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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


テディベアでお茶会を

 ここに来ると、ふと何だか懐かしい気になる。たゆたう水の波動が伝わってくるような感覚に、自分の中に流れる人魚の血が歓んでいるからだろうか。
 ふとそんなことを思いながら、海原みなもは出されたお茶に口をつけた。
 ここは海の底のさらに底、俗に「深淵」と呼ばれる場所にある、姉みそのの部屋。いつものように、みそのがみなもをお茶に誘ってくれたのだ。
 深淵の巫女としてここに住むみそのは、滅多に陸に上がってくることはない。だから、みなもの送る「普通の女の子」の生活に興味津々で、いろんな話を聞きたがる。みなもとしても、家族と離れてここで1人暮らす姉の寂しさを思えば、そしてどんな些細な話でも喜んで聞いてくれる姉を見ていると、互いの都合の許す限り、姉の元を訪れたいと思うのだ。
「みなも?」
 どうやらぼんやりと物思いにふけってしまっていたらしい。気付けば、覗き込むようなみそのの顔が目の前にあった。光を宿していないとは思えないほどに、まっすぐにみなもを見つめる漆黒の瞳はどこまでも深く、逆に軽くすぼめられた唇は紅く艶めいている。そこにはどきりとするほどの大人びた色気があった。
「お姉様……」
 そうそう、何の話をしていたかしら、と思いながらも、みなもは自分の頬が熱くなっていくのを抑えられなかった。
 同じ13歳のはずなのに、どうしてこんなに違うのだろう、という思いさえ頭をかすめてしまう。
 そんなみなもの動揺を楽しむかのように、みそのはくすくすと笑う。わずかに細められた瞳が、さらに熱っぽさを帯びるように見えた。
「そうそう、みなもに見せたいものがありましてよ」
 艶然とした微笑みを残し、みそのは部屋の奥へと入っていく。ほどなくして再び現れたみそのは、視界を完全に遮られるほどの大きな箱を抱えていた。
「お姉様?」
 もともと視力が極端に弱いけれど、日常生活にはまったく不自由を感じさせないみそのだ。前が見えないことは何の支障にもなっていないはず。けれど、運動神経の方には多大な欠陥がある。現に今も大きな箱を抱えてふらふらしていた。
 みなもは思わず立ち上がると、姉を手助けすべく駆け寄った。が、それも一瞬遅く。
「きゃっ」
 図ったようなタイミングで、みそのがバランスを崩す。
「え?」
 咄嗟に支えようとしたみなもは見事に巻き込まれた。みそのに押し倒されるようにして、床へと倒れ込む。
「お姉様、大丈……」
 顔だけを起こして姉を気遣ったみなものうなじに、みそのの指が触れ、つ、と首筋をなぞっていく。柔らかな唇はのど元に触れ、しっとりと吸い付くような豊満な胸がみなもの胸元に押し付けられていた。
「……夫ですか?」
「ええ、大丈夫よ、ありがとう、みなも」
 何だかドキドキしながら問えば、みそのはみなもの上でにこりと微笑み、再びみなもの首筋に顔を埋めた。その吐息が、みなもの首筋にかかる。
「……あの、お姉様?」
 みなもはおそるおそる口を開いた。
「どうしたの?」
「その……、ちょっと苦しい、です」
「あら、ごめんなさいね。わたくしってば気付かなくって」
 みなもの髪を指に絡めていたみそのは、残念そうに微笑み、みなもの上から下りた。
「え……っと、そういえば、これは?」
 何となく間がもたなくて、みなもは先ほどみそのが抱えていた箱に目をやった。それは、さっきみそのが転んだ時に、蓋と身と、そして中身とおぼしき2つの箱に分解されていた。
 みなもは何気なく、一番近くに転がっていた蓋を拾い上げた。が、そこに書かれた文字に気付くと、その動きがぴたりと止まる。
