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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


白き指に振舞水

 暫く前にこのカーニンガム邸、いや、財閥の一つの滞在地点に過ぎないこの屋敷で主への涼みに良い食を考え付かなかったと一度は挫折した料理人のその後の巻き返しは凄まじかった。
 なにもそれ程までしなくてもと言うほど毎日、時間があれば何かを作り自ら試食、上手く行ったと思えば当の主であるセレスティ・カーニンガムに試してもらい、微笑んでもらえたならまた次を作るという、まさに料理人の鑑、或いは涼みの料理人と化し、最近は屋敷の人間が特に好みそうな甘い菓子を作る作業に時間を費やしているようで。

「今日のデザートはまた一段と美しいですね」
 雨上がりの翌日、雲が多少暗く地面を支配し、直射日光により弱ってしまうセレスティの身体はいつになく軽く、テラスに広げた茶会の席では夏という季節で、そしてなにより地上に居る時で珍しく繊細な微笑みを称えている。
「はい、暫く洋菓子の類を多く作っておりましたのでたまには和菓子の類も召し上がって頂きたく作ってみましたが…」
 ふと、料理人の目がセレスティの方へ向けられた。
 いつも美味しい物を作るというのに、この料理人はまだ自分に自信が無いのか、主が食しその口に微笑みを浮かべてくれるまでは自らも微笑む事は無い。

「では、一口…」
 夏の暑い日ではあるが空が曇り、水が白いテラスを支配する今回だけはセレスティの体力も回復しているのだろう、杖をついて歩き、用意された試食用の葛きりをするり、と口に入れ。
「美味しいですよ」
 丁度一口で食べられるように配慮された乳白色のそれは主の口に合ったらしい、黒蜜の爽やかな甘さと葛きり自体の涼しげな食感で、思わず微笑みが零れてしまう程であった。

「良かった…。 それでは、セレスティ様、今日のお茶会どう致しましょう?」
 セレスティさえ微笑んでくれればこれ程嬉しい事は無いのだろう。料理人は目を細くし、いつもの彼らしくなく茶会の席に呼ぶ客人を意識している。
「そうですね…こんなに美味しい甘味があるのです。 近頃なかなか屋敷の外へのお誘いも出来ませんし、シュラインさんと共に楽しみたいですね」
 屋敷の中に甘い物好きが何人か居るのは知っているが、久々に天気も曇り自身の体調も良い。となれば、よく依頼を共にする友人を誘ってのんびりするのもいいのではないだろうか。
「ああ、草間さんもご一緒に…ふふ、あの方の事ですからしぶしぶ、でしょうが」
 思い出したように言うのは悪いが、セレスティはあの探偵が茶会という席に笑顔で来る事が想像できず、つい文句を垂れながらシュラインの後に付いて来る彼を予想し、堪えきれないというように笑う。

「了解しました。 では屋敷のものに連絡と」
「ええ、迎えの車も出して差し上げてください」
 きっと、友人ならば来てくれるだろうと確信した上の行動だ。草間武彦という貧乏探偵はとりあえずシュラインに任せ、セレスティは来客用に着替えます、と笑顔を残し硬い杖と淡い水の香りをその場に残し、一旦自室へ戻っていくのであった。



 友人から茶会への招待を貰ったのは二時間程前、美味しい甘味があると聞き楽しみだと応答してすぐ迎えの車が寂れた雑居ビルの前に堂々と現れ、驚愕したのがほぼ同時刻。
 ついでに言うと、そうやって久々の友人の招待でもあるのだから、と気乗りのしなさそうな恋人の腕を引っぱったのもほぼ全て同時刻に起こった出来事である。

 ―――そう、そんな中、皺だらけの茶色いスーツ、皺だらけの白いシャツ、皺だらけの焦げ茶のネクタイ。

 いささか、今二人の男女を揺らせるこの黒基調の高級リムジンには合わない服装が目立ち、その内の一人、シュライン・エマはため息をついた。

「武彦さん、着替えくらいしてきて、って言ったのに…」
 後部座席は大きく、その大きな座席に大の字になり、クーラーから来る風をまるで自らのものだとばかりに吹かせながら草間・武彦はシュラインを見る。いつも草間興信所に居るこの女性事務員はお洒落で、今日はフォーマルな形の桜色のドレスに白いショールを羽織っていて。
「見知った人間の所に行くのにそこまでめかし込む事はないだろう?」
 武彦はいつになく美人に変身してしまった恋人にどう目を向けてよいのやら、ただつれなくそう返すだけで横の女性らしいため息への反応の仕方がわからない。

 興信所にはいつもシュラインが手間をかけた跡があり、掃除や食事の準備、食器洗い、そして武彦やその妹の洗濯やアイロンかけもしっかりしてある。
 だというのに、着てこなかったのは何故だろうと、武彦が自問自答しても所詮、綺麗に着飾るシュラインの手前、恥ずかしかったから等とは到底口に出来ないのだ。

