＜東京怪談ウェブゲーム　アンティークショップ・レン＞ FIARY　SEED 「『FAIRY SEED』。妖精の種…か。随分と珍しい物を持ってるじゃないか」 煙管から立ち上がる紫煙を燻らせながら蓮は客人の顔を見遣った。 淡いグリーンの瞳の中でランプの灯りが揺らめいている。ロキシーと名乗った女はまだうら若い、生白い顔を蓮に向けて口端を持ち上げた。 西瓜の種より少し大きい、先端の尖った種子が色褪せた皮袋の中から数個だけ飛び出してカウンターの上に散らばっている。 正直蓮自身も文献でしか目にした事が無い代物だ。其れも植物図鑑などでは無く、如何にも怪しげな魔術関連の本で、である。 「妖精の種。その名の通り妖精の元となる種です。植えた者の個性、愛情や育て方によって姿を自在に変える不思議な種…繁殖させるのは大変でした」 「と、なるともしかしてアンタ…」 「ええ、英国魔女の一人です」 流暢な日本語でロキシーが告げる。自らを英国魔女と称しながら此処まで日本語が達者だと謂う事は幼い頃から長期間日本に住んでいたか、若しくは見た目以上に高齢なのかも知れない。 魔女にはそうした人間が多い。彼女達は謂わば若作りのスペシャリストなのだ。 「この種、御宅で買い取って頂けないでしょうか？」 「いいのかい？妖精の種は魔女達の間でも相当貴重な代物だと聞いてるよ」 「構いませんわ。一人の人間が育てられる妖精は生涯一匹限り。ご存知の通り、私達魔女は長生きですもの。此れから先、妖精を育てる機会は幾らでもあります」 ロキシーは指先で種を一粒抓み上げて、其れをランプの灯りに照らした。種というより宝石に等しい藍色の輝きを放ち、その中に琥珀色の線が縦に数本入っている。 店に並べるつもりだったのか、カウンターに乗せられた空のワイングラスに種を落とすと、幻想的な音が薄暗い店内に響き渡った。 そのワイングラスを蓮の前に翳して、ロキシーは再び淡々しく微笑んだ。 「ビジネスライクに行きましょう？」 ＜オープニング終了＞ 「まあ、何て綺麗なんでしょう」 リビングの一角、西日が満遍無く入り込む窓辺に佇んで海原・みなも（1252）はうっとりと感嘆の声を漏らした。 陽光に照らされた涙型の種はみなもの瞳と同じ深い海色をしている。みなもは種をそっと自分の掌に包んで、その手を祈るように自分の額に押し当てた。 「ゆっくりで良いから元気に育って下さいね」 植木鉢の中は湖から採って来た新鮮な土で溢れている。良く解れた土のベッドに姉から貰った種を寝かせ優しく土を被せると、みなもは穏やかな瞳で植木鉢を見つめた。 子を想う母のような暖かい眼差しで。 種を植えた二日目、みなもの姿は本屋にあった。 一つは読書感想文用の本を買う為、そしてもう一つは植物の本を買う為である。 みなもには植物を育てた経験が殆ど無い。幾ら妖精の種が丈夫とは謂え誤った知識で枯らしてしまったりしたら大変だ、そう考えたのである。 みなもは物語の本を一冊小脇に抱え、『植物・動物』と札の掛けられたコーナーに向かった。 本の背表紙を指先でなぞりながら慎重に本を選んで行く。時折本を手に取って中を覗き見たりもした。 「この本、とても素敵な絵……」 『花を正しく愛する方法』 そう題された本の両表紙には朝顔と夕顔が生き生きと色鮮やかに描かれている。写真が多い中でその絵は一際みなもの目を惹いた。 パラパラと中を覗いてみると中は全てカラー用紙を使っており、花も一輪一輪丁寧に描写されている。モノクロでも十分に魅力的なのだろうが、何よりその色鮮やかさが見る人の心を惹き付ける。 作者や編集者の拘りを垣間見た気がして、みなもはその本を持ってそのまま店のレジへと足を向けた。 「成る程。