 それは実に見慣れた筆跡だった。そう、何度となくみなも宛てに送りつけられてきた妖しい荷物でよく見る文字だ。そして、書かれている言葉がまたいけない。
『テディベア手作りセット(呪い付)』
「お姉様、これ……」
 悪い予感に半泣きになってみそのの方を見遣れば、姉はにっこりと微笑んだ。
「ええ、お父様がわたくしとみなもに、と送ってくれましたの。せっかくですから一緒に『てでぃべあ』を作りましょう」
 末っ子の分がないのは、あの子の性格からしていらないと思ったんだろうな、とか、こんなところにまで荷物が届くんだ、などと感心している場合ではない。あの父からの荷物だ。それも、あの父がわざわざ「呪い付」と明記しているのだ。絶対に開けてはいけない。中身は危険きわまりないものに違いない。
「お姉様……」
 止めようとしたが既に遅かった。ごく無邪気な笑みを浮かべながら、そして普段からは考えられないような機敏さで、みそのはすでに中身の箱を開けてしまっていた。それも、2つとも。
「どうしたの?」
 みそのはみなもを振り返り、小首を傾げた。
「……」
 こういう時の姉は、血が繋がっていないのが不思議になるくらい、父にとてもよく似ていると思う。実に悪意なく、みなもの身に災難をもたらしてくれる。
 みなもは半ばヤケ気味に箱の中身を確認した。片方の箱には黒色の、そしてもう片方には藍色の、生地を初めとするテディベアの材料と道具一式が入っていた。生地は手触りのよさそうな、ふもふもの極上のモヘア地で、親切なことに既に型紙通りに裁たれていた。それも、人間サイズで。
 その大きさを見た途端、みなもの胸に嫌な予感が湧いてくる。そして、それは決して裏切られることはなかった。次の瞬間には、生地やら道具やらがいっせいにみなもに襲いかかって来たのだ。しかも、真っ先に襲って来たのがはさみだった。自らの意志を持っているかのように襲い来る刃物に、みなもは思わず腕で顔をかばい、甲高い悲鳴をあげた。
 が、それではさみの勢いが衰えることなどなく、その刃は容赦なくみなもの衣服の袖を切り裂いていく。
「お、お姉様……」
 半ばパニックになりながらみそのの方へと視線を向け、みなもは一瞬自分の状況を忘れて目を見開いた。みそのもまた、はさみに襲われているのだ。みなもだけならまだしも、深淵の巫女として強大な力を持つみそのさえ襲われるのだ、よっぽどタチの悪い呪いに違いない。もっとも、本人はいつものように「あらあら」とおっとり構えているようだが。
「お姉様!」
 助けなければ、とみなもは顔を覆っていた腕を下ろし、みそのの元へと駆け寄ろうとした。が、今度ははさみが衣服の胸元を切り裂き始める。慌てて残った衣服を引き寄せようとした、既に露わになった両腕には、藍色の生地がぴったりと張り付き、振り払おうとしても離れない。あろうことか、そこへ針と糸が飛んで来て、生地をみなもの身体に縫い止め始める。
「いやあああっ」
 その痛みと身体を侵食される嫌悪感に、みなもは再び悲鳴をあげた。が、なすすべもなくその腕が、足が、胸が、腹が藍色の生地に覆われ、テディベアにされていく。
「お姉様……」
 かろうじて動く目でみそのの姿を追えば、みそのもまた、みなもと同じような状況に陥っていた。
(助けられなくて、ごめんなさい……)
 その無力感がみなもの情けなさに拍車をかける。再び涙がこぼれそうになった時、藍色の生地に頭と顔を覆われて、みなもは意識を失った。

「――も。みなも」
 誰かに呼ばれて、みなもは目を覚ました。ああ、さっきのは夢だったのだ、とその胸に安堵がよぎる。
「みなも」
 が、はっきりと目を開けて、みなもは凍り付いた。みなもの名を呼び、顔を覗き込んでいたのは黒いテディベアだったのだ。それも等身大の。
「さあ、お茶の続きをしましょうか」
