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<東京怪談ノベル(シングル)>


 捩花 −小さな花と小さな出会い−




 天気予報では、今週いっぱいはぐずついた天気が続くとのことだったが、今日は朝から晴れていた。快晴とまでは行かないまでも、とりあえずしばらくは降り出しそうな気配もない。
 本格的に天気が崩れる前に……ということで、真輝は外に出て手早く用を済ませ、帰途に着いた。
 しかし太陽が照り付けているわけでもないのに、やたらと暑い。じめじめと湿っぽくて、まさに「蒸す」といった言葉がしっくり来る。蒸し風呂、とまでは言わないが、それに近いものがある。スイスで生まれ育った真輝は、未だにこの蒸し暑さに慣れることができずにいた。
 まだ梅雨も明けていないというのに、今の時点でこの暑さ。これで夏本番になったら一体どれだけ暑くなるのか、考えただけでも先が思いやられる。
「いつかは慣れる時が来るんかな……」
 汗で濡れたシャツの胸元をぱたぱたさせながら、ぼんやりと呟く。
 日本に移り住んでから既に何年も経っているが、それでもまだこの調子。ということは、例え慣れることができたとしても、果たしてあとどのくらいかかるのやら……それを想像して、真輝はさらにげんなりとしてしまった。
 げんなりした途端、足の動きも鈍る。
 ここから家まではそう遠いわけでもないが、なんだかどっと疲れてしまって、真輝は道端の自動販売機で冷たいお茶を買った。そして近くの公園に寄り道し、木陰のベンチに座り込む。よく冷えたお茶を飲むと、少しは気分も落ち着いた。お茶をこんなに美味しいと思ったのは久しぶりかもしれない。
 公園には人の姿もまばらだが、それでも犬の散歩をさせる人や子供連れの母親の姿などが見える。ぐいぐいと飼い主を引っ張って元気よく歩き回る犬を見て、どこからそんな体力が湧いてくるのかと真輝は苦笑した。もう少し遠くのほうでは、噴水に飛び込んで遊んでいる犬もいる。
「いいよなあ、犬は……」
 濡れるのも構わず人の目も気にせず、あんなふうに無邪気に水遊びができたら、さぞかし気持ちいいことだろう。
 かくも不自由なるかな、人間というものは―――などと考えながらぼんやりしていると、ふと、あるものが目に留まった。
 ベンチの脇にぽつりぽつりと咲く薄紫の花。どこにでもあるような花ならば気にも留めなかったのだが、一風変わったその姿に興味を惹かれ、真輝は屈み込んでその花を観察してみた。
 まっすぐにピンと立った茎に、まるで螺旋階段のような形で小さな花がくっついている。近付いてよく見てみると、茎も「こより」のような形をしている。
「変わった花だなあ。何て花だろう……?」
 独り言のつもりで呟いた言葉が聞こえていたのか、不意に後ろから声が掛かった。
「それは捩花というんだよ」
「ネジバナ?」
 振り向いてみると、1人の老人が腰をかがめてこちらを覗き込んでいた。
「捩る花と書いて捩花。捩摺とも言うね。小さいけれど、蘭の仲間だ」
 確かに、こよりのような茎に螺旋を描く花、「捩る」という名前はぴったりかもしれない。あるいは螺子のようにも見えるので、音だけ聞くとそちらと勘違いしてしまいそうだが。
 それにしても蘭と言うと胡蝶蘭やシンビジュームなどが有名だが、あの堂々とした姿と比べて、この捩花はとても小さい。周りに背の高い草が生えていないのが幸いしたものの、もし茂みの中などに紛れていれば、きっと見過ごしてしまっていただろう。
「でも、なんでこんな形してるんでしょうね?」
「下から上に向かって少しずつ咲き登っていって、花が一番上に達する頃には梅雨が明けるという謂れがあるらしい。まあ、本当かどうかは分からんが……」
 ちなみに、目の前に咲く捩花は七部咲きといったところ。もしその謂れが本当なら、梅雨明けまであと少しだ。
「茎が傾いてしまわないよう、こんなふうに捩って均等に花を咲かせているという説もあるな」
「へえ……よく知ってますね。花、好きなんですか?」
 感心して訊ねると、老人は皺だらけの顔でにこにこと笑って「家内の影響でね」と答えた。
 家では夫婦揃って園芸を楽しんでいたりするのだろうか。そんな光景を想像して、真輝も思わず笑顔になる。
「捩花は日当たりの良い荒地を好んで咲くものでね、『ひねくれ花』なんて呼ぶ人もいるそうだ」
「……なるほど」
 言いえて妙とはこのことだろう。
 この暑い中、こんな日当たりの良い場所に立っているなんて、花だけでなく人間だって遠慮したいところだ。そんな所にわざわざ好き好んで生えているなんて、ひねくれ者と言うか物好きと言うか……
 ただ、その逞しさは羨ましくもあった。
 早々にギブアップしてへたり込んでしまっていた自分が少しだけ情けない。
 そんな真輝の内心を知ってか知らずか、老人もこんなことを言った。
「暑さに負けず、この花のように強く生きたいものだね」
「まったくです……」
 苦笑しつつ頷くと、老人もまたにこにこと会釈し、立ち去っていった。
 この公園に立ち寄らなければ、きっとこの花に気付くこともなかったし、この老人と話をすることもなかった。そう考えれば、へたり込んでしまったことも悪くはなかったのかもしれない。
 そんなふうに思い直して、真輝もまた歩き出した。
 今度、授業でこのことを話してみるのも良いかもしれない。もちろん受け売りの知ったかぶりだが、そんなことはバレなければ大丈夫。
 ちなみに、百人一首の中のひとつ「みちのくの しのぶもじずり 誰ゆえに 乱れそめにし 我ならなくに」もこの花に由来していると知るのは、また後日のことである。



 小さな花がくれた、小さな出会い。
 それはささやかな思い出となり、真輝の胸に残ったのだった。



















−終−