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<東京怪談ノベル(シングル)>


たとえばこんななつやすみ



「おーい、白露! 白露? ……ったく、あいつどこに行ったんだ?」
 窓の外で眩いばかりの夏の日が輝いている。聞こえるのは大合唱のセミの声。時折浮かされたような子供のはしゃぐ声がそれに重なる。近くの公園で、今夏休みの子供たちが遊んでいるのだろう。
 羽角悠宇は左手に持っていた銀のピルケースを手持ち無沙汰気味にくるくると回した。この中に入っていたはずの白露――もちろん人ではなく、あやかしである管狐だ――がこの部屋のどこかに隠れてしまってしばらくたつ。
 この中ではあやかしといえども暑いだろう、なんて仏心を出したのがまずかった。
 ため息をつきつつ、おちついた色のトーンで統一された部屋をぐるり見回す悠宇。
 雑多な飾りを嫌い、本棚とMDコンポ、それに机とベット程度しか置いていないこの部屋。同級生の男友達などと比べればよっぽど片付いている部屋だと思うが、相手は文字通りの意味で『ただものではない』。姿を変えられ、天井裏に隠れられでもしたらそれこそお手上げだ。
「おい、これから彼女んとこに宿題しに行く約束してるんだぞ。俺急いでるんだからな。さっさと出て来いよ、白露、白露ー?」
 ……白露のやつ、まさか俺の恋路を邪魔するつもりなんじゃないだろうな。いっちょ前にライバル気取りやがって。全く、俺は『ご主人様』じゃないのか?
 ありえる考えに唇を噛みつつ、悠宇は本棚を影をひょいと覗き込んだ。

 と。
「……ん?」
 その影に何かが落ちていた。手を伸ばして見れば、それは一枚の写真。
「……去年の花火大会のだ」
 浴衣を着た彼女が夜空をバックにしてはにかむように笑っていた。右上の真っ暗な空間は、この瞬間大輪の花火が開いていたはずだ。
 露出を間違え、花火が写らなかったこの写真を彼女に見せるのが恥かしくて、アルバムからこの写真だけこっそり抜いたような気がする――そしてすっかり忘れていたようだ。


 ――ほら、笑えって。
 ――花火なんて写真に撮っておいて、後で見ればいいだろ? 俺はお前を写真に撮っておきたいの。
 ――そうそう、笑った顔がお前は一番似合うって! でも、俺以外のやつに笑ってやったりするんじゃないぞ?


 あれが彼女と過ごした初めての夏だった。
花火を見に行くというより、花火をダシにして一緒に出かけることが目的だったような気もするが、とにかく自分の気持ちにただ正直になろう、言わずに後悔するなら言って後悔してやれ! と決意し、一世一代の大勝負のような気持ちで彼女を誘ったのを覚えている。
 うなずいてもらった時は本当にうれしかった。
 ああいうのを「天にも昇る気持ち」っていうんだろうなぁ、などと、今思い出しても悠宇は少しだけ照れくさい気持ちになる。

 そこまで思い出していて、悠宇はふと思い当たった。
「今年の花火大会はどうすんだろ、あいつ……」
 自分と来たら、共に繰り出した後のことばかり思い浮かべていて、よく考えてみれば彼女にまだ誘いのひとつもきちんとかけていなかった。
 一緒にいるのが当然過ぎて、何も言わなくても分かってくれてると思ったから。……なんて言いわけにもなりはしない。
「……っかぁ、気づかなかった俺のバカ!」
 この後彼女に会ったら即攻で誘おう! 悠宇はそう心に固く誓う。


「っとそうじゃなくて。おい、白露、白露ー?」
 逸れがちだった己の思考をあわてて元に戻し、こつっと頭をひとつ叩いてから、慌てて捜索を再開する。
 今度はMDコンポの下を這うようにして覗き込んだ悠宇。その伸ばした指の先に再び何かが触れる。
「……今度はMD?」
 出てきたのはほこりをかぶった赤いMDだ。ラベルははがれ、一見しただけでは何が書き込まれているのか思い出せない。
「俺、こんな色のMD持ってたっけかな……?」
 再び首を捻りつつ、ひとまずそれをコンポに飲み込ませてスイッチを入れた。


