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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


■納涼! 真夏だよ全員集合!■

 蝉が五月蠅く鳴いている。
 一応ここは、都会と言っても差し支えない場所ではあるのだが、昨今の蝉は田舎よりも都会にて猛威を奮っているらしい。取り敢えずその蝉は、根性でその存在を主張しているかの様に、けたたましくもかしましく鳴いているのであった。
 「……暑い、暑すぎる」
 茹で蛸一歩手前で机に突っ伏しているのは、ここ、草間興信所の所長である三十路男、柄パン姿の草間武彦だ。暑ければクーラーを付ければ良いのだが、何故か本日、草間クーラーちゃんはご機嫌斜めで、吹き出すのは熱風のみと言う、ちょっとどころか可成り哀しい状態である。頼みの出張サービスは、現在夏真っ盛りである為、修繕よりも取り付け作業を優先しているらしく、ご到着は三日後と言う話であった。
 が、そんな状況であったとしても、パンツ一丁の格好でいるなど言語道断だ。客が来たらどうするのだろうか。
 「お義兄さん、鬱陶しいからその顔止めて下さい。そして服くらい着て下さい」
 にべもなくそう言うのは、草間の義妹、草間零である。
 しかしあまりに情けないその様子に哀れを催したのか、彼女は草間の眼前へ、徐に一枚の封書を差し出した。
 「お義兄さん。ほら、何だか涼しそうな手紙が届いてますよ」
 「あーーー?」
 だれだれの草間は、手を伸ばすのも億劫だと言った様で、零に開けて読んでくれと目で促した。良く出来た義妹は、大きく溜息を吐きつつも、義兄に従う。
 「えーーと。……謹啓、炎熱地を焼くとはまさにこの事、貴社の皆様方にはお変わりございませんでしょうか。さて、来る八月十日、当寺院にて施餓鬼会を実……」
 「解った。もう読まなくて良い」
 零は、義兄が何故『読まなくて良い』と言ったのか解らず、きょとんとしている。
 「このクソ暑いのに、オカルト依頼なんぞやってられるか。てか、うちはオカルト厳禁だって、何度言えば解るんだ」
 目指すはハードボイルドの道。
 パンツ一丁の姿で固茹で卵を目指そうなんざ、一億万年くらい早いだろうが、取り敢えずそのことはおいておく。
 どうやら草間は、『施餓鬼会』と言う言葉に反応したらしい。どうせその『施餓鬼会』で起こるかもしれない怪異を何とかしてくれと、そんな依頼なのであろうと考えたのだ。
 が。
 「あのー、依頼ではないみたいなんですけど?」
 この暑さの所為か、零のその言葉にも草間の脳味噌は爛れたままだ。
 眉間に三本皺を寄せていると、零が続きを読むのではなく、口頭で説明を行った。
 「何だか屋台や花火大会をやるみたいですよ。肝試しや百物語も。あ、露天風呂付きの旅館もあるそうです。月とお花畑を見ながらお風呂に入れるって、素敵ですよねぇ」
 その風景を想像したのか、ふわわんとした視線を漂わせている辺り、零もそこそこ暑さが脳味噌に来ていたのかもしれない。
 つまり、施餓鬼会とは言っているものの、早い話が夏祭りをすると言うことらしいのだ。
 「……送り主は?」
 「えーと、多聞寺と言うお寺さんみたいですね」
 「知らんぞ。そんなとこ」
 しかしこの草間興信所では、知らないところから何やら送られてくるのは余り珍しいことでもなかった。
 理由は簡単。
 その筋では有名な興信所であるからだ。その筋とは、言わずもながの話である。
 とまれ。
 「ここ、西多摩の山の上にあるみたいですね。あ、じゃあ、涼しいんじゃないですか?」
 少なくとも、都会の真ん中よりは涼しかろう。
 「あ、凄い……太っ腹ですよ、お義兄さん」
 「何だ?」
 「経費全てお寺さん持ちですって。勿論、往復の交通費も」
 「よし、零、行きたいと言うヤツ、片っ端から声をかけろ。その後、今から『草間興信所慰安旅行』の買い物行って来い。領収書は絶対貰って来るんだぞ。準備が出来たら、速攻出発だ」
 キャッシュな草間に溜息を吐きつつも、やはり零だって嬉しいのだ。唇に笑みを浮かべ、年代物の黒電話をフル稼働させた。
 その際。
 彼女の手にあった封書から、メモの様なものがはらりと落ちた。脳味噌がバカンスの地へと飛び去っていた草間は、後になってそれに気付くのだが。

