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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


■納涼! 真夏だよ全員集合!■

 蝉が五月蠅く鳴いている。
 一応ここは、都会と言っても差し支えない場所ではあるのだが、昨今の蝉は田舎よりも都会にて猛威を奮っているらしい。取り敢えずその蝉は、根性でその存在を主張しているかの様に、けたたましくもかしましく鳴いているのであった。
 「……暑い、暑すぎる」
 茹で蛸一歩手前で机に突っ伏しているのは、ここ、草間興信所の所長である三十路男、柄パン姿の草間武彦だ。暑ければクーラーを付ければ良いのだが、何故か本日、草間クーラーちゃんはご機嫌斜めで、吹き出すのは熱風のみと言う、ちょっとどころか可成り哀しい状態である。頼みの出張サービスは、現在夏真っ盛りである為、修繕よりも取り付け作業を優先しているらしく、ご到着は三日後と言う話であった。
 が、そんな状況であったとしても、パンツ一丁の格好でいるなど言語道断だ。客が来たらどうするのだろうか。
 「お義兄さん、鬱陶しいからその顔止めて下さい。そして服くらい着て下さい」
 にべもなくそう言うのは、草間の義妹、草間零である。
 しかしあまりに情けないその様子に哀れを催したのか、彼女は草間の眼前へ、徐に一枚の封書を差し出した。
 「お義兄さん。ほら、何だか涼しそうな手紙が届いてますよ」
 「あーーー?」
 だれだれの草間は、手を伸ばすのも億劫だと言った様で、零に開けて読んでくれと目で促した。良く出来た義妹は、大きく溜息を吐きつつも、義兄に従う。
 「えーーと。……謹啓、炎熱地を焼くとはまさにこの事、貴社の皆様方にはお変わりございませんでしょうか。さて、来る八月十日、当寺院にて施餓鬼会を実……」
 「解った。もう読まなくて良い」
 零は、義兄が何故『読まなくて良い』と言ったのか解らず、きょとんとしている。
 「このクソ暑いのに、オカルト依頼なんぞやってられるか。てか、うちはオカルト厳禁だって、何度言えば解るんだ」
 目指すはハードボイルドの道。
 パンツ一丁の姿で固茹で卵を目指そうなんざ、一億万年くらい早いだろうが、取り敢えずそのことはおいておく。
 どうやら草間は、『施餓鬼会』と言う言葉に反応したらしい。どうせその『施餓鬼会』で起こるかもしれない怪異を何とかしてくれと、そんな依頼なのであろうと考えたのだ。
 が。
 「あのー、依頼ではないみたいなんですけど?」
 この暑さの所為か、零のその言葉にも草間の脳味噌は爛れたままだ。
 眉間に三本皺を寄せていると、零が続きを読むのではなく、口頭で説明を行った。
 「何だか屋台や花火大会をやるみたいですよ。肝試しや百物語も。あ、露天風呂付きの旅館もあるそうです。月とお花畑を見ながらお風呂に入れるって、素敵ですよねぇ」
 その風景を想像したのか、ふわわんとした視線を漂わせている辺り、零もそこそこ暑さが脳味噌に来ていたのかもしれない。
 つまり、施餓鬼会とは言っているものの、早い話が夏祭りをすると言うことらしいのだ。
 「……送り主は?」
 「えーと、多聞寺と言うお寺さんみたいですね」
 「知らんぞ。そんなとこ」
 しかしこの草間興信所では、知らないところから何やら送られてくるのは余り珍しいことでもなかった。
 理由は簡単。
 その筋では有名な興信所であるからだ。その筋とは、言わずもながの話である。
 とまれ。
 「ここ、西多摩の山の上にあるみたいですね。あ、じゃあ、涼しいんじゃないですか?」
 少なくとも、都会の真ん中よりは涼しかろう。
 「あ、凄い……太っ腹ですよ、お義兄さん」
 「何だ?」
 「経費全てお寺さん持ちですって。勿論、往復の交通費も」
 「よし、零、行きたいと言うヤツ、片っ端から声をかけろ。その後、今から『草間興信所慰安旅行』の買い物行って来い。領収書は絶対貰って来るんだぞ。準備が出来たら、速攻出発だ」
 キャッシュな草間に溜息を吐きつつも、やはり零だって嬉しいのだ。唇に笑みを浮かべ、年代物の黒電話をフル稼働させた。
 その際。
 彼女の手にあった封書から、メモの様なものがはらりと落ちた。脳味噌がバカンスの地へと飛び去っていた草間は、後になってそれに気付くのだが。

