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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


■納涼! 真夏だよ全員集合!■

 蝉が五月蠅く鳴いている。
 一応ここは、都会と言っても差し支えない場所ではあるのだが、昨今の蝉は田舎よりも都会にて猛威を奮っているらしい。取り敢えずその蝉は、根性でその存在を主張しているかの様に、けたたましくもかしましく鳴いているのであった。
 「……暑い、暑すぎる」
 茹で蛸一歩手前で机に突っ伏しているのは、ここ、草間興信所の所長である三十路男、柄パン姿の草間武彦だ。暑ければクーラーを付ければ良いのだが、何故か本日、草間クーラーちゃんはご機嫌斜めで、吹き出すのは熱風のみと言う、ちょっとどころか可成り哀しい状態である。頼みの出張サービスは、現在夏真っ盛りである為、修繕よりも取り付け作業を優先しているらしく、ご到着は三日後と言う話であった。
 が、そんな状況であったとしても、パンツ一丁の格好でいるなど言語道断だ。客が来たらどうするのだろうか。
 「お義兄さん、鬱陶しいからその顔止めて下さい。そして服くらい着て下さい」
 にべもなくそう言うのは、草間の義妹、草間零である。
 しかしあまりに情けないその様子に哀れを催したのか、彼女は草間の眼前へ、徐に一枚の封書を差し出した。
 「お義兄さん。ほら、何だか涼しそうな手紙が届いてますよ」
 「あーーー?」
 だれだれの草間は、手を伸ばすのも億劫だと言った様で、零に開けて読んでくれと目で促した。良く出来た義妹は、大きく溜息を吐きつつも、義兄に従う。
 「えーーと。……謹啓、炎熱地を焼くとはまさにこの事、貴社の皆様方にはお変わりございませんでしょうか。さて、来る八月十日、当寺院にて施餓鬼会を実……」
 「解った。もう読まなくて良い」
 零は、義兄が何故『読まなくて良い』と言ったのか解らず、きょとんとしている。
 「このクソ暑いのに、オカルト依頼なんぞやってられるか。てか、うちはオカルト厳禁だって、何度言えば解るんだ」
 目指すはハードボイルドの道。
 パンツ一丁の姿で固茹で卵を目指そうなんざ、一億万年くらい早いだろうが、取り敢えずそのことはおいておく。
 どうやら草間は、『施餓鬼会』と言う言葉に反応したらしい。どうせその『施餓鬼会』で起こるかもしれない怪異を何とかしてくれと、そんな依頼なのであろうと考えたのだ。
 が。
 「あのー、依頼ではないみたいなんですけど?」
 この暑さの所為か、零のその言葉にも草間の脳味噌は爛れたままだ。
 眉間に三本皺を寄せていると、零が続きを読むのではなく、口頭で説明を行った。
 「何だか屋台や花火大会をやるみたいですよ。肝試しや百物語も。あ、露天風呂付きの旅館もあるそうです。月とお花畑を見ながらお風呂に入れるって、素敵ですよねぇ」
 その風景を想像したのか、ふわわんとした視線を漂わせている辺り、零もそこそこ暑さが脳味噌に来ていたのかもしれない。
 つまり、施餓鬼会とは言っているものの、早い話が夏祭りをすると言うことらしいのだ。
 「……送り主は?」
 「えーと、多聞寺と言うお寺さんみたいですね」
 「知らんぞ。そんなとこ」
 しかしこの草間興信所では、知らないところから何やら送られてくるのは余り珍しいことでもなかった。
 理由は簡単。
 その筋では有名な興信所であるからだ。その筋とは、言わずもながの話である。
 とまれ。
 「ここ、西多摩の山の上にあるみたいですね。あ、じゃあ、涼しいんじゃないですか?」
 少なくとも、都会の真ん中よりは涼しかろう。
 「あ、凄い……太っ腹ですよ、お義兄さん」
 「何だ?」
 「経費全てお寺さん持ちですって。勿論、往復の交通費も」
 「よし、零、行きたいと言うヤツ、片っ端から声をかけろ。その後、今から『草間興信所慰安旅行』の買い物行って来い。領収書は絶対貰って来るんだぞ。準備が出来たら、速攻出発だ」
 キャッシュな草間に溜息を吐きつつも、やはり零だって嬉しいのだ。唇に笑みを浮かべ、年代物の黒電話をフル稼働させた。
 その際。
 彼女の手にあった封書から、メモの様なものがはらりと落ちた。脳味噌がバカンスの地へと飛び去っていた草間は、後になってそれに気付くのだが。

