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7月の花婿!?
― これは ある男の 不幸な 物語である ―
1.
「消しゴムを使い切ったか」
空の消しゴムケースを持った草間武彦はそう呟いた。
「珍しいですね。兄さんが使い切るなんて…」
パチパチと小さく手を叩き、草間零はにっこりと笑った。
いつもは途中で小さくなってきた消しゴムを放ってしまうので、それを拾った零が最後まで使い切っていた。
だから草間にとってこれは、大変な偉業と言えよう。
…が、その時!!
「ついに使い切ってしまわれたのデ〜スね!!」
声は、唐突にした。
思わず固まる草間と零。
その声は何度も聞いた覚えがある、嫌な声だった。
だが、ソレは草間の元へと再び舞い戻ってきたのだ!
「この消しゴムにはアタクシのおまじないが掛けてありマ〜シた。
『誰にも気付かれずに片思いの相手の名前を書いた消しゴムを使い切ると両思いになれる…』
ソウ!! その消しゴムにアタクシは草間さんの名前を書いたのデ〜ス!!
アタクシと草間さんはもう両思いなのデ〜ス!!
さぁ、明日の朝一番にアタクシとウェディングするのデ〜ス!!」
ピンクの毛皮を着込んだ場違いな人・その名はマドモアゼル・都井(とーい)…。
「ななななな…」
茫然自失の草間武彦、二の句が告げない草間零。
はてさて…?
2.
初夏の日差しはどこへやら。
いつの間にか盛夏を迎えた街中は、木がなくてもどこからか蝉の声が響いてくる。
「いつの間に夏になったのかな?」
初瀬日和(はつせひより)はため息と共にそう呟いて、レースのハンカチで汗を拭った。
「草間興信所によっていくか? 冷房は期待できないけど、休むくらいなら出来ると思うし」
隣を歩いていた羽角悠宇(はすみゆう)が心配げに聞いた。
その心遣いに日和は少し考えた後、首を立てに振った。
まさか、草間興信所で今現在大変なことが起こっていようとは露にも思っていなかった…。
草間興信所が入っているビルの階段を2人が登り終え、扉の取っ手に手をかけようかという時、聞き覚えのある声が聞こえた。
「どこをどうしたら、アナタと武彦さんが結婚しなければならないって言うの!?」
若干声が荒れてはいるものの、間違いなく興信所事務員のシュライン・エマの声である。
そして、今度はそれとは別の聞き慣れぬ声がした。
2人はこそっと中を見てみることにした。
ピンクの毛皮を着た場違いな人間と、それに対峙するエマ、そして魂があらぬところへ旅立とうとしている草間兄弟の姿が視界に入ってきた。
「アタクシと草間さんは、このおまじないによってしっかりと結ばれたのデ〜ス! あ、アタクシこれから仮眠に入りますので、起こさないでくださいネ〜!」
先ほどの聞き慣れぬ声はピンクの毛皮の人間・マドモアゼル都井だったらしい。
ヤツはそう言うと、勝手に仮眠室へと入っていってしまった。
「…あの…今の人、すごいお話をされていたようなんですが…」
興信所の扉の影から、こっそりと日和と悠宇は声を掛けた。
どう声をかけていいものか迷ったが、ここで声をかけないと一生タイミングを見失いそうだった。
「ど、どうしよう…どうしよう…」
机に両手を突いて顔を伏せガックリとうなだれ、暗いオーラを背負ったエマ。
そして、魂抜けかかっている草間兄弟。
日和と悠宇も掛ける言葉を失っていた。
「何とかしなくっちゃ…!」
心からの悲痛な願いを込めてエマがそう呟いたのが、日和の心にも強く感じられた…。
3.
