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<白銀の姫・PCクエストノベル>


レムニスケート〜惑乱のハスラー〜 

 柔らかなソファに身体を沈めさせると、自分が随分疲れていた事に気付かされる。
 女神たちの居る城から知恵の環へと移動して、まだそれ程時間がたっていないというのに。
 シュライン・エマは書架から離れた一角でソファに座り、女神モリガンの様子を思い出していた。
 背中に黒く広がる石の翼を宿し、『白銀の姫』というゲームの世界から出られずさ迷っていた紫月美和と知り合ったシュラインたちはまず女神たちに会う事にした。
 通常なら女神の采配で、ゲームのプレイヤーは外界に出られるはずだった。
 が、女神のうちの一柱、モリガンは紫月を外界にまで送還させようとするも、原因不明のエラーで失敗してしまったのだ。
 この世界の上位存在である女神の力が及ばないなんて。
 高圧的な態度で有名だったモリガンも、当惑し言葉少なく謝罪するだけだった。
 紫月はシュラインと離れ、珍しそうに本を手に取っては書架の間を歩いている。
 石の翼は確かに異様な雰囲気を与えるが、それ以外は全く普通の娘だ。
 何が原因なのかしら? あるいはモリガン以外の女神なら、彼女を外に戻す事ができるのかしらね……。
「お、シュライン。その辺に灰皿ないか?」
「武彦さん!?」
 くわえた煙草を指し示しながら、草間武彦は人の良い笑みを見せる。
「ここは禁煙よ。珍しいわね、知恵の環で会うなんて」
「ああ、連れが用があるって言ってな」
「連れ?」
 火の付けられない煙草を懐に仕舞い、草間は紫月の側に立つ少年を指差す。
「黒崎潤。冒険者さ」