 ――へぇ、お前ってこんなのが好きなんだ?
 ――俺、ピアノとあと自分で弾くブルースハープぐらいかな。まあそれも詳しいってほどじゃないけど。
 ――なぁ、どんな曲があるんだ? よければ聴かせてくれよ。

 
 スピーカーから流れ出したのは、たゆたうようなチェロの旋律。
低音から始まった穏やかなそれは、聴くものの耳元を撫でるように、あやすように、ゆっくりと花開いていく。
「ああそうだ……これ、初めてあいつにもらったMDだ……」
 まだお互いをそう深くは知り得ていなかった頃。未知の楽器に興味を示した悠宇に、彼女は自分の好きな曲をこうして自分に聞かせてくれた。
 彼女がどんな思いでそれを貸してくれたかなんて、その時は全く思いもよらなかった。翌日「お前結構渋い趣味なんだな」なんて言ってしまって、……その日の放課後、彼女に手を引かれ音楽室へ連れて行かれるまで、その音を奏でているのが誰かということに全く気がつかなかった。
 あの時のことを思い出すと、あまりの恥ずかしさに今でも顔から火が出そうな気がする。


 いや、あれも夏休みだっただろうか。旋律をかき消すばかりの蝉時雨が校庭から聞こえていたのをなんとなく覚えている。
 今年もまた夏の終わりに、あの時と同じ音楽室で、彼女は同じ旋律を自分に聞かせてくれることを約束してくれた。
 だけどその音を聴いて思うことは、あの時とはきっと違うはずだ、と悠宇は思う。



 ――あの頃は、何も分かってなかった俺だけど。
 今こうして思い返してみれば分かる。この頃からずっと彼女なりの想いの丈で、俺を理解しようとしてくれていたことを。


 自分はその想いを受け止めてこれただろうか。その深さと同じくらい、彼女を想ってこれただろうか。
 そしてこれから先も、彼女をずっとずっと想い続けていられるだろうか。

 ――いや、そうありたい、そうしたい。
 そう、悠宇は思い直す。
 ――これから、もっともっとあいつのことを知りたいな……。



 スピーカーからのチェロの旋律が途切れたと同時だった。
 カタ、という物音がして物思いから我に返ると、足元でこちらを見上げている管狐と目が合った。あちらも驚いたのだろう、全身の白い体毛がハリネズミのように逆立っている。
「……っ、おま、お前!」
 はっと我に返った悠宇が慌ててその身体をつかみ上げようとするが一瞬遅く、再びするりと逃げられてしまう。
 逃げる白露を追いかけて、逃げ込んだベッドの下を悠宇は勢いよく覗きこむ――そうして暗闇の中見たのは、鈍く光る1対の目と、そしてその周囲に散らばる見覚えのある品物の数々。
「……写真に、本に……あいつに借りた消しゴムまであるじゃないか!」

 それらは全て、彼女に縁ある品々だった。まるで隠すようにしてあったそれらは、もちろん悠宇がここに置いたのではない。
「白露……さっきの写真とMDも前の仕業だな? お前、俺と彼女との思い出の品勝手に溜め込みやがって!」


 どうしてお前は俺の邪魔ばっかりするんだ! 
 それからまたしばらくの間、悠宇はそんな叫びと共に、部屋中逃げ回る白露との追討劇を繰り広げることとなる。

 そうしてしびれを切らした彼女からの電話がかかってくるのは、もう少し後の話。




 たまにはこんな風に、過ぎた夏に思いを馳せる日があってもいいかもしれない。
 たまにはこんな風に、迎える夏に胸を騒がせる日があってもいいかもしれない。

 そう、まだまだ夏休みは続くのだから。