「もう、セレスティさんのお屋敷がどれだけ豪華か武彦さんも知っているでしょう?」
 あまり着替えにまで口を挟みたくは無いが、流石にこの興信所の生活風景そのままを持ってきたような武彦にシュラインは頭を抱える。
 どうせ相手であるセレスティは気にしないだろう、が、社会人のルールとしてシュラインの心に重くのしかかってくるのだ。

「お客様、もう少しでセレスティ様の屋敷に到着いたしますので車内にお忘れ物は無いよう、お確かめ下さい」
 まるで一室だけ、シュラインと武彦に用意されたような空間から流れる運転手の通知は至って穏やかで。
 このまま、こんな格好の恋人と友人の豪邸に行っても良いものかとどうしょうも無い状況下、それでも思考をめぐらせずにはいられないシュラインは、また大きなため息を武彦に向かい一つ、つくのである。



「ようこそおいで下さいました。 シュラインさん、草間さん」

 広い庭はまるで東京に居る事を忘れてしまう程美しく、その中でも噴水の水飛沫は友人であるセレスティに似た淡く美しい輝きを放っているとシュラインは思い、そしてまた最後に武彦を見て苦笑されたのも困った人でごめんなさい、と苦笑した。
 曇り空で雨の後、まだ蒸し暑い中で一際涼しく空気調整された屋敷の敷地はまだ中に入ってもいないというのに興信所とは雲泥の差で気持ちの良い風が通っている。
「気にしなくて良いですよ。 私も草間さんはそういう方だと思っておりますから」
「それが褒め言葉だったら嬉しいんだけれど…。 そうじゃ無いわよね…」
 屋敷の主人であるセレスティは友人の恋人のある意味『らしい』服装に苦笑しながらシュライン達を二階のテラスへと案内する。自身の気分と体調もあってか、杖で歩く姿は少し遅いものの、武彦やシュラインがこの邸宅に飾ってある美術品を眺めるのには良い機会となり。

「憧れるわ、こういうの。 仕事では見かけるけれどいつも見ているわけではないから」
 ねぇ、とシュラインは武彦にふるが、当の本人は一度、そのけぶる黒い瞳を恋人に向け、そして、まぁな。と返すだけ返し大きな欠伸をした。
「―――…武彦さんに聞いても駄目なのはわかっていたのだけど…」
 目を輝かせていたシュラインはあまりにもこの涼しい空気の気持ち良さに、立ったまま寝かねない武彦の態度で興醒めしたと肩を竦ませる。

「仕方ないですよ、草間さんは美術品よりシュラインさんですから」

 ふ、と前を歩むセレスティの微笑む声が軽やかに響き渡ると同時に鮮やかな彫りと硝子の特徴的なテラスへの扉が開かれ灰色の空の中、煌々と光り輝くテーブルライトが視界に入るのだが。
「おい、セレスティ…」
 今まで眠りそうだった武彦の声が低く聞き捨てならぬ事を口走るセレスティの方に向き威嚇する。
逆にシュラインはわけがわらず、だが何かとても恥ずかしい事を言われたのでは無いかと顔を少し赤らめた。
 とはいえ、彼女の性格から、しっかり人に見えるような事は避けてはいるのだろうが、時折見せる女性らしい仕草が少しだけ垣間見れた瞬間であろう。

「まぁ、そう怒らないで下さい。 折角の茶会が台無しになってしまいますよ?」
 悪戯っ子のように微笑んで見せたセレスティは人数分用意された菓子と料理人が横で佇む白いテラスに二人を案内する。
 テーブルには乳白色の葛きりに黒蜜が用意され、その中央には真紅の薔薇が一輪挿しに品良く飾られていて、上流階級の社交界のような雰囲気すら感じさせた。

「あら、葛きり? 洋菓子だと思っていたわ」
 未だに先ほどのセレスティの言葉を気にし、何かをぶつくさ言う武彦とは打って変わり、シュラインは暫く食べない和の涼み菓子に紅を塗った唇を綻ばせる。
 矢張りこんな豪華な席に洒落た服を着て正解だっただろう、セレスティの服も青を基調にしたデザイン性と機能性を重視したスーツでシュラインのドレスとは相性が良い。

「たまにはこういう菓子も良いでしょうと屋敷の料理人が作ってくださったので。 シュラインさんならこういった菓子なら特にお好みでしょうし」
 ね? と、小首を傾げて見せたセレスティの言葉はどちらかというとシュラインより武彦に向けられており、この探偵が密かに恋人の手作りした菓子を食べているという事実を知っているような口ぶりだ。
「セレスティさん、あまり武彦さんをからかわないであげて。 涼みに来ただけでも奇跡なんだから」
 シュラインの方は自ら好んで武彦に料理を作る身であり、今更それをどう言われようと恥ずかしいというよりは他人からも自分達の関係を認められているようでほんのりとした暖かみが心の中に染み渡る。

