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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


そのままの君でいて


 ビルから外にでると夏だった。太陽の暴力的な光と熱に少なからずうんざりして、綾は手をかざした。
「ついてないですね」
 ため息が一つ。まさか担当が出張中だとは思わなかった。しかも軽井沢とは。些かこの日差しが恨めしくなっても仕方あるまい。
「槻島くん」
「……おや。久しぶりですね」
 唐突に背中にかかった声に振り返れば同期でデビューしたエッセイストの姿があった。この女性、見た目だけなら『出来る女』だが、さばさばとした気質で付き合いやすい。
「担当さんに会えかったんですって?」
「ええ」
「寄寓ね、私もよ」
 お互い振られたらしい。二人はそっと肩を竦めあった。
「振られた者同士お昼でも食べない?」
「それもいいですね。ああ、そうだ。よかったら一つ相談に乗ってもらえませんか?」
 何かしらと首を傾げた女性に綾は対した事じゃないんです、と照れ笑いをした。
「知っている女性が忙しくて疲れているので、いいリフレッシュの仕方はないかと思って」
「あ、そういうのなら任せて。いくらでも相談にのるわ」
 女性の笑顔に頷いて、二人は歩き出した――思えばこれが全ての始まりだった。


 瞳子はその日も忙しかった。午前中、図書館で、午後は大学へ。それなりの距離があるので移動だけでも大変だ。
 夏休みがちっとも休みになっていないのは気のせいだろうか。
 軽くどこかで食事を済ませてから大学に戻らなくちゃ。
 そう思いながら、足早に通りを抜けようとした瞳子はふと見覚えのある姿を見つけた。綾だ。
 もしも暇なら昼食を一緒に取れるかしら?
 そんな期待を胸に綾の元に向かおうとした瞳子の足が止まった――否、凍りついた。
 綾さんの隣を歩いてる女の人は誰?
 涼しげな青のスーツを着こなした女性は瞳子と違って、大人の女性だった。仮に瞳子があのスーツを着ても、ああは着こなせない。そんな風に素直に思ってしまう大人の女性。
 そんな人が綾の隣にいる。その姿に瞳子は立ち尽くした。綾の眼鏡の奥の瞳が楽しげに輝いているのは気のせいだろうか?。
 二人が入っていったのは、美味しくてデートに行ってみたいお店として瞳子の友人の間でもよく名前がでるお店だった。
 ――やっぱり、デートなのかな……。
 ノドがカラカラに渇いている気がした。
「……私、早く行かなくちゃ」
 ふらりと踵を返す。何事もなかったように歩きながら、瞳子の脳裏からは先程の二人が離れない。
 大人の女性。今の私にはなれない、そんな人。
 綾さんの隣に並んでよく似合っていた――きっと私がいるよりずっと。
「嘘、だよね」
 瞳子は自分に言い聞かせるように呟く。
「私、綾さんの側にいてもいいんだよ、ね」
 今すぐ綾に頷いて欲しい。
 でも綾の顔は見たくない。
 瞳子は相反する思いに揺られながら、ひたすら足を速めた――あのお店から少しでも離れる為に。


 友人は綾の話に熱心に相槌をうち、気が付けば3時近かった。目指す夢の為に夏休みも惜しまず頑張っている瞳子の事を友人も気に入ったらしく――或いは綾の惚気っぷりを面白がったのか――、あれこれ親身に話を聞いてくれた。
 ――女って言うのはね、いくつになっても貰うと嬉しいものがあるのよ。一つは宝石。もう一つは花。
 宝石は息抜きにならなさそうですね。でも花束だとすぐに枯れてしまいますし……。
 ――じゃあ、綺麗な花が咲いてる場所に連れてのは? 息抜きにもわよ。
 それもそうだと同意して綾は思いを巡らせた。どうせなら、彼女の好きな花がいい。
『桔梗ってとても好きなんです。あの濃い青に目を惹かれてしまって……』
 そんな言葉が耳に蘇った。
 そうだ、桔梗にしよう。桔梗の花期は短いが、未だに咲いてる場所を知っている。
 目にも鮮やかなあの光景が眼前に広がった気がした――いや、実際広がったのだ。しかし、綾はそれに気付く事なく、眼鏡の奥の緑の目を閉じた。あの景色を瞳子に見せたい。
 今から連絡しても大丈夫だろうか?
 忙しいかもしれないと思いつつも、綾は携帯電話を手にした。花の時期は短い。できればこの週末にでも、出かけたかった。
 トゥルルルルル、トゥルルルル……
 ――……はい、千住です。
 コールの二回目で瞳子の声が聞こえた。綾はその声の調子に違和感を覚えた。元気がない、具合でも悪いのだろうか。
「瞳子さん? 僕です。今大丈夫ですか?」
 ――綾さん……。はい、大丈夫です。
「そう? よかった。今度の週末ですけど、あいていますか?」
 しばらくの間があった。スケジュール帳を確認しているのだろう、と綾はのんびりと答えを待つ。
 ――大丈夫です。その日は一日あいてます。
「ちょっと遠くに行きたいから朝からになるんですけど、それなら平気かな」
 あれこれと待ち合わせの時間を決めると、ちょうど瞳子が呼ばれているようだった。
「それじゃ、週末楽しみにしています。……後、お大事に」
 ――……え?
「なんだか具合悪そうな声に聞こえますよ。夏ばてには気を付けて下さいね」
 ――ありがとうございます。それじゃ、また
 瞳子が電話を切るのを待って、綾も電話を切った。
「忙しいから仕方ないかもしれませんが、無理をしないなら良いんですけど……」
 恋人の悩みに気付く事なく、綾は恋人を思ってため息をついた。