やっぱり水をあげ過ぎちゃいけないんですね…水をあげ過ぎると根腐れする、と」 日光に長時間当てる訳にはいかないので植木鉢は陽射しの強い昼間はみなもの部屋の机の上に置かれている。 みなもは植木鉢を気に掛けながらも早速買ってきたばかりの本に目を通し、重要な部分だけを一つずつメモに書き出していった。 勿論市販されている植物の本に『妖精の種』の育て方なんて項目は載ってはいないので基本的な事柄だけを書いているのだけれど、それでも気が滅入るような情報量である。 「ふぅ、植物を育てるって大変なんですね」 一人呟いてみなもは植木鉢を見つめた。芽はまだ生えていない。 先程水を与えた為、土は存分に黒く湿っている。みなもは土の中が気になって、思わず手を伸ばし掛け、―――――そしてその手を戒めた。 「……気持ち良く眠ってるかも知れないのに起こしたりしたら迷惑ですよね。そろそろお夕食の買い出しに行かないと」 机の上に広げられた日記や本をてきぱきと片付けて立ち上がる。部屋を出る前に植木鉢を一瞥し、そして深い溜め息と同時にドアを閉めた。 その晩、みなもは夢を見た。 夢の中のみなもは幼い。目の前には小学校時代に育てた朝顔のプラスチック鉢が立ち並んでいる。 蔓が三本の支柱に絡みついて、綺麗な紫色の花を咲かせていた。小学校時代の友人はそれぞれ自分の朝顔を先生に自慢して、頻りに笑ったりはしゃいだりしている。 みなももその輪の中に入りたくて、自分の名前の書かれた鉢を探すが中々見つかってくれない。 その時、友人の一人がみなもを呼んだ。みなもちゃんの鉢あったよ、と。 みなもは嬉しくなって友人に駆け寄った。友人の足元には確かに『うなばらみなも』と書かれた鉢が置かれている。 けれど。 花は咲いていない。 それ所か芽さえ生えていない。 ―――――みなもちゃん。残念だけど少しお水をあげ過ぎたのかも知れないわね。 遠くで先生の慰めの声が聞こえる。 みなもはクラスの誰より熱心に朝顔の世話をした。朝顔が渇いて苦しい思いをしないように、毎日水遣りを欠かさなかった。 みなもは水が大好きだったから、自分の好きなものを朝顔にも沢山あげたかった。 けれど、朝顔は一度も太陽の光を浴びずに冷たい土の中で短い生涯を終えてしまった。 ―――――ごめんなさいッ！あたし、最後までちゃんと育ててあげられなかった……ごめんなさい。ごめん、なさい…ッ…… みなもは朝顔の鉢を抱き締めて何度も謝り、何度も泣いた。 自分の所為だと謂う自戒の念と、あたしでさえ無ければと謂う後悔の念に苛まされて暫く立ち直る事が出来なかった。 そして泣き腫らした顔をベッドに沈め、誓ったのだ。 枯らしてしまう位なら、こんな悲しい思いをする位なら、もう二度と植物を育てたりしない、と―――――。 みなもは不安に抱かれ自室で目を覚ました。記憶の隅に押しやっていた過去を、夢と謂うある意味一番生々し過ぎる手段で呼び起こされてしまったのだ。 良い夢ならまだしもそれが悪夢ならば自然とリビングに向かう足取りは重い。 妖精の種は遅くても三日で芽を出すと聞いている。今日はその三日目である。 もしも、芽が出ていなかったら……。 苦い考えが頭を過ぎると元々重苦しかった足取りは其処で完全に停止し、みなもは階段の傍で膝を抱えて蹲った。 芽が出ていなかったらどうしよう。また、あんな思いをするのは嫌だ。 そう思うと後一歩が踏み出せない。 悪い想像を振り切るかのように頭を左右に振り、みなもは震える足に力を込めた。 「怖い…でも、座り込んでたって過去は変わらない。あたしが変わらなきゃ…」 大丈夫、自分に言い聞かせるようにそう唱えるとみなもは腰を上げ、再びリビングへ歩き出した。 歩調はゆっくりだが、確かな強さを秘めている。一歩、また一歩、とリビングに近付く度に鼓動が早くなるのが分かった。 そして。 