|
Love&Hate Song act2
○オープニング
知っているか?
かかった本人も分からないから、かけた本人にすらも分からないから暗示と言うんだ。
だからきっと、今頃は楽しいことになっているだろうよ。
* * *
深夜、某所にある狭いアパートの一室。そこに、二人の女が寝ていた。
普段は決して眠りの深くない赤い髪の女は、しかしそのときばかりは気を許し、深い眠りに落ちていた。
その隣で眠っているのは、彼女の鮮やかな髪とは対照的に色素が抜けきった白髪の女性。数日前に起こった事件など何もなかったかのように、ただ彼女たちは静かに、そして平和に眠っていた。
「…ぅ…ん…」
夏特有の暑苦しさに、喉の渇きを覚えたアスカが目を覚ますと、玲は変わらず隣で眠っていた。
玲の寝息は静かで、まるで動きというものを感じない。それもまぁ彼女らしいなと少し思い、アスカは玲を起こさないように静かにベッドから立ち上がった。
数日前に起こった事件を、彼女は一切覚えていない。自分が友達と呼べるものに斬りかかっていたことも、何故そうなったのかさえも。
アスカには、その事件のことは一切説明されなかった。元々心優しい彼女に、自分がそんなことをしたと言えば、どうなってしまうかは容易に想像がついたからだ。
冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出し、コップに注がずにそのまま飲んでいく。冷たい水が、喉の渇きを幾分か癒してくれた。
そんなとき、ふと目がいった自分の携帯になにやら着信が入っていることに彼女は気がついた。
「なんだ、こんな時間に…」
頭をガシガシとかきながら、携帯を開いてみてみると、一通のメールがきていた。少し眠そうな目で、そのメールを見てみる。そこには、ただ一言だけ書かれていた。
『思い出せ』
「なんだこのメール…」
差出人も、件名もなし。ただの悪戯メールかと携帯を閉めようとして、そこで彼女の動きは止まった。
「あ…れ…?」
手が動かない。ただその小さな画面に映る文字から目を離すことが出来ない。
「…ぁ…」
そうして、アスカは小さく思い出す。自分が失ったはずの、あの日の記憶を。
黒い、ただ黒い髪の女が、自分に向かって何かをしているのだ。そして小さく呟くのだ、ただ一言。
カタンと音を立てて、携帯が地面へと落ちる。
しかし、それを気にする様子もなくアスカは歩き始めた。
彼女が見下ろす先には、いまだ静かに眠る玲の姿があった。それを、何処か危うい色を秘めた瞳でアスカは見下ろす。
ベッドではなく、フローリングの床に寝転がる彼女の横に、アスカは静かに座った。そっとその手が、赤い髪を触る。そうすると、ほっそりとした白い首筋がアスカの瞳に映った。
「……」
吸い込まれるように、その首筋へと細い指が伸びる。
「…アスカ…?」
その指が触れた瞬間、玲は目を覚ました。それと同時に、アスカの手がその首筋を絞めていた。
「か…ぁ…アスカ…!?」
突然のことに、玲は内心パニックになりながらも、必死にその手を外そうと試みる。しかし、その力は普段のアスカからは考えられないほどに強かった。
「ぅ…あ…!」
酸素が肺へといかず、しかしアスカに暴力を振るうわけにもいかず、玲はただ耐えていた。しかし、それも程なく限界を迎える。しかし、それでもアスカはただ無感情に玲の首を絞め続けた。
「ア…スカ…」
落ちそうになる意識を必死に留めながら、玲はそっとその手をアスカの顔に添えた。
「……ぁ…ッ!」
その瞬間、アスカの顔に表情が戻る。そして、すぐさま彼女はその手を首から外し立ち上がった。
「―――――ッ! ケフッ…はぁ…はぁ…!」
全身が酸素を求め、玲は必死に呼吸を再開する。途中、うまく息を出来ずに咽てしまった。
「あ…あたし…」
そんな玲を見下ろしながら、アスカは今自分が何をしていたのか思い出す。
自分の細い腕が、玲の首を確かに絞めていたのだ。その感覚が、生々しく彼女の中に甦っていく。
「……ッ!」
信じられない自分の行為に、アスカは何も言えずに部屋を飛び出した。
* * *
『よー姐さん、あんたの予想通りあの女の子部屋から飛び出したぜ』
「そうか」
