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<東京怪談・PCゲームノベル>


ワンダフル・ライフ〜人魚姫の奮闘






「あっづぅ〜…」
「ルーリィも本性は犬だったんですか。私初めて知りました」
 私は店の前に出している長椅子にだらしなく座り、熱気が上がるアスファルトの地面に足を投げ出していた。
店の前には庇を作ってあるので、少しは日陰になっている。でも、暑いものは暑い。
 はぁはぁ、と舌を出している私に、隣で腰掛けている銀埜の嫌味が飛ぶ。
彼は彼で涼しい顔をしている。団扇でパタパタと自分を扇ぎながらだけど、その顔には全く汗を掻いていなかった。
だがその銀埜の足元には、氷水を張った盥が置いてある。
 私は一人で冷たい氷水に裸足の足を浸している銀埜を恨めしげに見上げた。
「…ずっこい」
「犬は暑さに弱いんです。手足を冷やすぐらいしないと、倒れるんですよ」
 銀埜はこれでも、銀色の毛並みを持つシェパード犬だ。
でも魔女である私の使い魔として契約しているから、人間の姿を取ることができる。
だがやはりその本性は犬、涼しい顔をしているが、内心結構日本のジメッとした夏は辛いのかもしれない。
「…せめて風があればなあ」
 私は木の椅子に両手をついて体を支えながら、スカートからにゅっと突き出した足を地面に投げ出すという
みっともない格好をさらけ出したまま、呟いた。
銀埜はその言葉に反応して、私を団扇でぱたぱたと扇ぎながら答える。
「もう少しの辛抱ですよ。クーラー、お買いになったんでしょう?」
 こう風が少しもなくては、店の中で窓を開けっ放しにしていても、蒸し暑くて堪らない。
だから外の日陰で涼んでいるわけだけど、さすがにこの暑さが過ぎるまで私は耐えられる自信がなかった。
「一応、ね。でも届くまでに1週間もかかるものなのかしら?」
 とうとう根負けして、近所の電気屋に赴いたのが2日前のこと。
今週末には届けますよ、という愛想の良い店員の言葉を信じてよかったのだろうか。
「日本人って、働き者な民族なんでしょう?せめて2,3日で届けてくれたらいいのに」
「まあ…それは向こうの事情もあるでしょう。ルーリィの注文だけではないのですし」
 銀埜は苦笑を浮かべ、私を慰めるように団扇で風を送る。
だけど、その風はとても生ぬるい。
ああ、人工でいいから、冷たい風がほしい。
「まあ、それはそうなんだけど。…こうあつくっちゃねえ…」
「のんびり待ちましょう。あちら様も色々とやることがあるんですよ」
「…やることって何?」
 私は銀埜をじとっとした目で見上げた。
銀埜は暫しとまったあとで、呟くように返す。
「……梱包とか」
「…一週間もかけて?」
    どんな電気屋なの、それは。
 私は銀埜と暫し見詰め合ったあと、前方、蜃気楼を放つアスファルトに目を向けた。
「…はぁ。あっついから、裏の海にでも入ってこようかしら」
 裏の海とは、先日うちの居候魔女が勝手に裏庭に作り出した池のこと。
調べてみた結果、正真正銘日本近海のもので、割とその水質も綺麗だそうだ。
今の季節にはまあ涼しいからいいかな、と思って残してあるけれど、私は殆ど入ったことはない。
娘のリネアなんかは、その池騒動のときにお客様にかけてもらった魔法がえらく気に入って、
同じものをかけてくれと私にせがんでは、一人海中散歩を楽しんでいる。
…だけど私は。
「…ルーリィ、涼むのは結構ですが、あなたカナヅチでしょう」
「………うん。」
 そう、私は泳げない。
だから先日の騒動のとき、お客皆が楽しそうに池…もとい海で泳いでいたのを、
もってきてくれたお土産を整理するだとか何とか理由をつけて、店から彼らを眺めていたのだ。
確かにうらやましいとは思う。でも、溺れるぐらいなら私は陸地で過ごすわ。
 銀埜はそんな私に一瞥をくれて、「溺れるならせめて水面で溺れてくださいね」と冷たい言葉を放った。
いいじゃない、この機会に海難救助犬の訓練でもしたらいいんだわ。
ほら、今ちょうどドラマでやってるじゃない?
 そんな無駄口を放とうとした私を、銀埜の笑みが遮った。
但し、爽やかなものではなく、少々歪んだ笑みが。
「御覧なさい、丁度よい人材が飛び込んできますよ」
 そう銀埜の指が指す先に目を向けてみると、確かに彼の言うとおりだった。
「…目ざといわね、銀埜」
「犬ですから」
 しれっという銀埜に、犬は関係ないんじゃないか、と内心ツッコむ私だった。









