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■納涼! 真夏だよ全員集合!■
蝉が五月蠅く鳴いている。
一応ここは、都会と言っても差し支えない場所ではあるのだが、昨今の蝉は田舎よりも都会にて猛威を奮っているらしい。取り敢えずその蝉は、根性でその存在を主張しているかの様に、けたたましくもかしましく鳴いているのであった。
「……暑い、暑すぎる」
茹で蛸一歩手前で机に突っ伏しているのは、ここ、草間興信所の所長である三十路男、柄パン姿の草間武彦だ。暑ければクーラーを付ければ良いのだが、何故か本日、草間クーラーちゃんはご機嫌斜めで、吹き出すのは熱風のみと言う、ちょっとどころか可成り哀しい状態である。頼みの出張サービスは、現在夏真っ盛りである為、修繕よりも取り付け作業を優先しているらしく、ご到着は三日後と言う話であった。
が、そんな状況であったとしても、パンツ一丁の格好でいるなど言語道断だ。客が来たらどうするのだろうか。
「お義兄さん、鬱陶しいからその顔止めて下さい。そして服くらい着て下さい」
にべもなくそう言うのは、草間の義妹、草間零である。
しかしあまりに情けないその様子に哀れを催したのか、彼女は草間の眼前へ、徐に一枚の封書を差し出した。
「お義兄さん。ほら、何だか涼しそうな手紙が届いてますよ」
「あーーー?」
だれだれの草間は、手を伸ばすのも億劫だと言った様で、零に開けて読んでくれと目で促した。良く出来た義妹は、大きく溜息を吐きつつも、義兄に従う。
「えーーと。……謹啓、炎熱地を焼くとはまさにこの事、貴社の皆様方にはお変わりございませんでしょうか。さて、来る八月十日、当寺院にて施餓鬼会を実……」
「解った。もう読まなくて良い」
零は、義兄が何故『読まなくて良い』と言ったのか解らず、きょとんとしている。
「このクソ暑いのに、オカルト依頼なんぞやってられるか。てか、うちはオカルト厳禁だって、何度言えば解るんだ」
目指すはハードボイルドの道。
パンツ一丁の姿で固茹で卵を目指そうなんざ、一億万年くらい早いだろうが、取り敢えずそのことはおいておく。
どうやら草間は、『施餓鬼会』と言う言葉に反応したらしい。どうせその『施餓鬼会』で起こるかもしれない怪異を何とかしてくれと、そんな依頼なのであろうと考えたのだ。
が。
「あのー、依頼ではないみたいなんですけど?」
この暑さの所為か、零のその言葉にも草間の脳味噌は爛れたままだ。
眉間に三本皺を寄せていると、零が続きを読むのではなく、口頭で説明を行った。
「何だか屋台や花火大会をやるみたいですよ。肝試しや百物語も。あ、露天風呂付きの旅館もあるそうです。月とお花畑を見ながらお風呂に入れるって、素敵ですよねぇ」
その風景を想像したのか、ふわわんとした視線を漂わせている辺り、零もそこそこ暑さが脳味噌に来ていたのかもしれない。
つまり、施餓鬼会とは言っているものの、早い話が夏祭りをすると言うことらしいのだ。
「……送り主は?」
「えーと、多聞寺と言うお寺さんみたいですね」
「知らんぞ。そんなとこ」
しかしこの草間興信所では、知らないところから何やら送られてくるのは余り珍しいことでもなかった。
理由は簡単。
その筋では有名な興信所であるからだ。その筋とは、言わずもながの話である。
とまれ。
「ここ、西多摩の山の上にあるみたいですね。あ、じゃあ、涼しいんじゃないですか?」
少なくとも、都会の真ん中よりは涼しかろう。
「あ、凄い……太っ腹ですよ、お義兄さん」
「何だ?」
「経費全てお寺さん持ちですって。勿論、往復の交通費も」
「よし、零、行きたいと言うヤツ、片っ端から声をかけろ。その後、今から『草間興信所慰安旅行』の買い物行って来い。領収書は絶対貰って来るんだぞ。準備が出来たら、速攻出発だ」
キャッシュな草間に溜息を吐きつつも、やはり零だって嬉しいのだ。唇に笑みを浮かべ、年代物の黒電話をフル稼働させた。
その際。
彼女の手にあった封書から、メモの様なものがはらりと落ちた。脳味噌がバカンスの地へと飛び去っていた草間は、後になってそれに気付くのだが。
『この前の件は助かった。これは中元だと思って取っといてくれ。……ま、招待先が、うちの実家であれだが。取り敢えず、また何かあったら宜しく 金浪 征』
恐らく、受け取ったのが一般ピープルなら『マヂデェーー?』と呟いていることだろう。
しかしこの連絡を聞いたのは、世界にその名を知られる財閥、リンスターの(見かけは)若き当主であった為、そんな品のないお言葉を発することはない。
「集合時間が、八時前………ですか?」
その青い瞳には、湖面にざわめく様な細波が走っている。銀糸が滑り落ちることにも気付かず、リンスター財閥総帥セレスティ・カーニンガムは何やら思案している様だ。
さもあらん。
朝の八時前に集合など、セレスティに取っては考えられないことである。
仕事であったとしても、そんな時間にアポは入れない。遊びならばなおのことだ。
「セレスティさま。時間をずらして行くことにしませんか?」
彼の庭師であるモーリス・ラジアルは、己の緑の瞳に笑いを乗せ、そう提案する。
勿論彼は、セレスティの忠実な従者であり、彼の意に添わぬ様な真似をすること等あり得ない。何よりの優先事はセレスティの上に存在し、それ以外は二の次なのだ。
彼の主にとって無理のない様、そう思って提案した。
