コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談・PCゲームノベル>


かげしげき木のした闇のくらき夜に

 
 からり、ころり からり、ころり

 しっとりと広がる薄闇の中、ぽつりぽつりと灯が宿る。
 先程から聞こえてくるのは、路を闊歩する下駄の音であるのだろうか。からころと響く軽妙なその音は、遠くなり近くなり、闇の中へと溶けてゆく。
 闇とは云え、視界を全て塞いでしまう程のものではない。目を凝らせば周りの景色を見てとる事も出来るし、灯の力を借りれば、100メートル程は離れた場所に何が在るのかという事も見てとれる。
 その闇の内、ぽつりぽつりと姿を現す影が在る。それは大路を練り歩く、身形も定まらない夜行のものだ。擦れ違いざまに目を遣れば、夜行の主は垢舐め、後追い小僧、朧車。から傘、百々目鬼、人狐。何れも人ならぬ妖ばかり。
 
 神居美籟は、何時の間にやら、知らず辿り着いていたこの場所を訝しげに見遣りつつ、擦れ違う夜行を確かめた。
 まるで見知らぬ土地だ。
 薄闇の内に在るのは大路を結ぶ四つ辻。路脇には茅葺の屋根やら瓦の屋根やらがこじんまりと佇んでいる。窓らしい部分には、ガラスではなく、戸板が立て掛けてあるようだ。
 美籟が立っている場所は、四つある大路の内のひとつ。振り向けば其処には橋が架かってあるのだが、見た処、他の大路にも其々橋がかかってあるようだ。
 しかし、その橋の向こうの景色は――――それはどう目を凝らしても、確かめる事は出来そうになかった。

 からり、ころり からり、ころり
 響くは、先程擦れ違った夜行のものであろうか。
 下駄の音が幾つも響き、愉しげに唄う声が、夜風に乗って美籟の耳をさわりと撫ぜた。

 咲いたァ桜にィなぜ駒繋ぐゥ 駒がァ勇めば花が散る

 愉悦気に唄う声が、さわさわと静かな夜風を残し、薄闇の内へと融け消える。
 美籟はしばしその風に長い黒髪をなびかせていたが、やがて、ついと現れた何者かの気配に視線を向けて、背中越しに後ろを見遣った。
「――――女人か?」
 振り向きざまに訊ねる。確かに、其処に立っていたのは一人の女であった。
「わっちが女だと、よく分かりんしたねぇ? まるで背中に目があるようでありんすねぇ」
 女はしげしげと美籟を見上げた後に、僅か垂れ目がちな眼を細めてころころと笑った。
「匂ひ軽く艶なり――真那伽の如き香が、貴女から漂っている」
「あれ、香は強めに焚いていないつもりでありんしたが……」
 美籟の言葉に、女は袖を持ち上げて匂いを確かめ、そのままの姿勢で、視線だけを美籟へと寄せる。
「ぬし様とは初めての御目文字でありんすね」
 発せられた声色は、鈴の鳴る音に似ていた。
「貴女は此方の住人か? 私は何故この場に居る?」
 訊ね、女の眼差しを見据える。女は束の間言葉なく美籟を見遣っていたが、やがて小さな笑みを洩らし、肩を竦めて首を傾げる。
「ぬし様も女子であれば、粋の一つも心掛けておくものでありんしょう」
 鈴の音のようにころころと笑う女に、美籟はしばし口を閉ざし、女を見据えた。
 女は美籟の眼に宿る心を受け取ったのか、鈴の音のような声を留め、すうと真っ直ぐな視線で応じる。
「どうにも、櫛を一つ無くしてしまいんした」
「……櫛?」
 思わぬ言葉に美籟は再び眉根を寄せる。
「愛らしい、鼈甲細工の櫛でありんす。此方の大路の何処かで落としてしまいんしたようなんでありんすが、わっちにはどうにも見つける事が出来んせんでありんした」
 女は美籟の顔に滲む感情には素知らぬ顔。やはり変わらず艶然とした微笑を浮かべているばかりで、その心根は窺い知る術もない。
 美籟は腹の内で小さな溜め息を一つついてみせると、ふと首を傾げて女に問うた。
「この大路の何処で落としたのかも知れぬのか?」
 訊ねると、女はゆっくりと微笑んで頷いた。
 女の応えを確かめて、美籟は改めて眼前の大路へと視線を投げる。
 視界に映るのは、やはり一面に広がる薄闇。更に、大路の道幅は2−メートル程は有るだろうかと見受けられる。辻を中央に、その大路が合わせて四つ。
「……成る程。これでは、見つけるのは容易ではなかろうな」
 大路を見遣り溜め息を洩らす美籟の言に、女はしゃなりと首を傾げ、両手を合わせた。
「わっちの代わりに見つけてきてはくれんせんか?」
 不躾とも云える女の申し出に、美籟は再び女の顔を見遣る。
「此方の問いかけには一切返さず、その上で唐突に失せ物探しとは――――」
 少しばかり睨み据えるような眼差しで女を見るが、女は動じる様子も見せず、手を合わせたままで美籟を見上げているばかり。
「――――まあ、良かろう」
 折れたのは美籟の方だった。何時までもこうして押し問答を繰り返した処で、時間を無駄にしてしまうばかりであろうと踏んだのだ。
「幾許か此方の地に興味を惹かれるのも確かな事。散策がわりに探索を兼ねてみるのも悪くはなかろう。その代わりといっては無粋だが、櫛を持ち帰った暁には、駄賃代わりに貴女の事を教えていただこう」
 口の端を引き上げて笑みを浮かべると、女は満面の笑みを浮かべて頷いた。
「わっちの事でありんすか? わっちは名を立藤と申しんす。それより他に名乗る事など一つもありんせん」
「夏の花の名か。美しい名だ。私は神居美籟だ。宜しく頼もう立藤殿」
 立藤の言に頬を揺るめると、美籟はかつりと踵を返し、薄闇の大路へと歩を進める。
 自分を見送りつつゆらゆらと手を振っている立藤を肩越しに確かめて、それからふいと天を見遣った。
 墨を引っくり返したような暗天には、月どころか星の一つでさえも瞬いていなかった。

