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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


■納涼! 真夏だよ全員集合!■

 蝉が五月蠅く鳴いている。
 一応ここは、都会と言っても差し支えない場所ではあるのだが、昨今の蝉は田舎よりも都会にて猛威を奮っているらしい。取り敢えずその蝉は、根性でその存在を主張しているかの様に、けたたましくもかしましく鳴いているのであった。
 「……暑い、暑すぎる」
 茹で蛸一歩手前で机に突っ伏しているのは、ここ、草間興信所の所長である三十路男、柄パン姿の草間武彦だ。暑ければクーラーを付ければ良いのだが、何故か本日、草間クーラーちゃんはご機嫌斜めで、吹き出すのは熱風のみと言う、ちょっとどころか可成り哀しい状態である。頼みの出張サービスは、現在夏真っ盛りである為、修繕よりも取り付け作業を優先しているらしく、ご到着は三日後と言う話であった。
 が、そんな状況であったとしても、パンツ一丁の格好でいるなど言語道断だ。客が来たらどうするのだろうか。
 「お義兄さん、鬱陶しいからその顔止めて下さい。そして服くらい着て下さい」
 にべもなくそう言うのは、草間の義妹、草間零である。
 しかしあまりに情けないその様子に哀れを催したのか、彼女は草間の眼前へ、徐に一枚の封書を差し出した。
 「お義兄さん。ほら、何だか涼しそうな手紙が届いてますよ」
 「あーーー?」
 だれだれの草間は、手を伸ばすのも億劫だと言った様で、零に開けて読んでくれと目で促した。良く出来た義妹は、大きく溜息を吐きつつも、義兄に従う。
 「えーーと。……謹啓、炎熱地を焼くとはまさにこの事、貴社の皆様方にはお変わりございませんでしょうか。さて、来る八月十日、当寺院にて施餓鬼会を実……」
 「解った。もう読まなくて良い」
 零は、義兄が何故『読まなくて良い』と言ったのか解らず、きょとんとしている。
 「このクソ暑いのに、オカルト依頼なんぞやってられるか。てか、うちはオカルト厳禁だって、何度言えば解るんだ」
 目指すはハードボイルドの道。
 パンツ一丁の姿で固茹で卵を目指そうなんざ、一億万年くらい早いだろうが、取り敢えずそのことはおいておく。
 どうやら草間は、『施餓鬼会』と言う言葉に反応したらしい。どうせその『施餓鬼会』で起こるかもしれない怪異を何とかしてくれと、そんな依頼なのであろうと考えたのだ。
 が。
 「あのー、依頼ではないみたいなんですけど?」
 この暑さの所為か、零のその言葉にも草間の脳味噌は爛れたままだ。
 眉間に三本皺を寄せていると、零が続きを読むのではなく、口頭で説明を行った。
 「何だか屋台や花火大会をやるみたいですよ。肝試しや百物語も。あ、露天風呂付きの旅館もあるそうです。月とお花畑を見ながらお風呂に入れるって、素敵ですよねぇ」
 その風景を想像したのか、ふわわんとした視線を漂わせている辺り、零もそこそこ暑さが脳味噌に来ていたのかもしれない。
 つまり、施餓鬼会とは言っているものの、早い話が夏祭りをすると言うことらしいのだ。
 「……送り主は?」
 「えーと、多聞寺と言うお寺さんみたいですね」
 「知らんぞ。そんなとこ」
 しかしこの草間興信所では、知らないところから何やら送られてくるのは余り珍しいことでもなかった。
 理由は簡単。
 その筋では有名な興信所であるからだ。その筋とは、言わずもながの話である。
 とまれ。
 「ここ、西多摩の山の上にあるみたいですね。あ、じゃあ、涼しいんじゃないですか?」
 少なくとも、都会の真ん中よりは涼しかろう。
 「あ、凄い……太っ腹ですよ、お義兄さん」
 「何だ?」
 「経費全てお寺さん持ちですって。勿論、往復の交通費も」
 「よし、零、行きたいと言うヤツ、片っ端から声をかけろ。その後、今から『草間興信所慰安旅行』の買い物行って来い。領収書は絶対貰って来るんだぞ。準備が出来たら、速攻出発だ」
 キャッシュな草間に溜息を吐きつつも、やはり零だって嬉しいのだ。唇に笑みを浮かべ、年代物の黒電話をフル稼働させた。
 その際。
 彼女の手にあった封書から、メモの様なものがはらりと落ちた。脳味噌がバカンスの地へと飛び去っていた草間は、後になってそれに気付くのだが。

 『この前の件は助かった。これは中元だと思って取っといてくれ。……ま、招待先が、うちの実家であれだが。取り敢えず、また何かあったら宜しく 金浪 征』



 「草間……本気か?」
 ぽつりとそう呟いたのは、穏和そうな十代半ばの少年だった。
 今先程の電話の内容を反復し、緑の瞳を思案げに揺らせているのは、守崎啓斗(もりさき けいと)である。
 「いーじゃんよ、兄貴。飯喰って遊び倒せて、でもって『タダ』だぜ、『タダ』!」
 超極太勘亭流五十ポイントくらいで『タダ』と言う文字を頭上に描いている少年は、啓斗と同じ顔立ちをしていた。いや、同じ顔立ちと言っても、雰囲気は異なるし、何より瞳の色が青と言う違いがある。
 彼は啓斗の双子の弟、守崎北斗(もりさき ほくと)であった。
 身長のことは、啓斗がちょっとばかり落ち込むので、どれ程の差があるかなどはノーコメントだ。
 「いやー、草間も良いとこあるよなぁー」
 ほくほく顔……もとい、涎を垂らさんばかりになっている北斗は、先の啓斗と草間の電話を、受話器に耳を当てて聞いていたのだ。
 その会話とは、以下になる。
 『慰安旅行行くぞ、慰安旅行』
 「慰安旅行?」
 その言葉が聞こえた北斗は、受話器の向こうに頭を貼り付ける。
 『旅費は全部こっち持ちだ』
 その言葉を聞き、啓斗は『草間、とうとう暑さが頭に来たか……』と溜息を吐いた。
 「何処行くんだ? 草間っ」
 だが北斗は受話器の向こう側から、嬉々とした顔で叫んだ。
 『寺。祭り。納涼大会だっ!!』
 一本どころか二〜三十本ねじの切れた答えが返ってきたことに、『やはり暑さで……』と目頭が熱くなって来る啓斗だが、北斗は少々違うのだ。
 「飯は?」
 『食い放題。精進料理もあるらしい。取り敢えず出発は……』
 こちらの返事は勿論OKオンリーとばかり、草間はまくし立てた。
 とまれ。
 まるで走馬灯の様に過ぎったそのやりとりを思い出しつつ、啓斗と北斗は準備に取りかかった。
 当初、草間の脳内予定では、本日の出発であったらしい。だが、他の人間の準備がまだだろうと言うことと、あちらさんがバスを用意してくれるらしい──フツーのバスを、カラオケ付きのデラックスシート仕様へと変更したのは草間だが──と言うこと、それぞれの準備が整い次第出発と言うことになれば、到着は夜中が必須になると言うことで、取り敢えず出発は、施餓鬼会本番日の早朝と言うことになったのだ。
 「草間、……大丈夫だろうな。飯がなくなったとか言われても、俺は一っっっっっ切っ! ……責任とらないからな」
 不穏な呟きは、当然ながら、草間に聞こえる筈もなかった。