しかし主は、何だか思うことあり……と言った様に、モーリスの顔を見つめている。
だが、それも暫しのこと。
「……そうですねぇ。その方が、良いかもしれませんねぇ」
仕方ない、そんな風に呟いた。
セレスティが朝に弱いと言うことは、太陽が東から昇ると言うことよりも確実で、そして変えようがないことだ。
草間興信所へ八時前に到着すると言うことは、起きる時間は一体何時なのだろう。
少なくとも、八時ではあり得ない。しかもそんな時間に起きたなら、間違いなく寝ぼけ眼以前の話だ。
例え現地に到着しても、暫く脳味噌は使い物にならないだろう。
そんな予感がする。
「草間さんには、私から連絡を入れておきます。あちらはバスをチャーターして行くそうですよ。何でもカラオケの付きのバスだそうです」
そう言えば、セレスティにもモーリスにも関係のないことだが、『料金タダ』だと書いてあった。交通費もあちらさん持ちであるらしい。元はフツーのマイクロバスが、何時の間にやらデラックスゴーカなそれに化けてしまったと言うことだ。
「草間さんらしいですねぇ」
くすくすと笑う主は、もしかするとマイク片手に握り拳で熱唱する草間武彦三十才の姿が浮かんでいるのかもしれなかった。
「セレスティさま、到着致しましたよ」
そう言ってモーリスは、セレスティの方へと振り返る。二人が乗ってきたのは、何時もよりはやや小さめの高級リムジンであった。
「ご苦労様でした」
運転席から降り立ち、セレスティが着いている側のドアを開けて、主が降りるのを手伝った。
目の前にあるのは、五階建ての和風旅館だ。二階建てなら旅籠と呼んでも違和感のない様な建物だが、流石に五階建てとなるとそうも思えない。なかなかに微妙な風情の外観であった。
「まあま、いらっしゃいませ。ようこそ、多聞寺、並びに芙蓉荘へ。皆さんお着きですよ」
地に降り立ったセレスティと、それを支えるモーリスの前で頭を下げているのは、襷掛けをした和装の女性である。どうやら彼女がここ、芙蓉荘の女将であるらしいと言うことは雰囲気で知れた。
「セレスティ・カーニンガムと申します。二日間、お世話をお掛け致します」
「モーリス・ラジアルです」
にっこり微笑むセレスティとモーリスに、ほうとばかり溜息を吐いた。
「もう、征は…、こうして男前ばっかり知り合うんやったら、こっちに帰ってこんでもええわ……」
何処か間違っている様な感想だが、それを聞いて穏やかに微笑んでいるのは、やはりこの二人だからであろう。
それに気が付いたのか、こほんと咳払いと共に彼女は言った。
「あら、失礼致しました。あたしは征の姉で、金浪朱理(きんなみ あかり)と申します。ここ芙蓉荘の女将を任せてもらってます。二日間、ごゆっくりお楽しみ下さいねぇ」
彼女は正面玄関から出てきた従業員に、荷物を運ぶ様に指示を出す。
リムジンの中から運び出されるそれらは、『一体これだけの荷物を何処に入れていたんだ?』と首を傾げてしまう程に多かった。殆どネタだろうと言う感じで店舗に飾られている、ヴィトンのトランクサイズの大型ケースがぞろぞろざくざく運び出されている。
「荷物持ちなんですねえ」
感心してそう呟く朱理に、セレスティがにっこり笑って口を開いた。
「いえ、それほどでも……」
「セレスティさま、普通は一泊二日の旅行で、これほど荷物が多くなる人はいないかと思いますよ」
そう口にするモーリスにしても、何時ものことなので大して気にはしていない。
「それにしても、草間さんの奥さんはしっかりした人やわ」
「奥さん……?」
誰のことを言っているのか、二人とも直ぐ解ったが、やはり表情は怪訝なものになってしまう。
奥さん=シュライン・エマだ。
彼女がしっかりしていることは、草間興信所に関わる人間なら誰でも知っている。けれど朱理は初対面である筈で、ならば何を持って判断したのだろうと思ったのだ。見た目がしっかりしてそうに見えると言う訳ではあるまい。
「ええ、シュラインさん。草間さんとは名字違いますけど、今風の夫婦別姓とか言うヤツでしょ? まあ、それはさておき。いえね、きっとお二方はお荷物が多いやろし、部屋は大きめの方が宜しいやろから、そう言う部屋を一部屋開けといて欲しいて、言うてはりましてんわ」
成程納得。二人して顔を見合わせ、頷いた。勿論そこには『誤解はあるが、面白いから黙っておこう』と言う意味も含まれている。
「シュラインさんあっての草間興信所と言われていますからねぇ」
人好きのする笑みを浮かべているモーリスに、セレスティもそうですねぇとばかりに頷いている。
「ところで朱理さん、こちらは和室のみの旅館なのでしょうか」
セレスティからその問いが出たのは、ある意味当然なのかもしれない。彼の主は、和室より洋室、布団よりベッドを好むのだ。
「ああ、そんなことないですよ。一応、それぞれのお部屋は、洋間と和室のワンセットで、洋間にベッドを二つお入れしてます。お布団の方が宜しいと言わはる方には、和室の方に引かしてもろてますけどねぇ」
寺が持つ旅館だから和室のみ、と言う訳ではないらしい。
セレスティが安堵の色を見せた。
「ほな、ご案内させてもらいますね」
その声と共に、二人は芙蓉荘へと足を踏み入れたのだった。
ロビーは、何か催し物が開催されているかの様な盛況さであった。
かしましくはないものの、女将の朱理が、その鈴なりになっている女性達に無言の圧力を掛けていなければ、即座に大切なお客様が遭難しそうな雰囲気である。
ちなみにその『大切なお客様』が、所謂密やかなイベントの中心だ。