 彼の言う、”人材”。
その彼女は今、私の目の前に座っていた。
ちなみにもう場所は店内に移っている。無風で蒸し暑いのは相変わらずだけど、さすがにお客人を外でもてなすわけにはいかない。
そして私は、彼女の白い喉をじっと眺めていた。
その喉はまるで独立した生き物のように上下に蠢いている。
 やがて、ドン、という何かが叩きつけられるような音と、ぷっはぁという声があがった。
「あー生き返った!もー、今回はマジでやばかった!あ、銀埜サンおかわりっ」
「…水でよろしいんですか?お茶にします?」
「や、水でいいよ。とりあえず水分水分っ!」
 先ほどまで目の前の私に白い喉をさらけ出していた彼女は、顔を前に向け、一瞬で空にしたガラスのコップを銀埜に向けて突き出していた。
その顔には満面の笑みが。
「…紅珠さん、もう大丈夫?」
 私は団扇で彼女を仰ぎながらたずねた。
目の前の少女―…紅珠は、着物の胸をどん、と叩いた。
「オッケーオッケー!水分補給すりゃこっちのもんだから!」
「…ならいいんだけど」
 私はふぅ、と息を吐いた。
先ほど銀埜が道の先でふらふら歩いている彼女を発見したときは、私は飛び上がって驚いたものだ。
だってこの暑いのに着物を着て日傘も差さず左右に揺れていると思ったら、急にふらっと倒れるんだもの。
せめて倒れた場所がうちの店の近くでよかったわ。
あれがもう少し離れていたら…というか銀埜が気がつかなかったら、今頃この人魚さんは干からびていたのかもしれない。
 そう、紅珠―…浅海紅珠は、人魚だ。
何度かうちの店に訪れてくれて、最早常連となっている彼女の体質を、私はある程度理解出来るようになっていた。
人魚の血を引いているものだから、彼女は乾きに滅法弱い。
だから、この炎天下の中を日傘も差さずにうちの店にやってくるなんて、彼女にとっては自殺行為なはずなんだけど―…。
「それで、今日はどうしたの?」
 私は彼女を仰いでいた団扇を自分のほうに戻し、尋ねた。
ああもう、何でこう日本の夏って暑いのかしら。
 紅珠は私の言葉を聞くと、むん、と胸を張って答えた。
「ふふふ。この格好見てわかんない?」
 そう言って紅珠は立ち上がり、くるりと回って見せた。
その姿は彼女にしては珍しく、楚々とした和服。濃紺の地に観世水と桜の花びらがあしらわれて、なかなか大人っぽいデザインだ。
紅珠の黒い髪も編み込まれて、一見どこかのお嬢様、という雰囲気。
…でも、銀埜に渡されたコップの水を、手を腰に当てて一気飲みしていなければ、もっと似合うんだけど。
 私はそんな彼女にコップを差し出した銀埜と顔を見合わせたあと、また紅珠のほうに向き直った。
「…素敵な浴衣ね」
「だろ?”大和撫子”っぽい!?」
 紅珠は私の言葉に笑顔を見せた。そして銀埜に、また一瞬で空になったコップを戻す。
「…おかわり、ですか?」
 銀埜は何て反応したらいいか分からないような顔で言った。
「や、もういいや。あんがとなー。で、銀埜サン、これどー思う?俺似合ってる?」
「……自分のことを俺、と言わなければもっとお似合いだと思います」
    なかなか鋭いことを言うわね、銀埜。
 私は心の中で、うんうん、と頷いた。
そして何となく、今回の紅珠の来訪の目的を悟り、笑顔を浮かべて彼女に言う。
「つまり紅珠さんは、大和撫子になりたいの?」
 紅珠はぱぁっと顔を輝かせ、私に向かって指をつきつけた。
「そう!そーなんだよ、俺。ね、何とかなんないかなあ、ルーリィ。ばあちゃんは、俺には100年かかっても無理だって言うんだ」
「ふぅん…」
 あの人が、そんなことをねえ。
私は腕を組んで紅珠の全身を眺めた。
彼女は素材としては決して悪くないものを持っている。喜怒哀楽が激しくて、天気のようにコロコロと変わる表情だけど、
きっと澄ました顔でおしとやかな動作を見せれば、そのあたりで歩いている女の子なんかには、決して負けないはず。
「ふぅん」
 私はもう一度言った。
内心、何かこみ上げる笑みを感じながら。
 本人がそう言うんなら―…できる限り、やってみようじゃないの。
「よっし、紅珠さん。私に任せて!あなたを立派なレディにしてみせるわ!」
「うわー、マジで!?任せたぜルーリィ!」
 私は拳を握り締めて立ち上がり、飛び上がって喜ぶ紅珠とがっしり腕を組んだ。
そして明後日の方向を見て、叫ぶ。
「ええ!明日のスターはあなたよ、紅珠さんっ」
「おおー!」
 ああ、私は今猛烈に熱血している…!
 
