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探偵物語
●プロローグ
お金持ちのお嬢様を尾行する羽目になってしまった。
本来ならば草間興信所の所長――草間武彦に持ち込まれた依頼だった。それがこれまでも代理で尾行をしてきた 施祇 刹利(しぎ・せつり) に仕事が回ってきたのだ。
だが、今回の依頼は押し付けられたというより、自分から望んで依頼を引き受けた形になる。刹利がそう望んだのか、望むよう運命に仕向けられたのか。
護衛対象は財界の顔である重鎮の一つ、大財閥沙夜姫家(さよひめけ)のご令嬢だ。
沙夜姫麻奈(−・まな)は、深夜に外出するという謎の奇行癖を持っている。
年の頃にして16才。
見目麗しい令嬢で、これを影ながら尾行して彼女の外出中の安全を守る。と同時に外出の目的もできるだけ探ってほしいという依頼だ。
「どうして武彦さんがご自分で依頼を引き受けないのですか?」
「忙しいからさ」
満面の笑顔で答える武彦さん。
あきらかにウソっぽい。
「で、本当のご理由は?」
「‥‥だから仕事がたまって‥‥」
「本当のご理由は?」
こちらも笑顔で華麗にスルーの草間零に、武彦は降参の代わりに両手を挙げた。
「沙夜姫家っていうのはな、昔から胡散臭いんだ‥‥まあ『そっち』方面で色々とな」
どうやらこの件も怪談がらみの可能性が高いと怪談を疎んじている武彦の読みのようだ。
「まあこれを見てみろ」
パサッと参考資料を机になげてよこす。
「可愛らしい方ですね。髪なんか長くてお人形みたいで」
「ああ。それが護衛対象だ」
「あ、でもこの写真、一部ピンぼけっていうか、この白い影が人の顔のようにも――」
「まあな」
「それに背景の青空に、何か光っている物が写っているみたいですけど」
「そうだな」
背後に小さく写っているこの人、どことなく麻奈さんに似ていらっしゃるみたいです‥‥よく見ると蛇なんて写ってますね。珍しいです。東京にヘビなんて‥‥。ええと、隣の窓ガラスに麻奈さんの姿が映っていないように見えますし‥‥。
‥‥‥‥。
様子をうかがうように写真越しで零は上目遣いをしてきた。もはや武彦はこめかみを押さえて答えてくれそうな様子ではなかった。
「その依頼‥‥ボクに行かせてもらえませんか?」
ふと、武彦が驚いたようにこちらを見返す。
刹利はやわらかい笑みを浮かべた。
「話は聞いてましたから。いつもの尾行なんですよね?」
「そりゃこっちは助かるけどな、えらく乗り気なんだな」
武彦の疑問には答えずにっこりと微笑だけ見せて、この日の依頼書を受け取る刹利。
「もしかして、沙夜姫家について何か掴んでるのか?」
「それはまだはっきりとは‥‥」
そう、今日で麻奈の秘密に少しでも近づけたらいいなと刹利は思った。
さて、夜を歩く令嬢の秘密とは一体――――。
●真夜中の散歩は怪談のはじまり
実物の沙夜姫麻奈は写真以上にリアルだった。
長い黒髪に端麗な人形を思わせる均整のとれた容姿。
日本人形の愛らしさとフランス人形の優美さをあわせもち、その容姿以上にいるだけで周りの風景すらも取り込み一枚の美しい絵画に変えてしまうような存在感が、まさに彼女を令嬢として生まれるべくして生まれてきたのだと語っていた。
体から溢れ出るオーラがなによりも彼女を――沙夜姫麻奈を唯一無二の存在だと指し示している。
とは言っても、麻奈が超常能力者だとかいった話ではない。確認をしたわけではないのだが、少なくとも麻奈の周囲ではこれまで彼女が超常的な力を持つものであるかもしれないといった闇のにおいを感じさせる情報はまだ聞いていない。オーラというのは単に存在感の輝きを比喩した修辞にすぎない――かもしれない。
深夜の通りの死角に身を潜めた 施祇 刹利(しぎ・せつり) は、すぐ目の前に世間的な常識など軽く凌駕した、沙夜姫家の豪勢な門構えを見張っている。
