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<東京怪談ノベル(シングル)>


奇蹟の海






 それは、ほんの偶然。
 ガスとチリの割合が、少しでも違ったら。
 光の差し込み具合が、僅かにずれたら。
 その他諸々の、ごく、細かい事を含めて。
 まったく以って偶然に、その事象は起こった。



 その連絡が入ったのは、じりじりと太陽がアスファルトを焼くような、そんな真夏の昼前だった。
「えぇ!?」
 思わず素っ頓狂な声をあげ、何故か『紙』という妙に地球文明に毒されたものでやってきた連絡を繰り返し読み直す。そこに綴られている文字はこの星では存在しないもので、”学校”からの連絡であるのは間違いない。
 思わず引っ繰り返して透かしてみたりしたのは、彼女の驚きの具合を示しているだろう。密かに不幸の手紙かと思ったので、いい意味で期待は裏切られたわけである。
 彼女が作り出したこの空間に外界から『不幸の手紙』などが届けられたら、それこそ驚きであるが。
 ともかく。彼女はしゃんと背筋を伸ばした。
 陽光を反射しつつも、透けてしまいそうな銀の髪をなびかせて、同じ色の瞳が少しだけ前向きな光を宿す。額の真珠色の角と、ピンとたった耳が意欲を現している。その手にするのは、先史文明の遺産であるといわれている魔法使いの杖。ほっそりとした華奢な指がそれを握り締めて。彼女は僅かにそれを掲げた。
 ふわり、と揺れたのは髪と同じ色合いの尻尾。
 半人半馬、と、人間が居たら表すだろう。だが、それは間違いである。彼女は穢れを知らぬユニコーンと少女の姿を持つ、最も神に近しき存在であるから。人が、言葉で概念として当てはめようとすることの方がおかしい。
 けれど、人が彼女に名を尋ねれば、恐らくは返事があるだろう。
 クリスティアラ・ファラット、と。
 まるで初めから存在しなかったかのように、クリスティアラの姿が掻き消えた。残ったのは、照りつける真夏の日差しだけ。
 と、彼女を客観的に見ているものが居たらなば、余りの神秘性にうっとりと溜息をつくかもしれないが、クリスティアラの内心は、実はそれほど神秘的ではなかった。
「とうとう、とうとうですね!」
 いつの間に覚えたのか。握りこぶしでガッツポーズまで決めている。
「苦節……」
 何年、問いをうとして言葉につまり、目を伏せて考え込むことしばし。
「長年の夢がかないました!」
 ともかく、彼女は浮かれていた。
 普段は消極的で、伏せ目がちの銀の瞳も、嬉々として周りを見晴るかす。
 ”学校”から連絡があったのだ。彼女が作った”世界”に『生命』が現れたのだと。それは数多く存在する創生神を目指すもの、全ての夢だ。出来ることなら、そこで費えてしまわずに、少しでも進化して欲しい、という思いを持って、クリスティアラはその”世界”に脚を運ぶ。
 彼女にとって”世界”とは無限にあるもので、そこを行き来することなど息をすることと同様だ。時間軸を移動する事も不可能ではないので、杖の力を借りてちょっと来て見た、という風情。
 その”世界”に辿りつき、途端に息を呑む。
 黒いばかりの世界。けれど、その中にあるのは、赤々と燃える恒星だった。永久の闇を思わせるそこに、その光は酷く眩しい。その周りに、合計五つの惑星が円を描いて軌道をなぞる。以前の実習で、太陽系を模倣して”世界”を作ってみたのだ。彼女が作ったのは、実際太陽系が出来るときに存在した水素やヘリウムなどを主とする高温のガスの塊であった太陽系星雲状ガスだけだ。それが凝縮され、原始の太陽が形成される所までは、彼女は実習で見守っていたのだが、その先は見ていなかった。じっと見ていても変わるものではないし、生命の誕生の可能性があるのなら、見ているとつい、手を出してしまいそうだからだ。
 そんなわけで、クリスティアラは極力この”世界”に近づかない事にしていた。
 少しだけ時間を遡って、彼女は経過を楽しむ事にする。