 暑苦しい炎を燃やす私たちの隣では、銀埜がまるで氷点下のような視線を向けていたけれど。







                   ■□■






「ヤマトナデシコ?それって何?」
 自分の部屋から降りてきたリネアが、アイスを舐めながら私たちをきょとん、と見つめている。
そんなリネアに、紅珠はやはり胸を張って答えた。
「言っとくけど戦艦じゃないんだぞ、リネア。ヤマトでもナデシコでもなくて、大和撫子なんだ」
「……?」
 さっぱり分からない、という顔で首を傾げるリネア。
…この子の気持ちも分からないでもない。
「まあ要するに、楚々とした日本美人ってことよ。紅珠さんは、おしとやかなレディになりたいんですって」
「へぇ、そうなんだ」
 リネアはやっと分かった、という顔でうんうん、と頷いた。
そして溶け始めたアイスに慌ててパクつく。
「そーいうことっ。ふふ、この店を出るときには、俺はニュー紅珠になってるからなっ」
「生まれ変わるんだね!紅珠ねーさん、すごいなあ」
 ほぅ、と感心した様子でリネアはため息をつく。
そしてぺろりと棒つきアイスを完食したリネアの頭を紅珠は撫でて言った。
「そそ、リネアにお土産あるからなー。ばあちゃん作のおもちゃだけど、スナメリの窓っていうやつ。
スナメリが住んでる海につながってる窓枠で、リネアの部屋に取り付ければ、いつでもスナメリと会えるぞー」
「っ!ほんとっ!?」
 リネアはアイスの棒を握り締めたまま、ぱぁぁ、と顔を輝かせた。
私はそんな二人を眺めながら、ふふ、と笑いをこぼす。
イルカ好きのリネアのために紅珠が持ってきてくれたおみやげの窓枠。
覗き込むとイルカも愛らしい顔を向けてきてくれるもので、リネアにはたまらない一品だろう。
「あとでリネアの部屋に取り付けてあげるわ。だから今は宿題の続きに集中しなさいね。
休憩しに降りてきただけでしょう?」
 私がそう言ってリネアの背を押すと、リネアはぷぅ、と頬を膨らませた。
だがすぐに笑顔に戻り、
「うん!母さん、あとで絶対だよ。
紅珠姉さん、頑張ってね!にゅー紅珠ねーさん、楽しみにしてるから」
 そういって手を振ったあと、階段のほうに駆け出していく。
そんなリネアの背を二人して見送ったあと、紅珠がぼそっと口にした。
「……宿題?」
「ああ。魔法の、ね。夏休みといったら、宿題でしょう?」
「ふーん…」
 紅珠は暫し何かを考え込むように顎に手をあてたあと、こちらに振り返った。
その笑みは、大和撫子とは程遠い、ニヤ、としたもので。
「じゃー改めて、頼んだぜ?」
 私もニッと笑い、親指を立てる。
「任せてちょうだい。ネオ・紅珠さんに仕立て上げてあげるから」

