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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


■納涼! 真夏だよ全員集合!■

 蝉が五月蠅く鳴いている。
 一応ここは、都会と言っても差し支えない場所ではあるのだが、昨今の蝉は田舎よりも都会にて猛威を奮っているらしい。取り敢えずその蝉は、根性でその存在を主張しているかの様に、けたたましくもかしましく鳴いているのであった。
 「……暑い、暑すぎる」
 茹で蛸一歩手前で机に突っ伏しているのは、ここ、草間興信所の所長である三十路男、柄パン姿の草間武彦だ。暑ければクーラーを付ければ良いのだが、何故か本日、草間クーラーちゃんはご機嫌斜めで、吹き出すのは熱風のみと言う、ちょっとどころか可成り哀しい状態である。頼みの出張サービスは、現在夏真っ盛りである為、修繕よりも取り付け作業を優先しているらしく、ご到着は三日後と言う話であった。
 が、そんな状況であったとしても、パンツ一丁の格好でいるなど言語道断だ。客が来たらどうするのだろうか。
 「お義兄さん、鬱陶しいからその顔止めて下さい。そして服くらい着て下さい」
 にべもなくそう言うのは、草間の義妹、草間零である。
 しかしあまりに情けないその様子に哀れを催したのか、彼女は草間の眼前へ、徐に一枚の封書を差し出した。
 「お義兄さん。ほら、何だか涼しそうな手紙が届いてますよ」
 「あーーー?」
 だれだれの草間は、手を伸ばすのも億劫だと言った様で、零に開けて読んでくれと目で促した。良く出来た義妹は、大きく溜息を吐きつつも、義兄に従う。
 「えーーと。……謹啓、炎熱地を焼くとはまさにこの事、貴社の皆様方にはお変わりございませんでしょうか。さて、来る八月十日、当寺院にて施餓鬼会を実……」
 「解った。もう読まなくて良い」
 零は、義兄が何故『読まなくて良い』と言ったのか解らず、きょとんとしている。
 「このクソ暑いのに、オカルト依頼なんぞやってられるか。てか、うちはオカルト厳禁だって、何度言えば解るんだ」
 目指すはハードボイルドの道。
 パンツ一丁の姿で固茹で卵を目指そうなんざ、一億万年くらい早いだろうが、取り敢えずそのことはおいておく。
 どうやら草間は、『施餓鬼会』と言う言葉に反応したらしい。どうせその『施餓鬼会』で起こるかもしれない怪異を何とかしてくれと、そんな依頼なのであろうと考えたのだ。
 が。
 「あのー、依頼ではないみたいなんですけど?」
 この暑さの所為か、零のその言葉にも草間の脳味噌は爛れたままだ。
 眉間に三本皺を寄せていると、零が続きを読むのではなく、口頭で説明を行った。
 「何だか屋台や花火大会をやるみたいですよ。肝試しや百物語も。あ、露天風呂付きの旅館もあるそうです。月とお花畑を見ながらお風呂に入れるって、素敵ですよねぇ」
 その風景を想像したのか、ふわわんとした視線を漂わせている辺り、零もそこそこ暑さが脳味噌に来ていたのかもしれない。
 つまり、施餓鬼会とは言っているものの、早い話が夏祭りをすると言うことらしいのだ。
 「……送り主は?」
 「えーと、多聞寺と言うお寺さんみたいですね」
 「知らんぞ。そんなとこ」
 しかしこの草間興信所では、知らないところから何やら送られてくるのは余り珍しいことでもなかった。
 理由は簡単。
 その筋では有名な興信所であるからだ。その筋とは、言わずもながの話である。
 とまれ。
 「ここ、西多摩の山の上にあるみたいですね。あ、じゃあ、涼しいんじゃないですか?」
 少なくとも、都会の真ん中よりは涼しかろう。
 「あ、凄い……太っ腹ですよ、お義兄さん」
 「何だ?」
 「経費全てお寺さん持ちですって。勿論、往復の交通費も」
 「よし、零、行きたいと言うヤツ、片っ端から声をかけろ。その後、今から『草間興信所慰安旅行』の買い物行って来い。領収書は絶対貰って来るんだぞ。準備が出来たら、速攻出発だ」
 キャッシュな草間に溜息を吐きつつも、やはり零だって嬉しいのだ。唇に笑みを浮かべ、年代物の黒電話をフル稼働させた。
 その際。
 彼女の手にあった封書から、メモの様なものがはらりと落ちた。脳味噌がバカンスの地へと飛び去っていた草間は、後になってそれに気付くのだが。

