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<東京怪談・PCゲームノベル>


『幻想風華伝 ― 夢の章 ― 吟遊死華』


 城の最上階の部屋の窓から放られたストックの花。

 さあ、姫。そのロープを伝い、降りてきてください。
 はい。わかりました。

 姫は城の最上階からロープを伝い降り始める。
 ところが姫は誤って石畳の上に落ちて死んでしまった。
 青年は吟遊詩人となって、悲しみのままに各国の世界をさ迷い歩きました。
 帽子にストックの花をつけて。



 ――――――――――――――――――
【違う。俺は…】



 ―――その女は言った。
 俺を壊したい、と。


 ユーンのあの子探しは終わらない。
 そしてそこには悲しみの結末しかない。
 それが神々の託宣。
 悲しみ、しかもそれは自分自身のではなく、あの子らの、モノ。
 あの子らに悲しみを感じさせてまでそれをする価値はあるのか?
 自分にそう問う。
 あの子は自分の大切な存在。
 闇から救い出してくれた光り。
 その光りに触れた時に、自分の中にあったあの暗い感情は蒸発した。
 だからこそ取り戻したい。
 あの子がいなくなって、再び暗闇の中に堕ちた自分。
 その自分を照らしてもらいたい。
 気を抜けば、闇の中から自分を見つめているそれは、触手を伸ばしてくる。ユーンを再び闇に取り込むために。
 それが嫌だった。
 それが哀しかった。
 それが怖かった。
 そしてそれに、憧れた。
 そう。それに憧れる自分が居る。
 道端の花を手折るようにただ何の躊躇いも無く人の命を摘み取っていたあの頃の自分。そこに苦しみも感動も無くただ、虚無があったが、その虚無こそが心に心地良かった。当たり前だ。何にも考えずに、ただ周りへの憎悪と呪詛を口にしているだけのその時間が心に心地良くない訳など無い。
 だから人は闇を知れば、容易にそこに堕ちていく。それが楽であるから。
 そしてひょっとしたら性善説などというのは世迷言で、人が人を殺さないというのは単なる育てられる上での環境の刷り込みであるだけで、人が人を殺さぬ事で人と足りうる、というのは理性に囚われているだけ。
 理性の檻から放たれれば、心は解放される。
 自分は最初から人という刷り込みはされてはいなかった。
 あの子のあの言葉、温もりによって、刷り込みされたのだ。人としての在り方が。
 そしてあの子がいなくなってその刷り込みが消えつつあるのかもしれない。
 それでもユーンがシン・ユーンであるのは、あの子らと親友がいるから。それに恩人も。
 だけどそれでも枯渇した心は潤いを知らない。
 再び心が潤いを満たすのは、きっとあの子をその手に抱いた瞬間。


「なぁーんだ。じゃあ、あなたがあの子を今も必死になって探しているのって、自分のためなんだ。あの子が隣に居る自分のため。あの子を、じゃなくって、あの子が、なんでしょう? 欲しいのは潤い。光り。憧れるのは、恋い焦がれるのはあの子が隣に居る自分。エゴの極地ね。だって考えた事ある? あの子らがあなたの隣に居られて喜んでいるように、風鈴屋が仕入れてきた情報、あの子は望んでその誰かさんの隣に居るのかもよ? それが嬉しくって、幸せで。だから、エゴの極地って。あなたはあの子が隣に居る自分が良くって、ただそれだけのためにあの子のその気持ちを無視して、あの子の今の幸せをぶち壊す。あはははははは。エゴだ、エゴ。あなたは自分さえよければそれでいい、エゴイストだ。最低ぇー♪」


 ―――違う。
 ユーンは叫ぼうとした。
 しかし声が出なかった。


「ひょっとしてあなたはあの子が無理やりに連れて行かれたと想う? でも最初はまあ、そうだとしても今は幸せかもよ? 人の心なんて変わる。遠くの花よりも、近くの花。あなたは自分の幸せのためだけにあの子の今の幸せをぶち壊す。そう。あの子は今、幸せなのかもよ? あなたにそれを壊す権利はあるのかしら? 結局あなたは皆を不幸にするだけで、誰も幸せにはできない。最低のお馬鹿さん♪ わがままなのよ」