 そして暑い夏に、熱い挑戦が始まったのでありました。







                   ■□■







「まずは身のこなしからでしょう」
 講師その1の銀埜は、床にしいた御座の上で腕組みをして立っていた。
そんな銀埜を、御座の上で座りながら、ぽかん、とした顔で見上げる紅珠。
ちなみにその紅珠は足をだらしなく崩している。
「何であんたなの?俺、大和撫子になりたいんだけど」
 紅珠の問いに、銀埜は何を当たり前のことを、という目をする。
「大和撫子といえば淑女。淑女といえば紳士。とすれば私しかいないでしょう。
言っておきますが、ルーリィをあてにしてはいけません。彼女のほうにこそ、見習わせたい程なのですから」
「…なんか酷いこと言われてる気がするけど」
 一応講師その2の私は、紅珠の隣で正座をして苦笑を浮かべていた。
確かに彼の言うことも最もだから私は何も反論出来ない。
なので横でおとなしく助手を務めることにした私である。
「もうひとつ質問。…なんであんたも和服なの?」
 紅珠は人差し指を銀埜に向けて、彼を仰ぐ。
腕組みをして立っている銀埜は、確かに男物の浴衣を着ていた。
浅葱色の浴衣を少し着崩して、なかなかどうして似合っている。だが問題は。
「…あんたいつの間にそんなの買ってたの?」
 私だって、銀埜が和服を手に入れてたなんて知らなかった。
それに今店の床に敷いている御座だって、銀埜が自分の部屋から持ってきたものだし。
だが銀埜はしれっとした顔で、
「着物のお嬢さんがいるのですから、こちらも合わせなくては。
それに私にだって趣味というものはあります」
「…趣味、ねえ」
 私はぼそ、と呟き、紅珠と顔を見合わせた。
そしてお互いに苦笑を浮かべる。…何だかこの時点で、少し不安になってきた私だ。
「無駄口は以上で宜しいですか」
 銀埜は仕切りなおし、とばかりにこほん、と息を吐き、自分も御座の上に正座を組む。
西洋風の家の中で御座を敷き、靴を脱いで正座するというのは何とも不思議な気持ちになる。
ちなみに私はノースリーブのシャツと長いスカートのまま。さすがに和服はもっていない。
「…紅珠さん、あなた大和撫子になりたいのでしょう。そんなことで成れるとお思いですか?」
 銀埜は切れ長の目を細く歪め、どこからか取り出した畳んだ扇子で、紅珠の足をぱし、と叩く。
思わず何すんだ、といきり立つ紅珠に、銀埜はあくまで静かな表情を浮かべたまま言う。
「まず、正座で数時間は耐えられるようにしませんと、お話になりません。
大和撫子というものは、表面では涼やかに、裏では多大な努力を行っているものなのですよ」
 何となく先生気取りな銀埜を他所に、私たちはひそひそと囁きあう。
(…なあ、そーいうもんなの?ていうかこの兄ちゃん、人格変わってない?)
(…ごめんなさい、この人こういうの結構好きみたい。まあ、付き合ってあげて?)
(まー、それで大和撫子になれるんならいーけど…)
「おしゃべりは以上ですか?」
「っ!」
 銀埜の氷点下の眼差しが私たちに突き刺さり、私たちは二人揃ってビクッと体を震わせた。
そしてそそくさと身を繕い、きちん、と正座を組む。
ふと横を見ると紅珠も同じように正座を組んで、ちょこん、と手を太ももの上に重ねていた。
 その様子を見ていた銀埜は満足そうに頷き、
「では、そのままで私が良いというまで居てください」
 そうさらりと告げたあと、よっこいしょ、と御座から立ち上がる。
てっきり銀埜も一緒に耐えるものと思っていた私たちは顔色を変えた。
「ちょっ、銀埜サンも一緒にやるんじゃねーの!?ずっこいぞ!」
「そーよそーよ。一緒にやるべきよ」
「……………。」
 ぎゃあぎゃあと叫ぶ私たちを見下ろす銀埜の目が、冷たく光る。
なので仕方なく私たちは黙り込んだ。
銀埜はふぅ、とため息をつき、
「リネアの勉強を見てきます。頑張って下さいね、大和撫子候補のお二人」
「……………はい。」
 仕方なく頷く私たちだった。
今の銀埜には勝てそうもないわ…。

 そして銀埜の背を見送りながら、私はふと思った。
…何で私も一緒に参加してることになってるのかしら?









