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唯一無二のカンペキファンタジー!
草間興信所はとても賑わっていた。いや、むしろ「いやに騒がしい」と表現する方が正確なのかもしれない。今回の依頼人は場末の私立探偵に会いに来うというだけで部屋に入り切らないほどのセキュリティーサービスを引き連れ、彼らに入口を見張らせアリを一匹も通さぬよう厳重な警戒をさせていた。もちろん彼らはここの主人である草間に許可を得てこれを実行している。せわしなく動く黒服を見ながら、彼はその行為が心の底から「バカバカしい」と思っていた。「そんなことよりも先に、この事務所のどこかにあるやも知れぬ盗聴機のチェックからしたらどうだ?」という言葉が油断するとつい喉から出てきそうになる。だがそれを口にして相手が真に受けてしまえば、本題に入る時間がどんどん伸びてしまう。そうなればまさに不毛だ。ここまで生真面目な人間に冗談じみたことを言うのはよくないと自らに言い聞かせ、草間はさっそく依頼の内容を聞こうと前のめりになって相手の顔を見る。そしてその顔をじーっと見てるうちに、自然とこんな言葉が出てきた。
「ア、アー、アイキャンノットイングリッシュ。」
「すみません。日本は長いんで、日本語はわかるんです。お気遣いありがとうございます。」
赤面しながら思わず咳払いする草間。彼がそう言いたくなる気持ちはわからないでもない。実は目の前に座っているのは外国人なのだ。茶色い髪と瞳を持つ青年は上品な濃紺のスーツを優雅に着こなしている。なんとこの男性、東京郊外にある総合テーマパーク『デビッドワールド』の日本総責任者なのだ。かなり前に交換した名刺にはフレイザーと書かれていた。これが彼の名前である。
「オホンオホン。いや〜、すまない。これは失礼なことをしたな。で、用件は何かな?」
「我々が運営しております『デビッドワールド』は子どもはおろか大人にも夢を与え続けることを目標に掲げ、それを貫く世界規模の企業でございます。先ほどお渡ししたパンフレットに詳細が書いてございますが、全世界の主要都市8箇所で休みなく運営しておりまして……」
「で、そんなデビッドワールドの社長がなぜお忍びでこんなところに?」
図星を突くとはまさにこのことだ。フレイザー社長は急に戸惑い始め、落ちつきなくその視線を宙に浮かべる。それを見て所長は確信した。トラブルだ……間違いない。彼はタバコに火をつけて相手が落ちつくのを気長に待つことにした。
草間の想像通り、社長の狼狽は長く続いた。そんな時、たまたま冷たい麦茶を出しにきた零と目が合い、乾いた声で短く笑った。零も微笑みながらコップを目の前のテーブルに差し出す。彼は出された麦茶を左手に持ち、それを急いで口に運んだ。そして十分に喉を潤してから話を続けた。
「実は昨日、我が社の社員食堂で集団食中毒が発生したのです。ほとんどの社員は適当な治療を受けて全快しましたが、それでもまだ十数人が静養しています。このままですと明日の営業が差し支えてしまうという緊急事態なのです。」
「俺はてっきり脅迫状の類が投げこまれたから犯人でも探せよとか言われると思ったが……なるほどね、そう来たか。」
「この事件を表沙汰にすることは我が社の、いや『デビッドワールド』の夢を崩すことになります。それを阻止するために草間さんに協力してもらいたいのです!」
「で、俺に代わりの人間を用意しろと。そう言うんだな?」
社長以下、全員がほぼ同時に草間の言葉で頷いた。どうやらこの『デビッドワールド』の社員教育は妙なところで徹底されているようだ。零はその姿に感心していたが、草間は逆に眉をひそめた。ほぼ完璧に計算し尽くされたファンタジーワールドの夢を崩さずに一日を乗り切ることができる人間などそうはいない。それこそ職業斡旋所に行った方がまだ望みがありそうな話だ。だがこんなオイシイ話はない。草間は脳みそをフル回転させながら、社長の話を黙って聞く。
「すでに他の場所でも代役の方を用意しております。草間さんには少しでも協力していただければと思い、訪問した次第で……」
「わかったわかった、こっちでも人を集めよう。だが今さらそいつらに分厚いマニュアルを読ませるわけにもいかない。だから社長さんには『草間興信所が用意した代役が社の規則から多少外れてるような行動や演出をしたとしても文句は一切言わない』と一筆書いてもらう。そうでなけりゃいくら金を積まれても、雇われた人間は拷問されるも同然だからな。」