 『この前の件は助かった。これは中元だと思って取っといてくれ。……ま、招待先が、うちの実家であれだが。取り敢えず、また何かあったら宜しく 金浪 征』



 「いやだ、あのエアコン、もう壊れちゃったの?」
 そう言いつつ開けっ放しになっていたドアを閉めようとしたが、暑さ対策の為、窓とドアを開けて風の通り道を作り、少しでも涼を取ろうとしていたらしい草間から閉めるなと身振りで示されそのままにした。
 ここに来て開口一番それを口にしたのは、この興信所の財務省である蒼眸の美女、シュライン・エマである。クーラーは、先日の依頼で受け取った収入の一部で購入したものだ。一部を使っても、困るくらいに残りが有り余っている為、更にもう一台買っても更におつりが購入費以上に余ってしまうが、そんな無駄遣いをシュラインがする筈もない。
 買ったばかりかなのに……と、ぼそりと言うが、それを嘆く前に、彼女は気になることがあった。
 「武彦さん。その浮き輪はなんなの。行くのは山よ。泳ぐ場所はないでしょ。みっともないから身につけるのは止めてちょうだい」
 「残念っ。実は露天風呂があるんだな」
 「……泳ぐつもり?」
 その姿はあまりに情けない三十路男そのものだが、それでもシュラインにとっては大切な存在だ。
 眉を顰める彼女に、先達てまでパンツ一丁でヘタレていた男は、亀の様に首を竦め、こそこそと浮き輪を外そうとした。
 「こんにちは。あの、これ落ちておりましたよ。こちらのですよね?」
 そう言って入って来たの男性は、浮き輪を未だ填めたままと言う情けない草間の顔を見て、ふいと青い瞳を逸らせた。長い金の髪をひとくくりにした、清雅な雰囲気を纏う二十代後半の男性だ。ぱっと見そうとは見えないが、彼は立派な日本産である。
 そんな彼の名を、東雲飛鳥(しののめ あすか)と言う。
 「……草間さん、人の趣味をとやかく言う気はありませんけれど、それは如何なものでしょうか」
 「そうよねぇ。全く……。と、落とし物、拾って頂きまして有難う御座います」
 同意したシュラインが、にっこり笑って思い出したとばかりにそれを受け取り、内容を確認してから、『はい、これ』と草間に渡した。
 「……。これ、なんだ?」
 「あれ? 草間さん宛てではなかったでしょうか?」
 小首を傾げて言う飛鳥に、シュラインはそんなことはないとばかりに首を振る。
 「武彦さん、今回の旅行、ご招待だったんじゃない」
 言ってよと、シュラインの顔が草間を見ていると言うことから、草間は『ご招待』であることは言わなかったらしい。
 「…………へ?」
 心底解らないとばかりなボケ面を晒している草間の背後から、素っ頓狂な声がかかった。
 「え? 草間さんっ! 旅行に行くのですかっ?!」
 今度は誰だと思う間もない。
 何故か窓から首を覗かせているのは、頭に垂れ耳ウサギを乗せた上品そうな男性、シオン・レ・ハイだった。
 えっさおいさと窓から入って来る彼は、見知らぬ男を認めた様で、ぺこりと頭を下げると自己紹介をした。
 「こんにちわ、初めまして。シオン・レ・ハイですっ」
 「初めまして。東雲飛鳥と申します」
 愛想の良い笑みを浮かべた飛鳥が、そう挨拶を返す。シオンは同時に自分のブロマイドを渡そうとするが、飛鳥は華麗にスルーした。
 「東雲さんも、旅行に行くのですか?」
 「旅行ですか……。ちなみに、どちらへ?」
 最後は、話が通りそうなシュラインに向けた言葉である。
 「西多摩にある『多聞寺』って言うお寺さんよ。何でも、施餓鬼会に当て込んで、夏祭りをするんですって。この前、ちょっとお仕事を手伝った方からのお誘いみたいね。……これによると」
 飛鳥が拾ったメモ書きを見たシュラインが、『一緒にどう?』とばかりに視線を向ける。
 「お寺さんですか……」
 考え込んでいる飛鳥の背後から、またもや別の声が聞こえる。
 「へぇ、夏祭りって、屋台とかも出るのかね?」
 揃って玄関口──と言っても、開けっ放しのドアの方だが──に視線をやると、そこに立っていたのは精悍な面持ちをした、三十代前後に見える男性だ。小麦色の肌と黒い瞳、茶色の髪を後ろへと流し、暑い盛りにも関わらず、黒いスーツでぴしりと決めている。
 「お前か……」
 草間の呟きは、当然ながらそこにいる全員に聞こえている。
 「随分だな、草間」
 にやりと笑う唇から、犬歯が見えた……気がする。
 先程と同じく、シオンが自己紹介とブロマイドを進呈……と言うより買って貰おうとするが、女性に優しく、野郎には厳しくをモットーとしている彼、藍原和馬(あいはら かずま)は、夜をその身に纏う、黒い獣の様にするりとそれを受け流した。
 「夜店とかも出るんじゃないかしら? あ、そう言えば、征さん、お兄さんが読書家で、本が部屋に収まらないから一軒離れを造って、そこに放り込んでるって言ってたわねぇ。お寺さんが実家だとすると、もしかして仏典とか経典とかかしら……」
 「てか、シュライン! 俺は知らんぞっ! 何であいつ──」
 草間が最後まで台詞を言うことは出来なかった。
 何故ならば。
 「一軒分の仏典経典ですかっ?! 行きますっ! 行かせて下さいっ!!」
 血走った目の飛鳥に、ドタマを押さえつけられたからである。
 『行かせて下さいっ』が、シュラインに向けられているところは、ここで一番の実力者を、彼が正確に把握しているからだろう。
 「俺も参加な」
 『OK?』とばかりにシュラインへ頷くのは和馬。
 シオンは当然の様に、参加する気満々で、何時の間にやらその手紙を探してきて読んでいた。
 それぞれに解ったわとばかりに頷いたシュラインは、続いて飛鳥の下で眉を顰めている草間に向かってにっこり笑う。
 「武彦さん、今度からちゃんと読まなきゃダメよ」
 がっくりと肩を落とす草間を解放した飛鳥が、シュラインに向けて問いかけた。
 「えーと、出発は何時からでしょうか?」
 「おやつにバナナは入りますか?」
 続いての質問は、当然ながらシオンであるが、誰しもそれに答えることはなかった。
 視線を泳がせたシュラインは、取り敢えず予定を口にする。
 「一応、施餓鬼会当日の朝になってるわ。バスで行くのよ」
 当初、『草間興信所の慰安旅行』と聞いていたから、細々としたことの担当は、やはり自分になるのかと諦め掛かっていたシュラインだが、どうやら違うらしいと解った為、純粋に楽しむ方向へと頭を切り換えた。
 「ってぇことは、十日の朝になるのか」
 「ええ。その予定。武彦さんとしては、即座に出発したかったみたいだけどね」
 流石に無理だろうと、誰しも笑う。
 「八時出発の予定だから」
 遅れたら放って行くぞーーと、草間がこっそりシュラインの後ろから呟いている。
 「あー、んじゃ俺、後から追っかけるわ」
 「あ、あのー、私、ここにお泊まりさせてもらいたいのですが」
 「問答無用で却下」
 草間はあっかんべーとばかりにそう返した。
 うるうると涙が滲む瞳を受け、草間が一歩、たじろぐ様に後ろへ下がる。それに呼応するかの様に、シオンが垂れ耳ウサちゃんの涙目のバックアップを受けて一歩前に出る。
 不気味な沈黙と攻防の中、買い物から帰ってきた零が、ただいまの声の後振り返った五人を見て、不思議そうに小首を傾げたのである。



 見事な門構えのそこには、本来ない筈のものがあった。
 『大歓迎 草間興信所御一行様』
 赤字に白抜き文字で書かれた幟である。
 一瞬、面々は引いた。思いっ切りドン引いた。
 これが『タダ』でなければ、回れ右していたかもしれない。
 これが宿泊の場ならば、『まあ客商売だし、そう言うこともあるかもしれないよなぁ。……多分』と思っただろう。……ちょっと間違っている気はするが。
 けれどその幟があったのは、立派な本堂が視線の先に見え隠れしている、お寺の総門だったのだ。ちなみに施餓鬼会にちなんだものもあるが、それ以上に草間一行の幟は目立っていた。更に言うと、同じ内容の段幕だか垂れ幕だか表しがたいものが左右の門柱の間に渡っていたのだ。
 本日夜間に催される夏祭りの準備の為か、山道などには様々な車両が行き来している。それらの全てに、この『大歓迎 草間興信所御一行様』を見られたかと思うと、ちょっとどころの話ではなく、とっても恥ずかしいかも知れなかった。
 「……と、とにかく。ご挨拶しなきゃね」
 何とか自分を取り戻したのは、やはり幾多の修羅場を乗り越えてきたシュラインであった。
 宿か本堂か、どちらへ先にと迷ったらしい彼女だが、即座にそれは解決する。
 「多聞寺、並びに芙蓉荘へ、ようこそおいで下さいました。草間興信所の皆さんですねぇ?」
 西域のイントネーションで話すのは、長い黒髪を纏めてあげ、襷掛けした和服姿である妙齢の女性である。参道からこちらに向かって歩いて来ていたのは、バスの運転手が知らせに行ったからであろうか。
 にっこり笑う口元の黒子が、印象的だと言えた。
 未だ幟のダメージから脱し切れていない草間に代わり、シュラインがさっと前に出て挨拶を交わす。
 「初めまして、草間興信所のシュライン・エマと申します。こちらが所長の草間武彦」
 『ほら、武彦さん』とばかりにそっと背中を叩くと、慌てて草間も営業スマイルで挨拶を返し、続いて零が名乗ると同時にぺこりと頭を下げる。更にもう一度後をと、シュラインがしっかり引き継いだ。
 「本日はお招きに預かりまして、ありがとうございます。お世話をお掛けするかと思いますが、宜しくお願い致します」
 「いやまあ、そないにかしこまらんとって下さいねぇ。こちらこそ草間さんとこには、うちの小ちび……やなくて、征がお世話おかけしてます。征の姉で、芙蓉荘の女将をやってる金浪朱理(きんなみ あかり)と申します。宜しくお願い致しますね。……あらぁ、お後三名さんの姿が見えへんけど……?」
 「事情がありまして、後から来ることになってます」
 シュラインがそう言うと、そう、と朱理は頷いた。
 次ぎに自己紹介を行ったのは、飛鳥である。
 「東雲飛鳥と申します。今日明日とお世話お掛け致しますが、宜しくお願いします。……それにしても、二日間とは言わず、ずっと逗留したくなる様なところですねぇ」
 施餓鬼会の準備があるからこそ、それなりに雑多な気配がありざわついてもいるが、日頃であれば澄んだ空気に包まれた、とても落ち着いた雰囲気の場所であることが解るからだ。
 朱理の黒い瞳がふっと和む。
 「嬉しいこと言うてくれはりますねぇ。今回に限らず、何時でも来ぃたい時に来て下さいね」
 フリーパスを貰ったも同然の飛鳥の顔が、嬉しげに微笑んだ。
 「シオン・レ・ハイですっ。宜しくお願いします! あの……ウサさんも一緒なのですけれど、ダメでしょうか……」
 「いーえ、全然。うちの娘が喜びそうやわ。厨房とかには入らん様にして欲しいけど、それ以外なら構わしませんよ」
 ほのぼのとしたやりとりだが、次の台詞を聞いた途端、シオンがウサちゃんを抱きしめ蒼白になった。
 「下手に厨房入って、材料に間違われたら大変だからな」
 「……兄貴、それ笑えねぇ冗談だから」
 真顔で言う啓斗に、北斗がそう突っ込んだ。どうやら当人、真面目にそう思っている様で、突っ込まれたているのが何故だか解らず、小首を傾げていた。しかし何かを思い出した様に朱理の正面へと一歩踏み出す。
 「二日間お世話になります。守崎啓斗です。こっちは……」
 「弟の北斗ですっ。宜しく」
 そう自己紹介をすると、そろってぺこんと頭を下げた。
 「うちとこの大中小と違って、ほんまそっくりやねぇ。あ、……もしかして双子さん?」
 こっくりと頷く啓斗に、そうと笑う。
 「……そう言えば、征さんは?」
 ウサちゃんを抱きしめていたシオンが、ふとここに招待した本人がいないと言うことに気が付いた。
 「ああ、征はねぇ、あんまりここには帰ってけぇへんねんわ。大チビ……やのうて、関(せき)がうるそう言うんがイヤやねんやろね」
 「関さん?」
 「こちらのご住職さんですか?」
 住職にも挨拶をと思っていたシュラインと、どうしても住職に聞きたいことがあった飛鳥は、そう互いに問いかける。
 「関はうちとこの長男坊やけど、住職ちゃうよ。次男坊の餞(せん)言うんが、住職やってるんやわ。……と、あ、済いませんねぇ。こんなとこで立ち話して。さあさ、どうぞこちらへ」
 朱理が行き来している従業員らしき者を捕まえ、荷物を運んでもらうよう手配する。そして七名は、漸く宿へと移動したのである。