 『この前の件は助かった。これは中元だと思って取っといてくれ。……ま、招待先が、うちの実家であれだが。取り敢えず、また何かあったら宜しく 金浪 征』



 恐らく、受け取ったのが一般ピープルなら『マヂデェーー?』と呟いていることだろう。
 しかしこの連絡を聞いたのは、世界にその名を知られる財閥、リンスターの(見かけは)若き当主であった為、そんな品のないお言葉を発することはない。
 「集合時間が、八時前………ですか?」
 青い瞳には、湖面にざわめく様な細波が走っている。銀糸が滑り落ちることにも気付かず、リンスター財閥総帥セレスティ・カーニンガムは思案していた。
 『まさか午後八時……と言う訳ではないですよね』と、心の中で呟いてみるも、当たり前ながら午後ではなく午前である。口に出さなかったのは、本気でそう思っている訳ではなかったのと、目の前にいる彼の庭師が何処か面白そうな顔をしてセレスティを見ていたからだ。
 下手なことを言えば、間違いなく揚げ足を取られてしまう。そう感じた。
 「セレスティさま。時間をずらして行くことにしませんか?」
 彼の庭師、モーリス・ラジアルが緑の瞳に笑いを乗せ、そう提案する。
 勿論彼は、セレスティの忠実な従者であり、彼の意に添わぬ様な真似をすることはない。何よりの優先事はセレスティの上に存在し、それ以外は二の次であると言うことは、当然ながら彼にも解っている。
 だから、この言葉に裏はない。
 純粋にセレスティが朝に弱いことを慮って、そう勧めているのだ。
 なのに何故、胡散臭く感じてしまうのだろう。彼の笑みは、何時だって人の心を落ち着かせるものなのに。
 この心の呟きを、誰ぞが聞くことが出来たなら『それはもう、付き合いが長いからでしょう』と言うことは間違いがないが。
 「……そうですねぇ。その方が、良いかもしれませんねぇ」
 セレスティが朝に弱いと言うことは、太陽が東から昇ると言うことよりも確実で、そして変えようがないことだ。
 草間興信所へ八時前に到着すると言うことは、起きる時間は一体何時なのだろう。
 少なくとも、八時ではあり得ない。しかもそんな時間に起きたなら、間違いなく寝ぼけ眼以前の話だ。
 例え現地に到着しても、暫く脳味噌は使い物にならないだろう。
 そんな予感がする。
 「草間さんには、私から連絡を入れておきます。あちらはバスをチャーターして行くそうですよ。何でもカラオケの付きのバスだそうです」
 そう言えば、セレスティには関係のないことだが、『料金タダ』だと書いてあった。交通費もあちらさん持ちであるらしい。元はフツーのマイクロバスが、何時の間にやらデラックスゴーカなそれに化けてしまったと言うことだ。
 「草間さんらしいですねぇ」
 くすくすと笑うセレスティの脳裏には、マイク片手に握り拳で熱唱する草間武彦三十才の姿が浮かんでいたのだった。



 「セレスティさま、到着致しましたよ」
 そう言ってモーリスが、セレスティの方へと振り返る。二人が乗ってきたのは、何時もよりはやや小さめの高級リムジンであった。
 「ご苦労様でした」
 モーリスが運転席から降り立ち、セレスティが着いている側のドアを開けて、主が降りるのを手伝った。
 目の前にあるのは、五階建ての和風旅館だ。二階建てなら旅籠と呼んでも違和感のない様な建物だが、流石に五階建てとなるとそうも思えない。なかなかに微妙な風情の外観であった。
 「まあま、いらっしゃいませ。ようこそ、多聞寺、並びに芙蓉荘へ。皆さんお着きですよ」
 地に降り立ったセレスティと、それを支えるモーリスの前で頭を下げているのは、襷掛けをした和装の女性である。どうやら彼女がここ、芙蓉荘の女将であるらしいと言うことは雰囲気で知れた。
 「セレスティ・カーニンガムと申します。二日間、お世話をお掛け致します」
 「モーリス・ラジアルです」
 にっこり微笑むセレスティとモーリスに、ほうとばかり溜息を吐いた。
 「もう、征は…、こうして男前ばっかり知り合うんやったら、こっちに帰ってこんでもええわ……」
 何処か間違っている様な感想だが、それを聞いて穏やかに微笑んでいるのは、やはりこの二人だからであろう。
 それに気が付いたのか、こほんと咳払いと共に彼女は言った。
 「あら、失礼致しました。あたしは征の姉で、金浪朱理(きんなみ あかり)と申します。ここ芙蓉荘の女将を任せてもらってます。二日間、ごゆっくりお楽しみ下さいねぇ」
 彼女は正面玄関から出てきた従業員に、荷物を運ぶ様に指示を出す。
 リムジンの中から運び出されるそれらは、『一体これだけの荷物を何処に入れていたんだ?』と首を傾げてしまう程に多かった。殆どネタだろうと言う感じで店舗に飾られている、ヴィトンのトランクサイズの大型ケースがぞろぞろざくざく運び出されている。
 「荷物持ちなんですねえ」
 感心してそう呟く朱理に、セレスティはにっこり笑って口を開いた。
 「いえ、それほどでも……」
 「セレスティさま、普通は一泊二日の旅行で、これほど荷物が多くなる人はいないかと思いますよ」
 そう口にするモーリスにしても、何時ものことなので大して気にはしていないのが、彼の顔をみているとありあり解る。
 「それにしても、草間さんの奥さんはしっかりした人やわ」
 「奥さん……?」
 誰のことを言っているのか、二人とも直ぐ解ったが、やはり表情は怪訝なものになってしまう。
 奥さん=シュライン・エマだ。
 彼女がしっかりしていることは、草間興信所に関わる人間なら誰でも知っている。けれど朱理は初対面である筈で、ならば何を持って判断したのだろうと思ったのだ。見た目がしっかりしてそうに見えると言う訳ではあるまい。
 「ええ、シュラインさん。草間さんとは名字違いますけど、今風の夫婦別姓とか言うヤツでしょ? まあ、それはさておき。いえね、きっとお二方はお荷物が多いやろし、部屋は大きめの方が宜しいやろから、そう言う部屋を一部屋開けといて欲しいて、言うてはりましてんわ」
 成程納得。二人して顔を見合わせ、頷いた。勿論そこには『誤解はあるが、面白いから黙っておこう』と言う意味も含まれている。
 「シュラインさんあっての草間興信所と言われていますからねぇ」
 人好きのする笑みを浮かべているモーリスに、セレスティもそうですねぇとばかりに頷いた。
 「ところで朱理さん、こちらは和室のみの旅館なのでしょうか」
 出来れば洋室でベッドの方が良いなと思っていたセレスティは、部屋の話が出たついでとばかりにそう聞く。
 「ああ、そんなことないですよ。一応、それぞれのお部屋は、洋間と和室のワンセットで、洋間にベッドを二つお入れしてます。お布団の方が宜しいと言わはる方には、和室の方に引かしてもろてますけどねぇ」
 寺が持つ旅館だから和室のみ、と言う訳ではないらしい。
 少しほっとした。布団と言うのも悪くはないが、やはり日頃から慣れている洋室でベッドと言う方が楽で良い。
 「ほな、ご案内させてもらいますね」
 その声と共に、二人は芙蓉荘へと足を踏み入れたのだった。