 今すぐ生命を解析したくて仕方がないが、そこはぐっと我慢して。
「この”世界”にもし、知的生命が誕生したら……彼らはなんと名前をつけるのでしょうか」
 ”学校”が管理する為につけた名称はあったが、クリスティアラはそれが好きではなかった。彼女が最近社会勉強でお邪魔している”世界”を、人間たちは誇らしげに『地球』と呼ぶのだから。強制はしたくなかった。いつか。そうなれば。
 見果てぬ夢であった。
「この辺から、ですね」
 ガスが凝縮して一つの大きな輝きになる。それから焙れたようなガスが渦を巻きながら次第に冷えて、微粒子を形成し、それらが引き合って小さな塊―――ひいては惑星を形作る。惑星と言っても、地球やその周りの星から比べればあまりに小さい。それらは、相互の衝突や破壊を経て合体を繰り返し、ゆっくりと銀河系を形作っていく。恒星の回りに、小さなお供がぽつぽつと。
 クリスティアラは少しだけ恒星に近づき、そこから三番目の惑星にそっと近寄ってみた。地球が太陽から三番目の惑星だからである。
 水というものが液体で入られるのは、確かにここだけのようだが。
 クリスティアラは眼の前で起こる惑星同士の激突にも眉一つ動かさないで。期待に満ちた眼差しで、それらを見ていた。
 度重なる衝突と、合体。そのたびに、衝突のエネルギーがその小さな惑星を熱していく。そして、少しずつ。本当に少しずつではあるけれど、互いの惑星に含まれていた水分が、水蒸気として分離し、惑星を覆い始める。
 最初は少しずつ。そのスピードは、坂を転げ落ちるように急激になっていく。更なる衝突と合体。水蒸気が保湿効果を持って、熱は内に溜められていく。惑星の温度は下がることなくひたすらに上っていく。
 飛球という惑星の半分位の大きさになった頃、岸壁であったはずの惑星の表面は熱で融解し、マグマとも言える海が広がっていた。
 熱が熱を帯び、大きくなってきたその惑星に、まるで引き寄せられるかのように小さな惑星が集まってくる。そのたびに惑星は熱くなり―――やがて、温度が下がり始める。原因は、惑星が大きくなりすぎたことだ。もう、小さな惑星がぶつかっても、それほど大きなエネルギーが生まれない。そうなれば、ただ惑星は冷えていくだけで。
 クリスティアラは地表の直ぐ傍まで言ってみた。あれほどに沸騰し波打っていたマグマはゆっくりと固形に戻りつつある。彼女の体感温度で三百度くらいだろうか。
 地表を覆っていた多量の水蒸気が、ゆっくりと霧のように、降り注ぎだした。
 そして、気が付く。地表を覆っていたのは水蒸気だけではない。二酸化炭素、窒素など、地球の初期に見られた大気が形成されていく。彼女はその中で佇んでいた。
 この水は酸性の塩化水素が多く含まれており、人間という弱い生き物が触れたら、ただではすまないだろう。けれど、クリスティアラはそこに居た。
 ここから命が生まれる。
 その期待だけで。
 強い酸性の水は、ゆっくりと時間をかけて回りの岩石を溶かし、ナトリウム、カリウム、カルシウム、マグネシウム、アルミニウム、鉄、といった金属と呼ばれるものを取り込み、中和されていく。
 惑星が生まれて、一億年ほどで、海は、彼女が知っている地球の”海”とあまり変わらないものになった。
 こうなれば、後は待つばかり。太陽系を模倣したのは成功であったとも言えるが、それは独創性の欠如につながり、彼女自身の成功とはいえないかもしれない。誰かの辿った道を、ただゆっくりと歩いているだけだ。
 しかし、クリスティアラにとっては、他人の道でもそれは確かな進歩である。様は経験と勘。場数を踏んでなんぼである。
 これは、彼女にとって間違いなく有意義な実習であった。
 惑星は海を得たけれど、それが全てかといえばそうではなく。無防備な惑星は太陽からの紫外線に曝され、電気放電が荒れ狂う。惑星形成時に放出された揮発性成分からそれらが反応を起こして、メタンと、非常に似たものが出来上がった。裏側では、アンモニアに良く似たものが作られる。それらが出会うには、また少しばかり時間が必要だった。