 天気は瞳子の心と同じ曇り空だ。
 運転している綾は色々と気遣ってくれたが、心は晴れなかった。
 目を瞑るたびにレストランに入っていく二人の姿が思い出される。おかげですっかり寝不足だった。
 あの人は誰なんですか?
 一言そう聞いてしまえばいいのだろう。だが、答えを聞くのが怖くて、口に出せないでいる。おかげで悪い想像ばかりが膨らんで、瞳子は落ち込むばかりだ。ただ黙って想像が行き過ぎるのを待つしかない。
「本当にどうしたんですか?」
「……なんでもないんです」
「そうですか?」
 こくりと頷いてしまえば、それ以上会話が続かない。どれだけの同じやり取りを繰り返しただろう。困らせているんだろうな、とは思う。でもどうにも止められない。ただ項垂れるばかりだ。
「そろそろお昼時ですね。何かリクエストはありますか?」
「いえ。お任せします」
「それじゃあ、以前知人と来た店にしましょう。とても美味しかったから、瞳子さんと食べに行きたいと思っていたんですよ」
 普段なら嬉しい筈の言葉なのに、瞳子はぎこちない笑顔を何とか作るのが精一杯だ。
 誰と言ったんですか?
 そんな問いがノドまで上がってきていた。


 湖畔沿いにあるそのレストランは水面に面した大きな窓が評判を呼んでいる。勿論、和風フレンチと銘打ったお箸で食べるフランス料理の美味しさにも定評があった。
 シェフのお薦めランチを挟んで向かい合っているうちに様子のおかしかった瞳子も笑顔を浮かべるようになっていた。その様子に綾は胸をそっと撫で下ろす。
 本当に一時はどうなっているのかと……。
 まさか学業について口出しする訳にも行かない。瞳子の悩みを知る由もない綾はすっかり勘違いしていた。
 脇を一人の女性が通ったのはその時の事だ。
 淡いブルーのふんわりとしたスカートは涼しげで水のようだった。瞳子が着ても似合いそうだな、そう思いながら綾は何気なく口に出した。
「夏らしく涼やかですね」
「……スカート履いてる人だったら誰でも良いんですか?」
「何を突然……」
 言い出すんですか、と言う間にも、瞳子の瞳は潤んでいく。突然の展開に綾は戸惑うばかりだ。
「先日のあの人は誰ですか?」
「先日?」
「水曜日のお昼に一緒にレストランに入ったあの人です」
 水曜日の昼食を食べた相手と言われても数日前の事だ。それが同期の友人である事を思い出すのにしばしかかった。
「え? あ、彼女ですか」
「どうせ私は子供です!」
「子供って21でしょう?」
「どうせあの人みたいなスーツもスカートも似合いません」
 何がなんだかさっぱり判らない。目を白黒させる綾に瞳子はなおも言い募った。
「どうせ私なんて……」
「瞳子さん!」
 強い口調で言われて瞳子は口をつぐんだ。眼鏡の奥の緑の瞳が怒っている。
「……だってっ」
「いいから。出ますよ」
 強い口調に気圧されたように瞳子は黙った。手を引かれて店を出る。
 ――店を出て車に乗っても重苦しい沈黙だけが、二人の間を支配していた。


 その野原は車から降りて10分の所にあった。
 眼下に広がるのは一杯の緑と強い青。見渡す限りの桔梗がそこにあった。紫がかったその色彩に圧倒されるように瞳子は息を飲んだ。
「すごい……! なんて綺麗!」
 花束の一部としてではない、自然の桔梗。それがこんなにも綺麗だとは瞳子は知らなかった。
「桔梗が好きだって言っていたでしょう?」
 柔らかい声で綾はそう言った。目を輝かせる瞳子の前に怒りは随分と収まっていた。
 考えてみれば、単純にヤキモチなのだ。すぐに気付いていれば、可愛らしい嫉妬で済んでいた事かも知れない。一人で思い詰めていたと思えば――それはそれで早く言えば良いのにとも思いもしたが――返って気の毒な位だ。
「覚えていてくれたんですか?」
「ええ。水曜日にね、知人に教えてもらったんです」
「そうだったんですか。ありがとう。私何も知らなくて一人で怒って、嫉妬して……」
 俯いて恥じ入る瞳子に綾はそっと笑った。
「彼女は同期の仲間ですし、何より人妻ですよ」
「え!?」
「……それにね、瞳子さん、別に彼女みたいにスーツが似合わなくていいんですよ。僕の瞳子さんはそういう瞳子さんですから」
 さらりと告げられた言葉は嬉しくて、でもちょっとだけ、瞳子は口を尖らせた。
「……でも、綾さんがスーツの時は私だって」
「瞳子さんに似合うスーツでいいんです。そのままでいてください」
 瞳子はこくりと頷くと、綾の腕をとり、見上げた。
「さっきはごめんなさい。……それから、本当にありがとう」
 綾と瞳子は笑いあい、腕を組んで桔梗の原を歩き始めた。


fin.