 廃屋の闇の中でそのフランス人形かのような彼女は青いパラソルをくるくると回しながら笑った。
 ユーンは愕然とする。
「違う。俺は…」
「俺は、何? 何か言い訳があるの? 明確な、あの子の今のどこかの誰かさんと築いている幸せを壊す言い訳。大義名分が!」
「それは………」
「ほら、何も言え無い。何、あなた? あの子が生きている事を知ったら、生きているあの子は自分を呼んでいる、そんな独りよがりな事を本気で叫ぶ訳? 冗談。あの子は今は笑っていられる。あなたなんかもう用済みなのよ。ねえ、知っている? 別れ人との再会番組。あれもさ、昔に別れた人と逢いたい、って言ってくる人間が居るわよね? でもね、心理学的に言えば、あーいうのって今の自分が報われていないからよ? 今の自分がすべてに報われて、幸せに笑っていられたら、人は過去など振り返らない。これは心理学では既に知られた事。要するに心なんてその程度なのよ」
「違う。俺は、俺は報われている。あの子を失って、俺は闇に落ちたけど、それでも俺は光りに囲まれている。ただあの子は俺にとって特別だから………」
「だから今自分を囲んでくれている光を捨ててでも、それよりも強い光を放つあの子を目指すと。ああ、そうか。今の光りは所詮はあの子の代わり。慰みモノ。右手のような物って事? それであの子が生きている事がわかったから、もういらないって、あの子たち。かわいそうに」
 さらりと下品な事を言って、にんまりと彼女は笑う。
 紫陽花の君。
 いつしかユーンの前に出てくるようになった少女。
 ユーンは何も言え無い。わからなかった。自分の心が。
 ひょっとしたらこの少女、紫陽花の君の言う通りかもしれない。
 遠い昔、あの子は自分の前から消え去った。
 死んだと想った。
 自分も、仲間も。
 あの子という太陽に照らされていた自分たちは、その陽だまりの中でなら笑っていられた。その温もりの心地良さに。
 しかしあの子が消え去り、その温もりは壊れ、暗い闇が自分たちを覆い、そして冷たい世界に身を堕とした。
 誰もが泣いて、苦しんだ。
 あの子の居なくなった事で空いた心の穴に。
 ―――ユーンはその穴を塞げた。あの子らと友人、恩人で。
 だけど彼女は違う。
 今も彼女は寂しさに喘いで、苦しんで、泣いている。
「あら、今度は人を理由にするの? 自分が彼の幸せを壊す事に負い目を感じて。自分は彼女が苦しんでいるから、だからあの子の今の幸せを壊す。我がまま。我がまま。我がままちゃん♪ それが自分を正当化する大義名分。何て卑怯。楽だものね。人のせいにすれば」
「やめろぉー」
 ユーンが吠えた。
 銀時計が銀の薙刀となって、闇を薙ぐ。
 彼女の前髪が数本、散った。
「やめてよ。髪は女の命なんだから♪」
 あっかんべーをする。
 そして紫陽花の君は消えて、そこに巨大な扉が現れる。
「冥府」
 冥府、白亜を連れて物語から物語へと逃げ回っている存在。
「冥府だってただ白亜といつまでも一緒にいたいだけ。白亜もそれを叶えている。二人がそれで良いと言っているのに、闇の調律師をはじめ、あの馬鹿兎や多くの者たちはこの子たちを追いかける。自分の正義とか、物語の世界の安定とかってね。結局はそういう事なんじゃない? 人は誰でも自分のエゴで人の幸福をぶち壊す! 冥府は白亜と一緒にいたいから白亜の幸せを、物語の世界の安定を。闇の調律師たちは、冥府の幸せを。そしてあなたたちはあの子の今の幸せを。あの子の気持ちなんてちっとも考えずに自分たちの感情を押し付けて。所詮は愛情なんざ、感情なんざ、エゴの押し付けなのよ」
 ユーンは前髪を掻いた。
 冥府は扉を開く。
 その扉の向こうはカウナーツの書斎ではなく、物語の世界。
 どこかの世界。
 ユーンは冥府を見る。
 冥府は笑う。口だけでにんまりと。
「さあ、どうぞ。この扉の向こう。自分たちがやろうとしている事の惨さ。人の想いの儚さを思い知るがいいわ。ユーン」