「承知しました。ただし、代役をして下さった方はこの件に関しては他言無用でお願いします。従業員の施設やワールドタイムスケジュールなどの細かな部分もその一切を口外しないこと。それらの内容を記した誓約書を用意しましたので、皆様にはそちらにサインをして頂きますよう……」
「おいおい、どっちが依頼者かわからないな……ったく、完璧か。そんな性分じゃないから肩が凝るなぁ。」
草間はそんなことを言いながら、フレイザー社長との商談を進めていく。そこにひょっこり事務員のシュライン・エマが顔を出した。彼女は今まで零のお茶汲みを手伝いながらも依頼の内容を小耳に挟んでいた。うちで集めた人間に対してデビッドワールドのまともな指導ができない以上、何らかの手段を講じなければならない。彼女はそれを解決するアイデアを持って草間の座るソファーの後ろに立った。
「とりあえずは興信所の面々もこれに協力する形で行きましょうね。もしフレイザー社長がご希望の人数が揃わなかった時の保険として、ね。それはそれとして……こっちで集めた人たちにマニュアルを読ませる時間がないというのなら、こっちでプリント3ページほどのルールを作って配布しておきたいんですけど。」
「草間チームだけに伝わるローカルルールってところか?」
「そんなところね。デビッドワールドの世界観を崩さないような効果音を場内アナウンスに使うスピーカーを通して数回鳴らすの。その回数に応じていろんな指示を用意しておけばいいのよ。集合とか退場とか……本当は扮装した監視員みたいな人がテーマパークにピッタリの装飾を施した拡声器で知らせた方がより適確に指示できるんだけど。」
彼女のアイデアはすぐフレイザー社長に採用され、さらに他で集めている代役にもそれを適応するよう社員に指示を下した。彼らはさっと数人集まったかと思うと、部屋の隅でミーティングを始める。シュラインの話を筆記していた男性が中心となって詳しい内容を話し合った。完璧を求めるには、やはり完璧なブレーンが必要なのだろうか。提案を持っていかれたシュラインだが、そんな細かいことは気にしない。今度は零に向かって話しかけた。
「ね、零ちゃん。あんまりこういう場所に行かないんじゃない?」
「行ったことはあるかもしれませんけど、お仕事ではちょっと……」
「だったら、着ぐるみの中に入ってみたら? ほら、このパンフレットに『ウサギのライラちゃん』っているのよ。主役の『犬のデビッドくん』の仲間らしいんだけど、あんまり他の動物さんたちと絡む必要もないみたいだし。それに零ちゃんは体力あるから。」
「零、もしやるんだったらたくさん手ぬぐい持っていけ。額から流れてくる汗が目に入るとものすごく痛いんだ。それで瞬きしてる最中に子どもにでも当たると一大事だ。」
「わかりました。じゃあやってみますね。」
零は一瞬だけ自分が作ったウサギのぬいぐるみに目をやる。その目はとても嬉しそうだ。シュラインも笑顔でそれを見ていた。そしてそろそろ代役集めに電話をと思って書類が山積みになっている机に行こうとしたその時、社長に断ってタバコの火をつけた草間に一声かける。
「あ、武彦さん。あっちでは禁煙よ。衣装に穴あけてもらっても困るし。」
「ゴホゴホッ……衣装だと! 俺が何をするんだ?!」
「そんなこと当日にならないとわからないじゃない。私も覚悟してるんだから、武彦さんも覚悟した方がいいわよ。」
「俺はそんなことしないぞ。なんだってそんな真似を……」
「あらあら、そうなると儲けがひとり分減るわねぇ〜。いいのかしら、こんな割りのいい話を自分から蹴っちゃって。」
傍観を決めこんでいた草間に一杯食わせたシュラインは、反撃が来ないうちに受話器と連絡簿を取り出して自分の仕事を始めた。黙っていればふたりが働くだけで3人分の報酬が手にできたかもしれないのに……ガックリと肩を落とす草間。しかしフレイザー社長は彼に聞こえるくらいの音で舌打ちした。顔の前では人差し指を左右に揺らしている。
「チッチッチッ、『働かざるもの食うべからず』ですよ。」
「ビックリするほど完璧で涙が出そうだよ、まったく……」
吸いかけのタバコを強く灰皿に押しつけ、草間は窓の側に近づいて軽く体操を始めた。零に偉そうなことを言っておきながら自分が失敗したのでは情けないことこの上ない。多少のプレッシャーを感じながら、準備体操に余念のない草間。そして舞台は夢の世界へと移るのであった。
デビッドワールドの朝は早い。抜けるような青空の下、入場ゲート前には多くの観光客がいくつもの列を作って今か今かと開園を待っていた。ゲートからはいくつもアーチが伸びており、並ぶ人たちは日影で暑さをしのいでいる。大人たちはデビッドくんの帽子をかぶった従業員から配られたうちわやサンバイザーを使っている。今日も暑い一日になりそうだ。小さな子どもたちの興奮する声はあとわずかな時間で会場の中で木霊するだろう。