 ロビーは、何か催し物が開催されているかの様な盛況さであった。
 かしましくはないものの、女将の朱理が、その鈴なりになっている女性達に無言の圧力を掛けていなければ、即座に大切なお客様が遭難しそうな雰囲気である。
 ちなみにその『大切なお客様』が、所謂密やかなイベントの中心だ。
 「セレスティさま、どうなされますか?」
 『まずはどちらへ?』と、モーリスがそう声をかける。
 ふられたセレスティは、そうですねぇとばかり顎に指を添えて思案した。
 彼ら二人の手には、施餓鬼会のタイムテーブルが書かれたものがある。
 何だか『あるだけやってみました』的なラインナップだ。
 地図と共に、そこで催されているイベントが書かれ、更に地図の横に、時系列でイベントが列挙されている。
 一点で、セレスティの視線が止まった。
 「禅体験……ですか」
 瞳の青が、興味に揺れる。
 優雅にティーカップを手にすると、そのまま薫り高い紅茶を一口飲んだ。
 それだけで、和風旅館のロビーが、ドイツかオーストリアにそそり立つ、古城のサロンへと変わった様である。
 「成程。やはりそこに興味が行きましたか」
 「と言うと、モーリスも?」
 「はい。一度、体験したいと思っておりましたので」
 正に阿吽の呼吸……なのかもしれない。
 ではと二人して立ち上がると、やはりその動作に、周囲の女性達──時折男性もいたのが何だか怖いが──は、視線どころか身体の動きまで一緒に、二人の後を追っている。
 それらに軽く微笑むと、魅了の能力を使ってもいないのに、のぼせ上がる者達が続出した。
 その隙をつく様に、彼ら二人は芙蓉荘を抜け出ると、総門を潜り、夜店の準備をしている者達の間を通り禅堂を目指す。
 「ところで、まさかセレスティさまも、禅体験を?」
 そうでないことを承知しているだろうモーリスが、『一体何が目的で?』と言う視線で問いかけていた。
 「見学が目的ですよ。勿論」
 嫣然とした笑みは、モーリスでなければころっと倒れ伏していただろう程に魅惑的だ。
 セレスティの歩みに合わせつつ、禅堂に着いた二人は、そっと中を覗いた。
 真面目に座禅を組んでいる面々が、そこにはいる。現在は取り敢えず、十名ほどだろうか。三名の坊主が、警策を手に座禅をしている人々の背後をゆっくりと歩んでいた。
 「禅体験ご希望の方ですか?」
 にへらと笑う男が、禅堂から顔を出す。
 「はい。私の方は。私の主は見学を希望ですが」
 「構いませんでしょうか?」
 ぼややんとした男は、長目の黒髪を背中に流し、金色の瞳を和ませて二人を見ている。
 その瞳を観たセレスティは、ふと気付く。
 「もしかして、征さんのお身内の方でしょうか?」
 「はい。あ、では草間さんの?」
 「セレスティ・カーニンガムと申します」
 「モーリス・ラジアルです」
 「金浪餞(きんなみ せん)と申します。あの……、つかぬことをお伺い致しますが」
 愛想の良い顔が、一転して眉間に皺を寄せ、何やら深刻な表情を張り付かせている。
 「はい?」
 「……お二方、うちの姉にセクハラされませんでしたか?」
 真面目腐って言うから、一体何事だろうかと思ってみたが、あまりにもあまりな言葉である。
 「姉はいい年をして面食いなんです。小さい頃から、『歩くセクハラ女』と呼ばれて、僕たち兄弟が、どれほど白い目で見られたことか……」
 よよと泣き崩れる『真似』をしていることから、本当に白い目で見られていたのかどうかが怪しい。
 取り敢えず二人は、そんな餞の話をスルーして禅体験について先を促した。
 「ところで禅体験と言うのには、時間などは決まっているのでしょうか?」
 乗ってくれないとばかり、のの字を書き始めそうな勢いだが、何やら脳裏に過ぎったらしく、餞は真面目に応対を始めた。
 「基本的には、二時間コースとなっております。他にも三十分コースと一時間コースと三時間コースがございます。また、禅体験を終了なさった方々には、こちらで水菓子を用意させていただいておりますので、是非是非是非っ! お召し上がり下さいませっ!!」
 何やら最後に力が入っていたが、気にしない方向で。
 「水菓子ですか? それは禅体験した方のみなのでしょうか……」
 何処かしゅんとした風を装うのは、セレスティである。モーリスは、はあと大きく溜息を吐いた。
 「いえっ! もしも宜しければ、水菓子を召し上がりつつ、ご見学を……っ!」
 そう言って指し示すのは、何時の間にか背後へとやって来た小坊主の捧げ持った盆の上だ。
 そこには朱塗りの皿の上に、サンプル品と思しき水菓子が乗っかっていた。ご丁寧にその前には、どうやら水菓子の名であろうと思える短冊がある。
 『緑宝珠』と書かれているのは、マスカットの周囲が砂糖漬けゼリーに覆われている。『満月』とは、白桃のゼリーだ。更に柿の果肉を乳白色のゼリーで包んだ『柿時雨』、口に入れるとほろほろと崩れる抹茶ケーキで羊羹を包んだ『そぼろ羊羹』、『月見羊羹』と言う名のついている菓子は、羊羹の中の栗を月に見立てている。柚子の千切りを蜂蜜漬けにした『常世の蜜』に、芙蓉の花を形取った葛を黒蜜で食す『葛芙蓉』。
 「どれもこれも、綺麗ですねぇ……」
 甘い物には目がないセレスティである。うっとりとそれらを見つめると、溜息を吐いた。どれを食そうかと思案しているのだ。
 甘いものなら、食事よりは多く食べることが出来そうだと、そうも思った。
 和よりも洋を好む質ではあるが、最近では随分、和の味覚と言うものにも親しんで来ている。
 そうつらつらと考えていたが、ふと気付いて見ると、既にモーリスは禅の世界へと旅立った後であった。



