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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


調査コードネーム:奇跡はいつもそばに  〜かたりつぐ命〜
執筆ライター  :水上雪乃
調査組織名   :草間興信所
募集予定人数  :1人〜4人

------<オープニング>--------------------------------------

 失意の怪奇探偵が、一応の処理を終えて興信所に戻ったときには、すでに明け方近くになっていた。
 結局、芳川邸を襲ったCIAは全滅し、サイリード・モリスの野望は不発に終わる。
 今後はこの襲撃の事実を利用して稲積家と芳川家がアメリカ合衆国そのものに圧力をかけてゆくことになるだろう。
 極東の小国だからといって舐めると大火傷を負う。
 モリスにとっては手痛い教訓になったはずだ。
 不死人など存在しない。
 たとえ渋々でも認めざるを得まい。
 判らせるために怪奇探偵が支払った代償は小さなものではなかったが。
「馬鹿どもの蒙を啓かせるために零は死んだ‥‥無意味なものではなかったはずだ‥‥」
 草間武彦の呟きは、どこまでも苦い。
 自らの心を欺くためにこじつけた理由だと知っているからだ。
「私のせいだよね‥‥戦場になるから逃げろって何度も言われてたのに‥‥」
「むしろわたしの責任よ。巻き込んじゃったんだから」
 芳川絵梨佳と新山綾が陰鬱に唇を開いた。
 個性は違えど、常ならば前向きなふたりだが、怪奇探偵の義妹が闘死したことに関して重く責任を自覚している。
 だがそれは、あるいは彼女に対して失礼なことかもしれない。
 死霊兵器ゼロ‥‥草間零と名乗っていた女性は、少なくとも自分の判断で芳川邸に赴いた。自分の判断で戦いに臨んだ。
「友達を守るための戦いで死んだんだ。きっと満足だったさ」
 不器用に言って絵梨佳の頭を撫でる草間。
 少女がごくわずかに微笑したが、礼儀以上のものではなかった。
「ところで?」
 綾がきょろきょろと事務所を見渡す。
「武彦が言ってた不死人を知る少年ってどこにいるの?」
 この件の最終段階。
 緑川優の記憶を封印する催眠術を用いるために同行した魔女だ。
 どこを捜しても少年の姿がない。
 事務所から出ないよう、きつく申し付けていたのだが。
「どこをほっつき歩いてんだ?」
 怪奇探偵が自分のデスクに視線を送る。
 そして、凍り付いた。
 書き置きがあったのだ。

 七海が誘拐されました。
 捜しに行きます。

 ごく短い文章。
 かなり焦っていたのだろう。ほとんど殴り書きに近いような字。
 おもむろに煙草に火を灯し、ストレスと紫煙を吐き出す。
「なんてこったい‥‥」
 呟きが、白みはじめた空に溶けていった。









