顔だった。いつの間にか煙草は消し止められている。居心地悪そうに頬を掻きながら、武彦は
「そんで?」
と先を促してくる。
「そんでさぁ、弟が俺のちっさい時にクリソツで。そっくりなんてもんじゃねーの。写真見たらまんまで、本当に俺そのものっつーか。――目も能力も無かった頃の、平凡な俺でさ」
 再確認した。
「幸せそうでほっとした」
 自分の居場所はもう、其処には無いのだと。否、最初から無かったのだと。彼の存在がそう思わせた。
 笑顔満面で色はそう締めくくった。嘘も何も無い、冷静な顔で。
「以上、俺の身の上でした〜!!」
 雑誌を両手で閉じて、机に無造作に置いた。武彦は、苦笑しただけだった。
 そう、後悔は無いのだ。ほんの少しも。例えばあの日をやり直せると言われたって、色はこれ以外の選択をしなかっただろう。違う道が無い事を、知っていたから。
 お互いにとっての最善。お互いにとっての最終。最悪を選ぶ前の、ギリギリのライン。お互いにとっての幸せ。
 だから後悔は無い。後悔とはけして呼ばない。思わない。
 ただ、少し痛くて悲しいだけ。
 喉に突っ掛かっていた棘が消えて、すっとした事に慣れていないだけ。心の重しが失せた事が、少し寂しいと思えただけ。
 それはそれで、幸せなのだけれど。幸せだと思えるのだけれど。
 ただ解けた枷が、それ自体が、たった一つの愛だったから。重すぎる愛だったから。
 だから嬉しいけれど、少し泣きたいのだと。
 けれど色はそんな事をおくびにも出さない。見せない。
 これは何て事無い事なんだと思い込む。そうすれば、笑えるから。
「んでんで、草間さんは何かプレゼントくれないわけ〜??」
「あ?」
「頂戴よ」
武彦ににじり寄って、ウィンク。武彦は呆れた様に掌から顎を滑らせた。
「何で俺が」
「えぇ〜?俺なんか最近、興信所にかなり貢献してると思うんだけどな。ほら、ゴーストって結構忙しいし?何気に俺、色んな仕事受け持ってっからさー結構ここくるの、つらいんだよなぁ」
 入り浸っているだけでなく、興信所にやってくる厄介な怪奇の類にも、献身的に協力している色である。むしろ依頼の現場に遭遇する色だからこそ、の協力だ。
 これを出されると、武彦も強くは出れない。
「――ケーキで良いか?」
「ん、ホールで」
おもむろに携帯を取り出す武彦に、色は頷いて応えた。
(今月ピンチなんだけど)
心の中で泣きながら、きっかり3コールで出た電話の相手に
「零?ケーキ16号ホールで買って帰ってきて」

 さり気無い優しさに、泣きたくなる時がある。
 心が温かになる。その心地よい気持ちを与えてくれる相手が、求めるソレで無い事に時々胸は痛むけれど――幸せだと、心から思う。
 慰める言葉は必要ない。求めない。そして聞けない。
 けれど色は、武彦の優しさに微笑んだ。


 例えこの胸が痛んでも。
 無意味でも。
 愚かでも。
 馬鹿な事でも。

 例えこの胸が痛んでも。
 戻れなくても。
 掴めなくても。
 幸せだと笑うだろう、俺は。幸せだと笑いたいのだ、俺は。



 終