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<東京怪談・PCゲームノベル>


デンジャラス・パークへようこそ 〜光の軌跡〜

 降るような蝉の声が、ぴたりと止んだ。
 痛いほどの日射しを投げかけていた真夏の太陽が、みるみるうちに暗雲に覆われていく。
 閃光が空を走り、雷鳴がとどろいた。大粒の雨が降り始める。
 弁財天宮からひょいと外へ出て空を見上げた弁天は、急激な天候の変化に眉を寄せ、むぅ〜ん、と唸ってから1階カウンターに戻ってきた。
「……おぬしがあまりにも珍しいことをするから大雨になったではないか。よもや、毒入りではあるまいな」
 スツールには、先刻から嘉神しえるが腰掛けていた。カウンターの上には、差し入れの水羊羹が乗っている。
 なんと、しえるの手作りであった。
「やあねえ。弁天サマのために作ったのよ。水羊羹が好物だって、メールで言ってたじゃない? 食べてね♪」
「ここまでの雷雨を呼ぶのは、わらわとて難儀なレベルなのじゃぞ。よほど、天も吃驚したと見える」
 触れたら爆発でもするかのような手つきで、弁天は水羊羹の容器をつついた。
 硝子の器から透けて見える餡はなめらかで美しく、見事なできばえ……に、見える。
「ふむ……。おぬしが作ったにしてはまともじゃの。苦労したであろ?」
「ん? ううん。ぜっんぜん!」
 バンドエイドだらけの両手をさっと後ろに隠し、しえるは首を大きく横に振った。
 ちらっと胡乱な視線を走らせてから、弁天は蛇之助を呼ぶ。
 地下4階イベントフロアの清掃中だった眷属は、しえるを見て意外そうに目を見張り、いったいどうしたことかとあるじを見た。
 眷属が恋人と出かけることを快く思わない女神は、しえるが訪ねてきてくれても、いつも用事を言いつけては邪魔をする。すれ違いにされることは多々あれど、わざわざ呼び出して同席させるなぞ、それこそ青天の霹靂だ。
 さらに――
「蛇之助。仕事は中断して良い。ちょうど隅田川花火大会の日じゃ。しえると見物して来や」
「……どうなさったんですか、弁天さま。具合でもお悪いのでは?」
 何かの聞き間違いかと思うような台詞を、蛇之助はいぶかしむ。
「そうねえ。熱はないみたいだけど」
 しえるは右手を伸ばし、弁天の額に当てる。
「失敬な! わらわは絶好調じゃ。努力に免じ、今日のところは折れてしんぜようと思ったまで」
「ですがこの嵐では、花火大会は……」
 弁天までが珍しいことをしたせいか、効果二乗で、外は台風直撃のごとく暴風雨が吹き荒れている。
「なに、これはこの地域だけの局地的なものじゃ。隅田川周辺は快晴の筈。いいから、わらわの気が変わらぬうちに、さっさと出かけい!」

 *  *

「驚いた。浴衣まで貸してくれるなんて。……似合う?」
「ええ。とても」
 ふたりは、浴衣姿での外出となった。
 公園を訪れたときには、涼しげな麻のワンピースを着ていたしえるだったが、
 ――どうせなら、浴衣でお行き。地下3階に、わらわが厳選したコレクションコーナーがあるゆえ。
 とのことで、濃淡のある紺色の変わり織り地に、レトロ調の花を散らしたものを選んだのだ。合わせて蛇之助も、菱形麻の葉柄の浴衣に着替えたのである。

 井の頭公園を離れるにつれ、あれほど激しかった暴風雨は影をひそめた。真夏の熱気が戻ってきた夕暮れ時の空に、星が瞬きはじめる。
 吉祥寺から中央線で神田へ。東京メトロ銀座線に乗り換えて浅草へ。
 隅田川花火大会は、ふたつの会場にまたがって開催される。第一会場は桜橋下流から言問橋上流、第二会場は駒形橋下流から厩橋上流にかけて。
 どちらにしても大変な人出で、交通規制も多い。
 ふたりは一駅先で降り、第一会場まで歩くことにした。陽が落ちても気温は下がらず、頬を撫でる風はまだ熱と湿気を孕んでいる。
「隅田川の花火って、水の神の祭祀に関係してるって聞いたんだけど」
「そうですね。川開きのきっかけは、享保17年の大飢饉でした。疫病も流行し、多数の死者が出ました。その慰霊と悪病退散を祈るため、幕府は水神祭を挙行したのです」
「慰霊――」
「このとき、両国橋畔の料理屋さんが川施餓鬼(かわせがき)を行い、花火を上げたそうです。これが後年、年中行事化されていったようで」
「――ねえ。今日って、特別な日なの? 弁天さまの様子が、いつもと違ってたわ。花火大会以外に、何かあるとか?」
 ほんの一瞬、蛇之助は顔を曇らせた。が、すぐに微笑んで否定する。
「……いいえ。何もないですよ。きっと、しえるさんの水羊羹の効果でしょう」
「そう? 奮闘した甲斐があったかしら」
「大変だったんじゃないですか?」
 ……お兄さんが。とはさすがに言えない蛇之助である。
「まあね。お鍋が派手に爆発したり、寒天が鋼鉄のように硬くなったり、あちこち火傷しちゃったり。兄貴の台所も凄惨なことになってたけど、でも、成功よ。……何回挑戦したかっていうのは聞かないでね」
 しえるはため息をついて目を逸らすのだった。