 部屋割りに関しては、それぞれが協議の上、案外あっさりと決まった。芙蓉畑に面している方の部屋なら、何部屋でもどうぞとのことだった為でもある。客室は三階と四階で、それぞれ一つの階に付き、一つずつ大きめの部屋があり、後は同じ大きさの部屋が五室。二階分で計十二室になっている。一室二人と言う定員であるから、単純計算で二十四人が泊まれるのだ。最も、この施餓鬼会では、基本的に山の裾にある町村民のみ参加するだけだから、殆どが空室でもある。元々、営利目的で運営している旅館ではないらしいからこそ、かき入れ時とも言えるこの日にも空いているのだ。
 ちなみにその部屋割りではあるが、所長の特権で三階の大きめの部屋は草間が陣取り──と言っても、何だかんだと人が入り込むだろうことも予想はしているが──、啓斗北斗の双子で一室、シュラインと零で一室、シオン、飛鳥がそれぞれ一室と言うことになった。
 未だ未到着の三人で、セレスティ、モーリスの主従コンビは、荷物が多くなっているだろうからと言うシュラインの予想で四階の大きめの部屋、和馬が一室と言うことになっている。
 三階組は、草間、シュライン+零、守崎兄弟、四階組はセレスティ+モーリス、シオン、飛鳥、和馬である。
 とまれ。
 先発組はそれぞれの部屋にて一息入れた後、施餓鬼会イベントのタイムテーブルを記した紙を手に、思い思いの催し物へと散ることにする。
 「ま、ちゃんと集合するとは思わないけど、一応夕食は八時半からだから。覚えておいて頂戴ね」
 本来ならもっと早くに始まる宴会……もとい、夕食タイムだろうが、この面々であっては無理だろうと、シュラインは朱理に遅めの夕食を頼んでいたのだ。
 それぞれお返事を返し、一階ロビーを出て行った。
 「さて、と」
 そう呟いたシュラインが、ちらと草間兄妹の方に声をかけようとするが、その視界内に十歳前後の和服を着た少女を捕らえた。シュラインと視線があったかと思うと、にっこり笑い、はたはたと草履を鳴らして駆け寄ってくる。
 「こんにちわ」
 人見知りなど全くしない子らしい。シュラインもまた、屈んで視線を合わせた。
 「こんにちは、どうしたのかしら?」
 普通、これくらいの子供なら、和服ではなく洋服を着ている事の方が多い。しかもヤケにこの場に慣れていることから、この子が朱理の子供であると、シュラインは推測する。
 「お前、何時生んだ?」
 「ぶぉっ!」
 頭上からのその声に、思わず裏拳で答えるシュライン。草間が撃沈したことを、その気配と音で確認する。
 「この子、女将さんのお子さんでしょうか?」
 零の問いに、多分ねと答えると、再度少女に視線を合わせた。
 「ねぇお嬢ちゃん、お名前なんて言うのかな?」
 努めて優しくそう聞くと、嬉しそうに少女が口を開いた。
 「金浪ほのかです」
 やはり、と零と二人でアイコンタクト。
 忙しい大人達の中にいて、暇なのだろうと思ったシュラインは、少しばかり母性本能を刺激された。母親を捜すより、一緒に遊んであげた方が良いなと判断するが、声を掛けるのは零の方が一歩早かった。
 「ね、お姉ちゃんと、一緒に遊びましょうか?」
 「良いの?」
 「勿論」
 あどけないながらも整っているその顔が、嬉しそうに微笑んだ。
 「零ちゃん?」
 零はシュラインにむかって、瞬きだかウィンクだか解らないものを返すと、こっそり耳打ちをする。
 曰く『一日お姉ちゃんの気分になりました』らしい。
 確かに、ふんわりと花がほころぶ様に笑うほのかを見ていると、こちらもほんわかした気分になってしまう。お姉ちゃん気分になったと言う零の気持ちも、納得できた。
 じゃあとばかり、零はほのかと行ってしまった。



 「やっぱり、お邪魔しちゃ悪いですもんね」
 そう呟いた零は、けれど言葉に反して優しい笑みを浮かべてほのかを見ていた。
 義兄とシュライン、どちらも彼女に取って大切な人だ。その二人の仲が進展してくれるのなら、やはり二人っきりにしてやる方が良い。そう思っている。
 「お邪魔しちゃったのですか?」
 小首を傾げてそう問うほのかに、零はくすりと笑う。
 「お姉さんがほのかちゃんと仲良くなりたい様に、うちのお義兄さんもシュラインさんと仲良くなりたいと思ってるだけなんです」
 言葉にはしてはいないが『お尻に火がついてしまった様ですしね』と、心の中で付け加える。
 良く解らないなと言う顔をしているほのかに向けて、零は言葉を追加する。
 「ほのかちゃん。ほのかちゃんが大好きな場所に、連れて行ってもらえますか?」



 零が去っていった今、残るは草間とシュラインの二人のみ。いや、エキストラを除いて。
 酷い目にあったと、草間が鼻を押さえて立ち上がる。
 「大丈夫?」
 自分が殴っておいて、大丈夫も何もないだろうと思いつつ、シュラインがそう問いかける。草間はこれくらい何ともないと、見栄を張っているが、やはり少しは痛かったらしい。
 「ね、武彦さんはどうするつもり?」
 シュライン的には、挨拶とご本尊拝覧兼ねて本堂を回り、精進料理を頂こうかと思っているが、やはり草間と一緒が良いなとも思っている。
 最近草間の周りが賑やかしくなっているのが、彼女には気になって仕方なく、出来る限りくっついていたいのだ。
 草間武彦とは、貧乏で半熟でおバカでだらしなくてヘビースモーカーではあったとしても、困っている人を放っておけない優しさを持ち、ここぞと言うところでは頼りになる探偵だ。
 勿論興信所に集まる面々だって、常日頃好き放題に貶していても、そのことは良く解っている。だからこそ、自然と草間の周りには人が集まるのだ。……例えそれが、草間の機嫌が急降下するオカルト事件がらみであったとしても。
 「うーん、あんまり何にも考えてないよなぁ。取り敢えず、部屋に戻って晩まで寝ようかと思ってたが。……シュライン、お前どうする?」
 何となく、そう問い返してくれたのが嬉しかった。
 「んーー、住職さんにご挨拶して、ご本尊見て、精進料理。そう思ってたんだけど。あ、広場で屋台の設置作業やってるらしいから、それも見たいわね。どんなお店が出るのか、しっかり下調べしたいもの。他には、周囲の散策もしたいところね」
 色々言えば、草間の行きたいと思うところもあるだろう。そう思う。
 「気が多いな。ま、良いか。腹も減ってるし、精進料理ってのに付き合うか」
 そう言った草間は極々自然に、歩き出す。
 『邪魔かもしれない』
 そう思い、ストレートに一緒にいたいとは言えなかったシュラインは、そんな草間を見てほっとする。もしかして夜這いの必要もあるかもしれないと、半ば真剣に考えていたのがバカみたいだ。
 立ち止まったまま、草間の背中を見ていた彼女を振り返り、一言。
 「ほれ、行くぞ」
 その言葉に、クールな美女が破顔した。