携帯から聞こえてくる、何処か軽い男の声に、黒華はただそれだけを返す。ベッドの上、何も着ていないその身体が起き上がる。
彼女はそのまま立ち上がり、乱れた黒髪をかきあげ歩き始めた。
『んで? これからどうすんのよ』
黒華が部屋を出ると、ミラがそこに立っていた。
「貴様はそのままその女を追え。私は玲と遊んでくる」
『へーへー。ホント、彼女にご執心だねあんた』
「軽口を叩いている暇があったらさっさと動け」
クローゼットを開け、適当に服を見繕いながらにべもなく言い返す。そんな彼女に、男はただ小さく笑った。
『そんじゃまた女の子捕まえた後で。あ、俺あんたのことも結構嫌いじゃねぇか』
口の減らない男に、黒華はさっさと携帯を切り服を着始めた。
* * *
「…はい、草間興信じ…」
『草間か! アスカを、アスカを探してくれ!』
草木も眠る丑三つ時、そんな時間に鳴り響いた電話から聞こえてきた声は、今までにないほどに切迫していた。その声に、寝ぼけていた草間の頭が覚醒する。
「あんた…霧崎だな。とりあえず落ち着け、一体何があった」
何時もの眠そうな声ではない玲に、草間は何があったのか必死に宥めながら聞き始めた。
○闇の中で
「…後催眠…失念してたこちらのミスね。しまったわ」
草間興信所、そのロビーでシュライン・エマが悔しそうに呟く。
確かにそこまで考えなかったのは完全なミスと言ってもいい。しかし、今はそれを悔いている時間はない。
「まぁ…こうなってしまったものは仕方ありません。今は、アスカさんの保護を第一に考えましょう」
「そうね。もう動いてくれてる人たちもいることだし…私たちも頑張らないと」
セレスティ・カーニンガムの言葉を聞き、シュラインは一度自分の頬をはたいて気合を入れなおす。そんな彼女を見てセレスティは小さく笑い、パソコンの画面に向かう。
「暗示の解除には、黒華嬢の捕獲も必須でしょうか…。彼女の過去についてはまだまだ謎な部分も多いので、霧崎さんでしたか…彼女に話を聞きたいのですが」
しかし、その当の玲は電話をかけてきた後そのままアスカを探しにいったのか、ここに姿はない。
「黒華嬢の居る組織については少し分かってきました。どうやら裏の世界でよくある組織のようですね。まぁこういうところがえてして厄介なのですが…」
「それで、その組織って?」
「…どうも、これといって特定の名前があるわけではないようですね。何かに対する利害が一致したものたちが集まった集団と言いますか…ただ、最近急速に力をつけてきたのは確かなようです。まぁ、まだまだこれといった情報がないのも確かですが」
そこまで聞いて、シュラインは一つ溜息をついて、ぬるくなったコーヒーを飲み干した。
「秘密主義というのも『らしくて』いいけど、こっちのことも考えてほしいわね」
調べるのは私たちなんだから、などと誰に言っているのか分からない文句をもらし、ドアに手をかける。
「それじゃ、私は武彦さんたちの後を追うわ。セレスティさんは?」
「私は少し調べ物をしてから行きますので」
「そう。じゃあよければかかってきた電話の相手もお願いね」
そういい残して出て行ったシュラインにセレスティは小さく苦笑を溢して、また画面へと視線を移した。
「さて、草間から送ってもらったはいいが…」
夜の闇の中、まだまだ明るい街の光を頼りに写真を見ながら鷹旗・羽翼が呟く。
「流石にあいつを待ってるほど余裕もないな。まぁ同件で動いてるやつもいるみたいだし、こっちはこっちで好きにやるか」
怪奇ライターとしての魂が疼く。羽翼は小さく笑った。
ファックスで送られてきた写真には、鮮やかな銀髪を揺らす少女が写っていた。そして、一緒に送られてきていた住所を頼りに歩けば、程なくして目的のアパートに辿り着く。
「あら…」
「もしかして、お前さんもかい?」
そのアパートの前に一人の女性――鹿沼・デルフェスが立っていた。アパートを見上げていた彼女は羽翼に気付くと、小さく会釈をしてきた。敵意はなく、目的は同じらしい。
「なら、話は早いか」
言うが早いか、羽翼はデルフェスに一緒に動かないかと切り出した。
話をつけ、早速羽翼はアスカたちの部屋のドアに手をかけた。軽くノブを回してみたが、案の定鍵はかかっていない。