 『この前の件は助かった。これは中元だと思って取っといてくれ。……ま、招待先が、うちの実家であれだが。取り敢えず、また何かあったら宜しく 金浪 征』



 何気なく草間興信所に向かった彼は、賑やかな声を耳にした。ここの事務員兼調査員兼所長の恋人と同じくらいに耳の良い彼は、扉から離れていても、その会話を聞き取ることが来た。
 ゆっくり階段を上がっているのは、暑い盛りにも関わらず、黒いスーツでぴしりと決め、精悍な面持ちをした、三十代前後に見える男性だ。小麦色の肌と黒い瞳、茶色の髪を後ろへと流し、敏捷そうな動きを見せている。
 「こんにちわ、初めまして。シオン・レ・ハイですっ」
 「初めまして。東雲飛鳥と申します」
 「東雲さんも、旅行に行くのですか?」
 「旅行ですか……。ちなみに、どちらへ?」
 「西多摩にある『多聞寺』って言うお寺さんよ。何でも、施餓鬼会に当て込んで、夏祭りをするんですって。この前、ちょっとお仕事を手伝った方からのお誘いみたいね。……これによると」
 そんな話が聞こえてくる。階段を上り終えた彼は、開けっ放しの扉を見て、どうやらクーラーでも壊れているのかと考えた。
 「お寺さんですか……」
 「へぇ、夏祭りって、屋台とかも出るのかね?」
 中の人間の視線を一斉に受け、彼──藍原和馬(あいはら かずま)は『よう』とばかりに手を挙げた。
 「お前か……」
 草間の呟きは、当然ながらそこにいる全員に聞こえている。
 「随分だな、草間」
 にやりと笑う唇から、犬歯が見えた……気がする。
 シオンが自己紹介とブロマイドを進呈……と言うより買って貰おうとするが、女性に優しく、野郎には厳しくをモットーとしている和馬は、夜をその身に纏う、黒い獣の様にするりとそれを受け流した。
 「夜店とかも出るんじゃないかしら? あ、そう言えば、征さん、お兄さんが読書家で、本が部屋に収まらないから一軒離れを造って、そこに放り込んでるって言ってたわねぇ。お寺さんが実家だとすると、もしかして仏典とか経典とかかしら……」
 「てか、シュライン! 俺は知らんぞっ! 何であいつ──」
 草間が最後まで台詞を言うことは出来なかった。
 何故ならば。
 「一軒分の仏典経典ですかっ?! 行きますっ! 行かせて下さいっ!!」
 血走った目の飛鳥に、ドタマを押さえつけられたからである。
 『行かせて下さいっ』が、シュラインに向けられているところは、ここで一番の実力者を、彼が正確に把握しているからだろう。
 「俺も参加な」
 『OK?』とばかりにシュラインへ頷くのは和馬。
 シオンは当然の様に、参加する気満々で、何時の間にやらその手紙を探してきて読んでいた。
 それぞれに解ったわとばかりに頷いたシュラインは、続いて飛鳥の下で眉を顰めている草間に向かってにっこり笑う。
 「武彦さん、今度からちゃんと読まなきゃダメよ」
 がっくりと肩を落とす草間を解放した飛鳥が、シュラインに向けて問いかけた。
 「えーと、出発は何時からでしょうか?」
 「おやつにバナナは入りますか?」
 続いての質問は、当然ながらシオンであるが、誰しもそれに答えることはなかった。
 視線を泳がせたシュラインは、取り敢えず予定を口にする。
 「一応、施餓鬼会当日の朝になってるわ。バスで行くのよ」
 当初、『草間興信所の慰安旅行』と聞いていたから、細々としたことの担当は、やはり自分になるのかと諦め掛かっていたシュラインだが、どうやら違うらしいと解った為、純粋に楽しむ方向へと頭を切り換えた。
 「ってぇことは、十日の朝になるのか」
 「ええ。その予定。武彦さんとしては、即座に出発したかったみたいだけどね」
 流石に無理だろうと、誰しも笑う。
 「八時出発の予定だから」
 遅れたら放って行くぞーーと、草間がこっそりシュラインの後ろから呟いている。
 「あー、んじゃ俺、後から追っかけるわ」
 もう少し遅ければ、一緒に行けたのだが、いかんせん、その日は早朝までのバイトが入っていたのだ。丁度持って行きたいものもあるし、自分の車で行く方が、何かと都合も良かろうと、そう考えたのだ。
 「あ、あのー、私、ここにお泊まりさせてもらいたいのですが」
 「問答無用で却下」
 草間はあっかんべーとばかりにそう返した。
 うるうると涙が滲む瞳を受け、草間が一歩、たじろぐ様に後ろへ下がる。それに呼応するかの様に、シオンが垂れ耳ウサちゃんの涙目のバックアップを受けて一歩前に出る。
 不気味な沈黙と攻防の中、買い物から帰ってきた零が、ただいまの声の後振り返った五人を見て、不思議そうに小首を傾げたのである。



 「無事に着いたな」
 車から降り、そう言って目の前の門を見上げたのは、遅れて来た和馬である。
 彼はバイトが終わって直行した為、七人が到着した一時間後にここへと来た。
 門に飾ってある『大歓迎 草間興信所御一行様』の文字について、何とも言えない気持ちがしたが、取り敢えず見なかったことにしてしまう。
 まあ、行きのハプニングからすれば、こんな赤字に白抜き文字で書かれた幟など大した話ではないだろう。例え、これでもかと言わんばかりに左右の門柱に渡って掲げられている旗もあったとしても。
 起こったハプニングとは、地図を紛失してしまったことだ。ここの住所と電話番号の書いた紙と一緒に。携帯は掛けてもつながらなかった。恐らくは、アンテナの有効範囲が山にまで入っていないのだろう。冷や汗がたらりと背中を伝ったが、流石は人狼の血を持つ男、藍原和馬だ。
 彼は『ふっ……。昔からな、『失せ者探し物はオオカミに聞け』って、相場が決まってんだ』と呟いて、盲滅法ではありつつも、見事目的地への到着を果たしたのであった。
 取り敢えず、車を何処かに止めなければならない。昨今の寺と言うのは、大抵が駐車場完備であるから、そこここを行き来している者に聞けば解るだろうと、彼は和服姿の女性に声をかける。
 勿論男も通っているが、どうせなら綺麗なおねーちゃんに案内を請いたいと思ってしまうのは、もう男として仕方がないだろう。……少しばかり、脳裏に浮かんだ女性には悪いと思ってしまうのだが。
 「ええと、申し訳ないけど、駐車場を教えてくれないか?」
 何やらバスタオルらしきものを持って、和馬の車の横を通りかかった女性が振り向いた。彼女の隣には、小さな女の子が何だろうとこちらを見ていた。
 ああと何やら合点したらしく、隣の少女に一言二言耳打ちをした後、タオルを手渡す。耳の良い和馬は、その会話を聞けたのだが、礼儀として知らん顔をした。
 少女が肯き去っていくのを確認した女性は、にっこり笑って駆け寄ってくる。ぱたぱたとした足音が聞こえそうだ。
 「あ、草間興信所からのお客さんですね。いらっしゃいませ」
 年の頃は、二十代前半。綺麗な黒髪を肩口で切り揃えている彼女は、和馬の前まで来ると、押っ取り刀で頭を下げた。
 「多聞寺、並びに芙蓉荘へ、ようこそおいで下さいました。私は芙蓉荘でお手伝いしています、金浪碧羽(きんなみ あおば)と申します」
 「藍原和馬だ。宜しくな」
 「こちらこそ宜しくお願いします。あ、駐車場でしたよね」
 そう言って説明された場所は、先程通り過ぎた広場の方から回り込み、寺の後ろ──つまりは墓地の後ろにもなるのだが──と言うことだった。
 「私がそちらまでお持ちするのでも良いんですけれど……やはり、人に運転されるのってイヤですよね」
 おっとりとした雰囲気から、何となく車を運転する様には見えなかった。まあ、免許があるないに関わらず、和馬は人に止めて貰う気はない。
 荷物だけ先に持って行きましょうかと言われて、少し迷ったものの、やはり良いと断った。一泊する為の荷物は、大きい訳でもない。むしろ大きいのは別のもので、それは今のところ旅館に持って入るつもりもなかったのだ。
 良いと断って、車に乗り込もうとした時、張りの良い声が引き留める。
 「碧ちゃん、お客さんに荷物持たせたまんまやったらあかんやろに」
 碧羽とは正反対の雰囲気を持つ、妙齢の女性が現れた。
 「あ、姉さん」
 姉と呼んだ女性へと、碧羽は素直にごめんと頭を下げている。
 「失礼致しました。あたしは金浪朱理(きんなみ あかり)と申します。芙蓉荘で、女将をやらさせてもらってます」
 愛想良く笑う朱理へ、和馬も同じく挨拶をし、更に荷物のことを口にする。
 「いやでも、ホント大した荷物じゃないしな、持って貰う必要もないって」
 「ダメですよ。お客さんやねんから、遠慮せんといて下さい」
 お荷物何処ですかーとばかり、有無を言わさず微笑みかけるその顔に、誰ぞのイメージが横切った。お返事は『じゃあ宜しく』としか言いようがない。
 「じゃあまあ、ちょっと止めて来るわ」
 「はい、お待ちしとりますね」
 そう言って和馬は車に乗り込むと、また後でとばかりに手を振ってからアクセルを僅かばかり踏み込んだ。