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奇跡はいつもそばに

「くっ‥‥」
 守崎啓斗が踵を返す。
 白い顔に浮かぶのは無限の後悔。
「兄貴っ!」
 弟の北斗がその後を追う。
 新宿区にある草間興信所、ようやく長い夜が明けようとしたときにもたらされた凶報だ。
 風間七海が誘拐され、緑川優がその後を追ったのである。
「‥‥‥‥」
 無言のまま、飛鷹いずみが書き置きを握りつぶす。
 まだ不足か。
 彼女にとって家族も同然だった零を奪い、姉と慕うシュライン・エマにあれだけ辛い思いをさせておいて。まだ足りないのか!
 二度、三度と、小さな拳がデスクに打ち付けられる。
 皮膚が破れ、血が滴った。
「よせって」
 歩み寄った巫灰慈がその手を自分の掌で押し包む。
「‥‥でもっ!」
 優が持ち込んだ不死人の情報。
 そんなものに関わったせいで零は死んだ。
「元を正せば、わたしがみんなを巻き込んじゃったんだけどね」
 所在なさげに新山綾が呟く。
「誰も綾さんを責めたりしないわ」
 表情を消し、シュラインがいずみの手当を始めた。
「なるほど。だいたいのところは判った」
 恋人から事情の説明を受けていた中島文彦が得心したように頷く。
「いまは不死人を追いつめることが大事なんだな」
「そういうこった。だから啓斗と北斗が飛び出していったんだ」
 シルビアのキーを指先にかけ、浄化屋もまた事務所を出ようとする。
「俺もいくぜ」
 中島と草間武彦が続いた。
 が、怪奇探偵だけがふりかえり、
「お前はここにいろ。シュライン」
 優しげに言う。
 ゆっくりと首をふる蒼瞳の美女。
 いまは、やることがあった方が良い。
「私も、いきます」
 手に包帯を巻いてもらったいずみも立ち上がった。
 いまは、零のことは考えるまい。
 いまはただ、この悲劇を繰り返さぬために。
 彼らの中で最も強く優しかった女性の死を無駄にしないために。
「絵梨佳ちゃんのことは引き受けたわ」
 頼もしく綾が告げる。
 いつもこうして留守を守るのが零の仕事だった。
 帰る場所を守る。
 それがどれほど大変だったのか、もう零は語ることはない。


 FTRが明け方の街を駆ける。
 タンデム。
 運転するのは珍しく啓斗。
「兄貴」
 後部座席の弟がヘルメット同士を接触させる。
「‥‥なんだ?」
 ぶっきらぼうな応え。
「何を考えてんだよ?」
「べつになんでもない」
「自分が七海から目を離したせいでこうなったと思ってるだろ?」
「‥‥‥‥」
 啓斗は応えない。見当違いだったからではなく、図星を突かれたから。
「兄貴のミスじゃねぇよ。あれは」
「‥‥‥‥」
 北斗は何を言うつもりなのだ?
 怪奇探偵の判断が悪かったというつもりなのか? それとも誰も悪くはないのだと陳腐な慰めでもいうつもりなのか?
「あれは‥‥俺たち二人のミスだ」
 はっきりと。
 覚悟をこめて。
 北斗が言う。
「‥‥そうだな」
 苦笑を啓斗が浮かべたが、むろん後ろの弟には見えない。
 と、そのとき、
「兄貴っ」
「わかっている」
 ふたりのヘルメットに地図が投影される。
 ハイエースからの情報だ。
 場所は埼玉にある廃病院。
「なるほど‥‥なにかの処置をするなら病院跡の方が都合が良いというわけか」
「さすが巫のあんちゃんの読みだけど‥‥間に合うかな」
「間に合わせるさ!」
 スロットルを全開にする啓斗。
 FTRの前輪が一瞬、宙に浮き、猛烈な加速を見せる。
「うわわわっ」
 兄の腰に必死にしがみつく北斗。
「無茶すんなっ!」
 体感速度では時速二五〇キロメートルを超えている。
 リミッターを切っといたのは失敗だったぜ。
 とは、北斗の内心の声である。
「絶対に間に合わせる! 孤独の呪いなんかかけさせたりしない!」