 *  *

 人の波がうねる中、慣れぬ浴衣におぼつかない足取りの少女を、少年が支えるようにして腕を組ませている。
 その初々しさに、蛇之助はふと傍らの恋人を見た。
 人ごみに押されても、しえるの足さばきは乱れることもない。蛇之助の助けを必要とせぬ凛とした姿勢で、水面を流れる花びらのように、すいと歩いている。 
 まるで心を読んだように、しえるが笑った。
 蛇之助の腕にしなやかな手をからませ、しかしすぐに離す。
「貴方はまだ、ぜんぜんわかってないのね」
「え?」
「何でもないわ」

 腕を組むより、手を繋ぐほうが好き。
 だって――
 引っ込み思案な貴方も、そっと握り返してくれるもの。
 ……ほら、こんな風に。
 本当に、わかってないのね。
 私がどんなに、貴方が好きか。

 *  *

 身動きの取れぬほどの人混みも、少しはゆるやかになった。
 穴場と言われる本龍院前は、隅田川に平行して道一本隔てた、言問橋と交差する位置にある。
 ふたり並んで鑑賞できる場所をようやく見つけ、しえるは蛇之助に向き直る。
 打ち上げ開始までには、まだ少し時間があった。
「蛇之助とつき合い始めてから、1年と少し位になるかしら? 去年もふたりで、花火を見たわね」
「あれは、立川でしたね」
 しえるはふっと、華が咲く前の空を見上げる。
「時々ね、心配になるの。私は貴方に無理をさせてないか。わがまま過ぎてやしないかって」
「そんなことはないです!」
 蛇之助は大きく首を横に振る。
「それに、わがままでしたら、身近にもっとものすごいかたが」
「ストップ。弁天サマとは比較しないでよね。それって、乙女心には複雑なんだから」
「……すみません」
「手、出して」
「……?」
 反射的に差し出した手のひらに、小さな銀色のものが乗せられた。
 精密なつくりの、うさぎの携帯ストラップである。
「『恋人一周年記念』のプレゼント。少し時期過ぎちゃったけど」
「これ、しえるさんが作ったんですか?」
「そう、銀粘土焼で。好きでしょ、うさぎ。ほらお揃い♪」
 自分の携帯につけたものを、しえるは見せる。
「器用ですね」
「……料理じゃなければね。こういうのは得意なの」
「ありがとうございます。……あの」
「ん?」
「しえるさんは、私にご不満やご注文が、多々あるのではないかと」
「ううん。不束者ですが、今後とも宜しくお願いしマス。……ああ、でも、そうね。ひとつだけ」  
「はい」
「もう少し、積極的になってほしいかな……?」

 しえるが呟いたとき、第一会場の花火が上がった。
 夜空を彩る八重芯菊と、沸き起こった歓声が、蛇之助の言葉をかき消す。

「……ですよ」
「なに? 聞こえないわ」
「好きですよ」
「聞こえない。もう一回」
「好きです」
 
 八重芯菊、ポインセチア、千輪菊、ひまわり。
 閃光を放つ大輪の花々が、唇を重ねた恋人たちのシルエットを照らしては散った。
 
 *  * 
 
 差し入れの水羊羹は3個。
 ひとつめは、なんとか失神せずにすむ程度、ふたつめは食べられなくもなく、みっつめは――美味しかった。
 空にした容器をカウンターに置いたまま、弁天は外に出た。
 線香花火を、持って。

「どうしたの、弁天ちゃん」
 弁天橋の上でひとりで線香花火をしている弁天に、ハナコがおずおずと声を掛ける。
「今日は、或るおなごの命日での」
 小さな火花を見つめたまま、弁天は無愛想に答えた。
「巫女であったが還俗して嫁ぎ、子宝にも恵まれ、天寿をまっとうした――昔の、知り合いじゃ」
「……ふうん」
 ハナコはそれ以上問うこともなく、ちょこんと横に座った。
「花火って綺麗だね。すぐ消えちゃうけど」
「そうじゃな」
 時は移り、日照りに苦しんでいた村は華やかな街へと変貌し、今では墓のあった場所すら定かではない。
 忘れることのかなわぬ神と、かつて神だったものに出来ることは、せめて鎮魂を祈り、そして――新たな華を見守り、関わることだけだ。
 天から降りたもうた聖なるものの末裔は、これからも、目を奪うような光の軌跡を見せてくれるだろう。
 弁天は次々に、線香花火に火を灯していった。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2617/嘉神・しえる(かがみ・しえる)/女/22/外国語教室講師】

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■         ライター通信          ■
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こんにちは、神無月です。
時の経つのは早いもので、はたと気づけば、前回の花火デートから、もう1年が経過しておるではありませんか。
たま〜にしおらしくなる弁天が譲歩して、恋人関係もちょっぴり進展した模様です。
いくらしょっちゅう邪魔が入るからとはいえ、奥手ですなぁ(←誰のせいだか)。