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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


水夏花恋



■the water park

 今夏オープンしたばかりの大型プールは、夏休みを迎えた人々で賑わっていた。
 “ウォーターリゾート”という触れ込みの、アミューズメントタイプのプールだ。流水あり、ウォーターチューブあり、と動と静が程よくミックスされている。プールサイドにはパラソルやデッキチェアを有料で貸し出すスペースまであって、正にいたれりつくせり。
 にわかリゾート気分を味わいたい客はゆったり寛ぎ、遊びが目的の客は飛沫と歓声とを陽光に弾けさせて真新しい施設に興を添える。
 カップルから親子連れまで、それぞれのペースで楽しめる空間に仕上がっていると言えた。
 そんな七月末のよく晴れた日。
 白神久遠は、丁度木陰になっているベンチではしゃぐ娘たちを見守っていた。裾の長いシャツを着込み、水辺を眺める様は、彼女の外見が二十代前半でさえなければ「子どものお守をする母」の図そのものだっただろう。
 だが今、シャツの裾を所在無げにいじりながら視線を上げては俯く久遠の姿は、同行者に取り残されて困っている風に見えなくもない。
 実際、シャツの下には黒のハイレグが隠されていたりするのだ。なまじ隠れているだけにいらぬ想像をかき立てるのか、先刻から久遠にまとわりつく男の視線は多い。水に入ることを考えてかすっきりとまとめられた銀糸、そして清楚な美貌が想像の助けとなるのだろう。
 親子連れが多い中でも、こういった輩が減ることはないらしい。
 その彼女に対して、誰一人接近を試みないのは、ひとえに傍らにある青年の気配のおかげだ。泳ぐ気はあまりないのか、シンプルなシャツにハーフパンツといった格好で、鬼童蝉歌はさりげなく久遠を見る男達を追い払っていた。とは言え、殊更何かをせずとも、ただ彼らをしばしの間見据えてやれば事足りる。
 久遠を横目で見やり、蝉歌は荷物を心持ち己の方へ寄せた。
「荷物が心配なら俺が見ている。泳いできたらどうだ」
 軽く、久遠の娘たちが騒いでいる方向を示す。彼女が行けば、娘たちも喜ぶだろう。久遠も行きたくてさっきからそわそわしているのではないか。
 そう思った蝉歌だったが、予想に反して久遠はもじもじしたまま動く様子を見せない。何かを言いたげだがそれでも口を開かない久遠に身体を向けて、蝉歌は首を傾げた。
「行かないのか?」
 再度促した蝉歌を見上げた久遠が、ようやく口を開こうとした瞬間。
 冷たい水飛沫を感じて、蝉歌は僅かに目を見開いた。隣では斜め前から盛大に水を浴びた久遠が「あ」の形に口を開けたまま固まっている。
 程近い場所から、誰かがプールに飛び込んだものらしい。二人に水を浴びせた犯人は、とうにどこかへ泳ぎ去っていた。自分の飛び込みで被害者が出たことなど、気づきもしないだろう。
 ひどく濡れたな、と蝉歌は冷静に自分たちの状態を判断した。
 これでは、泳いでも泳がなくても大して変わらない。被害の大きかったのは久遠の方で、すっかり濡れてしまったシャツがぴったりと肌に張り付いている。
 勿論、下に着込んでいる水着も見えていた。
「あ、あの、これは……っ」
 驚きから脱して己を見下ろし、久遠は瞬時に真っ赤になった。身を縮めて何かを言い募ろうとするのだが、上手く言葉にならない。
 目尻に涙までためている久遠をしばらく見ていて、蝉歌は柔らかく苦笑した。
 荷物は多少ならば大丈夫だろう。
「行こう。折角きたのだからな」
 それにもう濡れてしまったし。
 目の前に差し出された蝉歌の手をじっと見つめ、久遠はためらいがちに目を上げた。蝉歌は軽く手を揺らし、笑みをほんの少し深めた。
「ほら」
 蝉歌の手に、久遠の白く細い手が重なる。
「――はい」
 どちらからともなく、煌く陽射しの下へ足を踏み出した。



■flower

 彼らが帰路についたのはもう日も暮れようかという頃合だった。夏の日が長いことを考えれば、随分とはしゃいでいたのだと今更ながらに思う。
 途中、久遠の娘がねだるままに、花火とスイカを買った。スイカは店先で盥に浸かり、よく冷えている。ひんやりとしたスイカの表面を、娘がぺたぺたと気持ちよさげに触る。ぶら下げた蝉歌が苦笑交じりに温くなる、と言えば、渋々ながらも手を引っ込めた。
 そんなやり取りを重ねながらのんびりと家へ戻る頃には、空はすっかり夜の色に染め上げられていた。
 早速、と花火は娘に持っていかれ、縁側で色とりどりの火花が散る。幸いにも余り温くはならなかったスイカを切り分け、久遠と蝉歌も縁側へ出た。
 大した量を買い込んでいなかった花火は、蝉歌が誘われることもなく尽きた。スイカにかぶりついた娘が、昼間の疲れから眠気に負ける頃には久遠も母の顔になる。
 部屋へ戻る娘を見送って縁側についた蝉歌の手が、かさりとビニル袋に触れた。見れば、線香花火の束だ。
「……火を、くれないか」
 封を破り、一本を久遠に差し出す。
 微笑み、久遠はマッチで使いさしの蝋燭に再び火を灯した。
 静かな夜の中では、線香花火の微かな主張も耳に届く。さわさわと、まるで風が木の葉を揺らして遊んでいるかの如き、優しい音だ。闇に焼き付ける花が散り、最後の玉が落ちるとほっと息を吐き出したくなる。
 しばらくの間、二人ともが火の生む風の音に耳を澄ませていた。
「一緒に言ってくれて、ありがとう」
 やがてぽつりぽつりと互いの口から零れ出すのは、久遠の亡夫と共に三人で過ごした日々のことで、それはやがて滑らかに唇から滑り出してゆく。
 久遠が礼を言ったのは、その区切りで、だった。
「娘もきっと楽しんでいました。親子三人でも、こんな風に過ごしたことはなかったんですもの」
 ありがとう、と仄かな光の下で久遠が笑う。
 蝉歌は最後の一本を久遠へ差し出して、笑んだ。
「来年の夏も、行こう。――代わりになれるかは、わからないが」
 共に過ごそう。そう、言った。
 蝋燭の火が消される。
「はい」
 ちりちりと花を散らせる線香花火を見つめ、久遠はゆっくりと瞬いた。蝉歌に見せていた嬉しげな微笑みがほんの少し、寂しげなものに変わる。
 ――あの日、確かに自分はこの人を想っていた。
 花は散る。残り火も落ちる。
 けれど。
 今でも。
 ひっそりと久遠の胸に花は、咲く。




[終]