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<東京怪談ノベル(シングル)>


お触りご勘弁











 父から荷物が届いた。
 返品。
 完。














 と、そう言うわけにはいかない以上、彼女は嘆息をかみ殺して伝票を手に取った。
「洋服?」
 確かに、小包サイズの宅急便で、重くもないし、中が洋服である事は疑いない。一応、この伝票は信じられるのだ。ただ、それに「呪われた」だの「怪奇な」だの、あまりよろしくない形容詞がつくだけで。
 腰まである青い髪を揺らし、同じ色の深く済んだ双眸を伏せて考えることしばし。
「開けて見るだけ、開けて見て、怪しかったら即返品、です」
 自分に言い聞かせるようにダンボールのガムテープを剥がした。それは丸めてゴミ箱へ。いざ、と戦地に赴く武人のような顔で彼女がダンボールを開けたのを見た人間は、本人含めていなかった。
 来るなら来い、と悲壮な覚悟が漂う。そこまでしても父の愛情の篭ったプレゼントを開封する彼女の行動は賛否両論あるだろうが、人としては正しい姿であるだろう。
「あれ?」
 しかし、開けて見えたのは、意表をつく可愛らしいラッピングで。ピンクと薄い水色のリボンが掛かった、真っ白な―――布?
 確か洋服と書かれていたはず、とそれのリボンを解いてみた。広げてみるが、どうも大分大きなはぎれというか、反物というか。
 首を傾げた彼女の目に、ひらり、と一枚のカードが。慌てて布を手放し、距離を置いてそのカードに目を走らせたのは、素晴しい学習の成果であった。
「えっと、触れたものの、好みに変化する、魔法の洋服?」
 何度も読み直し、透かしてみたり折り曲げてみたり。挙句に厚紙を真ん中で裂いてみた。そこまでする彼女に問題があるのではない。そこまでさせる相手に問題があるのである。
 ともかく、即効性の罠はないようだった。
 そうなれば、『魔法の洋服』に興味がわくのは当たり前。
 うずうず。
 しかし、散々迷惑をこうむった記憶も新しい。
 うずうず。
 伸ばしかけた手を慌てて止める。どうせ、どうしようもなくなってから、追記、とか、追伸、というものが見つかったり贈られてきて、面倒に巻き込まれるのだ。
 うずうず、うずうず。
「でも、ちょっとだけなら」
 そう言葉にしてしまえば、止まった手が動き出すのが必然で。
 海原みなも、十三歳。綺麗な服も可愛い光物も、興味があって当たり前の年頃の少女に、今回の贈り物は、我慢するのは難しかった。
「ちょっとだけ、ですからね」
 自分に言い聞かせるように呟きながら、彼女は笑み崩れている。好みの服、というものがどういうものか。興味があるし、布はさっき少し触っただけだけれど、手触り抜群。もし何もないなら、この白い布を何かに仕立て直してもいい。
 父からの贈り物で珍しく―――というより、初めて―――彼女は幸せな気分になっていた。
 そのみなもの眼の前で、白い布は如実に色を変えて、姿を変える。
 肩口から裾にかけて、水色から藍色のグラデーションがかかった、夏物のワンピースに。
「うわぁ」
 感嘆の声が喉から滑った。
 広げてみて、それをそそくさと自室に持ち帰り、鏡の前で当ててみる。サイズはぴったり。早速着てみる事にして、その肌触りのよさにうっとりする。着心地が抜群だ。ひと夏これで通したいほど。鏡の前にもう一度たって、ちょっと考えてから、髪をアップにしてみた。首周りが涼しくなった。そういえば、これにぴったりの白いサンダルがある。
 うずうず。
 即効性の罠もないし、着てみて鏡に映しても、特に呪も感じない。
 うずうず、うずうず。
「………」
 ちらりと窓の外を見る。まだまだ空は青い。時計は三時を回った所。夏休み真っ最中、一日くらい、素敵なワンピースで出かけてみたってばちは当たらない。逡巡すること十数分。部屋の中をぐるぐる回ってみて、鏡を見たらちょっと乾いた唇。ライトピンクの色つきリップを塗って。そうしたらもう、居ても立っても入られなくなった。
「お買い物にいきましょうっ」
 軽快な足取りで荷物を纏めて。玄関ですぐさま靴箱からサンダルを引き出す。
 素敵なワンピースに、とびっきりのコーディネイト。おしゃまな気分でリップも塗って。
 夏真っ盛り。










