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<東京怪談・PCゲームノベル>


緑の鈴 〜ことほぎのうたを、あなたに〜

「……で。また、例の鈴絡みなわけだな」
 至極不本意そうな表情で問う(むしろ確認する)和馬に、征史朗はあははと声を立てて笑う。
「まあそういうことだ。今回も宜しく頼むぜ、期待してるからな和馬」
「しかもまた俺に押し付けてやがるしっ!」
 ビシッ、と裏手でツッコミを入れても、不遜なる男は何ら応えたところがなく、むしろ楽しげですらあるのだからもう。いーけどさあチクショウ、ああ俺って結構イイ奴かも、と様々痛む頭を抱えつつ、和馬は丘の上、樹下にまします少女へと視線を投げた。
 先刻ひとたびは此方へ意識を向けた彼女だが、今はもう再び花を仰ぎ、花だけをその瞳に映し、まるで桜に酔い蕩けた様な気色と仕草のあどけなさ。満足しきって幸せそうだ、という傍目の印象、恐らく間違ってはいないだろう。
 ────そう。自分は今から、ともするとあの表情を崩してしまうかもしれないのだ。前に喚ばれたあの池の畔で、自分はひとつの命が消えて逝くのを看て取った。永き命を生き、数え切れぬ程の別れを繰り返してきた自分ではあるけれど、言葉を交わした誰かを手の内で失ってしまうのは、何時まで経っても慣れることではないのだから。
 願わくば、この度はあの二の舞になりませんようにと誰かしらに祈る心、全くないとは言い切れない。
「……じゃあ、とりあえずあの子と話でもしてくるわ、俺」
「ああ、好きにするといい。おまえに任せる」
 ひらひらと手を振る征史朗に見送られ、和馬はなだらかな若草の坂を登りだす。見渡す限りの四方は一面、命萌え出ずる春模様。そよぐ微風はどこまで穏やかな暖かさを運び、さくりさくりと足元で踏みしめられる新緑は柔らかくたおやかで。この夢は人が思い描くところの“春”を表しているのだろうと、和馬は麗かな眠気さえ感じながらふと思った。

 ──── ………… ”林” 。

「……そうか。緑の鈴、だもんな」
 少女の手首に結ばれた鈴の色、それは遠目にも鮮やかな緑だった。鬱蒼たる森の木々をたった一雫に閉じ込めた様な、そう翠玉の如き上等な鉱石のみが持ち得る、深く濃く、透明な緑。それの立てる音が、風に乗って届くのを聴いて。和馬は少し尖った耳の上、赤味がかった褐色の髪を無造作に後ろへ流すと、鈴の音へと再び耳を澄ます。

 ──── ………… ”林” 。

 緑、それは春の息吹を連想させる色だ。萌え出づる草木の芽が陽光を受けで伸び、成長していく様。時を止めてしまったこの身が、あーいいなあ好きだなあ、と思うのは、希望という未来への変化を孕んだそれらにどこか憧憬を、そして思慕の念を抱いているせい……かもしれない。まあ、難しい言葉なんてのは愛着には不要、というやつだ。
 さくり。最後の一歩を踏みしめて、和馬は樹下へと辿り着いた。見上げれば天蓋の如き薄紅色の花爛漫。ちらと放り上げた視線を戻し、こちらを上目遣いで見上げてくる少女へと「よお」とにこやかに声をかけてみた。
「あのさ……隣り、いいかな?」
 って待て俺! 幼女相手にナンパ調ってどうなんだ俺! 考え抜いた割にはどうにも陳腐で月並みとなってしまった第一声に、和馬は心中あたふた慌てた。だが当の少女はといえば、きょとんと愛らしく小首を傾げているばかり。その大きな瞳があまりにも澄んでいたもので、えーと、なんてついつい視線を外してしまったのは。
「何だ和馬、おまえ異性に対する守備範囲がそこまで広いのか」
「だー! 全方向に力一杯誤解を招くようなことを言うな! 別に疚しいとかそーいうんじゃないぞ、断固違うからそこんとこヨロシクな!」
「ちなみに俺は年上が好みだ」
「誰も聞いてないっての!」
 丘の上と下で漫才(?)を繰り広げる男二人の遣り取りを聞いていたのかいなかったのか、やがて少女が「ねえ」と呼んで和馬のスラックスの裾をツイと引っ張った。────そこで綻ぶ、花の様な笑顔。