 螺旋の塔の中央、紫月美和は白銀の鎖で繋がれた大剣を見上げていた。
 ここ知恵の環では、吹き抜けになった螺旋階段が全て本で占められている。
 時の移ろいと共に変化するアスガルドの情報は、常にこの本に書き込まれているという。
 紫月が知恵の環に来たのは、四人いる女神のうち誰に頼めばいいのかもう一度考え直したかったからだ。
 冒険者として知り合った三人、セレスティ・カーニンガム、シュライン・エマ、藍原和馬の勧めで、紫月は女神モリガンの力で外界へ出してもらおうと城に出向いた。
 が、原因不明のエラーでそれは叶わなかった。
 もう一度他の女神に面会を願うか、それともアヴァロンを探すか。
 それを考える時間も欲しかった。
 セレスティは機骸市場に赴き、移動に必要な乗り物を調達すると言っていた。
 シュラインと和馬は、紫月とは別の書棚にアヴァロンの手掛かりを探している。
 彼らがいなければ背中の痛みからも解放されなかった。
 この世界に来てから紫月の背中には石の翼が生え、その痛みは常に彼女を苛なんだ。
 しかしメディカルセンターで処方してもらった鎮痛プログラムが効いたのか、今は行動に差し障らずに済んでいる。
「君、その翼は石かね?」
 紫月の背後から甲冑姿の男が声をかけた。
「失礼。僕は瀬崎耀司。不躾とは思ったが、好奇を押さえられなくてね。
君の姿はとても特徴的だ」
 左の瞳に宿る赤い光は、暗闇の中で時折爆ぜる埋み火のように輝いている。
 外見は成熟した男性のものであるのに、瞳だけが好奇心を忘れないまま成長したように紫月には感じられた。
 そんな人物に紫月も心当たりがある。
「他にこんな格好の人いませんもんね。背中破れてるし」
 ジャケットの背中が破れたままなのは、手頃な背中の開いた服が無かったのと、石の翼が成長し続けているというのが理由だった。
「私、紫月美和です。冒険がしたくてここに来る人が多いのに、瀬崎さんは違うみたいですね」
 耀司は苦笑して答えた。
「この格好で言うのもなんだがね、僕は元々本を読むのが好きだから」
 紫月は耀司に感じた既視感の答えに気付いた。
 東京で探偵をしている上司だ。
「そういう人っていますよね。放っておくとご飯も食べないで本読んでる人」
「君は読書に?」
 耀司の質問に紫月は首を振った。
 時間があれば、紫月もこの場で心行くまで文字を追っていたいのだが。
「いえ、残念ですが今日は調べ物で……アヴァロンてご存知ですか?」
「……アヴァロン?」
 耀司が言葉を反芻するのに応じて、すぐ傍らの書架の間にいた冒険者が顔を上げる。
「彼の地を捜し求める者が、僕の他にもいるとはね」
 その口調は驚きとかすかな興味を含んで響いた。
「珍しい外装だね。魔法生成物……いやナノマシン群体かな?」
 紫月が振り返るとマントの下に剣と銃を携えた少年が立っていた。
 一見どこにでもいる冒険者のいでたちだが、真紅の瞳に浮かぶ不穏な光に不安を覚える。
「僕は黒崎潤。この世界から出る為に、アヴァロンを探している」
「女神に頼めば出られるって聞いたけど」
 黒崎は紫月の言葉を嘲笑うように口元を歪めた。
「女神なんて当てにならないよ。
僕も試したけど、エラーで駄目だった……あいつらも万能じゃない」
「もしかして、私もアヴァロンを探さなきゃならないのかな」
 膨大な量の本を見上げて紫月はため息をついた。
「この世界から出る方法を探してる、か。
目的の為に手段を選ばない覚悟があるなら、一緒に来るかい?」
『手段を選ばない』という言葉に含まれた棘が紫月の心を撃つ。
「アヴァロンの場所がもうわかってるの?」
「手掛かりはね」
 黒崎が紫月の背後に視線を移した。
「ほら、きみの仲間にも聞いてみるといい。
どちらが効率の良い選択肢か。
城できみが女神に失望して帰ってきた頃には、僕はもう出発しているけど」
 念を押すように黒崎は言葉を継ぐ。
「さあ、迷っているうちにも、この世界は崩壊に向かっているんだよ?」
 黒崎の言葉に不穏なものを感じて、紫月は傍らの耀司、次いで背後を振り返る。
 そこには表情を曇らせた草間武彦と、シュライン、和馬が立っていた。
「あんまり脅すなよ黒崎。お前この頃変じゃないか?」
 草間もアスガルドから脱出する手段を探し、黒崎と知恵の環へと来ていたのだった。
 しかし、黒崎の行動は最近疑問に思う事が多くなってきている。
 女神に対する態度の硬化や、時折見せる外界への異常な執着が草間には解せない。
 知り合った当初は、他の冒険者と変わらなかったはずなのに……いつからこうなった?
「どうするの? 一緒に行く?」
 妖精の花飾りを髪に絡ませたシュラインが、唇に指を当てながら紫月たちに聞いた。
 シュラインは元々、どの女神の陣営に属していないので黒崎と対立する理由がない。
しかし草間同様、黒崎の態度に不穏なものを感じて慎重になっていた。
「俺は反対。本当に帰れる保障があるのかよ」
 和馬が手を挙げて答えた。
 黒尽くめの忍者装束に身を包んだ和馬は、黒崎を最初から信用していないようだ。
 それはこの世界での外装、忍者によるというよりも、彼の中に流れる獣人の血が知らせる直感に近いものだった。
 一同のやり取りを聞いていた耀司が、ゆったりと口を開いた。
「僕はどちらでも良いのじゃないかと思うがね。黒崎君についていくのも、まあ楽しそうではある」
 耀司は黒崎に対する先入観がないためか、純粋に興味の引かれる事に関心を示している。
 楽しい、と言っても決して享楽的だという意味ではない。
「私は……」