 『この前の件は助かった。これは中元だと思って取っといてくれ。……ま、招待先が、うちの実家であれだが。取り敢えず、また何かあったら宜しく 金浪 征』



 何時もながら、草間興信所は賑やかである。特に本日は扉が開け放たれている為か、会話が外へとだだ漏れだ。
 そう思う彼は、ふと扉の側に一枚の紙が落ちていることに気が付いた。拾ってみると、草間宛の様だ。
 「こんにちは。あの、これ落ちておりましたよ。こちらのですよね?」
 彼は浮き輪を未だ填めたままと言う情けない草間の顔を見て、ふいと青い瞳を逸らせた。長い金の髪をひとくくりにした、清雅な雰囲気を纏う二十代後半の男性は、ぱっと見そうとは見えないが、彼は立派な日本産である。
 そんな彼の名を、東雲飛鳥(しののめ あすか)と言う。
 「……草間さん、人の趣味をとやかく言う気はありませんけれど、それは如何なものでしょうか」
 「そうよねぇ。全く……。と、落とし物、拾って頂きまして有難う御座います」
 同意したシュラインが、にっこり笑って思い出したとばかりにそれを受け取り、内容を確認してから、『はい、これ』と草間に渡した。
 「……。これ、なんだ?」
 「あれ? 草間さん宛てではなかったでしょうか?」
 小首を傾げて言う飛鳥に、シュラインはそんなことはないとばかりに首を振る。
 「武彦さん、今回の旅行、ご招待だったんじゃない」
 言ってよと、シュラインの顔が草間を見ていると言うことから、草間は『ご招待』であることは言わなかったらしい。
 「…………へ?」
 心底解らないとばかりなボケ面を晒している草間の背後から、素っ頓狂な声がかかった。
 「え? 草間さんっ! 旅行に行くのですかっ?!」
 今度は誰だと思う間もない。
 何故か窓から首を覗かせているのは、頭に垂れ耳ウサギを乗せた上品そうな男性、シオン・レ・ハイだった。
 えっさおいさと窓から入って来る彼は、飛鳥を認めた様で、ぺこりと頭を下げると自己紹介をした。
 「こんにちわ、初めまして。シオン・レ・ハイですっ」
 「初めまして。東雲飛鳥と申します」
 愛想の良い笑みを浮かべて、飛鳥がそう挨拶を返す。シオンは同時に自分のブロマイドを渡そうとするが、飛鳥は華麗にスルーした。
 「東雲さんも、旅行に行くのですか?」
 「旅行ですか……。ちなみに、どちらへ?」
 最後は、話が通りそうなシュラインに向けた言葉である。
 「西多摩にある『多聞寺』って言うお寺さんよ。何でも、施餓鬼会に当て込んで、夏祭りをするんですって。この前、ちょっとお仕事を手伝った方からのお誘いみたいね。……これによると」
 飛鳥が拾ったメモ書きを見たシュラインが、『一緒にどう?』とばかりに視線を向ける。
 「お寺さんですか……」
 考え込んでいる飛鳥の背後から、またもや別の声が聞こえる。
 「へぇ、夏祭りって、屋台とかも出るのかね?」
 揃って玄関口──と言っても、開けっ放しのドアの方だが──に視線をやると、そこに立っていたのは精悍な面持ちをした、三十代前後に見える男性だ。小麦色の肌と黒い瞳、茶色の髪を後ろへと流し、暑い盛りにも関わらず、黒いスーツでぴしりと決めている。
 「お前か……」
 草間の呟きは、当然ながらそこにいる全員に聞こえている。
 「随分だな、草間」
 にやりと笑う唇から、犬歯が見えた……気がする。
 先程と同じく、シオンが自己紹介とブロマイドを進呈……と言うより買って貰おうとするが、女性に優しく、野郎には厳しくをモットーとしている彼、藍原和馬(あいはら かずま)は、夜をその身に纏う、黒い獣の様にするりとそれを受け流した。
 「夜店とかも出るんじゃないかしら? あ、そう言えば、征さん、お兄さんが読書家で、本が部屋に収まらないから一軒離れを造って、そこに放り込んでるって言ってたわねぇ。お寺さんが実家だとすると、もしかして仏典とか経典とかかしら……」
 「てか、シュライン! 俺は知らんぞっ! 何であいつ──」
 草間が最後まで台詞を言うことは出来なかった。
 何故ならば。
 「一軒分の仏典経典ですかっ?! 行きますっ! 行かせて下さいっ!!」
 血走った目の飛鳥が、ドタマを押さえつけたからである。
 『行かせて下さいっ』が、シュラインに向けられているところは、ここで一番の実力者を、彼が正確に把握しているからだろう。
 「俺も参加な」
 『OK?』とばかりにシュラインへ頷くのは和馬。
 シオンは当然の様に、参加する気満々で、何時の間にやらその手紙を探してきて読んでいた。
 それぞれに解ったわとばかりに頷いたシュラインは、続いて飛鳥の下で眉を顰めている草間に向かってにっこり笑う。
 「武彦さん、今度からちゃんと読まなきゃダメよ」
 がっくりと肩を落とす草間を解放した飛鳥が、シュラインに向けて問いかけた。
 「えーと、出発は何時からでしょうか?」
 「おやつにバナナは入りますか?」
 続いての質問は、当然ながらシオンであるが、誰しもそれに答えることはなかった。
 視線を泳がせたシュラインは、取り敢えず予定を口にする。
 「一応、施餓鬼会当日の朝になってるわ。バスで行くのよ」
 当初、『草間興信所の慰安旅行』と聞いていたから、細々としたことの担当は、やはり自分になるのかと諦め掛かっていたシュラインだが、どうやら違うらしいと解った為、純粋に楽しむ方向へと頭を切り換えた様だ。
 「ってぇことは、十日の朝になるのか」
 「ええ。その予定。武彦さんとしては、即座に出発したかったみたいだけどね」
 流石に無理だろうと、誰しも笑う。
 「八時出発の予定だから」
 遅れたら放って行くぞーーと、草間がこっそりシュラインの後ろから呟いている。
 「あー、んじゃ俺、後から追っかけるわ」
 「あ、あのー、私、ここにお泊まりさせてもらいたいのですが」
 「問答無用で却下」
 草間はあっかんべーとばかりにそう返した。
 うるうると涙が滲む瞳を受け、草間が一歩、たじろぐ様に後ろへ下がる。それに呼応するかの様に、シオンが垂れ耳ウサちゃんの涙目のバックアップを受けて一歩前に出る。
 不気味な沈黙と攻防の中、買い物から帰ってきた零が、ただいまの声の後振り返った五人を見て、不思議そうに小首を傾げたのである。