そんな外とは対照的に、従業員や代役の人々は地下に作られた巨大な管制室で打ち合わせをしていた。すでに外で帽子などを配っている女性スタッフやアトラクションの点検を行っている作業員の姿はない。ここで働いている大部分の人間は事前にスタンバイを終えているのだ。あとは代役を任されたメンバーが希望する場所の衣装を着て移動するだけだ。フレイザー社長を交えてのミーティングをつい先ほど終え、シュラインは移動販売スタッフの衣装に身を包んで草間チームの面々の前に立っていた。
「えーっと、それじゃ最終確認ね。ルドルフくんは『犬のデビッドくん』に入る、と。」
「ワンワン♪」
「っていうか、もう入ってるわね。悪いんだけど零ちゃんが同じような役をやってるから、最初だけでいいから付き添ってくれないかしら。私は私でちゃんと仕事を割り振られてるし。なるべく零ちゃんから離れないように移動するつもりだけど、本当にそれができるかどうかわからないから。」
「りょーかい。お昼は地下で着ぐるみを脱いでから、お客の振りして買い物すればいいんでしょ? まさか食中毒のあった地下食堂で食えとか言わないよねぇ?」
ルドルフは周囲の目も気にせず堂々と疑問を口にした。しかしシュラインも動じない。
「食堂は完全滅菌中だから入れないわよ。さっきみんなに配られた臨時従業員証を従業員にこっそり見せれば、あたかも精算をしたかのような対応をしてくれるから。お昼も夜もタダで食事できるから安心してね。」
「おお、無料と書いてタダと読む!」
「シオン、わかってるな。お前は遠慮しろよ。もし我慢できないのなら、フルコースの出るレストランに入ってメシを食え。間違っても売り物に手を出すんじゃないぞ?」
シュラインと同じ販売スタッフの服を着ているシオン・レ・ハイは目を輝かせながら臨時従業員証を見つめている。これであんなものやこんなものが食べ放題になってしまうとは……すっかりハイになってしまった彼は目の前のウエイターに注文の練習を始める。相手はずいぶん若い男で櫻 紫桜といい、風貌や年齢に似合わない落ちついた口調で応対した。
「あーあー、すみません。このデビッドフルコースをひとつお願いします。」
「かしこまりました。お飲み物はメインディッシュの後にお持ちしますか、それともご一緒に……」
「あれ? 紫桜さん、さっき『アルバイトは初めてだ』って言ってたわりにはずいぶんとお上手じゃないですか。」
「基本的なセリフは実際に働いてらっしゃる従業員さんにお聞きしました。ある程度は大丈夫だと思います。」
「相手を不快にさえさせなければ大丈夫ですよ。で……あなたは何をなさるんですか?」
シオンが言う『あなた』はデビッドくんの耳付き帽子をかぶって、いかにも冒険野郎のような衣装に身を包んでいた。食べ物を売るわけでもなさそうだし、とてもウエイターとは思えない。何度も何度も頭からつま先まで見るが何をするのか想像もつかないシオンに向かって、彼は底抜けの笑顔で説明する。
「俺、桐生 暁! この衣装、様になってるでしょ〜。今日はジャングルクルーズのお兄さんになってみようと思ってるんだ。ちゃんとマニュアルも暗記してきたんだぜ。」
「チャレンジャーですね〜。乗り物系ですか。」
「これでも劇団付属養成所の特待生だから。俺、結構バイトやってるから今回はここでしかできないようなのにチャレンジしようと思ってさ。」
「じゃあ後ほどお手並み拝見しましょうかねぇ。」
「あ、その時は俺も暁クンのやつに乗る〜。」
これからお仕事だというのにすっかり観光に浸っているルドルフとシオン。あんまりにもはしゃぐいい大人と子どもを前に、暁も思わず「ああ、いいよ」と返事させられてしまう始末。草間もシュラインも微妙な表情を浮かべてはいたが、特に注意することなく放置した。彼らが仕事を放棄しても子どもたちの夢を壊すわけではないし、最低限の仕事さえしてくれれば文句はないと考えたのだ。
そして時間が来た。草間チームは持ち場に向かってしばし離れ離れになったが、草間だけは万が一の場合に備えて管制室に残ることになった。しかし彼の姿も普通ではない。なぜか悪の大首領のようなコスチュームを着せられていた。なんでもフレイザー社長によれば、草間は不必要なことをしたメンバーにお仕置きをする立場にあるのでこれを着せたという。要するにこの姿でバカをやった奴を表から引っ張って、ここでムチを片手に説教をしろということらしい。草間は初めて、ここの『完璧』というものに疑問符をつけた。いったいこの衣装に何の意味があるというのだろうか?