 そして、時間で言えば1時間後。
―…私たちの体内時計からすると、数時間以上経過したように思えたけれど。
 またあの浅葱色の浴衣を着ている銀埜が、着物の裾に組んだ腕を突っ込んだポーズで、私たちを見下ろしていた。
「……………。」
 ああ、無言の視線が痛い。
足を触ることもできずにうめいている私の隣では、紅珠が芋虫のように蠢いていた。
着物の裾がはだけているのにも気にせずに、びくびく、と足が痙攣している。
 そんな紅珠をしばらく見下ろしていたあと、銀埜はふと何気なしに膝をついた。
そして懐から出した扇子の先で、紅珠の足先をちょい、とつつく。
「〜〜〜ッ!!!」
 まさに声も出ない叫びとはこのこと。
あー…銀埜、あんた結構鬼ね。
私が同情を称えた目で見つめていると、紅珠は涙目になって叫んでいた。
「こっ…この鬼っ!悪魔っ!」
「違います、私は犬ですよ」
 澄ました顔でそう告げると、銀埜はすっと立ち上がって言った。
「…正座はやはり日々の鍛錬がものを言いますね。一朝一夕では出来ることでもない、か」
「じゃあなんでやらせたんだよ!!」
 芋虫状態になりながら、それでも叫ぶ紅珠。
だが銀埜はあっけらかんと言った。
「…面白そうでしたので。」

 鬼畜の影が見え隠れする銀埜に、芋虫になった紅珠が延々と呟いていた言葉を、私は聞き逃さなかった。
――…毟る。いつか絶対、あいつの毛ぇ毟ってやる。

 …銀埜。あんたしばらく、紅珠さんの前では犬に戻らないほうがいいわよ…。










 そして数十分の休憩のあと、私たちはまた御座の上にちょこんと座っていた。
一応再度正座、ということになってはいるが、私と紅珠は足の先を微妙にずらしている。
…もうあんな芋虫状態は勘弁してほしい。
「何これ?」
 紅珠は首を傾げて、自分の目の前に置かれた道具を眺めていた。
なにやらとても痛そうな棘だらけの小さな台と、深い鉢、大振りの鋏に、色とりどりの草花。
それらをもう一度眺め渡して、紅珠は再度呟いた。
「…何、これ?」
「お花ですよ」
 銀埜は一言だけそう言って、自分の前にもおいてある同じような道具を手に取った。
「華道ともいいますね。やり方はご存知ですか?」
「知ってるわけねーじゃん」
 紅珠の言葉を聞き、銀埜の額に血管が浮き出ているのを、私は確かに見た。
 
           べしっ。

 一瞬の間に、紅珠の頭に木の棒のようなものが叩きつけられた。
紅珠は思わず叩きつけられた部分に手をやって、口を尖らせる。
「何すんだよ!痛いじゃん」
「…その言葉遣いからまず直すべきですね」
 銀埜ははぁ、とため息をつき、もっていた木の棒…何故か孫の手―…を肩にぽん、と担ぐ。
そしてキッと厳しい視線で紅珠を見つめた。
「まず、一人称はわたくし、と。間違っても俺などとは言ってはなりません」
「わ、わたくし!?」
 紅珠は呆気にとられ、口を開けて固まった。
…銀埜、紅珠さんにそれは少々酷ってものよ。
 だが私の内心の同情に反し、紅珠はなかなか本気だったらしい。
「わたくし、だな!オッケー、そんで?」
「……あなたは基本的に分かっていないようですね」
 はぁ、とため息を吐く銀埜。だが紅珠は口を尖らせ、反発する。
「分かってるって。俺…じゃなくて、わたくし、大和撫子ですもの!ほほほ」
「……………まあ、頑張って下さい」
 乾いた笑いをあげる紅珠をじとっとした目で眺めながら、銀埜は引きつった笑みを浮かべていた。
……なかなか大変ね、色々と。