今日はたった一人。
これまでは押し付けられた依頼という形での尾行だったが、今夜は違う。刹利は自分から麻奈に会いにきたのだ。
――――割と小柄な影がもぞもぞと門の横にある通行用の小さな出入り口から出てきた。
いくらお嬢様とはいえ、これだけの豪邸なんだから外出がわかっていて門の監視くらいはされていると思うのだが、警備員なりが止めに来る気配もなく、そのまま小柄な影は夜の街へと歩き出していこうとした時――。
「麻奈さん‥‥お散歩、ご一緒にしていいかな?」
と、声をかけた。
いきなりかけられた刹利の声に驚きも見せず、麻奈は静かにふり向いた。
「あら、‥‥こんばんは」
「良かった。覚えていてくれたんだ、ボクのこと」
「絵本から現れた白兎のように不思議な人。どうしてこんな深夜にいらっしゃるの?」
「夜空の月に誘われて‥‥なんてキザだよね。なんとなくだよ。それだけ」
ふーん、といった表情で刹利を観察すると、何もいわずに麻奈は背を向けてしまった。これが「ご勝手についていらっしゃい」という無言のメッセージだということは、何度も尾行している刹利にとって読み取るのに難しくない。
これでもう3回目の尾行調査になる。だから‥‥今回は依頼抜きで、純粋に散歩に付きあってみたいな、と思ったのだ。
不思議な令嬢の隣に並んで、刹利は夜の散歩をはじめた。
深夜の散歩はとても幻想的だ。
麻奈の歩く夜はまったく現実感がなく、まるで美しい悪夢の中を必死で泳いでいるような錯覚にとらわれてしまう。
住宅街ということもあってか人通りはかなり少なく、命を持った影のように麻奈は街頭や時々見える家の光があつまった住宅街という不思議な夜の海を進んでいく。まるで深海魚を尾行しているような気分にさせられてしまう。
「今日は、何が起こるんだろうね? 何も起こらないにこしたことはないといつも思うけど‥‥」
「いつも、何か起こっているのかしら」
珍しく麻奈が返事をした。
あまり反応がない相手からこういうリアクションが返ってくると少しばかり嬉しく感じてしまう。
「起こっているようであり起こっていないような‥‥答えるのに難しいかな」
「私は、なぜあなたがそうも夜の散歩に詳しいのか、その理由のほうが気になるわね」
――――あ。
絶句。引っかけられた。
しまった、と思い麻奈を見るとその横顔はクスクスと口元に笑みを浮かべている。前回の尾行中に多少面識はできたが、夜に尾行していたなんてことが見透かされてしまった。ただのお嬢様と思っていたわけではないけれど油断があったことは否めない。
‥‥むむ、なかなか侮れないね‥‥。
麻奈はいつもの神秘的な無表情に戻ると、何事もなかったようにそのまま散歩をつづけた。
○
そういえば、月を見上げながらふと思い出す。
はじめて麻奈を尾行した時は武彦と一緒だった。あの時に麻奈は、
――――全く別人のような性格に変貌した。
夜の墓地という忌まわしい聖地。沙夜姫家を呪う自縛霊としての麻奈。
2回目の尾行。
その時は零をパートナーとしての尾行だった。
――――そっくり同じ外見をした、2人の麻奈。
ドッペルゲンガーなのか守護霊なのか、その正体は判然としない。
ハッと刹利は我に返った。
回想から醒めて現実に戻ったのだ。そして違和感。
麻奈が――――いない。
まるでたちの悪い奇術のように、影も形もなくなっている。
前方を確認した。
麻奈は、いた。いつの間にか数メートル前方で幻想の中で立つ彼岸の住人のようにこちらをじっと凝視している。
ほっと胸をなでおろした瞬間、刹利は気づいた。
「――――ねえ。あなた、何をしてるの?」
真っ直ぐににかけられる声。だというのに、それが自分にむけられた言葉だと刹利にはわかっていた。
刹利は悪びれることなく自然に答えた。
「やあ、久しぶり‥‥でいいのかな」