 荷物を預け、そのまま一旦部屋へと入ってから、和馬は本日のタイムテーブルを手に外へと出た。
 「やっぱここは、精進料理だろう」
 バイトから直行している為、ハングリーメータは限りなくゼロに近かった。
 ふん、ふふんと鼻歌交じりロビーに降りると、先程の女将、朱理がいる。
 ふと思い出し、和馬は彼女に声をかけた。
 「なあ、女将、ちょいと聞きたいんだが」
 「はい、何ですか?」
 フロントと呼べるところに入っている彼女は、やはり愛想が良い。
 「夜店があるって聞いたんだけどね、自分で店って出せる?」
 夜店と聞いて、和馬はとあるものを持ってきていたのだ。
 「ええ、勿論、お好きなもんを出せますよ。ああ、それなら関に言うてくれたらええわ。場所のこととかありますしね。今本堂にいるから、呼びますね」
 本堂と言えば、確か精進料理を出しているところだ。ならばわざわざこちらに呼んで貰わなくとも、今から自分が行く。
 「今からそっちに行こうと思ってたんで、呼んでもらわなくて構わないよ」
 「ああ、ご飯まだやったんですね。こちらでもお出ししますけど、まあ、うちの精進料理って言うのを、召し上がってもらうんも良いですねぇ。ちょっと量が多いんやけどねぇ」
 「へえ、そいつぁ楽しみだな」
 腹は十分に減っている。
 和馬はそう言うと、じゃあとばかりにそこを出る。
 総門を通り、夜店の準備が始まりつつあるそこを抜けると、真正面に目当ての本堂が見えた。
 取り敢えずご本尊と言うのをじっくりと見る。
 あまり特徴があるとは思えない釈迦本尊の降魔坐の像だ。取り敢えず、でかいことは確かだが。
 適当に小坊主を捕まえて、関と言う人物を呼んで貰う様に頼み込んだ。
 料理を楽しんでいる者の中には、シュラインと草間の姿もある。何だか二人楽しそうで、邪魔するのも野暮だなと和馬は思った。
 ああ、それにしても美味しそうな匂いが食欲中枢を刺激する。用事は早いこと済ませてしまい精進料理を味わいたいなと、彼は考える。
 「初めまして、金浪関(きんなみ せき)と申します」
 そう言って出てきたのは、三十代くらいで、黒い髪をオールバックにし、縁なし眼鏡をかけた長身の男だ。見た目は固そうにも見えるのだが、雰囲気がそれを裏切っている。
 「藍原和馬だ。夜店を出せるって聞いたんだが?」
 女性ではないから愛想を振りまく必要もないが、無愛想にする必要もない。無難にそう言った和馬は、早速とばかりに要件を切り出した。
 「ええ、姉から連絡を貰っております。こちらにいらしたお客様が楽しんで頂ける様に、予めいくつか場所をあけておりますので」
 そう言って、少し端にある卓へと案内され、着いたと同時に夜店の配置図が開かれた。
 こことここと、と言う風に空いているところを指し示されるのを、じっくり吟味した彼は、広場の中央にある一角を選択した。ここなら、混み合って客が押し流されることもなく、適度に人が巡回するだろうと思える場所だ。
 了解した関が、その一角をポイントすると、夜店においての注意事項を説明しようとした。
 「いや、良いよ。一応、そう言うのもやったことあるんでね。お茶の子十八番ってヤツさ。ただ、ここ独自のルールってヤツを教えてくれ」
 にやりと笑う和馬に、同じく関も笑みを返してきた。
 「それは頼もしい。ここのルールと言うのは、特にありませんよ。人様に迷惑をかけないと言うのは、いわば共通のことでしょうし」
 簡単な打ち合わせが終わり、席を移動するかと聞いて来たが、それを彼は断った。何故ならここならこの場にいる者達が全て見渡せるからだ。
 ではと、関からメニューを渡され、和馬はそれをじっくりと見る。

 ●Aコース
 虎耳草の和え物
 くこの実の天ぷら
 海老いもの煮物
 マスカットの水晶寄せ
 雪消飯
 染飯餅
 ●Bコース
 土筆と三つ葉の和え物
 豆腐と味噌の揚げ物
 ぐつ煮豆腐
 西瓜の呉汁
 葱めし
 茄子のひすい万頭
 ●Cコース
 岩茸と冬瓜の落花生和え
 湯葉の納豆包み揚げ
 凍り豆腐の煮物
 冬瓜と豆腐のあんかけ
 利休めし
 林檎の庄内巻き