 そしてしばらくの間紅珠は華道とやらの講座を銀埜から受け、一人ぶつぶつと呟いていた。
私はただ鉢の中に設置した剣山に、花を刺していくだけだと思っていたけれど、色々と手順があるらしい。
「…分かりましたか?ではどうぞ、ご自分の思うがままにやってみてください」
「はい、先生っ」
 紅珠は元気良く返事をしたあと、ふんふん、と鼻歌を歌いながら鋏を手に取った。
いつの間にか先生に格上げされていた銀埜は、苦笑を浮かべながらも紅珠を見つめている。
…どうやら、彼女のおしとやかには程遠い動作に口を挟むのはもうやめたらしい。
うん、それが懸命ね。
 そしてそんな銀埜の目の前には、先ほど彼が見本と称して作り上げた作品が鎮座していた。
何色も使っているけれど計算された纏まりが出来上がり、一つの世界の秩序を作っている。
…華道っていうのはこういうものなのね、と私は納得したものだ。
しかしセンス云々はともかくとして、これこそ一朝一夕で出来上がるものなのかしら。
 私はそんな目で銀埜を見ると、銀埜はにこ、と笑って自分の口に指を当てた。
黙っていろ、のポーズだ。
それを見て、私はようやく悟った。
―…この子、やはり―…楽しんでいる。
(全く、いつの間にこんな性悪に育ったのかしら)
 私は心の中で呆れたため息を漏らしながら、紅珠のほうを見た。
紅珠は紅珠で、孤軍奮闘しながら剣山に切った花の茎を刺している。
…確かに私も、彼女がどんな世界を作るのか、見てみたいけれど。
「…頑張ってね、紅珠さん」
 私がそう声をかけると、紅珠は鋏を握り締めたまま、にかっと笑みを向けた。
「おう!任せとけって。…じゃなくて、任せてちょうだいあそばせ!おほほ」
「………なんか微妙に違ってるわよ」
 まあ、やる気なんだから、いいか。








 そうして1時間程たった後、紅珠の前には素晴らしいものが―…出来上がっていた。
『…………………。』
 三者三様の意味を込めて、私たちは無言でそれを見下ろしていた。
その沈黙を破ったのは、当の紅珠だった。
「あ…あははは!なかなか難しいのな、お花って。ちょっと変になっちゃった。あはは」
 着物で露出した首筋をぽりぽりと掻き、引きつった笑みを浮かべている。
「……そ、そうですか。確かに最初は難しいですしね…ええ」
「う、うん。あっ、でもでも、それなりに面白いと思うわよ…うん」
「……面白い……」
 私のフォローに、ずぅんと暗い顔を見せる紅珠。
私は慌てて取り繕うようにいう。
「そう、そういう意味じゃなくって!紅珠さんらしくて、面白いかなーとか!
ほ、ほら、茎にほかの花を絡ませてみたりとか、花びらをむしって直接剣山にぶっ刺してるとことかっ」
「……まるで深海のようですね。ある意味素晴らしいと思いますよ」
 銀埜のぼそっと呟いた言葉に、びくりと震える紅珠。
「ほら、この剣山に直接刺さっている花びらが、珊瑚のようでしょう。前衛芸術という線で売れるのでは」
「そうよね、好事家とかが買ってくれるかも。見ようによったら、色使いも毒々しくていいかもしれないしね?」
「そうですね、まるで海底に咲く花のようです。もしくは、擬態する魚とか」
「ああ…カサゴだっけ?前にテレビで見たわね」
「ええ。あと、鉢の底に海蛇でも潜んでいそうですね。そういうオプションをつけても面白いかもしれません」
「ああ、それもいいかも。あと小さい岩も転がしてみるとか…紅珠さん?」
 調子に乗ってべらべらと喋っていた私は、ふと横で震えている紅珠に気がついた。
そしてハッと思い出す。
「ち、違うのよ。決して紅珠さんの作品で遊んでるわけじゃなくって…!」
 だけど、私のフォローは果てしなく遅かったようで。
紅珠はがばっと立ち上がり、すぅ、と息を吐いた。
「前衛芸術じゃねえっ!大和撫子なんだよ、ナデシコっ!
別に好事家に売るために作ったわけじゃねえもんーっ!!」
 そして叫びながら玄関に向かって駆け出していく。
私たちは呆然としながら、それを見送るしかなかった。
やがてばたばたと何かが駆け抜ける音が店の横手でしたかと思うと、裏手のほうでぴたりと止まる。
だがその間も、彼女の怒鳴り声は続いている。
「ルーリィの馬鹿っ!銀埜のアホーっ!もういいもんね!大和撫子なんかくそくらえだっ」
「あー…馬鹿って言われちゃった」
 私は外から響く彼女の怒鳴り声を聞きながら、引きつった笑みを浮かべていた。
横にいる銀埜は、やはり冷静な表情を浮かべている。
「全く、ああいう言葉遣いではいけないと言うに。…自棄を起こしましたかね」
「…そりゃ起こしもするわよ」
    …ごめん、紅珠さん。
 心の中で紅珠に頭を下げていると、やがて裏のほうから、ザッパァンという音が響いてきた。
私たちは顔を見合わせ、どちらともなく呟く。
「…飛び込みましたか」
「…やっぱり人魚さんね」
 池を残しておいてよかった。私は心底、そう思った。