 見事な門構えのそこには、本来ない筈のものがあった。
 『大歓迎 草間興信所御一行様』
 赤字に白抜き文字で書かれた幟である。
 一瞬、面々は引いた。思いっ切りドン引いた。
 これが『タダ』でなければ、回れ右していたかもしれない。
 これが宿泊の場ならば、『まあ客商売だし、そう言うこともあるかもしれないよなぁ。……多分』と思っただろう。……ちょっと間違っている気はするが。
 けれどその幟があったのは、立派な本堂が視線の先に見え隠れしている、お寺の総門だったのだ。ちなみに施餓鬼会にちなんだものもあるが、それ以上に草間一行の幟は目立っていた。更に言うと、同じ内容の段幕だか垂れ幕だか表しがたいものが左右の門柱の間に渡っていたのだ。
 本日夜間に催される夏祭りの準備の為か、山道などには様々な車両が行き来している。それらの全てに、この『大歓迎 草間興信所御一行様』を見られたかと思うと、ちょっとどころの話ではなく、とっても恥ずかしいかも知れなかった。
 「……と、とにかく。ご挨拶しなきゃね」
 何とか自分を取り戻したのは、やはり幾多の修羅場を乗り越えてきたシュラインであった。
 宿か本堂か、どちらへ先にと迷ったらしい彼女だが、即座にそれは解決する。
 「多聞寺、並びに芙蓉荘へ、ようこそおいで下さいました。草間興信所の皆さんですねぇ?」
 西域のイントネーションで話すのは、長い黒髪を纏めてあげ、襷掛けした和服姿である妙齢の女性である。参道からこちらに向かって歩いて来ていたのは、バスの運転手が知らせに行ったからであろうか。
 にっこり笑う口元の黒子が、印象的だと言えた。
 未だ幟のダメージから脱し切れていない草間に代わり、シュラインがさっと前に出て挨拶を交わす。
 「初めまして、草間興信所のシュライン・エマと申します。こちらが所長の草間武彦」
 『ほら、武彦さん』とばかりにそっと背中を叩くと、慌てて草間も営業スマイルで挨拶を返し、続いて零が名乗ると同時にぺこりと頭を下げる。更にもう一度後をと、シュラインがしっかり引き継いだ。
 「本日はお招きに預かりまして、ありがとうございます。お世話をお掛けするかと思いますが、宜しくお願い致します」
 「いやまあ、そないにかしこまらんとって下さいねぇ。こちらこそ草間さんとこには、うちの小ちび……やなくて、征がお世話おかけしてます。征の姉で、芙蓉荘の女将をやってる金浪朱理(きんなみ あかり)と申します。宜しくお願い致しますね。……あらぁ、お後三名さんの姿が見えへんけど……?」
 「事情がありまして、後から来ることになってます」
 シュラインがそう言うと、そう、と朱理は頷いた。
 次ぎに自己紹介を行ったのは、飛鳥である。
 「東雲飛鳥と申します。今日明日とお世話お掛け致しますが、宜しくお願いします。……それにしても、二日間とは言わず、ずっと逗留したくなる様なところですねぇ」
 施餓鬼会の準備があるからこそ、それなりに雑多な気配がありざわついてもいるが、日頃であれば澄んだ空気に包まれた、とても落ち着いた雰囲気の場所であることが解るからだ。
 朱理の黒い瞳がふっと和む。
 「嬉しいこと言うてくれはりますねぇ。今回に限らず、何時でも来ぃたい時に来て下さいね」
 フリーパスを貰ったも同然の飛鳥の顔が、嬉しげに微笑んだ。
 「シオン・レ・ハイですっ。宜しくお願いします! あの……ウサさんも一緒なのですけれど、ダメでしょうか……」
 「いーえ、全然。うちの娘が喜びそうやわ。厨房とかには入らん様にして欲しいけど、それ以外なら構わしませんよ」
 ほのぼのとしたやりとりだが、次の台詞を聞いた途端、シオンがウサちゃんを抱きしめ蒼白になった。
 「下手に厨房入って、材料に間違われたら大変だからな」
 「……兄貴、それ笑えねぇ冗談だから」
 真顔で言う啓斗に、北斗がそう突っ込んだ。どうやら当人、真面目にそう思っている様で、突っ込まれたているのが何故だか解らず、小首を傾げていた。しかし何かを思い出した様に朱理の正面へと一歩踏み出す。
 「二日間お世話になります。守崎啓斗です。こっちは……」
 「弟の北斗ですっ。宜しく」
 そう自己紹介をすると、そろってぺこんと頭を下げた。
 「うちとこの大中小と違って、ほんまそっくりやねぇ。あ、……もしかして双子さん?」
 こっくりと頷く啓斗に、そうと笑う。
 「……そう言えば、征さんは?」
 ウサちゃんを抱きしめていたシオンが、ふとここに招待した本人がいないと言うことに気が付いた。
 「ああ、征はねぇ、あんまりここには帰ってけぇへんねんわ。大チビ……やのうて、関(せき)がうるそう言うんがイヤやねんやろね」
 「関さん?」
 「こちらのご住職さんですか?」
 住職にも挨拶をと思っていたシュラインと、どうしても住職に聞きたいことがあった飛鳥は、そう互いに問いかける。
 「関はうちとこの長男坊やけど、住職ちゃうよ。次男坊の餞(せん)言うんが、住職やってるんやわ。……と、あ、済いませんねぇ。こんなとこで立ち話して。さあさ、どうぞこちらへ」
 朱理が行き来している従業員らしき者を捕まえ、荷物を運んでもらうよう手配する。そして七名は、漸く宿へと移動したのである。