 見事な門構えのそこには、本来ない筈のものがあった。
 『大歓迎 草間興信所御一行様』
 赤字に白抜き文字で書かれた幟である。
 一瞬、面々は引いた。思いっ切りドン引いた。
 これが『タダ』でなければ、回れ右していたかもしれない。
 これが宿泊の場ならば、『まあ客商売だし、そう言うこともあるかもしれないよなぁ。……多分』と思っただろう。……ちょっと間違っている気はするが。
 けれどその幟があったのは、立派な本堂が視線の先に見え隠れしている、お寺の総門だったのだ。ちなみに施餓鬼会にちなんだものもあるが、それ以上に草間一行の幟は目立っていた。更に言うと、同じ内容の段幕だか垂れ幕だか表しがたいものが左右の門柱の間に渡っていたのだ。
 本日夜間に催される夏祭りの準備の為か、山道などには様々な車両が行き来している。それらの全てに、この『大歓迎 草間興信所御一行様』を見られたかと思うと、ちょっとどころの話ではなく、とっても恥ずかしいかも知れなかった。
 「……と、とにかく。ご挨拶しなきゃね」
 何とか自分を取り戻したのは、やはり幾多の修羅場を乗り越えてきたシュラインであった。
 宿か本堂か、どちらへ先にと迷ったらしい彼女だが、即座にそれは解決する。
 「多聞寺、並びに芙蓉荘へ、ようこそおいで下さいました。草間興信所の皆さんですねぇ?」
 西域のイントネーションで話すのは、長い黒髪を纏めてあげ、襷掛けした和服姿である妙齢の女性である。参道からこちらに向かって歩いて来ていたのは、バスの運転手が知らせに行ったからであろうか。
 にっこり笑う口元の黒子が、印象的だと言えた。
 未だ幟のダメージから脱し切れていない草間に代わり、シュラインがさっと前に出て挨拶を交わす。
 「初めまして、草間興信所のシュライン・エマと申します。こちらが所長の草間武彦」
 『ほら、武彦さん』とばかりにそっと背中を叩くと、慌てて草間も営業スマイルで挨拶を返し、続いて零が名乗ると同時にぺこりと頭を下げる。更にもう一度後をと、シュラインがしっかり引き継いだ。
 「本日はお招きに預かりまして、ありがとうございます。お世話をお掛けするかと思いますが、宜しくお願い致します」
 「いやまあ、そないにかしこまらんとって下さいねぇ。こちらこそ草間さんとこには、うちの小ちび……やなくて、征がお世話おかけしてます。征の姉で、芙蓉荘の女将をやってる金浪朱理(きんなみ あかり)と申します。宜しくお願い致しますね。……あらぁ、お後三名さんの姿が見えへんけど……?」
 「事情がありまして、後から来ることになってます」
 シュラインがそう言うと、そう、と朱理は頷いた。
 次ぎに自己紹介を行ったのは、飛鳥である。
 「東雲飛鳥と申します。今日明日とお世話お掛け致しますが、宜しくお願いします。……それにしても、二日間とは言わず、ずっと逗留したくなる様なところですねぇ」
 心の中の大部分の声は、『経典仏典読み放題、なんて素敵なんでしょう』と言うところだが、強ちそれだけでもない。施餓鬼会の準備があるからこそ、それなりに雑多な気配がありざわついてもいるが、日頃であれば澄んだ空気に包まれた、とても落ち着いた雰囲気の場所であることが解るからだ。
 朱理の黒い瞳がふっと和む。
 「嬉しいこと言うてくれはりますねぇ。今回に限らず、何時でも来ぃたい時に来て下さいね」
 フリーパスを貰ったも同然の飛鳥の顔が、嬉しげに微笑んだ。
 「シオン・レ・ハイですっ。宜しくお願いします! あの……ウサさんも一緒なのですけれど、ダメでしょうか……」
 「いーえ、全然。うちの娘が喜びそうやわ。厨房とかには入らん様にして欲しいけど、それ以外なら構わしませんよ」
 ほのぼのとしたやりとりだが、次の台詞を聞いた途端、シオンがウサちゃんを抱きしめ蒼白になった。
 「下手に厨房入って、材料に間違われたら大変だからな」
 「……兄貴、それ笑えねぇ冗談だから」
 真顔で言う啓斗に、北斗がそう突っ込んだ。どうやら当人、真面目にそう思っている様で、突っ込まれたているのが何故だか解らず、小首を傾げていた。しかし何かを思い出した様に朱理の正面へと一歩踏み出す。
 「二日間お世話になります。守崎啓斗です。こっちは……」
 「弟の北斗ですっ。宜しく」
 そう自己紹介をすると、そろってぺこんと頭を下げた。
 「うちとこの大中小と違って、ほんまそっくりやねぇ。あ、……もしかして双子さん?」
 こっくりと頷く啓斗に、そうと笑う。
 「……そう言えば、征さんは?」
 ウサちゃんを抱きしめていたシオンが、ふとここに招待した本人がいないと言うことに気が付いた。
 「ああ、征はねぇ、あんまりここには帰ってけぇへんねんわ。大チビ……やのうて、関(せき)がうるそう言うんがイヤやねんやろね」
 「関さん?」
 「こちらのご住職さんですか?」
 住職にも挨拶をと思っていたシュラインと、どうしても住職に聞きたいことがあった飛鳥は、そう互いに問いかける。
 「関はうちとこの長男坊やけど、住職ちゃうよ。次男坊の餞(せん)言うんが、住職やってるんやわ。……と、あ、済いませんねぇ。こんなとこで立ち話して。さあさ、どうぞこちらへ」
 朱理が行き来している従業員らしき者を捕まえ、荷物を運んでもらうよう手配する。そして七名は、漸く宿へと移動したのである。