「セレスティさま、どうなされますか?」
『まずはどちらへ?』と、モーリスはそう声をかける。
ふられたセレスティは、そうですねぇとばかり顎に指を添えて思案している様だった。
彼ら二人の手には、施餓鬼会のタイムテーブルが書かれたものがある。
何だか『あるだけやってみました』的なラインナップだ。
地図と共に、そこで催されているイベントが書かれ、更に地図の横に、時系列でイベントが列挙されている。
一点で、セレスティの視線が止まった。
「禅体験……ですか」
瞳の青が、興味に揺れる。
優雅にティーカップを手にすると、そのまま薫り高い紅茶を一口飲んだ。
それだけで、和風旅館のロビーが、ドイツかオーストリアにそそり立つ、古城のサロンへと変わった様である。
「成程。やはりそこに興味が行きましたか」
「と言うと、モーリスも?」
「はい。一度、体験したいと思っておりましたので」
正に阿吽の呼吸……なのかもしれない。
ではと二人して立ち上がると、やはりその動作に、周囲の女性達──時折男性もいたのが何だか怖いが──は、視線どころか身体の動きまで一緒に、二人の後を追っている。
それらに軽く微笑むと、魅了の能力を使ってもいないのに、のぼせ上がる者達が続出した。
その隙をつく様に、彼ら二人は芙蓉荘を抜け出ると、総門を潜り、夜店の準備をしている者達の間を通り禅堂を目指す。
「ところで、まさかセレスティさまも、禅体験を?」
そんなことはないことくらい承知であるモーリスだが、敢えてそう聞いてみる。
「見学が目的ですよ。勿論」
嫣然とした笑みは、モーリスでなければころっと倒れ伏していただろう程に魅惑的だ。
セレスティの歩みに合わせつつ、禅堂に着いた二人は、そっと中を覗いた。
真面目に座禅を組んでいる面々が、そこにはいる。現在は取り敢えず、十名ほどだろうか。三名の坊主が、警策を手に座禅をしている人々の背後をゆっくりと歩んでいた。
「禅体験ご希望の方ですか?」
にへらと笑う男が、禅堂から顔を出す。
「はい。私の方は。私の主は見学を希望ですが」
「構いませんでしょうか?」
ぼややんとした男は、長目の黒髪を背中に流し、金色の瞳を和ませて二人を見ている。
何かに気付いたと言った風に、セレスティが口を開いた。
「もしかして、征さんのお身内の方でしょうか?」
「はい。あ、では草間さんの?」
成程、確かに彼の瞳は金色だ。
「セレスティ・カーニンガムと申します」
「モーリス・ラジアルです」
「金浪餞(きんなみ せん)と申します。あの……、つかぬことをお伺い致しますが」
愛想の良い顔が、一転して眉間に皺を寄せ、何やら深刻な表情を張り付かせている。
「はい?」
「……お二方、うちの姉にセクハラされませんでしたか?」
真面目腐って言うから、一体何事だろうかと思ってみたが、あまりにもあまりな言葉である。
「姉はいい年をして面食いなんです。小さい頃から、『歩くセクハラ女』と呼ばれて、僕たち兄弟が、どれほど白い目で見られたことか……」
よよと泣き崩れる『真似』をしていることから、本当に白い目で見られていたのかどうかが怪しい。
取り敢えず二人は、そんな餞の話をスルーして禅体験について先を促した。
「ところで禅体験と言うのには、時間などは決まっているのでしょうか?」
乗ってくれないとばかり、のの字を書き始めそうな勢いだが、何やら脳裏に過ぎったらしく、餞は真面目に応対を始めた。
「基本的には、二時間コースとなっております。他にも三十分コースと一時間コースと三時間コースがございます。また、禅体験を終了なさった方々には、こちらで水菓子を用意させていただいておりますので、是非是非是非っ! お召し上がり下さいませっ!!」
何やら最後に力が入っていたが、気にしない方向で。
「水菓子ですか? それは禅体験した方のみなのでしょうか……」
何処かしゅんとした風を装うのは、セレスティである。モーリスは、また始まったとばかり、溜息を吐く。
「いえっ! もしも宜しければ、水菓子を召し上がりつつ、ご見学を……っ!」
そう言って指し示すのは、何時の間にか背後へとやって来た小坊主の捧げ持った盆の上だ。
そこには朱塗りの皿の上に、サンプル品と思しき水菓子が乗っかっていた。ご丁寧にその前には、どうやら水菓子の名であろうと思える短冊がある。
『緑宝珠』と書かれているのは、マスカットの周囲が砂糖漬けゼリーに覆われている。『満月』とは、白桃のゼリーだ。更に柿の果肉を乳白色のゼリーで包んだ『柿時雨』、口に入れるとほろほろと崩れる抹茶ケーキで羊羹を包んだ『そぼろ羊羹』、『月見羊羹』と言う名のついている菓子は、羊羹の中の栗を月に見立てている。柚子の千切りを蜂蜜漬けにした『常世の蜜』に、芙蓉の花を形取った葛を黒蜜で食す『葛芙蓉』。
「どれもこれも、綺麗ですねぇ……」
甘い物には目がないセレスティだ。うっとりとそれらを見つめると、溜息を吐いた。
どれを食そうかと、思案しだしたセレスティを尻目に、人好きのする笑みを浮かべたモーリスは、餞に向かって禅体験の開始を申し出る。
「取り敢えず、私は一時間コースと言うことで、お願い致します」
勧められた水菓子は、こっそり檻に入れて主へのお土産にしよう。モーリスの手にある限り、味が落ちることはないし。
そう考えて、セレスティが食べていなかったと思しきそれら選択した。よそ事を考えていながらも警策を食らわなかったのは、坊主がおマヌケさんだったのか、それともモーリスが心を隠すのが上手かったのか。恐らく後者であろう。