 「んじゃ、俺はBで」
 「かしこまりました」
 そう言って去っていくのを見つつ、和馬はぽつりと呟いた。
 「……。全制覇は出来ないのかねぇ」
 遅れてきた彼は知らない。
 全制覇どころか、二周目を飾った人物が身近にいることを。



 あの西瓜の呉汁は、なかなかイケたなと思いつつ、和馬は腹具合に満足感を覚える。全制覇まではやらなかったが、実はAコースまでも平らげた。一般的な精進料理のイメージは、何処か腹持ちしない軽め、そして質素な食事だろう。だが、本当はそんなものばかりでないことを、長年生きている和馬は十分承知している。多聞寺の精進料理は、日本的なそれと言うより、むしろ中国式の精進料理である普茶料理に近いと思える。
 「っつーか、ありゃ、何でもありだな」
 思い起こし、そう呟いた和馬は、本堂から出て前方右手へと歩を進めた。
 そこには柿葺の屋根を持つ書院がある。寄棟造のそれは、疎垂木が一重になっており、何処か懐かしい雰囲気を持っていた。
 参道と反対側にある回廊は、芙蓉畑へ降りることの出来る門がある為、一部中断しているのだが、先へと進むと、先程和馬のいた本堂とも回廊で繋がっている禅堂があるのだ。
 書院の入り口付近へと来ると、そこにはこぢんまりとした手水があった。
 取り敢えずそこで手を洗う。
 「やっぱ、興味あるしねぇ」
 そう呟く。
 バイト先の一つが骨董屋と言うこともあり、古い物にはそれなりに興味があるのだ。
 ちなみに骨董屋と言っても、主人の趣味か、何故か古書まである骨董屋である。
 曰く付きのものが大半……と言うか、そればっかりで、そう言う意味では碧摩蓮が店主をしているアンティークショップ・レンと張るか、もしくは上を行くかもしれない。
 中に入っていくと、数名の人間がいるのか、靴が揃えてある。
 内部はそれほど広い訳ではなく、四部屋程度があるらしい。内、一室は休憩用にお茶などが置かれており、他三室はそのまま本の山と言うのが相応しい程に、書物が溢れていた。
 取り敢えず、精進料理を食った直後である和馬は、茶を欲しいとは思わなかった。食事を終えた際、喉も潤していたからだ。
 「どうやら、知った奴がいるみたいだな」
 休憩用の部屋を通り過ぎ、続きの部屋に入ると、一心不乱に本を読んでいる飛鳥がいた。彼は和馬に気付くと、顔を上げて微かに微笑み会釈をする。和馬もまたそれに軽く視線を返すと、周囲の書物へと視線をやる。
 互いに邪魔をしないのが、こう言ったところでのルールの様なものだ。
 その部屋にある書棚を見やると、確かに図書館で置いてあるいっぺん通りのものとは少々品揃えが違うことが解った。
 そこには、郷土史や風土記、論文などが集められている様だ。一般的な図書館や本屋と違うのは、それこそ足で歩いて集めたのだろうと思しきものが多いと言うこと。
 一冊手に取り、ぱらぱらと捲っては戻す。
 曰く付きのものがあるのなら、引き取って土産にでもと思っていたが、今一つだ。確かにその様に見えるものもあるのだが、不思議とそう言ったものに付きものの妙な感じがないのは、ここが寺である所為だろうか。
 和馬は更に別の部屋へと移動する。
 そこはどうやら『分類:和書』と言った本が詰め込まれていた。古書であり、けれど元は中国などで記された本が、日本語に訳されている本が多くを占める。
 そして最後の一室には、本だけでなく、絶品の西洋人形が真剣な面持ちで本を読んでいた。
 「へえ、なかなか別嬪さんだねぇ」
 これが女性なら、口笛を吹いていたかもしれない。そこにいたのは、絶世の美を持つ銀髪の男性だった。さらりと流れる銀髪を掻き上げることもせず、本に触れつつぺらりぺらりとページを捲っている。
 彼は、完全に自分の世界へ没頭しているらしく、和馬の声にも、そして視線にも反応しない。
 ぐるりと周囲を見回し、その本の内容を朧気ながら確認した。
 この部屋にあるのは、伝説や怪異、奇譚などと言った世の中では架空の物と称されている者達が記されている本の様だ。一番最初の部屋にある本達と、少々内容的に被っているものもあるが、それでも分類方法が違う為、そう言ったものをメインに探したい時には良いだろう。和馬自身も、タイトルに惹かれて一冊手にとって見た。
 「『獣化論』か」
 口角が、くいと上がって笑みを作った。
 獣が先か、人が先か。その本には、世に流れる獣人伝説の基本的構図が書かれていた。
 視点が獣か人かによって、その切り口は大いに変わるだろう。
 今更己のルーツを探る気にもならないが、他人の論理をのぞき見るのも悪くないと思った。
 座卓に胡座をかき、彼は暫しの読書を楽しむことにしたのだった。