 黒埼が言うまでも無く、自分に残された時間があまりないのは紫月も感じていた。
 いつ背中の翼の痛みが身体中を覆うのかという、不安。そして痛み。
 迷う紫月が唇を噛んで答えを言いよどんでいると、
「貴女が紫月美和さん?」
 凛とした声がかけられた。
「初めまして。俺は強羅豪。アリアンロッド様の命により、貴女をお迎えにあがりました」
 丈の長い学生服の上に黄金のゴーントレットを装備した少年が現われた。
 揺るぎない視線にこめられた強さは、彼自身の信ずる正義に懸ける情熱を示している。
「女神が……もう一度女神の力を借りてみる?」
 シュラインの言葉に、黒崎が皮肉を投げた。
「一度失敗したのにかい?」
「黒崎」
 草間がたしなめるのに対しても、黒崎は斜めに構えた態度を変えずに言った。
「この世界から出たいという気持ちは、君たちのように自由に都合よく出入りできる人間にとっては、理解できないかもしれないな」
 その言葉に、わずかに淋しさが含まれていると感じられたのは、その場の何人だったのだろう。
 他人の挑発には乗らないはずのシュラインだったが、さすがにこの黒崎の態度は癪に障ったようだ。
「そういう人たちを脱出できないか、私はその手段を探しているつもりよ」
「……だいたい、目的の為なら手段を選ばないってのが気に入らないんだよ。自分だけが助かりゃいいのか?」
 和馬も言葉を続ける。 
「その行動に非があるなら、俺はためらわず貴方を倒します」
 豪が静かに言い放つと、その場にデーモン『ゴールデン・レオ』が出現した。
 金のタテガミを波打たせた獅子面の武神将が豪のそばに実体化し、黒崎を見下ろす。
 その瞬間、和馬の刀『黒狼の魂』、耀司の『シグルド』がそれぞれの持ち主に共鳴反応を伝えた。
 伝わる波動は紫月の方から流れている。
 二人が疑問に感じる間もなく、紫月が身体を折ってうめく。
 短時間だというのに紫月の背中で石の翼は大きく成長し、両肩を覆う鎧のように張り出している。
「美和さん?」
 気遣うシュラインが覗き込んだ紫月の顔は、凄艶といった雰囲気に変貌している。
 どちらかというと幼ささえ残した紫月の顔立ちが、今ここにいるのは修羅にも見まがう別人のものに変わっていた。
 シュラインの手をゆっくり押し戻し、紫月はトランクから出したキューを真っ直ぐ豪の喉元に突きつけた。
「……悪魔使い風情に何ができる? 」
 紫月はビリヤードボールもその身の回りに漂わせて、豪とゴールデン・レオに対峙している。
 打撃系の物理攻撃と雷撃を得意とする人工精霊『ナイン・ボール』は、現実世界の紫月が東京で怪異に立ち向かう際に使っていた武器だ。
 しかし、それを紫月は人間に対して向けた事は無かったのだが。
「止めて美和さん!」
「こんな所で闘うなんて正気か!?」
 シュラインと和馬が割って入った。知恵の環には他にもたくさんの冒険者が書物を閲覧している。
 強く揺さぶられた反動で、急激に紫月の瞳から禍々しさが消えていった。
 石の翼も背中から張り出した先端が自重を支えきれないのか、脆く砕け落ちていく。
「私……?」
 紫月はキューを握った手と、制御を失って床に落ちたビリヤードボール、そして周りにいる者を朦朧とした瞳で見渡した。
「やはり君は興味深いな」
 黒崎はそう呟いて喉の奥でひっそりと笑った。
 そこに馬車と馬を調達したセレスティが、白銀の錫杖を携えて現われた。
 ぐったりと床で力なく身体を伸ばしている紫月と、険悪な雰囲気を漂わせた冒険者たちにセレスティは困惑した。
「美和さん? それに皆さんも……何があったんですか」
 豪はゴールデン・レオを収めて答えた。
「俺がデーモンを召喚した瞬間、急に様子が変わって」
 紫月の口調は別人のように変化していた。その声も、シュラインたちが聞いていた以前の紫月とは異なっていた。
「今のは、美和さんじゃないのか?」
 和馬の疑問に答えられる者はいない。
「紫月さんを女神アリアンロッドの元へ連れて行けないのなら、俺も同行してアヴァロンの在り処を目指します。黒崎さんの考えには、賛成できませんけど」
 豪はそう言って少し離れて佇む黒崎を睨んだ。
「武彦さんは?」
「まあ、放っても置けないだろ。黒崎が気になるしな」
 草間は火の付いていない煙草を指で弄びながら、シュラインに答えた。
 セレスティも言葉を繋ぐ。
「私は付いて行きますよ。この世界から脱出する手段を、紫月さんのために見つけてあげたいですからね」
 セレスティの柔らかな微笑みが、実は確固たる意志に裏付けられたものだと付き合いの長い者たちは知っている。
「そうね……私も心配だわ。黒崎君の変貌も気になるし」
 シュラインは切れ長の瞳を伏せて思考に沈む。
「僕も出来れば同行させてもらえないかね? 黒崎氏も紫月嬢も中々に興味深い対象だ」
「アスガルドでの行動は自由ですよ。私たちに断る事はありません」
 耀司の言葉にセレスティがにこやかに答えた。
 これでその場の者が全員アヴァロンに向かって知恵の輪を出るかに見えたが、和馬だけが異を唱えた。
「……悪いが俺はここで一旦離れるよ。どうしても黒崎ってあいつは信用できない。
もう少し調べてから行くよ。アヴァロンへの手掛かりは少しでも多い方がいいだろ?」
 ふらつく身体を抱えてもらいながら紫月は和馬に向き合った。
「今まで……ありがとう」
 今までというにも短い時間だったが、それでも紫月は和馬の明るさに救われていた。
「また会う事もあるさ。じゃあな」
 明るい声を出して、和馬は紫月とその場の冒険者たちに言った。