これと同じ状況が前にあった。
それは初めての尾行のとき。
「散歩の邪魔はしていなかったようね」
ようやく麻奈が言葉を発する。
「私をまだ調べていたの?」
「いや、今回はボクが会いたくなった」
と素直に温和そうな少年は答えた。麻奈は表情を変えないで瞳だけを見つめる。
「また、散歩をご一緒していいかな?」
以前と同様、麻奈は肯定も否定もせずに、また夜の散歩をはじめた。取り憑いた自縛霊とはいえここら辺の仕草は同一人物なんだなと感じながら、刹利はするりと横に並んで歩く。
言葉もない、意味もない、そんな散歩。でも居心地が悪いわけでもなかった。ただ風の音があるだけ。
――――変わってない。
以前と何もかも同じで、こういう雰囲気も悪くない――――。
深夜の不思議な散歩はつづいたが、刹利は不思議と穏やかな気持ちだった。目的もなく歩くということを目的にしたような深夜の散歩は、それだけで心を解放してくれるそんな魔力を持っている。
いや、目的地は知っている。
この方面には大きなお寺がある。寺院と呼んだほうが正しいかもしれない。彼女が、向かっている先は――――。
「また墓地に向かっているのかな?」
「そうよ。墓地が私にとっての夜の終わり――終着駅だから」
「あれからも何度か散歩をしているんだよね。何で墓地に行くのか理由はわかった?」
っそう。この麻奈に取り憑いた自縛霊は、なぜ自分が最終的に墓地を目指すのか全く自覚が無いままに夜の散歩をしているのだ。
「あなたこそ、まだその呪いのナイフ君を持っているのね」
「幸いなことに使う機会に恵まれなかったからね。こいつもキミに会いたかったからかもしれないな」
麻奈は声を立てずに小さく笑った。
初めて麻奈の尾行調査の時に武彦から預かったの呪いのナイフ。
過剰付与師たる刹利に一度でも使用されたとしたら、ナイフはその存在の命数を使い果たして、消えていたことだろう。それがまだしぶとく(?)生き残り、こうして麻奈に取り憑いた霊と再会を果たした。趣き深いものがあった。
以前、自縛霊たる彼女は、自分を道具なのに意思を持ってしまったナイフだと例えた。
――――もう沙夜姫を呪っていないんじゃないか?
という刹利の問いに答えないまま消えてしまった彼女。
お寺が見えた。
寺院が管理する広大な敷地の中にその墓地もあり、麻奈にとり憑いた霊は墓地のある場所に向かっている。深夜の墓地は冥界のように静けさで満たされていた。充満しているといったほうが正しいかもしれないほどに静かだ。
「キミにとっての沙夜姫家って、なんだろうね」
ん? と不思議そうな顔をして麻奈に取り憑いたソレはふり向く。ここで彼女は消えてしまう。その前にどうしても聞いておきたい。
「沙夜姫家‥‥小夜姫麻奈さんには何があるのか、キミは知っているんじゃないのか? もうしばらく行けばまたキミは消えてしまう。だから、その前に聞いておきたいんだ」
「沙夜姫家について‥‥それを聞いて、あなたはどうするの?」
それは湖面に静かな波紋が広がっていくような声。
「それは聞いてみないとわからないよ」
「知らなければいいこともこの世の中にはたくさんあるわ」
「そう。知らなければいいことはいくらでもあるね」
少しだけ時間が流れて、ざざっと冷たい夜風が吹いた。
髪をかき上げて麻奈が口を開く。
「これは私が知っている沙夜姫家の一面にすぎないのだけれど、人に話す程たいしたことでもないの。
――――私と沙夜姫家の間にあったお話。ただそれだけの昔話」
沙夜姫家の裏の顔は、数多くの優秀な霊能力者を輩出する家系としてもその手の世界は知られている。
そんな沙夜姫家から出た霊能力者の一人に、彼女は因縁があった。そんな関係で、どんな出来事があったのかはここでは語られない。
ただ、彼女は滅びることになった。死んだ、のだ。
