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<東京怪談ノベル(シングル)>


さいやくのつぼ

「おかえりなさい」
 ふらふらと夕暮れの中を、鳩が縁側に半ば落ちるように舞い降りた。ぜぇぜぇと肩で息をしている。
 鳩も疲れるとこうなるんだと思いながら、忍藤チカはその首を撫でた。ねぎらいの手に、鳩は「くー」と啼く。
「さっき、先に手紙が届いたんですよ。大変だったみたいですね」
 行ったまま戻ってこなくて、心配もした。この鳩はチカの家に棲んでいる鳥たちのうちの一羽だ。鳥とは普通以上に意思の疎通のできるチカにとっては、飼っているというよりは一緒に暮らしている同居鳥といった存在だった。
 そもそもは、去年家庭教師をした教え子のところに手紙を出そうとしたことが発端だった。鳥たちは昨年教え子が遊びに来たときのこと、また遊びに行ったときのことを覚えていたようで、手紙を運んで行きたがったのだ。普通なら憶えてなどはいなさそうな話だが、教え子の少年も不思議なところのある子だった。チカとは真逆で、どこか、記憶を鮮明にさせるような……だからかもしれない。
 さて、それで一羽に手紙を任せてはみたものの、旅立ったきり、帰ってこない。迷子になったかなあと心配していたら、先に普通の郵便で、教え子からの返事の手紙が届いてしまったのである。
 つまり、行きはどうにか着けたらしいということだ。問題は帰り。同じ都内だから、多分着いて、すぐに出して……昨日今日。戻ってくるのに、丸一日かかっている。鳩は帰巣本能が強く、行くより帰るほうが確実のはずだ。やっぱりなにかあったのだろうかと……
 届いた手紙を持って、チカが縁側に出てきたときだった。夕暮れ空によたよた飛ぶ姿が見えたのは。
 ほっとしながら、その影が降りてくるのをチカは待った。
 そうして、ようやく鳩の友人は帰ってきたのである。
 疲れた鳩がうずくまる隣に座って、チカは手紙の封を切った。遊びにおいでという誘いへの、嬉しい返事にほんのりと顔がほころぶ。
 そして、手紙を読み進めていくうちに。
「壷?」
 梅干を入れた壷を持っていってもらったと手紙にはある。それが重くて、どうやら帰りが遅くなったようだ。
 小さいとは言え、焼き物の壷。鳥には軽くはないだろう。よくまあ、飛んでこれたと褒めてやるべきだ。
「どれでしょう……チョウジ君、お疲れのところすみません」
 まだへばっている鳥を持ち上げると、その足と体の間に、確かにごく小さい壷があった。
 形はいかにも梅干壷。蓋も陶製だ。紙で覆われていたが、蓋自体はちょこんと乗っているだけのように見える。
 手紙には、中身はやっぱり梅干だと書かれていた。素直に開けてみようと蓋に手をかけて……
「あれ?」
 気がついた。
 開かない。
 乗っているだけに見える蓋が、吸い付いたように壷から離れない。
 持ち上げると、そのまま持ち上がってしまう。
「くっついちゃっているんでしょうか」
 首をかしげながら、チカは壷本体を握り、蓋を開ける手に力を込める。
 …………
 開かない。
 もう一度、引っ張る。
 ……開かない。
 チカは、ふう、と息をついた。
 膝の上では、鳩が「くぅ」と心配そうに、その様子を見上げている。
 更にもう一度……
「……くぅっ!」
 そろそろぜぇぜぇと息もあがってきたが。
 やっぱり開かない。
 壷を縁側に置いて、腕を組み、どうして開かないのか考え込んでみるが……何かで蓋がくっついているとしか思えない。
 匂いくらいは漏れてくるだろうかと、壷を顔に寄せてみると……
「あ、匂いは漏れてますね」
 梅干の良い香りがほのかに漂ってくる。汁でも蓋の辺りに染み出しているのか、確かに梅干の匂いがした。
「あー……この匂い、確かにあのお寺の梅干ですねえ」
 すぅーと深呼吸して、目を伏せれば、口の中が潤ってくる。
「……お茶でもいただきましょうか」
 目を開けると、チカは立ち上がった。膝の上にいた鳩は、チカが壷と格闘している間に降りて、縁側で丸くなっていた。
「君にもご褒美をあげないと、ですね。炒り豆でいいですか?」
 それで十分だと言うように、やはり鳩は「くー」と鳴いた。