 部屋割りに関しては、それぞれが協議の上、案外あっさりと決まった。芙蓉畑に面している方の部屋なら、何部屋でもどうぞとのことだった為でもある。客室は三階と四階で、それぞれ一つの階に付き、一つずつ大きめの部屋があり、後は同じ大きさの部屋が五室。二階分で計十二室になっている。一室二人と言う定員であるから、単純計算で二十四人が泊まれるのだ。最も、この施餓鬼会では、基本的に山の裾にある町村民のみ参加するだけだから、殆どが空室でもある。元々、営利目的で運営している旅館ではないらしいからこそ、かき入れ時とも言えるこの日にも空いているのだ。
 ちなみにその部屋割りではあるが、所長の特権で三階の大きめの部屋は草間が陣取り──と言っても、何だかんだと人が入り込むだろうことも予想はしているが──、啓斗北斗の双子で一室、シュラインと零で一室、シオン、飛鳥がそれぞれ一室と言うことになった。
 未だ未到着の三人で、セレスティ、モーリスの主従コンビは、荷物が多くなっているだろうからと言うシュラインの予想で四階の大きめの部屋、和馬が一室と言うことになっている。
 三階組は、草間、シュライン+零、守崎兄弟、四階組はセレスティ+モーリス、シオン、飛鳥、和馬である。
 とまれ。
 先発組はそれぞれの部屋にて一息入れた後、施餓鬼会イベントのタイムテーブルを記した紙を手に、思い思いの催し物へと散ることにする。
 「ま、ちゃんと集合するとは思わないけど、一応夕食は八時半からだから。覚えておいて頂戴ね」
 本来ならもっと早くに始まる宴会……もとい、夕食タイムだろうが、この面々であっては無理だろうと、シュラインは朱理に遅めの夕食を頼んでいたのだ。
 それぞれお返事を返し、一階ロビーを出て行った。
 飛鳥の脳裏には、書院にて、溢れんばかりの書物に埋もれている自身と言うものが展開されていた。
 物事に執着することも、強い感動を覚えることもない彼ではあったが、こと書物に関しては少々違うかもしれない。
 何故本が好きなのか。
 確固たり得る理由など、飛鳥には解らない。
 ただ、その書物だらけの中にいると、落ち着くのだと思う。
 もしくは、その激しい情動と言うものを、数多の本より見いだそうと、無意識の内にそう考えているのかもしれないが。
 彼は本好きが高じ、自身で書店──基本は古書だ──を営んでいた。
 我を忘れ、来客があっても解らずじまいと言うことも多々ある。
 飛鳥の心を引きつける書院は、桂離宮などでも見られる柿葺の寄棟造で、一重になった疎垂木が見える。
 参道と反対側にある回廊は、途中芙蓉畑へと降りることが出来る様に中断してはいるものの、その先には禅堂が見えた。
 書院の入り口には手水がある。
 「大切な書物を読ませて頂くのですからね」
 そう呟いて、彼は丁寧に手を洗う。
 中に入っていくと、数名の人間がいるのか、靴が揃えてあった。
 内部はそれほど広い訳ではなく、四部屋程度があるらしい。内、一室は休憩用にお茶などが置かれており、他三室はそのまま本の山と言うのが相応しい程に、書物が溢れていた。
 お茶で喉を潤すよりも、まずは本。
 「精進料理にも興味はあるんですけどねぇ」
 精進料理も食べたかったが、まずは本。
 まあ、後でもまだあるだろうと思った飛鳥ではあったが、精進料理が提供されている時間までに出てこれる自信は、あんまりない。まあ、何より自分の目的は、この書院や経楼にある書物だから、それでも良いかと思っている。
 お茶を出している部屋を抜け、次の部屋に入ったところで、見知った顔を見つけた。
 どうやら相手も、自分に気が付いているらしい。
 「貴方もこちらに? 本がお好きなのですか?」
 そう声をかけてみると、そこにいた啓斗は、こっくりと頷いた。
 あまり表情の変わらない子であるなとは思いつつ、飛鳥は周囲にある書物に意識が羽ばたきかけている。
 彼は少し考えた風で、飛鳥に向かってこう言った。
 「奥にも、まだ沢山本があったみたいだな」
 「本当ですか?」
 喜色と言うのがあれば、今の飛鳥の顔色をさしているだろうと思える。
 では後ほどと声をかけ、彼は奥の部屋へと探索を開始した。
 「こちらはなかなか珍しい……」
 飛鳥がそう言うのも、無理はないのかもしれない。そこにあるのは、郷土史や風土記、論文などが集められている様だった。自分の店にもそう言ったものがあるにはあるが、懇意にしている者がいないと、手に入らないと言う実情もある。
 「『旅と伝説』ですか」
 見ると百を超す冊数が集められていた。それぞれに違ったテーマで編集されている。適当に抜き出しぱらぱらと見ていたが、彼のを引いたのは、やはり『鬼』がテーマとして書かれているものであった。
 『陸中西岩井郡昔話』や、地名などの由来に『鬼』が絡んでいるもの。
 それらを適当に選び出すと、座卓へと根を下ろす。ゆっくりと一ページ目を捲ると、もう既に飛鳥の意識は、本の世界へと飛び立ってしまったのであった。



 昼も回り、そろそろ移動しようかと、飛鳥は書院から腰を上げた。まだちょっといたい気もするが、取り敢えず経楼の方にも興味がある。
 先程ここで言葉を交わした啓斗も、その後ここを訪れた和馬も、既に書院を出た様だ。ただ一人、隣の部屋にいる銀の髪を持つ麗人が、未だ書院に残っている。
 もう一度こちらに戻って来るつもりではあったが、もしかするとその時でもまだ、彼はそこに座って本を読んでいるかもしれない。
 そんな風に思いつつ、飛鳥は経楼を目指した。
 丁度書院と対角上にあるそこは、書院から禅堂、禅堂から本堂へと回廊に寄っても繋がっている(書院から禅堂は、一部切れているところはあるのだが)。
 だが、飛鳥は、回廊を通らず、光明池と本堂の間を通り抜けて経楼へと到達した。途中、光明池の横を通った際、阿難堂が目に止まったのだが、ここへは施餓鬼会が開催される前にでも、ゆっくり周囲の散策をすることに決める。
 「おや……」
 見知った顔だ。
 「良くお逢いしますね」
 にっこりと笑うのは、先程書院にて遭遇した啓斗であった。
 飛鳥が経楼の観音開きになっている扉を開けると、目の前に書院であった啓斗の背中が見えたのだ。彼もまた、同じく経楼へとやって来たらしい。
 ぺこりと頭を下げた彼は、そのまま飛鳥を眺め見る。
 「本好きみたいだな」
 淡々とした口調でそう言われ、思わず小さく笑ってしまう。
 「ええ、大好きですよ。本があれば、時間を忘れてしまう程に」
 そして綺麗な魂を持つ女性がいれば、もう何も言うことはない。
 勿論、そんな心の声は、気取られない様にと仕舞い込む。
 「ふうん……。シュラ姐やセレスティさんみたいだな」
 「セレスティさん?」
 「ああ、今回の旅行には、遅れて来てるみたいだけど」
 もしやと、飛鳥の脳裏に、先程の銀髪の男性が浮かんだ。
 「その方は、もしや銀髪のお綺麗な人ですか?」
 あまり動かない啓斗の表情が、ほんの少しだけ驚きの色を見せた。
 「逢ったのか?」
 「先程、書院でお見かけしました」
 男性であっても、そしてどうやら生粋の人ではなくても、食指が動いてしまいそうになる。喉元に手を入れ、月の様な輝きを持つそれを抜き出したことを想像し、陶然とした気分を味わった。
 「……忠告する。妙なことを考えるなよ。あの人は、優しく笑いながら怒るからな」
 何となく想像が出来る。
 「ご忠告感謝します」
 愛想の良い笑みを浮かべると、啓斗はそうかとばかり、こっくりと頷く。
 草間興信所と縁有る者達と諍いを起こす気など、飛鳥には到底ありはしなかった。あそこは自分達の様な、種の違う者達が集う場所だ。一般の人々に紛れていると、そう言う異種が集まる場所は、ある意味とてもありがたい。
 「さて、せっかく珍しい経典があるのですから、中に入りませんか?」
 「ああ」
 立ち話は、また後ででも出来るだろう。閉まる時間も決まっていることだし、経典を読むと言う目的を果たしたい。恐らく啓斗もそうだろう。
 二人は少しばかり間を置いて靴を脱ぐと、互いに足音一つ立てずに中へと入って行った。
 経楼は、経典のある部屋を囲む様にして廊下があった。その経典のある部屋は、向かい合った二つの壁に書棚が置かれ、ぎっしりと書物が詰まっている。残りの二つには、灯り採り様だと思しき窓だ。周囲を囲む廊下の窓から、自然光を採り込む作りになっていた。部屋の中心には、小さな格子机が四つ、ロの形に並べてある。硝子の間から見える和紙と押し花の組み合わせが、落ち着いた感じの机に見せていた。
 互いが背を向け合い、書棚の経典に魅入っている。
 メジャーなものからマイナーなものまで、そこの中に納められていた。
 法句経、阿含経、般若経、維摩経、涅槃経、華厳経、法華三部経、浄土三部経、大蔵経など、他には何故か、経典全集と言ったものまである。
 「貸し出しは、やはりやってないのでしょうねぇ……」
 時間は有限だ。だからこそ有意義に使うべきだと言う者達がいるが、それでも無理な時もある。
 それを良く知っている飛鳥は、目の前の魅力的な経典達を吟味しつつ溜息を吐いたのだった。



