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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


 ◆◇ 水玉鱗珠 ―彩虹石― ◇◆


 その客人は、まず登場の仕方から怪しかった。
「アンティークショップ・レンはこちらでしょうか?」
 囁いた声は、若い女のもの。だが、顔は見えない。彼女は、すっぽりとレインコートを被ったまま、蓮の店を訪れたのだ。
「お売りしたいものがあって参りましたの」
 そこだけは他の客と大差ない台詞を吐いて、客人がアンティークのテーブルの上に広げたのは小さな布包み。
 引っ繰り返せばいくつかの、きらきら閃く親指の爪大の歪な輝石。滑らかなテーブルの上を滑った瞬間、しゃらりと水の匂いが弾けた。
「これは、なんだい? 道端で拾ったガラクタかい? それとも、子供がおいたした硝子の破片か」
 テーブルに着いた指先から伝わるのは、紛れもない呪術的な波動。
 それでも顔を見せない客人の態度が気に喰わず、蓮は煙管を咥えたまま鼻先でせせら笑った。
 戸惑ったように、客人は指先で輝石をひとつひとつ、丁寧に並べ始める。子供の、おはじき遊びのように。
「水の呪力の結晶です。私、ここなら曰くありげな呪物を買って下さるって聞いて……お願いです。私、お金が欲しいんです。あのひとのために……」
 レインコートの影から、客人は泣きそうな声を上げる。いまにもテーブルに突っ伏して号泣し出しそうな湿った悲鳴だ。
 語る内容は、なんだか随分と生活感が籠もったものだが……。
「ああ、ああ、わかったわかった」
 流石に気が咎めて、蓮は片手を振った。
 濃厚な水の匂いがするのは、客人とても一緒。むしろ、輝石は客人から切り離された一部にも感じられて、蓮は戯れのように呟く。
「鶴の恩返し、ってあったねえ。自分の一部を抜き取って機を織る。それを売って旦那に財を与える」
「生憎、私には羽根はありませんし、他に売れるものはございません。これは私の鱗。こちらで買って頂けないのなら……それもただのガラクタですわぁ」
 しくしくと辛気臭く泣く。彼女が涙を零すたび、水の匂いは徐々にきつくなり、蓮は酸欠になりそうだった。
「ああ、わかったから! もう泣かないでおくれ!」
 ぴしゃりと叩き捨てて金庫に走る。幾ばくかの金を包んで渡せば、現金なもので客人の雰囲気はぱっと明るくなった。
 何度も何度も頭を下げる客人を鬱陶しく扉に押し遣り、ふと、最後に蓮は悪戯心を出した。
「恩を感じていると云うのなら、その顔を見せちゃあくれないかね」
 ぎょっと客人が飛び退る。それを追い掛けるのは、蓮の指。攻防の末に引き剥がしたレインコートの下の顔に、蓮は絶句した。
「……だから、ご覧にならない方が好いと申しましたのにぃ……」
 泣き声を再開しながら、客人は扉から一目散。へちゃり、と蓮は珍しく動揺を見せ、床に座り込んだ。
「まあ、魚類だってわかってはいたんだけどねえ……脚があったから、もうちょっと別のものを想像していたよ」
 客人の、人類にしては余りにも扁平な顔を思い出しながら、蓮は床に転がった煙管を伸ばした手で拾う。床にへたり込んだまま煙管に火を点けて、件の鱗とやらが載せられたテーブルを低い位置から見上げた。
 深い、水の香り。水の呪力。持つものが持てば、それなりのちからを発揮するだろう。
「さて、誰に売り飛ばしてみようかね」