「あの、羽翼様、許可を頂いてからにした方が…」
「んなことしてる時間はないだろ。同居者の姉ちゃんもそのまま飛び出していっちまったみたいだし」
あくまで“らしさ”を失わないデルフェスに、羽翼は小さく笑ってそのまま大足に部屋へと上がった。
部屋の中は特に変わった様子はない。ただ、飛び出した際に散らかったものがそのまま散乱していた。その中に何かないか、二人は注意深く調べていく。
「…あ」
そんな時、デルフェスの視線の先に何か光るものが見えた。近づいてみれば、それはサブ液晶が光った携帯だった。
「そう言えば、アスカ様は携帯電話を見てから人が変わってしまったようだったとか…」
「へぇ…着信とかはどうなってる?」
携帯を開き、着信履歴を見てみるが特に変わったものはない。そのほとんどが彼女の友人関係からのものだった。
続いてメールを見てみる。すると、最新のメールがおかしいと気付くことが出来た。数多くあるメールの中で、その一件だけに題名がついていなかったのだ。
そのメールを開く。差出人は不明、登録されていないアドレスからのものだった。そして本文にはただ一言、『思い出せ』の文字。
「…どうやらそれが原因か? ったく、手の込んだことを…」
「ですわね…兎に角、お探しいたしませんと」
その携帯を持って、二人は部屋を出る。空には月が高く輝いていた。それを見ながら、羽翼は階段をおりていく。
「まぁそいつは俺に任せておきな。アルビノの女の子なんざ、そうそういないもんだし」
言いながら、自分が使役するデーモンヘブンリー・アイズを上空に舞わせる。
「さて、探しながら俺たちも足で情報を稼ぐか」
にっと笑う羽翼に、デルフェスも笑顔を返した。
「ったく…煙草が切れてるなんざ、ついてねぇ」
風間・総一郎は、誰に言うでもなく愚痴をこぼしながら溜息をついた。
今月もあまり余裕はないのは分かっているが、それでもやめられないあたりは十分中毒と言っていいのだろうか。
「そういや煙草やコーヒーは一種の麻薬だとか誰かが……ん?」
特に意味のない呟きで気を紛らせる彼の前を、一人の少女が駆け抜けていく。一瞬見えたその顔は蒼白で、必死で何かから逃げているように見えた。
「……見ちまったもんは、しょうがねぇか」
また一人呟いて、総一郎は少女の後を追い始めた。
「糞、アスカさんは…!?」
その頃、火宮・ケンジは一人夜の街を走っていた。コンビニの明るい光が闇を照らし出すが、そこに目的の少女の姿はない。
「あいつら、アスカさんは関係ねぇだろうに…!」
アスカを見つけられず、ケンジは一人焦る。同時に、こんな事態になったことに怒りと悔しさがこみ上げてくる。
しかし、一人そうしているわけにもいかず、ケンジはまた一人走り始めた。そのコンビニが総一郎の行こうとしていたところで、すぐ近くに二人がいるとも知らずに。
「おいあんた、ちょっと待てって!」
その声にビクッと肩を震わせた隙に、総一郎はアスカとの距離を一気に詰めてその華奢な腕を掴む。
「ちょっ…離せよ!」
「落ち着けって、別にとって喰おうって訳じゃねぇんだから」
必死にその手を払いのけようとするアスカの肩を強引に掴み、少し揺らす。
「ったく…何そんなに焦ってんだよ」
少し落ち着いたのか、アスカの動きが止まったのを見て総一郎はまた小さく溜息を吐いた。
「なんか様子が尋常じゃなかったから思わず追いかけてきちまったけど…あんた、何かあったのか?」
その言葉にぴくっと反応するが、しかしあとに続く言葉はない。まぁ初対面だから当然かと総一郎は頭をかいた。
「あー…えーと。とりあえず家はどこよ? こんな時間だし送ってくわ」
「帰りたくねぇ…」
「はぁ? …ったく…」
アスカはそのまま黙り込んでしまい、しかしそのままにしていたらまた大変なことになりそうだと離れられず、総一郎はまた溜息をついた。
「あっれー? もしかして彼氏もちだったわけ?」
ジャリッと砂を踏みしめる音とともに、声が響く。生理的に嫌なものを感じ、総一郎は油断なくアスカの前に立つようにしながら振り向いた。
「…なんだ、お前」
声のするほう、闇の中から現れたのは短い髪を金に染めた、いかにも軽そうな男。
「っていうか、あんたが誰よ。報告じゃ彼氏はいないって聞いてたんだけどなー」