 部屋割りに関しては、それぞれが協議の上、案外あっさりと決まった。芙蓉畑に面している方の部屋なら、何部屋でもどうぞとのことだった為でもある。客室は三階と四階で、それぞれ一つの階に付き、一つずつ大きめの部屋があり、後は同じ大きさの部屋が五室。二階分で計十二室になっている。一室二人と言う定員であるから、単純計算で二十四人が泊まれるのだ。最も、この施餓鬼会では、基本的に山の裾にある町村民のみ参加するだけだから、殆どが空室でもある。元々、営利目的で運営している旅館ではないらしいからこそ、かき入れ時とも言えるこの日にも空いているのだ。
 ちなみにその部屋割りではあるが、所長の特権で三階の大きめの部屋は草間が陣取り──と言っても、何だかんだと人が入り込むだろうことも予想はしているが──、啓斗北斗の双子で一室、シュラインと零で一室、シオン、飛鳥がそれぞれ一室と言うことになった。
 未だ未到着の三人で、セレスティ、モーリスの主従コンビは、荷物が多くなっているだろうからと言うシュラインの予想で四階の大きめの部屋、和馬が一室と言うことになっている。
 三階組は、草間、シュライン+零、守崎兄弟、四階組はセレスティ+モーリス、シオン、飛鳥、和馬である。
 とまれ。
 先発組はそれぞれの部屋にて一息入れた後、施餓鬼会イベントのタイムテーブルを記した紙を手に、思い思いの催し物へと散ることにする。
 「ま、ちゃんと集合するとは思わないけど、一応夕食は八時半からだから。覚えておいて頂戴ね」
 本来ならもっと早くに始まる宴会……もとい、夕食タイムだろうが、この面々であっては無理だろうと、シュラインは朱理に遅めの夕食を頼んでいたのだ。
 それぞれお返事を返し、一階ロビーを出て行った。



 「やぁーっぱ、まずは腹ごしらえだよな」
 うんうんと上機嫌に頷いているのは、ツインズの片割れ、北斗であった。
 もう昼だし、一応バス内でがっつり喰っていたとしても、彼は兄よりも大食らいだった。いや、兄と言わず、誰よりも大食らいだった。
 充分小腹は開いている。もとい、空いている。
 けれど北斗の小腹がどれ程のものであるかは、お釈迦様でも解らない。
 とまれ、現在の目的は精進料理であった。
 意気揚々と本堂へと突撃した彼は、入って直ぐにあるご本尊さまをスルーし、己の嗅覚と第六感の示すがままに進んでいく。ご本尊さまから右側、少々奥へと入り込んだところに、その北斗が目当てとする精進料理を振る舞ってくれるコーナーがあった。
 そこには十名に満たない程度の男女が、膳に乗ったそれを食している。
 きょろきょろと見回していると、小坊主さんと言った風の少年が、声を掛けてきた。
 「精進料理の体験ご希望の方ですね。こちらへどうぞ」
 「おう!」
 体験希望と言うか喰う気満々な北斗は、そう元気に返事をする。にっこり笑みを見せる少年は、開いている卓へ北斗を案内すると、びらんとメニューを掲げ持った。
 「こちらをぞうぞ」
 「……えーと、これは?」
 見ると何やら、Aコース、Bコース、Cコースとある。
 「はい。お好みのお料理コースをお申し付け下さい」
 やはり笑顔で言うのだが、北斗は一瞬『ここって町中のレストラン?』と言いたくなってしまった。何処の世界にメニューを出す寺があるのだろう。
 しかしそう思うも数瞬。
 周囲から漂う良い香りが鼻腔を刺激し、北斗の脳裏には『喰うべし』の文字が浮かび上がっていた。

 ●Aコース
 虎耳草の和え物
 くこの実の天ぷら
 海老いもの煮物
 マスカットの水晶寄せ
 雪消飯
 染飯餅
 ●Bコース
 土筆と三つ葉の和え物
 豆腐と味噌の揚げ物
 ぐつ煮豆腐
 西瓜の呉汁
 葱めし
 茄子のひすい万頭
 ●Cコース
 岩茸と冬瓜の落花生和え
 湯葉の納豆包み揚げ
 凍り豆腐の煮物
 冬瓜と豆腐のあんかけ
 利休めし
 林檎の庄内巻き

 迷った。
 北斗は迷った。
 ここで料理に使用している材料の目星がつく者ならば『何と雑多な……』と呆れかえるだろう。それくらいあちらこちらからの寄せ集め精進料理メニューである。だが、彼にそんなことは関係ない。
 美味しく頂ければ良いのだ。
 そして彼が出した結論は。
 「なあ、これ、全部って選択はなしとか?」
 上目遣いに、『ダメ? ダメかなぁ……?』と訴えてみると、最初目をまん丸にしていた少年小坊主は、にっこり笑って返事した。
 「少々お待ち下さいね。上の者に聞いてきます」
 前を向きつつ、ささっと後ろへと行こうとした小坊主の背後から、不意に気配を感じて顔を向けた。
 背後に立っていたのは三十代くらいの男性で、こんなところには似つかわしくない様な、ダブルのスーツと言う出で立ちだ。
 思わず暑くはないのだろうかと、余計なお世話なことを考えてしまう。
 「構わんよ。お出しして」
 「では、Aコースから順番にお持ち致しますね」
 そう言うと、すっとご本尊裏へと消えていく。残ったのは、声を掛けた男だ。
 野郎と見つめ合っても、あんまり面白くないなぁと思ったが、近くに来るまで気配がなかった男に違った意味では興味がある。
 彼はそこそこに高い身長で、短く切った黒髪をオールバックにし、縁なしの眼鏡を掛けていた。
 「草間興信所の方ですね。ようこそおいで下さいました。金浪関(きんなみ せき)です」
 慇懃ではあるが、無礼ではないと言った雰囲気で、更に何処か固い感じがする。
 「どーも。守崎北斗だ」
 「宜しく。……それにしても、うちがお出しする精進料理は、可成り量がありますが、大丈夫ですか?」
 北斗を知っている者達なら、絶対に言わない台詞だ。
 むしろ『食料庫の心配した方が良いぞ』と、関に教えてやるだろう。
 「勿論。それより、おかわりとかもOK?」
 にんまり笑う北斗に、おやまあと言う表情を見せるが一転。にやりと挑戦的に笑うと、口を開いた。
 「余裕があるのでしたら、是非」
 その言葉に、北斗の瞳が妖しく輝いたのは、言うまでもない。