    ◇◆ ◇◆◇ ◆◇

 相変わらず千客万来の裏王道を行く店の扉。
 押し開けた瞬間、内側から冷たい空気が流れて、セレスティ・カーニンガムはほっと、息を吐いた。
 セレスティが夏の熱気に触れたのは、店の前に止めた車から降りて、数歩分だけ。それでも充分に、今年の夏の異様な暑気を感じ取れた。
「なにか涼めるものでもないと、やっていられませんね」
 呟いて、店の内側へ滑り込む。ふわりと、昼のひかりに乱されない、薄闇がセレスティを迎える。冷気だと感じたのは、そこここの骨董に澱む、影の気配。不可思議さで塗り固めたような店ではあっても、慣れたセレスティには特筆すべき点はなかった。
 ただひとつを、除けば。
「ああ、あんたの好きそうな出物があったよ」
 ひょい、と売り物の椅子に腰掛け脚を組んだ蓮が、片手を上げる。その傍らには、猫脚の卓子。微かに懐かしいような、奇妙な感情を憶えて、セレスティは目を細めた。
「海の、匂いがしますね」
「正解だ。夏に似合いの代物だと思わないかい?」
「涼が取れる物ならば、最高なのですが。流石にこの暑さはきついです」
「ふん。乳母傘の大富豪サマがなにを云っているんだか。どうせ、空調の入らない場所なんて足を踏み入れたことはないんだろう?」
 ふふん、と蓮が煙管を片手に鼻先で笑う。反論しようとしたところで、ふと、蓮が口を噤んだ。
「客がもうひとり、来たようだね」
 言葉通り、錆びついたドアベルを鳴らしながら店に入ってきたのは、長身の青年だった。


 兵頭雅彦がその店を見付けたのは、ほんの偶然だった。
 最近乾涸びそうな顔ばかりの少女のことを思いながら街を歩いていたら、偶然、店のショーウィンドウに飾ってあった小さな石が目に止まった。
 くしゃりとドレープを描くビロードの台座に乗せられた、歪な輝石。その、一言では云い表しきれない蒼さが、涼しさを呼ぶような気がしたのだ。
 誰かのための、なにかを求める。
 当たり障りのない人付き合いは、ほぼ皆無。YESとNOだけで生活を切り分けて曖昧なものを切り捨ててきた兵頭にとって、希まれもしないのにこんなことを考えるなど、久しぶりのことだった。
「どうかしている・・・・・・暑さの所為か?」
 ひとりごちながらも軋むドアを押し開ければ、薄暗い、紙一重ほど階層が違うような重い空間が広がる。一瞬、兵頭は入ったことを後悔した。
「捜し物かい?」
 なかにいたのは、この場の空気に好く似合う、美貌の男女。否――ひとりは性別不詳の麗人、と云った風情。深紅のチャイナドレスが婀娜で蓮っ葉な女が、まず口を開いた。
「表の」
 ちらり、と兵頭は視線を外へと流す。
 短い言葉は、無口さゆえ。だが、歯切れの悪さはなく、ずんと腹の底に響く重い声が、独特の印象を与える。
「好い声ですね」
 銀髪の佳人が、にっこりと微笑む。それを黙殺して、兵頭はもう一度、どうやらこの店の主人らしい女に目を戻した。
「あれを」
「はいはい。セレスティ、あんたが欲しがっている同じ物、この男前もご所望のようだよ」
 チャイナドレスの女――蓮はショーウィンドウに行くのではなく、傍らの卓子の上から兵頭の見た輝石を摘み上げて、ひらひらと閃かせる。
「……あなたからも、海の匂いがしますね」
 顎に細い指を当て、思案深げに銀髪美人――セレスティが呟く。
「なにに使われるつもりです?」
 関係ない、と云う代わりに、蓮に手を差し出す。
「ほら」
 心得たように、蓮がひとつ、輝石を兵頭の手の上に乗せた。ひやりと、冷たい感触。肌に神経を集中させて見れば、ゆるゆると、水の塊が揺らぐような心持ちがした。氷ではない、『生』の水の塊がそこにある。
 握り込んで、自由な片手でジャケットの内ポケットを探る。確認ができたのなら、もうこの場所には用はなかった。
「包むかい? お客人」
 蓮の言葉に、頭を振る。
「いくらだ」
 取り付く島のない兵頭に、蓮は僅かに首を傾げ、それから意地悪げににんまりと笑った。
「お代は、あんたの気持ちで結構。その代わり、それをどうやって使うか、教えてくれないかい?」
「……涼を取らせて貰う」
 財布のなかから紙幣を一枚出し、卓子に放り出す。言葉足らずなその腕を引き止めて、蓮はセレスティに話を振った。
「あんたと同じ使い方みたいだねえ。セレスティ、あんたはどうやってこれで、涼を取るつもりだい? 所詮、これはただの海の生き物の破片。これだけじゃあ、ただのガラクタさ。正しい使い道って奴を同族のよしみで教えてくれやしないかい?」
「同族ではありませんよ。でも、そう……従兄弟くらいの親さはあるかも知れませんね。この破片の持ち主とも……他の、水の生き物とも、ね」
 僅かに、兵頭の片眉が上がる。そうやってなにも交わし合わないうちから、自分の周囲を探られるのは不愉快だと無表情が告げる。
「まあ、ちょっと試してご覧よ。こっちの兄ちゃんにも見せてやれば好い」
 兵頭の不穏な空気に、蓮が割り込んでくる。
「釣は要らん」
「残念。このままじゃあ、釣どころか追加が欲しいくらいだ」
 無視して出て行こうとする兵頭に、蓮は深紅の唇を歪める。
 無言で、兵頭は卓子に札を重ねようとする。別に金遣いが荒いわけではない。とっとと切り上げたいと云う気がみえみえの無造作な仕草だ。
 蓮はゆっくりと、焦らすように首を振った。
「幾ら積んでくれても無駄だよ。あたしは、趣味で店をやっているのさ。面白いものを見せてくれないのなら、なにひとつやりはしないよ」
 芝居がかった仕草で蓮は深く煙管を吸い、ふうう、と時代劇の女衒ごとく蓮っ葉に煙を吐き出す。
「意地悪ですね、レン」
 呆れたように、同情したように、セレスティが呟く。
 それがまた、兵頭の癇に障った。