「お前らなぁ…食うものがあるなら食う。 さっさとしてくれ…」
 降参だ、とばかりに武彦はテラスに備え付けられた椅子の一つに断りも無しに座ると大きなため息をついて葛きりを見た。
「…シュラインは大抵きな粉も混ぜて作るけどな…」
「あら? 覚えていてくれたの?」
 無作法な恋人を咎める気にもなれず、セレスティが頷いてシュラインも席へと案内されたならば、武彦から意外な一言が漏れ、二人は目を一瞬丸くしながらこのくたびれた探偵を凝視する。
「なんだ、俺が物覚えの悪い奴だとでも思ってたのか?」
 目の前にある黒蜜を備えた葛きりを三人で囲みながら、目だけは武彦に釘付けだ。
 まさか、この女心の『お』の字もわからないような探偵が日常茶飯事と化したシュラインの手作りの一つを覚えていたとは、天変地異でも起こるのではないだろうかと。

「きな粉、ですか? セレスティ様」
 探偵の言葉を横で耳にしていた料理人が不思議そうに首を傾げる。どうやら葛きりを習得する際、黒蜜の方ばかりに熱中し、きな粉の方までは研究しなかったらしい。
「ええ、黒蜜は変な甘さもないしセレスティさんには良い涼みになりそうだけれど、きな粉で食べるのも結構いけるのよ」
 氷水に浸かった葛きりを黒蜜につけては口に運ぶ至福の一時、セレスティと料理人はシュラインの一言になにやら興味を持ったようで、今度はそういう味も試してみたい、という話になっていたが。

「もう一杯くれるか? きな粉の方で」
 自分の家でもなければただ呼ばれた身、だというのにこの神経の図太さだけは天下一品、流石興信所で日々家賃滞納の電話を無視し続ける精神の持ち主ではない。
 武彦はまるでスープを飲むかのように自らの前に出された葛きりを飲み干すようにして味わった後、空気調整期によって来る風に目を細めながら煙草を一本、ついでに菓子のおかわりも忘れてはいないのだ。
「武彦さん! お行儀悪いわよ…それに、セレスティさんのお屋敷では煙草は駄目」
 本当に、色々言いたくは無いのだが、友人の前であまり悪い印象を与えたくは無い。
 これも惚れた弱みというやつなのだろうか、武彦の煙草を携帯灰皿で消したシュラインは恋人の目を見、本日何度目かのため息をついた。

「まぁまぁ、草間さんも葛きりを気に入ってくださった事ですし。 おかわりも良いのではないですか?」
 武彦の言葉を一瞬その蒼い瞳を丸くして聞いたセレスティは、料理人に目配せをし、微笑む。
「セレスティ様がそう仰るのでしたら。 ―――シュライン様、きな粉の方、作り方をご伝授して頂けますか?」
 茶会に居る三人の、自らが作った葛きりに対する満足そうな笑みを見つめていた料理人は、セレスティの合図でシュラインに問う。
「えっ、私が? そんなに豪華なものは作れないわよ?」
 料理には確かに自信はある。いつも興信所で作っているし、何より作るという作業自体シュラインにとっては楽しみであるのだからそれは良い。が、ここに居る料理人はある種、どこぞの国の王室で料理を作っていてもおかしくないような人物なのだ。

「いえ、豪華か、豪華ではないかはシュラインさんではなく、食べる者が決める事ですよ。 私も料理人も、今はシュラインさんの葛きりが食べてみたいのです」
 それはもうにっこりと、抗えないような微笑で目を輝かせるセレスティに、シュラインは。
「美味しくないなんて言ったら承知しないわよ?」
 ふいに眉を吊り上げ、友人の考えている事を見透かそうとするシュラインの青い瞳は、海のように深く、到底掴めそうに無い蒼に入り、結局は仕方ないわね。と苦笑しながら料理人と共に調理場に出て行った。
桃色の薄いドレスと白のショールがふわりと女性らしい香りを運んでくる。



「良かったですね、草間さん。 シュラインさん特製の葛きりが食べられて」
 女性の影が屋敷内に入り、見えなくなった頃、セレスティは我が物顔で白い椅子に座る武彦に面白おかしいと声を弾ませながら事の真意を言った。
 途端、ぐらぐらと椅子を傾けていたせいか、図星をつかれたせいか、背中をテラスの大理石に打ちつけ大いにのた打ち回る私立探偵が一人。
「セレスティ、お前。 さっきから何が言いたい?」
 痛みでサングラスの下から涙が出そうになるのを必死に堪え、武彦は美貌の笑顔をまるで天敵でも見るようにして睨みつけた。

「おや、葛きりと聞いてシュラインさんのきな粉ばかり口にしている貴方が、彼女の手料理を所望している事くらい一目瞭然ですよ?」
 少しだけ意地悪をしてやろうと口の端を吊り上げると、完全に図星だったらしい。セレスティを前にした武彦は酷くバツの悪そうな顔を二転、三転とあちらこちらにし、最後にはどうしてもこの高級品の並ぶ場所に目を落ち着ける事が出来なかったのか、一言。

「シュラインのが一番食いなれてるからな…仕方ないだろう」

 何処までも素直になれない草間武彦という男の、とても素直な言葉が帰ってくるのであった。


END