 ふと気が付くと、既に昼は回りきり、精進料理が振る舞われる時間も終わりかけている。けれど飛鳥は、まだ書院や経楼に後ろ髪を引かれていた。
 既に啓斗は出ていった後の様で、飛鳥もまた、名残惜しげに経楼から出る。
 「仕方ないですよねぇ。精進料理よりもあちらの方に興味があるんですし」
 ぽつりと呟く飛鳥は、けれど背後の気配に敏感に反応した。
 「……誰です?」
 「あ、驚かせて申し訳ありません。ここの住職です」
 振り返ると、そこにいたのは長目の黒髪を後ろに流し、金の瞳をぼへらと和ませたそこそこに長身である二十代後半の男性だった。
 「住職さん?」
 飛鳥の瞳がきらーんと輝く。
 彼は、是非とも住職に聞きたいことがあったのだ。それを口に出そうとしたが、住職の方が今一歩、口を開くのが早かった。
 「はい、金浪餞(きんなみ せん)と申します。あの、精進料理に興味を?」
 「え? ああ、はい。機会があれば、食べてみたいと思っていたんですけれどね」
 一応、昔に食べたことがあった……と思う。あまりにも長い時間を生きてるし、別段主食が人の食べ物と言う訳でもないので、あんまり良く覚えてはいないのだが。
 「えええっ! 貴方も兄さんの精進料理を……酷い……」
 一体何が酷いと言うのだろうか。
 しかし、しくしくと声に出して続けるのは、あんまりにも大根クサイ。何となく、機先を制された様な、あっけに取られてしまった様な、……要は『えーと、こんな人に、何聞こうと思ってましたっけ? 私』と言う具合になったのだ。
 「あの……住職さん?」
 「餞です」
 「ああ、はい、餞さん。あのですね…」
 「皆様がそれ程までに食べてみたいと仰る精進料理、これは来年の偵察を兼ねて、僕も食べてみなければっ。終了時間も間近で、きっと兄さんは次の仕切に追われている筈。ちょっと厨房からちょろまかして来ます」
 それなら自分の分も……と、思わず口をついて出そうになるが、あんまりにもはしたないだろうと己の理性が待ったを掛けた。
 だが、結果的には、口にする必要はなかったらしい。
 「ええと、……、あれ? 何さんでしたっけ? 申し訳ありません、お名前忘れてしまいました」
 言ってないのだから、忘れたも何もないだろう。取り敢えずそんな突っ込みは止めにして、飛鳥は己の名を名乗る。
 「東雲です。東雲飛鳥」
 「あ、東雲さん、貴方も一緒に食べましょう。丁度良いです。そしてご意見など、聞かせて下さいね」
 「ええ、はい……って、あのっ!」
 こっくり頷いていると、そのまま餞が駆け出しそうになっている。慌てて飛鳥は、呼び止めた。
 「何処で食べるおつもりなんです?」
 聞きたいことは、もっと別のことだったのだが、思わずそう口にしてしまう。
 確かに、気になることでもあるが。
 どうやらお兄様とやらには見つかりたくはないらしい。と言うことは、普通に本堂で食べると言う訳ではあるまい。
 飛鳥の素朴な疑問に、餞は思いっ切り単純明快な答えをだした。
 「兄は今、夜店の出店準備に飛び回っている筈です。暫く本堂には戻って来ません。ですから、やはり本堂で。ああでも、外から見えても不味いので、ご本尊さまの後ろでピクニックみたいに頂きましょう」
 罰当たり。
 仏様を始終拝む習慣のない飛鳥でも、そんな風に思ってしまった。



 すぐ帰る。
 そんな、まるで駆け落ち直前の不倫夫の様な台詞を吐いて、餞が飛鳥の元を去ったのは、確か五分程前だった筈。近いとは言え、本当に準備を整えてきたのかと思ったが、案内されて訪れた本堂には、既に膳が整えられていた。
 本気でご本尊様の裏に膳があるのには、生温い思いを感じてしまったが。
 目の前には三つの膳が並んでいた。それぞれAコース、Bコース、Cコースと言うらしい。見た目だけで大体の内容は察せられるが、渡されたメニューを見てみる。

 ●Aコース
 虎耳草の和え物
 くこの実の天ぷら
 海老いもの煮物
 マスカットの水晶寄せ
 雪消飯
 染飯餅
 ●Bコース
 土筆と三つ葉の和え物
 豆腐と味噌の揚げ物
 ぐつ煮豆腐
 西瓜の呉汁
 葱めし
 茄子のひすい万頭
 ●Cコース
 岩茸と冬瓜の落花生和え
 湯葉の納豆包み揚げ
 凍り豆腐の煮物
 冬瓜と豆腐のあんかけ
 利休めし
 林檎の庄内巻き