「あのバカ兄弟‥‥」
 ハイエース内に設置されたコンソールを操作しながら、いずみが呟いた。
 七歳も年長の守崎ツインズにバカもないものだが、公道を時速二〇〇キロ以上で爆走するような連中にはそういう言葉しか贈れない。
 いくら明け方で車通りが少ないとはいえ危険という単語すら追いつかないからだ。
 すぐに警察に察知されるだろう。
「爆走兄弟め‥‥」
「いずみちゃんの歳で知ってる方がどうかと思うけどね」
 疲れ切った表情のままシュラインが携帯電話を取り出す。
 送信先は警視庁。
「稲積さん。うちのFTRを緊急車両扱いにしてください。三〇分間だけでいいですから」
 シュラインらしくもなく、きわめて粗野で一方的な頼み事。
 やや躊躇いがあったようだが、電話の向こう側からは了承の声が聞こえた。
 ちらりと運転席の草間が愛妻に視線を送る。
 なにか言おうとしたようだが、結局は黙ったまま運転に集中する。
 急いでいるのは彼らも同じだ。
 シルビアで出た巫と中島が情報を集めてくれたので不死人が潜伏している場所は判明した。
 さすがの情報収集力と読みだが、それでも後手に回ってしまった事実は動かない。
 時間にして三時間ほどだろうか。
 これは、かなりきわどい。
 不死人が七海に何をしようとしているのか。推測の域を出ないが、もし不老処置をしようとしているのなら‥‥。
「間に合わないかも、しれません」
 声に出さずつぶやくいずみ。
 拳を握りしめる。
 どうして永遠を望む?
 そうまでして光を取り戻したいのか。
 すべてを失うかもしれないのに。もう二度と普通の生活には戻れないかもしれないのに。
 現状から逃げたいから?
 そんなことのために零は死んだのか?
 思考の迷宮へと踏み込んでゆく。
「おい。なにをぼーっとしてやがる」
 中島からの通信がいずみの意識を現実に引き戻した。
「あ、はい。すいません‥‥」
「優とかいうのを確保した。俺らもこれから向かうぜ」
「え‥‥でも‥‥」
 口ごもる。
 もし七海が変わってしまっていたら、優と会わせるのは不味くはないだろうか。
 はたして彼らに現実を受け入れるだけの器はあるのか。
「いいわ。中島くん。こっちはあと四〇分で到着するから」
 割り込むシュラインの声。
「結局はあの子たちが決めることよ。全部ね」
 突き放しているようにも聞こえて、いずみが黙り込んでしまう。
「俺らは一時間半ってところだな。ニンジャどもは?」
「とっくに向かってるわ。このスピードだと一五分ってところかしら」
「バラバラだな」
「なるべく急いで。どんな危険があるか判らないから」
「らじゃ」


「時間稼ぎかっ!」
 立て続けに棒手裏剣を投げつけながら、啓斗が暁暗を駆ける。
 相手は巨大な影。
 動きはさぼど速くはなく、手裏剣もほとんどが命中している。
 しかし、
「なんで倒れないんだっ!?」
 北斗の叫び。
 もう何発も炸裂弾を叩き込んでいるのに、相手はびくともしない。
 それもそのはずで、相手は人間ではないからだ。
 ゴーレム。
 ファンタジー作品などではおなじみの怪物だ。ちなみに有名なフランケンシュタインの怪物もゴーレムの一種である。
 ただ、あれは死体を主原料としたフレッシュゴーレム。いま相手にしているのは鉄とコンクリートを使用したアイアンゴーレムもどぎた。
 不気味さや気色悪さではフレッシュゴーレムが勝るが、耐久度では比較にならない。
 これが病院前に配置されていたということは、啓斗が言ったとおり時間稼ぎである。
 怪奇探偵たちの到着を遅らせることによって、不死人は何かをしようとしているのだ。
 ふたりにはそれが判る。
 判るからこそ焦りもする。
「くっ!」
 懸命に啓斗が雌雄一対の剣を振るうが、さしたる効果はない。
 そもそもゴーレムは痛覚を持っていないし、動物のような筋肉もないのだから、剣などでは戦いづらい。
 あるいは北斗の炸裂弾をまとめて叩き込めば崩壊してくれるかもしれないが、あまり派手なことをして後ろの病院まで倒壊してしまっては元も子もない。
「どうすりゃいいんだよっ!?」
 手詰まりだ。
 こんなところで時間を使っている余裕はないというのに。
「‥‥こうするのよ」
 不意に双子の背後から響く声。
 同時に一陣の風が駆け抜け、ゴーレムの頭へと迫る。
「アレを動かすにはキーワードが必要なのよ。EMETHっていう。そして」
 ゴーレムが動きを止めていた。
 額に描かれた五文字。
 その最初の一文字Eを、シュラインのシルフィードによって消されたから。
「EMETHは真理。METHは死という意味」
「シュラ姐‥‥」
 冷静な蒼眸の美女の言葉。
「くわしいな」
「さすがシュラ姐だぜぇ」
 やたらと感心するツインズ。肩をすくめてみせるシュライン。
「綾さんに訊いたのよ。こっち系は専門の人だからね」
 本人や巫が聞いたら力いっぱい否定しそうな台詞だ。
「けど、結局追いついちゃいましたね」
 意地悪そうな笑顔をいずみが浮かべた。
「だいたい、チームプレイを乱して先行したりひゅるひゃらひょひゅゅゅゅ」
 後半は日本語になってない。
 左右からツインズにほっぺたを引っ張られたからである。
 ぱっちんと手を放される。
「なにをするんですかっ!」
 怒ってる怒ってる。
「先に進むぞ」
「ああ、気を引き締めていかないとな」
 はっきりきっぱりと無視をして廃病院を睨んでいたりする。
 冷たい汗が頬を伝う。
 恐ろしいからではなく、背後から小さな手が二人の尻を良い感じにつねっているからである。
 ニンジャは痛くたって泣かないのだ。
「‥‥さっきまでの緊張感はどこに捨てたのよ? アンタらは」
 シュラインが溜息を吐いた。


