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□ 遠き国より思う、愛しき貴方 □
僕の思いは、いつの日か、貴方に。
大規模なミサやコンサートで、光栄にもローマへと呼んで貰えるようになって、何回目かの帰郷。
最近はオルガニストとしての帰郷が多かったが、司祭としての僕も、オルガニストとしての僕も、僕の一部だ。
日本も第二の故郷だと思っている。
見渡せば古き建造物の調和と、現代に生きる人々の調和が美しい街並みが広がっていて、いいようのない思いに囚われる。
日本ではあまりカソックを身に纏った人々を見かけることは少ないが、ここばかりは違う。
信仰厚い司祭に、司祭見習いの少年。
キリスト教を象徴する教皇が治める平和の国。
二年前まではヨハネ・ミケーレも神学校に通っていたことを思い出し、懐かしそうに蒼の瞳を細めた。
今はコンサートを終え、スタッフの人達に挨拶をし、ヨハネはホールを出たばかり。
音楽を愛する人々との演奏は楽しさと、更なる研鑽を意識させた。
未だ身体を満たすのはホールに響き渡っていたメロディ。
肌を打つ演奏は、ある種の快感をもたらす。
それはまるで魔力のような。
ヨハネもそんな魔力に取り憑かれた一人だ。
心地よい緊張感も良いが、今はその緊張感から解放され、腕を伸ばしリラックスさせる。
カソックの袖から、冷たい風が入り込み、いまだ熱持つ肌を撫でる。
曲目では『いと尊きイエスよ、我等はここに集いて』と『主よ、人の望みの喜びよ』を弾き、アンコールでは、好きな曲を弾いても良いといわれ、『甘き喜びのうちに』と『かくも喜びあふるる日』を選び、演奏したのだ。
神父にとって恋愛は御法度で、神の愛を伝える使者でありながら、愛する人のことを言葉に出せないのは……。
神への愛と愛しい人への愛の狭間で、ヨハネにとってはどちらの愛も真実で、いつかいえるのだろうかと。
選曲した曲は、どこか彼女のことを思うような甘いものだったが、言葉に出すことが出来ない代わりに、せめてメロディに乗せたかった。
思い返せば、観衆の目の前でのあの甘い曲は、不味かったかも……と一瞬は後悔したが、あのときは心地よい興奮と緊張でそれどころでは無かったのだ。
……ああ、演奏では出来るのに、彼女の目の前に立つともう、何も思いつかなくなる。
思い返して居る内に、顔が赤くなってきたのに気づき、気持ちを落ち着けようと目にとまったカフェへと足を向けた時、見たことのある男性がヨハネの前を横切っていった。
「あっ! あのっ、」
とっさにどう声をかけていいのかわからずに、変な呼びかけになってしまったが、相手の男性は自分のことだろうと立ち止まって、ヨハネの方を振り向いた。
「ヨハネじゃないか。久しぶり」
黒髪に茶色の瞳の優しい友人は笑みを浮かべ、ヨハネへと歩み寄る。
「ヨハネは日本に赴任していると聞いていたけど、どうしたんだい」
「僕は、オルガニストでもあるから、演奏の為に戻ってきてるんです。学校以来かな、貴方に会うのは。懐かしいなぁ……」
同じ神学校に通っていた学友の顔を見て、楽しい思い出を思い出したのか、無邪気な笑顔を浮かべた。
「こら、何を思い出してるんだ」
友人が、にこにこと思いだし笑いをするヨハネを見て、釣られたのか同じように笑う。
「だって、だって、貴方が先生の寂しくなった頭髪をみて、トウモロコシの頭っていったのがいきなり思い出してしまったんですよ! どうしよう、ほ、本格的に笑いが止まらない……っ」
友人の顔を見て思い出すのは、楽しい思い出。
色々遊ばれる側であることが多いヨハネではあったけれど。
遊ぶのも、遊ばれるのも、どちらも楽しい思い出だ。
「あぁ! あの先生、今じゃトウモロコシじゃなくて、綺麗に輝く頭になってるらしいよ。相変わらず神学校におられるから、今度最新の卒業生アルバムの写真送るよ」
丁寧に先生の頭髪の近況まで説明する彼に、ヨハネは更に想像を膨らませて、お腹を押さえて笑い続ける。
