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<東京怪談ウェブゲーム 神聖都学園>


 ◆◇ 秘密の花園 ◇◆


 ざわざわと、深い緑の底で囁く葉摺れの音色。
 眸を閉じ寝息を立て、夢うつつに透己はそれを聴いていた。
 ここは神聖都学園の一角に位置する、広々とした温室だった。このマンモス校では、透己たち学生が払っているだろう学費の延長線以上の豪華さがそこここに見え隠れする。もしかすると裏で悪のシンジゲートが隠れ蓑にしているんじゃないの?、と云うのが口さない級友の噂。その真偽はともかくとして、この温室も学校施設に不似合いの、白い木材をドーム状に組み立てたどこか洒落たつくりをしていて、いつ訪れても木々は瑞々しく、季節を無視して花々が咲き乱れている。
 短い芝生がみっしりと敷き詰められた芝生の上。透己は制服の膝を立てて寝転がっていた。誰かが来たら、ガリガリ透己であっても目のやり場に困るかもしれない。そんな野放図な格好だった。
 ざわざわ、ざわざわ、草木が音を立てる。
 ざわざわ、ざわざわ。
 ざわざわ、ざわざわ。
 重なる音色は徐々に涼しさではなく、知らず積み重ねられた息苦しさを生み出していく。
「……ん」
 片手で顔を被い午睡を愉しんでいた透己は、ようやく、異変に気付いて目を開ける。
 そのときには、すでに遅かった。
「なにこれ……ッ!」
 制服の半袖から伸びた両腕。同じくプリーツスカートから覗く膝と、だらしなく捲れ上がった上着から出た剥き出しの白い肌。
 その全てに、蔦のような植物が絡み付いていた。
 湿り気を帯びた生身の植物は存外強く、ぐいぐいと引っ張っても、容易に外れそうにない。
「こんなマニアな目にあう覚えなんて、ないのに。むっかつく」
 ぶつぶつ呟きながら、刃物でもないかと周囲に視線を彷徨わせる。
 と、隣に置いてあったジュースの缶が、同じように――否、透己自身よりもきつく蔦に絡め取られ、べきり、と潰れたのが見えた。半分以上残っていた中身を、草草が群がってずるずる吸い取っていく。零れ落ちた雫まで芝生が貪欲に飲み込む。
 それは透己がさきほど食堂の自販機で買ったものだ。見覚えのないパッケージ。自販機のボタンには、『?』印。独りで面白がって、ボタンを押したら一気に3本ぼたぼた落ちてきた。すでにその時点から、ありえない。
 うち2本を教室に置き去りに、1本を携えて透己は温室を訪れたのだ。パッケージの色は、薄い緑のグラデーション。見覚えのない会社の名前と当たり前の成分表示。それに、商品名が斜めに入っていた。
「バカなもの、買うんじゃなかった……」
 深く深く、透己は溜め息を吐く。そうして今度は助けを呼ぶために、大きく息を吸い込んだのだった。

