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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


影向日和〜ようごうびより〜

 夏休みも残り少なくなったある日の午後。
 桐生暁はすっかり夏の間通い慣れた結城探偵事務所の前に立っていた。
 手にしたバッグには、微妙に終りきっていないレポートの資料が詰まっている。
 別に手伝ってもらおうとか思ってんじゃないけどさ〜。
 ホラ、一人で黙って机に向かってるのもサミシイじゃん。
 実の所スケジュールは結構崖っぷちで、真面目な監視人(兼応援係&差し入れ係)になってくれそうな人間を求めてここを訪れたのだけど。
「……お邪魔しまーす」
「まだ夏休みだったのか、お前」
 事務所の扉を開けた和鳥鷹群が、暁の顔を見るなりそう言った。
 事務所がお盆休みを取っていたり、暁も友人と出かける機会が多くて、前回和鳥たちと会ってから十日程過ぎていた。
 ほぼ毎日通ってきていた暁が顔を見せないので、和鳥は夏休みが終ったものと思っていたのだ。
「お仕事中スイマセンねぇ〜。ま・だ・夏休みなんですっ」
 ひくりと口元を引きつらせながら暁は答える。
 せっかくマジメに勉強しようって青少年にそれはないんじゃないですか、大人として。
 なけなしのやる気が逃げてくじゃん。
「事務所は今お客さん来てるから、二階のリビングで待ってな」
「え? 悩める美しき未亡人の依頼!?」
 ぺし、と和鳥は暁の頭をはたいて言った。
「どんなイメージだ。後でメロン持ってってやるから。宿題しに来たんだろ、本当は?」
「あ、ばれちゃってた?」
「……まあいいか。勝手にあちこち触るなよ」
「はーい」
 暁は二階への階段を途中まで上ったが、そっと足音を忍ばせて事務所のドアそばまで戻った。
 探偵事務所に来る依頼人て、興味あるんだよね〜。
 依頼人の守秘義務っていうのには少しだけ目をつぶってもらって……。
 床が軋んで音を立てないか緊張しながら、暁は細くドアを開けて耳をそばだてた。
 六角に張り出した応接スペースで、依頼人らしい女の人は所長の結城恭一郎と対面していた。
 おお、やっぱり美人未亡人かな?
「外は暑かったでしょう? お話は少し休んでからで構いませんよ」
「ありがとうございます」
 アイスコーヒーを口元に運び、ほっと息を吐いて女の人は事務所の中を見渡した。
 明治に建てられたという洋風建築の事務所は良く風が通るのか、窓にかかったレースのカーテンが結城の向こうで翻っている。
 窓辺には和鳥が佇んでいる。
 鷹群もマジメに仕事してんじゃん。
 アイスコーヒーを半分まで飲み干した女の人に、結城が微笑みかける。
「何がありました?」 
 落ち着いた口調の結城に促され、女の人はここ最近自身に起こる怪異現象を語った。
「……陽炎の立つ坂道を登った先に、この頃現われる人がいるんです。
その人を見かける度に私はそばまで行くんですが、いつも途中でいなくなってしまって」
 後姿だけであの人だってわかる。
 振り返らなくても、どんな表情で立っているのかもわかってる。
「その人が本物でない事くらい、私にもわかります。
でも、私が何か伝えなくては……ずっと同じ事の繰り返しになってしまいます」
 ただ強く傍にいたいと願った、あの日を思い出せばまだ息が止まる。
 それで時の刻みを押しとどめられるなら、いっそ鼓動が止まる一瞬まであの人の背中を見つめていたい。
 陽炎の中に立つ、懐かしい――。
「暁くん? どうしたの?」
 結城に声をかけられて、暁はドアの傍でしゃがみこんでいる自分に気付いた。
 眼鏡の奥で結城の瞳が心配げに細められていた。
「あ、えと……お客さんは?」
 差し伸べられた結城の手を借りず暁は立ち上がり、なるべく明るい声を出した。
 ここに来るまでに一度だけ、後姿だけを見たあの人は――。
「帰ったよ。外の熱気に当てられたか? 顔色悪いぞ」
 様子のおかしい暁に、和鳥も眉をひそめる。