アスカと総一郎が一緒にいるのを見て、男はいかにも不満そうな声を上げる。それが、総一郎の癇に障った。
「別にそんなんじゃねぇ…。報告とか、何だよ」
「あぁ、ならいいのいいの。俺用事あるのその子だけだから、あんたどっか行っていいよー」
睨み付ける総一郎など眼中にないかのように、軽く手を振って男は近づいてくる。
「へー近くで見るとホント可愛いねぇ」
ニヤニヤ笑う男に、アスカは小さく震え、総一郎の背中に隠れる。
「はいはいあんた邪魔、さっさとどいて――」
「…怖がってんだろうが」
「…あっ?」
総一郎を無視してアスカに手を伸ばした男の手を、総一郎は掴む。その瞬間に、男から明らかに苛立ちの篭った声が漏れた。
「あんたにゃ用事はねぇって言ってんだろ…?」
「目の前で女に何かしようとしてるやつ見逃せるほど馬鹿でもないんでな」
「死にたいわけ…」
「そいつは御免だな」
そして、次の瞬間には二人の体が弾けていた――。
* * *
ハッハッハッハッ――。
闇の中に、息が弾む。
赤い髪の女が、一人風の如く闇の中を疾走していく。目的は、ただ一つ。
夜であろうと、人ごみが減るわけではない。女は、その中にただ一人を捜し求めていた。
捜索を頼んだ男から、まだ連絡はない。それはつまり、まだ彼女が見つかっていないということで。
いてもたってもいられなかった。今も、彼女が色々なことに怯えて彷徨っていると思うと。
走っているうちに、人ごみがなくなった。どうやら住宅街に出たらしい。
「どうした。随分と必死に走っているじゃないか」
確かに聞いた事のある声。その声に赤い髪の女――玲が振り向けば、そこには二つの影。
「…黒華…」
「哀れなお姫様をお探しかい? 残念だな、こちらにはいない」
くっくと笑いながら、霧生黒華が小さく一歩前に出た。隣に立つミラは一歩も動かない。
「…そこをどけ。お前の相手をしている暇はない」
「随分な言い方だな、ん? 折角こちらから遊びに来てやったというのに…それに、あのお姫様に暗示をかけた私が憎くはないのか?」
ビクッと、玲の雰囲気が変わる。髪の先がふるふると震え、その瞳がかっと開かれる。
「…黒華…今の私に余裕はない…」
「はっ、そんなことは分かっているさ」
殺気が膨らむ。まさに一食触発の状態。
『ハーイユー、無駄な抵抗はヤメナサーイ』
そんなとき、何か機械を通したような大きな声が一面に響いた。その声に、黒華も玲も辺りを見渡す。
『玲、ユー早すぎ…』
そして、夜の闇の中から、玲にも負けない鮮やかな赤い髪を揺らして、どこかトロンとしたジュジュ・ミュージーが現れた。
「ジュジュ…」
玲の隣に立ちながら、ジュジュは持っていた拡声器を下ろす。
「ユーがクロカ・キリュウね? 玲と草間から聞いてるヨ」
草間の部分を強調しながら言って、ジュジュは妖しく笑った。
○闇夜の戦い
「はっ!」
「けっ」
総一郎の笑い声と、金髪の男のうざったそうな声が交わり、同時に火花が散る。
一合、二合と打ち合ううちに一度距離をとり、二人はまたぶつかり合う。
総一郎の持つ剣―ルドラと、男が持つ光の塊が激しくぶつかり合いながら、また光を散らした。
その光は遠目にもよく分かるのか、ケンジがそれに気付く。
「あれは…!」
考えるよりも早く、ケンジの足はそこへ向かっていた。
勿論、それだけ派手に動いていれば、羽翼たちにも分からないはずもなく、二人もその場へと向かっていた。
そして、その光景を一人眺める少女がいた。
「…全く、不用意に戦う」
少女はそれを見ながら小さく笑う。
普通なら気付かないはずもないが、それでも少女はそれを可能にしていた。そして、未だに総一郎と男は少女に気付かず戦い続けている。
「全く…アスカに対する注意がおろそかになりすぎだ。戦いに集中しすぎるからこうなる…」
だがそれも仕方はないかと少女は少しだけ笑い、己を包む光学迷彩を開放してその姿を闇夜に現した。
「さて、ではやろうか」
「あん? なんだ嬢ちゃん」
突然の来訪者に、男の手が止まる。その隙を逃さず総一郎がルドラを振るうが、それは間一髪のところで避けて後ろへと後退した。
「おい、危ないから下がってろ」
総一郎の言葉にも耳を貸さず、少女はそのまま前に出ていく。