    ◇◆ ◇◆◇ ◆◇

 奇妙に堂々とした悲鳴を聞いたような気がして、初瀬日和はふと、通り過ぎたばかりの温室に足を向けた。両手に抱えたチェロが地面を摺らないように、細心の注意を払う。音楽室からの帰り道、少しばかり待ち合わせの時間まで余った時間を潰そうとミルクホールに向かう途中のことだった。
 ガラスの引き戸は、日和の手には重い。そっとチェロケースを壁に立て掛けて、両手を使って扉を引き摺り開けた。
「まあ……」
 口許に手を当てて、日和は絶句する。目に飛び込んできたのは一面の緑。しかも、普通に生えているものではない。蔦状の植物は幾重にも柱や壁に絡み付き、木々は異様に伸び切っていまにも天井を突き破りそう。ひよひよ生えた雑草まで恐ろしいほどの生気を発散しながらゆさゆさと揺れている。
 そして中央に、囚われの姫君よろしく吊り上げられているのは、見慣れた下級生の姿。
「あ……透己さん? そんなところで一体……」
「……自分でもわかりませんよ」
 冷ややかに、新見透己が返してくる。悲鳴を上げたのは彼女だと思うが、救い手が日和だったことはどこか不本意であるらしい。不自由な格好ながら、ふてぶてしい態度を崩さなかった。
「そこの、ジュース。缶が転がっているの、見えません?」
「……これ?」
 異常繁殖した雑草に紛れ見逃してしまった缶の残骸を見付けて、自信なげに日和が首を捻る。さもあらん。べこべこになり、鋭い草にいくつも穴を空けられてしまったそれは、空き缶と呼ぶよりもアルミ屑と呼ぶに相応しい有様だったのだ。
「そうです。それをひとくち飲んで寝ちゃったんです、あたし。そうしたら、こうなっていました。同じ物、教室にもあるはずなんですけど」
「調べてくる?」
 疑問系になってしまったのは、こんな状態の透己を独りにするのを躊躇ったせい。ぐるぐるに蔦に絡め取られて彼女は、心底不自由そうで、どこか心細そうにも思えた。
「……行って来てくれません? 初瀬センパイ」
 突き放すように、冷たい口調で透己が云う。これなら大丈夫かな、と透己の強気に微笑んで、日和は踵を返した。
 それでも、一言付け加えるのを忘れない。
「すぐに、戻ってくるから。大丈夫だから、ね」
「……そういうところが、とっても苦手なんですよ」
 減らず口に微笑んで、日和はぱたぱたと走り出した。


「なんだ、これ」
 ぽかんと口を開けて、無遠慮に云ったのは羽角悠宇だった。
 昼寝場所を求めて温室を訪れた悠宇が見付けたのは、入り口の見慣れたチェロケースだった。不審に思い、日和の名を呼びながら入ったそこにいたのは期待はずれの透己。しかも、かなり奇抜な状態である。
「なんだ、でも、これ、でもないですよ、羽角先輩」
 気安くぷらぷらと足を動かしながら、透己が云う。だが、胴体にも手足にも蔦を絡ませた姿勢は、かなり負担が掛かっているに違いない。余裕の仕草が余計に強張って見える。
「かなり頑張っているなあ、透己」
 すたすたと傍まで歩きながら、悠宇は苦笑する。その足許をにょろにょろと蔦が這い摺って来た。取り合えず、踏んでみる。踏んでも踏んでも、足裏でまだ動こうとする。なかなか気色が悪い。
「取り合えず、お前、とんでもない格好になっている。これでもかけとけ」
