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<東京怪談ノベル(シングル)>


ゆったりと、ゆっくりと。〜教師にも個性あり〜


 この巨大な学校群に非常勤スクールカウンセラーとしてやってくるようになってからどのくらいの時間が経っただろう。自分の仕事をしっかりとした職業として受け止めなければならないのなら、この意識は非常に大切なものかもしれない。けれど彼にとって、そんなことはとても些細なことだった。今日もまた神聖都学園の生徒たちが髪や大小のかばんを揺らしながら厳格を絵にしたような校門をくぐる。そしてその中に自分がいるということはもう当たり前の風景になりつつあった。若人の群れに混じっているという妙な違和感も、初出勤の頃のあの緊張感も今はない。それくらい早い時間でこの場所に溶けこんだのというのは、それはそれで立派なことなのだろうか。門屋は自分に与えられた部屋の窓から眼下に広がる学園の景色をぼーっと見ながらそんなことを考えていた。黒光りする立派な椅子の肘掛けに肘を立て、手の上に頬を乗せたまま最近の出来事を思い出す。

 最近といえば、やはり理事長に呼び出されたことが一番の出来事だろう。その時ふたりは豪華な調度品や部活動で得た賞状やトロフィー、盾などが飾られた部屋で向き合った。しかし、門屋にとってこの部屋は何度来ても落ちつかない。彼は『もしここで彼女が自分の悩みを打ち明け始めたらどうしよう』と柄になく焦ったほどだ。
 すると相手はどこから情報を仕入れたのかはわからないが、「門屋先生はカウンセラーの先生方の中ではずいぶん評判のいいようですわね」と今までの働きを評価する言葉を発した。理事長の表情は明るく、言葉にもトゲがない……彼は一瞬にしてそれを見切った。そしてその言葉の裏に隠された意図を探りつつ、話の本筋をゆっくりと引き出そうとする。カウンセリングは『まず相手の胸のうちにあることをすべて喋らせること』から始まる。どうしても彼が受け身になってしまうのは仕方のないことなのだ。
 すると理事長は彼のご要望通りに口を開いた。いよいよ本題かと門屋も背筋を伸ばした。しかしその緊張感は数秒後に吹き飛んでしまう。

 「先生。資料をお見かけしたところ、現在は非常勤カウンセラーとなっておりますが……どうでしょう、当校専任のスクールカウンセラーになっていただけませんでしょうか?」
 「……………はぁ?」

 門屋はもう少しで言葉とともに魂が抜けるところだった。『怒りを通り越すと驚きになる』というのは決してウソではないと再認識するには十分である。彼はとっさは『資料に相談所やってるって書いてあるだろ!』と勢いよく言いそうになったが、そこは何とかグッと堪えてそれなりの表情を作ってからゆっくりと顔を上げた。自分の反応を見た彼女の表情を伺おうとしたその時、つい目と目が合ってしまった。理事長の瞳からは生徒たちのためを思って門屋を呼び出した気持ちが見て取れた。それに触れた門屋もせっかくの申し出を無下にする訳にはいかないとばかりに気持ちを入れ替えて襟を正して話す。

 「理事長、俺の才能を買ってもらったことには素直に感謝する。でも巨大企業並みの規模を誇るこの学園のすべてを俺ひとりで把握することはとうてい無理だ。それに俺が担当しているのは高等部……思春期真っ盛りのあいつらの心はほんの小さなことでも振り子のように揺れ動く。その揺れを治めるのが俺の仕事だ。この学園には他にも何人ものカウンセラーがいるが、みんな与えられた持ち場を自分なりのやり方でがんばってると思う。あくまで俺の私見だが、今はそれを誰かが統率するようなことはしなくてもいいと考えてる。ついでにワガママ言わせてもらえば、現場からの声をそっちが反映してくれればそれで十分。いや、十二分なんだよ。理事長の気持ちはありがたく受け取っておくが、申し出はそっくりそのまま返すよ。」

 最後の言葉を言い終えるが早いか、彼は静かに扉を開けてその場を去った。門屋が口にした言葉もまた、理事長と同じく偽りなどない。学園の現状や自分の希望を淀みなく話す彼はいつになくマジメな表情をしていた。それは決して不意に理事長の胸のうちを知ったからそうした訳ではない。確固たる信念が自分にあったからだ。理事長は穏やかな表情で嘆息し、仕方ないわねという表情で席についた。