でも恨みや復讐という感情は見られない。ただ静かに事実を語るだけだ。相手の人とは、複雑な関係にあったのかもしれない。
こうして、彼女は人という存在ではなくなった。
人ではなくなりながら、何の因果か彼女は存在としての残滓をこの世界に残すことになった。霊能者が霊としての彼女に施した術に、不完全な要因があったのだろうか。彼女はある特殊な条件下でだけ、この世界に再現されることになった。
それが沙夜姫麻奈の深夜の散歩だった。
散歩の内のいくらかの割合で、彼女は麻奈の中で再構築され、この世界に立ち現れる。
死んでいながら死にきれない幽霊は、誰も恨むことすらできずに夜を散歩するようになった。過去の記憶や知識も明瞭にもたないままに、さながら、死に近づきながらも、この世界から消えられないでいる自縛霊のように。
深夜を散歩する令嬢の中で時々魂を映しては、この霊園で霧散する。
麻奈に取り憑いた彼女は、霊として死に向かい続けながら永遠の夜を生きつづけている。
麻奈は歩みをとめた。無表情のまま麻奈の中の何かは背中を向けた。
ここは墓地の中心地だ。
最も闇の深い終わりの地。
「‥‥・・また、今夜のゴールに着いてしまったわ。私の夜はこれでお終い」
振り返らずに、小夜姫麻奈にとり憑いた何かは夜の空を見上げた。
「今夜の散歩もなかなか楽しかったよ」
そっけない一言だけを残して、麻奈の中から何かが消えた。崩れ落ちる彼女の体を刹利がそっと受け止める。
瞬間、墓地の景色はかき消すように沙夜姫家のあの巨大な門前に姿を変わっていく。
もはやそこは夜の墓地ではなかった。
呆然としながら、刹利は立ち上がった。
「永遠に終わらない夜の散歩か‥‥」
刹利は呟く。思い出されるのは、彼女が消える前のただ静かだった後ろ姿――
刹利の頭上には彼女が見上げたのと同じ夜の空が広がっていた。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【5307/施祇 刹利(しぎ・せつり)/男性/18歳/過剰付与師】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、雛川 遊です。
シナリオにご参加いただきありがとうございました。
ご令嬢の尾行調査お疲れ様です。成果の程はいかがでしたか?
そういえば尾行といえば、一昔前まではストーカーなんて言葉はなかったんだなあと思い出しながら、日に日に日本もデンジャラスな国になっていくんのかなと、そんな印象を覚えたものです。人との距離が難しくなってきた時代なのでしょうか。そんなご時世に他人の抱える秘密を覗き見るなんてことをお仕事にしているわけだから、思えば探偵というのも不思議な職業なのかも。
一応、当シナリオは繰り返し遊べるようになっています。基本的に1話完結のノベルですが、今回の成果を踏まえて尾行してみたいという方は『継続ルート名』及び『コンティニュー』という文字を10桁数字の後に入れていただくことで再チャレンジも可能になっています。
もう一回麻奈を尾行したいな〜とか○○○を見てみたいな〜なんて思われた際にはご活用してみてください。
(以上はシナリオ『探偵物語』用のローカルルールですのでご注意ください)
それでは、あなたに剣と翼の導きがあらんことを祈りつつ。
>刹利さん
今回のご参加は【呪いの自縛霊】ルートでした。
ノベルの作成が遅くなってしまい申しわけありませんでした。‥‥色んな不調に襲われております。いつも応援メールありがとうございました。落ち込んだ時などは励みになっています。
自縛霊さん、悲しげな過去がありましたね‥‥。具体的に描こうとすると終わりきらない感じなので、彼女に何が起こっているのかがわかる程度の描写ですが。
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