「はぁ、はぁ……っ。ああ、笑いすぎでお腹が痛いじゃないですか。写真きっと送って下さいね」
「ここで立ち話も何だから、そこのカフェでお茶でもどうだい」
「あ、ちょうどお茶したかったんですよ」
すっかり笑いすぎで喉の渇いたヨハネは、すぐに賛成して、二人は肩を並べてカフェへと入った。
二人は店内を見渡し、空いていた二人用の席を見つけそこに腰を落ち着けると、コーヒーとベイクドチーズケーキをオーダーした。
そう時間の経たない内に運ばれてきてからも、学生時代の話で悪戯好きだった彼に巻き込まれた話や、先生の秘密など色々話して。
校内では賭け事は禁止だったのだが、禁じられると逆にやりたくなるというのが性分で。
神に仕える使徒が禁を犯すのはまだ、可愛い羊だからと甘くみて貰ったり。
途中、うっかりコーヒーを吹き出しそうになったりしたのはご愛敬だろう。
ケーキも食べ終わり、ヨハネは美味しかったケーキをもう一個オーダーするか悩んだ。
こういう時、師匠の気持ちが星砂の欠片くらいは同意してもいいかもしれないと思う。
ふと、彼がテーブルの上で指を組んで置いている薬指に、指輪がはまっているのに気づきいた。
どうやって言葉をかけたらいいのか逡巡したが、純真なヨハネのこと、素直に聞いてしまう。
「その指輪、どうしたんですか」
彼は見つかったか、とまるで悪戯がばれてしまった少年のような表情を浮かべ、ばつが悪そうに苦笑していった。
「結婚してるんだ。還俗もしたよ」
「……」
思わず、言葉が詰まる。
「司祭を辞めて還俗したことは後悔していないよ。今は妻と幸せに暮らしている」
同じ学校に通っていた彼が還俗したことは、とても衝撃だった。
長い期間、司祭になるべく勉強をして、やっと司祭になって間もない彼が。
出世など、そういった権力志向ではないけれども、神学校で学んできたことが泡になって消えてしまう気がして。
しばらくは驚きと衝撃で何もいえなかったが、ようやくいうべきことを思い出した。
「結婚おめでとうございます。奥さんを大切にしてください」
「ありがとう。もしかして、祝福して貰えないものだと思ってたよ。還俗はあまり褒められたものじゃないと思うからね」
「いえっ! そんなことないです。本当に」
ふるふると頭を左右に振るヨハネを見て、安心したのか彼はほっと息をついた。
「ヨハネにそういって貰えると嬉しいよ。同じように司祭をしている友人にはいいづらくてね。……あぁ、そろそろ失礼するよ。用事があるんだ」
「会えて良かったです。奥さんの写真も送ってくださいね」
「ん? 奥さんの写真だけか、冷たいなぁ。まぁ、二人一緒に映ってるのを送るよ。用事っていうのは奥さんとデートなんだ」
照れ笑いをする彼の幸せそうな顔を見て、ヨハネも嬉しくなる。
「じゃ、また会えるといいですね。お祝いとしてここは奢ります」
「さっそく結婚祝いありがとう。あぁ、時間だ」
彼は腕時計を見て、時間がオーバーしているのに気づき、慌て気味で挨拶もそこそこにカフェを出て行った。
「好きです」
カフェに一人取り残されたヨハネは、飛び出すといった表現が似合う彼を見送ったあと、ぽつりと自然に出た言葉に思わず、口元をおさえた。
秘めて、今まで言葉にしたことはなかった、いえない言葉だったのに。
彼の話を聞いて、自然と思っていた。
彼女のことが好き、だと。
彼に後押しされたわけではなく、頭の何処かにいつもある、彼女が好きだという気持ち。
一緒に居る時、本当は言葉にして、優しい彼女を安心させてあげたい。
けれど、それは叶わないことで。
彼女の優しさに甘えている自分がどうにもやるせなくて。
不意に涙が零れそうになるのを堪え、胸元にあるロザリオを握りしめた。
僕の思いを、いつの日か、貴方に伝えることが出来たら。
<Ende>
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