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<東京怪談ノベル(シングル)>


『これが私のしめじ荘♪』



 太陽が街の果てから顔を出し、小鳥達が朝の歌をさえずる。新聞屋はそろそろ朝の配達を終えて、サラリーマン達が一番早い電車へと乗り込む。これが、この街の朝の風景。
 街の一角にある、小さなアパート「しめじ荘」の屋根に鳥達がとまり、ここでも朝の歌をさえずろうとするが、次の瞬間、小鳥達は一斉に羽ばたき去っていった。



「きゃあああああっ!!!」
 そこいら中に響いたのではと思う程の、女性の悲鳴であった。何も朝から事件が起きたわけではない。いや、その声の主にとってみれば、事件かもしれないが。
「いたたた」
 綾香・ルーベンス(あやか・るーべんす)は、転んだ拍子に打ちつけた腰をさすりながら、やっとの事で起き上がり、そこらに散らばった食器を拾い上げた。
「ガラスじゃなくて良かったわ!んもう、今度から食器は、もうちょっと低いところに置くべきだわね」
 このアパートの管理人である綾香は、すでに四捨五入すると30歳になってしまう年齢なのだが、童顔な顔と低めの身長、そしていつも元気ハツラツな性格のせいか、実年齢よりも若く見られてしまう。それが時に、嫌になったりする事もあるのだが、前向きで明るい性格でそんなまわりの目も気にせず、このアパートを管理する営業人業に励んでいた。
 しかし、何しろドジな綾香である。一日が何事もなく終わった事なんてまるでなく、彼女が歩けばドジが起こる、と言われるほどであった。
「昨日は手を滑らせて、飾りつけに使おうとしたプチトマトを落として、全部流しの排水溝の中にトマトが吸い込まれて、流し台を詰まらせちゃうし、その前は塩と砂糖を間違えてとんでもない味付けの料理になるし。もう、どうしてこんなお約束なドジばかりやるのかしら!」
 今日はシンプルに、目玉焼きとハムに、レタスを添えようと思ったのだが、うっかり高い位置にある棚に食器を置いてしまい、食器を取るのにかなり手間取ってしまった。
 ようやく指を皿にかけた、と思ったら、背伸びをして不安定になっている体のバランスを崩して、今度は壮大に食器をぶちまけてしまった、というわけであった。
 自分は背が低いのだから、こんな時は踏み台をつかえば良い、という事に気付いたのは、綾香の尻が地面に痛々しく落ちた時であった。
 綾香は転んだ時にズレ落ちた丸眼鏡を直し、乱れたハニーブラウンの髪をほどいて、もう一度ポニーテルにきちんと結び直すと、卵を手にとり、それを熱してバターを引いたフライパンに割り入れた。続いてハムをフライパンで焼き、少々まわりを焦がしながらも、香ばしい香りのハムエッグが出来上がる。
「そろそろ、御飯が炊ける頃ね」
 綾香は炊飯器のタイマーへと目をやる。
「あら?」
 タイマーをセットすれば、簡単に御飯が炊けるはずである。それなのに、炊飯器からは湯気も出ておらず、まったく音がしていない。
「まさか、故障とか?いやだわ、これ、買ったばかりなのに」
 先週、その持ち前のドジにより、白米を炊いている最中にコードに足を引っ掛け、炊飯器を地面に叩き落して壊してしまった綾香は、アパートの家賃が支払われたすぐ後に、最新の炊飯器を買って来たのであった。「サルでも使える炊飯器」と銘打たれていたその炊飯器、故障するにはまだ早すぎる。
 綾香は、炊飯器の蓋を開けた。やはり、水につけた白米がそのまま入ったままになっている。
「おかしいわね」
 一体、何がいけなかったのかと、綾香は炊飯器を見回し、そして数秒後に気がついた。
「電源、入れてないじゃない!」
 自分のドジさに呆れる綾香であったが、その前向きさで、次からはもう同じドジはしないと心に近い、今朝は炊きたて御飯を食べるのを諦め、棚から電子レンジで温めるパックの白米を取り出したのであった。
「あっ、やだ、もうこんな時間!」
 バタバタしていたせいで、すっかり時間の事を忘れていたのだが、朝日はすっかり昇り、すでにアパートの住人達が会社や学校へと向かう時刻になっていた。綾香は食事を急いでかきこみ、ハムを詰まらせて胸を叩きながらも、食器を片付けて外へと出た。
「あっ、おはようございます」
「やあ、綾香ちゃん、今日はちょっと遅かったね。いつもなら、7時16分35秒までには、箒を持って外で掃除をしているはずなのに」
 肉付きの良い巨大な体に、背広を着て分厚い眼鏡をかけたそのサラリーマンは、いつも朝から鼻息が荒いのだが、綾香はそんな事も気にしない。
「ごめんなさいね、今日はちょっと、色々と手間取って遅くなってしまったの」
 笑顔は忘れてはいけないと、綾香はそのサラリーマンに可愛らしい笑みを贈る。
「今は7時34分42秒。その差、18分7秒か。これだけの時間で出来る事と言えば、少し長めの朝風呂か、それとも、寝床からなかなか起き上がれなくてパジャマのままずっとおきぬけ」
 サラリーマンは、さらに鼻息を荒くしていた。何を想像しているのかはわからないが、きっと楽しい事なのだろうと、綾香は思った。
「それじゃあ、綾香ちゃん。行って来るよ」
「はい、お気をつけて!」
 サラリーマンは鼻息荒いまま、しめじ荘を後にした。綾香はサラリーマンが道の角を曲がって見えなくなるまで手を振ると、壁に立てかけておいた箒を手にし、アパートの入り口の掃除を始める。
「綾香さん、おはようー。今日も、萌え萌えですね」
 今度は、TシャツによれよれとしたGパン、何が入っているのかわからないが、巨大なリュックサックに、何かのアニメの女の子のフィギュアキーホルダーをつけた、若い男性が怪談を降りてきた。
「おはようございます。今日は1限目から授業なのかしら?いつもよりも、早いお出かけね」
 綾香がそう尋ねると、若い男性はにやりとして、リュックを地面に降ろし、中からカメラ一式を取り出した。
「今日の大学の授業、休校になったんです。ちょうど、アキバで今一番ハマっているアニメの声優の、イベントがあるんですよ。昨日友達に誘われたんで、これから行くんです」
「あら、そうだったの。ちょうど良かったじゃない、楽しんできてね」
 若い男性は、カメラを何やらいじくると、やがて綾香へと視線を向けた。
「あの、綾香さん。一枚写真を撮らせてもらえないですか?イベントの前に、ここで試し撮りを」
「私でいいの?」
「いいです!もう、めっちゃいいです、文句なし!」
 綾香は、撮影するならこれは邪魔ね、と、今使っていた箒とちりとりを、撮影範囲に入らないように、少し離れたところへ移動させようとした。
 ところが、その瞬間、箒に足を引っ掛けて、綾香は見事にしりもちをついてしまう。
「いったー!もう、またドジばっかり!」
 起き上がろうとした瞬間、カメラのシャッターがきれる音がした。
「や、やだわ、こんなドジなところ撮って」
 綾香が照れくさそうにそう言うと、若い男性は喜びの表情を顔いっぱいに出し、綾香にグッドマークを見せた。
「い、いい!!!何ていいポーズなんだぁ!こんなポーズが、自然に作られる瞬間なんて、滅多にないです!やっぱり、自分から作ったドジなポーズとは、気迫が違います、気迫が!!」
「気迫、そういうものなの?でも、喜んでもらえたのなら、良いけど」
「さて、イベント。いよいよ萌えて…燃えてきましたよ!それではっ!!!」
 高々と行進しながら、その若い男性もしめじ荘を去っていった。
 綾香はしばらく、転んで腫れ上がった尻をさすっていたが、痛みが引いたところで、再びアパートの前の掃除を始めた。
 何も珍しい光景ではない。変わった住人が多いが、彼らを優しく見送りだすのが、このアパートの管理人である綾香の役目。
 アパートの前に散らばっている葉っぱやゴミくずを全部片付けると、綾香はアパートの中へと戻った。