 その放電は何度目であったのか。
 あ、とクリスティアラは銀の瞳を見開いた。繊細な睫が感動に盛り上がった涙で濡れる。
 メタン、アンモニア、水素の混合気体と、水蒸気に電気火花が散った。それが、奇蹟の瞬間。
「タンパク質構成要素の、アミノ酸………これが、生命の一番初め……」
 感無量、という言葉が胸を占めた。
 ここまで来るのに、どれだけ時間が掛かったか。何度挫折しただろう。諦めたほうがいいかもしれないと涙を落としただろう。夢は所詮夢のままなのかと、祈るように思った夜があった。
 それら全てが、報われたような気がした。
 地球とは違って、ここからは突然変異、というような偶然を装った介入は出来ないし、隕石にかこつけて、必要な要素を送り込む事もできない。
 ここまで来たのが、本当に奇蹟だった。
 涙が溢れた。杖を持っていない片手でそっと目尻を拭う。その場所から軽く何度か跳躍して、”世界”を遠目に見た。
 クリスティアラ・ファラットが作った、生命の誕生した世界。
 そう呟いてみて、酷く気恥ずかしくなる。くすぐったいような、誇らしいような気持ちになる。
 あのアミノ酸が、どうやって生き物になるのだろう。後五億年したら? 後十億年したら? この”世界”はどうなっているだろう。
 地球と比べるなら、地球はこの状況から三十五億年ほど後には、人間という知的生物が存在している。そして、彼らは神の領域を少しずつ侵そうとしている。
 と、考えて、クリスティアラは少しばかり寒気がした。
 時間を移動する事はできる。けれど、そこが、滅びの終った”世界”だとしたら? 原因を探る為に時間を移ろって、それを見つけたら?
 命が生まれる可能性があったのに?
「地球のような”世界”には、多分、介入してらっしゃる存在がいらっしゃるんでしょうけど」
 人間たちはそれを”神様”と呼ぶ。
 クリスティアラの在学している”学校”はそう言う面で融通が利かない。”世界”への干渉を発見された場合、即座に”放校”か、軽くて自主”退学”という処分が用意してある。クリスティアラの耳にも、そんな話は入ってきていた。
 でも、もし。
 ここに生まれる可能性のある命を、杖の一振りで助けられるとしたら?
 ばれなければいい、というようなものではない。自分の未来をかける選択になる。彼女には創世術士になりたいと言う夢がある。それも、なるべく早く。
 けれど、滅びを目の当たりにした後、その原因を救えたとしたら?
 恐らくは、その場を救ったとしてもまた、綻びができ、それを修正し、未来にいって様子を見て、また原因を見つける―――という、途方もない作業をする事になるだろう。
 そうして出来上がった”世界”にたとえ知的生命が生まれたとしても、酷く歪んだ形になるだろう。
 だから、見ているしかないのだ。
 滅びる可能性もある。生きながらえる可能性もある。
 そのどちらも考慮して、認めて、受け入れて。
 ただ、見ているしかない。
 クリスティアラは、呆然と”世界”を見ていた。そして、不意に杖を振る。祈るように手を組み合わせて、そっと彼女は”世界”を後にした。







 あそこで見ていれば、きっと手を出したくなる。
 それに耐える事も、創世術士としての大切な修行であるだろう。けれど、彼女にはその修行は早すぎた。だから、遠くから見ている事にした。
 そっと、見守る。
 心の中にいつも思い描いて。少しでも、よりよい方へ向きますように、と。
 直接傍に居なくとも、それは、十分見守るということだと思うから。
 クリスティアラは、三十五億年たったら、また、あの”世界”に行こうと思った。
 それほど長くないときを、少しでも有意義に過ごす為に。
 彼女はまた、殺される恐怖と戦いながら、人の中に混じって、いつか訪れる知的生命との邂逅を夢見るのだった。





END