 Aコースと言うのを食べてみる気になった飛鳥は、その旨伝えると、餞がBコースの膳の前へと座る。残るCコースを二人でつつくことにし、頂きますと同時に食べ始めた。
 精進料理には、質素なイメージがつきまとうが、目の前にあるのはその予想を裏切っている。それぞれが味覚を喜ばせるだけでなく、視覚までも和ませているのだ。
 くこの実の赤い色が褪せない様にとさらっと上げられた『くこの実の天ぷら』、『マスカットの水晶寄せ』は、透明な果実と葛が涼しさを醸しだし、更に一番上に乗っている山葵でぴりりと気持ちを涼ませる。
 味わいつつ食べていた飛鳥だが、先程から聞きたかったことがあるのだ。
 「餞さんはこちらのご住職と言うことですが、少しご教授頂きたいことがあるんですよ。構いませんか?」
 「へ? ご教授? 僕がですか?」
 鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、飛鳥を見つめている。
 これが住職? 本当に本当にほんっっっっっとーーーに? と首を地に付けてしまいそうになるくらい傾げたい。先程の嘘泣きも含めて。
 「ええ、特に、寺の名にもなっている多聞天にです。あれが踏みつけている鬼についてなど……」
 「多聞天? ……ああ、毘沙門さんのことですね。北を守護すると言う」
 「そうそう」
 実は多聞天と毘沙門天では、少々範囲が違ってくるのだが、双方とも鬼を踏み踏みしていることには変わりなく、互いが別名とは言われている。
 四天王として祀られる時が『多聞天』、単体で祀られる時が『毘沙門天』だ。
 小首を傾げた餞だが、すぐにぼへらと笑って口を開く。
 「いやですよ。うちの名前の『多聞』は、阿難尊者から来ているんです。阿難尊者は、お釈迦様の説法を、最も良く聞いた者として『多聞第一』と言われてますから。うちはその『多聞寺』なんですよ」
 ちなみに多聞天もまた、仏教の教えを多く聞いて精通していると言われてはいた。
 「……」
 「? どうかされました?」
 「い、いえっ。では、鬼は……?」
 「鬼さんへの気持ちですか? そうですねぇ……。どちらかと言えば、御同類と呼ばさしてもらいたいですねぇ」
 その金瞳は、何処か意味深に笑っていた。



 光明池の本堂と反対側には、池に灯籠を流す人々で賑わっていた。
 灯籠を流すと言っても、灯籠のみを流す訳ではない。小さな船に灯籠と供物を乗せ、灯りを付けて池に流すのだ。
 「するとな、明日の朝には、何でだか知らねぇが、灯籠が綺麗さっぱりなくなってるんだよ
 そう言って、同じく灯籠を流していた中年の男が教えてくれた。
 「灯籠がなくなるのか? それは片付けてるからだろう」
 草間が眉間に皺を寄せているのは、怪奇に値することだからだろう。
 「草間さんは夢がありませんねぇ」
 涼やかに笑うセレスティに、本当だとばかり、シュラインと飛鳥が頷いた。
 零も同じく『お義兄さんてば……』と溜息を吐いている。
 「いや、俺もそこの兄ちゃんの言う通りだと思うがね。灯籠がねぇってのは、多聞寺の人達が何処かで祀る為に片付けてるんだろうさ」
 だよなと、意気投合した草間達が馬鹿話に盛り上がっているのを横目で見て、そこにいる面々は、再度池に視線を戻す。
 そんな中、背後から駆けてくるのは、彼らを見つけた啓斗と北斗の二人だろう。
 「シュラ姐!」
 「ここにいたんだ」
 二人して、そう声を掛けると、飛鳥とセレスティにぺこりと挨拶をする。
 また挨拶をされた二人も、同じく軽く頭を下げて返してきた。
 北斗が座り込み、啓斗がその後ろに立って、未だ中年親父と話し込んでいる草間は放って、全部で六人が池を見た。
 「何故でしょうね。送り火と言うのは、何故か懐かしさを覚えてしまいます」
 遠くを見つめる様な瞳の飛鳥が、ぼんやりとそう言った。
 昔の様な灯りは、飛鳥に郷愁を呼び覚ます。飛鳥が飛鳥であった時間より、更に昔の時を。
 「んーー、でも、本当に綺麗よね。……私達も灯籠流し、しちゃダメかしら」
 せっかくお招き頂いているのだからと、面倒がる草間を宥め賺して施餓鬼会に参加しているシュラインは、灯籠を流すのは地元の人だけかもしれないと遠慮している様だ。
 「関さん?」
 振り返る彼女に、驚きの表情を見せる関だが、すぐさま元に戻って笑みを浮かべる。
 「こんばんは。施餓鬼会は如何ですか?」
 そう言いつつ、初対面の飛鳥とセレスティに名を名乗る。
 「初めまして。金浪関(きんなみ せき)です」
 「初めまして。東雲飛鳥です」
 「こんばんは……」
 「存じ上げておりますよ。リンスターの総帥ですよね?」
 え? とばかり、そこにいた者達は顔を見合わせる。だが種明かしは簡単に終わった。
 「一応、私、これでも税理士ですから。政財界にはそこそこ詳しいんですよ」
 「そうなのですね。でも、今は一個人として、楽しんでおりますので」
 誰もが上手いと唸っている。もしも下心があるのなら、その言葉に対する反応でで解ってしまうだろう。
 だがどうやら関に、下心はなかった様だ。
 「そうでしたね。これは失礼致しました」
 「いえ、とんでもありませんよ」
 「ところで、こちらの灯籠流しは、地元の人間でなくとも出来るのでしょうか?」
 先程のシュラインの言葉を聞いていた飛鳥は、彼女に代わってそう聞いた。
 「勿論。あちらの方で、盆と灯籠を受け取って、供物を乗せて流して下さい」
 関が指し示したのは、本堂前と満月廊辺りに設置されている二カ所である。
 「なあ、あの供物って、食え……いでぇっ!!」
 座ったままの北斗の頭を、渾身の力を込めて、左右の頭上から啓斗とシュラインが殴っている。
 「お前と言うヤツは……」
 「罰当たりよ」
 「ぼかぼか殴られたら、バカになるだろっ!」
 握り拳と共に立ち上がって反論する北斗だが、言った相手が悪かった。
 「安心しろ。もうバカだから」
 「ショック療法って言葉があるのよ」
 二人の言葉に、くすくすと笑っているのはセレスティと飛鳥で、飛鳥もそうだが、セレスティもどうやら助けてやる気は更々ない様だ。
 「あ、あの、折角灯籠を流せるのなら、行きませんか?」
 助け船を出したのは零である。草間はそれを聞き、面倒だと渋っていたが、シュラインから背中をぽんぽんとされ、不承不承頷いた。
 ぞろぞろと歩く七人は、綺麗どころが多い為、可成り目立っている。お陰で混雑に巻き込まれることはなく、無事に盆と灯籠、そして供物を選んで戻ることが出来た。
 それぞれの、思い思いの供物を乗せ、池にそっと浮かべる。
 手元にある時には鮮やかな炎であったのが、手を離れ、距離を置くと共に、ぼんやり幽玄を漂う光に思えてきた。
 そっと手を合わせるシュラインの背後には、草間が照れた様に着いている。
 「私達は、そろそろ行きましょうか」
 小声で言うセレスティに、皆がこっそり頷いた。