 昼は冷やし中華でも作ろうと思い、綾香は冷蔵庫から野菜を取り出した。また食器を落とさないようにと、細心の注意を払いながら野菜を刻み続ける。
 しかし、どんな時でもこのドジ属性は付きまとうようで、ちょっと目を離した隙に、卵焼きが真っ黒に焦げてしまった。
「ああーん、こんなの食べられないじゃないー!」
 おかげで、調理30分ほどで住む冷やし中華は、やり直したせいで1時間ほどかかり、ようやく食べ終わった頃には、ランチとは言いがたい時間になってしまっていた。
「どっちかっていうと、3時のおやつね。これじゃ」
 食べ終わった食器を流しへと運び、綾香は外へ出て、物置小屋の掃除を始めた。このアパートで使っている箒やちりとり、住人達の大きな荷物が置かれているが、最近ちゃんと掃除をしていなかった為、中は少しかび臭くなっていた。
「やっぱり、ほっとくのは良くないわね」
 まずは中の物を表に出し、片付けをしようと思った時だった。何か異様な雰囲気がしたと感じたのだ。綾香が良く知っている「それ」が出現する時には、いつもそんな雰囲気を感じるのだ。カサカサと、細かい音。世界中の人々の多くが、「それ」が出現するのを、望んではいない。
 見てはいけない、見たら精神的なダメージを受ける。そうわかってはいながらも、綾香の視線は自然に「それ」がいそうな部分へと移動していく。
「きゃーーー!!でたっ!!!」
 予想通りであった。綾香の目の前に「黒い悪魔」が出現した。ぬめぬめと黒光りするその体に、不気味で長い触角、世界で一番嫌われている虫。ヘタに刺激しようものなら、ヤツは羽を広げて空を飛び、そんなことになったら綾香は気絶してしまいそうになる。
「た、叩ける物、何か!」
 黒い悪魔を退治しようと、綾香は新聞紙を探すが、あいにく今の物置小屋には新聞紙がない。昨日、ここにためておいた新聞紙を、ごみに出してしまったのが悔やまれたが、今さらである。
 綾香は半分頭が混乱して、気づけばちりとりを握り締めており、黒い悪魔は、今にも羽を広げようとしてた。
「に、逃がすものですか!」
 綾香は、右手のちりとりを、思い切って黒い悪魔へと振りかざした。しかし、黒い悪魔の素早さはとても有名なのである。悪魔を叩くどころか、綾香は棚に置いてあったものを全部床へと落としてしまった。その振動と音で、悪魔は天井へとあがっていく。
 床に散らばったものを苦笑しながら見つつ、綾香は天井へとちりとりを振りかざすが、見事に狙いをはずし、天井の塗料がはがれて、綾香の頭へと降り注いだ。
「も、もうっ!!!」
 ほこりにまみれつつも、綾香はさらに悪魔へと攻撃を仕掛ける。
 ある意味では、この黒い悪魔は最強の生き物である事は確実である。結局、綾香は黒い悪魔を取り逃がしただけでなく、物置の中をめちゃくちゃにしてしまった。積んであった物は全部崩れ落ちるし、ほこりが舞い上がってすっかりきたなくなっているし、余計に掃除するところが増えてしまった。
「どうして、いつもこうなのかな」
 とほほ〜な気分で、綾香は崩れた荷物をひとつひとつほこりを払い、棚へと積み上げていく。この掃除は夕方までかかってしまい、もともと1時間程で終わらせようとしていた掃除が、アパートの住人達が帰ってくる時間になるまでかかってしまった。