                   ■□■









 そしてしばらく経ったあと、私はのんびりした足取りで裏庭…もとい、裏池へと赴いた。
池の淵には紅珠が着ていた着物や帯、紐類が散乱している。
私はそれらに水が飛ばないように、それらを担いで遠くのほうに寄せた。
そして池に向かって呼ぶ。
「紅珠さん、大丈夫ー?」
 その声が池の底にまで響いたのかは知らないが、やがてぽちゃん、と水面が跳ねる音がして、水にぬれた紅珠が顔を出した。
彼女の少し後ろには、まるで金魚のような朱い魚の尾が見え隠れしている。
―…人魚に戻ったのだ。
 私は苦笑を浮かべながら、池の淵に近づいた。
「ごめんなさい、紅珠さん。からかったりして」
「…やっぱりからかってたんだ?」
 紅珠はむすっと口を尖らせながら、それでも尾を動かして池の淵に近寄ってきてくれる。
 私は申し訳なく思って手を合わせ、
「初めはそんなつもりじゃなかったのよ?でもね…ほら、紅珠さんが可愛らしくて。
ね、ほらこのとおり。ごめんなさい、許して?」
「…………。」
 紅珠は暫し私の顔を見上げていたが、やがてふぅ、と息を吐いて笑顔を見せる。
「まーいいって。人には向き不向きってもんがあることを思い知ったよ。俺にゃー無理だわ」
 そう言って、あはは、と乾いた笑いをあげる。
私は池の淵に腰を下ろしながら、首をかしげた。
「まあ、向き不向きがあるのは同感だけど…悲観することもないわよ。
ともう少し紅珠さんが成長したら、きっともっと素敵なレディになってると思うわ。
人には向き不向きもあるけれど、タイミングもあるんじゃないかしら」
 私の言葉に、紅珠は暫し考えるように尻尾をぱしゃぱしゃ、と動かしていたあと、うん、と頷く。
「そっかあ…まだ早かったってことかな」
「そうよ、きっとそう。だからもう少ししたら、ニュー・ネオ・紅珠さんになってると思う」
 私はそう、自信満々に言った。
紅珠はあはは、と笑い―…今度は本当の笑い声を―…私に言った。
「ルーリィ、ニューとネオを一緒に使うのはおかしいって」
「あらそう?それは失礼しました」
 私はそう言いながら、紅珠には着物も似合うけれど、やはり海が似合うな、と思っていた。

 しばし水と戯れる紅珠を眺めたあと、私はこっそりとささやくように言った。
「ね、紅珠さん。今度は私に―…泳ぎ方、教えてくれる?」
 紅珠はその言葉に目をぱちくりしながら私を見上げる。
私は肩をすくめてみせた。
「これでもね、カナヅチなの。紅珠さんが教えてくれたら、助かるんだけどな」
 どう?と首を傾げる私に、紅珠はニッと彼女らしい笑みを見せて、言った。
「モチロン。でも俺の泳ぎ方講座は厳しいぜ?」
「ふふ。じゃあお手柔らかにお願いしますね、先生」

 笑いあいながら、私はこれで今年の夏は涼しく過ごせそうだ、と思った。

 人には向き不向きがあるんだから、助け合えばいいじゃない。ね?
何も無理して違う自分にならなくてもいいのよ。あなたはそのままで、十分に素敵なんだから。











                           End.







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▼ 登場人物 * この物語に登場した人物の一覧
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【整理番号|PC名|性別|年齢|職業】

【4958|浅海・紅珠|女性|12歳|小学生/海の魔女見習】

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▼ ライター通信
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 いつもお世話になっております、瀬戸太一です。
またのお越しをありがとうございました^^
コミカルな雰囲気で、ということでしたのでこういったお話になりましたが、いかがだったでしょうか。
個人的には頑張っている紅珠さんが非常に愛らしく見えました。
そういうところも伝わっていればいいなあ、と思います><

 それでは、お任せして頂きありがとうございました。
またお会いできることを祈って。