「それでですね」
粗方水菓子攻撃が良い頃合いを迎えた時、モーリスはそう切り出した。
彼には目的があったのだ。
屋敷の者から主の荷物持ちかと勘ぐられつつ『避暑ですよ、避暑』と、切り返してはいたものの、それだけではなかった。
「征さんて、小さい頃はどんな子供だったんです?」
にっこりと人を安心させる笑みを浮かべると、餞は水菓子を持ったままの手を止めて、はて? とばかりに小首を傾げた。
「うーーん。そうですねぇ……。普通……だったと思うのですが」
「普通、ですか……?」
何だ、つまらない。そう思った。
「はい。墓地で無縁さんとかくれんぼをして、そのまま帰ってこなくて家族総出で捜索したり、阿難さまのところで昼寝のつもりが夜中まで寝ていて、そのまま襲われそうになって池に落ちたり……そうですねぇ、他には……」
明後日の方向に視線をやりつつ餞は昔日の想い出を語り出す。
だが。
「あの……」
「はい?」
にっこりと、茫洋とも言える笑みを浮かべて『何です?』とばかりにそう言った。
「それって普通のことなんですか?」
「あら? 違います?」
本気で普通だと思っているらしい。
ボケている住職の背後を、きりきり働いている坊主、小坊主達が行き来している。
「いえ、結構です。ではそろそろ、失礼します。水菓子、ありがとうございました」
ちなみに、それ以上聞くことも遠慮した。何となく、モーリスの聞きたいことは聞けない気がしたからだ。
背を向けて去ろうと言うモーリスに、餞が思い出した様に声をかける。
「兄に聞けば、他にも話してくれるかと思いますよ。今の時間はばたばたしていて、時間は取れないかと思いますが、もう少し後なら大丈夫だと思います」
優しい笑みを浮かべつつ、モーリスは礼を言い、今度こそ禅堂を後にする。
芙蓉の花ばかりがあると言う花畑へと、向かうつもりなのだ。
庭師をしているからと言う訳でもないが、モーリスは花が好きだった。
だから芙蓉ばかりのそれにも、大層興味がある。近い所為か、禅堂にまでその香りがしていた為、ことさらその気持ちは大きくなった。芙蓉畑へ降りる扉は、禅堂と書院の間にある。書院に行けば、セレスティがいるだろうが、今暫く別行動を取ることになっている為、そちらへは行かない。
モーリスは手に掛けた扉を押し開き、目に入る景色を見て呆然と呟いた。
「何だか、ここまで芙蓉の花ばかりだと、いっそ壮観ですねぇ」
扉の左手には春日灯籠、更に前には飛び石が芙蓉荘からの出入り口にまで配置され、その横には屋根のついた露天風呂がある。ここからはしっかりとは見えないが、芙蓉畑の向こう、露天風呂の右には雪見灯籠があるのだ。丁度春日灯籠のはす向かいになる。
情緒のある場所ではあるが、何よりも圧倒されるのは、やはりその名を冠した芙蓉の花であろう。
白いもの、赤いもの、ピンク色したもの、そしてところどころに白からピンクへと色が変わりつつあるものもあった。
色が変わりつつあるのは、言わずもながの酔芙蓉だ。
野生かと思える程、ここにある芙蓉は元気良く咲いている。背の高いものが多く、モーリスでも僅かに顔を上げなければ、一番上が見えないくらいだ。
大輪の花が見事に咲き乱れ、鈴なりと言っても良い程である。
普通の芙蓉は朝に開き、闇に落ちる花だが、昼咲きや夜咲きのものもある為、一日中この花畑は美しい。
「美しい人を芙蓉の花に例えることがありますけれど、実際にこうして咲き誇る様を見てしまうと、そんな言葉はおいそれとは使えませんね」
モーリスの顔には、何時になく優しい笑みが浮かんでいた。
ふらりと立ち寄った本堂では、坊主や小坊主がぱたぱたと行き来している。本堂の拝覧時間が終わったらしく、次の準備は百物語とばかりにご本尊のある部屋の扉が閉ざされ、別の部屋の扉が開いていた。
「確かもっと遅い時間ですよね。始まるのは」
百物語の開始時間は八時を回ってからだ。まだまだ時間はあるのだが、それでもここの指揮を執っている人物が几帳面なのか、準備は始まっていた。
掃除と演出の為の飾り付け、そんなところだろう。
「お客様、本堂の拝覧は終了しておりますけれど?」
申し訳ないと言った雰囲気はない。ただ慇懃でありつつ無礼ではないと言った雰囲気で、長身の男が言った。
黒髪をオールバックにし、縁なしの眼鏡に濃色のスーツで隙なくモーリスを見ている。笑みは浮かべているが、やはりそれはモーリスがここの客人と知っているからこそのものだろうと察せられた。普通の人間なら、彼に睨まれたら何も言わずに『ごめんなさい』と言いたくなるだろう雰囲気だ。頭に『や』の着く自由業の人達も、恐らく回れ右したくなるに違いない。
「その様ですね。皆さんは、今晩の百物語の準備をされているんですか?」
「ええ。その通りです」
どうやらここを取り仕切っている男性らしく、こうして話している間でも、細かい指示を短く出している。
「貴方は……」
「申し遅れました。私は金浪関(きんなみ せき)と申します」
『やはり』と、モーリスは思う。
「征さんのお兄さんですね。私はモーリス・ラジアルと申します」
「弟がお世話になっております。あれはご迷惑など、おかけしておりませんか?」
「いえ、その様なことはありませんよ」
人畜無害な微笑みを浮かべ、モーリスは早速聞き込みに入った。
「けれどその様なご心配をなさると言うことは、小さい頃の征さんは、やんちゃな方だったのですか? ご家族は、何時までも小さい時のことを思い出すと言いますし」