 施餓鬼会を見終えた飛鳥は、それまで一緒であった面々と別れて光明池の周囲を散策していた。
 灯籠の灯は、池の周囲なら何処へ行っても良く見える。
 いや、何処にでも盆が泳いでいるのだ。
 日が落ちてからの時間に開催したのは、確かに正解だろう。暗くなる前では、こんな灯を見ることは出来ない。
 施餓鬼会は二時間〜三時間で終わってしまう。それまでいるつもりのなかった飛鳥は、宴会があることを思い出し、先に風呂に入ってしまおうと光明池を後にする。
 部屋に戻って水着の準備をすると、そのまま一階の露天風呂へと降り立った。
 洗面器を貸してくれると言うので、流石にそれまで持ってきてはいなかった彼は、有難く借りることにする。
 露天風呂が混浴であっても、脱衣所は男女の区別が存在していた。当たり前だが。
 飛鳥は持ってきていたトランクスタイプの水着を着用。もしも女性がいた時の為である。紳士としての身だしなみだ。
 タオルを丁寧に折りたたみ、洗面器の中にマイ・シャンプー、マイ・リンスとマイ・トリートメント、更にはマイ・ボディシャンプーを持ち、そっと風呂を覗いた。
 「この時間は、誰もいないんですね」
 ほっとした様な、淋しい様な、複雑な気持ちである。
 出来れば綺麗なご婦人とお話したかったなあと思うのは、仕方あるまい。一行唯一の紅一点は、すでに売約済み。少しばかり切なくなってしまう。
 かけ湯をし、足下からゆっくりと風呂へと入る。
 洗面器の中に入れていたタオルを頭にぽんと乗せ、極楽気分を味わっていた。
 眼前には圧倒される様な芙蓉の花。芙蓉は夜になると閉じてしまうと言うが、どうやら昼咲き夜咲きのものもあるらしい。今もなお、綺麗に咲き誇っていた。近くの左、遠くの右にある二つの灯籠にも灯が入り、更に遠くの灯りがその向こうに見えている所為か、花の色だけが浮かび上がって現実の世界にいるとは思えない。
 飛鳥がそうしていると、からからと、脱衣所の引き戸が開く。
 「おや、貴方は」
 「お、確か東雲とか言ったな」
 そう言って和馬はぐるりと周囲を見回した。
 「一人か?」
 「ええ」
 そうかと呟く和馬は、脇に何かを置き、それにかけない様、気を付けてかけ湯をしていた。それを終えて風呂に入ると、先程置いた物をそっと引き寄せ湯船に浮かべた。
 「月見酒ですか?」
 「ああ、やるか?」
 勧められたが、飛鳥は小さく首を振って断った。無理強いする質ではないらしく、和馬はそうかと言ったきり、くいとそれを空けている。
 「しかし、男二人で入っているってのも、なーんか淋しいってーか……」
 「そうですねぇ……」
 全く以て同感である。
 だが、その寂しさは、そう長く続かなかった。何故なら、ここの露天風呂のことを知っている、施餓鬼会に参加していた女性達がやって来たからだ。
 かしましい声と共に、いっぺんに場が賑やかな物へと変わる。
 「あ、ごめんなさい。五月蠅くして」
 脱衣所から出てきて、既に入っている二人を見ると、にっこり笑ってそう言った。なかなかに綺麗なお姉ちゃんずは、全員で三人いる。
 最近の女性はとっても大胆だ。確かに水着は着用しているものの、その水着すら可成り思い切っている。いっそ脱いだ方が? と思ってしまう程、露出度が高いのだ。
 何故か和馬が酒を飲むのを止め、風呂の外へと盆を上げる。
 「いや、こっちも男二人で侘びしいねぇって言ってたとこだから、歓迎だな」
 な? とばかりに視線を向けられ、飛鳥もええと頷いた。
 「良かった」
 お姉ちゃんずの一人、ロングの髪を濡れない様にアップにした彼女は、真由と名乗る。更にお姉ちゃんずの一人、ショートの髪を金髪に近い色に染めた彼女は、愛理香と名乗る。最後の一人のお姉ちゃんは、ストレートらしい長い黒髪をアップにしている。彼女は珠樹と名乗った。
 名乗られれば、やはり名乗り返すのが礼儀で、こちらの二人側も、それぞれに名を名乗る。
 「お二人はお友達なんですか?」
 愛理香がそう聞くと、飛鳥と和馬の二人は顔を見合わす。
 友達と呼ぶより、仕事仲間だろうなと言った感じだ。今回の件で初めてあったのだから、互いに名前くらいしか知らない。正直に答える必要もないから、そうだと言う風に二人して答える。
 「へぇ、何か全然反対のタイプだから、ちょっと以外よね」
 真由が二人にそう聞いた。
 「あ、でも、反対だから気が合うってこともあるんじゃない?」
 そうかもーと盛り上がっている三人を見て、確かに反対だなと飛鳥は思う。
 白い肌の自分と小麦色の肌を持つ和馬、瞳も自分が青で和馬が黒、髪も金髪と茶髪。容姿からして正反対だ。
 更に言えば、雰囲気もまるっきり違う。
 「どちらからいらしたんですか?」
 「この下の街です」
 飛鳥の問いに、珠樹が穏やかに微笑んで答える。
 「へえ、じゃあ毎年ここには入ってるのか」
 「ええ、お昼はお手伝いして、夜になったら夜店に回って施餓鬼会参加して花火見て、何か毎年の習慣みたい」
 真由がそう答えると、そうそうと他の二人も頷いている。
 「あ、花火、もうそろそろよ」
 「ここから見えるの。花の上に、また花が咲いてるみたいなの」
 「綺麗よね」
 そう言っていると、聞き覚えのあるひゅうと言う音が聞こえ、一瞬の後、耳を劈く破裂音がする。
 「あ、始まったわよ」
 一発上がれば、後は順次に上がっていく。
 夜空に明るい花が咲き、そしてそれが萎れるのを待たずに次が上がった。
 日本の夜にはお馴染みの菊先が、金の光を見せたかと思うと、徐々にそれが紅のもの、青のものへと変わっていく。後追う様に、銀波先が流星を見ている様な銀色の軌跡を描いていた。牡丹の赤が、彩りを添え、それを飾る葉落が落ちる木の葉を現す様に、所々で光っている。
 大柳の光が流れたかと思うと、そこに蝶が舞っている。
 開いては散るのは、地に咲く花であれば侘びしいものだが、空に咲く花であれば、不思議と心楽しい気がする。
 「こりゃ、良い眺めだ」
 「ええ、本当に」
 音は凄まじくとも、それを差し引きしてもおつりが来る程艶やかだ。
 狂い咲きの桜の様に上がる花火。
 地上と空の花火に見とれた彼らが、時間に気付いて風呂を上がったのは、もう少し後の話であった。