 書院から出た彼は、一旦車へと戻って荷物を持ち、そのまま広場の自分が割り当てられたスペースへと向かった。
 昼を回り、暑い盛りではあるが、体力には自信がある。バイトでほぼ徹夜しているとは言え、人狼の体力を舐めては行けない。
 天上にあるお天道様ににやりと笑ってやると、何だかヤケを起こしたかの様に、一段とぎらぎら輝いた。
 夜店の設置は、少なくとも和馬にとっては大層やりなれた仕事である。
 昨今、レンタル商品の進歩は目覚ましく、今回ここで使用する夜店は、縁日セットと呼ばれ、アイテムだけでなく組み立てセットの店舗まで一括レンタルしている為、その労力は更に減るのだ。
 それぞれの夜店のスペースには、屋台セットが既に置かれており、和馬は見た瞬間、何処に何を設置するのかが解ってしまった。ちらと自分が持ってきた売り物に視線をやる。
 可成り大きな黒いケースだ。彼は軽々持って来たが、普通の人間なら引きずって歩くこと間違いなしの重さがある。
 「売りモン出すのは、後で良いか」
 そう呟くと、せっせと準備を始めた。文字通り屋台骨を組み、ボルトで留めて固定する。四隅が終わればビニール地の屋根張りだ。しっかり幟も持参である。
 「最近は何でも簡単になってるよなぁ」
 そう思う和馬であったが、どうやらその組み立ても大変な人物がいる様だ。
 「……何でそうなるかねぇ」
 丁度和馬とは斜向かい──と言っても、少々距離はあるのだが──で店の準備をしている中年の男は、先程から一歩進んで五歩下がる按配なのだ。
 見ていて苛々する訳ではなく、何とも微笑ましい様な雰囲気がある。
 「ウ、ウサちゃん、どうして私のお店は、崩れてしまうのでしょうか……」
 さめざめと泣いているのを見て、和馬は『あーあ』とばかり、肩を竦める。
 その中年の男は、草間興信所で逢ったシオンだった。
 骨組みを終え、持ってきていた商品を置く為のテーブルも設置し、ビニール製の屋根も既に張り終えた和馬は、黒いスーツ姿のまま、一服しつつシオンの方を見ていた。
 と、シオンと視線ががっちり逢ってしまった。
 「……。何となく、イヤな予感がするぞ」
 野生の勘ならぬ、人狼の勘は、そんじょそこらの超能力者よりも良く当たる。
 『ヤバイ』、そう思って視線を逸らそうにも、何故だろう、逸らせない。
 「……おいおい。そー言うのは、可愛い女の子がやるからこそ意味があるんじゃねーのかよ」
 和馬の口元が、ひくりと引きつる。
 その視線の先には、神様お願いポーズをしているシオンがいるのだ。何となく目が潤んでいるのは、きっと気の所為ではないかと思える。
 「俺は、野郎には厳しくってーのが、ポリシーなんだっつーの」
 男は、特におっさんには、びしばし体育会のノリで接するつもりである。
 なのに。
 ……有り体に言えば、そのオトメポーズに和馬は負けたのだ。
 気持ち悪る過ぎて。
 「宗旨替えは、今日限りで終わりだからなっ」
 はあと大きく吐いた溜息が、喧噪でかき消される。大きく方を竦めた和馬は、ゆっくりとシオンの方へと歩き出した。
 みるみる大きくなるシオンの姿と同時、彼の表情もみるみる変わる。地獄で仏と言った顔であった。
 「ああああっ! 藍原さんでしたよね! 私を助けに来てくれたのですか!!」
 『誰もそんなこと言ってないでしょ』と言う、垂れ耳ウサギの声を聞いた気がするのは、きっと幻聴だろう。そう思うことにする。
 と言うより、ウサギなのに大層根性が座っているなと思ってしまう。普通の動物は、和馬がいくら可愛がってやろうとしても、その彼の本性を敏感に見抜いて、恐れ入ってしまうのだ。なのにこの垂れ耳ウサギは『何よ、あたしに何か文句あるのっ?!』とばかり、挑戦的な瞳で見上げてきた。
 ちょっと愛いヤツと思ってしまう。
 「あーー、ちょっと違うし。ただ、こう、何だ、屋台の組み方ってのをな……」
 「ありがとうございますっ! 私、凄く困っていたんですぅぅぅっ!!」
 両手をがっしりと握りしめられ、ぶうんぶうんと上下に振り回される。
 「離せってっ! 手伝うものも、手伝えねぇってば」
 「ああああ、そうでしたっ! ありがとうございます!」
 やっぱりオトメポーズのシオンは、垂れ耳ウサちゃんに頭を囓られつつ、和馬を見て涙ぐんでいた。
 「……とっととやっちまうか」
 溜息一つ。和馬は動き始める。当然ながら、野郎に遊ばせるつもりなど毛頭なく、要所要所を手伝うと言う形だ。組み立てる部品を順序よく指示して持ってこさせ、シオンがヘタレない内に、とっととボルトを締めて屋台を作っていった。時折、何故こんなと思える失敗をするのも、もう愛嬌かもしれないと達観しだした。
 和馬が手伝って、ものの三十分もないだろう。
 「よっしゃ、終わりだ」
 「ありがとうございますっ! 本当に助かりました。あ、お礼に何時もは百円いただくブロマイドをタダで差し上げます!」
 「いらん」
 貰っても嬉しくも何ともない。
 シオンは少ししゅんとしているが、ふと思い出した様に言う。
 「ところで、藍原さんは、一体何のお店をやるんですか?」
 ちろと自分の屋台を見やる。
 「俺? ああ、風鈴屋さ」
 和馬はにんまりと笑った。