「そうですね、見ているだけで涼しいもの……虹でも作ってみようかと思います」
 無表情のなかに不機嫌さを沈ませた兵頭がセレスティの横顔を睨んでくる。視線が痛い。
 それを感じながらもにこにこと、セレスティは話を続ける。自分も、かなり性格が歪んできているらしい。
「ふうん……昼日中の野外で、かい?」
「そう。庭の池に虹を張るのも好いかも知れませんね」
「明るい場所で、当たり前の虹を、か。そんなのつまらないねえ」
 椅子にそっくり返っていた蓮が、不満を鳴らす。
「そんな明るい場所に出たら、あたしは溶けちまうかも知れないよ。なにせ、ひ弱な屋内暮らしなんだから。この場で、ちょっとやってみちゃあくれないかい?」
 蓮はこともなげに無理を云ってのける。そうやって、どれくらい言葉遊びをしていたか。苛ついた兵頭が、がつん、と壁を蹴った。
 派手に、埃が立つ。
 ――なんでも好いから、早く終わらせろ。
 視線だけで、宣告する。
「怖いねえ」
 にやにやしながら、蓮が水を張った銀盤を持ち出してきた。蓮が両手で抱えるほどの、深さが手のひらほどの器だ。精緻な細工がしてあるところを見ると、これもまた曰くありの骨董品なのだろう。
 それを無造作に卓子に据えて、はいどうぞ、と手のひらを見せる。セレスティは苦笑して、まずは作為なく、ふたつ、みっつと輝石を水に沈めた。
 こつん、と輝石が底に当たる、硬質な音。
 三人の視線が、水盤に集まる。
「……なにも起こりませんね」
「そうだね。静かなもんだ」
 詰めていた息を吐き出すように、セレスティと蓮が云い交わす。両手を組み壁に寄りかかっていた兵頭は、無言で不穏な空気を放っている。
 ぼそり、と兵頭が呟く。
「ひかりがないのに、虹ができるわけがない。そんな波立たない水だ」
「まあねえ……」
 ちゃぷり、と蓮が指先で水盤に湛えられた水をなぞる。
 さらさらと、漣が立つ。
「ねえ、セレスティ。祈ってご覧。力を使うんじゃない、祈るんだ。これは、あんたのご親戚の破片。同じ水の生き物のパーツだ。近しい人間のささやかな願いひとつくらい、叶えてくれるかも知れないよ。もともと、生きながら引き離されたものは、同じ性質の息吹に飢えている。いつも求めているんだ。自分と、同じものをね」
「……なんとなく、わかります」
 セレスティが、儚い笑みを浮かべる。
 海から引き離された自分。遠すぎる過去の記憶はセピアに色褪せて、もうすでに己の記憶とは思えない。だが、それでもふとした瞬間に思い出す。懐かしさに似た、淡い痛みを感じる。
 すっと、流した視線の先には、無愛想な青年の姿。薄く、水の生き物の情を身に付けた青年。微かに、セレスティのこころを揺らす。青年自身が持つ、その、水の生き物への少なからぬ、かたちを取る前の情ゆえに。
 はっきりとした愛情ではないのだろう。おそらく、恋でもないのだろう。ただ不器用に、彼はその生き物にこころを傾けているのだろうと、おぼろに感じる。
 そうやって、想われたいと希んだ記憶が揺り起こされる。
「あんたもおいで。ほら」
 ちょいちょい、と蓮が煙管の先で兵頭を呼ぶ。
 ぞんざいな扱いをされた兵頭は一瞬、むっとしたような顔をして見せたが、意外と素直に水盤を覗き込んだ。
「あんたも、水の匂いがする。可愛くお願いしてごらん。理屈理論を無視した、幻妖の虹が見たいってさ」
「別に見たくはない」
 素っ気無く応える。だが、こちらは不機嫌と云うよりも、素の調子らしかった。いっそ清々しい。