 草間と二人、本堂へ向かったシュラインは、そこに住職がいると思っていた。
 けれど聞くと、どうやらここにはいないらしい。
 残念だと思いつつ、ご本尊へと拝謁を行う。
 あまり特徴があるとは思えない釈迦本尊の降魔坐の像だ。取り敢えず、でかいことは確かだが。
 「んーー、本当にご本尊なのかしらねぇ」
 「どう言うことだ?」
 シュラインの小さな呟きに草間が問いかける。
 「え? ああ、……ただ何となく、よ。気にしない……」
 「嘘だろうっ?!」
 言いかけた語尾に被さる様に、男の声が上がった。
 思わず草間と共に顔を見合わせたシュラインだが、そちらへと顔を向けると、草間と同じか、もしくは少し上かと言った風の男が、どうやら硬直しかかっているのが解った。
 「何かしら?」
 どうやら精進料理を食している人達がいる場所らしい。
 そこへと歩を進めると、何やら見覚えのある顔がいる。
 「北斗……。あんた、何やらかしたの」
 弟分である北斗の背後には、何だか山積み状態の椀やら皿がある。
 「あ、ひゅはへえ」
 「……あ、啓斗だわ」
 「──っ?!」
 『口に物入れたまま喋るなっ!!』と言う幻聴が聞こえたらしい彼は、シュラインのその声に、慌てて中のものを飲み込んだらしく、げほげほと咳き込んでいる。
 そんなおバカさんは放っておいて、北斗を前に目頭を押さえているその男性に向かって問いかけた。
 「あの、この子が何か……?」
 『やっぱりツアコンの宿命が……』と、こちらも目頭が熱くなってきそうなシュラインである。隣に草間がいるのは、少しばかり救いだが。
 「いえ、失礼。少々驚いただけですよ」
 「?」
 「うちの精進料理のコース、二周目に突入する方がいるとは、思っても見ませんでしたから……」
 思わず『ああ、そんなこと』と言いかけ、ふと我に返って哀しくなった。
 周囲を見る限り、可成りのボリュームがあるのが解る。そんなものを二周する人間は、普通いないだろう。慣れとは恐ろしい。
 そんなシュラインを見て、ぽん、と、草間が肩を叩いた。その瞳には『解っている、シュライン。何も言うな』と書いてある。
 「や! だって、余裕があったらどうぞって……」
 漸く落ち着いたらしい北斗が、そう弁解する。
 「ええ、そう申し上げたのはこちらです」
 男は口元を引きつらせつつ、そう言っている。ちなみに北斗は、そうだそうだと頷いていた。
 「そ、そうなんですね……」
 「ええ。……と、草間興信所の方ですね。ご挨拶が遅れました。金浪関(きんなみ せき)と申します」
 如才なくそう言う男を良く見てみると、シュラインと草間の知る征に少し似ている気がしないでもない。黒い髪をオールバックにし、縁なしの眼鏡を掛けてはいるが。ただ二人の違いは、瞳が黒であるか金であると言うこと、そしてこちらの関と名乗った男の方が、地に足が着いている様に見えると言うことだ。
 「征さんのお兄様?」
 「はい。弟がお世話になりました。こちらにいらしたと言うことは、精進料理を?」
 いや、声が聞こえたからだが、取り敢えずそのつもりもあったし、何より草間の腹具合も気になっていたところだった為、シュラインは余計なことを言わず、ただ『ええ』とばかりに頷いた。
 「では、こちらにお席を……」
 案内されかけたのは、北斗の隣だ。
 だがしかし。
 「ごちそうさんっ!!」
 素晴らしい勢いで残りの料理を食べ終えた北斗が、がばっと立ち上がってそう言った。
 「んじゃ、シュラ姐、草間、ごゆっくり!」
 流石は少年忍者とばかり、北斗がざざっと去っていく。残されている三人は、あっけに取られてはいたが、何時までもぼけっとしていても仕方がない。
 勧められた席に二人で落ち着く。
 関がメニューを、どうぞとばかりに二人に示した。

 ●Aコース
 虎耳草の和え物
 くこの実の天ぷら
 海老いもの煮物
 マスカットの水晶寄せ
 雪消飯
 染飯餅
 ●Bコース
 土筆と三つ葉の和え物
 豆腐と味噌の揚げ物
 ぐつ煮豆腐
 西瓜の呉汁
 葱めし
 茄子のひすい万頭
 ●Cコース
 岩茸と冬瓜の落花生和え
 湯葉の納豆包み揚げ
 凍り豆腐の煮物
 冬瓜と豆腐のあんかけ
 利休めし
 林檎の庄内巻き

 一瞥する限り、どれもこれも、美味しそうに思える。
 「んんーー、迷っちゃうわねぇ。Aにしようかしら。この色鮮やかな虎耳草の和え物って美味しそうだし、マスカットをお吸い物にしているのも興味があるし……。あ、でもCも捨てがたいわ。この凍り豆腐の煮物も、何時もとは違う感じがするし、リンゴを使った庄内巻きって言うのも興味があるわ」
 そうして悩ましげに見ていると、草間がシュラインからひょいとメニューを取り上げて、そのまま関に返してしまう。
 「何よ武彦さん、まだ見てるのに」
 文句が口をついて出る。
 「お前、Aにしろよ。俺がCにするから」
 「え?」
 「食べたいんだろ。どっちも。お前も俺も、あいつみたいに二膳も食えないからな。こうするしかないだろうが」
 まじまじと見つめるシュラインから視線を逸らせ、『腹減ってるが、どれでも良いからな、俺は』と、小声で何処か照れた様に言っている。
 「……ありがと、武彦さん」
 同じく、小さな声でシュラインは言う。
 「では、その様に」
 メニューを持ったまま引いていく関が、二人を見つめ、微笑ましげにクスリと笑った。