 元々食が細いセレスティは、まだ口にしていない水菓子を名残惜しく思いつつ、小坊主に案内を頼み、阿難堂へと来ていた。レシピがあれば、後で教えてもらって、屋敷に帰ったら彼の料理人に作ってもらおうと思う。ちなみにモーリスはまだ、座禅の真っ最中である。
 煩悩の固まりの様な彼の庭師は、禅体験終了までに、幾つ警策を食らうのだろうか。
 しっかりとした足場の上に立っている『満月廊』を渡り終えると、小坊主はセレスティが入りやすい様に扉の開き具合を調節すると、道を譲る。
 「こちらが阿難堂となっております」
 「ありがとうございます」
 そう声を掛け、セレスティは中へと入る。
 内部はさほど大きくはないと感じる。その扉から入ると、真正面には木像があった。
 「こちらが阿難尊者の木像です」
 「釈迦本尊は如来、そして阿難尊者は諸尊と言うのでしたね?」
 その問いかけに、小坊主は素直にはいと答えた。次いで、小坊主は、ごゆっくりどうぞと声を掛けて、去っていく。恐らく、禅堂へと戻るのだろう。
 頭を上げ、彼はその『阿難尊者』の木像を見やった。
 本堂へは行っていないセレスティだが、そこにあるのが釈迦本尊であると言うことは予め知っていた。祀る対象が二つであることが普通なのかどうかは解らない。
 ただ、この木像には、何かを感じることが出来るのだ。
 阿難尊者は、釈迦の弟子でも美貌の持ち主であったと言う。嘘か誠か、あまりに美男であった為、釈迦は彼にのみ、他の弟子よりも着衣を多めに取って肌を隠す様に言い渡したらしい。
 そのこともあるのか、この阿難像は美麗な面を刻んでいた。今にも微笑みかけてくれそうな程に。
 「書院へ行くことにしましょうか」
 暫くそうして佇んでいたのだが、何も起こらないことを確認して、セレスティは阿難堂を後にした。
 視力の弱い身でありながら、セレスティの歩みはステッキの力を借りつつではあるが、まっすぐ書院へと歩いている。一旦、芙蓉畑へと開かれている扉の前で途切れている回廊を渡ると、もうそこは彼の目的地であった。
 その書院は柿葺の寄棟造で、一重になった疎垂木がある。
 回廊とは別の入り口先には、小さな手水が存在した。
 セレスティは回り込んで手を洗い、書院へと入っていく。気配がまばらにあるのが感じられ、そこそこ人がいるのだと解った。
 こぢんまりとした書院には、一つの休憩室と三つの書庫があるらしい。
 先程水菓子を頂いてきたセレスティが、取り敢えずお茶を別室へと持って行くことが出来ないことを確認し、喉を潤しながらの読書は諦めた。
 まずは、どの部屋にどんな種類の本があるのかを確かめよう。そう思った彼は、ゆっくりと書院の中を歩いていく。
 書物独特の紙の香りが、セレスティの鼻腔をつく。
 その香りに安堵した彼の顔には、穏やかな微笑が浮かんだ。ここが普通の通りならば、『魅了渋滞』が起こっただろう程に魅惑的な笑みである。宗教画に描かれている天使とは、まさに彼のことを指すのだろうと思うくらいだ。
 一つ目の部屋には、伝説や怪異、奇譚などと言った世の中では架空の物と称されている者達が記されている様な本達が、そして二つ目の部屋には様々な国の本を和訳したものが詰まっている本達が、最後の三つ目は、郷土史や風土記、論文などと言った本達が、それぞれ書棚に入っていた。
 最後の部屋には、真剣な表情で本を読んでいる男性がいた。東雲飛鳥(しののめ あすか)である。彼の金色の髪は、モーリスとはまた違った色を持っている気がする。当たり前なのかもしれないが、それでもその色が違うだけで、受ける印象も違うのだと言うことを、こんなところで感じてしまうのだ。そしてまた、そう感じるのは、感覚の鋭いセレスティであるからこそと言える。
 「やはり、順番通りに読んで行きましょうか」
 そう呟くと、一番最初に入った部屋へと戻って行く。
 一番最初の部屋、つまりは世の不可思議を語る本達がある場所だ。
 そっと背表紙を撫で上げていく。白く繊細な指先は、何よりも確かな情報をセレスティへと伝えた。中身を読む為に、その能力を使うのではない。彼の琴線に触れる様な本を探す為、能力を使うのだ。
 暫く背表紙を彷徨っていた指先が、とある本に触れた時、ぴくりと撥ねた。
 「夜には百物語もあると言うことですし、これは丁度良いかもしれませんねぇ」
 『伽婢子』
 全六十八巻にも渡る短編怪奇小説集だ。世に紹介されたのは『寛文』と言う年号の時代である。
 彼の書斎にも様々な本がある。恐らくこの本もあったのかもしれなかったが、それはあまり気にはならなかった。
 座卓にちろと視線をやると、一言。
 「やはり長時間座っているとなると、椅子の方が楽なのですけれど……」
 そうは言ってみたものの、すぐさま椅子が出てくる訳でもなかった。
 それでも立ったまま読むよりは数段良い。セレスティは、数冊を抜き出した後、腰を落ち着けるべく手近な座卓へと腰を下ろした。



 書庫を堪能していたセレスティは、ふと何かに気付いた様に顔を上げる。
 「そろそろ出た方が、良いかもしれませんね」
 何時も肌身離さずに持っている懐中時計に触れることで時間を確認すると、ゆっくり立ち上がって本を書棚へと直した。
 勿論、出がけに日本茶を堪能することは忘れない。日頃は紅茶を良く嗜むセレスティだが、たまにはと思い、数あった日本茶を色々と楽しんできたのだ。
 書院を出、眼前にある光明池へ向かうと、その畔でそっと佇んでいる。
 やはり水際は、自分にとってとても居心地の良い場所だと、セレスティの瞳が和んだ。
 人は多いものの、水気が都会とは違うのだ。
 以前の様に、水の中を自由に泳ぐことは出来ずとも、その気は今でも優しく彼に接してくれる。