開園と同時に花火が打ち上がり、デビッドワールドの長い一日が始まった。移動販売機の近くをうろちょろするのは、デビッドワールドのメインキャラクター『犬のデビッドくん』と影の薄い『ウサギのライラちゃん』である。通りかかる親子連れに手を振りつつ、写真を求められればそれなりの愛嬌を振りまく。特にデビッドの中に入っているルドルフのサービスは抜群。噴水の側で従業員が配っていた風船をいくつかもらい、それを子どもたちに配っては頭を撫でる。その隣でライラが手を振ると、もう子どもたちは大喜び。ふたりの行動パターンがある程度確立したところで、シュラインはふうっと息をついた。
「最初はどうなるかと思ったけど、零ちゃんもがんばってるわね。よかったよかった。」
「おねーちゃん、ポップコーン2つちょうだい!」
「ああ、はいはい。これわね〜、海の味がするポップコーンなのよ〜。」
シュラインが販売しているのは期間限定の浜塩味のポップコーンだ。横の装置のスイッチを押すだけで自動的にできたてのポップコーンが保温器に落ちてくる仕組みである。あとはそれを箱に詰めて渡すだけという非常に楽な作業だ。こんな仕事でもなければ、周囲の様子など伺っていられない。彼女は手際よく2箱分作ると、それを紙容器でできた箱に収めて女の子に渡した。これも簡単に落ちないように工夫された作りのものである。
「はい。慌てて落としちゃダメよ。」
「ありがとー、お姉ちゃん!」
「楽しんできてね〜。」
ちょっとおめかししたお嬢ちゃんが去った後もシュラインのポップコーン屋さんにはたくさんの人が集まる。デビッドくんとライラちゃんがセットでいるのが原因だ。親にポップコーンを買ってもらってから写真撮影するケースも少なくなく、いたいけな子どもはライラに『ポップコーン一粒あげる♪』と口元に差し出した。
シュラインは思わず息を飲んだ。零にはそんな時の対応をまったく教えていない。手を振ったり大きく頷いたりするだけでいいとしか伝えていないから、こういう時のアドリブが利くかどうかはすべて彼女次第だ。手はしっかりと仕事をしながらも、心ここにあらずのシュライン。デビッドの中に入っているルドルフもフォローに回ろうとするが、喋ることを禁止されているので行動の意図を伝達する手段がない。代わりにぱくっと食べてもいいのだが、子どものリクエストはあくまでもライラ。もしかしたらルドルフの行動で子どもを泣かせてしまうかもしれない。従業員の間だけに張り詰めた空気が漂った。
しかしライラはそのポップコーンに軽くキスをすると、それを子どもの口元へと返した。子どもはそれを嬉しそうに頬張り、そのまま彼女の脚に抱きついて笑顔を振りまく。零もその子の髪をやさしく撫でながら身体を揺らした。親は「今がシャッターチャンスだ」と大騒ぎ。カメラをふたりに向けてシャッターを切っていた。
「零ちゃん……もう、心配させるんだから。」
そういうシュラインの表情が親子連れよりも嬉しそうだったのが、とても印象的だった。
噴水通りを越えた先はマスコットたちが住むというデビッドカントリーがある。開拓期時代のアメリカの街並みを思わせるような雰囲気の漂うここはたくさんのおみやげ物を取り扱う所だ。デビッドとその仲間たちのぬいぐるみやクッキー、ビスケットなどが所狭しと並んでいる。開園早々ではあるが、ここもたくさんのお客さんでごった返していた。しかし、なぜか一番繁盛しているのはアイスクリーム屋さんだった。中のレジに並ぶ人など比にならないほどの多さに、シュラインは思わず首を傾げる。
「どうなってるのよ。アイスクリームはおみやげ物じゃないわよ。なのになんで……」
ところが子どもたちが手に持ったアイスを見て初めてわかった。そのアイスはウサギの形にかわいくトッピングされていたのだ。思わず自分を指差すライラこと零。すでに『自分がライラである』という自覚ができてしまったようだ。しばらくするとアイスを買ってもらった子どもたちはデビッドくんたちに気づき、ライラの顔の前にアイスを出して「そっくりだー!」などと楽しそうに笑った。シュラインはその隙に売り場へと視線を飛ばす。なんとこのアイスを作っているのはあのシオンだった。なんとも器用な手つきでチョコやウエハースをトッピングし、いとも簡単にウサギの形にしていく。それを見た従業員がシオンの作品を売りこもうと、『本日限定』の文字を躍らせた手書きのポップで客を呼ぶ。そして積極的な呼びこみも行う一方で、なんとかしてシオンのテクニックを盗もうと隣で従業員がふたりほど修行していた。その店はクレープもやっているのだが、今日はもはやアイスクリーム専門店の様相である。