 「本当に大丈夫ですよね?」
 シオンの目の前では、先程本堂を出て行った征の兄、金浪関(きんなみ せき)がそうやって念押しをしている。
 「どうされたんですか?」
 先程合流を果たした零、そして草間の二人と、夜店の設置をぶらぶらと見ていたシュラインが、その二人の前に通りかかった。
 「シオン、お前また何かやったのか?」
 草間は胡散臭そうにシオンを見てそう言うが、シュラインに肘をつねられ黙り込んだ。
 「シオンさん、夜店出すの?」
 小首を傾げ、そう聞くシュラインに、シオンは得意満面頷いた。
 「はいっ! もくもくトウモロコシのお店です。シュラインさん、零さん、夜になったら食べに来て下さいね! あ、ついでに草間さんも」
 「俺はツイデかよっ」
 「義兄さん、落ち着いて下さい」
 「もくもくトウモロコシって何?」
 シオンに聞くより、関に聞いた方が良いのかも知れないと考えたシュラインは、シオンを飛び越し視線をやる。
 ずれてもいない縁なしの眼鏡をくいと上げ、何処か苦労性の小姑を思わせる様に眉間へと皺を寄せた関は、彼女の問いに答えるべき口を開いた。
 「トウモロコシとワタアメのコラボレーションらしいです」
 益々解らない。シュラインの眉間にも皺が寄る。ちなみに関にも、良く解っていないらしい。解らないものを許可するなと言う話は、この際脇に置いておく。
 「焼きトウモロコシを串にして、その周囲にワタアメを飾るのですっ!」
 要は割り箸部分が、トウモロコシと言う訳だ。
 なかなかにアバンギャルドかもしれないが、果たしてそれは売れるのだろうか。
 いや、それ以前に。
 「それって、美味しいの?」
 素朴な疑問である。
 焼きトウモロコシは醤油味、ワタアメは砂糖味。まあ、料理で醤油と砂糖での味付けがあるのだから、食べられないことはないだろうが。
 「勿論ですよ。飛ぶ様に売れちゃいます。材料まで飛んでいったらどうしましょう……」
 「いや、それはない。絶対に」
 草間は脱力している。
 零は曖昧な笑みを浮かべている。
 関は医療チームの手配をし始めている。
 シュラインはシオンのこめかみをぐりぐりしている。
 が。
 「今から私は、売り上げで何を食べようかと色々考えているのですっ」
 めげないシオンは、ぐりぐりされつつも、マイお箸を掲げてそう言い切る。
 ちなみに彼の足下では、赤い目を白くしたウサちゃんが、後ろ足で砂を掛けていた。
 「取り敢えず、トイレが最大大手にならない様にして下さいね。お願いしますよ」
 何となく使い道を間違っている様な言葉だが、今のところ誰も突っ込む気にはならなかった様だ。彼は溜息を吐きつつ、その場を去って行く。
 「やっぱり、毒味が必要よね」
 何故か握り拳のシュラインが、そう呟いていた。



 「ちょっとした山登りだぞ。これ」
 草間がこそっとそう呟いた。しかしこそっとであっても、シュラインにはばっちり聞こえる。それでも文句を言う気には、彼女はなれなかった。
 「ホントそうよねぇ……」
 周囲の散策をしようと言ったのは、確かに自分だ。しかもここは山の上に建っているのだから、山登りと言うのも間違いではない。
 寺や旅館の敷地内だけでなく、何かあった時のことも考えてそう言ったのだが、どうやらこの多聞寺、可成りハードな環境にあるらしい。
 いや、人が歩くと想定されている山の裾野からここまでの一本道は、綺麗にならされ歩き良くはなっている。敷地をぐるりと回る道だって、駐車場が設置されている関係上、車が通れる様にはなっていた。けれど、一歩そこから外れると、なかなかにハードなハイキングになる。そう、草間の言う『ちょっとした山登り』だ。
 だが確かに都会とは違い、空気は甘く澄んでおり、深呼吸しても清々しい気分になる。山だから、木々の香りも充分堪能できるし、そこに立ち止まっていれば、汗もさほどかくことはなく快適であるから、得るものはあるのだ。
 「疲れましたか?」
 そう言う零は、さほど疲れてはいない様だ。
 疲れたかと言われれば、確かに疲れているのかもしれない。微妙に上り坂と下り坂を繰り返す道なき道は、足場も悪いから気も遣う。
 「疲れたと言うより、ちょっと汗かいちゃったわね」
 時計をふと見ると、夜店の始まる時間までもう少しあったが、準備する時間を考えると今帰るのが丁度良い頃合いでもある。
 「そろそろ帰るか? ……夜店も行くつもりなんだろ?」
 「そうね」
 あまり奥深く進むと迷ってしまいそうな場所だったから、距離的にはさほど離れてはいない。取り敢えずは足下に注意し、まだ低い木や、草などで怪我をしない様、慎重に帰り始める。
 木漏れ日を微かに感じるそこから、唐突に視界が開けた。目の前に突如として現れるのは、芙蓉荘を覆う外壁だ。露天風呂もあるから、高さは軽く一般人の倍はある。そこまで出てしまえば、ぐるりと回れば良いだけ。
 三人はそのまま部屋のある三階へと上がる。
 「あ、武彦さん、ちょっと待っててね」
 「あ? 何だ?」
 それには答えず、シュラインは大急ぎで部屋へと入り、自分の持ってきた──と言うより、草間が荷物持ちをしていた──鞄を開け、包みを確かめると微かに微笑む。
 それを大切そうに持ち、外で待っている草間の元へと戻って行った。
 「はい、これ。着て出て来てね」
 「何だ、これ」
 「浴衣よ。零ちゃんの分も持ってきているわよ」
 「え?」
 驚いた顔の彼女に笑いかけると、シュラインはこちらも驚いている草間に言う。
 「せっかくの夜店だもの。みんなで着て行きましょ」
 そう言うと、準備があるからと草間を部屋へ戻らせ、自分達二人は中へと入る。
 前室がワンクッションとしてあるが、入ってすぐが和室だ。そこには和テーブルが置かれ、客が来ても良い様にか、四つの座椅子が置かれていた。右手に床の間と押入らしい襖、その和室の隣には洋室で、ベッドが二つ並んでいる。何処かチャイニーズの香りがするベッドだ。いや、洋室の雰囲気が、西洋と言うよりは中華風と洋風の折衷になっている。
 「和洋中、全部味わえる様にって趣向なのかしら……」
 そんなことはなかろうが、思わずそう呟いてしまう。
 「零ちゃん、汗だけ流しましょ」
 露天風呂にはまた後で入れば良い。
 混浴だから、草間と一緒に入ることが出来れば……と考えかけ、思わず頬が赤くなる。
 『何考えてんの、私は』
 「シュラインさん、どうしました?」
 一人で赤くなるシュラインに、零が荷物を探りつつ不思議そうな顔で聞く。
 「な、何でもないわよ。ささ、零ちゃん、先に入っちゃって」
 そう言い、未だ不思議そうな顔をしている零を、風呂場へと押しやった。
 二人して代わる代わるシャワーだけ浴び、汗を流してすっきりする。風呂も、実は檜風呂であったから、ゆったりと湯を張って入るのも悪くはないのだが、また夜店から帰って宴会までの間でも良いだろう。
 互いが汗を流したところで、シュラインは鞄を開ける。
 「これは零ちゃんの分ね」
 そう言って取り出したのは、白地に金魚、そして金魚が泳ぐ水を現しているかの様な緑の流線が描かれた、何とも涼しげな柄の浴衣。帯は金魚の色と合わせた朱色のものをチョイスしている。
 「シュラインさん、あの……」
 「一人で着られる?」
 少し戸惑いを見せている零を微笑ましく思いつつ、シュラインは彼女の着替えを手伝った。
 シュライン自身は、上品で落ち着いた薄紫地に花ととんぼの柄をあしらった、少々レトロ調の浴衣に、濃い紫の帯を合わせている。
 「似合うわよ。零ちゃん」
 遠慮しようとする零の言葉に先回り、シュラインが背中をぽんと弾いてそう言った。
 「ありがとうございます」
 嬉しそうにほんのり笑う零を見て、シュラインは嬉しくなった。
 「さて。問題は、後一人よね」
 ちゃんと着られているのだろうか。少し不安だ。
 「きっとお兄さん、困ってるかもしれませんね」
 そう言う零の顔は、何処か悪戯っぽく笑っている。確かに、草間が一人で浴衣を着れるとは思わない。
 「ちょっと行って来るわね」
 シュラインも苦笑しつつ、すぐ隣の草間の元へと向かった。そう、部屋は隣同士だ。やろうと思えば、夜這いだって出来る。……勿論、実行に移す前には、万全の体勢を整えなければならないが。
 「……いやだから、何考えてるのよ、私」
 溜息を吐きつつ草間の部屋の扉をノックすると、開いてるぞーと言う声がする。出て来ないことを不思議に思ったが、まあ開いていると言うからには、入って良いのだろう。
 「お邪魔しま……す」
 そう言いつつ、中へと入る。草間の部屋は、ちょうど角部屋で、シュラインや他の者の部屋とは間取りが微妙に違うし広い。入ってすぐが洋室で、丁度前室で隠れる様になっている箇所にベッドが二つ、その奥に和室があるのだ。
 「……武彦さん、何遊んでるのよ」
 草間の格好を見て、シュラインは呆れた。まるでミイラ男の出来損ないだ。帯が訳の解らない風に巻き付いている。これでは出てこれないだろうと納得だ。
 「遊んでない」
 憮然とする草間に、シュラインは手際良く着替えを手伝った。微妙に着崩れている襟元を正し、帯をきっちりと付けてやる。
 「うん、良く似合うわよ」
 シュラインは、自分の見立てが間違っていなかったと満足だ。
 草間には淡いグレー地に濃いグレーのストライプが入った、少しモダンな雰囲気のする浴衣と濃いグレーの帯を選んでいる。
 「そうか……」
 何か言いたげにしている草間に、どうしたのとばかり小首を傾げる。
 草間はテーブルに置いてある見慣れた煙草へと手を伸ばして、一本ひょいと取り出した。かちかちと音を鳴らし、安物のライターで火を付けているのを見て、何か言い辛いことがあるのだと察する。
 ぽっと小さな火が煙草の先に灯った。それが少しばかり鮮やかになり、それを吸い込んでいることが知れる。
 「武彦さん、あんまり吸い過ぎ……」
 「お前も、似合ってるからな」
 「え?」
 一体何を聞いたのだろうと、理解するのに暫しかかる。
 日頃の草間なら、あまり口にしない言葉であったので。
 「あの……」
 シュラインとは反対側を向き、煙を上げているのを見て、シュラインはクスリと笑う。
 要は、照れていたのだ。
 まだまだ半熟の探偵は、それでもシュラインにとって、かけがえのない人であると、そう認識する。
 「そろそろ行くか」
 「そうね」
 二人して部屋を出たのは、それから五分後のことだった。