 水を取り込み、そして水に触れて、セレスティはこの暑い盛りが続く夏で、初めて一息ついた気がする。
 それにここの水は、ゆったり穏やかな気を発している。
 「どうやらここは、何かが守っている様ですねぇ」
 後に聞くモーリスの話と総合すると、それが何かが解るのだが、現在の彼には窺い知れない存在である。
 ただ、悪いものではないことが、セレスティには解るのだ。
 己の眷属に糺すことも出来ようが、仕事で来ている訳でもない為、それは無粋と言うものだろう。
 そこそこに広い光明池は、そこで完結している様に見えても、別に流れていく場所があると言うことが、セレスティには解った。恐らく地下に、その道はあるのだろう。
 池には所々蓮の花が浮かんでいる。
 蓮の花と言うのは、大抵が朝に咲き、夕に閉じる。けれど熱帯地方のものには昼咲きや夜咲きと言ったものもあるのだ。ここにはどうやらその昼咲き、夜咲きのものもあるらしく、今でも芳香を放っていた。
 満月廊と呼ばれている渡り廊下は、池の中央である阿難堂に続いている。今はそこに、先程通りかかった時にはなかった供物の様なものが備えられていた。
 また、施餓鬼会が直前に迫り、人々が徐々に増えてきている。本堂付近には何やら台が設置されている様だ。
 賑々しい雰囲気は、夜が始まりを見せようとしているからだろうか。
 祭りの本番は夜からだ。
 一年に一度限りの祭りは、余り娯楽もないだろうこの地の人々に取って、楽しみの一つであるのかも知れない。
 夏の昼は長く、日が落ち始めてからも、まだまだ闇に閉ざされるのには間があった。
 「ここの夕焼けと言うのは、下とはまた違ったものなのでしょうねぇ」
 空気が澄んでいるから、なおのことそうだろう。
 セレスティは、杖を突きつつ、そっと日が沈みつつある方向を見つめていた。



 光明池の本堂と反対側には、池に灯籠を流す人々で賑わっていた。
 灯籠を流すと言っても、灯籠のみを流す訳ではない。小さな船に灯籠と供物を乗せ、灯りを付けて池に流すのだ。
 「するとな、明日の朝には、何でだか知らねぇが、灯籠が綺麗さっぱりなくなってるんだよ
 そう言って、同じく灯籠を流していた中年の男が教えてくれた。
 「灯籠がなくなるのか? それは片付けてるからだろう」
 草間が眉間に皺を寄せているのは、怪奇に値することだからだろう。
 「草間さんは夢がありませんねぇ」
 涼やかに笑うセレスティに、本当だとばかり、シュラインと飛鳥が頷いた。
 零も同じく『お義兄さんてば……』と溜息を吐いている。
 セレスティは、自身の持つ能力にて、この池のそこから何処かに通じていることを知っているのだ。どの様にして、浮かべた灯籠が底まで沈むのか、それは解らないが、それの消え行く道筋については、見当が付いていた。
 「いや、俺もそこの兄ちゃんの言う通りだと思うがね。灯籠がねぇってのは、多聞寺の人達が何処かで祀る為に片付けてるんだろうさ」
 だよなと、意気投合した草間達が馬鹿話に盛り上がっているのを横目で見て、そこにいる面々は、再度池に視線を戻す。
 そんな中、背後から駆けてくるのは、彼らを見つけた守崎啓斗(もりさき けいと)と北斗(もりさき ほくと)の二人だろう。
 「シュラ姐!」
 「ここにいたんだ」
 二人して、そう声を掛けると、飛鳥とセレスティにぺこりと挨拶をする。
 また挨拶をされた二人も、同じく軽く頭を下げて返してきた。
 北斗が座り込み、啓斗がその後ろに立って、未だ中年親父と話し込んでいる草間は放って、全部で六人が池を見た。
 「何故でしょうね。送り火と言うのは、何故か懐かしさを覚えてしまいます」
 遠くを見つめる様な瞳の飛鳥が、ぼんやりとそう言った。
 何かを思い出しているのだろうが、それは飛鳥以外の人間には解らない。
 「んーー、でも、本当に綺麗よね。……私達も灯籠流し、しちゃダメかしら」
 せっかくお招き頂いているのだからと、面倒がる草間を宥め賺して施餓鬼会に参加しているシュラインは、灯籠を流すのは地元の人だけかもしれないと遠慮している様だ。
 「関さん?」
 振り返る彼女に、驚きの表情を見せる関だが、すぐさま元に戻って笑みを浮かべる。
 「こんばんは。施餓鬼会は如何ですか?」
 そう言いつつ、初対面の飛鳥とセレスティに名を名乗る。
 「初めまして。金浪関(きんなみ せき)です」
 「初めまして。東雲飛鳥です」
 「こんばんは……」
 「存じ上げておりますよ。リンスターの総帥ですよね?」
 え? とばかり、そこにいた者達は顔を見合わせる。だが種明かしは簡単に終わった。
 「一応、私、これでも税理士ですから。政財界にはそこそこ詳しいんですよ」
 「そうなのですね。でも、今は一個人として、楽しんでおりますので」
 誰もが上手いと唸っている。もしも下心があるのなら、その言葉に対する反応でで解ってしまうだろう。
 だがどうやら関に、下心はなかった様だ。
 「そうでしたね。これは失礼致しました」
 「いえ、とんでもありませんよ」
 解ってくれれば、別に何を言うこともない。
 「ところで、こちらの灯籠流しは、地元の人間でなくとも出来るのでしょうか?」
 先程のシュラインの言葉を聞いていた飛鳥は、彼女に代わってそう聞いた。
 「勿論。あちらの方で、盆と灯籠を受け取って、供物を乗せて流して下さい」
 関が指し示したのは、本堂前と満月廊辺りに設置されている二カ所である。
 「なあ、あの供物って、食え……いでぇっ!!」
 座ったままの北斗の頭を、渾身の力を込めて、左右の頭上から啓斗とシュラインが殴っている。
 「お前と言うヤツは……」
 「罰当たりよ」
 「ぼかぼか殴られたら、バカになるだろっ!」
 握り拳と共に立ち上がって反論する北斗だが、言った相手が悪かった。
 「安心しろ。もうバカだから」
 「ショック療法って言葉があるのよ」
 二人の言葉に、くすくすと笑っているのはセレスティと飛鳥で、自分は元より、飛鳥の方も、どうやら助けてやる気は更々ない様だ。
 「あ、あの、折角灯籠を流せるのなら、行きませんか?」
 助け船を出したのは零である。草間はそれを聞き、面倒だと渋っていたが、シュラインから背中をぽんぽんとされ、不承不承頷いた。
 ぞろぞろと歩く七人は、綺麗どころが多い為、可成り目立っている。お陰で混雑に巻き込まれることはなく、無事に盆と灯籠、そして供物を選んで戻ることが出来た。
 それぞれの、思い思いの供物を乗せ、池にそっと浮かべる。
 手元にある時には鮮やかな炎であったのが、手を離れ、距離を置くと共に、ぼんやり幽玄を漂う光に思えてきた。
 そっと手を合わせるシュラインの背後には、草間が照れた様に着いている。
 「私達は、そろそろ行きましょうか」
 小声で言うセレスティに、皆がこっそり頷いた。