 闇が迫り、徐々に活気が満ちてくる。
 昼間も確かに、夜店の設置をする人々で活気があったのだが、開店して暫く経つと、それに訪れる客に依って、違った勢いが出てくるのだ。
 それは和馬に取っても、馴染みの深いものである。
 ただ客が来るのを待っている店番の男もいるが、大抵がここぞとばかりに店の前を通る人々に声をかけては、気を惹こうと頑張っていた。
 和馬も負けてはいられない。
 浴衣姿の二人連れ美人が、風鈴を見て綺麗ねぇと話している。
 「その風鈴、良いだろ?」
 精悍な面持ちの和馬がそうやって愛想良く笑うと、女性二人が人懐こい笑みを浮かべる。流石にトレードマークの黒いスーツではない。夜店の兄ちゃんに相応しい、半被を羽織った鯔背な感じがまたその男っぷりを数段上げている様だ。
 「風鈴てのはさ、聴いて涼しく見て楽しい、夏の夜には欠かせないってヤツだ。最近じゃマンション住まいとかで飾るのとこも減ってるのが哀しいが、それでもやっぱり、良いもんだろ。どうだい? そっちの姉さんには、この江戸風鈴。特別に付けたボタンの花のヤツなんかイメージだねぇ、こっちの姉さんは、そうだな、オレンジの切り子風鈴なんか、似合いだよ」
 そう言ってやると、二人はしげしげとその二つを見ている。
 「お兄さんが言うだけあって、綺麗よねぇ。ああでも、こっちも良いかも」
 「これも良いよ」
 互いにそうやって品定めをしていると、徐々に客も増えてくる。
 「兄ちゃん、そこの変わった黒いのはなんだい?」
 「よぉ! らっしゃい! 兄さん、お目が高いねぇ。こりゃな、キンと言えばコンと答える、備長炭で出来た風鈴だよ。ほら、変わった音色だろう?」
 そう言ってそっと揺らせてやると、キン、キンと、甲高い音がする。
 「へぇ、炭か。炭なら、聴く見るだけじゃあなく、イヤな臭いも取れそうだな」
 「兄さん、そんな臭ぇとこにいるのかよ」
 「いやいや、クセエのは俺だって、うちのカミさんがねぇ……」
 ほうと溜息を吐きつつ、けれど芝居っけは持ちつつそう言った。
 「そりゃまた激辛なお言葉で」
 「ま、カミさんの鼻先にでも飾っとくことにするよ」
 「毎度あり」
 そうこうしていると、先程から決めかねていた二人組が、漸く決めたらしい。
 「ねえねえ、お兄さん、これとこれこれ、二人で三つ買うから、ちょっとオマケしてくれない?」
 媚びると言う言葉はあるが、二人組の顔にそれはない。真剣にそう見つめられ、和馬はちょっと考える。
 「ううーん、どれもこれも、良いモン手にしてるねぇ」
 先程和馬が勧めた風鈴二つに、琉球硝子の風鈴が増えている。どれもこれも綺麗な色合いで、女性が好みそうなものでもある。
 「ダメかなぁ? 今日ここにこれなかった子のお土産、お兄さんとこの風鈴ならきっと喜んでくれると思って」
 和馬の耳元で、一層澄んだ風鈴の音が鳴る。
 「よし、お友達にも、涼しさのお裾分けだ。良いよ」
 「「ありがとう!」」
 弾んだ声でそう言うと、和馬が示した値段に肯き買っていく。
 更にお客が続いてやって来て、一息付けたのは台に乗せきれなかった在庫を、すっかり並べきった後だった。
 「藍原さん、盛況ね」
 そう言ってやって来たのは、シュラインと草間、零の三人連れだ。
 「いらっしゃい。浴衣まで持ってきてたのかよ」
 「やっぱり夜店と言えば、浴衣じゃない」
 『ねえ』と声を揃え、零と二人して肯きあっているシュラインだ。
 零は白地に金魚、シュラインは薄紫地に花とトンボの柄で、草間は濃いグレー地に薄いグレーのストライプ。どれも良く似合っている。恐らく、シュラインの見立てであろう。
 「言えてるな」
 和馬はその言葉に、にやりと笑う。
 「草間の旦那、何考えこんでんだ?」
 三人を尻目に、何やら草間が風鈴を手に考え込んでいる。草間が手にしているモノを見て、『あの風鈴は……』と、和馬は可笑しくなってしまった。
 「それ、気に入ったのかい?」
 「え? ああ、まあな」
 一見したところ、ただの南部風鈴の様に見えるが、実はこれ、和馬のバイト先から持ってきていた品の一つでもある。
 つまり。
 「草間、あんたさ、怪奇の類はお断りなんて言ってるけど、実は自分で引き寄せてんじゃないのかねぇ」
 「てぇことは、まさかっ!!」
 「……お義兄さん」
 「武彦さん……」
 慌てて手を引っ込める草間の背中を、シュラインが慰める様にぽんと叩く。
 「ま、呪いとか掛かってる訳じゃないからな」
 「ちなみに、参考までに聞きたいんだけど、どんな曰くがあるの?」
 「大したもんじゃねぇよ。夜中になると、別嬪のお姉さんが現れて、子守歌を唄ってくれるってだけだ」
 「そんなもの売らないでよっ!」
 「え? でもシュラインさん、子守歌を唄ってくれるなんて、親切じゃないですか」
 恐らく零は、本気でそう言っている。
 「あのね、零ちゃん、普通の人は、そう言うのを見ると驚くの、怖がっちゃうのよ。……と言うことで、これは没収します。他はないの?」
 「げ、勘弁してくれよ……。……ないです、ないない。これが最後」
 そう言いつつ、抜け目がないのが和馬である。当たり前だが、こっそりと隠してあるのだ。シュラインに霊視能力がなくて良かったと、心底思ってしまう。疑りの視線はあるが、ないと言ってしまえばシュラインには追求することが出来ないのだ。
 更にシュラインのお説教が響こうとした時、彼女らの背後、そして和馬の斜向かいでどよめきが上がった。
 「何?」
 「あっちは、確か、シオンがいたところの様な……」
 四人の視線が、一斉にそこへと集中する。
 「………北斗」
 シュラインが目頭を押さえて呟いている。
 「えーと。何してんだ? あれ」
 「俺に聞くな」
 そこには、自分の両手は勿論、啓斗にまで『もくもくトウモロコシ』なる、未知の食べ物を持たせている北斗がいたのである。