「……そう。また、来てくれたのね」

 ……また?
 ぱちり、とひとつ瞬きをした。自然と眉間に皺が寄るが、鸚鵡返しに彼女は答えない。ただ嬉しそうなかんばせをこちらに向けて、座って、と自分の隣りの根を指し示すのみ。和馬は幾分不審に思いながらも少女に従い、隆起した樹皮へと腰を下ろした。
 そこに暖かな風が吹く。和馬の鼻先がひくりと動いて、微かに香る春のにおいを感じた。ああほんと、甘い欠伸が出る程の長閑さだ。
 少女と同じ位置で、少女が眺めているだろう風景を見遣れば、それは音もなき一幅の画の様。あまりにも静かで優しくて、呼吸の音すら密やかにしてしまう。遙か彼方まで続いている緑なす春の景色を眺めていると、────うれしい。不意に少女がそう言った。うれしい、また、来てくれて。
「あー……あのさあ」
 少女の声が確信と喜びに満ちているもので、和馬は言い差した言葉を淀ませる。何と言うべきか逡巡するが、結局は直接訊くしか手がなかった。
「俺らって、初対面、だよなあ?」
「いいえ?」
「あー? あー、うー、そ、そうか。違うの、か……?」
 思い出せ脳ミソフル回転だファイト! 腕を組んで首をぐるぐる捻ったものの、彼女の面影は記憶の水底から一向に浮上してこない。そんな苦悶の顰め面が面白かったのか、少女がころころとそれこそ鈴を鳴らす様な声で微笑った。ついでに、征史朗も声を立てて笑った。
「おいおい、初めから相手に翻弄されてどうする色男」
「今日はまた一段と突っかかってくるなおい」
「付き合いがいいのは構わないが、本懐を忘れてくれるなよ。俺が欲しいのはその子の笑った顔じゃない、その、鈴だ」
「……おまえ、実際わかりやすい奴だよなァ」
 先回出逢った(むしろ出遭った)時よりずっと、あの男はたったひとつの信念に則って行動している。即ち、あの鈴が欲しいということ。
 それは彼の、何か大願を叶えるためには必須のモノであるらしい。他の何か犠牲にしてでも、と言ってのける傲慢ともとれるその態度。揺るがないのは彼の中で一切が、唯一へと集約されているからなのだろう。
 なあ。呼びかければ、彼は「なんだ?」と軽く首を傾ぐ。
「おまえの願いってのは、一体何なんだ?」
「聞きたいのか、物好きだな」
 ────おまえ、ヒトガタというものを知っているか。
 突然返された問いに、一瞬はぐらかされたのかと眉間の皺を寄せる。しかし征史朗の表情はどこまでも明るく、いっそ機嫌が良いともとれるその笑んだ口許は自分の答を待っている様で、仕方なく和馬はゆるゆると首を横に振ってやった。
「なァんかどっかで聞いた気もしないでもないんだが、多分、知らないな」
「ならば教えてやろう。ヒトガタとは、つまりは“人形”。体温・内臓を持たない以外はほぼ人間と変わりないが、意志を持ち思考をし、感情がある。人形よりはヒトに近い、しかしヒトよりもずっと美しくヒトの目を愉しませるために生まれた至高の人形。俺は、それを作っているんだ」
「人形職人ってやつか?」
「まあ簡単に言うとそういうことだ。俗には区別して、ヒトガタ師と呼ばれている。──尤も、それを生業としているのは最早俺しかいないんだがな」
 人形。その言葉に、和馬はとある“少女”を思い浮かべる。ヒトに近いというのはああいうことなんだろうかと推測した。
「で、その職人の嵯峨野征史朗。おまえの願いってのは?」
「急くなよ。……いいだろう。俺の願いは、この世で最も美しいヒトガタを作り上げること。俺の心の総てに答え得る、俺の、俺のために生まれる至上のモノを、俺はどうしても完成させなくちゃならない。その故に、ヒトガタに必要不可欠であり最も重要な材料であるあの、」
 征史朗の伸べた指先が一直線に少女を指す。対する彼女は鈴を両掌の中へ閉じ込めた格好で、甘く微笑む。
「鈴を、俺は所望する。誰にも、譲らない」
「……わたしも、誰にもあげない」
 ざああ、と桜が啼いて、ざああ、と無数の花弁が樹を囲む様にして舞い散った。一向に薄れぬ淡い紅色の花の嵐、まるで少女を守るかの樹の振る舞いに、丘の下の彼はむしろにやりと口角を吊り上げる。それでいい、そんな形に唇が動いた気もした。