 黒い熊が口を開く――とはいっても刺繍で縫い取られただけの口が実際に開いたわけではないが――。普通の大きさなら愛らしいぬいぐるみの顔も、ここまで大きいとその無表情が不気味だ。どうやら、悪い夢はまだ覚めていなかったらしい。
 思わず左右に首を振って、みなもは自分の頭が不自然に重たいのに気付いた。傍らに置かれていた姿見をおそるおそる覗き込んで、みなもは再び気を失いたくなった。そこに映っていたのは、藍色のテディベアだったのだ。
「ほらみなも、新しいお茶が入りましたわ」
 トレイを手に再び現れた黒テディは姉のみそのらしい。黒テディは、姿見の前で呆然としているみなもを見ると、くすりと笑みを漏らした。
「大丈夫よ。見たり聞いたりはできるようにしておきましたわ」
「お姉様……」
 問題はそこではないだろう、とみなもはげんなりと肩を落とした。でも確かに周りは見えるし、しゃべることもできる。
「箱は『片付けて』おきましたから、半日ほどで元に戻りますわ。痛覚や血流も抑えていますから痛くないでしょう? せっかくですから『てでぃべあ』でお茶会を楽しみましょう」
 そう言うとみそのは小首を傾げた。とはいえ、外見はやはり無表情の黒テディ。なかなか素直に頷けないものがある。けれど、なぜかお茶会をしないと戻れないような気がする。みなもは仕方なく、立ち上がった。
 みそのの言う通り痛くはないし、身体も動くのだが、その度に皮膚の下数ミリあたりが引きつって、身体の中に埋もれた糸がその存在をいちいち主張する。
 そのままテーブルにつこうと、2、3歩歩くのだが、これがまた一仕事だった。何せ、膝が曲がらないのだ。右手と右足を同時に出し、身体をひねるようにして、次は左。これでようやくテーブルにたどり着き、椅子に座ると今度は両足がぴこんと跳ね上がった。慌ててテーブルに両手をつき、みなもは何とかバランスを保った。
「はい、どうぞ」
 なぜかみそのは全く動きに不自由していないらしい。黒テディが驚くほど滑らかな動作でみなもの前にティーカップを差し出した。
「あ、ありがとうございます」
 反射的に手を出したみなもだったが、途端に全ての負荷が腹筋にかかる。半ば息を詰めてそれに耐えながらカップを手に取ろうとするが、何せ今のみなもは藍色テディ。取っ手に絡める指はなかった。
「……」
 仕方なく両手でなんとか挟んだものの、当然肘も曲がらない。今度はそれをどうやって口元にもっていくべきか、はたとみなもは動きを止めた。否、腹筋のふるふるは止まらなくて、カップの中で紅茶の水面が今にもこぼれそうに揺れる。
「あらあらみなも、わたくしが飲ませてさしあげますわ」
 どこか楽しそうに――といってもやはり無表情な――黒テディが言って、みなもの手からカップをとると、それを自らの口につけた。開かないはずの口に紅茶が吸い込まれ、次の瞬間、黒テディの顔がみなもの眼前へと迫る。
「お、お姉様、大丈夫です、あたし、自分で飲めます」
 みそのの思惑を察し、そして水を操る能力を使えば良いことに気付いて、慌ててみなもは首を振った。真っ赤になった顔を見られなくて、この時ばかりは藍色テディに感謝する。
「……あら残念」
 黒テディは含み笑いを浮かべ――ているのかは外からではわからないが――、自らの席に戻った。みなもはほっと胸を撫で下ろしたが、腹筋ふるふるは相変わらずだ。
「お父様も良いものを送って下さいましたね」
 黒テディは、普段のみそのそのままのおっとりした優雅な動作でカップを口に運ぶ。
「え? ええ……」
 これは「良いもの」なのだろうか? みなもは曖昧な返事を返した。
「それでね……」
 そんなみなもに構うことなく、黒テディは軽く小首を傾げ、無邪気に次の話題を催促する。みなもは乞われるままに学校のことや父のこと、テディベアのことなどを話した。
 明日はきっと筋肉痛。密やかに胸の中で溜息をつきながら。

<了>