「さて、草間の方から聞いていることだし、そちらの女に手を出させるわけにはいかないからな」
言いながら、少女が大々的に障壁を解放する。強力なそれに、男はおろか総一郎も思わずその場を下がった。
それを見ながら、少女――ササキビ・クミノは小さく笑った。
「あれかっ!」
そして、その場に羽翼とデルフェスもやってきた。
「よかった、アスカ様は無事ですわね…」
駆け寄りながら、一応無事なアスカにデルフェスはホッと息をついた。
「んだよ、こんなにくるなんざ聞いてねぇぞ!?」
クミノと総一郎に睨まれながら、さらなる増援に男は毒づく。幾ら実力があろうと、流石に多勢に無勢、男の不利には変わりない。
男は内心焦りながら、どうするべきかと考えをめぐらせて行く。そんな時、
「ぁ…」
アスカが小さく声を漏らしたと思うと、何を思ったか全員に背中を見せて走り始めた。
「アスカ様!?」
突然のその行動に、誰もが驚きを隠せなかった。普段冷静であるはずのクミノさえ、その行動には戸惑いを隠せない。
そして、その行動を一番喜んだのが金髪の男だった。それを見るが早いか、男も一瞬のうちにアスカへと駆け出す。一瞬の戸惑いのせいで、男の行動を阻害出来るものはいなかった。
「悪いな、俺の目的はこっちの女の子なんでね!」
言いながら、男の手がアスカに伸びる。
「なっ――」
しかし、その手がアスカに届くことはなかった。
「よっしゃ、間に合った!」
羽翼の使役するデーモンヘブンリー・アイズの爪が、男の手を寸でのところで弾いていたのだ。
さらに、
「てめぇ、アスカさんに何しようとしてんだっ!!」
今まさにその場にたどりついたケンジが走る勢いそのままに拳を振るい、そしてそれは男の顔を綺麗に捉えて派手に殴り飛ばしていた――。
* * *
「…なんだお前は」
先ほどまでとは違う、明らかに不機嫌な色が篭った声。そんな黒華に、ジュジュはまた笑った。
「ミー? ミーは草間にラブな女ネ」
言いながら、ジュジュは一つのことを試していた。すなわち、拡声器の声に乗せて放った己のデーモン『テレホン・セックス』による黒華の支配。
ミクロの大きさで放たれるそれは、黒華に一切気付かれていない様子だった。
しかし、ジュジュの思惑とは裏腹に、デーモンが黒華を乗っ取れる様子はない。
「…なんだ、何かしたか?」
違和感に気付きながら、しかしその正体が分からず、黒華は小さくジュジュに問いかける。
「サァ?」
あくまでおどけたように答えながら、ジュジュは手に持った拳銃を黒華に突きつける。
「大人しくするのがイチバンネ?」
しかし、黒華がそんなことを聞くはずもなく、彼女はゆっくりと動き始めた。
そんな彼女に溜息一つ、ジュジュは指を鳴らす。
「手荒なマネはしたくないネー」
そんなことを言いながら、しかしジュジュのとった行動はあまりに手荒だった。
黒華の中に潜ませたテレホン・セックスが、その声に反応して黒華の中で動き始める。動き始めたその場所は、黒華の脳内だった。
そのあまりに小さなデーモンが、やはり小さくその血管に傷をつける。しかし、脳というのはあまりに精密で、小さな傷が命取りとなる。
傷がついた箇所から決壊した血管は、やがて彼女の中で大きな反応を起こすことになる。すなわち、脳内出血。
「!?」
その一瞬の出来事に、黒華の意識が飛んで行きそうになる。何が起こったのかは、当然彼女にはわかっていない。
脳内出血は、そのまま死を引き起こしてもおかしくない症状だ。それを、ただ気迫だけで意識を取り留める。
「…ちぃ…!」
しかし、それだけでは彼女を昏倒させるにはいかなかった。彼女の精神は予想以上に強く、そしてまた、彼女は『水』を操る能力を持っていたから。その能力が、意識が飛んでいきそうなその一瞬に彼女自身の血液を操り、そして脳内で止血した。
「まさか…直接、脳を狙って、くるとはな…」
流石にこれには、ジュジュも驚きを隠せなかった。思わず小さな驚きが漏れる。
しかし、流石にそれが限界なのか、黒華は大きく身をふらつかせた。
「黒華ぁ!」
その隙を逃さず玲が斬りかかるが、それはミラの結界に阻まれた。
「…っ、まさかこんな方法でやられるとは、な…。まぁいい、お前の憎しみで歪んだ顔も見れたことだし…」