 闇が迫り、徐々に活気が満ちてくる。
 昼間も確かに、夜店の設置をする人々で活気があったのだが、開店して暫く経つと、それに訪れる客に依って、違った勢いが出てくるのだ。
 草間と零の三人で、夜店を冷やかしつつ歩いていたシュラインは、二人組の女性が何か大切そうに抱えて屋台から去るのを見つけた。彼女たちが立ち去った屋台はには、見知った顔がある。
 「藍原さん、盛況ね」
 和馬が顔を上げ、よおとばかりに三人を見た。
 「いらっしゃい。浴衣まで持ってきてたのかよ」
 「やっぱり夜店と言えば、浴衣じゃない」
 『ねえ』と声を揃え、零と二人して肯きあっているシュラインだ。
 「言えてるな」
 和馬がその言葉に、にやりと笑う。
 「草間の旦那、何考えこんでんだ?」
 三人を尻目に、何やら草間が風鈴を一個手に取り、考え込んでいた。
 「それ、気に入ったのかい?」
 「え? ああ、まあな」
 一見したところ、南部風鈴の様に見える。だが、和馬の顔を見ていると、ただの風鈴とは思えない。
 「草間、あんたさ、怪奇の類はお断りなんて言ってるけど、実は自分で引き寄せてんじゃないのかねぇ」
 「てぇことは、まさかっ!!」
 「……お義兄さん」
 「武彦さん……」
 慌てて手を引っ込める草間の背中を、シュラインが慰める様にぽんと叩く。
 「ま、呪いとか掛かってる訳じゃないからな」
 その言葉に引っかかりを覚えたシュラインは、ちろと横目で返事を促す。
 「ちなみに、参考までに聞きたいんだけど、どんな曰くがあるの?」
 「大したもんじゃねぇよ。夜中になると、別嬪のお姉さんが現れて、子守歌を唄ってくれるってだけだ」
 「そんなもの売らないでよっ!」
 「え? でもシュラインさん、子守歌を唄ってくれるなんて、親切じゃないですか」
 恐らく零は、本気でそう言っている。
 「あのね、零ちゃん、普通の人は、そう言うのを見ると驚くの、怖がっちゃうのよ。……と言うことで、これは没収します。他はないの?」
 「げ、勘弁してくれよ……。……ないです、ないない。これが最後」
 本当だろうかと思うも、霊視能力の持ち合わせがないシュラインには、それ以上追求が出来ない。
 更にシュラインのお説教が響こうとした時、彼女らの背後、そして和馬の斜向かいでどよめきが上がった。
 「何?」
 「あっちは、確か、シオンがいたところの様な……」
 四人の視線が、一斉にそこへと集中する。
 「………北斗」
 シュラインの目頭が熱くなりそうだ。
 「えーと。何してんだ? あれ」
 「俺に聞くな」
 そこには、自分の両手は勿論、啓斗にまで『もくもくトウモロコシ』なる、未知の食べ物を持たせている北斗がいたのである。



 光明池の本堂と反対側には、池に灯籠を流す人々で賑わっていた。
 灯籠を流すと言っても、灯籠のみを流す訳ではない。小さな船に灯籠と供物を乗せ、灯りを付けて池に流すのだ。
 「するとな、明日の朝には、何でだか知らねぇが、灯籠が綺麗さっぱりなくなってるんだよ
 そう言って、同じく灯籠を流していた中年の男が教えてくれた。
 「灯籠がなくなるのか? それは片付けてるからだろう」
 草間が眉間に皺を寄せているのは、怪奇に値することだからだろう。
 「草間さんは夢がありませんねぇ」
 涼やかに笑うセレスティに、本当だとばかり、シュラインと飛鳥が頷いた。
 零も同じく『お義兄さんてば……』と溜息を吐いている。
 「いや、俺もそこの兄ちゃんの言う通りだと思うがね。灯籠がねぇってのは、多聞寺の人達が何処かで祀る為に片付けてるんだろうさ」
 だよなと、意気投合した草間達が馬鹿話に盛り上がっているのを横目で見て、そこにいる面々は、再度池に視線を戻す。
 そんな中、背後から駆けてくるのは、彼らを見つけた啓斗と北斗の二人だろう。
 「シュラ姐!」
 「ここにいたんだ」
 二人して、そう声を掛けると、飛鳥とセレスティにぺこりと挨拶をする。
 また挨拶をされた二人も、同じく軽く頭を下げて返してきた。
 北斗が座り込み、啓斗がその後ろに立つ。未だ中年親父と話し込んでいる草間は放って、全部で六人が池を見た。
 「何故でしょうね。送り火と言うのは、何故か懐かしさを覚えてしまいます」
 遠くを見つめる様な瞳の飛鳥が、ぼんやりとそう言った。
 何かを思い出しているのだろうが、それは飛鳥以外の人間には解らない。
 「んーー、でも、本当に綺麗よね。……私達も灯籠流し、しちゃダメかしら」
 せっかくお招き頂いているのだからと、面倒がる草間を宥め賺して施餓鬼会に参加しているシュラインは、灯籠を流すのは地元の人だけかもしれないと遠慮していた。
 そんな彼女の後ろから、聞き覚えのある足音がする。
 「関さん?」
 振り返る彼女に、驚きの表情を見せる関だが、すぐさま元に戻って笑みを浮かべる。
 「こんばんは。施餓鬼会は如何ですか?」
 そう言いつつ、初対面の飛鳥とセレスティに名を名乗る。
 「初めまして。金浪関(きんなみ せき)です」
 「初めまして。東雲飛鳥です」
 「こんばんは……」
 「存じ上げておりますよ。リンスターの総帥ですよね?」
 え? とばかり、そこにいた者達は顔を見合わせる。だが種明かしは簡単に終わった。
 「一応、私、これでも税理士ですから。政財界にはそこそこ詳しいんですよ」
 「そうなのですね。でも、今は一個人として、楽しんでおりますので」
 誰もが上手いと唸っている。もしも下心があるのなら、その言葉に対する反応でで解ってしまうだろう。
 だがどうやら関に、下心はなかった様だ。
 「そうでしたね。これは失礼致しました」
 「いえ、とんでもありませんよ」
 「ところで、こちらの灯籠流しは、地元の人間でなくとも出来るのでしょうか?」
 先程のシュラインの言葉を聞いていた飛鳥は、彼女に代わってそう聞いた。
 「勿論。あちらの方で、盆と灯籠を受け取って、供物を乗せて流して下さい」
 関が指し示したのは、本堂前と満月廊辺りに設置されている二カ所である。
 「なあ、あの供物って、食え……いでぇっ!!」
 座ったままの北斗の頭を、渾身の力を込めて、左右の頭上から啓斗とシュラインが殴っている。
 「お前と言うヤツは……」
 「罰当たりよ」
 「ぼかぼか殴られたら、バカになるだろっ!」
 握り拳と共に立ち上がって反論する北斗だが、言った相手が悪かった。
 「安心しろ。もうバカだから」
 「ショック療法って言葉があるのよ」
 二人の言葉に、くすくすと笑っているのはセレスティと飛鳥で、互いに助けてやる気は更々ない様だ。
 「あ、あの、折角灯籠を流せるのなら、行きませんか?」
 助け船を出したのは零である。草間はそれを聞き、面倒だと渋っていたが、シュラインから背中をぽんぽんとされ、不承不承頷いた。
 ぞろぞろと歩く七人は、綺麗どころが多い為、可成り目立っている。お陰で混雑に巻き込まれることはなく、無事に盆と灯籠、そして供物を選んで戻ることが出来た。
 それぞれの、思い思いの供物を乗せ、池にそっと浮かべる。
 手元にある時には鮮やかな炎であったのが、手を離れ、距離を置くと共に、ぼんやり幽玄を漂う光に思えてきた。
 そっと手を合わせるシュラインの背後には、草間が照れた様に着いている。
 「私達は、そろそろ行きましょうか」
 小声で言うセレスティに、皆がこっそり頷いた。