 「嘘だろうっ?!」
 あっと言う間に三つのコースを平らげ、更に二周目も終わりに近付いている北斗を見て、関が目を丸くして声を上げた。
 上目遣いに彼を見つつ口を動かしていると、その向こう側に見知った顔が二つ並ぶ。
 「あ、ひゅはへえ」
 「……あ、啓斗だわ」
 「──っ?!」
 『口に物入れたまま喋るなっ!!』
 そんな声が北斗の脳裏に炸裂した。慌てて中のものを飲み込んでしまいげほげほと咳き込んでいる。
 そんな北斗をは放っておいて、シュラインが北斗を前に目頭を押さえているその男性に向かって問いかけていた。
 「あの、この子が何か……?」
 「いえ、失礼。少々驚いただけですよ」
 「?」
 「うちの精進料理のコース、二周目に突入する方がいるとは、思っても見ませんでしたから……」
 シュラインの顔には、『ああ、そんなこと』と書いてある。だがすぐ何かを感じ、げっそりとした顔をする。
 そんなシュラインを見て、ぽん、と、草間が肩を叩いた。その瞳には『解っている、シュライン。何も言うな』と書いてある。
 「や! だって、余裕があったらどうぞって……」
 漸く落ち着いたらしい北斗は、そう弁解する。
 「ええ、そう申し上げたのはこちらです」
 男は口元を引きつらせつつ、そう言っている。ちなみに北斗は、そうだそうだと頷いた。
 「そ、そうなんですね……」
 「ええ。……と、草間興信所の方ですね。ご挨拶が遅れました。金浪関(きんなみ せき)と申します」
 「征さんのお兄様?」
 「はい。弟がお世話になりました。こちらにいらしたと言うことは、精進料理を?」
 シュラインは余計なことを言わず、ただ『ええ』とばかりに頷いた。
 「では、こちらにお席を……」
 案内されかけたのは、北斗の隣だ。
 だがしかし。
 「ごちそうさんっ!!」
 素晴らしい勢いで残りの料理を食べ終えた北斗が、がばっと立ち上がってそう言った。
 「んじゃ、シュラ姐、草間、ごゆっくり!」
 『やっぱり、邪魔しちゃ悪ぃもんな』
 そう思った北斗は、素早く本堂を出て行った。



 「一応、二時間を目安にしております。終了致しましたら、こちらにお茶を用意してますので、宜しかったらどうぞ」
 ふと見ると、先に参加していた者達は、お茶を嗜みつつ、お茶請けまでも頂いている。
 マスカットを中心に周囲を砂糖漬けゼリーに覆われた緑宝珠、白桃のゼリーである満月、柿の果肉を乳白色のゼリーで包んだ柿時雨、口に入れるとほろほろと崩れる抹茶ケーキで羊羹を包んだそぼろ羊羹、羊羹の中の栗を月に見立てた月見羊羹、柚子の千切りを蜂蜜漬けにした常世の蜜、芙蓉の花を形取った葛を黒蜜で食す葛芙蓉など、その他様々な水物が並べられていた。
 「あれ、幾つ喰っても良いのか?」
 「ええ、どうぞ」
 禅堂にいたのは、ここの住職と言う金浪餞(きんなみ せん)である。
 愛想が良いと言うよりは、『お前バカか?』と言う程にへらへらとした男だった。ひょろっとした長身に、長目の黒髪を後ろへ流し、金色の瞳を和ませて北斗を見ている。
 先程関が卒倒しそうな程喰ったにも関わらず、北斗の胃袋は進路良好オールグリーンであった。このまま何処までも食い倒れるぞ、とばかりな眼光である。
 「良しっ! 二時間頑張るぞ!」
 声も高らかに宣言する。
 「頑張って下さいっ。兄から伺った、貴方の胃袋に期待してますよ!」
 「え?」
 それは一体どう言う意味だろうか。北斗の頭が傾げられる。
 「だって、兄のところだけが盛況なのは、哀しいじゃないですか。ここは是非とも、底なしの胃袋で、こちらの水物を制覇して下さいねっ」
 微妙にずれている餞の言葉だが、取り敢えずここでも食い放題が確約された。
 北斗の闘志に灯が灯る。
 それを見た餞の瞳にも、鬼火が燃えた。
 「では、無制限一本勝負です……」
 「え? 無制限っ?!」
 「始めっ!!」
 突っ込んでみるも、燃え燃えた餞には聞こえていなかったらしい。
 二時間の筈が、何故か無制限となった禅体験を、目の前に美味しそうなお茶請けを置かれたまま敢行することになったのである。
 腐っても忍者。
 身体は当然柔らかい。余り慣れていない者であれば、実は禅を組むと言うことからして大変である。足が綺麗に組めないのだ。大抵が片方だけを組むと言う形になってしまうのだが、北斗はきっちり両足を使って組んでいる。
 目の前には、色とりどりで鮮やかな水菓子。それを吹っ切る様にして瞼を閉じるも、北斗の想像力は『食』に関して途方もなく豊かであった。
 いやむしろ、心の瞳で見た今こそ、その真実の姿(……)がありありと浮かび上がっているのだ。
 思わず顔が、でへらとにやけかか……ると、即座に肩に弾けた痛みが音共に走った。
 「いでっ!」
 「無心ですよ、無心」
 上目遣いに見ると、金色の瞳を輝かせた餞がそう言った。住職直々の禅体験と言うのは、有難いのかどうなのか解らない。
 別段、禅のなんたるかを説かれた訳ではなく、食欲を期待された北斗が、そちらの想像の泉へと羽ばたいたとて、恐らく誰も文句は言わない筈だ。
 「終わったら、お腹いっぱい食べて下さいね」
 そう言いにっこり笑う餞に向かって『そりゃーちぃっとばか、違うんじゃねぇ?』と思った北斗であった。