「シュラインさん、私もお手伝いします。草間さんにも相手を選ぶ権利はあると思いますし」
うなだれるエマに日和は駆け寄ると、静かにそう言った。
でも、今時おまじないで両思いだなんて…笑っちゃいけないけど笑ってしまいそう…。
心の声は外には出さず、ここまで冷静さを失ったエマの力になろうと決めた。
悠宇も日和の横で「俺も手伝いますから」と力強く言った。
「…そうよね。考えているだけじゃダメよね」
エマは大きく深呼吸を一度すると顔を上げた。
「とりあえず明日の朝までにはまだ時間あるんだし、やれるだけのことはやらないとね」
そう言うとチラッと悠宇は未だ灰になっている草間を見やる。
「まずは、草間さんを元に戻さないとな」
そう言って悠宇は草間に近寄るとガシッと両肩を掴み、激しく前後に揺らした。
「放心してる場合じゃないだろ!?」
「ゆ、悠宇君! 手荒な真似は…」
「これくらいやんないと草間さん、ショックでか過ぎで目が覚めないって」
ガクンガクン前後に揺らされて、生気を失っていた草間の顔に徐々に血の気が戻ってくる。
「…でっ…がっ…そ、そんなに揺さぶるん…じゃない!」
復活の草間に、悠宇はさっと身を引くと「な?」と日和に笑って言った。
手荒ではあったが、とても悠宇らしいなと日和は思った。
「それで、おまじないの件なんですが」
エマが草間にお茶を飲ませて落ち着かせた後、日和は口火を切った。
「新しい消しゴムを用意して、草間さんが新たにおまじないを別の方にかけたら効果を消せるんじゃないかと思うのですが」
日和の言葉に、エマは「ん〜」と考え込んだ。
なにやら引っかかっていることがあるらしい。
「…どうも腑に落ちないのだけど、武彦さんの名が記入された消しゴムを武彦さんが使い切っても意味ないんじゃないのかなぁ…って」
そう言ったエマだが、その直後には再び違う事を言う。
「でも今使い切った消しゴムカス集めて捏ねて消しゴム作り捨てたら解けたりしないかしら」
そしてまた頭を抱え込んで「あぁ、ライバルを諦めさせる方法とかで消しゴムに緑のペンでライバルの名前を書いて彼を諦めてと念じながら、名前が消えるまで使う…なんてやってみたらいいのかしら」と悩み始める。
日和が見てもその混乱振りは、一目瞭然である。
「…アイツと結婚だけは何とか避けないとなぁ…」
草間もようやく正気を取り戻したのか、そうポツリと呟いた。
と、突然興信所の扉が大きく開け放たれた。
3.
「草間さん結婚すんの? おめでとう! ついにあんたにも春が来たってか!?」
開け放たれた扉から勢いよく入ってきたのは、満面の笑みを浮かべた五代真(ごだいまこと)だった。
その言葉に興信所内が、一瞬にして5度くらい温度が下がった気がした。
エマが再びその動きを止めて固まったから、日和は一瞬どうしていいかわからなくなった。
草間は何かしゃべろうとしているのだが、どうやらあまりに慌てているため言葉にならないらしい。
「…何か嫌がってる? めでたいことなのに。どゆコト?」
その空気を読み取った五代が、怪訝な顔でそう訊いた。
「五代さん、ちょっと…」
悠宇がそう言って五代をこそこそと興信所の角に呼び、事情を説明する。
「シュラインさん、五代さんは事情を知らないから…だから…あの…」
必死で取り繕う日和に、エマは顔を上げると弱々しい笑顔で「大丈夫よ」と言った。
真っ青な顔をしてそういうエマの姿は、とてもじゃないが大丈夫には見えなかった。
そうして、悠宇に説明を受けた五代は草間のそばに近寄るとポンッと肩を叩いた。
「そのうち効果が薄れるだろ。それまでの我慢だ、草間さん」
その言葉に、今度は日和も固まった。
「…それは、つまり、このおまじない…呪いを解く気はないってこと?」
悠宇が慎重に言葉を選びながらそう訊く。
「俺、呪い解く能力ないし」
あっさりと、きっぱりと五代は悪びれる様子もなく答えた。
二の句が告げない一同に、五代は「あ、そうだ」と何か思いついたようだ。
「チャペル式? 神前? 人前なんてのもあるな。どれで挙式する? 俺、衣装調達してきてやるよ」
にこやかにそう言って、返事も聞かずに興信所を出て行った五代。
「いっそのこと今から私と武彦さんの婚姻届、24時間受付へ提出してきたほうがいいのかしら…」
突飛な事をボソッと呟いたエマに、日和は慌てて制止したのだった…。
4.
硬直したままの零と魂抜けかけてる草間をそのままに、時は既に深夜の2時を回る。
「縁切りの神社でもご紹介しましょうか?」
日和はそう言った。
「カップルで行くと女神様がやきもち焼いて別れさせられる伝説のある所へ。固く結ばれるという言い伝えがありますよ、とかあの人に入れ知恵してみたらどうかなって」
「おまじないに神頼み…」
エマがなにやら考え込んでいる。
「それ、いい方法かもしれないわね」
少し明るい顔を見せたエマに、日和はハッとして俯いた。
「…あ、でも私が知ってるので一番近いのは…厳島でした」
だが、そんな日和の申し訳なさそうな顔に、エマは首を横に振った。
「ネットで検索すれば近くの神社がきっと見つかるわ」
にっこりと笑ったエマの顔に、明るい希望の光が見えた。
少しずつ、エマに冷静さが戻ってきたのがわかった。
と。
今まで黙っていた悠宇が、ポツリと言った。
「俺が聞いた事あるおまじないなんだけどさ」
「…悠宇君もおまじないするの?」
日和はちょっと驚いた。
そんな日和に、悠宇は少しうろたえている。
「違う! 昔ちょっと聞いただけだって!」
「それで、羽角君は何を聞いたの?」
エマが先を促したので、悠宇は「あぁ」と言葉を続けた。
「名前を書いて使い切るってのは同じだけど、『その消しゴムを他人に使わせちゃいけない』って約束があった筈なんだよな」
「…」
「…」
日和は少し考え込んだ。
悠宇が言わんとすることが、なんとなくわかったのだ。
そんな2人を見て、悠宇がニヤリと笑った…。
5.