 「セレスティさま、それはちょっと如何なものかと……」
 最上階の風呂にての会話である。
 お化け屋敷で脅かし役を堪能したモーリスと、施餓鬼会で幽玄の世界を楽しんできたセレスティは、宴会の前に風呂に入ろうと部屋を出た。
 他の入浴者が気になったセレスティは、『様子を見てきてもらえますか』とモーリスに頼むと、彼は恭しく礼を取って従う。その間に衣服を脱ぎ、ふと考えると、セレスティは、タオルを胸から巻き付けた。更に女性がする様な、夜会巻きの様な感じで髪を上げる。そうしていると、モーリスが帰ってきて、何処か呆れた顔でセレスティを見ると、徐に口を開いた。
 「……? 何かおかしな事でも?」
 モーリスにすっとぼけて笑ってやると、彼は諦めた様に大きく溜息を吐く。
 「……いえ、結構です」
 そう言うと、彼はセレスティのかけ湯を手伝ってくれた。
 「気持ち良いですねぇ」
 幸いなことに、現在風呂に入っているのは、セレスティとモーリスの二人のみだ。
 時間的に食事か、もしくは夜店でぶらついている者達が多いのだろう。
 かけ湯も済み、湯船につかろうかと言う段になってセレスティはぽつりと言った。
 「あんまり熱くないお湯が良いですねぇ」
 元々が人魚の性である。水は眷属ではあるも、やはり熱さには弱いのだ。
 勿論その温度を確かめるのも、モーリスの役目である。タオル一つでうろうろするなど、余り人に見せたくはないかもしれない。
 全部で湯船は五つある。それぞれに手を入れ、温度を測っているのだ。
 「セレスティさま、こちらのお風呂が一番低い様ですよ」
 「そうですか」
 湯船は大きな窓に沿って設置されている為、外の景色が一望出来る。
 山から見える街の灯り、更に手前にあるのは、夜店の提灯の明かりだ。
 少し右へと視線をやると、未だ続く施餓鬼会での送り船に灯されている小さな炎。
 もう少しすれば、ここから花火も見れるだろう。
 こう言ったオープンな視界は、都会では到底作ることは出来ない。偏光ミラーでも使っていれば別であろうが、そうでもない限り、余り遠くないビルの窓からこちら側が見えてしまう。
 のんびりと湯船につかりつつ、絶景とも言える窓の外を眺めていると、不意に風呂の扉が開いた。
 が。
 「しっ、失礼しましたっ!! 男湯と間違えましたっ!!」
 扉を閉める音が、思いっ切り風呂の中で響き渡る。
 「おやまあ、慌て者ですねぇ」
 セレスティがくすりと笑う。
 モーリスは、今日何度目だろうかと思う様な溜息を吐いた。
 「……セレスティさま、解っててそんな格好をしてたんですね」
 「何のことですか?」
 思いっ切り腹に一物な笑みだった。
 確かに、背後から見ると、細い項や後れ毛、湯気も相まってセレスティの後ろ姿は女性に見えないこともない。これが視界のはっきりしているところであれば、こう言った事態は起こりえないのだろうが。
 暫しゆっくりと湯を楽しみ、更に一日の疲れを洗い落として、再度温い湯に入る。
 「お客様、こちら側から失礼致します」
 そう言って扉の向こう側から、聞き覚えのある声がする。この声は女将の朱理だ。
 ちなみにもう一人、気配がする。誰であるかの見当は、しっかりついていた。
 何でしょうと、二人して顔を合わせると、続いて声がかかった。
 「あのう、申し訳ありませんけれど、こちらは男性の方のお湯なんですよ」
 思わずぷっと吹き出すも、モーリスが肩を竦めつつ、やはり扉越しで応対する。
 「他のお客さまに誤解させてしまって、申し訳ありません」
 その声を聞いた途端、朱理のテンションが上がった様だ。
 「いやぁ、やっぱり、モーリスさんとセレスティさんやってんやねぇ。確認の為入った方が良いんかと思ったんやけど、入らんで正解……って、まあ、個人的には入りたかったけどねぇ」
 「姉さん、お客様にセクハラしないで下さいっ」
 こめかみに青筋立ててそうな声だ。
 「そちらは関さんですね」
 「はい。お騒がせして、申し訳ありません。どうぞごゆっくり」
 「いえ、こちらこそ、紛らわしいことで……」
 そう言うセレスティは、大層愉快に感じていた。
 ではと二人が消え、またもや静かな時間が戻ってくる。
 施餓鬼会はまだ続いていた。ぽつぽつと見える灯りは、一体何処へ行くのだろうかと、セレスティはぼんやり考えていた。
 「セレスティさま、そろそろ夕食の時間ですよ」
 「もうそんな時間ですか」
 呟いて見るも、流石に湯に当てられそうになっていることが解る。茹だってはいないが、もう少し入っていると湯当たりしそうだ。
 ではそろそろ……と、二人は名残惜しげに湯船を上がった。