 「喰った喰った」
 満足げにそう腹をさすっているのは、関の常識をノックアウトし、餞の喜びのツボを突きまくった北斗である。
 慌ただしく施餓鬼会の準備をする人々とすれ違いながら、腹ごなしとばかり、彼はふらふらと光明池の方へと歩いていく。広い広いと言っても、やはり地平線が見えると言う訳ではない為、さほど時間も掛からずについてしまう。
 光明池は、寺らしく、所々に蓮の花が浮かび、それなにり華やかだ。水の色は可成り澄んでいた。だが底が見えない為、もしかすると可成り深いのかもしれないと感じる。
 蓮は通常、朝に咲き、夕方に閉じる。けれど熱帯地方のものには、昼咲きや夜咲きのものもあるのだ。これらの花の方が、一般的には香りがきついと言われている。どうやらそのことを踏まえて考えると、昼咲き夜咲きの蓮もある様だ。
 ゆっくりと時間をかけ、池の周囲を一周した北斗は、丁度池の中央に建てられている、案内には『阿難堂』とある建物へ入ってみることにした。
 ここへ行くには、『満月廊』と呼ばれているらしい回廊を渡らなければならない。勿論泳いで到達することが出来ない訳ではないが、非常時でもないのに服のまま泳ぐ趣味など、北斗にはなかった。
 満月廊は、何処にでもある様な木造の橋だ。可成り太い欄干と足を持ち、可成りの重量を支えられそうだった。そこを渡り終えると、阿難堂の入り口がぽっかりと開いている。夜であれば、扉が閉じられるだろうが、現在は拝覧時間である為、観音開きのそれは開けたまま固定されている。
 北斗は一歩、中へと踏み込んだ。
 阿難堂の内部は、畳が三畳分くらいの広さがあった。
 「案外、普通……でもないか」
 北斗の視線の先には、木像があった。立て看板の様なものを見ると、これは阿難尊者の像であると書かれている。その阿難尊者の像に、何か違和感を感じたのだ。
 動くかなと思い、まじまじと見てやるが、その像は美麗な面を刻んだまま、ぴくりとも動きはしなかった。
 「うーん、思い過ごしかなぁ」
 ぶつぶつ言いつつ、周囲をぐるりと巡ってみるも、やはり現在は一ミリたりとも動かないのだ。小首を傾げつつ、北斗は阿難堂を後にする。
 満月廊を渡り終え、ふと横にある墓地を意識した。
 「あ、やっぱさ、寺に来たんだから、墓参りでもすっかねぇ。……ま、他人の俺が、墓参りして嬉しがる仏さんもいないだろうけどな。な?」
 背後から歩いてくる気配を感じ、そう声を掛ける。人の行き来はあるものの、やはり自分を目指して歩いてくる者のことは解るのだ。
 「そんなことないです」
 振り返った北斗の目線の下から、穏やかなそれを向けているのは、北斗よりも少しばかり歳が上と言った女性だ。
 「ここの墓地は、無縁さんが多くお弔いされているの。あまり手を合わせてくれる人もいないから、そうやってお参りしてくれる人がいてくれると、きっと喜ぶと思います」
 「それって、下手に憑かれたりしねぇの?」
 怪談で良く聞く話だ。思わず引きつり笑いをしながら聞くと、彼女はゆっくり首を振る。
 「大丈夫です。皆さん、お優しい方ばかりですから。今晩の肝試しにも、協力して下さるんですよ」
 「……」
 何かちょっとばかりずれてないだろうか。
 「えーと、ところであんたは?」
 「失礼しました。金浪碧羽(きんなみ あおば)と申します。こちらの末です」



 「なーんか、案外時間喰っちまったよな」
 碧羽の言う様に、ここには無縁仏が多かった。
 一つだけ代表でと、最初は思っていたのだが、何となくそれも悪い気がしたので、結局北斗は一つ一つ水を掛けては拝んでいた。
 一応は一つところに集められてはいたが、それでもその墓地の四分の一くらいのスペースを割かれているそこを回るのには時間を要するのだ。
 それに『肝試しを手伝ってくれる』と言っていた碧羽の言葉通り、何となくざわざわしている気もした為、逐一背後を振り返っては、何も立っていないことを確認していた為、すんなりとは回れなかった
 勿論、悪意などは感じなかった。『ありがとう』と聞こえた気もしたが、きっと空耳だろう。
 来た時にはいなかった、肝試しの準備をする者達の姿がちらほらと見えた時、北斗はそこを後にしようと踵を返す。
 その時だった。
 北斗の胸が、どくんと鳴る。
 『急いで』
 『早く』
 『早く』
 『お行きなさい』
 聞こえる筈のない声は、北斗の脳裏でぐるぐる回る。
 「……なんか、ちょっとヤバイかも」
 胸の当たりを鷲掴みにしつつ、そう呟いた。
 ヤバイのは自分ではなく──。
 「兄貴っ」
 北斗は泡を食って駆けだした。
 場所など見当も付かない。それでも間違える筈がない。
 暗闇に見える里の灯の様に、鮮やかに浮かぶそれを目指せば良いだけなのだ。
 向かう先は本能の向こうにある場所。
 本堂と池の間を横切り、人とぶつかりそうになりつつ、北斗はただひた走る。
 書院と禅堂の間にある扉は、重いものではなかったが、それでもこんな時には邪魔だ。
 少し前から匂っていた香りは、扉を開けてそこへと降り立った時、一層強くに北斗を襲う。
 北斗はそこに啓斗を見つけた。
 まるで宙にある何かを見つめた様に、瞳を見開いていて立ち竦んでいる。
 時が止まってしまった様な、否、時間ごと何処かへと連れ攫われてしまった様な、そんな静寂。
 先程まで聞こえていた筈の祭り独特の喧噪は、北斗の耳には届いてこない。
 限界だ。
 そう感じた北斗は、思わず走り出すと同時に叫ぶ。
 「兄貴っ!」
 『行くな』とばかり、肩をばしんと叩いては見たものの、本当にここに止まってくれているのかが不安だった。
 夢から覚めた様な顔とは、今の啓斗を指すのだろう。
 未だ何処か、心ここにあらずと言った瞳が向けられる。
 「……北斗」
 それでも北斗は、自分がいるのだとばかりに、啓斗を取り戻さんとばかりに笑った。
 「何ぼけっとしてんだよ」
 「……いや、何でもない」
 啓斗の顔に、微かな笑みが浮かんだ。
 そんな風に笑うなら、そんな風に言うのなら。
 「そっか? ……なら良い」
 知らないふり、気付かないふりをするしかなく──。
 「ああ」
 ゆっくりと啓斗が歩き出した。それを追う様に、北斗が続く。
 何時も見ている背中から、啓斗が見たものを知ろうと思ったが、やはりそれは解らないまま。小さく、啓斗に気付かれない様に溜息一つ、北斗は口を開いた。
 「それにしてもさ、ここすっげーよな。こんなにいっぱい咲いてるの、初めて見た」
 啓斗がこっくり頷いた。
 流石に芙蓉の花が密集している中を歩くことはせず、彼らは周囲を歩いている。
 飛び石まで来た時、何やらそこに可笑しな痕跡が残っていることを発見した。
 「……。なあ、もしかして、風呂に落ちたヤツ、いるんじゃねぇの?」
 そこには微かに何かの後があり、それは露天風呂へと続いているのだ。
 「そうかもな。ま、落ちたとしても、大分前の話だろう」
 啓斗がそう言うのに、北斗もまた納得する。ついさっきと言うなら、水の後がある筈だ。けれどここにはそれがない。既に乾いたと言うことだろう。
 「そうだな。あ、そろそろ夜店始まるんじゃねぇ?」
 確か六時頃から、屋台が営業すると言っていたことを思い出す。
 「なな、俺、あれ喰いてぇ」
 北斗の脳裏にぽややんと浮かぶもの。普通ならそれだけでは解らないのだが、やはり双子だ。
 「……水飴か?」
 「そうそう。桃のヤツで、最中もついてるヤツ」
 まるで誘うかの様な桃の水飴が、北斗にしか見えない範囲で飛んでいる。
 「いでっ! あにすんだよ、兄貴」
 思いっ切り頭をどつかれ、北斗は涙目になってしまう。
 「みっともないから涎ふけ」
 周囲を伺い、自分達だけだったことに安堵しつつ、北斗は涎を拭く。
 「行くぞ」
 「へ?」
 「水飴、喰うんだろ」
 「おお!」
 いざ行かん、パラダイスへ。北斗は一目散に駆けだした。