 廃病院の中は驚くほど清潔で、片づいていた。
 医療行為をおこなうことに問題ないほどに。
「準備万端ととのえていたってわけか」
 肩をすくめる巫。
 シュラインたちに遅れること十数分。かなりの速度で合流を果たしたのである。
 八人になったメンバーで病院の中を進む。
 目指すのは手術室。
 不死人‥‥サン・ジェルマン伯爵が何かをしようとするなら、普通に考えて手術室でおなうだろう。
「まあ、何をしようとしているのかってことにもよるけどな」
 苦笑する中島。
 相談に乗るとか、そういうことであればカンファレンスルームあたりを使うだろう。なにか助平なことを企んでいるなら病室だろうか。
「前者はそもそも病院である必要はないだろう。後者にいたっては中島さんではあるまいし、といったところか」
 どこまでも冷静に啓斗がツッコミを入れる。
「いやぁ? 俺より巫だぜ? そーゆーの好きなのは」
「バカこくでねぇ。おらはナースより女医の方が好きずら」
「だから綾さんと付き合ったんですね?」
「大人の会話にいずみちゃんが加わっちゃダメ」
 くだらない会話を続けるのは、皆が不安だからだ。
 やがて一行は、手術室とプレートのある部屋に辿り着く。
 押し黙ったままの優に視線を送り、浄化屋がゆっくりと扉を開く。
 明るい室内。
 電気は止められているはずだが、
「自家発電が生きているのかしらね‥‥?」
 きょろきょろとシュラインが周囲を見渡す。
 サン・ジェルマン伯爵の姿はないようだ。
 ここではなかったのか?
「シュラインさんっ! あれっ!」
 いずみが手術台を指さす。
 寝かされた人影。ごくわずかに胸が上下している。
「七海っ!!」
 優が駈け寄る。
「バカっ! 急に動くなっ!」
 それを追う北斗。
 どんな罠が仕掛けられているか判らないのだ。
 が、その心配は杞憂だったようだ。
 少女の胸の上に置かれた紙を優が取る。

「いくつかの方法を考えてみたが、結局はこの方法しか見あたらなかった。私の目をこの少女に託そう。これによって彼女が不老となることはない。そして願わくば不死のことはもう忘れるよう」