 ベストを脱いで、取り合えず剥き出しになっていた腹を隠す。透己は、淡々と言葉を紡ぐ。
「そんなのどうでも好いんです。取り合えず、この状態なんとかしてくれません?」
「……お願いする態度じゃ、全然ないなあ……」
 呆れるを通り過ぎいっそ清々しい気分で悠宇が苦笑する。
 そう云っている隙にも植物は異常繁殖を続けていて、透己の四肢を、悠宇の足を絡み取り締め付けようとしている。ぎち、と葉が軋むたび、透己の顔が微妙に歪んだ。
「透己」
 腕にまで葉を伸ばして来た枝を手で払って、悠宇は透己に話し掛ける。少しばかり、真剣な声で。
「お前、ひとにあれこれ喋るなよ」
 透己の答えを待たずに、悠宇はすう、と深く息を吸い込んだ。
 じわり、と内側からなにかが溢れてくるような感覚。皮膚から零れてくるのは――闇。
 引き攣ったように、透己が息を呑むのを感じた。少しばかりの後悔が頭を過ぎる。
 悠宇が、人前で力を使うことはは滅多にない。奇異な目で見られるのも、だらだらと自分の能力を解くのも、たくさんだった。悠宇に必要なちからなど、ひとつと決まっている。
 円状に、靄のごとく闇が広がっていく。悠宇の足に絡み付いていた蔦が怯えたようにひしゃげて、地面にへばりつく。透己の身体に新しく巻き付こうとしていた枝葉もまた、べしゃりと泥に叩き付けられた。ぱらぱらと、葉が落ちていく。
 悠宇を中心に、闇を含んだ不自然な重力圏が徐々に徐々に広がっていく。
 深い静かな闇が、温室に満ちたころ。
 透己の身体に絡み付く蔦は、半分ほどが剥がれ落ちていた。頑丈に胴体を締め付ける緑は、最後まで残って取れずに透己にしがみ付いていた。
「取り合えず、楽にはなりました。ありがとうございます」
 ほっとしたように、透己が息を吐く。
「透己。お前、本当にこのこと、ひとにあれこれ云い振らしてくれるなよ。いちいち、懇切丁寧に説明する気なんて、ないんだからな。そんなに俺は良心的でも、親切でもない」
 久しぶりに使った力に重い疲労を感じながら、悠宇はもう一度念を押す。
 すると、余り表情の変わらない透己の顔が、露骨に顰められた。
「先輩、先にもう一度、お礼だけ云わせて貰います。アリガトウゴザイマシタ」
 声が、刺々しく尖る。
「でも、少しくらい信用してくれても好いと思うんです。あたしは、誰かに話すなって云うのなら、舌抜かれたって話しはしません」
「舌を抜かれたら、誰も話せないと思うぞ」
「先輩!」
 ぎりぎりと、透己が悠宇を睨んでくる。
「悪かった」
 悠宇は肩を竦めた。
「で……取り合えず、残りはどうするかな」
 まだしぶとく透己に貼り付いた蔦に手を伸ばして、悠宇は思案する。重力波でも剥がれ落ちなかった筋金入りの代物だ。切り落とそうにも、うまく切れるかどうか。
 そこに、ぱたぱたと軽い足音が響く。
「透己さん? ……悠宇?」
 扉に手を突いて、大きく肩で息をひとつ。悠宇の姿に、ぱっと破顔した少女に、悠宇の顔も緩んだ。
「日和」
 スカートの裾を少し乱して、白い顔を上気させた日和が汚れたコンクリートにへたりこみかけながら、大きな眸でふたりを見返す。
 悠宇は慌てて、腕を貸しに走った。


