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<東京怪談ノベル(シングル)>


虚空夜

 不夜城と呼ばれる街がある。
 ――然れども不夜城とは何ぞや?
 夜が来ないと人は言う。闇が潜まないと人は言う。
 ――本当に?
 否。光が濃ければ濃い程、闇もまたそこにある。
 いくら否定しようともそこにあるのだ――。


 月よりも遠く、地よりも遠く、その影はあった。その昔いたと言う恐竜にも似た姿を晒すのは工事用重機である。名はショベルカーと言っただろうか。
それを囲むように鉄骨の無骨な山が出来ていた。しかし、それは光の下で見れば錆びた物である事が見てとれよう。
 そう、ここは打ち捨てられた工事現場だった。
 再開発と銘打ったは良いが、資金に困り放置されたその場所へ行く道は、これまた寂れた道であった。硝子の割れたビルや作りかけの建物が点在する――ここは都会の中にあって、人々の呼ぶ都会ではない。忘れられかけた場所だ。
 点滅を繰り返す街灯に照らされて一人、男がいる。黒い男だ。すらりとしたその体躯に和装を纏い、不思議な色彩の髪を風になびかせる。目を伏せながら歩く様は疲れを感じさせながら、それでいて隙がない。
 不思議な男だった。眼鏡の奥の瞳を見ればそれが唯人ではない事を誰もが悟るだろう。
 暗い蒼を纏った銀の瞳を人が持つ事が叶うのだろうか――仮に叶ったとしても瞳に浮かぶその空虚さを見れば唯人ではないとやはり確信する事だろう。
「今宵もまた来るのか……」
 どこかしら疲れを感じさせる声で青年は一人呟く。来る、というのは妖の類の事だ。無論その気配を感じたからこそ、彼はこの場に立つ。
 彼を目指して妖が来るのは何故だろうか。
 人の血肉を喰らう為か、或いはその尚深き闇に惹かれての事か――。
 どちらでも良い。
 やや投げやりに青年は思う。恐らくは後者であろう事は想像に難くなかったが、わざわざそれを考える程の情熱に彼は恵まれてはいなかったのだ。
 母の腹から生まれ出でた時から彼はこの姿だった。愛故に生まれた訳ではなく、母は恐らく不本意な失意のまま逝った事だろう。精気を失った眼差しを父の顎の下から彼に向けた母の姿が、母についての最後の記憶で、彼の最初に記憶だ。
 そのようなものが果たして人であろうか。光に属するものであろうか。――否。
 私は闇に属する身の上だ。それは間違いあるまい。
 なれば何故私は追われぬのか?
 たまたま見つからず過ごしているのか、聞こえぬ足音がすぐ側まで忍び寄っているのか――或いは、闇を狩るという己の所業が彼を救っているのか。
 一体誰がそれを知ろうか。
 もっとも例えその終末の刻を教えられたとしても青年は眉を潜める事すらするまい。そういう定めと腹を括っている訳でもなく、ただ流されるままにその定めを受け入れてしまうのだ。
 いくつもの疑問を持ちながらその答えを求める事なく、ただ在る。
 それが葛城夜都という男だった。