 知恵の環の外に設けられた広場に、セレスティの用意した馬と馬車がつながれている。
 アスガルドらしく四肢は機械化されていたが、外見はほぼ現実の馬と変わらない。
「やはり馬を用意していて良かったですね。美和さんも体調が優れないようですし」
 草間が御者役を勤める馬車にセレスティとシュラインが乗り込み、耀司、豪、紫月はそれぞれ馬に跨った。
 シュラインが紫月の表情が冴えないのを気遣い、声をかける。
「馬車に移った方が良いんじゃない? 顔色がまだ悪いわ」
 ビリヤードボールを納めたトランクを乗せ、馬上の人となった紫月はぎこちなく笑みを返して言った。
「平気です。辛くなったら、その時は言いますから」
「そう?」
 後は黒崎さえいれば出発できる状態だというのに、肝心の黒崎が姿を見せないでいる。
「あいつ、何をしてるんだ」
 そう言った草間や他の者に、少女のすすり泣く声が聞こえた。
「ネヴァン……!」
 黒崎の腕には、小柄な少女の姿をした女神・ネヴァンが拘束されている。
「これが、手段を選ばないという事ですか!」
 ぎり、と豪は唇を噛み締めた。
 ネヴァンは自分が信奉する女神・アリアンロッドとは敵対している。
 それでも、城内にいるはずの女神を拘束しているのを見過ごせはしない。
「ネヴァンには助力を請うだけさ。危害を加えたりはしない」
 黒崎はネヴァンの腕を掴んだ手を離さずに言った。
 それにセレスティが質問する。
「……貴方を信じてもいいのですか?」
 黒崎は瞳を細め、セレスティ、そしてその場の全員に聞こえるように答える。
「それは僕が許可する事じゃない。貴方は、貴方の信じるところを進めばいい。
それでたとえ親しい者と袂を分かつ事があっても。貴方にはその自由があるんだろう?」
 そこで声のトーンを変え、黒崎は再び口を開く。
「何度も言うようだけれど、君たちは自由意志で動いている。その恩恵を君たちは知るべきだ」
「やけにこだわるな、黒崎」
 御者台の草間がいぶかしげに尋ねる。 
 自由という物へのこだわり、執着が強すぎるように感じたのだ。
「ずっとこの世界に閉じ込められていると、時々思うんだよ。
滅ぼされる運命しかたどれない存在は、どうしたら自由になれるのかってね」
 怯えた表情のネヴァンが、涙を堪えて黒崎を見上げた。
「世界の理を覆すつもりですか? それは、女神と敵対する事になるのでは」
 セレスティの問いかけに、黒崎は自嘲気味に唇をゆがめて見せた。
「まあ、僕にはそんな力はないけれどね」
 それは少年の冒険者が見せる表情ではない。
 生きる事にも倦み疲れた、老境にさしかかった者の顔だった。