 悠宇の腕に体重を預けて、日和はゆっくりと話し出す。
「なにがおかしいかは、わからなかったの」
 腕に掛かる重みが軽すぎる、もっと太らなきゃ駄目だろ、と違うことを片隅で考えながら、悠宇は頷く。透己は、ようやく自由になった片方の足を振り回しながら、すっかり様変わりした温室の天井を仰いでいた。
「普通の、甘いジュースと外見は変わらない気がするの。でも、こんな状態だものね」
「あたしも、一発で違うってわかるんなら飲まなかったんですけど」
 嫌味と反省を半々に宿した声で、透己が呟く。日和が微かに顔を赤らめた。悠宇は無言で、透己の頭をこっそりはたく。
「どっちにしても、これ、どうするかな……」
 幾本か残ってしまった蔦を見て、悠宇は云う。水気を含んだ蔦は存外硬く、悠宇ごときの力では引き剥がせそうになった。日和や透己はなにをか況や、である。
 細い指を顎に当てて、俯いた日和がふと、顔を上げた。
「ねえ、悠宇。植物って水分を含んでいるものでしょう? だからね、植物中に含まれる水分を凍らせるとか、逆に水蒸気に変えてしまうとかすれば、この植物も枯れてしまうかか活動停止させられてしまうと思うの」
 穏やかな口調で説明して、どうかな、と小首を傾げる。さらりと、漆黒の髪が細い肩を滑り落ちた。生臭く感じるほど濃い植物の匂いではなく、微かに、甘い香り。
「そうかも知れない。でも、日和。大丈夫なのか?」
 力を使うことは、日和の弱い身体に負担が掛かる。他に方法があるなら、そちらを使いたい。天秤は、勝手に傾く。
 悠宇の心中を悟ったのか、日和はにっこり微笑んだ。
「大丈夫よ。透己さん、このままで置いておくわけにはいかないでしょう?」
「別に置いておいても構いませんよ。自然のハンモックだとでも思っておきます」
 横合いから、透己が茶々を入れる。きっと睨み付けた悠宇は、透己が心配そうな目で見返しているのを見て取って、口を噤む。
「別に、無理なんてして欲しいと思っていません。恩も、過剰なものは要りません」
「大丈夫よ。私に、任せてね。まずは、凍らせるのからやってみるわ」
 ふわふわと、柔らかい笑みを日和が浮かべる。
 彼女の意思は柔和な外見に反して強く、一度決めたことは決して覆さない。だからこそ、競争の激しい音楽世界で活躍もできるのだろう。
 悠宇は、俯いた。なんだか、ひどく自分が情けない。
「見ていてね、悠宇」
 そっと、日和は宙吊り透己に近付く。白い指先で、絡み付く蔦に触れた。
「ちょっと寒いかも知れないけれど、我慢してね」
「あとであったかいものを奢ってやるよ、透己」
 悠宇が揶揄じみた声を掛ける。ちょっとした強がりのつもりだった。日和は、くすくす笑ってくれた。
「約束ですよ!」
 ひやっとした感触に顔を顰めて、透己が声を張り上げる。
 眸を閉じた日和の顔から、徐々に血の気が引いていく。同時に、ぴきぴきと、植物が悲鳴じみた音を立てて凍っていく。ぱらぱらと、表皮が剥がれて行く。
 ぱきん、と決定的な響き。
 支柱になっていた太い蔦の絡まりが、折れる。
 宙に放り出された透己が、バランスを崩す。
 そして――日和が。
「日和!」
 悠宇が駆け寄って、膝を折った日和を抱き寄せる。すぐ傍で、不器用に透己が地面に着地するのが見えた。
 日和の肌は、触れてみると霜よりも冷たかった。
「……ありがとうございました」
 透己が、土の付いた悠宇のベストを拾い上げ、逡巡の後に悠宇ではなく日和の肩に掛ける。日和が、青褪めた顔で笑う。そこで笑える日和が悠宇には誇らしく、そして少しだけ腹立たしい。
「ありがと」
「あたしの方が、ありがとう、です。本当に、ありがとうですから。奢るのは、あたしの方ですね」
 悠宇はそっと、日和の身体を抱き上げた。すたすたと、廃園と化した温室を枯れ木を踏みながら渡り、開けっ放しの扉を潜る。
「ごめんなさい」
 ぺこん、と透己が頭を下げるのが、横目に見えた。無理をして、笑みのかたちに唇を歪める。でも、心配ないから、気にするななどとは云えなかった。悠宇自身が動揺していた。笑えたのがせめてもの、精一杯の強がりだ。
「チェロ、頼むな」
 震えないように制御した声は、自分のものではないようだった。
「保健室、あとで行きます。ありがとうございました」
透己の返事を背に聞きながら、いつの間にか足が速まっていた。
「悠宇、心配させて、ごめんね。やっぱりちょっと疲れちゃった」
「日和」
「でもね、少し休んだら元気になると思うの。だから、そうしたら、透己さんと一緒にミルクホールに行きましょう。透己さんには、温かいものを。私には、アイスミルクティ。……透己さんの、奢りかな?」
 だから、心配しないで。
 言葉にせずに伝えて、日和が微笑む。
「……謎の缶ジュースじゃなくって好いのか?」
「それはちょっと遠慮しておくわ」
「了解」
 ぎゅっと日和を抱く腕に力を込めて、悠宇も、日和に見合うくらいきちんと、笑ってみせた。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 3524 / 初瀬・日和 / 女性 / 16歳 / 高校生 】

【 3525 / 羽角・悠宇 / 男性 / 16歳 / 高校生 】

【 NPC1859 / 新見・透己 / 女性 / 16歳 / 高校生 】

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■         ライター通信          ■
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 再びのご依頼、ありがとうございました。不束ライターのカツラギカヤです。私の描くへっぽこを、気に入って頂けて本当に嬉しいです。重ね重ね、ありがとうございます。
 なんとなく、おふたりを描くときはお話自体だけではなく、会話が愉しめたらなあ、と思いつつ描かせて頂いています。もしかしたらPL様の意図に反しているのかも知れませんが、普通に恋愛ものとしても読んで頂けたら嬉しいです。
 また、蛇足ですが、アイテムとして謎ジュースを進呈できずに、すみません。なんとなく、描いているうちにそんな場合じゃあ……と云う雰囲気になってしまったのです。もしかしたらご期待に添えなかったかも知れませんが、ご了承下さい。
 ご依頼、本当にありがとうございます。これからも是非、よろしくお願い申し上げます。