 拒みながらも、兵頭はオイルの色が染み込んだ指を、水盤に寄せた。
 涼しげな、虹。
 水の匂いを放つ、石。
 ――あの押し掛け金魚は、喜ぶだろうか。
 YESもNOも求めない、小さな願い。
 考えた瞬間に、ちり、と指先に痺れが来た。
「……ふふ」
 蓮が、にんまりと笑む。
「綺麗ですね」
 セレスティが、うっとりと見惚れる。
「……」
 兵頭はただ、指先から離れた水盤を見詰める。
 水盤の海を渡るように、小さな、虹の橋ができていた。
 ただし、普通の虹のように、ひかりを透かして浮かび上がるものではない。
 薄暗い店のなか虹自体が仄光り、儚く揺らぎ、不安定に軋む代物だ。
 在りえないものであると、本能で知れる虹。
 涼しさと、冷たさを持つ深海の匂いがする虹。
 呼吸さえも遠慮がちにしながら、三人、しばし暗闇の清しいひかりを堪能する。
 ――どれほどの時が経ったのか。
 すう、と薄闇に溶け込むようにして、幻の虹、もしくは、虹の幻が消えた。
 ふっと、溜め息が誰からとも知らず、漏れる。
「好いものを見せて貰ったよ。愉しませて貰ったからお代は要らない。持って行きな」
 水のなかから輝石を摘み上げ、濡れたままのそれを蓮は兵頭の手のひらに載せた。もうひとつ掬い上げ、今度はセレスティの手に。
「ありがとうございます」
 如才なく、セレスティは綺麗な笑みを浮かべた。
 兵頭の手のなかで、水の塊のような輝石が僅かにひかりを放つ。蒼いばかりではない、虹の、七色の煌めきを。
 水でできた虹を内側に潜めた、水の生き物の石は、見ているだけで涼を呼ぶ。呼ぶ、はずだ。
 兵頭に同意するように、石が、しゃらりと鳴く。
 その声の清かさに、兵頭はひとにはわからないほど僅かに、口許を綻ばせた。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い 】

【 4960 / 兵頭・雅彦 / 男性 / 24歳 / 機械工 】

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■         ライター通信          ■
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 ご依頼、ありがとうございました。半端者ライターのカツラギカヤです。今回は、半魚人の鱗に涼を求めているおふたりと云うことで、セレスティ様・兵頭様のペアをつくらせて頂きました。少しでも、涼を感じて頂ければ幸いです。

◎セレスティ・カーニンガム様 …… 再度のご依頼、ありがとうございました。今回は涼を求めて虹を、と云う部分を掴みにさせて頂き、このようなお話を描かせて頂きました。プレイングとかなり異なる面があり、申し訳ありません。気に入って頂ければ嬉しいです。

◎兵頭・雅彦様 …… 初めてのご依頼、ありがとうございました。無愛想な方と云うことで、なんとなく雅彦様、とお呼びするよりも兵頭様とお呼びすることが的確かと思い、お話内では兵頭様、と記述させて頂きました。内面に関しましても、手探りにて描かせて頂きましたのでイメージにそぐわない点があるかも知れない、と戦々恐々しております。如何でしょうか? 合っていれば好いのですが……。

 最後になりますが、本当にご依頼、ありがとうございました。是非これからも、宜しくお願い申し上げます。