反射的に閉じた瞳を少しずつ開いて行くと、視線の先にある植木鉢からはちょこんと可愛らしい双葉の芽が顔を出している。 先程までの足取りの重さはなんだったのか、疑ってしまうほど悠々とした足取りでみなもは植木鉢に近付き、中を覗き込んだ。 「芽、が出てる」 自然に頬が緩む。顔がにやけるのを止められない。 リビングにはみなも以外、否、みなもと妖精の芽以外は誰も居ない。咎められる事は無い。 みなもは植木鉢を両手で抱え上げ、自分の目線と植木鉢を同じ高さに合わせると微笑み掛けながら口を開いた。 「おはようございます。あたしの妖精さん」 発芽したからと謂ってこれから先、何が起こるか分からない。 みなもは甲斐甲斐しく世話を焼き、突然の事態にも対処出来るよう毎日の成長の様子を小まめに日記に記録した。 日々忙しい家事の合間に歌を歌って聞かせたりもした。 さよならの代わりにあたしの翼を差し出すわ 引き出しの奥に隠した羽は色褪せてしまったけど きっとあの人の空に飛び立てるはず けれど決して振り向かないと約束して......... 何歳の頃に聞いたのか。誰の歌だったのか。明確には思い出せないのについつい口ずさんでしまう、そんな歌だった。 悲しい歌だとは思っていたのだが、情緒的な歌詞と切ないけれど優しい旋律がみなもは好きだった。自分が好きなものは他人にも好きになって欲しい。 それはきっと本能。 芽はみなもの期待に応えるようにすくすくと成長し、茎を伸ばし、葉を付け、蕾を膨らませた。 蕾は淡いピンク色に色付き、種だった頃の青さをすっかり失って日に日にその大きさを増して行った。 時折みなもの日記を書く手が止まる。 蕾が大きくなればなるほど、別離は距離を縮めて行く。そんな胸を締め付けられるような思いに駆られて……。 種が海原家にやって来て二週間目の晩、みなもは自室のベランダに立ち尽くしていた。 手の中には植木鉢、蕾は今にも弾けそうなほど大きく育ち、夜風に震えている。 みなもの口から零れ落ちる物憂げな溜め息も、頬を打つ夜風に溶けて行った。 「もうお別れなんですね…」 長いようであまりに短過ぎた二週間。思えばこの二週間、みなもの生活は全て妖精の種を中心に回っていたような気がする。 植木鉢が野良猫などに傷付けられないよう常に目を配り、成長を促進する為、出来るだけ多くの音楽を聞かせた。 目を覚ませば『おはようございます』と真っ先に蕾の無事を確認し、眠る前には『おやすみなさい』と今日一日が平穏無事に終わってくれた事に感謝した。 只管に、愛情を注いだ。 蕾はもうすぐ花を咲かせて、妖精になる。 最初から分かり切っていた、覚悟していた事なのにそれが今はとても辛い。 黒紫色の空を漂う薄暗い雲が割れて、満月の柔らかな光がみなもを包み込む。 それを待ち侘びていたかの如く妖精の蕾が静かに輝き出した。輝く、と謂うより灯る、と謂った表現の方が相応しいかも知れない。 光は徐々に強さを増して行き、みなもの顔を桜色に照らした。 ふわり。 天の羽衣を連想させるほど緩徐に蕾が綻びて行く。 蕾の頃は気付かなかったが花弁は内側から外側に向かって白からピンクへのグラデーションを描いていた。 五枚の花弁に包まれて、絹糸のような髪を靡かせながら妖精が大きな瞳を瞬かせた。 生まれたばかりの瞳は、種の面影を残した深い海色だった。 「こ、今日は？」 不相応な言葉が唐突にみなもの口から飛び出した。今は夜である。余程動揺しているのだろう。 妖精は顔の三分の一を占める瞳を見開いてみなもを見つめ、蜻蛉に似た羽をパタパタと羽ばたかせた。 ピンク色の髪に、ピンク色のコスチューム。 夜空に良く映える色彩はキラキラと光の粒を撒き散らし、華やかな軌跡を残しながら植木鉢を離れて行く。 右に左に、不安定にふらつきながらもどんどん上昇して、やがてみなもが手を伸ばしても届かない所まで飛躍してしまった。 