 夜都は唯静かに歩を進めながら思索にふける。まるで彼を見つけ囲もうとしているモノなど目に入っていないと言わんばかりに。
苛立ちは伝染し、それらは声にならない歯軋りを、唸りをあげた。それでも彼がその眼差しをあげぬとなれば、苛立ちのままにとうとう姿を現す。
 ――ため息を一つ。
「来たのか。滅ぼされると判っているだろうに」
 夜都はとうとうそれらを見た。ひとつ、ふたつ、みっつ……数え上げて息を付く。今宵の獲物は6体。人とよく似ていながら醜悪な姿を晒す、虫に似た妖。
 妖といい、夜都といい、結局は同じ夜の眷属だ。闇に属するものだ。
 妖は人の血に汚れ、夜都は妖の血に汚れ、それに果たしてどれ程の違いがあろうか。
 しかし、同じ闇でありながら、裁くものと裁かれるものがそこにあった。
「何故、私の前に姿を現した。それがお前達の終わりだと知っているだろうに」
 応えはない。ただ、蜘蛛のような、蛇のようなその姿のそれらは怒りの声をあげるのみだ――否、それのみではない。
「終ワリハ、オ前ダ。私達ノ血肉トナリ、チカラトナルガイイ」
 そう出来ればいいのかもしれんな。
 ちらりと浮かび上がったその言葉は刹那で消え失せる。
「笑止。己が分を知れ。……そして我が父の糧となれ」
 ――どこかでぐるると狼が鳴いた。
 その言葉に応じるかのように、青年は腰に下げた刀を抜き放った。白銀の刃が光をはらむ。白眉と呼ばれたそれは清き巫女より創られた夜都の兄弟だ。
「参る」
 駆け出した夜都と迫り来る妖との距離が一気に縮む。
 夜都は唐突に足を止め、わずかに体をひねった。その場所を狙ったように妖の一人が長い爪を突き出した。一歩下がれば、そこでまた空を切る。
 その隙を見逃さず、強く夜都は前にでた。まっすぐに突き出された白眉が妖の胸を穿つ。
「はっ」
 白眉を力任せに薙げば、妖の身体の半分が千切れ飛ぶ。
 背後に迫る気配に、夜都は左足を大きく後ろに引き、そのまま身体を反転させて、上段から袈裟懸けに切りつけた。
「アアァァァアァァァ!」
 耳障りな悲鳴が耳朶を打つ。二人の妖から作られた血溜まりを避けるように夜都が駆け出せば、妖達は惑うように身を引き距離を保った。どうやら、近場では敵わないと思ったらしい。
 かっ! かかっ!
 何かが彼目掛けて飛来し、アスファルトを削る。後退する事でそれを避けると、夜都は白眉を鞘に戻した――そして、鞘ごと振り払う。
 黒い大鎌が彼の手に現れた。これこそが白眉のもう一つの姿。
 夜都はそのまま妖に背を向け、狭い路地へと走りこんだ。武器の間合いを考えれば得策ではない。しかし――。
「ギイイィィィ!」
 彼を追って路地に入り込もうとした妖の背から黒い刃が生えた。
 だんっ
 夜都はその身体を蹴りつけて、白眉から剥がすと近場にいた妖に駆け寄り大きく横に薙いだ。腹を裂かれて、妖は耳障りな悲鳴とともに倒れる。――これで4つ。
 向かいの倉庫の前に置かれた錆びたドラム缶を足場に高く跳躍する。追いすがる妖を振り返らぬまま、夜都は白眉を背中越しにはらう。ねらい通りそれは首を跳ねた。
「オノレ! オノレオノレェェェェ!!」
 最後の一人が月を背に夜都に腕を伸ばす。夜都はもう一度高く飛び、その頭上からまっすぐに白眉を振り下ろした。真っ二つになったそれが地に落ちたのは夜都が着地するのと同時であった。
「……息子よ、よくやった」
 今しも影から現れたようなその狼は満足げに咽喉を鳴らして青年を褒めた。夜都は何を応えるでもなく、白眉を一振りする。元の刀に戻った白眉を腰に下げるとそのまま大きな狼に背を向けた。
「どこへ行く?」
「さて。食事の邪魔は趣味ではないので」
 紫黒はその返答で興味を失ったのだろう。慣れた咀嚼する音が響き始めた。音のしない場所まで歩くとそこでようやく夜都は足を止めた。
「今日の務めはこれで終わりか」
 夜都は空を見上げる。何一つ輝きのない空が街を覆っていた。これで星の一つもあれば何かの慰めになったのだろうか。
 否。この空虚な空こそがまさしく夜都そのものではないか。ただあり。時が来れば朝の光にその身を明け渡す。
「そこまで潔くなれるだろうか」
 ただ父の食事の為の存在であったとしても、これほど殺めてきても、最後には潔くいられるだろうか。
 父の願いは食事の為その手を汚す事。では母の願いは――? 母は夜都に何を願っていたのだろうか。
 誰に問い掛けても答えが返る訳もない。夜都は疑問を振り払うように首を振る。
 そしてただ空を眺め続けた。