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<東京怪談ノベル(シングル)>


うたた寝


 シルバーアクセサリーショップ「NEXUS」が、とある雑誌の取材を受けた。
 とはいえ、雑誌も決してメジャーなものではないし、載った記事自体、非常に小さなものだった。
 が、しかし。それ以来、ショップに足を運ぶ客の数が目に見えて増加したというのは、紛れもない事実でもある。
 元々、扱うデザインも幅広く、且つ、値段もピンからキリまで設定してあるという利点もあって、どちらかといえば繁盛している店だったといえよう。それがさらに人気を獲得し始めた原因となったのは、掲載されたその小さな記事に書かれた紹介文句の影響だろうか。
 ――ワイルドな印象のイケメンオーナーと、まったく逆の魅力を備えたレア店員。この二人、実は双子の兄弟だっていうのだけれど、本当に違ったルックスで、どちらももちろん魅力的。
 そんなような紹介文が載ったせいか、店の中は、女性客で溢れかえっているのだ。おかげで、売れ行きも上々。ここしばらく、帳簿をつけるのも(一苦労だが)楽しい。

「……あいつめ。また帳簿付けなんかを後回しで、遊びに行ったな」
 
 兄が一人暮しをしている部屋のドアを開けて、開口一番。弧呂丸はため息交じりにそう一人ごちて、薄っすらと汗をかいた額に手をあてた。
 手に持っているのは、近所のコンビニで買ってきた緑茶のペットボトルが二本。一緒に詰めたアイスクリームは、夏の陽射しで若干とけはじめている。
 額にあてた手の平は、ペットボトルとアイスのせいで、ひんやりと心地良く冷えていた。
 
 弧呂丸は、高峯家の稼業に従事している。
 高峯家が代々継いできたのは、呪禁師と呼ばれる生業だ。人の心を慰め、時には秘伝の薬などを調合し、施す。現代で言う所の、心療に関するカウンセラー的な役割だといえようか。
 しかしその裏側では、呪詛医療から退魔まで、実に幅広くこなしている家柄でもある。
 弧呂丸は、その高峯家の後継ぎの候補として数えられている存在なのだが、その事に関して弧呂丸本人がどのように思慮しているかなど、それは当人にしか知れぬこと。
 ともかくも。無人の部屋へと足を踏み入れた弧呂丸の出で立ちは、淡い藤色の和装。勤めを終えたその足で向かってきたのだろうと思われる。少しばかり眠たげな表情に、疲れの色が浮かんでいた。
「全く。何度言っても聞きやしない」
 恨み言を呟きながら部屋を歩き進めると、部屋のあちこちで息を潜ませている霊の類いの数々が、しずしずと身を潜めていった。
「いつもいつもいつも。洗濯物からなにから出しっぱなしだ。あいつは本当に、私の声を聞いているのだろうか」
 一人暮しの割りには大きめの冷蔵庫に緑茶とアイスをしまい、替りに冷えたミネラルウォーターを取り出して、それを一気にあおる。夏の天候で熱を帯びていた全身が、一息に冷えていくような気がした。
 ミネラルウォーターのペットボトルをカラにすると、弧呂丸は再びずかずかと部屋を縦断し、閉ざされていた窓に指をかけた。
 それを開放すると、途端に涼やかな風が部屋の中をみたしていく。
(俺の部屋は真夏でもクーラーいらずなのさ)
 そう言って笑っていた兄の顔が浮かぶ。弧呂丸はムウと小さな唸り声をあげ、不快を露わにした顔で、窓の外に視線を向けた。

 閑静な住宅街だ。都心近くの物件で、この静寂さは、もしかしたら貴重なのかもしれない。
 間取りも、一人暮しには充分な広さを保有している。階も上の方にあり、車の往来も少なく、小鳥や虫の声さえもが聞こえてくるような部屋なのだ。
 好条件を備えた部屋だと云えるだろう。本来ならば賃貸料ももう少し高めであるであろうその部屋で、弧呂丸の兄が暮らしていけるというのは、まさに、この部屋が霊的な存在の出没例が多く報告されている、いわゆる”いわくつき”な物件であるからに他ならない。
「……あいつならきっと、居候してる身なんだから、家賃を少しカンパしやがれとかなんとか言うんだろうな」
 部屋の至るところに点在している霊の存在の痕跡を眺めつつ、弧呂丸はふと首を傾げる。
「……なんて、無茶な話ですよね」
 呟き、踵を返す。
 部屋のあちこちに居る、器を持たぬ同居人達。
「あなた達も、早く常世に渡ることです。でないと、」
 言いかけて口をつぐむ。
 なぜか、自分がひどく無粋なことを口にしているような気がしたからだ。
 
 少なくとも、この部屋にいる霊達は、弧呂丸がこれまで対峙してきた怨嗟を抱え持った霊とは、違った存在であるような気がしたからだ。
 不穏ではなく、どこかからっとした夏の空のような印象を放っているものさえいる。
 弧呂丸はふと小さなため息をこぼすと、踵を返し、和装の袖を捲り上げた。

 カゴにつんであった洗濯物は洗濯機に突っ込む。
 流し台につんであった食器の類いは、慣れた動作で手早く洗い、片付ける。
 フローリングの床には掃除機をかけ、軽くぞうきんがけまでする。
 そうこうしている間に洗濯機が洗濯の終了を知らせた。それをカゴにいれてベランダへと向かい、弧呂丸は、ふと首を傾げて空の色を確かめた。
 
 空の色は、もうすっかりオレンジ色だ。
 どこからか、夕方を知らせる音楽が鳴り響いてくる。

「こんな時間から干すのは……少し気がひけるが」
 わずかに躊躇した後に、大きくかぶりを振って、ベランダの干し竿に手を伸ばす。
「こんなに溜めこんでおくのが悪い。……全く」
 呟き、シャツを丁寧に伸ばしながら吊るしていった。

 気付けば、時計は19時をさしていた。
 あまりにも静かであったので、なんとなくつけたテレビの画面に目を向ける。
 テーブルの上には数枚の紙。NEXUSを経営していく上で必要な、会計やら何やらに関するものが並べられている。
 黒革のソファーに座り、電卓を打つ手をしばし止めて、弧呂丸は、ふと頬づえをつく。
 テレビでは、今まで見たこともない、子供向けのアニメが流れていた。
 
 ――――そういえば。
 そういえば子供の頃は、二人で一緒にこうやってテレビを見たりしていたな。

 テレビの中で、数人の子供達が可愛らしい動物を連れて旅をしている。
 
「旅か……」
 一人ごちて目を細める。網戸のベランダから流れてきた夜風が、弧呂丸の頬をそっと撫でて過ぎていった。
「……はやく帰ってこないか。……全く」
 恨み言を口にする。
 しかし、その言葉の続きは、大きな欠伸によってさえぎられた。

 
 つけっぱなしになっていたテレビを、誰かが消したような気配がした。
 体の上に、心地良い香りのするタオルのようなものがかけられたような気がした。
 温かく大きな手が、弧呂丸の頭をわしゃわしゃとかき撫でたような感触がした。
「……まったく、おまえはほんとうに、いつもいつも……」

 寝返りを打ちながら告げた言葉に、聞き覚えのある声が、くつくつと小さく笑っていた。
 
 
―― 了 ――