 流石に夜店の並びは、タイムテーブルが書かれている紙に載っていない。もっとも、何処に何があるかを見て歩くのも、夜店の醍醐味である為、そのことに関して北斗も啓斗も、文句を言う気は全くなかった。
 「おお! 俺の本能が叫んでいるぜっ!」
 意味不明の叫び声を上げた北斗は、しっかり瞼を閉じて数秒後。
 「兄貴、あっちだっ!」
 「おい、北斗っ」
 叫ぶが早いか、啓斗の手をしっかと握り、人混みなどものともせずに歩いていく。本当は走り出したい衝動を抑えているのだが、それをすると、笑顔般若と化した啓斗に、ぼこぼこにされてしまう為、理性を総動員しているのだ。
 「ちょっとゴメンよー」
 そう言いつつ、するりと人の波を抜けていく。
 参道ではなく広場の階段を上がり、即座に右折れ。丁度突っ切った角に、それはあった。
 「なあ北斗」
 「何?」
 「俺は一度、お前のその鼻の構造を知りたい」
 「何言ってんの、兄貴?」
 普通は頭の構造だろうがと、北斗はそう思う。
 「あ、おっちゃんおっちゃん、桃のそれ頂戴。おっきいのな、おっきいの」
 北斗の顔は、すっかり完全にふやけている。
 「元気良いなぁ。ほいよ、坊主」
 そう言って、割り箸に桃を突き刺してある水飴を、最中の皮を皿にして差し出した。
 当然財布は啓斗である。
 受け取った北斗は、啓斗に『サンキュー』と言いつつ、大喜びでかぶりついた。
 啓斗と二人、あちこちの屋台を冷やかし始める。
 射的では本気になった啓斗が、わざと照準をずらしている銃を調整しようとして慌てて北斗が止めに入ったり、ヨーヨーつりでは二人して全てつり尽くす勢いで親父を青ざめさせたり。
 「あ、お面だお面」
 ととと、北斗が寄って行く。その後に啓斗が続き、二人して並べられ、立てかけられているそれを見ていた。
 「狐面、買ってやろうか?」
 「え?」
 「昔買っただろ?」
 最近流行の特撮系のお面が並ぶ中、昔ながらのそれだってきっとあるだろう。
 『まさかの般若面なんかねぇだろうな』と、北斗は思った。
 「え? ああ、そうだっけな。……でも、やっぱ面と言えば般若……。って、ウソぉ」
 狐面を探していた北斗が硬直した。
 何故か、狐面の横に般若面がある。
 「……ふっふっふ。これはもう、俺に買えと言っているな」
 妖しく笑う啓斗の横で、涙目になっている北斗がいた。
 「兄貴ぃ……」
 不気味な笑みを浮かべている啓斗を見て、屋台の親父も引き気味だ。般若面と狐面を買うと、涙目になっている北斗へ狐面を顔ではなく頭に被せ、自分はその般若面を後頭部に被っている。ある意味、どちらを見ても啓斗であった。
 小さく『兄貴怖いよぉ』と呟く北斗は襟首を引っ張られ、ずんずん歩く啓斗に引きずられる。
 「あれ?」
 妖しい微笑みも、どうやらそこまでの様である。啓斗は見知った顔を見つけたらしい。
 「あ」
 北斗も同じく、匂いにつられて涙が引っ込んだ様だ。
 「兄貴、あれ喰ってみてぇな」
 「お前、正気か?」
 「ぶっちぎってマジ」
 目の前にあったのは、『もくもくトウモロコシ』、シオンの屋台である。
 「あ! 啓斗さん、北斗さん、いらっしゃいませー」
 食べ物の屋台にウサギは如何なもんだろうと思いはしたが、逆に可愛いと言うことで、マスコット的な存在となっている様だ。女性客がかなり多い。
 「もくもくトウモロコシ、四つ頂戴」
 「ありがとうございますっ!」
 遠くからでも、北斗の食欲は良く解る。せっせと作っているシオンの元へ二人が近寄って行くと、丁度四つ分を作り終えたところであった。恐るべし職人芸……なのかもしれない。
 「はい、どうぞ」
 北斗の手に二つが渡り、更に啓斗が財布から勘定を支払った後、二つ受け取る。その時、シオンの瞳に後頭部にある般若面が見えた様だ。
 「ひぃぃぃっ!」
 「おおっと!」
 その際シオンは、思わず台の上に並べていた品々をひっくり返し、周囲にいた女性達が『きゃあ』とも『わあ』とも言えない悲鳴を上げたのである。



