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この花咲いて
「ティレ、来て欲しいわ」
それは女性の声。少し透明を帯びた、澄んだ声だ。
ティレと呼ばれた少女、ファルス・ティレイラははっとして顔を上げた。顔にはペンやらクリップの痕がくっきりくっついていた。それからヨダレの痕と…。
「は、はい師匠!」
師匠と呼ばれた女性、シリューナ・リュクテイアは腕組みをし、奥の少し広い部屋で仁王立ちをしてティレイラを少し睨んだ。
「店番はちゃんとしてって頼んだわよね」
「あ、はい、ごめんなさい」
本当は優しい事は分かってる。でもここにきてシリューナはそれを見せず、あえて怖い師匠を演じてみせる。
「いいから顔を洗ってらっしゃい。話はそれからだわ」
そう言われティレイラは急いで洗面所へと駆け込んでいった。
「お待たせしました〜。何でしょう師匠!」
さっぱり顔を洗ったティレイラは意気揚々とシリューナの前に姿を現した。
ここはシリューナの営む魔法薬屋内にある少し広めの一室。壁沿いには魔法薬をしまっておく引き出しが並び、置いてある荷物は少なめで、主に魔法を使う場所とされている。
例えば、シリューナがティレイラに課題を与える場所……。
そして今回もそれに違わず、シリューナは一つの提案をここに掲げた。
「いい? ここに今から魔法で冷気を帯びさせた水晶を浮かべるわ。ティレ、貴方はそれを炎の魔法で見事に玉砕してみなさい」
ティレイラは少し考え、それからその顔を笑顔で万弁に染め上げた。
「いいの? それだけで―――――?」
ティレイラは内心ガッツポーズをしていた。何故なら彼女は炎の魔法を最も得意としているのだ。
だがそれを悟っていたシリューナは、もう一つ言葉を紡いだ。
「あら、私がただでこの課題を出すとでも思ってるの? ティレが炎の魔法が得意という事なんて、私は重々承知の上よ」
「え―――……」
嫌な予感がしてティレイラの顔はさっと陰りを帯びた。というか、凍った。そうやって面白そうに笑うシリューナは、ティレイラにとってとんでもない極まりない存在であるのだった。
さっとティレイラの頭に何かがかけられる。濡れたその雫は結晶となって足元に落ちた。
「え、えぇ―――!?」
「ふふ。さて、これは何でしょう?」
ティレイラは眼を丸くしてぐるんぐるんと頭を回す。焦点をやっと合わせ足元に落ちた結晶を見やった。
「え、呪い!?」
「正解。魔力を吸収し結晶となって封じておく特殊な水よ。効力は一時的だけど。ま、呪術としては初歩的なものだわ」
綺麗な小瓶を細い指で絡め、ゆらゆら揺らしてシリューナはくすくす笑っている。きっとそう、そうやって、ティレイラに課題を与え、面白そうにしているこの師匠は、実はとんでもないSではないかと錯覚させられる。そしてそれはとても美しいのだ。
くらくらする程に。
ティレイラは、はう。と息をつき、試しに呪文を唱えてみる。
本当だ。
いつもの半分しか魔力が発揮出来ない。
「わ、本当だ。うわ、どうしようどうしようっ」
「さ、いくわよ」
「わ、ちょっと待っ――――!!」
ふわ………。
それは、周囲を凍てつかせる魔法の冷気を纏いながら、シリューナの手から離れてゆく。
「そうだ。これを」
シリューナは自分の羽織っていた上着を脱ぎ、それに手を翳し何か呟いてから、ティレイラにひょい、と放り投げた。
「??」
見事キャッチしたティレイラは頭にハテナを浮かべる。
「冷気を感じなくする防具よ。感じなくするだけで逸らしはしないけれど。ないよりマシでしょ。たっぷり集中するのよ」
その服を掴み、ティレイラは服とシリューナの顔を交互に見比べ、そして少しはにかんだ。
「はい!」
その笑みは可愛らしい。それはティレイラだからこそ見せられるチャームポイントなのだった。この笑顔がシリューナは好きだ。
見る間にティレイラの眼の前で冷気は渦を巻いてゆく。ティレイラはシリューナに貰った上着を身に付け、それに挑む。
シリューナは少し離れた場所でその光景を優しく見守っている。
ティレイラは呪文を唱える。そう、それは炎の呪文。炎の精霊に語りかける心の調べ。
眼を閉じ、ティレイラは集中する。なるほど。確かにこの服のおかげで冷たさを感じない。存分に集中出来るってワケだ!
ごうごうと冷気は増してゆく。ティレイラは必死に炎を翳すけれど、普段の半分の魔力ではこれが限界だ。少々押され気味になってきた。それでもシリューナは腕組みをして壁に凭れかかったまま微動だにしない。顔には笑みなんてとうに消えていた。
ティレならやれると信じていた。だからこうやって見守っている。手を貸すなんて無粋な真似はしない。それはティレイラを傷つける事と同じだ。
「っく――――!」
ちょっと押された。ティレイラがふらつく。
もっと。
もっと。
もっと強い魔力を!!
「はあぁぁあぁ!!」
声を絞り出す。力の限りを搾り出して。ティレイラは叫んだ。このままじゃやられてしまう。
そうはいくもんか!!
ゴゥゴゥと蠢く炎を操り、冷気を捉える!
いける!
これならいける!
「その調子」だとシリューナの声がしたのが分かった。
「いける!!」
手の平に力の限り集中し、精神を研ぎ澄ます。今の状態なら、そう丁度五分と五分。
その時、しゃり。しゃり。と床で音がした。
「え、嘘―――!?」
足元の魔力の結晶が冷気の渦へと吸い込まれていく。駄目! そんな、これでは冷気の威力が増してしまう!?