「……これは別の意味でスゴいわね。ルール違反じゃないけど、なんか反則っぽい……」
シュラインもルドルフも完全に引いてしまっていた。恐るべしシオン、恐るべしそのテク。そのせいもあってか、零はこの後も秘密の従業員出入口まで子どもたちに騒がれる存在となってしまい、今日ばかりはデビッド並みの人気を誇るキャラに変貌してしまった。もちろん管制室の連中がこれに目をつけたのは言うまでもあるまい。
開園から数時間が過ぎた。ルドルフは別のエリアにデビッドを登場させるため、ここでいったんお役御免となった。ところがライラはシオンの作ったアイスクリームの関係から、噴水広場から実際に販売している場所に配置したいとのことで零が引き続き着ぐるみの中に入ることが決定。すっかり汗だらけになった零はシュラインとともにシャワールームでリフレッシュしている。零の仕事を増やした張本人であるシオンは昼休みと称して何かを食べに行こうと管制室に戻ってきていた。草間はシオンを睨もうとしたが、結果的にはいいことをしているので邪険に扱うわけにもいかない。微妙な感情を胸にそっと秘めたまま、彼はムチを地面で蛇のようにくねらせていた。それは悩ましい心の内を表現しているかのようである。
ルドルフはいつもの姿に、そしてシオンはなぜか整備員の服を着崩し、とりあえずは昼食を楽しもうと園内に繰り出した。もちろん行く先は同じ仲間である紫桜のいるシーサイドレストランである。別に昼食をファーストフードで済ませてもよかったのだが、何を食べてもタダなのでこういう時こそ高いものを食べようとそっちに向かったのだ。ふたりはお互いの仕事っぷりを誉めながら歩き、ようやくレストランにたどり着いた。
「いらっしゃいませ、シーサイドレストランへ……と、誰かと思えばルドルフさんとシオンさんじゃないですか。もうお昼休みですか?」
「ピンポーン。この後、ふたりでジャングルクルーズで暁クンの仕事っぷりを見てくるのさ。」
「いや〜、紫桜さんもバッチリここにマッチしてますよ。初めてのアルバイトとは思えませんね。」
「今まではなんとか無難にやらせて頂いております。とりあえずテーブルにご案内いたします、どうぞ。」
偶然にも紫桜がテーブルの係になった。ルドルフは「これでワガママ言い放題!」と思っていたが、生真面目な彼には冗談が通じなさそうなのであんまり無茶は言わないことにした。ここはディナータイムになるとフルコースなどを注文することができるレストランだったが、ふたりともフォークとナイフが何本も並ぶとややこしいし食べた気がしないということで、海の幸を満載した大皿を頼むことで意見が一致。紫桜にメニューを伝えた。彼はそれを聞いていったんは厨房に下がったが、すぐ仲間のいるテーブルに戻ってきた。もちろん料理など持っていない。何も聞かないうちからガックリと肩を落とすルドルフ。
「えー、まさか売り切れ〜っ?」
「違いますよ。皆さんがお連れの方と一緒に食事したらどうかと言われたので、今だけ俺は客です。食事は後から来ますよ。」
「よかった〜。あ、俺たちタダで食べるんだから、その辺もレジ係に伝えといてね。」
「おっ、そういえば紫桜さんは上着を脱いでらっしゃいますね。ようやく休憩といったところですか?」
「そうですね。とりあえずお疲れ様です。皆さんどうでしたか、お仕事は。」
初めてのアルバイトをこなす紫桜の興味は他のメンバーの仕事にあるようだ。シオンは丁寧に答える。
「私はウサギちゃんアイスを作ったら周囲が大騒ぎになっただけですね。」
「それって決して『なっただけ』じゃないですよね、話の規模としては。」
「鋭いね、紫桜クン。本当に売り場スゴかったんだから。おかげでデビッドが主役なのに不人気になっちゃった。」
「意図していないところでウサギちゃんをブレイクさせてしまったらしいです。個人的にはとっても嬉しいんですけどね。」
「そういうのは求められてもできるかどうかわかりませんね。アルバイトは難しいですね。」
「紫桜さんはがんばってると思いますよ。そつなくこなすってのも立派なものです。」
「そうですか、ありがとうございます。」