 光明池の本堂と反対側には、池に灯籠を流す人々で賑わっていた。
 灯籠を流すと言っても、灯籠のみを流す訳ではない。小さな船に灯籠と供物を乗せ、灯りを付けて池に流すのだ。
 「シュラ姐!」
 「ここにいたんだ」
 二人して、そう声を掛けると、飛鳥とセレスティにぺこりと挨拶をする。
 また挨拶をされた二人も、同じく軽く頭を下げて返してきた。
 北斗が座り込み、啓斗がその後ろに立って、未だ中年親父と話し込んでいる草間は放って、全部で六人が池を見た。
 「何故でしょうね。送り火と言うのは、何故か懐かしさを覚えてしまいます」
 遠くを見つめる様な瞳の飛鳥が、ぼんやりとそう言った。
 何かを思い出しているのだろうが、それは飛鳥以外の人間には解らない。
 「んーー、でも、本当に綺麗よね。……私達も灯籠流し、しちゃダメかしら」
 せっかくお招き頂いているのだからと、面倒がる草間を宥め賺して施餓鬼会に参加しているシュラインは、灯籠を流すのは地元の人だけかもしれないと遠慮している様だ。
 「関さん?」
 振り返る彼女に、驚きの表情を見せる関だが、すぐさま元に戻って笑みを浮かべる。
 「こんばんは。施餓鬼会は如何ですか?」
 そう言いつつ、初対面の飛鳥とセレスティに名を名乗る。
 「初めまして。金浪関(きんなみ せき)です」
 「初めまして。東雲飛鳥です」
 「こんばんは……」
 「存じ上げておりますよ。リンスターの総帥ですよね?」
 え? とばかり、そこにいた者達は顔を見合わせる。だが種明かしは簡単に終わった。
 「一応、私、これでも税理士ですから。政財界にはそこそこ詳しいんですよ」
 「そうなのですね。でも、今は一個人として、楽しんでおりますので」
 誰もが上手いと唸っている。もしも下心があるのなら、その言葉に対する反応でで解ってしまうだろう。
 だがどうやら関に、下心はなかった様だ。
 「そうでしたね。これは失礼致しました」
 「いえ、とんでもありませんよ」
 「ところで、こちらの灯籠流しは、地元の人間でなくとも出来るのでしょうか?」
 先程のシュラインの言葉を聞いていた飛鳥が、彼女に代わってそう聞いた。
 「勿論。あちらの方で、盆と灯籠を受け取って、供物を乗せて流して下さい」
 関が指し示したのは、本堂前と満月廊辺りに設置されている二カ所である。
 「なあ、あの供物って、食え……いでぇっ!!」
 左右の頭上から啓斗とシュラインに、座ったままの北斗は渾身の力で殴られた。
 「お前と言うヤツは……」
 「罰当たりよ」
 「ぼかぼか殴られたら、バカになるだろっ!」
 握り拳と共に立ち上がって反論する北斗だが、言った相手が悪かった。
 「安心しろ。もうバカだから」
 「ショック療法って言葉があるのよ」
 二人の言葉に、くすくすと笑っているのはセレスティと飛鳥で、互いに助けてくれる気は更々ない様だ。
 「あ、あの、折角灯籠を流せるのなら、行きませんか?」
 助け船を出したのは零である。草間はそれを聞き、面倒だと渋っていたが、シュラインから背中をぽんぽんとされ、不承不承頷いた。
 ぞろぞろと歩く七人は、綺麗どころが多い為、可成り目立っている。お陰で混雑に巻き込まれることはなく、無事に盆と灯籠、そして供物を選んで戻ることが出来た。
 それぞれの、思い思いの供物を乗せ、池にそっと浮かべる。
 手元にある時には鮮やかな炎であったのが、手を離れ、距離を置くと共に、ぼんやり幽玄を漂う光に思えてきた。
 そっと手を合わせるシュラインの背後には、草間が照れた様に着いている。
 「私達は、そろそろ行きましょうか」
 小声で言うセレスティに、皆がこっそり頷いた。



