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With what time somebody
薄いシフォンを幾重にも重ねた天蓋付きのベッドに朝の柔らかい日差しが差し込む。
「ん……」
ゆっくりと目を開いた京師桜子(けいし・さくらこ)は真っ先に目に映った光景をぼんやりと眺めているうちに徐々に意識がはっきりとしてきた。
そして、夢から覚めた桜子は自分の今おかれている状況を思い目を伏せる。
桜子は寝台を下りて着替えもそこそこに窓際に立つ。
桜子の気持ちとは裏腹に空は雲ひとつない快晴で、自然が多く残る街並みが鮮やかに目に映る。
眼下に広がる街がいつもより一際にぎわって見えるのは今日という日であるからだろう。
そう、今日はこの小国の姫と隣国の王子との結婚の儀が執り行なわれる日であった―――
この小さな国の王室に生まれた姫である桜子は幼い頃より、蝶よ花よと育てられ、親の決めた許婚である隣国の王子にいつか嫁ぐのだと……そんな親の教えに疑問を持つこともなく育った時間は確かに幸せだと思っていた。
だが、たった一つの出会いが全てを変えてしまった。
あの日桜子は城の裏の森に1人で来ていた。
正確には侍女と一緒に居たのだが、はぐれてしまったのだ。
だが、自分が幼い頃から育った場所である気安さがあるためか、桜子は1人でも迷うことなく進み、森の中の泉にたどり着いた。
不意に強い風が木々の間をすり抜けて桜子の脇を吹き抜ける。
その風の悪戯が桜子の髪を結っていたリボンを浚っていった。
後ろから吹く強い突風に乱れる髪を押さえていた桜子が気付いた時には桜子のリボンは泉の中へ大きく伸びた枝の先に引っかかっていた。
「どうしましょう」
綺麗な弧を描く柳眉を少し寄せて、桜子は困った顔をした。
あのリボンは数多く所持している中でもお気に入りの物である。
しばらく考え込んだ後、桜子はきょろきょろと何度か周囲を見回して人が居ない事を確認すると意を決して、足首近くまであるロングドレスを膝の上までたくし上げ泉の中に足をつける。
幸いな事にこの泉は1番深いところでも桜子の腰くらいまでしかなく、リボンの引っかかった枝はわりあい浅い場所の上にあり、桜子の膝程度までにしかならないだろう。
ひんやりとした水の中を1歩1歩ゆっくりと慎重に分け入りようやくリボンの引っかかった枝の下までたどり着いた桜子はリボンへと腕を伸ばした。
だが、ヒラヒラと揺れるリボンの端。
掴めそうででなかなか掴めないそれに更に腕を伸ばした桜子だったが、只でさえスカートの裾を持ち上げた状態であった桜子は泉の中でバランスを崩しかけた。
「っ――」
倒れる覚悟をした桜子だったが、予想していた水音はいくら待っても聞こえなかった。
そして水の感触の変わりに背に感じたのは力強い誰かの腕の感触。
とっさに目を閉じた桜子が恐る恐る眼を開くと、そこには若く美丈夫な騎士が1人桜子の身体を支えていた。
その背の高い騎士は桜子のリボンを枝からとり、桜子に手渡す。
そして次の瞬間、桜子を騎士は横抱きに抱き上げられた。
目と目が合う。桜子の全身がざわざわとざわめいた。
「ありがとう、ございます」
そう言った時には2人は恋に落ちていた。
それは運命としか言いようのない出逢いだと―――今でも桜子はそう思っている。
自分だけではなく、彼もそう思ってくれていた。
だが、2人の間にはその重いだけでは越える事の出来ない確かな壁があった。
それは『身分の差』という壁である。
一介の騎士と、小国とはいえ姫である桜子。
身分違いだと判っていてもそれでも止められずに想いを通わせあい、逢瀬を重ねていた2人であったがそれが王にばれた時2人は引き離され、王は昔からの許婚である隣国の王子との結婚を急がせた。
そして、式の当日である今日まで桜子はずっとこの城の塔での蟄居を命じられてしまったのだ。
「桜子さま」
侍女数名を従えて侍従長が現れた。
「お時間です。御召しかえを」
侍女が手にしているのは純白のウエディングドレス。
―――私に翼があればこの空を飛んであの方の元へと行けるのに……
籠の中の鳥でしかない桜子は哀しげに窓の外の青空を見た。
多くの参列者が見守る中、城の中にある大聖堂で桜子は許婚とは名ばかりの政略結婚の相手である王子と向かい合っていた。
だが、桜子の脳裏に浮かぶのは目の前の王子ではなく、恋い慕う騎士の姿だけだ。
だが、そんな桜子の想いを置いて式はどんどんと進んでゆく。
式を取り仕切る大司教が誓いの言葉を読み上げる。
「病める時も健やかなる時も、尊敬と労りの気持ちを持ち愛し続けることを誓いますか?」
王子が大司教の言葉に答える。
「桜子様?」
大司教は周囲に聞こえないように憚りながら桜子に答えを促す。
なかなか答えようとしない桜子に参列者がざわめき始める。。
―――私の本当の心は……でも、もう諦めるしかないのね……
一層募る騎士への想いに苦しみながらも、桜子が口を開きかけたその時だった。
突然、大聖堂の外から騒がしい音が聞こえ始めた。
「姫―――!」
静寂に満ちた大聖堂に響く声。
聞き覚えのある―――否、忘れるはずのない声に桜子は振り向いた。
何事かと周囲がざわつく中、桜子の愛しい彼が現れた。
「騎士様―――」
「桜子様!?」
大司教や王たちの制止の声を振り切って桜子は騎士の元へと走る。
騎士も桜子に駆け寄り、桜子を馬上へ引き上げる。
「桜子!」
「御免なさい、お父様。私これ以上自分の気持ちを騙す事は出来ません」
桜子は馬上で騎士に横抱きにされたまま大聖堂を彼と2人で飛び出した。
国を飛び出し、追っ手をようやく巻いた後、
「姫。私と一緒に来ていただけますか?」
今更そんなことを問う騎士に桜子は満面の笑みを浮かべて大きく頷いた。
「あなたとなら何処にでも―――」
国境を見渡す丘の上で2人は抱擁を交わした。
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「あ、あの……」
じっと自分の顔を見つめたまま瞬きすらしない桜子に、彼女の前に立っている騎士―――もとい、男性が困惑した顔で桜子を見ている。
「あの、これ!」
そう言って彼が差し出しているのは運命の出逢いであったリボンではなくハンカチだった。
だが、桜子は相変わらず夢を見たまま現実世界に戻ってくる様子はなかった。
彼女の脳内では、まるで映画のワンシーンのように自分を攫ってくれた騎士と姫は2人の事を誰も知らない遠い国の小さな村で末永く幸せな人生を過ごす―――という所まで話しが展開していた。
バラとパンジーに囲まれた小さな庭がある一軒家で彼と暮らす自分の姿。
―――あぁ、こんな素敵な殿方とこんな素敵な恋愛が出来たらどんなに幸せかしら……
何処何処までも脳内妄想を続ける桜子に、男性は押し付けるようにハンカチを渡して去っていってしまった。
「あ、あのっ……せめてお名前だけでも―――」
ハンカチを渡されてようやく現実世界に引き戻された桜子がそう呼び止めた時にはすでに運命の騎士様は桜子の前から去ってしまった後であった。
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