そんなことを話しているうちにテーブルに皿が並べられ、ど真ん中に注文の品がどーんと置かれた。3人は思い思いのペースで食事や会話を楽しんだ。すると紫桜が夕方から夜にあるというパレードでアクションをやってほしいと草間に言われたことを明かす。食い気満点のふたりはそんなことは一切聞かされていない……彼らは大いに驚いた。
「もぐもぐ……んぐ。で、紫桜クンは何するの?」
「テーマパークの大型ビジョンで活躍する正義のヒーローらしいです。あんまりおどけた芝居とかができないと伝えたら、ならこっちでということで。でも草間さんがもうそれっぽい格好してませんでしたか? あの衣装が悪の親玉らしいのですが……」
「あれ? でも本人はアトラクションとか物売りでおかしなことをした代役の人たちをさらっていく役だって言ってましたけど?」
「じゃあ、もう騙されてるんですね。」
「……一歩間違えば私たちが餌食になるところでしたね、ルドルフさん。」
「もぐもぐ。どっちかっていうと、紫桜クンのリアクションの冷たさが気になったかな。俺は。」
果たして自分たちは何をやらされるのだろう……一抹の不安を覚えつつ、それを飲みこんでしまおうと必死に食べるふたりであった。この後、彼らは3度の追加オーダーをした。ただ誤解のないように言っておくが、紫桜も育ち盛りということもあってかふたりに負けず劣らずガッツリ食べていた。きっと仕事から解放されて緊張の糸が緩んだのもその一因なのだろう。
お腹いっぱいになったルドルフとシオンは再び仕事に戻った紫桜にしばしの別れを告げ、今度は暁の働くジャングルクルーズに出かけた。水辺のレストランから目的地までは意外にも近いのだが、こういったテーマパークではもはやお約束の大行列が彼らの行く手を阻む。最後尾には看板がかけられており、ここから並ぶと約1時間は待たなければならない。ルドルフは得意の瞬間移動で最前列まで行こうとしたその時、シオンがそれを制止した。
「ちょちょ……ルドルフさん、ちょっと待って下さい。」
「なんだよー、俺は絶対に並ばないよ!」
「私だって並ぶ気なんかこれっぽっちもありませんよ。だから堂々と行くんです。」
「あっ、その作業服はデビッドワールドの作業員専用の……!」
「ちゃんと暁さんが乗ってる船のナンバーも控えてあります。完璧です。あー、お客様すみませんー。」
そんなことを話しつつ「安全確認ですよー」と言いながら堂々と列を突っ切っていくふたり。ルドルフはとっさにシオンの帽子だけ失敬したおかげで誰にも疑われずに乗り場へと入りこめた。そしてタイミングを計って暁の担当している船にお客さんと混ざってさっさと最後部に乗りこんだ。シオンの胸には『動作確認中』と書かれた札がかけられている。一緒に乗った人たちはふたりのことを気にも留めなかったが、笑顔で乗客を迎える暁には異様に映っていた。そして全員が乗りこんだ時に乗り口を閉じる作業をする振りをして近づき、迷惑な客に向かって悪態をついた。
「おいアンタ、何が『動作確認中』だ。まぁそんなカッコしてるんだ、どーせズルして乗りこんだんだろうけどさ。」
「モロバレですね。さすがは暁さん。」
「だから俺のテレポートの方がバレなくてよかったんだよー。怒られちゃったじゃないかー。」
「ルドルフ……お前もお前でなぁ。」
どっちにせよマトモに並ぶ気はないふたりの顔を見て、暁はやれやれと言わんばかりに大きな溜め息をついた。ところがすぐにシャキッとした表情に戻ったかと思うと、さっさと前方に向かって歩いていく。その頃にはすでに『お兄さん』へと変貌していた。出発前から冒険を盛り上げる暁の言葉に素直に反応する子どもと約2名。暁はなるべく彼らがいることをなるべく意識せずに進行しようと心に決めた。
ところがアトラクションが進めど進めど、リアクションの大きさではふたりが一番。暁は子どもよりもはしゃぐあのコンビを意識せずにはいられない。何かセリフを言うたびに、つい後方を見てしまう。別にそれで暁の盛り上げが悪くなることはなく、子どもたちはわくわくしながら手の届かない場所で踊っているデビッドくんたちに声をかけたりして楽しんでいた。しかし、暁はふたりに対して特に苛立ってはいなかった。なぜなら彼らが不用意にも最後部に座っていたのだから。
ジャングルクルーズも終盤に差しかかった頃、恐怖を煽るような音楽が突然として鳴り出した。そして少し船体が浮いたかと思うと、船底から奇怪な叫び声が響くではないか。それはルドルフたちの座席にまで伝わった。