 売り物の風鈴が殆どなくなってしまい、和馬は店開きを終了した。
 一個でも売れれば良いなと思っていたのだが、手持ちが所謂曰く付き以外は売れたのは嬉しい誤算だ。……尤も、美人のお姉さんに値切られていたことが多々あった為、売り上げの方は『ぼちぼち』か、もしくは『まあまあ』と言うところである。
 「流石に曰く付きばっかりおいとくってものなぁ……」
 大抵が風鈴の浄化の音や、裏に張っている和馬メイドのお札のお陰でごまかせてはいるものの、そればっかりになってしまうと、少々敏感な人間ならば気付くかもしれない。
 いくら風鈴の起源に厄除けの意味があると言っても、そして悪さをする様なものがないとは言っても、客が近寄らなければ意味がない。
 ここいらが潮時だと、すっぱり見切りを付けたのだ。
 「一っ風呂浴びて、すっきりするか」
 一旦部屋に戻って風呂道具一式を手にすると、和馬は一階へと下りていく。
 「あら、藍原さん、今からお風呂ですか?」
 「あ、悪ぃ、草間とシュラインに、遅れるって言っといてくれないか?」
 一旦降りてきたらしい朱理にそう言われ、伝言を頼む。快く了承した彼女が上がろうとするが、和馬はふと気になったことがあった為、呼び止めた。
 「ここの花畑って、何で芙蓉の花だけなんだ? 意味があんのかね?」
 くいと外を指さし、そう聞く。朱理は『ああ、そのこと』とばかりに頷くと口を開いた。
 「一日で咲いては散る命短い芙蓉で、世の儚さ、諸行無常の教えを現してるんです。芙蓉は元々中国で、蓮の花のことやったんですね。水に咲くのは水芙蓉と呼ばれとります。これが一般的に、日本で知られてる蓮の花やね。そして地に咲くのは木芙蓉、これが本来中国で言うところの蓮の花である芙蓉なんです。だからうちでは、池に水芙蓉、地には木芙蓉を育ててるんですよ」
 芙蓉が蓮と呼ばれていたことは、聞いたことがある。昼間の精進料理が、中国式であるかもしれないと思ったことも、強ち的外れではないのかもしれない。
 「へえ、タメになった。ありがとさん」
 いいえと言うと、朱理はそのまま上へと消えた。
 そのまま売店が入っているコーナーに入る。ふと見ると、熱燗セットなるものが目に付いた。
 「月見酒も良いかもな」
 そう言うと一本付けて貰い、それを持って脱衣所へと入った。
 使用されている脱衣箱は一つ。
 「男だけだったりして」
 そう呟く和馬は、水着を着用すると脱衣所の扉を開けた。
 「おや、貴方は」
 「お、確か東雲とか言ったな」
 そう言って和馬はぐるりと周囲を見回した。
 「一人か?」
 「ええ」
 そうかと呟く和馬は、脇に何かを置き、それにかけない様、気を付けてかけ湯をしていた。それを終えて風呂に入ると、先程置いた物をそっと引き寄せ湯船に浮かべた。
 「月見酒ですか?」
 「ああ、やるか?」
 勧てみたが、飛鳥は小さく首を振って断った。無理強いは好みではない。和馬はそうかと言ったきり、くいとそれを空け始めた。
 「しかし、男二人で入っているってのも、なーんか淋しいってーか……」
 「そうですねぇ……」
 だが、その寂しさは、そう長く続かなかった。何故なら、ここの露天風呂のことを知っている、施餓鬼会に参加していた女性達がやって来たからだ。
 かしましい声と共に、いっぺんに場が賑やかな物へと変わる。
 「あ、ごめんなさい。五月蠅くして」
 脱衣所から出てきて、既に入っている二人を見ると、にっこり笑ってそう言った。なかなかに綺麗なお姉ちゃんずは、全員で三人いる。
 最近の女性はとっても大胆だ。確かに水着は着用しているものの、その水着すら可成り思い切っている。いっそ脱いだ方が? と思ってしまう程、露出度が高いのだ。
 和馬は酒を飲むのを止め、風呂の外へと盆を上げる。
 「いや、こっちも男二人で侘びしいねぇって言ってたとこだから、歓迎だな」
 な? とばかりに視線を向けると、飛鳥もええと頷いた。
 「良かった」
 お姉ちゃんずの一人、ロングの髪を濡れない様にアップにした彼女は、真由と名乗る。更にお姉ちゃんずの一人、ショートの髪を金髪に近い色に染めた彼女は、愛理香と名乗る。最後の一人のお姉ちゃんは、ストレートらしい長い黒髪をアップにしている。彼女は珠樹と名乗った。
 名乗られれば、やはり名乗り返すのが礼儀で、こちらの二人側も、それぞれに名を名乗る。
 「お二人はお友達なんですか?」
 愛理香がそう聞くと、和馬と飛鳥の二人は顔を見合わす。
 友達と呼ぶより、仕事仲間だろうなと言った感じだ。今回の件で初めてあったのだから、互いに名前くらいしか知らない。正直に答える必要もないから、そうだと言う風に二人して答える。
 「へぇ、何か全然反対のタイプだから、ちょっと以外よね」
 真由が二人にそう聞いた。
 「あ、でも、反対だから気が合うってこともあるんじゃない?」
 そうかもーと盛り上がっている三人を見て、確かに反対だなと和馬は思う。
 小麦色の肌を持つ自分と白い肌の飛鳥、瞳も自分が黒で飛鳥が青、髪も茶髪と金髪。容姿からして正反対だ。
 更に言えば、雰囲気もまるっきり違う。
 「どちらからいらしたんですか?」
 「この下の街です」
 飛鳥の問いに、珠樹が穏やかに微笑んで答える。
 「へえ、じゃあ毎年ここには入ってるのか」
 「ええ、お昼はお手伝いして、夜になったら夜店に回って施餓鬼会参加して花火見て、何か毎年の習慣みたい」
 真由がそう答えると、そうそうと他の二人も頷いている。
 「あ、花火、もうそろそろよ」
 「ここから見えるの。花の上に、また花が咲いてるみたいなの」
 「綺麗よね」
 そう言っていると、聞き覚えのあるひゅうと言う音が聞こえ、一瞬の後、耳を劈く破裂音がする。
 「あ、始まったわよ」
 一発上がれば、後は順次に上がっていく。
 夜空に明るい花が咲き、そしてそれが萎れるのを待たずに次が上がった。
 日本の夜にはお馴染みの菊先が、金の光を見せたかと思うと、徐々にそれが紅のもの、青のものへと変わっていく。後追う様に、銀波先が流星を見ている様な銀色の軌跡を描いていた。牡丹の赤が、彩りを添え、それを飾る葉落が落ちる木の葉を現す様に、所々で光っている。
 大柳の光が流れたかと思うと、そこに蝶が舞っている。
 開いては散るのは、地に咲く花であれば侘びしいものだが、空に咲く花であれば、不思議と心楽しい気がする。
 「こりゃ、良い眺めだ」
 「ええ、本当に」
 音は凄まじくとも、それを差し引きしてもおつりが来る程艶やかだ。
 狂い咲きの桜の様に上がる花火。
 地上と空の花火に見とれた彼らが、時間に気付いて風呂を上がったのは、もう少し後の話であった。