「私の馬に乗ると良いよ。ネヴァン」
 体重の軽い紫月が、ネヴァンに誘いかけた。
 黒崎を先頭に一行は兵装都市・ジャンゴを抜けて街道を南下する。
 道中、ネヴァンは人見知りのぎこちなさはあるものの、紫月と会話するようになっていった。
「どうして、アヴァロンに行きたいの?」
「私、一度モリガンに頼んで出してもらおうとしたんだけど、駄目だったから」
 他の女神でも同じ結果になるような気がする。アヴァロンを目指そうか迷っていた時に現われたのが黒崎だった。
「ボクがためしてみようか?」
 ネヴァンが真紅の瞳を、手綱を取る紫月に向けた。
「ありがとう。でも、いいよ。黒崎君に連れて来られた時、どこか怪我したりしてない?」
 ネヴァンはふるふると首を振って、小さな声だがしっかりと、一言ずつ自分の考えを語りだした。
「ボクなりに考えたのは……この世界を不正終了から防ぐには、クロウ・クルーハと話し合って、兵装都市ジャンゴを襲わないでもらえばいいんじゃないかって事なんだ」
 クロウ・クルーハはアスガルドがゲームとして設定・構築された時に作られた『倒されるべき邪龍』だった。
「話なんか聞いてくれるのか? 邪竜として作り出された存在だろう?」
 御者台から草間が疑問を投げる。
 それはネヴァンがもう何度も言われた言葉だった。
「うん……でも、ボクらが意志を持ったみたいに、クロウ・クルーハも変わったんだと思いたいよ」