 「もう、慣れっこだけど……」
 苦笑混じりにそう言うのは、シュラインである。
 可成り個性的な草間興信所の面々は、遊びが混じるとなかなか時間ぴったりに始めると言うことが出来ないでいる。仕事であれば、別なのだが。
 ここに揃っているのは、草間、零、シュライン、セレスティ、モーリスの五人であった。
 「大食らいが来る前に、とっととめぼしいもんは食い尽くすぞっ!」
 「武彦さん、みっともない真似、しないでよ」
 「まあまあシュラインさん、大丈夫ですよ」
 「日頃の食生活を考えると、草間さんの決意は、涙をそそりますねぇ」
 それぞれセレスティ、モーリスの言葉を聞き、シュラインはちょっとだけ恥ずかしくなった。
 確かに興信所は貧乏だ。『えへ、ちょっと今月ピンチかもーー』と言う状態ではなく、『また今月も赤字かよ……』と言う具合である。
 悪銭身に付かずとは言うものの、草間のそれは悪銭とは言い難いのに身に付かないのだ。貧乏神に憑かれていると言うのは、そこに通う者達全員の総意である。
 「皆さん、遅れているのですね」
 零がそう言う。
 ちょっとだけ淋しそうな顔をしているのは、やっぱりメンツが足りないからであろう。
 「そんな顔をしないで下さい。大丈夫ですよ。皆さん、すぐに来られますから」
 泣かれるのが苦手なモーリスは、そう言って零を宥めている。
 一応宴会の始まりの時間は告げてある。
 ちょっと遅れると言う連絡のあった飛鳥、そして夜店をやっている和馬──こちらも朱理から遅れるとの連絡済みだ──、モーリスの話によると、お化け屋敷でぶっ倒れていたシオン、更に何処にいるのか皆目見当の付かない守崎兄弟がまだであった。
 ちなみに先程草間の言った大食らいとは、筆頭が北斗、次が和馬のことだ。
 「失礼致しますぅ。あの、お揃いじゃないですけど、始めはりますか?」
 朱理がそっとシュラインに近付くと、そう聞いた。
 だが答えたのはシュラインではない。
 「始める始める。とっとと始める。料理や酒、どんどん出して来てくれ」
 良いのかと、視線でシュラインに聞くところを見ると、実権がどの辺りにあるかを把握している。まあ、そうでなくては、女将などやってられないと言うところだろう。
 シュラインもまた、仕方ないわねとばかりに苦笑して、お願いしますと答えていた。
 取り敢えず、乾杯などは皆が揃ってからと言うことで、先に来ていた面々は、それぞれ食事を楽しんでいる。
 シュラインが慌てて草間に胃薬を飲ませ、漸く飲酒の許可を出した。
 初めて三十分経つか経たないかで飛鳥が、そしてそれに遅れて十分程度で和馬と啓斗、北斗、一番遅かったシオンは、白装束に死人の化粧のまま飛び込んで、セレスティとモーリス以外の全員から殴られている。
 「じゃあ、みんなが揃ったところで、乾杯の……」
 「下手な能書きはいらねぇってば」
 「話が長い方は嫌われると言いますよ」
 機嫌良く乾杯の音頭を取ろうとした草間だが、その前の演説を始めようとすると、即座に北斗とモーリスから待ったが入る。
 しくしくと泣いてしまって後が続かない。
 「ほら、武彦さん、泣かないの」
 そうシュラインに慰められ、漸く顔を上げて一言。
 「何でも良い。乾杯っ!」
 声に続き、それぞれがグラスやお猪口を掲げて『乾杯』と叫ぶ。
 一気に進む宴会は、酒瓶やお銚子がこれでもかと開いていく。
 何故かワインを掲げているセレスティとモーリス、未成年なのに酒を飲もうとして啓斗とシュラインに殴られている北斗、陽気ではありつつも顔色一つ変えずに杯を空ける和馬、お化けメイクを未だ落としていないシオン、ほろ酔い加減の飛鳥、雰囲気に酔っている零に、すっかり出来上がっている草間だ。
 和室中央のテーブルに並べられているのは、食前酒の冷やし梅酒、滝川豆腐に生雲丹、冬瓜松前煮や石焼きステーキや牛しゃぶ、舟盛りなど、その他諸々。恐らく食の細い者ならば、一人前が食べきれるかどうかと思う程だ。
 「美味いよなぁ、これ。兄貴、家帰ったら作ってくれよ」
 「お前、何人分喰った?」
 「実はカードを持ってきているんですよ。如何ですか?」
 「勿論構いませんよ。……でも、場所が変わっても、結果は同じかと思いますけどねぇ」
 「ウサちゃん、帰る時、タッパに詰めてもらいましょうね」
 「ああ、私は書院で暮らしたいです。それがダメなら経楼で……」
 「美味い酒のお陰で、いくらでも食が進むな」
 「もう、武彦さんってば、寝るなら部屋で寝てちょうだい。風邪引くわよ」
 未だ花火が上がる中、そんな声が飛び交っている。
 防音設備がしっかりしている為、外の音はシャットアウトされていた。
 「何か、無音の花火って、淋しいな」
 「それでも、夜空に咲く花は、美しいと思いますよ」
 呟く啓斗に、穏やかに微笑んだセレスティが、そう告げた。
 「そうかな」
 「沈むな沈むな。宴会だからな。ぱあっと行けよ、な?」
 こっくり和馬に肯き、半分寝かけである草間の膳を狙っている弟に向けて、手裏剣を放つ。
 北斗は見事に避けたものの、袖で防いだ為に服が台無し。
 「啓斗! こんなとこで手裏剣なんか投げないで!」
 「痛ぇっ!」
 言葉尻で、しっかり北斗を殴っているところを見ると、ちゃんとシュラインは気付いていた様だ。
 「仲が良いですねぇ」
 「本当ですね。あ、セレスティさま……」
 満面の笑みを浮かべて、モーリスが言う。
 「これは……。もう一回、勝負ですよ、モーリス」
 「ええ、結構ですよ」
 宴会しつつ、カードゲームをしている二人だ。
 まだまだ宴会は終わりを見せない。
 途中で抜ける者も幾人かいた。眠気に負けた者、まだ何か楽しみがある者、それはその者達の事情である。
 草間興信所の宴会が終わったのは、一体何時であったのか、誰も知らない。
 山上の夜は、緩やかな時間と共に、徐々に更けて行ったのである。