 灯籠流しの後、啓斗を引きずって墓地を巡ってた北斗は、そこに霊の気配をひしひしと感じた。
 だが悪意がないことは感じるのだ。
 そこで驚かそうとしているのは、下の街の人間や、寺のスタッフであることは、人の気配に聡い守崎兄弟には充分過ぎる程解ってしまう。
 一応、一番奥の、金浪家の墓前にあるお札を取って来ると言うのが条件だが、北斗は敢えてそこへは行かずにふらふらしている。
 「さっさと取って帰るぞ」
 落ち着かないのかも知れない啓斗にそう言われ、北斗はえーとばかり不平を漏らす。
 危ないところなら、連れてこない。こんな墓地だからこそ、二人連れだって歩いても大丈夫なのだ。
 先程からあちらへ行っては、隠れている人や、二人の前に出てきた幽霊役を逆に脅かしては楽しんでいる。ちなみにいきなり前に出られても、啓斗は平然としていたから、はっきり言って、脅かし甲斐のない二人であることは間違いがない。
 啓斗の肩が、びくりと反応した。
 「──!」
 今度は本物だ。
 ぼんやりと浮かぶ白装束が、如何にもと言った感じだが。長い髪をだらりと流し、死んだ魚の目──死んでいるから当たり前だが──でこちらを見ている。
 「あー、兄貴?」
 ばっと背後を向き身構えようとする啓斗に、北斗はポンと肩を叩いてその動きを止めた。
 「どうした?」
 日頃であれば、啓斗より先に突っ走る自分だが、今回はその必要もないことを知っている。
 「悪さしねえよ、あいつら」
 「その根拠は何処から来る?」
 「んー、昼逢ったし」
 「お前、何してたんだ……」
 「墓参り」
 彼は『本物』が出てくるのを待っていたのだ。
 北斗がそう言ったのをかわぎりに、続々と『本物』が現れた。
 年齢も容姿も千差万別、現代の格好をしている者から、可成り古いと思われる格好をしている者いる。哀しいことだが、幼い少年少女の姿も見えた。
 北斗が啓斗と共に、目を閉じて手を合わせると、それぞれが安堵した様に儚く笑う。
 「また機会があったら、来るからな」
 そう言う北斗の言葉と共に、彼らはぽつぽつと消えていく。
 そこに残ったのは、守崎兄弟と、この霊の大群を見てぶっ倒れた脅かし役の人間だった。
 「……。行くか」
 「あ、ああ」
 倒れた者達を尻目に、二人はさっさとお札を取って来る。出口まで戻り、証拠のお札を渡すと、そのまま花火へ直行した。
 既にいくつもの花火が上がっている。
 「なあ、兄貴。ちょっと言っても良いか?」
 「なんだ?」
 「花火の音、聞こえた?」
 『墓地で』と、そう告げる。
 「……。まあ、破裂音がしてたら、台無しだからな。それでも良いんじゃないか?」
 「良いのかよっ」
 悪いのかとばかりな啓斗の顔に、北斗は涙を浮かべた。
 だが、そんなやりとりも、間近で花火を見ているとどうでも良い様に思えてしまう。
 日本の夜にはお馴染みの菊先が、金の光を見せたかと思うと、徐々にそれが紅のもの、青のものへと変わっていく。後追う様に、銀波先が流星を見ている様な銀色の軌跡を描いていた。牡丹の赤が、彩りを添え、それを飾る葉落が落ちる木の葉を現す様に、所々で光っている。
 大柳の光が流れたかと思うと、そこに蝶が舞っている。
 本当の近くは、危ないからと言うことで人が入らない様に囲われてはいるものの、それでも迫力は可成りある。一発花火が上がる度、心臓を力強く打たれた様な衝撃を受け、思わず蹌踉めいてしまいそうだ。
 「良いなぁ。俺も作りてぇ……」
 そう言って見上げる北斗の瞳には、昔の想い出が浮かんでいる。
 凄まじい爆音が響く中、気が付いた様に、啓斗は北斗に耳打ちした。
 「なあ、これ、宴会場でも見えるんじゃないのか?」
 「……。飯、なくなってたらどうしよう」
 真剣にそう考えた北斗は、次の瞬間一目散に駆けだしていた。後ろから兄が追ってくる。
 生きの良い走りっぷりのお陰か、対して距離のないお陰か。
 彼ら二人が到着した時でも、料理がなくなっていると言うことはなかった。
 二人の後でシオンが到着すると、改めて乾杯の音頭が草間によって取られたのである。
 「じゃあ、みんなが揃ったところで、乾杯の……」
 「下手な能書きはいらねぇってば」
 「話が長い方は嫌われると言いますよ」
 機嫌良く乾杯の音頭を取ろうとした草間だが、その前の演説を始めようとすると、即座に北斗とモーリスから待ったが入る。
 しくしくと泣いてしまって後が続かない。
 「ほら、武彦さん、泣かないの」
 そうシュラインに慰められ、漸く顔を上げて一言。
 「何でも良い。乾杯っ!」
 声に続き、それぞれがグラスやお猪口を掲げて『乾杯』と叫ぶ。
 一気に進む宴会は、酒瓶やお銚子がこれでもかと開いていく。
 何故かワインを掲げているセレスティとモーリス、未成年なのに酒を飲もうとして啓斗とシュラインに殴られている北斗、陽気ではありつつも顔色一つ変えずに杯を空ける和馬、お化けメイクを未だ落としていないシオン、ほろ酔い加減の飛鳥、雰囲気に酔っている零に、すっかり出来上がっている草間だ。
 和室中央のテーブルに並べられているのは、食前酒の冷やし梅酒、滝川豆腐に生雲丹、冬瓜松前煮や石焼きステーキや牛しゃぶ、舟盛りなど、その他諸々。恐らく食の細い者ならば、一人前が食べきれるかどうかと思う程だ。
 「美味いよなぁ、これ。兄貴、家帰ったら作ってくれよ」
 「お前、何人分喰った?」
 「実はカードを持ってきているんですよ。如何ですか?」
 「勿論構いませんよ。……でも、場所が変わっても、結果は同じかと思いますけどねぇ」
 「ウサちゃん、帰る時、タッパに詰めてもらいましょうね」
 「ああ、私は書院で暮らしたいです。それがダメなら経楼で……」
 「美味い酒のお陰で、いくらでも食が進むな」
 「もう、武彦さんってば、寝るなら部屋で寝てちょうだい。風邪引くわよ」
 未だ花火が上がる中、そんな声が飛び交っている。
 防音設備がしっかりしている為、外の音はシャットアウトされていた。
 「何か、無音の花火って、淋しいな」
 不意に兄の声が聞こえた。それを耳にしつつ、北斗は寝かけ寸前の草間の膳に狙いを定める。
 「それでも、夜空に咲く花は、美しいと思いますよ」
 呟く啓斗に、穏やかに微笑んだセレスティが、そう告げた。
 「そうかな」
 「沈むな沈むな。宴会だからな。ぱあっと行けよ、な?」
 気に掛けていたのが功を奏したのだろう、手裏剣の直撃は避けられた。
 だが袖で防いだ為に服が台無しである。
 「啓斗! こんなとこで手裏剣なんか投げないで!」
 「痛ぇっ!」
 見つかっていなかったかと思っていた北斗だが、しっかりシュラインから北斗を殴られたことを考えると、彼女はちゃんと気付いていたのだ。恐るべしシュライン。
 「仲が良いですねぇ」
 「本当ですね。あ、セレスティさま……」
 満面の笑みを浮かべて、モーリスが言う。
 「これは……。もう一回、勝負ですよ、モーリス」
 「ええ、結構ですよ」
 宴会しつつ、カードゲームをしている二人だ。
 まだまだ宴会は終わりを見せない。
 途中で抜ける者も幾人かいた。眠気に負けた者、まだ何か楽しみがある者、それはその者達の事情である。
 草間興信所の宴会が終わったのは、一体何時であったのか、誰も知らない。
 山上の夜は、緩やかな時間と共に、徐々に更けて行ったのである。


Ende

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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0086 シュライン・エマ(しゅらいん・えま) 女性 26歳 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員

1883 セレスティ・カーニンガム(せれすてぃ・かーにんがむ) 男性 725歳 財閥総帥・占い師・水霊使い

3356 シオン・レ・ハイ(しおん・れ・はい) 男性 42歳 びんぼーにん(食住)+α

2318 モーリス・ラジアル(もーりす・らじある) 男性 527歳 ガードナー・医師・調和者

0554 守崎・啓斗(もりさき・けいと) 男性 17歳 高校生(忍)

2736 東雲・飛鳥(しののめ・あすか) 男性 232歳 古書肆「しののめ書店」店主

0568 守崎・北斗(もりさき・ほくと) 男性 17歳 高校生(忍)

1533 藍原・和馬(あいはら・かずま) 男性 920歳 フリーター(何でも屋)

<<受注順

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          ライター通信
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 こんにちわ、斎木涼でございます(^-^)。
 もうちょっと早くにお届けできるかと思っていましたが、遅くなってしまいまして、申し訳ありません。
 今回は、依頼ではなく、お楽しみシナリオ的なお話です。ですので、皆様から頂きましたプレイングは、殆ど盛り込ませて頂いているつもりです。短い部分とかもありますけれど、そちらの方はご容赦を。
 ちなみに隠しイベントとは、夜の阿難堂に行くと、多聞寺本当のご本尊である阿難尊者とおデート出来ると言うものでした。全然有難くない隠しイベントですが(^-^;)。
 ちらーっと、何方様かの本文中に、それらしい話が出ております。

 >守崎 北斗さま

 草間興信所の方では初めまして(^-^)。
 やはりテーマは、食い倒れと言うことで書かせて頂いております(笑)。
 バスでがんがんとお食事していなかったら、三周くらいは軽かったかと……。
 そしてお墓参りをして頂き、ありがとうございます。あそこの仏さまも、大層喜んでいることと思われます。


 北斗さまに、このお話をお気に召して頂ければ幸いです。
 ではでは、またご縁が御座いましたら、宜しくお願い致します(^-^)。