 ――――――――――――――――――
【何なんだ、おまえは? 何がしたい?】


「おや、闇の調律師。どうやら今回はあちら側のゲストが居るようだよ?」
 銀色のおかっぱ頭の彼が言った。
 まあやは竪琴を構えて、冥府の扉から出てきた彼を睨み吸えた。
 そしてその彼に怪訝そうに眉根を寄せる。
「ユーンさん?」
「綾瀬さん?」
 まあやは竪琴を消して、それから肩を竦める。
「どうしてここに? っていうか、冥府の扉から。まさかあちら側につくと?」
「まさか。紫陽花の君。彼女と話していて、それでこういう流れに」
「紫陽花の君? そうか。紫陽花の君はあなたの心。紫陽花が土によって花の色を変えるように、紫陽花の君もその者に対して応対を変える。仲間であったり、導き手であったり、敵であったり。紫陽花の花言葉はきまぐれ。ユーンさん、紫陽花の君があなたに言った事は、だけどあなたの中にある感情よ。迷いとでも言った方が良いかしら? だからこのストックの花の花物語に来たのかもね」
「ストックの花の花物語?」
 まあやは頷き、そしてその花物語を諳んじた。


 城の最上階の部屋の窓から放られたストックの花。

 さあ、姫。そのロープを伝い、降りてきてください。
 はい。わかりました。

 姫は城の最上階からロープを伝い降り始める。
 ところが姫は誤って石畳の上に落ちて死んでしまった。
 青年は吟遊詩人となって、悲しみのままに各国の世界をさ迷い歩きました。
 帽子にストックの花をつけて。


「それがストックの花の花物語? 悲しいな」
「そうね。でも彼らは愛に生きようとしたのだけど、果たしてその愛というのは永遠なのかしら?」
「え?」
「どれだけ仲が良くって一緒になっても、別れる時は別れるものでしょう。心は時と共に移り変わる。彼らはその恋心が成就しないから、だから逃げ出そうとしたのだけど、でもね、はっきりと言ってしまえばその恋がダメでも次があるじゃない。その時は姫様はフィアンセが嫌いでも、やがて青年の事なんか忘れる。よくあるじゃない? 貧乏な恋人か、金持ちの男か、あなたならどちらを選びますか? とかって。100の質問とかで。でもそれって一番利口なのは金持ちの男を選ぶ、よね。だって心は変わるけど、お金の価値は変わらないし、お金さえあれば、何でもできる。愛なんて一時の気の迷い。お金は一生。大人しくパラサイト専業主婦でもしてればよかったのにさ。一生遊んで暮らせる生活がパァー。馬鹿みたい♪ せっかくの女。三食昼寝付き、ときたまの井戸端会議、夫は一日500円のお小遣いで、女房は優雅にモーニングを食べつつ友達と喋って、そのままランチで、遊び暮せばいい。夫の稼いだ給料で遊び暮らして、夫が払った年金で優雅に暮らして。女王様のように。女の特権。男女平等なんてクソ喰らえ。そんなのはブスがちはほやされる美人に僻んで言い出した事。まあ、そういう馬鹿な勘違い女は男女平等を唱えると同時に女の特権も訴える物だから、自分で自分が訴える男女平等をダメにしているのだけど、まあ、それはいいわ。とにかくお姫様なら、わざわざ庶民の青年なんかと結婚して苦労しなくってもいいのに。ここはそういう場所。物語♪ もしもの世界。お姫様は愛情よりも、お姫様としての優雅な生活を選びましたとさ。だけどそれって利口。彼女は何の苦労も知らずに遊び暮らしている。でも青年は彼女を性懲りも無く奪い返そうとする。物語はそこから始まる。さあ、どうする、シン・ユーン?」
「おまえ、紫陽花の君…」
「ピンポーン♪」
 綾瀬まあやの姿が紫陽花の君と変わる。
 銀色のおかっぱ頭の彼、兎渡が冥府へと変わる。
 ユーンは前髪をくしゃっと掻きあげる。
「何なんだ、おまえは? 何がしたい?」
 うめくようなそのユーンの言葉に、紫陽花の君はくすりとひどく無邪気に微笑んだ。
「あなたを壊したい。そのための物語」
「どうして?」
「それは内緒。まあ、あたしは紫陽花の君。きまぐれだからそのうちにその理由を教えてあげるかもね」
「さあ、それでは行きましょうか、ユーン」
「どこへ?」
「あなたに見せてあげるの。今のお姫様の幸せを壊そうとするピエロの青年の姿を。想いなんて時間と共に変わる事を」