 街道のある一点で、黒崎は馬から下りた。それから一堂を集め、折りたたんだ一枚の絵を見せる。
「霧の湖、アヴァロンへ至る道筋の一つに『アルカディアの羊飼いたち』がある。
アスガルドに実際ある風景を描いた絵だ」
 絵には四人の杖を持った羊飼いと、その背後に棺が描かれている。
「羊飼いは女神たちを示し、眠り続ける王の墓所に至る道筋を暗示している。
この絵をプラトンの『ティマエオス』の創造物計算に基づいて分析した」
 黒崎の言葉に、耀司が片眉を上げる。
「アルベルティが『建築論』で知らしめたものかね?」
「ええ。ルネサンスの時代は、数式が一種の神への祈りとして使用されてもいました。
この絵にアルベルティ=ティマエオス・システムを使用してみると」
 頷きながら黒崎は絵の上に指を滑らせる。
 黒崎は草間たちが視認できるツールを使わずに、直接プログラムを絵に走らせ解析させている。
 すると右端の羊飼いの顔を中心に、幾何学模様が形成された。
「フリーメーソンたちもこのシステムは密かに伝えていたようですが、アルベルティ以降は廃れていきました」
 黒崎の持つ絵の上に展開される幾何学模様は、どこか魔術めいた雰囲気を漂わせて輝いている。
「この右端の羊飼いが、ネヴァンだと言うのですか?」
 セレスティの言葉に、ネヴァンを馬から下ろして自分の側に置いた黒崎が答える。
「……少し考え方が違うな。この位置に、ネヴァンを据えるんだ」
 絵の外、延長上の五芒星の先に。
「僕らがいる、ここがこの絵に描かれた景色そのものだよ。
ここにネヴァンを立たせ、その上でシステムを適用」
 一瞬の沈黙の後、
「アヴァロンの位置が示される」
 絵の上では棺のある場所に、アスガルドのフィールド上では霧の濃い異空間への穴が口を開けていた。


 同じ頃、和馬は引き続き知恵の環で書棚の本を手に取っていた。
 しかし手当たり次第に見ても埒が明かない。
 ふと書架の奥に、見慣れた形状のモニターとキーボードを見つけて近寄った。
 試しに『アヴァロン』という単語だけで検索したら、拾われた書名は画面二十ページにも及んだ。
「多すぎるなァ」
 絞り込まなくては駄目だ。
 道は実はすぐ側にあるんじゃないのだろうか。見えないだけで。
 椅子に座ったまま背筋をそらすと、塔の中心に据えられた大剣が視界に入る。
 視線をモニターに戻すと、キーボードが置かれたテーブルの上に文字が彫られてある。
「……聞く耳のある者、見る目のある者、汝その恩恵を知れ」
 声に出して読んでも、それに何か文面以上の意味があるのかわからない。
 しかし、身体を動かす事が何かのヒントになりそうに思えて、席を立った。
 そして知恵の環の中央、剣の真下の床に影が落ちる場所にも、小さな文字が刻まれているのに和馬は気が付いた。
『汝、影を慕う者よ。
占星術師の青い林檎、寄木細工の輪、野兎の尾を持ち、
霧の向うへと旅立て』
 霧の向こうがアヴァロンに通じてると助かるんだがな。
「兎がここにいるかよ……いや、本のタイトルか?」
 検索で見た中に、変わったタイトルがあったように思う。
 三冊とも知恵の環の蔵書の中に同じタイトルの物があった。
 その本を探して手にし、床の上に立つと、その場に三冊の本を残して突風が和馬を転移させた。