片眉を上げた関が、はあと大きく溜息を吐いた。
「やんちゃと言うか、征は昔からふらふらと好き勝手ばかりで、落ち着きのないヤツでしたからねぇ」
落ちてもいない眼鏡をズリ上げ、眉間をぐりぐりと揉み解している関を見て、モーリスがクスリと笑う。
「今など、帰って来いと言う私の言葉にも耳を貸さず、ふらふらとしておりますからね。まあ、帰って来たら来たで、姉にこき使われるからでしょうけどね」
「そうなんですか?」
朱理の弁だと、関が五月蠅く言うから帰ってこないと言うことだったが。
だが、この兄弟の仲が悪いと言う印象は受けない。もっとも、仲が悪ければ自分の実家に招待するなどと言うことはしないだろう。
「うちは姉が一番強いですからね。姪にあの気質が受け継がれていないかどうか、それが一番の気がかりですねぇ」
「姪御さんですか?」
「ええ、ほのかと言います。姉と違って、大人しく可愛い子ですよ」
その子のことを語る時、関の瞳が優しく和んだ。恐らく気に入っているのだろう。
と、すると。
「大切に思っている様ですねぇ」
「ええ、うちでは、みんなほのかに弱いんですよ」
「征さんも?」
「餞と征は、目の中に入れても痛くないって程に可愛がってますよ。嫁に行くとか言い出す頃になったらどうなることやら……」
そう言う関だって、恐らくどんな男を連れてきても、頑固親父そのもので一喝反対するだろうことは、想像に難くない。
「そんなものでしょうね、きっと。しかし、そんなに可愛がっている姪御さんがいらっしゃるのに、帰って来ないんですねぇ……」
「ま、親が三年も帰ってこないんですから、いくらこっちが帰ってこいと言っても、帰ってくる筈もないでしょう」
「……え?」
思わず、聞いてはいけないことだったのだろうかと思ってしまう。普通は、余程のことがない限り、親が三年も帰ってこないと言う事態はないだろう。だがそれは杞憂であった様だ。
「ああ、別に行方不明と言う訳ではありませんよ。旅行です、旅行」
それにしても三年は長いだろう。そうは思うが、家庭の事情だ。モーリスが立ち入ることでもない。
そろそろ潮時だろうと、そう考える。
ちょうど関も、広場辺りから走ってきたらしい坊主から呼ばれている。
「話の途中で申し訳ないですが、失礼致します」
そう言って立ち去る関を眺めつつ、小さくモーリスは笑う。
聞きたかった様な『面白そうな想い出』ではなかったものの、別の意味で『面白そうな想い出』が見つかったのだ。
「取り敢えず、収穫はゼロではなかったようですね」
セレスティが施餓鬼会を楽しんでいる頃。
モーリスはお化け屋敷へと来ていた。
「お寺ですからね、本物が紛れていたりして」
楽しげに笑うモーリスは、口上を垂れている入り口で入場料を払うと、客の一人として中に入って行った。
入った時は、確かに客である。
けれどそれだけで済まないのが、モーリスたる所以であろう。
何処にでもある様な内部は、流石に一昔前とは違ってちゃちなものではなかったが、それでもいくつもの修羅場を乗り越えているモーリスに取っては、物の足しにはならなかった。
勿論、そんなことは先刻承知の彼である。
では何故、お化け屋敷に入ったのか。
答えは単純。
脅かし役の人達を、逆に脅かしてやろうと思ったのである。
「だって、その方が楽しいですし」
素直に脅かし役になってもつまらない。どうせなら裏をかきたいと思ったのだ。
自分の檻の能力を、少々変質させて鬼火にし、隠れている従業員の肝を冷やす。
更にはあるべきものをあるべき状態へと戻してやる、ハルモニアマイスターの能力を使い、その場にある筈の備品を元の状態へと変えてやる。尤も、そうやって弄った後は、後の客に迷惑が掛からない様、気が済んだ時点で戻しておくのだが。
そうして一人愉快に中を歩いていると、いきなり絹を引き裂くオトメの悲鳴の後、続いてパンツを引き裂く中年男の悲鳴が響き渡った。
ここで何故、中年男と解ったなどと、モーリスに聞いてはいけない。
彼がそう察したから、それは中年男の悲鳴なのだ。それは確かに正解していたのだが。
「……面白そうですね」
そっと足音を忍ばせて、けれど出来るだけ迅速に歩いて未だ続いている絶叫の元へと、モーリスは到着した。こっそり備品に隠れてみると、そこには白目を剥きつつあるシオン・レ・ハイがいた。
「おやまあ、シオンさんはお化け役なんですねぇ」
そう呟いて数瞬後。
意地悪く笑うモーリスがいた。
漸く立ち直ったかに見えるシオンの背後に回り込み、気付かれない様、自分が檻に入って姿を消し、そっと肩を叩いた。
「だ、誰でしょう……」
恐る恐ると言った調子で、シオンが振り返る。
鬼火に似た光を周囲に飛ばし、更に裏技まで使い、モーリスは自分の姿をその鬼火を纏った人の姿へと変えていた。そのままシオンの肩を叩き続けて──。
「ひぃぃぃっっっ!!」
もう打ち止めだと思っていた悲鳴が、再度上がる。
『相変わらず、驚かせ甲斐のある人です』
その声に気を良くしたモーリスは、にんまり笑った。
「も、……もう、ダメです……」
シオンの意識は、再度遠い世界へ旅立って行った様だ。
それを確認した後、何時も通りの姿に戻ったモーリスが現れた。
「おや、驚かせすぎだったのでしょうかねぇ」
微笑みつつ、『さて、次は誰にしましょうか』と呟いて、モーリスはその場を去っていってしまった。
「セレスティさま、それはちょっと如何なものかと……」