 ――――――――――――――――――
【冗談じゃない】


 城へと行くと、城門の前でひとりの男が門番と争っていた。
 帽子にストックの花をつけた青年だ。その恰好からすると、それは吟遊詩人だろう。
「捨てられた男は今日もみっともなくストーカー行為。お姫様は男の事なんか当の昔に忘れているのに。そう、あなたのあの子のように、新しい誰かさんと仲良くやっているのにねー」
 ユーンは横目でくるくるとパラソルをまわす紫陽花の君を睨み据えながら下唇を噛んだ。
「そんなのはわからない」
「はい?」
 紫陽花の君はおどけたように耳に当てて、聞き直す。
「そんなのはわからないと言った。確かに心変わりはあるかもしれない。確かにあの子は望んで、今共に居る誰かが好きで一緒に居るかもしれない。だけど俺だって、あの子が、あの子が好きで、恋しくって、だから逢いたいんだ。俺たちは!!!」
「うわぁ、言っちゃったよ。究極のエゴイスト発言。あなた、自分がその相手を好きだったら、何でもやっていいと想っているの? そう、好きだから、って理由だけで女の身体を無理やりに奪う馬鹿な男、究極のストーカー男の発言よ、それは。最低ね」
 くすくすと紫陽花の君は軽蔑しきった声で笑った。
 しかしユーンはそれを無視して、城門へと走った。
 そして青年に蹴りをくれている門番のひとりに向かい、地面を蹴って肉薄すると共に回転上段回し蹴りを叩き込んだ。
 右顔面側頭部に手加減一切無しの蹴りを叩き込まれたそいつは気絶して倒れこんだ。
 もうひとりは腰の剣を抜いてユーンに肉薄するが、しかしユーンはそれを紙一重で避けると共に、銀時計を銀の薙刀と変えると、横薙ぎの一撃を門番の脇腹に叩き込んだ。
 残りひとりは門番の詰め所の方へと走っていった。
 警鐘が鳴らされる。
 一気に城が騒がしくなる。
「どうするの、ユーン。正面から突っ込む? 潔く」
「いいな。そういう清々しいのは好きだよ」
 ユーンは笑う。銀の薙刀を構えて。真っ直ぐに開く城門を見据えて。
 そこから現れたのはよく漫画などで目にするような三メートルはある人型ロボットだ。中には人が乗っている。
「強化スーツ。SFでもないだろうに」
 ユーンが愚痴るのと、強化スーツの背にあるランドセルから圧縮された空気圧が排出されてそれが肉薄してくるのとが同時だった。
 それが繰り出した巨大な湾曲刀を銀の薙刀で受け止める。
 薙刀がしないで、そしてユーンの両腕が痺れた。
 舌打ちして後ろに下がるユーン。
 強化スーツの群れはこちらに押し寄せてきていた。それが9体居る。
「冗談じゃない」
 ニヒルに口だけで笑うユーン。
 あの青年は開いた門から出てきた兵士たちに捕まっている。
 強化スーツ9体の右腕の銃口がユーンに向けられた。
 ユーンは肩を竦め、銀の薙刀を銀時計に戻すと、両手を上げる。
 紫陽花の君はいつの間にかいなくなっていた。