 「おおっ、ヤベっ!」
 そう一声上げた和馬は、部屋を出ると慌てて宴会場へと向かった。
 風呂上がりであるから浴衣を着てはいるが、それも宴会ならば情緒の内だ。
 部屋へ到着すると、先程露天風呂で逢った飛鳥が既に来ており席に着いていた。和馬も同じく席へと着くと、朱理の薦めでビールを貰う。風呂で飲んではいたものの、和馬にとってあれは気付けの一杯程度にしかならない。ザルだとかワクだとか言われるが、彼は自分より上がいることを十分に知っていた為、それには曖昧に答えて置く。
 入るところで守崎啓斗(もりさき けいと)、守崎北斗(もりさき ほくと)の双子と一緒になった。
 更に、暫くするとシオンやって来て、漸く全員が揃った。ちなみにシオン、どうやらお化け屋敷のスタッフをやっていたらしく、白装束に死人の衣装のままで飛び込んできたのだ。思わず和馬は、他の者達と一緒になって一発叩いてしまう。叩いていなかったのは、セレスティ・カーニンガム──こちらは書院で見かけた人物だ──とモーリス・ラジアルと言う二人だけだ。
 「じゃあ、みんなが揃ったところで、乾杯の……」
 「下手な能書きはいらねぇってば」
 「話が長い方は嫌われると言いますよ」
 機嫌良く乾杯の音頭を取ろうとした草間だが、その前の演説を始めようとすると、即座に北斗とモーリスから待ったが入る。
 しくしくと泣いてしまって後が続かない。
 「ほら、武彦さん、泣かないの」
 そうシュラインに慰められ、漸く顔を上げて一言。
 「何でも良い。乾杯っ!」
 声に続き、それぞれがグラスやお猪口を掲げて『乾杯』と叫ぶ。
 一気に進む宴会は、酒瓶やお銚子がこれでもかと開いていく。
 何故かワインを掲げているセレスティとモーリス、未成年なのに酒を飲もうとして啓斗とシュラインに殴られている北斗、陽気ではありつつも顔色一つ変えずに杯を空ける和馬、お化けメイクを未だ落としていないシオン、ほろ酔い加減の飛鳥、雰囲気に酔っている零に、すっかり出来上がっている草間だ。
 和室中央のテーブルに並べられているのは、食前酒の冷やし梅酒、滝川豆腐に生雲丹、冬瓜松前煮や石焼きステーキや牛しゃぶ、舟盛りなど、その他諸々。恐らく食の細い者ならば、一人前が食べきれるかどうかと思う程だ。
 「美味いよなぁ、これ。兄貴、家帰ったら作ってくれよ」
 「お前、何人分喰った?」
 「実はカードを持ってきているんですよ。如何ですか?」
 「勿論構いませんよ。……でも、場所が変わっても、結果は同じかと思いますけどねぇ」
 「ウサちゃん、帰る時、タッパに詰めてもらいましょうね」
 「ああ、私は書院で暮らしたいです。それがダメなら経楼で……」
 「美味い酒のお陰で、いくらでも食が進むな」
 「もう、武彦さんってば、寝るなら部屋で寝てちょうだい。風邪引くわよ」
 未だ花火が上がる中、そんな声が飛び交っている。
 防音設備がしっかりしている為、外の音はシャットアウトされていた。
 「何か、無音の花火って、淋しいな」
 「それでも、夜空に咲く花は、美しいと思いますよ」
 呟く啓斗に、穏やかに微笑んだセレスティが、そう告げた。
 「そうかな」
 「沈むな沈むな。宴会だからな。ぱあっと行けよ、な?」
 こっくり和馬に肯き、半分寝かけである草間の膳を狙っている弟に向けて、手裏剣を放つ。
 北斗は見事に避けたものの、袖で防いだ為に服が台無し。
 「啓斗! こんなとこで手裏剣なんか投げないで!」
 「痛ぇっ!」
 言葉尻で、しっかり北斗を殴っているところを見ると、ちゃんとシュラインは気付いていた様だ。
 「仲が良いですねぇ」
 「本当ですね。あ、セレスティさま……」
 満面の笑みを浮かべて、モーリスが言う。
 「これは……。もう一回、勝負ですよ、モーリス」
 「ええ、結構ですよ」
 宴会しつつ、カードゲームをしている二人だ。
 まだまだ宴会は終わりを見せない。
 途中で抜ける者も幾人かいた。眠気に負けた者、まだ何か楽しみがある者、それはその者達の事情である。
 草間興信所の宴会が終わったのは、一体何時であったのか、誰も知らない。
 山上の夜は、緩やかな時間と共に、徐々に更けて行ったのである。


Ende

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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0086 シュライン・エマ(しゅらいん・えま) 女性 26歳 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員

1883 セレスティ・カーニンガム(せれすてぃ・かーにんがむ) 男性 725歳 財閥総帥・占い師・水霊使い

3356 シオン・レ・ハイ(しおん・れ・はい) 男性 42歳 びんぼーにん(食住)+α

2318 モーリス・ラジアル(もーりす・らじある) 男性 527歳 ガードナー・医師・調和者

0554 守崎・啓斗(もりさき・けいと) 男性 17歳 高校生(忍)

2736 東雲・飛鳥(しののめ・あすか) 男性 232歳 古書肆「しののめ書店」店主

0568 守崎・北斗(もりさき・ほくと) 男性 17歳 高校生(忍)

1533 藍原・和馬(あいはら・かずま) 男性 920歳 フリーター(何でも屋)

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          ライター通信
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 こんにちわ、斎木涼でございます(^-^)。
 もうちょっと早くにお届けできるかと思っていましたが、遅くなってしまいまして、申し訳ありません。
 今回は、依頼ではなく、お楽しみシナリオ的なお話です。ですので、皆様から頂きましたプレイングは、殆ど盛り込ませて頂いているつもりです。短い部分とかもありますけれど、そちらの方はご容赦を。
 ちなみに隠しイベントとは、夜の阿難堂に行くと、多聞寺本当のご本尊である阿難尊者とおデート出来ると言うものでした。全然有難くない隠しイベントですが(^-^;)。
 ちらーっと、何方様かの本文中に、それらしい話が出ております。

 >藍原 和馬さま

 初めまして、斎木涼でございます(^-^)。
 この度は慰安旅行シナリオにご参加頂き、ありがとう御座います。
 藍原さまを書かせて頂くのは初めてございますので、口調など、違うなと言うことがあれば、遠慮なく仰って下さい。
 実は藍原さまに、どうしても言って欲しい言葉がありました。本文中もさらりと流す形ににはしているのですけれど、本当はリアルタイムで言って頂きたかったです。人狼大好きなわたくしの、拘りの言葉だったりします。


 藍原さまに、このお話をお気に召して頂ければ幸いです。
 ではでは、またご縁が御座いましたら、宜しくお願い致します(^-^)。