 がたん、がたん、と揺れる電車の中で、彼はくぁ、と欠伸を一つ。
 吊り輪を握った手の袖口を見て、ほつれてきているのを確認。あぁ、やもめ暮らしの悲しさか。つくろってくれるような彼女もおらず、母は遠いふるさとだ。
 そもそも、彼はこのスーツを間違えて買ってしまったのだ。欲しかったのは、ダブルの紺色のサマー使用のリクルートスーツ。あぁ、どうして直ぐに変えてもらわなかったのか。田舎から出てきたばかりで、そんな事を言っていいのかどうかも解らなかったのだけれど。
 今は売切れてしまって、どこを探しても見つからない。カフスに入った模様が、とても洒落た感じで好みだった。
「きゃぁ!」
 丁度真後ろから悲鳴が上った。どうも少女のものらしい。が、頭を巡らせても、少女らしき服装は見当たらなかった。気のせいか、と思う事にして、彼は今日も営業のために炎天下の中歩き回る。電車から足を踏み出すと、夏の熱気に目を細めた。







 嘘でしょ――っ!?
 みなもは心の中で叫んだ。ついさっきまでの夏物のワンピースは、見る間に姿を変えたのだ。それも、男性用のスーツに。十三歳のみなもには男性のスーツの違いなどまるでわからないために、それが高いものなのかそう出ないのか、見当が付かない。とりあえず、次の駅で誰の目にもつかないように小走りでトイレに駆け込んだ。幸い、お手洗いは直ぐ傍だった。一つの個室に入って、ようやく落ち着いて自分の恰好を上からしたまで見回す。
 どう見てもスーツだ。
 何があったのか。スーツの男性にばかり囲まれていたから、それを見ていたら換わってしまったのだろうか。
 が、みなもの結論が出る前に、スーツはまた、見る間に夏物ワンピースに姿を変える。家を出たときと寸分変わらない。
 そろっと外に出て鏡で確認しても、異常なし。
「何だったのでしょうか?」
 首を傾げながら、みなもはこの駅に大きなデパートがあった事を思い出した。別に、どこ、という目的地を定めていたわけではない。ここで降りて行ってみようと決めた。
 この時点で引き返していれば、彼女の被害は比較的少なく済んだだろうが、人は予知能力を持ち合わせていないものである。







 今年こそはビキニを着たい。二十台最期。人生で一回くらいはビキニを、と思ったまま、ずるずる今年まで来てしまった。
 よって今年は、ボディーも完璧。こつこつ溜めた貯金だってあるし、美容院で似合う色を調べてもらってきた。
 彼女は誰にも見えないようにぐっと握りこぶしを作って、水着売り場で仁王立ち。一枚の水着を睨みつけるように見ていた。
 水色の単色で、白のインクでハイビスカスをペイントしたような、ここで一番ハイレグな水着。当然ビキニ。それを見て。
 買うか、買わないか。
 買うは一時の恥。買わないのは一生の後悔。
 女は度胸よ! 彼女は自分を鼓舞して、近くを通りがかった店員を呼び止めた。
「この水着をいただけるかしら?」
「はい。展示品限りとなりますがよろしいでしょうか?」
 見たところサイズは合いそうだが。
「試着をしても?」
「はい。試着室はカウンターの奥になっております」
 渡された水着を握り締めて、彼女は足を踏み出した、とそこで何かにけつまずいた。それを咄嗟に横から支えてくれたのは、素敵な青のワンピースを着た少女で。
「あら、ごめんなさい」
「いえ。お気になさらず」








 その女性が去ってから、みなもは脱力した。
 思い出したのだ。カードの文面を。
『触れたものの好みに変化する魔法の洋服』と。そう。着ているみなもではなく、たまたま触れてしまった人の好みに変化するわけだ。そしてここはデパート水着コーナー。意気込んだ女性とぶつかって、水着に変わってしまった。しかもビキニ。よりによってビキニ。
 他になかったの!? と叫びたくなるが、ここでビキニ姿で居たら不審なことこの上ない。
「ワンピース。水色と藍色のグラデーションのワンピース」
 呪文のように呟き、早く戻って、と祈るように思った。
「あ、このビキニ、素敵じゃない?」
 と、後ろから声。人が来た。どうする。どうする?
 逡巡は数秒。彼女は、自分でも意外な行動に出ていた。
「これは?」
「うーん、パレオでも合ったらねぇ」
「そうだよね。際どいよね」
 二人の少女の視線に曝されながら、みなもは微笑を浮かべてポーズをとったまま。このデパートで水着を着ていて最も不自然ではないもの。つまり、マネキンの真似。
「あっちの赤いのは?」
「赤は彼が嫌いなんだって」
「えー?」
 少女たちの声が遠ざかって、自分の恰好が元に戻っていると確認した瞬間、みなもは全速力でその場を後にした。脱兎の如く、とはまさしくこのこと、と思うほどに。
 走り去ったそこに、涙が散っていく。