 霧の向こう、湖の畔に現われた黒崎と紫月は『湖の貴婦人』ダム・ド・ラックの前にいた。
 ダム・ド・ラックのドレスの優美な裾は、湖水と霧の境界に溶けていた。
 長い髪を背中に流した彼女は、無表情とも言える冷徹さで二人を見ている。
「ダム・ド・ラック。アヴァロンへ僕たちを通してくれ」
 黒崎の腕にはネヴァンが捕らえられ、ダム・ド・ラックを牽制するために剣は抜かれている。
 馬からネヴァンを降ろす時、黒崎は「これは保険だから傷付けたりはしない」と紫月に言った。
 その言葉を信じてみようと紫月は思っていた。
 ここまで一緒に付いてきてくれた同行者を、裏切るような形になってしまうのはわかっている。
 ただ、敵意を向けられているのが自分と黒崎だけなのが救いだった。
 規格にあてはまった冒険者はこの世界では傷付けられずに済んでいる。
 それならば、自分たちは?
「貴方がた二人は、それぞれ一つの身体に二つの精神を宿していますね。それも、不穏なものを。
そのような存在、通す訳にはいきません」
 ざわざわと泡立つ湖水の奥から、無数の水竜が長い首をもたげて出現する。
「……戦うのは、やめて……」
 ネヴァンが弱々しく黒崎の腕に抵抗するが、嗜虐的な言葉をネヴァンに言った。
「僕に懇願の表情をして見せても効かないよ、ネヴァン。
不利な状況で相手の憐憫を誘う、その表情もプログラムだろう?」
「違うよ……」
「違わないよ」
 水竜が甲高い鳴き声を上げたかと思うと、突然黒崎と紫月に高圧の水を口から浴びせた。
 水流に押し流され、ネヴァンが黒崎の手から離れてしまう。
「ネヴァンは使えなくなったか。無駄に闘うのは嫌だったんだが……仕方ないな」
濡れた髪の下から黒崎が暗い瞳を水竜たちに、そして湖の中央に向ける。
「貴女もわかったはずだ。
イレギュラーな僕らを排除すれば平穏を保てると判断する、この世界が」
 ネヴァンは水霊を配下に従えたセレスティが水を操り助けていた。
 視線の端でそれを見て、紫月は安心した。
 漆黒に燃える闘気を剣へ纏わせた黒崎に続くように、紫月もキューを構え、ナインボールを解放する。
「美和さん!」
「たった二人では、モンスターに勝てませんよ!」
 湖水の向こうでシュラインとセレスティが叫ぶが、紫月は淋しそうに瞳を伏せて背中を向けた。
 時折雷を纏わせ、その黒い石の翼は大きく羽根を広げる。
 セレスティも、多分その場にいる他の者全てが思い違えていた。
 この世界でモンスターが命を狙うのは、冒険者から外れた紫月と黒崎だけなのだ。
 他の冒険者は例えモンスターに命を狙われても、それでこの世界から消えたりはしない。
 疾風が湖水の上を走り、ネヴァンを保護した豪の前に、膝をついた和馬がその場に現われる。
 知恵の環から転送された先は正しくアヴァロンへの道に繋がっていたようだ。
「間に合ったか!?」
「和馬!」
 見れば黒崎と紫月は、傷付きながらも水竜を屠り、霧の中湖水の中央を目指している。
「何で止めないんだよ!?」
「……止める、理由が無いからよ」
 和馬の叫びに、シュラインがうなだれて答えた。その肩を草間が労わるように引き寄せる。
 ダム・ド・ラックと交渉する黒崎は、ネヴァンと紫月だけを近くに呼び、他の者にはこう言ったのだ。
『君たちには、死の痛みを受けてまでアヴァロンを目指す理由が無いんだろう?』
「あんな風に言われたんじゃ、付いて行けないわよ」
 どんなに女神やアスガルドのルールという恩恵を受けていても、根源的な死の恐怖は誰にも消せない。
 と、静観していた耀司が湖水の方を見て声を上げた。
「二人がアヴァロンへたどり着くな」
 湖水の上には幾重にも水竜が倒れていたが、それは淡い光の粒子となり、データの集まりへと還って行く。
 今では水竜の叫びも、うねる湖水の波の音も聞こえない。
 静寂の中、ダム・ド・ラックの影響も及ばない領域、アヴァロンへと二人は足を踏み入れて行った。
 霧が二人の影を隠す。
「行っちまったか」
 草間が苦々しく呟いた。
 パシャ、と水音を響かせ、ネヴァンが湖水の方へと足を踏み出していた。
「……ボクがプログラムから離れて、ボクの心で考えてるって……あの人にもわかって欲しい。
だから、ボクも行くね」
「ネヴァン様!?」
 豪の制止を振り切って、ネヴァンは霧の中湖上を駆けて行った。
 その足音も濃い霧に包まれてやがて聞こえなくなる。
「どうする? 俺たちは確かに自由にアヴァロンまでは行けるはずだが」
 草間が首の後ろに腕を回し、凝った首筋を伸ばすようにして言った。
「私は……一旦戻って情報を整理したいわ」
 シュラインは疲れたような声を出した。
 雑然とした草間興信所で、珈琲が飲めたら少しは考えもまとまるかもしれない。
 草間に聞いたところによれば、黒崎の変貌は邪竜復活とほぼ同じ時期だったようだ。
 しかも、ダム・ド・ラックは『一つの身体に二つの精神を宿している』とも言っていた。
「少し、時間が欲しいですね」
 湖水の水霊を通して伝わるセレスティの感覚にも、もう黒崎と紫月の気配は感じられない。
 つまり、別の空間に転移したという事になる。
 アヴァロンは名前だけしか知られていない。もっと下調べをしてから向かいたい。
「……あんな風に行かせちまったのは、後味が悪いな」
 和馬は噛み締めた奥歯が鳴る音を聞いた。
 もっと他のやり方があったはずだ。
 黒崎のやり方は気に入らなかったが、自分たちの取った行動も最良とはいえなかった。
「ネヴァン様とアリアンロッド様は対立していますが……俺はこの事を報告しに城に戻ります」
 豪はゴーントレットに包まれた拳を握り締める。
 人質を取った黒崎の行動は許せない。けれどあの態度は、最初からダム・ド・ラックとの戦闘を避けたが故にも思える。
 一刻も早く戻って、それから……それから?
 何に迷っているのかもわからない今は、ただアリアンロッドの声が聞きたかった。
「僕は……そうだな、黒崎君達の身体にある意識が独立したものか気になるね。
それに黒崎君の話からすると、知恵の環にはまだアスガルドの鍵が隠されているようだ。
まずはジャンゴに戻るよ」
 耀司は霧に隠された湖水の向こうに思いを馳せた。
 アヴァロンに眠るものは、僕の興味を満たしてくれるのだろうか。
 さらに智の深遠へと僕を誘うのだろうか。
 一息にアヴァロンへと行きたい気持ちを抑え、耀司は知恵の環でもう少し書物の海に溺れようと決めた。
 

 湖水は水竜の姿も消え、蒼く静かに小波を立てている。
「アヴァロンの門は開かれています。彼の地へ向かいますか?」
 ダム・ド・ラックが霧の向こうから問いかけた。

(終)

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い 】
【 4487 / 瀬崎・耀司 / 男性 /38歳 / 考古学者 】
【 0631 / 強羅・豪 / 男性 / 18歳 / 学生(高校生)のデーモン使い 】
【 0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 /翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員 】
【 1533 / 藍原・和馬 / 男性 / 920歳 / フリーター(何でも屋) 】


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■         ライター通信          ■
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シュライン・エマ様

ご参加ありがとうございました!
まずは大変納品が遅れてしまいまして、申し訳ありませんでした。
遅延の理由は多々ありますが、どれも個人的な問題ですしここに書くべきではないように思います。
少しでも楽しんで頂ければ嬉しいです。