 ごく短い文面。
 署名はなかった。
「目を託すってどういうこと?」
 疑問符を浮かべたまま、なんとはなしにシュラインが廊下へ出る。
 あるいは理性以外の何かが、彼女を呼んだのかもしれない。
 窓の外。
 ありふれたサマースーツを着た男が病院を見上げている。
 が、この表現は事実として正しくない。
 なぜなら彼の瞳は、固く閉ざされていたから。
「そういう‥‥ことなんですね‥‥」
 零は、命をかけて友人を守った。
 彼は、自分の光を他人に与えた。
 強い者は、本当に強い者はいつも優しい。
 そしてその優しさゆえに、常に哀しい運命を背負う。
 深々と頭をさげる美女。
「ああー いっちまうなぁ‥‥」
 いつのまに隣にきたのか、中島が頭を掻きながら呟いた。
「‥‥追いかけないの?」
「いいんじゃねぇかな。つーかあんまり良くもねーんだけど。しゃーねーだろ?」
 何を言っているのやら、まったく要領を得ない。
「なによそれ?」
「んーまーあれだ。不死人を欲しがってたのはモリスの俗物だけじゃねーってこった」
「そう‥‥」
「いまとなっちゃどーでもいい話だけどな」
「それでいいの?」
「ポケットに入る以上の宝に目を眩ますとろくな死に方はしねーよ」
「賢者の弁ね」
「俺は小市民なんでね。なるべく安全に平和に生きたいのさ」
「‥‥‥‥」
「や、そこはつっこむところだから」
 ふたりに見送られるように、小さくなってゆく男の姿。
 手術室では、七海が眠りから醒めようとしていた。
 ゆっくりと。
 ゆっくりと開いてゆく瞳。
 それは元々の黒い瞳ではない。
 夏の蒼穹。
 成層圏まで突き抜ける、済んだ青。
 手術室の無機質な天井を、はっきりと映している。
「七海‥‥」
「みえる‥‥見るよ‥‥」
「七海‥‥」
 芸もなく繰り返す少年の肩を、北斗が押す。
「逃げんなよ。ちゃんとお前が支えてやるんだ」
 ふらふらと近づく優。
 少女の視界が歪む。
 涙腺から吹き出した透明な水によって。
「これで‥‥よかったんでしょうか‥‥」
 呟くいずみ。
 本当にこれで良かったのか。
 七海は光を取り戻した。しかしそれは眼球そのものを移植するという現代の医学では不可能な技術。それを狙う者が、今後でてこないとは言い切れないだろう。
 あるいは、より苦しい運命が七海に降りかかるかもしれない。
 火種は残ってしまった。
「良いか悪いかは、たぶん誰にも判らない」
 淡々と啓斗が告げる。
「あの娘の目が治ったのは、そうだな‥‥いい言葉があるぜ」
 にやりと笑う浄化屋。
 怪訝そうな顔をする年少者たちに、
「奇跡、だ」
 不器用なウィンク。
 つまり彼は言っているのだ。彼の恋人の催眠術によって、優と七海、その家族の記憶を操作する、と。
 どことなく嬉しそうなのは、最後は綾が出ないと話がまとまらないだろ? と、言外に語っているからかもしれない。
 肩をすくめてみせる啓斗といずみ。
 どうやら、これで幕引きのようだ。
 不死を求めたアメリカ。
 今後はイギリス王室とバチカン、それに稲積家が圧力をかけてゆくことになる。当分は動くに動けないだろう。
 七海と優についての事後処理は綾に任せておけば良い。完璧で隙のないシナリオを用意してくれるはずだ。
 探偵たちの仕事は終わりである。
「やっと明けたな」
 草間の言葉。
 のぼったばかりの太陽が、窓越しに光を投げかけていた。