「待って、ティレ、まさか磁気を帯びた炎を―――」
「え!?」
ばちばちと音を立てて冷気が刃と化してゆく。
「嘘! こんな―――、こんな事ってありー!!?」
「相乗効果だわ。まさかとは思うけど、無茶をした出来損ないの炎が冷気を巻き込んで一緒にあり得ない磁気を放出しているわ!」
「で、出来損ないってそんなのあんまりです〜師匠〜〜!!」
「あ、と、ごめんなさい。でもティレがあまりに無茶な事をやるから……。もういい。課題は中止よ」
「そんな! 嫌です私―――やり抜きたいです!」
「でも…!」
そう、このままでは危険だ。ちりちりと焼ける匂いはするけど、冷気は一向に力を休める素振りも見せない。
磁気を帯びた炎は冷気を纏って更に増大していく。これは魔力の塊。かなり無理をしていた。これは邪悪な炎だ。なんでこんなものを呼び寄せてしまったのか。
それはティレイラの必死からだった。必死に呼び叫んでるうちに、こんな精霊へと聞こえてしまったのであろう。
もうここまでなのか……。
もう、これまでなのか―――――…!
「いい考えがあるわ。見ていて師匠! これが私の実力です!!」
ティレイラは上着を脱ぎながら、周囲を凍てつかせる水晶へと駆けてゆく! 宙へ!!
そしてばさ、と水晶に服をかけ、それに手を翳す。
「これで包めば感覚もなくなる! って事は直に触れられるってワケよ!!」
「ティレ!!?」
「さぁ、私の魔力を返して貰うわ! いい、今から三つ唱えるから―――――いち、に、さん!!!!」
ゴッ――――――――!!!!!
力が逆流してゆく。
部屋中へ飛び散ろうとしている魔力のカケラが、冷気のカケラが、服で抑えられて見事に真ん中で一つに纏まっている。
宙に浮いているティレイラが、くるりと冷気の周りを一周し、水晶に手を翳しながら、そして呪文を唱える。
「これが私の魔力(ちから)だァー!!!」
―――相殺―――――――――――!!!!!!
冷気と炎が混ざり合う。そして逆再生をしたみたく、炎も冷気も内へ吸い込まれて消えていく。
「………相殺…した」
ほぼ呟くように、シリューナは口にした。
それはまるで花が開いたような格好をしていた。水晶を真ん中に、シリューナの服が花弁となって広がっている。
つまりは跡形もなくびりびりになってしまったという事。
ティレイラは恐る恐る宙に浮いてる水晶から服を取ろうとするが、水晶の吸引力のせいか、それは水晶に取り込まれ、半分しかその原型を留めてはいなかった。
「あ。はははははぁ………」
少女は既に息を失った水晶、否、花弁を抱え込み、その場にずるずると座り込んだ。
「心配させないでよ、もう」
シリューナは何かを堪えるように、ティレイラの傍に寄り、そして抱きしめる。
「…………駄目かと思いました〜…」
ティレの声が震えている。本当はとても怖かったのだろう。
「もうくたくたね。あんな炎呼び出すから……疲れたんだわ」
「は。はいぃ…その通りです。くたくたですぅ」
身体中が重たかった。腕がぱんぱんに膨らんでいる。これがあの炎の代償だとでもいうのだろうか。ならばその損害は大きい。
シリューナはティレイラを解放し、そして口を近づけ囁いた。
「課題終了ね」
「え…、あ、はい!」
ティレイラは内心ドキドキした。結果を聴くって、それだけでも勇気のいる事。どうだったんだろ。うわ〜ん、泣きそう。
「不合格!」
ガク。
ティレイラはガクリとうな垂れた。
「まず、私の服をこんなにしてしまったのは要因が大きいわね」
クス。と笑い、シリューナはティレイラの腕の中にあるそれを一瞥した。
「そして、無理してあんな魔力を使った事。それから最後に己の力を取り戻してから挑んだ事。駄目よ。魔力は、半分なら半分なりに知恵を使って乗り越えなくては」
「ご、ごめんなさい」
しゅん。
めっきり塞ぎこんでしまったティレイラが何だか可愛くて、シリューナは再度彼女を抱きしめる。
「でも魔力を取り戻したその心意気はよかったわ。普通は取り込まれてしまったら最後、自然に元通りになるのを待つしかないわ」
「はい…」
「よくやったわ。貴方には才能がある。いくら頑張っても、あんな炎を呼び出せるのは極少数、いえ、いないかも知れないわ。貴方の必死さが届いたから炎の精霊も力を貸してくれたのよ。ま、あまり頂けない精霊だったけれど、ね」
くすくす笑う。
何だかくすぐったくてティレイラは眼を擦った。
「ありがとうございます。師匠…」
はう…。
何だかぽう、としてしまう。不合格で、いいとこ一つもなかったけど(いや一つはあったかな?)こうやって師匠が笑ってくれるので、それもよしとしよう。
ティレイラはそう思った。
こんな温かい事があっていいものだろうか、と。
「何だか不思議だけど、とっても嬉しいです!」
ティレイラはシリューナに反対にこれでもかというくらい抱きついた。
「こら、調子に乗るんじゃないわよ」
くすくすくす。
それは心地良く、この部屋をぐるっと包んで離さない。シリューナの体温と、ティレイラの体温と、一緒になって、まどろんで。
少し疲れて息をつく事も、今では心地良い。
もう少しこうしてたいな、なんて、ティレイラは思っていたりしていたのだった。
fin
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