 

 今一だ。
 少年はそう結論した。
 何が駄目かと聞かれたら、恐らく明日の朝まで語り続けられるだろうが、あえて二つに絞るなら。
 耳と、ヒールだ。
 耳はぴょこん、と片方だけが折れているのが、通のやり方だ。腰に白いまるっと可愛い尻尾をつけるなんていうのは、当たり前すぎて語る必要すらない。
 そしてヒール。赤い水着に黒の編みタイツなら、当然赤のピンヒールだろう。
 少年はとある店の看板である、バニーガールのパネルを見ながらそんな事を真剣に考え、やがて溜息をついた。
 受験から逃避するためとはいえ、変態じみている。諦めて塾に向かおう、と踵を返したとき、後ろから走ってきた少女に思いっきりぶつかった。
「きゃぁっ!」
 ころん、と転がったのは少年と同じか少し下の少女。え? と声を上げたのは同時だった。
「もぉ、これはあんまりです……っ」
 転ばせてしまったと差し出した手が、不自然に固まった。
 方耳だけぴこん、と折れた白兎のカチューシャ。赤いハイレグの水着に、黒の編みタイツ。その先にあるのだけは、白いサンダルだったが、少年は咄嗟に思った。これもイイ、と。
 そう。彼の好みの局地とも言える、バニーガール。
 固まった少年の隣を、少女は風の様に走り去った。まわりも、少年も沈黙する。たっぷり十秒はそこで固まって。少年は結論を出した。
「幻覚見るほど、疲れてるみたいだ。帰って寝よう」








 隠れる場所を探して視線を巡らせる。周りの視線が集まってくるのが解るのだ。それは、注目を浴びる恰好なのだから仕方がない。駅まであと少しというところでぶつかったのは、眼鏡をかけた大人しげな少年で。その少年の好みが、このマニアックなバニーガールだと誰が信じるだろうか。
 事実、その災難を身に一心に受けているみなもも信じがたい。
 ただ、取り敢えずは。
 隠れる場所。今すぐ元に戻ってくれるならそれでもいい。
 泣きそうな気分で彼女は走り。
 公園にまで走りこんで、そこで完全に固まった。前から歩いてくるのは、クラスメイト。咄嗟に視線を巡らせたが直ぐに隠れる場所などない。背を向けても、この青い髪で疑われるのは必至。けれど、幾ら夏休みだからと言って、こんな恰好で公園を歩いている所を、クラスメイトに見られるのは勘弁こうむる。どうするか、逡巡する。
 いっそ真正面から歩いて言って「ごきげんよう。夏休みは有意義にすごせていらっしゃる?」とでも聞いて見るか。
 少しばかり壊れた思考で考えた末。後ろからの多くの人の視線を感じて。
 ワンピース、と唱える余裕もないし、気持ちを強く、とも思いつかない。
 迷って。
 悩んで。
 躊躇って。
 結局。
 彼女は眼の前の噴水に飛び込んだのだった。



 追い詰められた末とはいえ、服が戻って、水から上ったときの空しさは言葉に出来ない。
 水浸しで電車に乗るわけにもいかず、日が傾きかけた道を、肩を落としてとぼとぼ歩く。足取りがこれ以上なく重い。
 ただ、一つだけ幸いな事が在るとすれば。
 全身ずぶぬれの彼女に接触してくる相手は居なかった為、家までは無事、ワンピース姿でたどり着けたのだった。
 やはり、父からの贈り物で碌なものはない。それでもその手触りに負けて、みなもはクローゼットの奥にしまいこんだ。いつか、強固な精神力を持って、この服を着こなせるようになる事を祈って。
 夏休みの、ある一日の出来事。






END