 ――――――――――――――――――
【逢いに行きましょう】


 城の牢獄は暗く、寒かった。
 ユーンとあの青年はひとつの牢獄に入れられていた。
 二人とも兵士にひどく殴られて顔は青あざだらけで腫れていた。
 直接身体を横たえている牢獄の石畳は冷たく気持ち良かった。
「どうして私を助けてくれようとしたのですか?」
 青年はユーンに訊いた。
 ユーンは彼から顔を逸らし、暗い天井を見上げる。
「俺はあなたたちに自分を重ねていたんだ。俺にも逢いたい人がいるから」
「逢いたい人………。しかし私はダメかもしれない。姫は俺を好きだと言ってくれたけど、でも前に逃げ出そうとしたのが見つかって、それで離れ離れになって、その二人を別った時間が長すぎたのか、彼女は私と逢ってくれなくなった。心変わりをしたんでしょうね。それでも私は諦めきれなくって。もう一度彼女に逢うまでは………」
 ユーンは口を開きかけて、しかしやめた。
 彼女の心変わり、そうなのかもしれない。
 しかしそうではないかもしれない。彼女は今も彼を想っているのかも。
 だけど兵士の話では姫は結婚相手の子を身ごもっているという。時間は流れているのだ。人の心を変えるだけの。例えこの青年の心の時は流れていなくっても。
 ユーンは考える。
 あの子の身に流れた時の事を。
 紫陽花の君が言っていた事はムカツクが、それでも真理ではあるのだ。人の心の。
 自分たちの時間は確かにあの時から止まっている。それだけあの子の存在は大きい。


 逢えなかったから逢いたい。
 逢いたいから逢いたい。
 ―――自分たちは。
 だけどあの子は………


 それを考えると胸が苦しい。
 息ができない。
 蒸発してしまいそうだ。


 ユーンは牢獄の向こうの机に置かれている銀時計に手を伸ばした。
 そして能力を解放する。そうすれば銀時計は銀の鳥となってユーンの方へと飛んできて、手の平にとまったそれは元の時計へと戻り、再びユーンはそれを銀の薙刀と変える。


 しゃこーん。
 ユーンは牢獄の床を切り裂き、穴を開けた。その下に走っていた地下水路が露になる。
 ―――床に横たわっていた時に気付いたのだ。おそらくは城の抜け道だろう。


「ユーンさん」
 驚いた声をあげた彼にユーンは微笑んだ。
 どこか哀しげに。寂しげに。
「あなたの気持ち、姫の気持ち。逢わなければ、何も話は始まらない。あなたの止まってしまった時間も。だから逢いに行きましょう」
 ユーンの顔を見ていた彼は頷き、そして立ち上がった。
 彼が先に降り、そしてユーンは彼が持っていた腕時計の時を代償に自分たちの人形を作り上げ、床の穴を塞いだ。