 「もう、慣れっこだけど……」
 苦笑混じりにそう言うのは、シュラインである。
 可成り個性的な草間興信所の面々は、遊びが混じるとなかなか時間ぴったりに始めると言うことが出来ないでいる。仕事であれば、別なのだが。
 ここに揃っているのは、草間、零、シュライン、セレスティ、モーリスの五人であった。
 「大食らいが来る前に、とっととめぼしいもんは食い尽くすぞっ!」
 「武彦さん、みっともない真似、しないでよ」
 「まあまあシュラインさん、大丈夫ですよ」
 「日頃の食生活を考えると、草間さんの決意は、涙をそそりますねぇ」
 それぞれセレスティ、モーリスの言葉を聞き、シュラインはちょっとだけ恥ずかしくなった。
 確かに興信所は貧乏だ。『えへ、ちょっと今月ピンチかもーー』と言う状態ではなく、『また今月も赤字かよ……』と言う具合である。
 悪銭身に付かずとは言うものの、草間のそれは悪銭とは言い難いのに身に付かないのだ。貧乏神に憑かれていると言うのは、そこに通う者達全員の総意である。
 「皆さん、遅れているのですね」
 零がそう言う。
 ちょっとだけ淋しそうな顔をしているのは、やっぱりメンツが足りないからであろう。
 「そんな顔をしないで下さい。大丈夫ですよ。皆さん、すぐに来られますから」
 泣かれるのが苦手なモーリスが、そう言って零を宥めている。
 一応宴会の始まりの時間は告げてある。
 ちょっと遅れると言う連絡のあった飛鳥、そして夜店をやっている藍原和馬(あいはら かずま)──こちらも朱理経由で遅れるとの連絡済みだ──、モーリスの話によると、お化け屋敷でぶっ倒れていたシオン、更に何処にいるのか皆目見当の付かない守崎兄弟がまだであった。
 ちなみに先程草間の言った大食らいとは、筆頭が北斗、次が和馬のことだ。
 「失礼致しますぅ。あの、お揃いじゃないですけど、始めはりますか?」
 朱理がそっとシュラインに近付くと、そう聞いた。
 だが答えたのはシュラインではない。
 「始める始める。とっとと始める。料理や酒、どんどん出して来てくれ」
 良いのかと、視線でシュラインに聞くところを見ると、実権がどの辺りにあるかを把握している。まあ、そうでなくては、女将などやってられないと言うところだろう。
 シュラインもまた、仕方ないわねとばかりに苦笑して、お願いしますと答えていた。
 取り敢えず、乾杯などは皆が揃ってからと言うことで、先に来ていた面々は、それぞれ食事を楽しんでいる。
 シュラインが慌てて草間に胃薬を飲ませ、漸く飲酒の許可を出した。
 初めて三十分経つか経たないかで飛鳥が、そしてそれに遅れて十分程度で和馬と啓斗、北斗、一番遅かったシオンは、白装束に死人の化粧のまま飛び込んで、セレスティとモーリス以外の全員から殴られている。
 「じゃあ、みんなが揃ったところで、乾杯の……」
 「下手な能書きはいらねぇってば」
 「話が長い方は嫌われると言いますよ」
 機嫌良く乾杯の音頭を取ろうとした草間だが、その前の演説を始めようとすると、即座に北斗とモーリスから待ったが入る。
 しくしくと泣いてしまって後が続かない。
 「ほら、武彦さん、泣かないの」
 そうシュラインに慰められ、漸く顔を上げて一言。
 「何でも良い。乾杯っ!」
 声に続き、それぞれがグラスやお猪口を掲げて『乾杯』と叫ぶ。
 一気に進む宴会は、酒瓶やお銚子がこれでもかと開いていく。
 何故かワインを掲げているセレスティとモーリス、未成年なのに酒を飲もうとして啓斗とシュラインに殴られている北斗、陽気ではありつつも顔色一つ変えずに杯を空ける和馬、お化けメイクを未だ落としていないシオン、ほろ酔い加減の飛鳥、雰囲気に酔っている零に、すっかり出来上がっている草間だ。
 和室中央のテーブルに並べられているのは、食前酒の冷やし梅酒、滝川豆腐に生雲丹、冬瓜松前煮や石焼きステーキや牛しゃぶ、舟盛りなど、その他諸々。恐らく食の細い者ならば、一人前が食べきれるかどうかと思う程だ。
 「美味いよなぁ、これ。兄貴、家帰ったら作ってくれよ」
 「お前、何人分喰った?」
 「実はカードを持ってきているんですよ。如何ですか?」
 「勿論構いませんよ。……でも、場所が変わっても、結果は同じかと思いますけどねぇ」
 「ウサちゃん、帰る時、タッパに詰めてもらいましょうね」
 「ああ、私は書院で暮らしたいです。それがダメなら経楼で……」
 「美味い酒のお陰で、いくらでも食が進むな」
 「もう、武彦さんってば、寝るなら部屋で寝てちょうだい。風邪引くわよ」
 未だ花火が上がる中、そんな声が飛び交っている。
 防音設備がしっかりしている為、外の音はシャットアウトされていた。
 「何か、無音の花火って、淋しいな」
 「それでも、夜空に咲く花は、美しいと思いますよ」
 呟く啓斗に、穏やかに微笑んだセレスティが、そう告げた。
 「そうかな」
 「沈むな沈むな。宴会だからな。ぱあっと行けよ、な?」
 こっくり和馬に肯き、半分寝かけである草間の膳を狙っている弟に向けて、手裏剣を放つ。
 北斗は見事に避けたものの、袖で防いだ為に服が台無し。
 「啓斗! こんなとこで手裏剣なんか投げないで!」
 「痛ぇっ!」
 言葉尻で、しっかり北斗を殴っているところを見ると、ちゃんとシュラインは気付いていた様だ。
 「仲が良いですねぇ」
 「本当ですね。あ、セレスティさま……」
 満面の笑みを浮かべて、モーリスが言う。
 まさか、本当に場所が変わった所為だろうか。埒もないことを考えるセレスティだが、それでも負けたままでは終わらせない。
 「これは……。もう一回、勝負ですよ、モーリス」
 「ええ、結構ですよ」
 宴会しつつ、カードゲームをしている二人だ。
 まだまだ宴会は終わりを見せない。
 途中で抜ける者も幾人かいた。眠気に負けた者、まだ何か楽しみがある者、それはその者達の事情である。
 草間興信所の宴会が終わったのは、一体何時であったのか、誰も知らない。
 山上の夜は、緩やかな時間と共に、徐々に更けて行ったのである。