「はよ〜! 式場の予約と衣装はばっちり調達してきたぜ!」
さわやかな朝の光と共に現れた五代。
そして、時を同じく仮眠室から現れたピンクの毛皮怪人。
いつもの席に座った草間とエマ、応接セットに座った日和と悠宇はそれを迎えた。
「おはようございマ〜ス! 心の準備はいかがですカ〜!?」
そんな2人を前に、今にも殴りかからんとする気迫でエマはゴホンとひとつ咳払いをした。
「五代さん、都井さん。お2人に大事なお話があるの」
「なに? 式場の場所のこと?」
「オ〜! アタクシと草間さんへのはなむけの言葉ですネ〜!?」
勝手な事を言う2人に、日和と悠宇は口を開いた。
「マドモアゼルさんのかけたおまじないですが、名前を書いて使い切る間に『他の人に触らせてはいけない』という決まりがありませんでしたか?」
日和がそう訊くと、マドモアゼルはウンウンと頷いた。
「よくご存知ですネ〜! あ、もしやアナタも…?」
その問いをさえぎるように、悠宇がマドモアゼルに一言一言はっきりと聞かせるように言葉を発する。
「この零細…ごほんごほん、経済観念の発達した興信所で消しゴム独り占めなどという暴挙が成立するとも思えないし、きっと草間さん以外の人も散々触っておまじないを無効化してるんじゃないかと思うんだけど…ねえ?」
ハッとして、マドモアゼルが硬直した。
どうやら、そこまで言われてようやく今この状態がどういう状態なのかを理解したようだ。
「…ってことは、この姉ちゃん…ん? 兄ちゃん? と草間さんは結婚しなくてよくなった…ってことか?」
「まぁ、草間さんには『後からおまじないで横取り』なんて出来ない相手もいることだし、元々無理な話だったって事だな」
悠宇が眠そうな目をこすりながら、マドモアゼルを眺めて言った。
日和は固まってしまったマドモアゼルについ話しかけてしまった。
「差し出がましいようですが、横恋慕はよくないんじゃないかと…草間さん自身のお気持ち確かめずに、強引におまじないで奪っちゃえる方ではないと思うんですけど…? …聞いてます? マドモアゼルさん」
そんな日和の手をマドモアゼルはむんずっと握り締めた。
「お優しいアナタ…アタクシと結婚いたしませんカ〜!? 丁度ここに花嫁衣裳もございます事デ〜スし!」
頭の中が真っ白になった。
「な、ちょっと待て!!」
血相を変えた悠宇が日和とマドモアゼルを引き剥がしたので、日和は我に返った。
と同時に、自分の頬が熱くなるのを感じた。
悠宇は日和を背中に隠すとマドモアゼルと睨み合いを始めた。
悠宇の背中がとても広く感じられた…。
夏の朝の柔らかな光は、いつの間にか蝉の鳴き声と共に肌にも刺さりそうな勢いの光になっていた。
今日も、暑い日になりそうだった…。
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■□ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) □■
0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
1335 / 五代・真 / 男 / 20 / バックパッカー
3524 / 初瀬・日和 / 女 / 16 / 高校生
3525 / 羽角・悠宇 / 男 / 16 / 高校生
■□ ライター通信 □■
初瀬日和様
この度は『7月の花婿!?』へのご参加ありがとうございました。
えー…8月になってますね。すいません。
暑いさなかに暑苦しい人をどうにかする…という依頼は実に重労働以外の何物でもなかったと思います。
恋愛・結婚は女の子にとって重大なことですね。
日和様がいつもよりも積極的なのは、やはりそういう理由かなぁ…と考えてました。
都井に絡まれてますが、きっと悠宇様が助けてくださったことと思います。(^^;
まだまだ暑いですが、PC様もPL様もお体にお気をつけて。
それではまた会える日を楽しみにしております。
とーいでした。
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