 あの人にもう一度会えたら、俺は――。
「ね、結城さん」
 暁はまだ心配そうな視線を向けたままの結城に向き直り、冗談めかして言葉を継いだ。
「俺も探して欲しい人がいるって言ったら、探してくれる?」


「この辺か?」
「うん。見たのは一回だけなんだけど……」
 フルカウルのカワサキZZR400から降りた暁は、ヘルメットを和鳥に返して唇をとがらせた。
「あーあ、鷹群じゃ何か頼りないな〜」
「所長は先に来てた依頼にかかってるんだ。文句言うなよ」
 バイクで風に身体を任せている間の爽快感は消え、まだ昼間の熱気を保ったままのアスファルトが二人の靴底を焼く。
 暁の探す人物を求めて、二人は街に出たのだった。
「探すってどこから探すの?」
「別にどこでも良いんだけどな」
「ええ!?」
 和鳥は手にした緋色の刀で肩を軽く叩きながら、バイクのシートにもたれた。
「狭間って何でそう呼ばれてるか、知ってるか?」
「ん〜ん」
 夕暮れには早いけれど、既に西の空はすみれ色に染まり始めている。
 季節は確実に、一秒ごとに秋に近付いていた。
 ジャケットの懐から煙草を取り出した和鳥が、ライターで火をつけて紫煙を吸い込む。
 和鳥の幼い顔立ちが、煙の向こうでは年相応に見えた。
 何だよ、こういう時だけ大人みたいな顔してさ。
 暁がわずかに唇の内を噛んだのも知らず、煙を無表情に吐き出した和鳥が口を開いた。
「昼と夜、人と闇の狭間。時の移ろいに残された強い想い。
『狭間』は強い想いが姿を取ったものだと言われてる。
けど、『狭間』と呼ばれる者を呼んでいるのは、人の方だ。
……だから、探す場所なんて本当はどこでも良いんだよ」
「一応、お前の来たい所まで来たけど」と和鳥は笑って、煙草を靴底でもみ消した。
 ここは暁が中学生の頃住んでいた場所からも程近い、公園の一角だった。
 何となくまっすぐ家に帰りたくない時は、いつもここのベンチでぼんやりしていた。
 ゲームセンターやブックストアで時間をつぶす事もあったが、ここにいればあの人が迎えに来た。
 あの頃から過ぎた年月は、片手に余るくらい。
 ずっと遠い日のような気もするけれど、あの人から離れた時間はそんなものだった。
 あの人の傍にいた時間も、離れてしまった時間も重すぎて……暁の時間の感覚は狂ってしまっていた。
 家族みたいに思ってたんだ。
 大好きだったあの人。
 母さんの次くらいに、大好きだった。
 好き過ぎて、今は会うのも怖い。
 嫌いになったのではないけれど、もう少しだけ距離を置ける時間が欲しい。
 そう思ってたのに、俺、やっぱり会いたかったんだな。
 位置が低すぎて足が余ってしまう子供用のブランコに腰掛け、暁はそっと前に揺らした。 
「鷹群も結城さんも、俺が見たの……『見間違いじゃないか?』って言わないの?
だってフツー信じられないじゃん。イキナリさ〜、人探ししてくれなんて言われても」
 和鳥が黒目がちの瞳を丸く見開いた。半分開いた口元も、そうしてるとやはり子供っぽく見える。 
「依頼人信じられなかったら仕事にならないだろ」
「そうだけどさ」
 苦笑する暁の隣のブランコに座り、「何年ぶりだろ、乗るの」と和鳥がブランコを揺らす。
「もし見間違いだったってわかっても、本人が納得したなら……それはそれで良いんだ。
心が軽くなるから」
 心が、軽くなる。
「って、所長が言ってた」
 トン、とブランコから弾みをつけて降りた和鳥がそう言って胸を張った。
「結城さんかよっ! ちょっと感動して損したっ」
 目の前で呑気に笑う男に、暁は呆れた視線を投げた。
 何でも結城さんに結びつけちゃってさ、まるで……。
 中学の頃の、俺みたい。
 ブランコが俺の代わりに小さく軋んだ音を立てた。
 暁は和鳥の持つ刀に視線を移した。
 この前事務所に泊まった時も和鳥が持っていた、緋色の鞘と、桜の透かし細工の鍔がキレイな日本刀。
「鷹群はその刀で狭間を斬るの?」
「ああ、これは……狭間を見るための媒介みたいなものかな。
この前は使わないで済んだけど」