 四つの大路がぶつかり重なっている場所――辻に行き当たって足を止め、路の脇に目を送る。其処には古びた一件の家屋の姿があった。
 家屋は、強風が吹けば――或いは大きな地震の一つでもあればたちどころに崩れてしまうであろうという見目をしている。が、窺う限り、どうやら家屋の中には人か何かがいるらしい。ぼうやりと灯った火影がちらちらと揺らいでいる。耳を寄せれば、噺し声や笑い声のようなものも洩れ聞こえる。
 美籟はその火影を横目に遣ると、辻を越えて大路の一つへと足を踏み入れた。

 失せ物を探すのであれば――。つ、と足を止めて首を傾げる。
 探索を得手とする精の姿を思い、美籟は微かに双眸を緩めた。
 ――――いや、ここは己の手で探してみるとしよう。
「何、難しい事ではなかろう」
 呟き、再び歩を進める。
 真那伽に似た薫を目指し、足元を照らす灯もないままに進む。
 ――――立藤殿の香を聞き追えば、何れ見つかる事だろう。

 大路を行く道すがら、初めに擦れ違った夜行と再び見え、擦れ違う。否。初めに見えた夜行とはまた異なる一行かもしれない。薄闇は夜行の姿をも安穏と包み、その姿は今一つ判然としない。
 夜行は愉しげに都都逸を口ずさみ、どうやら先程横目に見遣ったあの家屋へと入っていくらしい。
 提灯等も見当たらないが、もしやあの家屋は酒屋か何かであるのやもしれない。
 眼を細め、再び前を見向く。
 ――――それにしても。

 此方は不思議な場所だ。明らかに東京とは異なる空間。心に触れる香に、美籟は知らず頬を緩めた。
 云ってみれば、とてつもなく現実味の無い香なのだ。見上げる天も、路脇に突如現れる日本家屋も、擦れ違う夜行も、漂う土や草木の香でさえも、何もかもが何処か曖昧なのだ。
「――――だが、」
 決して嫌悪を覚える香ではない。寧ろ何故か心地良い懐かしさすら込み上げてくる。
 心に浮かぶ不可思議なまでの感情に、美籟はつと足を止め、路脇の土壁、その向こうより伸びる見事な枝振りに眼差しを細ませた。
 ――――確かに曖昧で謎を禁じえぬ場所なれど、悪しき場でもないようだ。何より、漂う香が美籟の心を和らげる。
「夢か、現か……」
 誰にともなしに呟いて、美籟は再び天を仰ぐ。仰ぎ、睫毛を軽く伏せると、そうする事で、しっとりと広がる夜の静謐が、心地良く涼やかな風を伴い、耳を撫ぜた。