 ──── その執着を、俺は欲するんだ 。

 花吹雪は鳴り止まず、根に座す和馬の眼前を右上から左下へと斜めに横切り落ちていく。はらりはらりと時には優しく、ふわりふわりと時には気紛れに。この散り続ける花は、しかしどれほど散っても散りきらないのだという。枝を離れても花は尽きず、こうして湧き出づる泉かの様に、散って、舞って、また散って。
 何故だ? 当然の疑問を和馬は抱いた。何故この花は終わらない、いや終われないのか。夢の中とはいえ自然の理に反するこの花の所業────それ相応の理由があるはずだろうと、考えるのは容易い。
「例えば、さ」
 和馬は根に両手をつき、心持ち胸を反らせながら頭上を見上げる。ああ綺麗なもんだと、薄紅色の天蓋に目を細めながら。
「強い想いってのは、それ自体が力なんだよな。善きに使えばそれは祝いに、悪しきに使えばそれはまた呪いにもなる。何かが何かに向ける想いっていうのは、現れ方が違うだけで根は同じなんだと、まァそういうことだな」
「何が言いたい?」
 征史朗が興味深そうに促す。和馬はひとつ頷いて。
「ああ、つまりさ。征史朗、おまえに譲れない願いがあるように、この子にも何か、咲き続けなくちゃならない理由っていうか、そういうのがあるってことだ。それで出来るなら……俺はそれを、叶えてやりたいと思ってる」
 甘いかね。唇の端を僅か歪めた和馬に、袂に手を突っ込んだ征史朗は“くい”と片眉を上げて見せた。
「相変わらずおまえは“優しい”ことだ。前の様になること、厭わないのか?」
「女性に優しくってのは、俺の基本だからな。この年になると、今更性根が変わったりはしないワケよ」
 寛いだ姿勢のまま和馬は笑った。それは飄々と陽気に振舞う彼が時折見せる、何処か乾いた長生者の笑み。だから視線を上の、爛漫の花々に向けたままで少女へ問いかける。なあ、どうして、咲き終われないんだ? 今度こそ、答えてくれよ。……なァ?
「……貴方が、それを訊くのね」
 言葉に、春の少女は甘く双眸を閉じながら答えた。
「 ──── 花を、見せたい人たちが、いるから」

 今か昔かそれとも夢か。何時のことかは忘れたけれど、毎年、揃って花を見に来くる男女がいたの。“わたし”の元で二人で愛を誓い、将来を語り、互いの誠実な想いを確かめ合っていたその姿、今でも鮮明に覚えている。
『また次の年も、共に』
 逢瀬のたびに繰り返される約束を、“わたし”は静かに聴いていた。そしてその男と女は、決まって春の日に、こうして暖かな幸福の日に、必ず硬く手を握り合って“わたし”の前に現れたのよ。永劫ならぬ人の身が交わす永遠の想い、“わたし”は、だから美しく咲かずにはおれなかった。美しい恋心に答えようと、春が巡るたびに身一杯に花を誇らせた。
 ────でも。

「ある年を境にして、此処を訪れるのは男だけになった。また次の年も、そのまた明くる年も、男は一人きりでやって来て、以後二度と女は姿を現すことがなかった。その事実が意味することを、ただの花であるわたしは知れないけれど」
 けれども、わたしは花。少女を言って掌を、それこそ蕾の様に花開かせる。
「わたしは花。彼らが咲かせた、約束という言の葉の“花”そのもの。共に、という約束が成就されるまで、だからわたしは散りきることが出来ないの」
 五指の花弁の中で輝くは翠玉と見紛う鈴。見つめる彼女の瞳が愛しさを孕んで細まって、こんな美しく穏やかな春の中、その眦だけがどうしようもなく、切なく、また寂しかった。
 和馬は、そんならしくもなく感傷的になりそうな雰囲気を、頭を振ることで払い退ける。
「じゃあ……何か。散るためには、俺がそいつら探しに行けばいいのか? あ、待てここ夢ん中なんだよな。っていうか実際問題、それってちょっと無理なんじゃ……」
「何を言っているの。貴方、また今年も独りで来てしまったじゃない」
「………は?」
 たっぷり三秒かかって和馬は瞠目した。きょとんと見上げてくる彼女の傾いだ小首、そして“また”。先刻困惑を極めた言葉が甦り、散らばっていた総ての破片が瞬く間に一つの画を成す。合点のいった和馬が叫ぶのと、征史朗が腹を抱えて爆笑したのは、ほぼ同時だった。
「な、なんだ和馬、おまえ、どこぞの女に袖にされたのか。はっはっはっ、久しぶりに笑って涙が出たぞ」
「ちょ、おま、ひでェ濡れ衣勝手に着せんなっ。確かに俺ァちょっとした長生きだが、そんな覚えはとんとないぞ! 人違いだ、ひとちーがーいー!」
 高らかに青年の主張をする和馬を征史朗はさらに面白がって、傍らの少女はやはり鈴を抱き締め笑んでいるだけで。先回とはまた違った意味でこれは八方ふさがりなのではないかと、和馬はがっくり盛大に肩を落とした。────落として、けれど、と何故か思った。