 チ、と抜刀の音に続いて、鞘から濡れたような光をたたえる刀身が引き出される。
 そして、和鳥のすぐ傍に髪の長い女が実体化し、そっと寄り添った。
「お初にお目にかかります。我が名は剣精が一騎、紅覇。
古の約定により、鷹群様の刃となりて全てを屠る者。以後お見知りおきを」
 ふわりとクリーム色のワンピースの裾を翻し、紅覇は深々と一礼する。
「先日はお目にかかれませんでしたね、桐生暁様。鷹群様がお世話になっております」
 にこりと紅色の唇で柔らかく微笑んだ紅覇に、和鳥が噛みつくように言い返した。
「世話してるのはこっちだ!」
「気になさらないで下さいましね、桐生様。鷹群様は照れてらっしゃるのです」
「誰がだ!」
 イライラと鷹群が言った。
 うわ、年下扱いされてる鷹群って新鮮かも。
「紅覇って、人じゃないんだよね?」
 暁の質問に、紅覇は鷹群の持つ日本刀に指を滑らせながら答える。
「私はこの刀、剣精に宿る人工精霊です。
不確定な狭間の姿を捉え、使い手様の助力をするのが我らの務めです」
 重力の鎖から解き放たれた人工精霊は、鷹群の肩口に寄り添って慈しむような瞳を向けている。
 恋人っていうよりも年の離れたお姉さん、て感じかな〜。
「便宜的に刀を俺は使ってるけど、本当は狭間を斬る必要なんてないんだよ。
断ち切るのは、人の心のほうだから。
お前がその相手に会いたいと思うんなら、待ってりゃ現われるさ」
「そんな適当でいいのかよー」
 離れてしまった和鳥の元から、紅覇がベンチに座る暁の傍に歩いてきた。
 うっすらと向こうの風景が透けているが、それ以外は全く普通の人間と変わらないように見える。
 和鳥はジャングルジムに寄りかかり、再び煙草に火をつけて遠くを見ている。
「鷹群の傍にいなくていいの?」
「私は桐生様とお話がしたいのです。いけませんか?」
 嫌味にならない丁寧な物腰で、紅覇は暁の隣に座った。
「構わないけど」
「良かった」
 紅覇は両手をワンピースの裾に置き、遠くに立つ和鳥から暁に視線を移す。
 漂う黒髪が悪戯っぽい微笑みに重なった。
「桐生様は高校生の頃の鷹群様と似てらっしゃるので、可愛らしくて」
 笑い声を細い指で隠した紅覇は、夕暮れの公園の風景に半分溶けこんで見えた。
「精一杯背伸びして、ご自分の辛さも隠そうととして。あの頃の鷹群様に似てらっしゃいますよ」
「そんな風に言われても、よくわかんないよ……」
 スニーカーのつま先に付いてもいない泥を払うふりで、暁は紅覇の視線をよけた。
「鷹群様がいつか、ご自分の事を桐生様にも話して下さいますよ。
結城様を支えるために泣きながら頑張ってらっしゃった……ああ、これは内緒にして下さいね」
 ほんの少し声をひそめて紅覇は肩をすくめて見せ、つられて暁も笑った。
 自分がまだ子供だなんてわかってる。
 でも、そんな俺も、いつの間にか子供の悩みなんか吹っ切れていくのかな。
「ある事無い事吹き込むなよ、紅覇」
 ベンチの前に不機嫌な表情のままの和鳥が立っていた。
 ゆったりとした動作で立ち上がった紅覇が和鳥の横に立つ。
「私は嘘がつけないように作られています」
「はぐらかすくせに」
 和鳥が舌打ちで答えるのも、紅覇は気に留めていないように見えた。
「……一人で行くんだろ?」
 和鳥がむき出しの刀を向ける先に、ほんの少し前までは一番近い所にあった――そして今は、暁にとって一番遠くて懐かしい後姿があった。
 あの人が迎えに来た時はいつもあんな風に、俺から離れた場所に立って……お互いに偶然会ったみたいに言葉を交わして帰ったんだ。
 本物じゃない事はわかってるのに、足がすくんで一歩も動けない。
「桐生様の会いたいと願う気持ちが、お相手の姿を私たちに見せているのですよ。
桐生様が動かれない限り、幻のあの方もずっとああして……桐生様をお待ちしています。
それは、お二人にとって哀しくはありませんか?」
 風が触れたような感触、そして紅覇の指が暁の手に重なる。
「狭間に出会うのは、不幸ではありませんよ。
……哀しいと思える事は消えませんが、その代わりいつかどなたかに優しくできますから」