 「そろそろ終わりの時間ですね」
 「その様ですね」
 セレスティとモーリスの二人は、途中宴会を抜け出して、お目当ての百物語会場である本堂へとやって来ていた。
 百物語をするのなら、やはり最初よりも最後が良いだろう。
 もしかすると、本物が出るかもしれないし。
 実は墓地に行けば、満員御『霊』であるのだが、墓地よりも百物語の方が気になったのだ。やはり気になる方へと行くだろう、普通は。
 終焉を迎える午前二時前、二人はそっと本堂の引き戸を開けた。
 丁度蝋燭が、一つ消された時である。
 残る蝋燭は後一つ。
 「丁度良い時間でしたね」
 嬉しそうに笑うセレスティを見て、一体誰が、重責を背負っている総帥であると思うだろうか。興味のあることならば、彼は子供よりも純粋になる。
 話を聞くのは勿論のこと、彼は蝋燭が消えた最後に、一体何が起こるのか知りたかったのだ。
 最後に話すのは、どうやら女性の様だった。
 声を潜めつつ、けれどそこにいる者達にははっきりと聞こえる。
 『どうやら、アタリかもしれませんよ』
 モーリスが声を潜めて、セレスティに耳打ちをした。彼もまた同じことを考えていた為、そっと肯き返す。
 彼女が語るのは、昔ながらの悲恋話。
 男に騙され裏切られ、一人哀しく湖に沈んでいく女の話だ。
 「……今でも彼女は、深く暗い水底から、愛しい男が手を差し伸べてくれるのを、待っているのでしょうか」
 ふっ、と。
 蝋燭が消えた刹那。
 本堂の何処からか、ぶくぶくと言う泡立つ音が聞こえて来る。
 『来ましたね』
 そうセレスティは思う。
 「な、何?」
 「え? マジかよ」
 「ウソでしょ?」
 ざわざわと、まるで浸水していくかの様に、恐怖が一堂の心に染み込んでいくのが手に取る様に、二人には解った。
 その水音は、徐々に大きさを増し、そしてその場の湿度を上げ続けた。
 ぴしゃ……ん、と、音が聞こえたその時。
 本物の水が、その場に押し寄せて来た。
 「いやーーーっ!」
 「死んじまうじゃねぇかよっ」
 「こんなこと、聞いてないっ」
 悲鳴と怒号が巻き起こるも、水は未だ、眼前から消え去らない。
 ダムが決壊した時の様に溢れていく水は、けれど人を押し流すではなく、その周囲に踊ったままであった。
 呼吸は出来る。しかし吐く息は、水中にいるのと変わらず、泡となって消えていく。
 既に声は聞こえない。数十名いるかと思えるそこは、無音の水底と化している。
 不意に、先程まで語っていた女性が立ち上がった。
 まるで我が界であるかの様に、セレスティの元へと進み寄ると、一言。
 『ありがとう』
 そう呟いて、──消えた。
 同時に今まであった水もまた、夢であったかの様になくなっている。名残の水滴一つ落ちてはいなかった。
 「セレスティさま、手助けしましたね」
 「仕方ありません。私が手を貸す方が、場を納めることも容易いですからね」
 清々しい微笑みを浮かべた総帥様は、未だ恐怖さめやらない人々を一瞥すると、モーリスを促して本堂を後にした。
 後は部屋に戻り、ゆっくり朝寝まで楽しむのだ。
 後にこれが『多聞寺の怪』の一つとして数えられたとかられなかったとか。
 それはまた、別の話のことである。





Ende

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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0086 シュライン・エマ(しゅらいん・えま) 女性 26歳 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員

1883 セレスティ・カーニンガム(せれすてぃ・かーにんがむ) 男性 725歳 財閥総帥・占い師・水霊使い

3356 シオン・レ・ハイ(しおん・れ・はい) 男性 42歳 びんぼーにん(食住)+α

2318 モーリス・ラジアル(もーりす・らじある) 男性 527歳 ガードナー・医師・調和者

0554 守崎・啓斗(もりさき・けいと) 男性 17歳 高校生(忍)

2736 東雲・飛鳥(しののめ・あすか) 男性 232歳 古書肆「しののめ書店」店主

0568 守崎・北斗(もりさき・ほくと) 男性 17歳 高校生(忍)

1533 藍原・和馬(あいはら・かずま) 男性 920歳 フリーター(何でも屋)

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          ライター通信
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 こんにちわ、斎木涼でございます(^-^)。
 もうちょっと早くにお届けできるかと思っていましたが、遅くなってしまいまして、申し訳ありません。
 今回は、依頼ではなく、お楽しみシナリオ的なお話です。ですので、皆様から頂きましたプレイングは、殆ど盛り込ませて頂いているつもりです。短い部分とかもありますけれど、そちらの方はご容赦を。
 ちなみに隠しイベントとは、夜の阿難堂に行くと、多聞寺本当のご本尊である阿難尊者とおデート出来ると言うものでした。全然有難くない隠しイベントですが(^-^;)。
 ちらーっと、何方様かの本文中に、それらしい話が出ております。

 >セレスティ・カーニンガムさま

 何時もお世話になっております(^-^)。
 お風呂シーンとラストの百物語のシーン、ちょっと遊んでみました。
 日頃多忙な総帥さまのオフと言うことで、お茶目部分を押し出してみましたが、如何でしたでしょうか?


 セレスティさまに、このお話をお気に召して頂ければ幸いです。
 ではでは、またご縁が御座いましたら、宜しくお願い致します(^-^)。