 理事長にとって門屋を採用することは一種の悩みだったのかもしれない。しかしこれからもさまざまな仕事や問題と向き合うのだろう。門屋は彼女に生徒の心のケアの重要性を語ったが、実際にはここで働く大人たちも多くの悩みを抱えている。年齢の違いはあれど、生徒も教師も同じ人間なのだから思うところがあって当然だ。彼はそんな教師たちとのカウンセリングをきっかけに、大人たちとも少しずつでも馴染めたことが嬉しかった。まだ『自分』というものを確立していない生徒たちとは違い、ある程度のカラーを出して学園で日々教育に打ちこむ彼らとの付き合いはまた新鮮である。
 それに加え、カウンセリングを必ずしも門屋の自室で行わないのも特徴的と言えるかもしれない。かなり前になるが『熱血教師』と名高い男性教諭が「自分が悩んでいる姿を生徒たちに見せてはいかんのですよ」などと自分本位な理由をつけて門屋の部屋でのカウンセリングを拒否したのだ。「じゃあどこですればいいんだ」と聞けば、その日の放課後すぐに焼き鳥屋に引っ張られそこで話を聞かされたのだ。散々振りまわされた挙句、精神的に落ちつかない場所での仕事でいろいろと不満はあったが、その時はメシ代が相手持ちだったので出張カウンセリング代と思って遠慮なくがっついたのも今ではいい思い出である。
 門屋を頼るのは何も彼だけではない。今までにさまざまなタイプの教師がこの部屋を訪れている。ガタイのいい体育教師が身を小さくしてこそこそ部屋に入ってきたかと思うと、堰を切ったかのようにつらつらと小声で喋り出した。その内容は学校のことではなく、なんと家での生活についてだった。嫁と姑のケンカはどう仲裁すればいいのかとまぁ、これはこれで微笑ましい話ではあるが。昼間、学園内を歩いている姿からだけでは決して想像することのできない人並みな人生、そして地味な生活感。相談者は一日のほとんどをここで過ごしているかもしれないが、関心事は別のところにあるのだからわからない。
 まだまだそれだけではない。おっとりとした女性の養護教諭に生徒や教師からもらったラブレターの山を前に相談を受けたことがあった。またこの女性も恋愛感情が希薄で色恋沙汰にピンとこない性格の人らしく、「手紙を処分するのも残しておくのも困りますわ」と頭を抱えていた。自分に向けられた愛の文章を読んでもまったく心に響かないらしい。とりあえず門屋は手紙の端を持ちながら「相手の気持ちまで一緒に捨てる必要はないでしょう」とアドバイスをした。

 そんな大人の相談者の中でも、最も相談回数が多い教師がいる。それは生徒たちのよき相談相手として有名な音楽教諭の響 カスミその人だ。しかし彼女の悩みは日を置くと変わるというわけではなく、毎回似たような内容を持ち掛けてくる。カスミは授業の空き時間を利用してやってくることが多い。今日も授業中に部屋の扉がコンコンとノックされた。間違いない、この申し訳なさそうな音はカスミである。門屋は「どうぞー」と声をかけると、カスミは扉を少し開けて中に誰もいないことを確認してから椅子の横に立って軽く頭を下げた。そしていつものように彼が席に座るよう勧めると、カスミは不安げな表情を見せながら腰を下ろす。やっぱりいつもと同じ内容だろうな……門屋はそう確信したが、それをこっちから先に言ってしまってはカウンセリングにならない。ここはいつものように自分から言わせることにした。

 「どうしました?」
 「え、ええ。じ、実は……またある生徒さんから怪奇現象の相談を持ち掛けられたんです。そ、それが原因で身体の調子が悪くなったって言ってるんですね。それはちゃんと病院に行ってちゃんと検査をした方がいいと思うんです。でもなかなかそれを言えなくって……彼女はそんなこと聞いてくれそうにないんです。門屋さん、こういう場合はどういう風に諭せばいいんでしょうか?」
 「この前はカスミ先生が霊現象に悩める生徒と正面から向き合って立派に悩みを解消したでしょ。」
 「あの時はあの時です。今回は完全にあの娘が怯えちゃってて……どうも幽霊とか心霊現象を自分から思いこんでる感じがするの。あると信じこんでるものを否定してもあんまり効果はないんじゃないかしらと思って。」
 「そりゃあ難題だな……幽霊なんかいないと思いこんでる教師が、幽霊は絶対にいると思いこんでる生徒の説得をするんだから。」

 カスミも間違ってはいないし、霊を信じるその女子生徒も決して間違ってはいない。だが根本から考え方の違うふたりが話し合っても、簡単には解決しないだろう。ここは思案のしどころだと門屋もあごに手を当てて妙案を考え始めた。しかしこの悩みを聞いても『幽霊なんか信じない』というカスミらしさ全開だ。『そういう頑固なところはちゃんと気づいているのかな?』と少し笑いながら、慌てた表情を見せるカスミの顔を見る門屋であった。

 「さてと。これが解決したら今度お食事でもごちそうしてもらおうかなー?」
 「そういえば何度も何度も門屋さんのお世話になってますわね。いいですわ、また都合のいい日を教えて下さい。」

 門屋の軽い冗談を真に受け、真剣な表情で返事するカスミ。どんな理由にせよ、一度くらいはご一緒して弱点ともいえる霊に関する考え方をじっくり聞いてみたい。そんな興味が彼の心の中に生まれた。もちろんそれはカウンセリングという意味合いではなく、大部分が興味である。門屋はいつか来るディナーの日を楽しみにしながら、目の前に置かれた難題を解決しようと大きな椅子の背もたれに身体を預けたのだった。