 ――――――――――――――――――
【俺はあなたをこの門から帰す】


「あそこです。私が3年前に姫を連れ出そうとした部屋は」
 もしもまだそこに貴女が居たら、それは………
 ―――その想いは哀しいぐらいに切ない青年の賭けであった。
 そして彼は帽子のストックの花を部屋の窓へと投げた。
 花が窓にあたり、そしてすぐに部屋の窓が開かれる。
 姫は窓から下を見下ろし、そして青年の顔を見ると、涙で瞳を潤させたようだった。
 彼はとても嬉しそうな顔をした。
 そして彼は城の壁を登り始める。牢獄に入れられていた3年間、彼が鍛えてきた技だ。今度は彼女が失敗しないように、自分が彼女の部屋まで迎えに行って、そして彼女を背負って降りられるように。
 ロッククライミングの選手のように彼は壁を登っていく。
 だけどユーンは嬉しそうに壁を登っていく彼の背中から目をそらした。見てしまったのだ、姫の哀しげな表情を。


「だから言ったでしょう? 時は人の心を変えるって」


 紫陽花の君がいつの間にか後ろに居る。後ろから唇をユーンの耳に近づけて囁く。
 ユーンは下唇を噛み、そして銀時計を薙刀へと変えて、棒高跳びの要領で窓へと飛び込んだ。
 部屋では泣いている姫に、青年が困り果てているようだった。
 小さなベッドにはかわいらしい女の子が寝ていて、そして姫の腹は小さく膨らんでいた。
「ごめんなさい。あたしは、あたしはもう、あなたとは一緒に行けない。確かにあたしはあなたが好きだった。でも今はもうあたしは人妻で、母で、亭主を愛しているの。ごめんなさい」
 姫はただただ泣いていた。
 そして青年は乾いた笑い声をあげて、窓に向かって駆け出して、そこから飛び降りた。
「きゃぁー」
 姫は悲鳴をあげ、ユーンは鋭く舌打ちする。それには苛立たしげな響きが篭っていた。そして自嘲の響き。
 ユーンは飛び降り、そして銀の薙刀を創造する。
 その重さの分だけユーンの落下スピードが速まり、そして彼に追いつくと共に彼の襟首を掴んで、そうして薙刀の刃を城へと向けて、その長さを伸ばした。
 刃は城の壁に突き刺さり、壁を抉りながらユーンは落ちていくが、しかしそのスピードはみるみる殺されていく。
 ユーンは地上から30cm弱の場所で空中停止した。手を離し、地に降りる。
 彼の襟首を離す。
 彼は「うわぁー」、と悲鳴を上げた。
 ユーンはその彼を睨み、胸元を掴んで立たせて、思いっきり彼の頬を拳で殴った。
「ひゅー。熱いね」
 茶化す紫陽花の君はもう相手にはしない。
「な、何をするんだぁ、ユーンさん?」
「あなたが死のうとしたからだ。どうして死のうとした?」
「彼女が、彼女が私を捨てたから。私は彼女が居なければ生きていく事ができない。私は、私は………彼女が好きなんだぁ!」
 ユーンは顔を横に振った。
「好きなら、好きだからこそ、あなたは生きなければならない。生きて幸せにならないと。それがあなたが愛した姫にしてあげられる最後で最高の事なのだから。愛しているからこそ、なお更の事」
 そう穏やかな声で言われた彼は大声で泣いた。
 それから彼はしばらく泣くと、姫に頭を下げた。そして無理やりに姫に微笑んだ。もう大丈夫。
「姫。どうか愛する人と、その子どもらと仲良く暮らしていってください」
 ユーンと彼は門の方へと歩いていく。
 門の前にはあの強化スーツを着込んだ兵と一般の兵が居た。
「よもや牢獄から逃げ出して、そして馬鹿正直に門から帰ろうとするとはな」
「ね、だから言ったでしょう。あたしが。兵士長さん。彼ら、殺しちゃっていいよ」
 ユーンは肩を竦め、そして銀時計を銀の薙刀と変えた。
「ユーンさん」
「大丈夫。あなたが歩き出すためにも、俺はあなたをこの門から帰す」
 ユーンは誓う。
 彼の止まっていた時を、未来の希望へと変えて見せると。
 それは自分の能力ではなく、想いで変える。時を代償に。
 一斉に襲い掛かってくる強化スーツの群れ。
 しかしユーンが薙刀を振るったのは足下にであった。
「こいつ、まさか!」
 そうだ。この地下には微細に地下水脈が走っていた。そしてそれはここにもだ。
 ユーンはそれを鋭敏な感覚で感じ取っていたのだ。
 そして強化スーツたちは呆気なく地下水脈へと落ちた。
 そこに残っているのはユーンと青年のみで、そして二人は門をくぐり、青年は未来に向けて歩き出した。