最上階の風呂にての会話である。
お化け屋敷で脅かし役を堪能したモーリスと、施餓鬼会で幽玄の世界を楽しんできたセレスティは、宴会の前に風呂に入ろうと部屋を出た。
『様子を見てきてもらえますか』とのセレスティの言葉に、恭しく従ったモーリスは、後から入ってきた主を見て、少しばかり言葉を詰まらせた。
男性であれば、通常は腰にタオルであろう。けれどセレスティは、女性のする様に、胸からタオルを巻き込んでおり、なおかつ長い髪をアップにしている為、白い湯気も相まって、まるで女性に見えたのだ。
「……? 何かおかしな事でも?」
真面目に言っているのだろうか、それともからかっているのだろうか。
元の性格が、人をからかって遊ぶのが好きなセレスティのことだ。何処まで本気でやっているのか、今一つ判断がつかない。
今の顔だって、きょとんとしたものである。
「……いえ、結構です」
もう何も言えない。
モーリスは諦めて、セレスティのかけ湯を手伝った。
「気持ち良いですねぇ」
幸いなことに、現在風呂に入っているのは、セレスティとモーリスの二人のみだ。
時間的に食事か、もしくは夜店でぶらついている者達が多いのだろう。
かけ湯も済み、湯船につかろうかと言う段になってセレスティがぽつりと言った。
「あんまり熱くないお湯が良いですねぇ」
元々が人魚の性である。水は眷属ではあるも、やはり熱さには弱いのだ。
勿論その温度を確かめるのも、モーリスの役目である。タオル一つでうろうろするなど、余り人に見せたくはないかもしれない。優雅に欠けると、心の中で溜息を吐いた。
全部で湯船は五つある。それぞれに手を入れ、温度を測っているのだ。
「セレスティさま、こちらのお風呂が一番低い様ですよ」
「そうですか」
湯船は大きな窓に沿って設置されている為、外の景色が一望出来る。
山から見える街の灯り、更に手前にあるのは、夜店の提灯の明かりだ。
少し右へと視線をやると、未だ続く施餓鬼会での送り船に灯されている小さな炎。
もう少しすれば、ここから花火も見れるだろう。
こう言ったオープンな視界は、都会では到底作ることは出来ない。偏光ミラーでも使っていれば別であろうが、そうでもない限り、余り遠くないビルの窓からこちら側が見えてしまう。
のんびりと湯船につかりつつ、絶景とも言える窓の外を眺めていると、不意に風呂の扉が開いた。
が。
「しっ、失礼しましたっ!! 男湯と間違えましたっ!!」
扉を閉める音が、思いっ切り風呂の中で響き渡る。
「おやまあ、慌て者ですねぇ」
セレスティがくすりと笑う。
ここに来て、モーリスは漸く確信した。
「……セレスティさま、解っててそんな格好をしてたんですね」
「何のことですか?」
思いっ切り腹に一物な笑みだった。
確かに、背後から見ると、細い項や後れ毛、湯気も相まってセレスティの後ろ姿は女性に見えないこともない。これが視界のはっきりしているところであれば、こう言った事態は起こりえないのだろうが。
暫しゆっくりと湯を楽しみ、更に一日の疲れを洗い落として、再度温い湯に入る。
「お客様、こちら側から失礼致します」
そう言って扉の向こう側から、聞き覚えのある声がする。この声は女将の朱理だ。
ちなみにもう一人、気配がする。
何でしょうと、二人して顔を合わせると、続いて声がかかった。
「あのう、申し訳ありませんけれど、こちらは男性の方のお湯なんですよ」
思わずぷっと吹き出すも、モーリスは肩を竦めつつ、やはり扉越しで応対する。
「他のお客さまに誤解させてしまって、申し訳ありません」
その声を聞いた途端、朱理のテンションが上がった様だ。
「いやぁ、やっぱり、モーリスさんとセレスティさんやってんやねぇ。確認の為入った方が良いんかと思ったんやけど、入らんで正解……って、まあ、個人的には入りたかったけどねぇ」
「姉さん、お客様にセクハラしないで下さいっ」
こめかみに青筋立ててそうな声だ。
「そちらは関さんですね」
「はい。お騒がせして、申し訳ありません。どうぞごゆっくり」
「いえ、こちらこそ、紛らわしいことで……」
そう言うセレスティは、とても楽しそうに見えた。
ではと二人が消え、またもや静かな時間が戻ってくる。
ぽつりぽつりと会話をしつつ、のんびり湯につかってはいたのだが、モーリスはふと気付いた。
「セレスティさま、そろそろ夕食の時間ですよ」
「もうそんな時間ですか」
呟いて見るも、流石に湯に当てられそうになっていることが解る。茹だってはいないが、もう少し入っていると湯当たりしそうだ。
ではそろそろ……と、二人は名残惜しげに湯船を上がった。
「もう、慣れっこだけど……」
苦笑混じりにそう言うのは、シュラインである。
可成り個性的な草間興信所の面々は、遊びが混じるとなかなか時間ぴったりに始めると言うことが出来ないでいる。仕事であれば、別なのだが。
ここに揃っているのは、草間、零、シュライン、セレスティ、モーリスの五人であった。
「大食らいが来る前に、とっととめぼしいもんは食い尽くすぞっ!」
「武彦さん、みっともない真似、しないでよ」
「まあまあシュラインさん、大丈夫ですよ」
「日頃の食生活を考えると、草間さんの決意は、涙をそそりますねぇ」
それぞれセレスティ、モーリスの言葉を聞き、シュラインはちょっとだけ恥ずかしくなった。
確かに興信所は貧乏だ。『えへ、ちょっと今月ピンチかもーー』と言う状態ではなく、『また今月も赤字かよ……』と言う具合である。