『 また次の年も、共に 』

 永きを生きる私と、人としての天命しか生きられぬ貴女と。
 命の長さが違う二人ゆえ、ずっと共にはいられない。わかっていたけれども互いに手を取り、小指を絡め、幾度ともなく約束を重ねた。此花を次の年も、そのまた次の年も、いつまでも、共に。繰り返すたび口にするたび、愛しさと同時に痛みを覚えながら。

『 もう逢うことも、あるまい 』

 言い出したのは果たしてどちらが先だったのか。握り締めた手を放してしまったのは、一体どちらからだったのか。いつかは必ず来る運命という名の別れの前に、やがてたおやかな恋心はおののき、重みに耐え切れず逃げ出さずにはいられなかった。どちらも望まぬ未来を選び、私たちは心に、それこそ永遠の棘を自ら差した。


「もう一度でいい。貴方と、貴方の恋しい人がわたしの元で逢ってくれさえすれば、それでわたしは成就される。……だから逆に、果たされない限りは終われないの。ここから、動けないの」
 無理なことを言ってくれるなと、開きかけた口はしかしそのまま固まってしまう。手の内の鈴を見つめる少女の眼差しの切なさ、胸を焦がす苦しさ、もどかしさに涙が絞られるような寂しさ。視覚から入ったその感情はじわじわと和馬の芯に染み透り、それが自分自身のものであるかの様に生々しく全身に脈打っていく。何だこれはと、不審に思うより先に身を侵食していく強い感情。知らないわけじゃない、人から離れたこの身ではあるけれど、今こうして、薄紅色の花弁を捕まえた手は、この指先は、間違いなく人の形をしているのだから。
「わたしは花、そして恋。たとえ結末が悲劇だったとしても、わたしは、生まれてしまったの。生まれた理由そのままに、散れないのよ、ずっと、ずっと」

 ──── この永久こそが、きっと“呪い”というのね 。

 少女の手が震えて、鈴がかそけく“林”と鳴く。
 おまえの言う通りだ、と。強い光を放つ黒曜石の双眸が、こちらを真っ直ぐ見て言った。
「この世にあるありとあらゆるモノは、総て、人の想いより創られる。それが呪いであれ祝いであれ、人の想いが満ちるからこそモノは際限なく、美しい。俺の作る人形も、俺の願いを何時だって酌んでくれるからこそ、美しい。……おまえの言う通りだ和馬、強い想いは何者よりも力を持つ。命すら、縛るほどに」
 何時になく真摯に、そして一息で言い切った征史朗が、そこで深く大きな息をつく。くらり、とよろめいたのは見間違いではなく、倒れこむ様に膝を折った彼に和馬は慌て腰を上げた。
 しかし、肩で息をする彼がそれを片手で制した。
「……いいんだよこっちのことは。それよりも、考えろよ色男、どうすればその花の、呪いは解けるんだ?」
 呪い。命を散らせない約束。そんなもの、あるのならば自分こそ教えて欲しい。なんて卑屈なことは今更口にはしないけれど、ああ、何かないのだろうか。それよりもあの男は、何をそれほど切望しているのだろうか。ああもう、いきなり、一気に、言うなよ。夢だっていうのに、おまえも何もかも、夢でしかないのに。
 中腰のままで和馬は顔を顰めた。夢だからこそ咲き続ける花は、未だ降り注ぐのを止めない。視界が薄紅色に染まっていく、花で一杯になる。

 花しか、見えなくなる。貴女しか、もう、目に入らなくなる。


『 そう、貴女が美しいというから、私たちは毎年この花に春を求めた 』
 出逢った時から終わりが見えていた。貴女をも自分をも、傷つけるに違いないと解っていた。
 ────じゃあ何で、踏み止まらなかった? 恋心なんて、知ってしまった?
『 貴女がとても嬉しそうに見上げる花に、私は、夢を見ていた。もしかしたら、私たちは 』
 幸せになれるんじゃないかと。氷の鉄槌が振り下ろされる未来が確定していたとしても、今この時の愛しさを胸に生きていけるのならば、後悔はしない、思い出だけでも満ち足りることが出来るのではないかと。
 ────そんな夢を、見てたのか。いや、見たかったのか。