 夏休みが終わる。
 北斗学院大学医学部付属病院に入院していた七海は無事に退院した。
 絶望的といわれていた目の手術も成功し視力を取り戻したわけだが、その手術は医師としては無名な新山綾助教授によりおこなわれ、わずか三〇分で終了したらしい。
 しかも出血量はティースプーン一杯分にも達しなかったという。
 ただ、手術自体が非公開でおこなわれたため、どこまで事実なのかは誰にも判らない。
「事実もなにも、綾さん医師免許なんかもってたっけ?」
「はっはっはっ」
「笑って誤魔化すなっ」
 興信所にもいつもの賑わいが戻っている。
 退院する七海の付き添いで東京を訪れた綾の目には、少なくともそう映った。
「でもまあ、シナリオとしては悪くないでしょ? シュラインちゃん」
「それは認めるけどねぇ‥‥」
 事件後、優と七海そしてその両親の記憶は操作された。
 北の魔女の技能の一つ、催眠術である。
 完璧といえば完璧なストーリーではあるのだが、
「綾さんがマークされない? これじゃ」
「それは仕方ないわよ」
「危険じゃないかしら?」
「大丈夫。頼もしいナイトがついてるしね」
 そういって笑う魔女。
 リングフィンガーに光る小さな石に、このときいちはやくいずみが気がついた。
「婚約したんですか?」
「まーねー 再来月には巫になる予定」
「ひゅーひゅー」
 さっそく北斗が冷やかし、
「‥‥‥‥」
 無言でその頭を啓斗が叩く。
 いつもの光景だ。
「おめでとう。綾さん」
「俺たちもちょっと報告があるぞぉ」
 所長席から草間が声をかけた。
「もう少ししたら、しばらくシュラインが第一線から外れるからな。お前らちょっと忙しくなるぞ」
 面食らう年少組。
 やや頬を染める蒼眸の美女。
 一瞬の間をおいて、理解と歓喜が爆発する。
「おおっ! すげーじゃんシュラ姐っ!」
「おめでとうございます」
「武彦のすけべー」
 なかにはなんだか判らないものも混じっていた。
「で、男なのか? 女なのか?」
 啓斗が問う。
「まだそこまで判らないわよ。六週だしね」
「けど、もう名前は決めてあるんだぜ」
 やけに嬉しそうな探偵の言葉。
「男だったら武揚にする」
「たけあきー? うわぁ、こいつぜったい榎本さんからとったー」
「いいだろっ! 俺だって普通にあの人には憧れてたんだっ!」
 それに武って字がかぶるから、と付け加える。
「知っていますか草間さん。親の字をもらうと、親を超える人物にはなれないそうですよ?」
 さっそく混ぜ返すいずみ。
「ぐっは‥‥」
 草間を超えないということは、けっこうダメ人間のような気もするが、さすがに賢者揃いのメンバーは何も言わなかった。
「女だったらどうするの?」
「ん? 女だったらか。零って名前にするつもりさ」
 穏やかに。
 はっきりと言う怪奇探偵。
 瞬間。
 シュラインの青い目から涙がぽろぽろとこぼれる。
「うわっ! 草間がシュラ姐を泣かせたっ!」
 慌てて駈け寄る双子。
 面食らう小学生。
 やはり精神的なショックからは脱却していないのだろうか。
「ちがうの‥‥哀しかったとか思い出しちゃったからじゃなくて‥‥なんというか‥‥」
 常は明敏な彼女の頭脳が、なんだかいろんな感情によって混乱してしまっている。
 そっと肩に触れる草間。
 泣き笑いの表情で愛する夫の顔を見たシュラインが、優しげに自分の掌を下腹部に当てる。
「きっと女の子よ。そんな気がするの」
 暖かな空気が流れ、皆が一様に頷く。
「‥‥待ってるわね。零」