 朝露に濡れた芙蓉の花は、また夕刻と違った趣がある。
 ほうと一つ、シュラインは大きく息を吐き出した。
 目の前に見えるのは、咲きつつある芙蓉の花だ。右手遠くに春日灯籠、左手奥には雪見灯籠。何とも風情がある。
 「ずっといたのに……」
 伏し目がちにそう呟いたシュラインは、先程のことを思い出していた。
 昨晩、しっかり宴会で潰れた草間は、従業員の手助けを得て部屋へと戻った。
 まだ楽しんでいる者達に水を差す訳にも行かないと考えたシュラインは、朱理を頼ったのだ。
 そのまま水水五月蠅い草間の介抱をしている内、自分自身も眠ってしまった。
 起きた時、何故か隣のベッドに寝ていたのは、きっと夜中に草間が起きたからだろう。
 「起きたなら、起きたって言って欲しかったわよね」
 零は草間の介抱をしていることを知っているとは言え、やはりルームメイトだ。途中からでも、戻った方が良かったのかもしれない、そう思った。
 勿論、草間が眠ったシュラインを起こすのを忍びなく思ったのだと言うことは解っているが、それでも──。
 「なあ、入っても良いか?」
 「ええっ?!」
 声をした方に顔をやると、脱衣所から顔だけ出している草間が見える。
 全く以ての不覚だ。
 真剣に考え込んでいた為、足音に気付かなかった。
 「あの、武彦さん、……何で?」
 ここが風呂で良かった。頬の赤みはごまかせる。
 「いや、もっとダメじゃない。お風呂なんだから」
 勿論水着は着用中だ。いや、それでもダメだろう。外壁が高くても、屋根が上階の部屋を遮っていても、露天風呂にいるなら関係ない。
 「って言うか、武彦さん、何でここにいるって解ったの?」
 上からは見えない、そして部屋に書き置きもない。まさかこんな朝早くに、草間が零を起こす筈もないから、シュラインが部屋にいるかいないかも解らない。流石に芙蓉荘の人間は起きているから、そこから聞いたのかも知れないのだが。
 「……何となく。で、入っても良いか?」
 『一緒に』
 そんな小さな声が、聞こえた気がする。きっと気の所為だ。そう言って欲しいと思ったからだろう。
 「……ええ、だって、私専用のお風呂じゃないもの」
 素直じゃないなと、我ながら思ってしまう。もう少し可愛く答えることが出来れば良いのにと思うが、性格上少々無理がある。
 んじゃあと、草間は既にトランクス水着を着用していたらしく、タオルだけ持って入ってきた。駆け湯をすると、シュラインとは少し離れた場所へと落ち着いている。
 無言だ。
 何時もなら、色々と話すこともあるのだが、何故か二人の間には、沈黙の天使が降り立っていた。
 昨日の宴会が終わるまで、いや、草間がダウンするまでは、なかなかイイ感じだった気もする。普通にだって話せた気もする。今までだって、仕事の延長で、事務所に泊まり込んだこともあるから、翌日『おはよう』と顔を合わすことだって沢山あったのだ。
 なのに何故、今日に限って普通に離せないのだろう。
 今までなら切り返すことだって、上手くできた。
 『あ、そっか』
 不意にシュラインは気が付いた。
 既にこの旅行の最初から、種子は蒔かれていたのだ。
 『何だか最近、武彦さんの回りが騒がしいわよね』
 『この旅行中、出来るだけ一緒にいたいかも』
 『ああでも、……もしも武彦さんが、他の女性まで声を掛けてたらどうしよう』
 『……て言うか、私は恋人だと思ってるけど、武彦さんは本当にそう思ってくれてるの?』
 不安だった──。
 そんな気持ちがあったから、一緒にいたにも関わらず、草間が何の行動も示してくれなかったことがその思いに追い打ちをかけたのだ。
 尤も、寝ている女性をどうこうする様な男は願い下げではあるが、そこはやはり女心だ。
 そうも悶々と考えていると、草間の呟きが聞こえる。
 「何時も悪いな」
 「え? あの…」
 「せっかくの骨休めなのに、俺が潰れたから」
 「何言ってるのよ。私がしたいと思ったからしてるだけなのに。そんなこと言われたら、今度から介抱出来ないでしょ」
 苦笑しつつ言うシュラインの前に、何時になく真面目な顔になった草間がいる。
 「そりゃ困る」
 「でしょ? だったら……」
 「あのな、お前がいないと、うちは凄く困る」
 「うち?」
 言葉に反応したシュラインの眉が、ぴんと高く跳ね上がる。
 「いや、うちと言うか、俺が」
 「……」
 じっと草間を見つめていると、何やら決意表明が彼の顔に出た。
 「あの、な。……まずは、婚約と言うことで、良いか?」
 一瞬、真っ白になる。
 そしてどくんと心臓が鳴り。
 漸く言葉を理解した。
 「選択肢は二つだ」
 YESかNOか、その言葉が出るのだと思った。
 「まず一つ目、『はい』と言う返事、もう一つは『うん』と言う返事」
 「……ちょっと待ってよ。それって結局一つじゃない」
 真剣な顔の草間を前に、思わずシュラインは笑ってしまう。
 何だろう。あれだけあった不安が、春を迎えた雪の様に何時の間にか溶けてしまった。
 それは束の間のことなのかもしれないが、春は何度でも来る。
 幾度となく雪が降り積もり、凍り付いたとしても、春は何度でも来て雪を溶かすのだ。
 だから。
 シュラインは、こっそり草間に耳打ちをした。


Ende

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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0086 シュライン・エマ(しゅらいん・えま) 女性 26歳 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員

1883 セレスティ・カーニンガム(せれすてぃ・かーにんがむ) 男性 725歳 財閥総帥・占い師・水霊使い

3356 シオン・レ・ハイ(しおん・れ・はい) 男性 42歳 びんぼーにん(食住)+α

2318 モーリス・ラジアル(もーりす・らじある) 男性 527歳 ガードナー・医師・調和者

0554 守崎・啓斗(もりさき・けいと) 男性 17歳 高校生(忍)

2736 東雲・飛鳥(しののめ・あすか) 男性 232歳 古書肆「しののめ書店」店主

0568 守崎・北斗(もりさき・ほくと) 男性 17歳 高校生(忍)

1533 藍原・和馬(あいはら・かずま) 男性 920歳 フリーター(何でも屋)

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          ライター通信
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 こんにちわ、斎木涼でございます(^-^)。
 もうちょっと早くにお届けできるかと思っていましたが、遅くなってしまいまして、申し訳ありません。
 今回は、依頼ではなく、お楽しみシナリオ的なお話です。ですので、皆様から頂きましたプレイングは、殆ど盛り込ませて頂いているつもりです。短い部分とかもありますけれど、そちらの方はご容赦を。
 ちなみに隠しイベントとは、夜の阿難堂に行くと、多聞寺本当のご本尊である阿難尊者とおデート出来ると言うものでした。全然有難くない隠しイベントですが(^-^;)。
 ちらーっと、何方様かの本文中に、それらしい話が出ております。

 >シュライン・エマさま

 何時もお世話になっております(^-^)。
 今回、シュラインさまは目的(?)をお書き下さっていた為、沿う様に頑張ってみました。婚約で止めているのは、やっぱり順序を辿ってからと思った為です。
 本人が色っぽい話とは縁遠い為、雰囲気が出ているかどうか、可成り不安の残るところですけれど……(^-^;)。


 シュラインさまに、このお話をお気に召して頂ければ幸いです。
 ではでは、またご縁が御座いましたら、宜しくお願い致します(^-^)。