それでも笑みは崩さず、ふらつきながら黒華は闇の中に飛び立った。同時に張られる結界、そして消えていく二人の姿。それを見送りながら、ジュジュは携帯を取り出した。
* * *
「向こうはとりあえず終わったみたいよ。彼がその?」
「あぁ。ちと暴れないようにこうしてるが」
シュラインと草間、セレスティが現場に辿り着いた頃には、金髪の男は身動きを取れない状態で拘束されていた。
「やっほー美人のお姉さん」
そんなことを言う彼の顔はケンジの拳で真っ赤に腫れあがり、デルフェスの換石の術で手足を動かなくされ、その上からクミノの障壁がさらにその動きを束縛していた。
それでも態度が変わらない彼を半ば呆れつつ見ながら、シュラインは辺りを見渡す。
「…で、アスカちゃんが大変だって?」
「あぁ。いきなり暴れだしちまってな」
それに羽翼が頷く。見ればケンジに抑えられてはいるが、アスカが泣きそうな顔でその体を震わせていた。
「…原因は精神的なものだしね。仕方がないわ。少しアスカちゃんとお話させてもらってもいい?」
そうしてシュラインはアスカと二人きりになっていた。他のものたちは、例の金髪の男に話を聞いている。それを眺めながら、ただ静かに時間が過ぎていく。
「アスカちゃんは…」
そして、シュラインが静かに口を開く。
「今回のこと、分かってるから逃げようとしてたのよね?」
それに、アスカは小さく頷く。言葉は、ない。
「…まぁ怖いわよね、確かに…。自分のやったことが信じられないんじゃない?」
また返ってくる小さな頷き。それに、シュラインは少しだけ苦笑をもらした。
「…あたしの手が、さ」
「ん?」
「気付いたら…あたしの手が、玲の首、絞めてて…あいつのこと、大切に思ってるのに…なのに、なのに…」
身体が小さく震え、そして大粒の光の粒が地面を濡らす。そんなアスカを、シュラインはギュッと抱きしめた。
「ん…分かってる。またやりそうで、怖いのよね? 大切な人を傷付けちゃうかもしれないのが怖いのよね?」
優しく背中をさする。そうすると、アスカの震えが少しだけ小さくなったように思えた。
「大丈夫。それだけ強く想っているなら、きっとそんな暗示乗り越えられるから。
それにほら。アスカちゃんの周りには、沢山仲間がいるでしょ?」
にっこりと笑うシュラインに抱きついて、アスカは小さく泣き始めた。
「…はー…結局俺、今回何もできてねぇな…」
「それはわたくしも…でも、あの様子ならいい方向にいってくれそうですわ」
二人を眺めながら、ケンジとデルフェが少し悔しそうに呟く。しかし、これでアスカが少しでも元気になってくれればそれでいいとも思いながら。
「さって、こいつどうするよ?」
とりあえずそこで気持ちを切り替え、捕らえた男に振り返る。男は、相も変わらずヘラヘラと笑っていた。
「それでは、少しお話を聞かせてもらいましょうか」
男にセレスティがにっこりと微笑みかける。男もつられて笑みを返した。
「あなたには色々と聞きたいことがあるんですよ。あなたの組織のこととかね」
手に持っている資料をめくりながら、セレスティは言葉を続けていく。
「あなたの組織はここ数年で急速に力をつけてきた…そして、何故か名前は特にはない…。
組織内部に関しては全くの謎、そもそも何をしているのかもよく分からない…」
「へぇ、よく分かってるじゃん美人の兄ちゃん。うちは相当そういうのの情報管理は厳しいからねー」
「だからです」
セレスティが一歩前に出る。どこか、その瞳に危うい色を秘めて。
「だからあなたに色々と聞きたいんですよ。あなたの組織が一体何をしているのか、正体はなんなのか。
勿論、答えてくれますよね?」
言葉に込められた意味と、その迫力に男は少し引きながら、それでも笑みを崩さなかった。
「いやー…答えろって言われても、ねぇ…。俺はただ上からあの女の子たちを捕まえてこいって命令もらっただけだしなー」
その言葉に、セレスティはおろか、周りにいた全員が目を細めた。
「いや、マジだって! うちってさ、なんか訳わかんねぇんだよ正直。上のやつらは絶対下のやつには顔見せねぇし。
俺だって指令がきたから動いただけで、それ以外のことはなーんもわかんねぇ。悪いね、力になれずに。美人や可愛い子も多いのに残念」