                     おわり










  エピローグ


「なあ、聞いたか?」
 大学から戻った啓斗が、開口一番に問う。
「聞いた聞いた。絵梨佳のことだろ?」
 いつもの探偵事務所。
 すっかり所員が板に付いた北斗が応える。
「政略結婚ですってね」
 読んでいた本から顔を上げるいずみ。
 どうでもいいが、本を読みたいなら自宅か図書館にでも行けばいい。
「だって、ここの方が退屈しないんですもの」
 言い分にくすりとわらう双子。
 その言葉が五年前の絵梨佳と同じだということに、おそらく本人は気づいていまい。
 いずみもあの頃の絵梨佳と同じ年になったのだ。
「俺らが歳を取るはずだよなぁ」
 嘆く北斗。
「複数形にするな。俺はまだ二二だ」
「奇遇だな。俺もだぜー」
 当たり前である。
「婚約披露はいつです?」
 昔と変わっていない兄弟漫才を受け流しつつ、いずみが訊ねる。
「来週。巫さん夫婦もくるっていってたな」
「へえ。またにぎやかになりますね」
「つーか俺はショックだよ。相手は中国人だっていうじゃん。中島のあんちゃんとくっつくと思ってたのになぁ」
 大げさに北斗が嘆く。
 絵梨佳の婚約相手は、ここ数年で業績を伸ばしている振興貿易会社のオーナー社長だという。
「まあ、俺もそう思っていたんだが。けど中島さんはあれ以来ずっと姿を見せていないんだろ?」
「五年も待てないですものね」
 しみじみといういずみ。
 なんだか女は現実的だ、と、双子が肩をすくめた。


「こら零! 走り回っちゃダメっ!」
 シュラインお母さんが怒っている。
 豪壮な邸宅の中庭。
 ここで絵梨佳の婚約披露パーティーが開かれる。
 もちろん馴染みの面々も正体されていた。
 ちょろちょろと走り回っているのは草間夫妻の子供である零。
「子供がいるとってのはにぎやかなもんよねぇ」
「俺たちもそろそろ作るか?」
「それはハイジの頑張り次第ね」
 笑いながら見ているのは北海道からやってきた巫灰慈と綾の夫婦だ。
 このふたりは結婚してもあまり変わらず、けっこう気ままに生活している。教授とフリーライター。なかなかに個性的な夫婦であろう。
「皆さま、本日はお忙しい中お集まりください‥‥」
 ドレスをまとった絵梨佳が優美な一礼をする。
 ずいぶんと美しくなった。
 もう立派な淑女だ、と、言いたいところだが。
「なーにかっこつけてやがる」
 背後から現れた人影が、乱暴に絵梨佳の髪を掻き回した。
 唖然とする参列者たち。
「もうっ! そんなわけで紹介するね。あたしの婚約者の張暁文さん」
 興信所の仲間たちは知っている顔だ。
 彼は中島文彦と名乗っていて‥‥。
「暁文が本名だ。そんなわけでまた世話になるぜ」
 にやりと笑う。
 歓喜が爆発する。
 掲げられるシャンパングラス。
 パズルのピースが収まるべきところに収まるように。
 新たな物語の幕があがってゆく。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0554/ 守崎・啓斗    /男  / 17 / 高校生
  (もりさき・けいと)
0568/ 守崎・北斗    /男  / 17 / 高校生
  (もりさき・ほくと)
0086/ シュライン・エマ /女  / 26 / 翻訳家 興信所事務員
  (しゅらいん・えま)
1271/ 飛鷹・いずみ   /女  / 10 / 小学生
  (ひだか・いずみ)
0213/ 張・暁文     /男  / 24 / 上海流氓
  (ちゃん・しゃおうぇん)
0143/ 巫・灰慈     /男  / 26 / フリーライター 浄化屋
  (かんなぎ・はいじ)

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■         ライター通信          ■
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大変お待たせいたしました。
「奇跡はいつもそばに  〜かたりつぐ命〜」お届けいたします。
これで、わたしが描く東京怪談はフィナーレです。
あ、エピローグは5年後の話ですので、読み飛ばしてくださってもかまいません。
イメージに合わなければ、なかったものとしておいてください。
未来は常に変わっていきますから。

さて、いかがでしたか。
楽しんでいただければ幸いです。

それでは、
またいつか、どこかでお会いできることを祈って。