 私は。   ────俺は。
 貴女を。  ────おまえを。

『「 たったひと時でも愛せて、愛し合えて、この上なく、幸せだったと 」』


「……違うんだ」
 気付けば、身を反らせて花を仰いでいた。本当に花しか見えなくて、こんなにも花ばかりなのが哀しく、また嬉しくて。
「違うんだよ、呪いなんかじゃない。恋人同士が花に願ったんだ、それは呪いなんかじゃなくてさ、“祝い”なんだよ。ずっと咲いていてくれって、恋を終わらせないでくれってさァ……あー、慣れないこと言うもんじゃないな。恥ずかしくなってきた、けどまあ、最後まで言うわ」
 立ち上がり、静かに耳を傾ける少女へと、和馬は弱弱しく、しかし確かに、笑った。
「ありがとな、咲いていてくれて」

『 ありがとう、花よ 』

 さり、と足音がして振り返る。春霞の向こうから、歩んでくる人影があった。
 どこかで見たことがあるような、よく見知っているような、それでいて全く知らないような女の輪郭。女は背筋を凛と伸ばし、とても彼女らしい歩き方で近づいてくる。和馬は、男は、頬が綻ぶのを止められなかった。少し格好をつけて、ポケットに手など突っ込んで待ってみたら、女は立ち止まりくすりと笑った。

『「 ……また今年も、共に花を、見ようか 」』

 ──── ………… ”林” 。

 そして巻き起こった最後の花の嵐。
 吹き付ける強風に思わず腕で目を覆う。やがて収まった頃合に恐る恐る瞼を開いてみたら、そこにはもう、女も少女もいなかった。散りきった裸の大樹の根の元に、翠色した二つの鈴が、ころんと転がるのみだった。


「おい、立てるか」
 声をかけると、征史朗は「大丈夫だ」と明瞭りした口調で言い返し、それでも普通の数倍の時間を要して漸く和馬と目線を同じくした。額に滲んでいる汗は気温のせいなんかじゃないだろうに、無造作に前髪を掻き上げる仕草が一切の問いを拒否していた。
「ほら、受け取れよ」
 なのでこちらも何でもないかの様で、鈴をひとつ投げてやる。彼の手が掴んだひとつと、自分の手の内に残ったひとつと。前の赤い鈴と同様、数を増やした美しい鉱石に最早不審は抱かない。
「今回はアレか? 男と女が、二人、確かに恋してた証ってやつか?」
「言ってて恥ずかしくないか和馬」
「……言うな。俺もちょっと後悔した」
「なあ和馬」
「んだよ」
 征史朗は数瞬間を置き、それからやおら口許を、歪める様に微笑ませて。
「俺は正直、おまえが羨ましい」
 聞き返す隙すら与えない素早さで、彼はそう、吐き捨てた。


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 夜の岸辺に佇むは、やはり独りきりの白い影。
 名無花は無言で川面を見遣る。総ての感情を生まれた時より持たないかの氷の面で、まどろむ半眼で河を、流れる時の刻みのみをただ見つめて。
「……まろうどよ。まろうどはその男を、真に救うこと叶うだろうか……?」
 それきり彼女は、総てを秘するかの厳かさでまた、口を閉ざした。

 ────そんな、夢を見た。


 了


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1533 / 藍原・和馬 (あいはら・かずま) / 男性 / 920歳 / フリーター(何でも屋)】


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■         ライター通信          ■
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藍原和馬様
こんにちは、いつもお世話になっております。ライターの辻内弥里です。
この度は当ゲームノベル「名無花の世界 〜緑の鈴〜」にご参加くださいまして誠に有難うございました。少しでも楽しんでいただけますよう努めましたが…如何だったでしょうか。そしてまたまたまた納品が遅れましてほんとすいません……。遅れないと出せないのかと言われても仕方なく……うう。
今回で二度目のご参加ということで、再び説得に腐心なさる藍原さんとお会いできて嬉しかったです。今回はこんな風になりました。恋だとか愛だとか連呼してすいません、趣味が出ました。そして征史朗が小出しにしている彼の話については……もし興味もたれましたら、次回にでもつついてやってくださいませ。
それでは、今回はどうも、有難うございました。宜しければまた、征史朗に会いにきてやってくださいませ。