「余計なことをぬかすな」
あくまで調子の変わらない男の頭を、クミノの拳が捕らえていた。
「さて、これからどうするよ?」
「そうですね…まだまだわからないことも多いですし」
クミノに殴られ気絶した男の頭をゴンゴン殴りながら、羽翼が唸る。その横で資料をまとめ、セレスティが小さく溜息をついた。クミノは無言で男をつついている。
「まぁ、それは追々考えていきましょう」
そこに、アスカと一緒にシュラインが戻ってきた。
「ほら、アスカちゃん」
シュラインに押され、アスカが一歩前に出る。
「えと…その、あたしのために、ごめん。ホント、ごめんなさい…」
「…お気になさらずに♪」
まだ何処か遠慮がちなアスカを、デルフェスがギュッと抱きしめる。
「ちょっ、おい!」
顔を真っ赤にして慌てるアスカに、デルフェスは小さく頬擦りしながら本当に嬉しそうに微笑んだ。
「…女同士って、こういうときいいよなー…。
…今度は、俺が守ってやらないと」
「なんだよ、お前あの子に惚れてんのか?」
「げふっ!?」
一人決意を新たにしているところに、それを傍で聞いていた総一郎からツッコミが入り、ケンジは思わず咽てしまった。
「ちょっ…!」
「で、どこに惚れたよ、ん? 詳しい話聞かせろ」
それからしばらく総一郎から放してもらえず、ケンジはただしどろもどろになるだけだった。
「…アスカ!」
玲がアスカを抱きしめる。普段は感情をあまり見せない顔が、今だけは泣きそうになっていた。
「…草間ー♪」
「うわわっ!?」
それをみて、ジュジュもマネをしたように草間に飛びついた。
「あ、ちょっジュジュ!」
「何ネー?」
しかし、それは当然シュラインに許してもらえるものではなく、女の戦いが勃発する。
そんな彼女たちを眺めながら、クミノは人知れず溜息をついた。
(皆浮かれているが、終わったわけではないな…)
まだまだわからないことの方が多く、今度はどんなことが起こるのかはわからない。
「さて、次はどうなるか……」
彼女の呟きに、答えるものはいなかった――。
<To be Continude...>
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま)/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【0585/ジュジュ・ミュージー(じゅじゅ・みゅーじー)/女性/21歳/デーモン使いの何でも屋(特に暗殺)】
【0602/鷹旗・羽翼(たかはた・うよく)/男性/38歳/フリーライター兼デーモン使いの情報屋 】
【1166/ササキビ・クミノ(ささきび・くみの)/女性/13歳/殺し屋じゃない、殺し屋では断じてない。】
【1883/セレスティ・カーニンガム(せれすてぃ・かーにんがむ/男性/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い】
【2181/鹿沼・デルフェス(かぬま・でるふぇす)/女性/463歳/アンティークショップ・レンの店員】
【3462/火宮・ケンジ(ひのみや・けんじ)/男性/20歳/大学生】
【4838/風間・総一郎(かざま・そういちろう)/男/22歳/私立探偵兼修行者】
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ ライター通信 ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
こんにちはもしくはこんばんは、何時もお世話になっておりますもしくは初めまして。へっぽこライターEEEです。
今回は参加本当にありがとうございました。
そして、同時に少し遅れてしまいすいませんでした…!(土下座
何を言おうとただの言い訳なので、ただすいませんでしたと謝るしかなく…今度からはないように気をつけます。
さて、今回のことで組織の男が捕らえられたため、次回以降はこれらが情報として扱えるようになります。
また参加されることがあったら、その辺りのことを使ってもらって結構ですので。
それでは、また機会がありましたら宜しくお願いします
|
|
|