 確か宴会は八時であると聞いていた。飛鳥は遅れる旨を連絡しておいて良かったと、ほっとする。
 慌てて風呂から上がり、出来うる限りのスピードで、草間興信所の面々が待つ部屋へと急ぐ。遅くなりましたと入って行くが、風呂で一緒の和馬はまだであった。
 席に着き、まずはお一つと、朱理から勧められてビールを一口。
 そうしている内に、和馬の姿も見え、更に守崎兄弟、シオンの順で全員が揃った。
 「じゃあ、みんなが揃ったところで、乾杯の……」
 「下手な能書きはいらねぇってば」
 「話が長い方は嫌われると言いますよ」
 機嫌良く乾杯の音頭を取ろうとした草間だが、その前の演説を始めようとすると、即座に北斗とモーリスから待ったが入る。
 しくしくと泣いてしまって後が続かない。
 「ほら、武彦さん、泣かないの」
 そうシュラインに慰められ、漸く顔を上げて一言。
 「何でも良い。乾杯っ!」
 声に続き、それぞれがグラスやお猪口を掲げて『乾杯』と叫ぶ。
 一気に進む宴会は、酒瓶やお銚子がこれでもかと開いていく。
 何故かワインを掲げているセレスティとモーリス、未成年なのに酒を飲もうとして啓斗とシュラインに殴られている北斗、陽気ではありつつも顔色一つ変えずに杯を空ける和馬、お化けメイクを未だ落としていないシオン、ほろ酔い加減の飛鳥、雰囲気に酔っている零に、すっかり出来上がっている草間だ。
 和室中央のテーブルに並べられているのは、食前酒の冷やし梅酒、滝川豆腐に生雲丹、冬瓜松前煮や石焼きステーキや牛しゃぶ、舟盛りなど、その他諸々。恐らく食の細い者ならば、一人前が食べきれるかどうかと思う程だ。
 「美味いよなぁ、これ。兄貴、家帰ったら作ってくれよ」
 「お前、何人分喰った?」
 「実はカードを持ってきているんですよ。如何ですか?」
 「勿論構いませんよ。……でも、場所が変わっても、結果は同じかと思いますけどねぇ」
 「ウサちゃん、帰る時、タッパに詰めてもらいましょうね」
 「ああ、私は書院で暮らしたいです。それがダメなら経楼で……」
 「美味い酒のお陰で、いくらでも食が進むな」
 「もう、武彦さんってば、寝るなら部屋で寝てちょうだい。風邪引くわよ」
 未だ花火が上がる中、そんな声が飛び交っている。
 防音設備がしっかりしている為、外の音はシャットアウトされていた。
 「何か、無音の花火って、淋しいな」
 「それでも、夜空に咲く花は、美しいと思いますよ」
 呟く啓斗に、穏やかに微笑んだセレスティが、そう告げた。
 「そうかな」
 「沈むな沈むな。宴会だからな。ぱあっと行けよ、な?」
 こっくり和馬に肯き、半分寝かけである草間の膳を狙っている弟に向けて、手裏剣を放つ。
 北斗は見事に避けたものの、袖で防いだ為に服が台無し。
 「啓斗! こんなとこで手裏剣なんか投げないで!」
 「痛ぇっ!」
 言葉尻で、しっかり北斗を殴っているところを見ると、ちゃんとシュラインは気付いていた様だ。
 「仲が良いですねぇ」
 「本当ですね。あ、セレスティさま……」
 満面の笑みを浮かべて、モーリスが言う。
 「これは……。もう一回、勝負ですよ、モーリス」
 「ええ、結構ですよ」
 宴会しつつ、カードゲームをしている二人だ。
 まだまだ宴会は終わりを見せない。
 途中で抜ける者も幾人かいた。眠気に負けた者、まだ何か楽しみがある者、それはその者達の事情である。
 草間興信所の宴会が終わったのは、一体何時であったのか、誰も知らない。
 山上の夜は、緩やかな時間と共に、徐々に更けて行ったのである。


Ende

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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0086 シュライン・エマ(しゅらいん・えま) 女性 26歳 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員

1883 セレスティ・カーニンガム(せれすてぃ・かーにんがむ) 男性 725歳 財閥総帥・占い師・水霊使い

3356 シオン・レ・ハイ(しおん・れ・はい) 男性 42歳 びんぼーにん(食住)+α

2318 モーリス・ラジアル(もーりす・らじある) 男性 527歳 ガードナー・医師・調和者

0554 守崎・啓斗(もりさき・けいと) 男性 17歳 高校生(忍)

2736 東雲・飛鳥(しののめ・あすか) 男性 232歳 古書肆「しののめ書店」店主

0568 守崎・北斗(もりさき・ほくと) 男性 17歳 高校生(忍)

1533 藍原・和馬(あいはら・かずま) 男性 920歳 フリーター(何でも屋)

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          ライター通信
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 こんにちわ、斎木涼でございます(^-^)。
 もうちょっと早くにお届けできるかと思っていましたが、遅くなってしまいまして、申し訳ありません。
 今回は、依頼ではなく、お楽しみシナリオ的なお話です。ですので、皆様から頂きましたプレイングは、殆ど盛り込ませて頂いているつもりです。短い部分とかもありますけれど、そちらの方はご容赦を。
 ちなみに隠しイベントとは、夜の阿難堂に行くと、多聞寺本当のご本尊である阿難尊者とおデート出来ると言うものでした。全然有難くない隠しイベントですが(^-^;)。
 ちらーっと、何方様かの本文中に、それらしい話が出ております。

 >東雲 飛鳥さま

 初めまして、斎木涼でございます(^-^)。
 この度は慰安旅行シナリオにご参加頂き、ありがとう御座います。
 初めて書かせて頂く為、もしも口調の方など違っておりましたら遠慮なく仰って下さいませ。
 『多聞寺』は、実はああ言った曰くであったのです。鬼さんは、……どんな関係があるのでしょう。微妙な含みを残しております。
 またお時間の宜しい時にでも、ご本を読みに来て下さると嬉しいです。


 東雲さまに、このお話をお気に召して頂ければ幸いです。
 ではでは、またご縁が御座いましたら、宜しくお願い致します(^-^)。