 ――あけて、あけて……――
 ――ここから、だして――

 チカがお茶と豆を用意して縁側に戻ってくると、壷が横になっていた。
 ちゃんと立てていったはずなのに、と思いながら、チカはお盆を縁側に置いた。
 壷を手に取る……やっぱり、蓋は取れなかった。
 だがそのとき。
 ――ねえ、あけて。
 ささやくような声が聞こえたような気がした。
「……あれ?」
 誰の声かと、きょろきょろとチカは辺りを見回す。
 鳩は「くっくー」と鳴きながら、皿の炒り豆を突付いている。
 もう何も聞こえない。
 壷の中から聞こえたような気もしたけれど、気のせいだったかなあと首を傾げる。
 ともあれ、これが開かないことには、中身の梅干にはありつけないわけで。
 一度はその香りだけでお茶でもと思ったが、見ているとなんだかやっぱりもう一度、どうしても壷を開けたくなってきた。それがなぜなのかはチカにはわからなかったが……
「ひらけゴマ……じゃ駄目みたいですね。あと他には」 
 考えつく限りの魔法の呪文をささやいてみる。
 それでも駄目で。
「うーん、もし中に何かいたりするなら」
 チカは壷を撫でさすってみた。魔法のランプのように、中から何か出てこないかなんて、そんなことをちらりと思って。
 すると……
 蓋が少しずれたような気がした。
「あ、正解かも……」
 蓋を少しずらしてみると、びくともしなかった蓋がすんなりずれた。
 何も飛び出しては来なかったけれど。
 いい匂いがふわりと広がる。ごはんごはん、とチカはまた立ち上がった。
 開いたのならば、せっかくだからいただかなくては。
 のほほんとそんなことを考えながら、チカはその壷と蓋を持って台所に向かった。
 その手元から、ぽんと何かが飛び降りたのには気づかなかった。

 さて、チカは梅干をおかずにご飯を食べていた。そのままで少し。それから軽くお茶漬けにして。夕ご飯には少し早かったが、懐かしい梅の味に、ご飯がすすむ。
 梅干なので、壷の中身は、あまりすぐには減らなかった。
 それでもいくらか食べて、少し減ったら取りにくくなるから小皿にでも出したほうがいいかななどと思いながら、茶碗に梅干をまた一つ出して……
「……あれ?」
 気がついた。
 気のせいか、食べて減らしたはず梅干の嵩がまた増えているような気がする。
 不思議な壷、あるいは不思議な梅干に、チカが首を傾げていると。
 足元を鳩が駆け抜けていった。
「おや?」
 同居鳩のテリトリーは庭で、台所まで入ってくることは珍しい。
 何か追っているようだったが、何を追っているのかは見えなかった。
 梅干壷も気になりながらも、テーブルの下をとてとて走る鳩を覗き込む。
「どうしたんですか?」
 そう、覗き込んだところで、ばさりばさりと羽ばたきの音がテーブルに乗った。
「あ、駄目ですよ、テーブルに乗ると怒られちゃうんですよ」
 慌てて顔を上げると、テーブルに飛び乗った鳩は、チカの制止など知らぬげに壷に近づいて。
「あああ、それは君には」
 鳩には、すっぱ過ぎるだろう。
 そう思ったとき、壷の中に慌てて飛び込む人のようなものが見えた気がした。
 目の錯覚かと悩む暇もなく、鳩はそれを追うように、壷の中身を突付こうとしている。
 もし、人のようなものが突付かれたなら……もしかしたらちょっと大惨事なような気がして。
 そして、慌てていたので、すっかりチカは忘れていた。
 それで思わず……
 壷に蓋をしてしまったのである。

「うーん」
 壷をもう一度こすっても、蓋は開かなかった。
 近所のスーパーまでぶらぶら来て、花火大会の日に遊びに来る教え子のためにカキ氷のシロップを買ってから。
「彼に聞いてみましょうかね」
 それが一番早そうだと、チカは思った。
 スーパーを出ると、もうそろそろ夕方だった。
 あと、教え子に頼まれたのは竹羊羹だったかと手紙を思い返し、和菓子屋に立ち寄って。
 和菓子屋で買い物した包みを抱え直したとき、懐に入っている梅干壷から、またなにか聞こえたような気がした。
「もう少し、待っててくださいよぅ」
 気のせいかもしれない声に、それでもそう答えながら。
 チカは夕暮れに、家路についた。
 花火大会は、もうすぐだ。