 ――――――――――――――――――
【ラスト】


「あ、ユーンさんでし♪」
 小さな妖精がユーンに手を振る。
 公園の木の治療をしている白と、そのお手伝いをしている妖精、スノードロップ。それからそれを見ている綾瀬まあや。
「何かあったの、ユーンさん?」
「え?」
「何だか顔が、すっきりとしている」
 そのまあやの声にユーンはわずかに目を見開き、それから静かに微笑んだ。
「迷いが晴れました」
「迷い?」
「そう、迷い。とにかく俺はあの子に逢いたい。逢わなくっちゃ始まらないから。逢えないから逢いたいんじゃない。逢いたいから逢いたい。そして逢ってからを選ぶのはあの子で、俺はどのような結果になってもちゃんと生きる。生きてみせる。あの子のために。あの子らや親友、師匠のためにね」
 ―――神々の託宣、それを変えてみせる。
 俺はあの子らを泣かさない。
 そしてきっとあの子らは俺を望んでくれる。その優しさに甘えるのもいい、大切なのはその後だと気付いたから。
 ユーンはにこにこと微笑む白さんに微笑み返し、そして訊いた。
「白さん、ストックの花言葉とは何なのですか?」
「ストック、それは冬の花ですね。その花言葉は愛の絆、です」


 愛の絆。
 その絆は確かにひょっとしたら簡単に切れてしまう儚いものかもしれない。
 あの子は今を幸せに生きているのかもしれない。
 俺たちはエゴでそれを壊そうとしているのかも。だけどそれでも俺たちは逢いたいと望む。
 大切なのはその後なんだ。
 その後。
 その後に起こりうる全ての事にちゃんと心構えしながらも、それでも俺は俺が望む事があの子も望む事で、あの子が俺たちの元に笑顔で戻ってきてくれる事を心から望む。


 ストックの花。
 愛の絆。
 きっと俺たちとあの子との絆が断ち切れていない事を俺は望みながら、今日もあの子を探す。



 ― fin ―



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


【2829 / シン・ユーン / 男性 / 626歳 / 時計職人】


【NPC / 紫陽花の君】


【NPC / 白】


【NPC / 綾瀬まあや】


【NPC / スノードロップ】


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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、シン・ユーンさま。
 いつもありがとうございます。
 このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。


 今回はご依頼ありがとうございました。
 そしてユーンさん、いじめまくってどうもすみませんでした。(><
 冬の花希望との事でしたので、ストックなんかいいかな、と想いまして、ストックで、それでその花物語をこういじくると、なんだかユーンさんとあの子の再会を悪い方向性に考えると、なんかユーンさんが色々と考えそうだし、それにこういう事に関して考えた事はないのだろうか? という結論に達しまして、こういう展開にしてみました。^^
 ちなみにどれだけユーンさんが誓おうが、やっぱり泣かせてしまいます。。。。


 人の心とかそういうのは難しいと想います。
 どれだけ想おうが、人を、夢を、もしくは復讐とかを。それを時は奪っていきます。どうでもよくなるとかそういう事じゃなく、薄くなる。心を心、と捉えるのではなく、脳の働きとか、記憶容量で考えてもそれはしょうがない事なのでしょうか? 
 

 でもそういう概念がまたユーンさんと重なり、面白いな、と書きながら想いました。
 青年の止まっていた時が前に動き出したのは、確かにその止まっていた時をユーンさんが未来に変えたからですものね。^^


 それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
 今回もご依頼、ありがとうございました。
 失礼します。