 夕方になり、綾香はアパートの入り口で、住人達の帰りを待った。いつも、ここで皆の出迎えをするのが、綾香の日課である。
「お帰りなさい。今日もお疲れ様!」
 一番に帰って来たサラリーマンに、綾香は笑顔で話し掛けた。
「綾香ちゃん、ただいま。今日もくたくただよ。でも、綾香ちゃんの笑顔を見ると、それもすっきりなくなるね」
 必要以上なまでに、サラリーマンの視線が綾香に降り注ぐが、綾香はまったく気にしない。
「綾香さん、今、戻りました」
「おかえりなさい。イベント、楽しかった?」
 今度は大学生の若者が、スキップをしてアパートへと戻ってくる。その背中に背負われているリュックから、アニメキャラのポスターやCDなどがはみ出していた。
「はい、おかげさまで、ばっちりの写真を撮影する事が出来ましたよ。やはり、本物をナマで見るのは違いますね。綾香さんの写真、かなり良く出来ていました。僕の部屋に飾ることにしました」
「あら、嬉しい。私を飾ってくれるなんて」
 その若者が、萌えーな視線で綾香を見つめているが、綾香は何とも思わなかった。このしめじ荘の住人は、こんな者ばかりであったが、綾香はそれをとても楽しんでいる。
 夕食時、綾香は住人一人一人の部屋を回り、作った夕食のおすそ分けをした。住人達は、綾香の訪問にとても歓迎し、中には綾香がおかずを皿に盛り付ける様子をビデオ撮影まで始める者までいた。
 そのおかずの中に、綾香がゆで時間を読み間違えて、やたらにかたいじゃがいもや人参があるが、綾香ファンのこのアパートの住人達なら、それも許してくれる事だろう。
「今日も頑張ったなぁ」
 その日の終わり、綾香はそう呟くと、自分の寝床へとついた。
 数々のドジ、しかしまわりの人々がそれをも許してしまうのは、綾香の独特な魅力のせいだろうか。綾香は今日の出来事を頭の中で思い返しながら、やがて夢の世界へと入っていった。
 こうして、しめじ荘の一日は過ぎていく。明日は、どんなドタバタが待ち受けているだろうか。(終)



 ◆ライター通信◇

 初めまして!ライターの朝霧青海です。シチュノベの発注、ありがとうございました!
 綾香さんのドタバタな一日、ということで、かなりドジでバタバタする部分を前面に押し出して描いていました。それでも、明るく振舞っている綾香さんが、可愛いですね(笑)
 アパートの住人は、かなりオタク系の人々にしてしまいました。こんな感じかな、とアパートの住人は描かせて頂きましたが、書いていて何だかセリフが面白かったです(笑)
 それでは、今回は本当にありがとうございました!