「おっと……みなさん、ごめんなさ〜い。僕が近道を選んだせいで川の主を起こしてしまったようです。」
「主?」
「おとなしくしていれば大丈夫だとは思うのですが……ああっダメだ! やぱり主の怒りに触れてしまった! 川の主が、主が大きな口を開けて迫ってきます!」
実際に見ると聞くでは大違い。シオンは何気なしに後ろを向いた……するとそこにはリアルな造型で動く巨大なワニさんが鋭い牙を剥き出しにして目の前まで接近しているではないか! さすがのルドルフもその精巧な動きに一瞬のけぞった。もちろん子どもたちからも悲鳴があがる。暁は必死に笑いをこらえながら、懸命のアナウンスを続ける。
「い、今っ、乗り場に向けて全速力で進んでいますが、道が蛇のように曲がっているのでなかなかうまくいきません!」
「あわわわわわ……ひいいぃぃぃっ!」
「水がっ! ヨダレが飛んでくるっ! 冷たいっ!!」
「もう少しで安全な場所に着くのですが……ああっ、大きな前足を水面に打ちつけて怒りを僕たちにぶつけてきます!」
バシャーーーーーン! バシャーーーーーン!!
主の怒りのほとんどはシオンとルドルフがかぶる格好になってしまった。実はこの辺の演出は暁が隠し持っているリモコンで好きなように操作ができるのだ。そんなことなど露知らず、ふたりはこれでもかこれでもかと最後までナイスリアクションを見せてくれる。阿鼻叫喚の約9割はふたりの悲鳴だった。
そしてクルーズが終わる頃にはふたりはすでにぐったりしていた。降り場に着いてもまったく動く気配がない。特にシオンは気絶寸前で立ち上がることすらままならない有様だった。他のお客さんに愛想を振り撒き、そして泣き出しそうな子どもの頭を撫でたりして全員を下ろした後で最後部へとやってきた。
「アンタらも楽しかった〜?」
「わ、私、ちょっとアトラクション舐めてましたかね。ちょっと迫力に負けました。」
「リアリティありすぎるんじゃないの、これ。暁クンさ、これ後ろに乗った子どもは泣くと思うよ?」
全身ずぶ濡れになったふたりがお兄さんにブーブー言うと、こんな言葉が返ってきた。
「アンタ、ガイドブック読んでないでしょ。ジャングルクルーズの一番後ろの席は『水かぶり席』なんだよ。だからクルーズの係員はみんなその辺を配慮してお客さんを乗せるの。後ろに行きたがるのは年に何回も来るマニアとか、ちょっとスリルを味わいたいカップルとかなんだって。でも今回は俺が悪いわけじゃないよ。どっかりと腰を据えたのはアンタらなんだから。」
「あっ、そういえばっ!!」
「し、しまった……小細工が裏目に出た。さ、最悪ですね。」
シオンが作業員の服を着ているからとお客さんに配慮して一番後ろに乗ったことが最大の原因らしい。あっけに取られるふたりは一気に疲れが出たようでその場にへたりこんだ。それでも暁は容赦なくふたりを立たせる。自分にはまだ別の仕事があるという。その言葉を聞いてルドルフは立ち上がった。
「あっ! それってパレードのこと?!」
「ああ、聞いてないの? 衣装合わせもあるから今から行くんだけど。甘いもの食べてからゆっくりと。」
「じゃあ私特製のウサギのアイスクリームはいかがですか?」
それを聞いていきなり元気になるシオン。そしてそのまま暁の手を引いてあの場所へ向かった。ルドルフもご相伴に預かろうと一緒についていく。
暁の休憩から夕方まではパレードの衣装合わせや打ち合わせでスケジュールが埋まった。パレードの中心部に設けられたステージでアクションショーを繰り広げられることになっている。ここの担当は草間チームに割り振られた。草間はそのまま悪の幹部、シュラインはなぜか悪の女幹部、暁がビジュアル系悪役をすることになった。零はパレードの脇に立ってまたもやライラちゃんの着ぐるみ要員に駆り出されたが、シオンとルドルフは特に役を与えられておらず自由行動にされていた。ところがルドルフが空を飛びたいと言い出したので、急遽シュラインが衣装係に頼んで木の葉で作ったような服を用意してもらうことにした。