 その時、美籟の鼻先を、揺らぐ花の芳香がくすぐった。
 ゆっくりと瞼を持ち上げて其方へと視線を寄せる。幾らか離れた薄闇の向こう、木造の橋の姿が浮かんだ。そしてその傍には、真白な百合の姿が見えた。
「百合……」
 近付き、膝を屈めて花弁に触れる。百合は美籟の指に頭をもたげるように揺らぎ、ふうわりと芳しい薫を振り撒いた。
 それは山百合だった。百合の真白な色彩が、何故か橋を灯す提灯か何かのように揺れているのだ。
 
 夜風が凪いだ。
 何処からか、小さな鈴の音に似た音がした。
「立藤殿?」
 ふと名前を呼んで振り返る。だがそこにあるのは、しっとりと広がる闇の姿ばかり。
 不審に思い、眉根を寄せる。確かに、立藤に似た香が頬を掠めて流れていったのだ。
 薄闇の何処からか、確かに鈴の音がする。
 さわり。凪いでいた風が一陣流れ、美籟の髪を梳いて過ぎた。
「ああ、成る程、此方に隠れておいでであったか」
 美籟は伸ばした膝を再び屈め、揺らぐ真白な百合の下に手を伸べる。
 其処には、薄闇の内であっても尚光彩を放つ鼈甲が、確かに立藤の香を漂わせて隠れていた。
 百合が揺らぐ。それはまるで、美籟の手元を照らす小さな灯火のようでもあった。


「ああ、助かりんした。ありがとうございんす」
 美籟が持ち帰った櫛を手にすると、立藤は心底有り難いといった様相を見せて笑った。
「橋の傍に咲いていた山百合が隠しておった」
「そうでありんすか。それにしても、よう見つけてくれんしたね」
「――この場所は、どうも曖昧で今一つ判然としない。だがその曖昧な香の中に在っても、その存在、実に香ばしかと聞こえた故にな。見つけるのはさほど難儀では無かった」
 頬を緩めつつそう返すと、立藤は目尻を下げて首を傾げた。
「辻の散策は楽しめんしたかぇ?」
「そうさな……。此方は随分と曖昧で――それ故に、奇妙な懐古を漂わせてもいる。……そう、まるで、夏の日の木下闇に抱かれているような……」
 眼を緩めて立藤を見つめると、立藤はしゃなりと笑って美籟の眼差しを受け止めた。
 チリン。
 立藤の髪に飾られていた簪の鈴が、小さな音を響かせた。
 立藤は鼈甲の櫛をその隣に並べ飾ると、ついと足を進め、美籟に背を向け歩みを進めた。
「立藤殿、貴女が何者であるのかを教えていただきたい」
 歩み去っていこうとする立藤を呼び止めて、美籟もまた片足を前へと押し出した。
 遠く、夜行が唄う都都逸が聞こえる。
 立藤は美籟の言に、束の間足を留めて振り向いた。
「わっちの名は立藤でありんす。今後共ご贔屓に」
 艶然と微笑み、再び足を進めると、立藤の姿は薄闇の中へと吸いこまれ、消えた。
 
 咲いたァ桜にィなぜ駒繋ぐゥ 駒がァ勇めば花が散る
 
 立藤の声が何処からか届き、耳を撫ぜる。それは夜風をはらんで穏やかに流れ、過ぎていく。
 山百合の芳香と、しっとりと広がる薄闇の静謐。遠く近く、波のように歌声ばかりが空気を揺らす。

「また何時でも来てくれなんし。お待ちしておりんす」
 風と共に、鈴の声がしゃなりと鳴った。


 


□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【5435 / 神居・美籟 / 女性 / 16歳 / 高校生】


NPC:立藤



□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

はじめまして。この度はご発注くださいまして、まことにありがとうございました。
このノベルでは、和を中心に置き、闇の静けさや艶、そういったものを表現したく思い、書かせていただきました。
書き手は和等といった題材は非常に好みでもありますので、とても楽しく書かせていただきましたが、
美籟さまにも同じようにお楽しみいただけていれば、と願わずにはいられません。

PC設定(口調等)は私なりに充分意識させていただきましたが、イメージと異なるなどといった点がありましたら、
どうぞ遠慮なくお申しつけくださいませ。

それでは、また機会がありましたら、お声などいただければと願いつつ。