 もう幾度も狭間を見てきた紅覇の声に後押しされ、暁は懐かしい背中に向かって歩き出す。
 振り返りはしないその姿に、あふれ出す気持ちをどう言っていいのかわからない。
 他の誰かが相手だったら、ただ憎んでいれば苦しくはなかった。
 けれど、貴方だったから。憎みきれなくてそれが苦しかった。
 大好きだった母さんに手をかけたのが、貴方だって知ってしまった今は。
「……もう少しだけ、待ってて。必ず……帰るから」
 唇を動かしても、言葉はほとんど声にならなかった。
 が、暁の言葉が途切れると同時にそれはゆっくり身体を半分こちらに向け、左手を差し出して――消えた。
「……終ったか?」
「うん」
 和鳥と紅覇が暁の傍まで歩み寄った。
 言葉らしい言葉は言えなかったけれど、きっと俺の中でも何かが少し吹っ切れたんだと思う。
 左手を差し出すのは、俺を子ども扱いしたあの人の癖。
 あの人の中で、俺はまだ子どものままなのも知れない。
 それとも、まだ子供でいたかったのは俺の方なのかな?
「それじゃ、人騒がせな人探しも片付いたし。帰るか」
「あ! 結構依頼料って高い……の、かな?」
 立ち止まって青ざめる暁に和鳥と紅覇が揃って首を傾げた。
「いらないよ」
「だって、タダ働きになっちゃうよ」
 こういうのって、相場は信じられないくらいバカ高いんじゃないのかな。
 結城さんはお金に厳しくなさそうだけど。
「俺は付き添いで来たみたいなものだし、顔見知りから金なんか受け取れない」
 照れくさそうに視線を外す和鳥の言葉を紅覇が引き取る。
「結城様もきっとそう仰いますよ」
「ありがと……鷹群、紅覇」
 頷く残像を残し、紅覇は刀身が仕舞われると同時に姿を消した。
 今日見たあの人は、俺の心が都合良く作り出した幻だってわかってるんだ。
 本物のあの人にも、いつかは向き合わなきゃ。
 でももう少しだけ、子供でいられる時間はまだあるよね?
「じゃあさ、ご飯食べて行こう? 中華食べたい! 中華街行こう!」
「本気か!? ここからどれ位かかるか……」
 呆れた和鳥に抱きついて暁は不平を漏らす。
「バイク飛ばせばすぐじゃん〜」
「何で後ろにお前乗せて、中華街までタンデムしなきゃならないんだよ」
 一度中華が食べたいって思い込んじゃうと、何だか中華以外受け付けない身体になったような気がするな〜。
 暁は少し考え込んで言った。
「ええ〜? じゃ、結城さんも誘おうっ!」
「……わかった」
 何でそこで簡単に頷くんだよ!
「結城さんの名前出すと鷹群って折れるよね」
 暁はシートに座った和鳥を睨んだ。
「いいから、ほらメット! 置いて行くぞ」
「はーい」
 押し付けられたヘルメットをかぶる前に、一度だけ振り返った公園には誰もいなかった。
 あの人の後姿も見えない。
 それが寂しいような気もしたが、すぐに暁は頭を振ってその気持ちを打ち消す。
 本物にはちゃんと会いに行くんだから、いいか。
 貴方の事、ちょっと好きだったんだ。
 そう言って笑えるようになったら必ず会いに行くよ。
 だから、貴方は変わらないで待ってて。もう少しだけ。

(終)

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 4782 / 桐生・暁 / 男性 / 17歳 / 高校生アルバイター、トランスのギター担当 】

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■         ライター通信          ■
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桐生暁様
お待たせしました!
納品が遅れてしまい済みませんでした。
暁君にとって『あの人』と向き合う事が、きっと一つの子供時代からの成長なんだろうな〜と思いつつ書かせて頂きました。
高校生の頃の鷹群のお話も、いつか暁君は知るのでしょうか。
ともあれ、少しでも楽しんで頂けると嬉しいです。
ご注文ありがとうございました〜!