悪銭身に付かずとは言うものの、草間のそれは悪銭とは言い難いのに身に付かないのだ。貧乏神に憑かれていると言うのは、そこに通う者達全員の総意である。
「皆さん、遅れているのですね」
零がそう言う。
ちょっとだけ淋しそうな顔をしているのは、やっぱりメンツが足りないからであろう。
「そんな顔をしないで下さい。大丈夫ですよ。皆さん、すぐに来られますから」
泣かれるのが苦手なモーリスが、そう言って零を宥めている。
一応宴会の始まりの時間は告げてある。
ちょっと遅れると言う連絡のあった東雲飛鳥(しののめ あすか)、そして夜店をやっている和馬(あいはら かずま)──こちらも朱理経由で遅れるとの連絡済みだ──、お化け屋敷でぶっ倒れていたシオン、更に何処にいるのか皆目見当の付かない守崎啓斗(もりさき けいと)と守崎北斗(もりさき ほくと)がまだであった。
ちなみに先程草間の言った大食らいとは、筆頭が北斗、次が和馬のことだ。
「失礼致しますぅ。あの、お揃いじゃないですけど、始めはりますか?」
朱理がそっとシュラインに近付くと、そう聞いた。
だが答えたのはシュラインではない。
「始める始める。とっとと始める。料理や酒、どんどん出して来てくれ」
良いのかと、視線でシュラインに聞くところを見ると、実権がどの辺りにあるかを把握している。まあ、そうでなくては、女将などやってられないと言うところだろう。
シュラインもまた、仕方ないわねとばかりに苦笑して、お願いしますと答えていた。
取り敢えず、乾杯などは皆が揃ってからと言うことで、先に来ていた面々は、それぞれ食事を楽しんでいる。
シュラインが慌てて草間に胃薬を飲ませ、漸く飲酒の許可を出した。
初めて三十分経つか経たないかで飛鳥が、そしてそれに遅れて十分程度で和馬と啓斗、北斗、一番遅かったシオンは、白装束に死人の化粧のまま飛び込んで、セレスティとモーリス以外の全員から殴られている。
「じゃあ、みんなが揃ったところで、乾杯の……」
「下手な能書きはいらねぇってば」
「話が長い方は嫌われると言いますよ」
機嫌良く乾杯の音頭を取ろうとした草間だが、その前の演説を始めようとすると、即座に北斗とモーリスから待ったが入る。
しくしくと泣いてしまって後が続かない。
「ほら、武彦さん、泣かないの」
そうシュラインに慰められ、漸く顔を上げて一言。
「何でも良い。乾杯っ!」
声に続き、それぞれがグラスやお猪口を掲げて『乾杯』と叫ぶ。
一気に進む宴会は、酒瓶やお銚子がこれでもかと開いていく。
何故かワインを掲げているセレスティとモーリス、未成年なのに酒を飲もうとして啓斗とシュラインに殴られている北斗、陽気ではありつつも顔色一つ変えずに杯を空ける和馬、お化けメイクを未だ落としていないシオン、ほろ酔い加減の飛鳥、雰囲気に酔っている零に、すっかり出来上がっている草間だ。
和室中央のテーブルに並べられているのは、食前酒の冷やし梅酒、滝川豆腐に生雲丹、冬瓜松前煮や石焼きステーキや牛しゃぶ、舟盛りなど、その他諸々。恐らく食の細い者ならば、一人前が食べきれるかどうかと思う程だ。
「美味いよなぁ、これ。兄貴、家帰ったら作ってくれよ」
「お前、何人分喰った?」
「実はカードを持ってきているんですよ。如何ですか?」
「勿論構いませんよ。……でも、場所が変わっても、結果は同じかと思いますけどねぇ」
「ウサちゃん、帰る時、タッパに詰めてもらいましょうね」
「ああ、私は書院で暮らしたいです。それがダメなら経楼で……」
「美味い酒のお陰で、いくらでも食が進むな」
「もう、武彦さんってば、寝るなら部屋で寝てちょうだい。風邪引くわよ」
未だ花火が上がる中、そんな声が飛び交っている。
防音設備がしっかりしている為、外の音はシャットアウトされていた。
「何か、無音の花火って、淋しいな」
「それでも、夜空に咲く花は、美しいと思いますよ」
呟く啓斗に、穏やかに微笑んだセレスティが、そう告げた。
「そうかな」
「沈むな沈むな。宴会だからな。ぱあっと行けよ、な?」
こっくり和馬に肯き、半分寝かけである草間の膳を狙っている弟に向けて、手裏剣を放つ。
北斗は見事に避けたものの、袖で防いだ為に服が台無し。
「啓斗! こんなとこで手裏剣なんか投げないで!」
「痛ぇっ!」
言葉尻で、しっかり北斗を殴っているところを見ると、ちゃんとシュラインは気付いていた様だ。
「仲が良いですねぇ」
「本当ですね。あ、セレスティさま……」
満面の笑みを浮かべて、モーリスが言う。
「これは……。もう一回、勝負ですよ、モーリス」
「ええ、結構ですよ」
宴会しつつ、カードゲームをしている二人だ。
まだまだ宴会は終わりを見せない。
途中で抜ける者も幾人かいた。眠気に負けた者、まだ何か楽しみがある者、それはその者達の事情である。
草間興信所の宴会が終わったのは、一体何時であったのか、誰も知らない。
山上の夜は、緩やかな時間と共に、徐々に更けて行ったのである。
「そろそろ終わりの時間ですね」
「その様ですね」
セレスティとモーリスの二人は、途中宴会を抜け出して、お目当ての百物語会場である本堂へとやって来ていた。
百物語をするのなら、やはり最初よりも最後が良いだろう。
もしかすると、本物が出るかもしれないし。
実は墓地に行けば、満員御『霊』であるのだが、墓地よりも百物語の方が気になったのだ。やはり気になる方へと行くだろう、普通は。
終焉を迎える午前二時前、二人はそっと本堂の引き戸を開けた。