まさか顔出しするとは思ってもみなかった草間は大慌てだったが、時すでに遅し。最初からフレイザー社長の罠にハメられていたのである。シュラインにはいくつかの役が提示されていたが、ほとんど即決に近い形で露出の多い女幹部を選んだ。おそらく草間のフォローをするためだろう。誰もがそう思っていた。暁が悪役をするのは、自ら『オーバーアクションなどができない』と言っていた紫桜を正義のヒーローに据えるためである。それでも彼は紫のウイッグや装飾品を身につけると、ずいぶんとご機嫌になった。ここまで凝った衣装に身を包むことは少ないそうで、打ち合わせ当初からすっかり役に入りこんでいた。
打ち合わせと言っても普段のショーと同じことをする必要はないと草間から伝達があった。今からいつもと同じことをしようと準備してもとうてい間に合わない。今日に限っては『スペシャルショー』と銘打っているので脚本も何も用意されていないのだ。舞台の尺がパレードの進行と合わなくても構わないとの確約をもらっていたので、適当に紫桜と暁が殺陣を打ち合わせたりして本番に備えた。
そして本番。闇夜を照らす明るいパレードがテーマパークを移動する中、移動ステージでは荘厳なテーマに乗ってムチを持った男女が登場した。ライトの加減なのか、妙にシュラインが悪そうな人に見える。そして草間とシュラインがやり取りする中で、魔剣使いの戦士を召喚することになった。その瞬間、暁が天井からさっそうと現れる。そして3人はそれっぽいポーズを取り、まずは観客を沸かせた。するとそこに刀を持った正義の戦士が現れる!
「お前たちの悪事……許しはしない!」
「懲りずに来たな。ふっふっふ、行け魔剣戦士よ!」
「武彦さん、あれだけ嫌がってたわりにはノリノリじゃない……こんな露出の多い衣装なんか着る必要なかった。はぁ。」
シュラインの溜め息が漏れる中、紫桜と暁の戦いが始まる。紫色の髪が揺れるほど激しい立ち回りをみせる暁に対し、それを冷静に見極める紫桜。そして斬りかかってくる時は必ずお互いに剣で受け、鍔迫り合いや力勝負をして観客を沸かせる。演技とわかった上でやっているからいいものの、それでもごくたまに暁はカポエラの蹴りを繰り出したり、紫桜はかなり強く剣を振ったりしてしまう。その度にシュラインがセリフを挟んだり、ムチを地面に叩きつけてふたりを我に返らせるのだ。
「申し訳ない。ちょっと熱くなった。」
「俺も悪りぃ。つい声援でマジにやっちまう。」
ショーは大盛況のまま、前へ前へと進んでいく。別の車には零の入ったライラがいるし、空を自由気ままに飛ぶルドルフもいる。そんな彼らをお客さんに混じってメシを食らいながら応援するシオンの姿もあった。夢の時間はまだまだ終わりそうにない。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号/ PC名 /性別/ 年齢 / 職業】
2783/馴鹿・ルドルフ /男性/15歳/トナカイ
0086/シュライン・エマ /女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
4782/桐生・暁 /男性/17歳/高校生アルバイター、トランスのギター担当
3356/シオン・レ・ハイ /男性/42歳/びんぼーにん
5453/櫻・紫桜 /男性/15歳/普通の高校生、のはず
(※登場人物の各種紹介は、受注の順番に掲載させて頂いております。)
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■ ライター通信 ■
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皆さんこんばんわ、市川 智彦です。納品までにお時間を頂き、本当に申し訳ありません。
今回は久しぶりに草間興信所からの依頼を書かせて頂きました。しかもかなりメルヘン。
参加して下さった皆さんそれぞれの見せ場を作ることを心がけましたがいかがでしょうか?
シュラインさん、いつもありがとうございます〜。今回は準備から大変でしたね(笑)。
前半は興信所の仲間たちとしての描写を気持ち多めに書かせて頂きました。
ステージでかなり過激な衣装を着ていますが、きっと武彦さんに合わせたんでしょうね!
今回は本当にありがとうございました。皆さんも遊園地に行きたくなりました?(笑)
また通常依頼やシチュノベ、特撮ヒーロー系やご近所異界などでお会いしましょう!
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