「待ってッ！―――――――あ、」 みなもがベランダから身を乗り出した瞬間、主を失った植木鉢が腕の中から転げ落ちて行った。 植木鉢はベランダの下へと真っ逆様に急降下して行き、庭に置かれた置石にぶつかって焼き物特有の透明感のある破壊音を響かせる。 態々見下ろさなくても中に入っていた土と植木鉢の破片が庭に散乱している光景は容易に想像出来た。 突然のアクシデントに気を取られたみなもが慌てて夜空を見上げた頃には、妖精の姿は其処には無かった。 「…行っちゃった……」 突如襲う喪失感にみなもはその場にへたり込んだ。 見返りが欲しかった訳じゃない。感謝して欲しかった訳でもない。 只、一度だけで良いから言葉を交わしたかった。 何だって良い、語り掛ける言葉に返答が欲しかったのだ。 話が、したかった。 だが、妖精が飛び立ってしまった今ではそれも叶わない。 立ち上がろうと手を掛けたベランダの手摺りが妙に冷たくて、みなもは少しだけ泣きたくなった。 さよならの代わりにあたしの翼を差し出すわ 夜風に乗って何処か懐かしい、清浄な歌声が響く。 その声に聞き覚えは無い。けれど、みなもには誰が歌っているのかすぐに分かった。 「妖精さん……？」 引き出しの奥に隠した羽は色褪せてしまったけど きっとあの人の空に飛び立てるはず それは確かにみなもが妖精の為、子守唄代わりに歌った歌だった。 悲しさと優しさを併せ持った心地良い旋律が気弱になったみなもの心に少しずつ熱を与えて行く。 生まれる前から歌う事を知っていた早熟過ぎる歌声はみなもの性質をしっかりと受け継ぎ、繊細さと愛情に満ち溢れていた。 「私の歌、ちゃんと届いてたんですね」 返答は無い。それでも、みなもはもう泣きたいとは思わなかった。 孤独な歌声は次第に二重唱へと変わり、二つの歌声は木々の間を打ち渡って、月を跨ぎ、星の海を泳いで、何時までも、何処までも、響き渡っていた。 けれど決して振り向かないと約束して あたしは一人 あなたを想って 海に涙を流すから............ 妖精から貴女への言葉 ママ、今まで育ててくれてありがとう。 ママのおかげであたし立派な歌の妖精になれました。 ママの歌を聞くとね、すごく気持ち良くてすごく優しい気持ちになれるの。 あたしもママみたいに優しい歌を沢山歌って、皆を幸せな気分にしてあげたいです。 寂しくなったらあの歌を歌ってママの事を思い出します。 だからママもあたしの事を忘れないで下さい。 もしママがあたしの事を忘れても、ママはずっとあたしの大事なママです。 □■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□ ■　　　登場人物（この物語に登場した人物の一覧）　　■ □■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□ 【1252/海原・みなも/13歳/女性/女子中学生】 □■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□ ■　　　　　　　　　ライター通信　　　　　　　　　　■ □■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□ 初めまして、海原みなも様。ライターの典花と申します。 今回は『FIARY SEED』に参加して下さり有難う御座います。 みなも様の優しさ、母性を表現出来るように頑張ったのですが、如何でしょうか？ これが私に今の書ける精一杯です。 皆さんに満足して頂けるような作品を書けるよう精進して参りたいと思っておりますので、今後とも宜しくお願い致します。