丁度蝋燭が、一つ消された時である。
残る蝋燭は後一つ。
「丁度良い時間でしたね」
嬉しそうに笑うセレスティを見て、一体誰が、重責を背負っている総帥であると思うだろうか。興味のあることならば、彼は子供よりも純粋になる。
話を聞くのは勿論のこと、彼は蝋燭が消えた最後に、一体何が起こるのか知りたかったのだ。
最後に話すのは、どうやら女性の様だった。
声を潜めつつ、けれどそこにいる者達にははっきりと聞こえる。
『どうやら、アタリかもしれませんよ』
モーリスが声を潜めて、セレスティに耳打ちをした。彼もまた同じことを考えていたらしく、そっと肯き返している。
彼女が語るのは、昔ながらの悲恋話。
男に騙され裏切られ、一人哀しく湖に沈んでいく女の話だ。
「……今でも彼女は、深く暗い水底から、愛しい男が手を差し伸べてくれるのを、待っているのでしょうか」
ふっ、と。
蝋燭が消えた刹那。
本堂の何処からか、ぶくぶくと言う泡立つ音が聞こえて来る。
「な、何?」
「え? マジかよ」
「ウソでしょ?」
ざわざわと、まるで浸水していくかの様に、恐怖が一堂の心に染み込んでいくのが手に取る様に、二人には解った。
その水音は、徐々に大きさを増し、そしてその場の湿度を上げ続けた。
ぴしゃ……ん、と、音が聞こえたその時。
本物の水が、その場に押し寄せて来た。
「いやーーーっ!」
「死んじまうじゃねぇかよっ」
「こんなこと、聞いてないっ」
『こんな時でも、聞いてない……ですか』、そうモーリスの口元が苦い笑いを浮かべている。
悲鳴と怒号が巻き起こるも、水は未だ、眼前から消え去らない。
ダムが決壊した時の様に溢れていく水は、けれど人を押し流すではなく、その周囲に踊ったままであった。
呼吸は出来る。しかし吐く息は、水中にいるのと変わらず、泡となって消えていく。
既に声は聞こえない。数十名いるかと思えるそこは、無音の水底と化している。
不意に、先程まで語っていた女性が立ち上がった。
まるで我が界であるかの様に、セレスティの元へと進み寄ると、一言。
『ありがとう』
そう呟いて、──消えた。
同時に今まであった水もまた、夢であったかの様になくなっている。名残の水滴一つ落ちてはいなかった。
「セレスティさま、手助けしましたね」
主の気紛れには、もう、慣れっこだ。
「仕方ありません。私が手を貸す方が、場を納めることも容易いですからね」
清々しい微笑みを浮かべた総帥様は、未だ恐怖さめやらない人々を一瞥すると、モーリスを促して本堂を後にした。
これ以降の予定は、もう寝るだけだったのだ。
後にこれが『多聞寺の怪』の一つとして数えられたとかられなかったとか。
それはまた、別の話のことである。
Ende
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登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0086 シュライン・エマ(しゅらいん・えま) 女性 26歳 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
1883 セレスティ・カーニンガム(せれすてぃ・かーにんがむ) 男性 725歳 財閥総帥・占い師・水霊使い
3356 シオン・レ・ハイ(しおん・れ・はい) 男性 42歳 びんぼーにん(食住)+α
2318 モーリス・ラジアル(もーりす・らじある) 男性 527歳 ガードナー・医師・調和者
0554 守崎・啓斗(もりさき・けいと) 男性 17歳 高校生(忍)
2736 東雲・飛鳥(しののめ・あすか) 男性 232歳 古書肆「しののめ書店」店主
0568 守崎・北斗(もりさき・ほくと) 男性 17歳 高校生(忍)
1533 藍原・和馬(あいはら・かずま) 男性 920歳 フリーター(何でも屋)
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ライター通信
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こんにちわ、斎木涼でございます(^-^)。
もうちょっと早くにお届けできるかと思っていましたが、遅くなってしまいまして、申し訳ありません。
今回は、依頼ではなく、お楽しみシナリオ的なお話です。ですので、皆様から頂きましたプレイングは、殆ど盛り込ませて頂いているつもりです。短い部分とかもありますけれど、そちらの方はご容赦を。
ちなみに隠しイベントとは、夜の阿難堂に行くと、多聞寺本当のご本尊である阿難尊者とおデート出来ると言うものでした。全然有難くない隠しイベントですが(^-^;)。
ちらーっと、何方様かの本文中に、それらしい話が出ております。
>モーリス・ラジアルさま
何時もお世話になっております(^-^)。
お化け屋敷で、逆に驚かすとのこと、モーリスさまらしく思いました。
また、聞き込みの成果はこんな感じで御座いました。あのお寺、実は色んなものが出る様です。また機会がございましたら、そちらも含めて探ってやって下さいませ。
モーリスさまに、このお話をお気に召して頂ければ幸いです。
ではでは、またご縁が御座いましたら、宜しくお願い致します(^-^)。
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