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<東京怪談ノベル(シングル)>


続・お触りご勘弁!








 うだるような暑さの日曜日。
 外では朝から蝉の声が響き渡り、深みのない青の空には入道雲が姿を見せている。そんな夏休みの一日で、曜日の存在を思い出したのは、珍しい人物が家に姿を見せたからだった。
「………はい?」
 窓を開け放ち扇風機を弱で回しながら、ベッドに寝転んで本を読んでいるのは、青い髪と青い瞳が印象的な少女。タンクトップにショートパンツというラフな恰好で華奢な手足はむき出しになっている。外の気温は既に二十度を越えている。朝からの余りの暑さに、彼女は何をする気もなくなり、それでも一応、と課題図書に眼を通していた。
 そこに、何の前触れも―――鍵が開けられた音もドアが開いた音も、当然廊下を歩く音も―――させずに現れたのだ。しかも、彼女はその相手に見覚えがあった。と、そこで本日が日曜日で、その相手が仕事が休みなのだろうと思ったのだ。
「おかえりなさい、お父さん」
 とりあえず、それだけ言った。
 オーバーなリアクションと芝居がかった台詞回しはいつものことだ。みなもはそれをさらりとスルーして本に栞を挟み、体を起こす。
「今日はお仕事がお休みなんですか?」
 頷いて、動物園に行こうと繰り返した。
「またいきなりですね」
 それが身上だと迷惑な事をさも当然の事のように言う人物を見やりながら、みなもは服を着替えるために立ち上がる。言い出したら、どうせ聞かないのだ。そこに父は提案を持ちかけてくる。
「提案ですか?」
 クローゼットに手をかけたみなも。
 この間プレゼントした服で出かけよう、と。要約すればそう言う事を言う。
 びし、と音を立てて固まった。
 思い出したくない事を思い出し、沈黙することしばし。というか、これから着替えようとしている娘の部屋に居座っている父親、というのもどうなのだろうか。
「ごめんなさい、良く聞こえなかったのですが」
 自分の耳を疑ってみた。
 彼は一字一句間違いなく繰り返してくれた。
 忘れたいが、そうすることも赦してくれないようだ。今後のプレゼントの参考になるとものたまっている。
 もうプレゼントは要りません。
 みなもはそう思ったが、とりあえず口に出しては別の事を言った。
「絶対嫌です」
 断固拒否だ。
 心底不思議そうに小首を傾げてみせる父に、悪夢の日の事を怒涛のように長々と話した。肺活量の限り語りつくした。
 話し終わったとき、父は笑顔を全開にした。今すぐ動物園に向かっていきそうな勢いだ。
「困っている私が見たいんですか?」
 誇らしそうな顔に枕を投げつける。
「宿題があるので別の人を誘ってください」
 枕をさらりと交わして、父は言い募った。最終的には、その場に突っ伏して号泣しだした。
 そう、歪んでいても、愛は愛。
 子供が親を殺すだとか、親の虐待だとかが騒がれる昨今。これほどの愛を受けて何が不満だろうか。そして、どんな事を言っても笑顔で赦してくれるこの寛大で優しい父に、甘えきっているのも事実。
 部屋で突っ伏して泣きじゃくる父の傍にしゃがみ、みなもはその肩に手を置いた。
 結局はこうなるのだ。
「ごめんなさい、お父さん。そう言うつもりじゃなかったんです」
 涙に濡れた声がでは、どういうつもりだったのかと問いただしてきて罪悪感を刺激する。
「お父さんと出かけるのはとても嬉しいです。でも、あの服で一緒に出かけたら、楽しいどころじゃなくなると思ったんです」
 ぐずぐずと鼻を啜りながら父は服はどうにかする旨をいった。哀れを誘う姿だ。どうやってするのかは聞かない事にした。
「じゃぁ、一緒に出かけましょう」
 ハレルヤ! と喝采を叫んで父は喜んだ。その姿を見ていると、みなもは何もかもがどうでもよくなり、一緒に喜びたくなるのだった。











 クローゼットの奥に幾重にも封印を施した白い布を取り出して想いを込めると、すぐさま青と藍色のグラデーションの夏物ワンピースに姿を変えた。それを着て父の前に出ると一通り美辞麗句を並べた後、何かした、らしい。
 らしい、とは、実際何をしたのかも解らなかったし、特別何かが起こったわけではなかったからだ。
 そんなわけで、父と二人で動物園に繰り出した。真夏の太陽から守るように日傘を差してもらい、その限られた日陰を歩く。
 普段はあまり話さない事を取り留めなく喋った。父の穏やかな笑顔が大好きだった子供の頃に、心は余りにも簡単に戻ってしまう。
 学校の話、友達の話、バイト先の話、父の不在の家の話。時々苦情も言ったが、それについての改善を期待する事ももうない。
「それで……」
 何か言いかけて、不意に前から二人で並んで歩いてくる若い男女が眼に入った。避けようにも狭い歩道で、逡巡した瞬間、ふわりと肩に手が回される。酷く優雅なエスコートで、次に気が付いたときは、何事もなかったかのように男女とすれ違っていた。
 みなもは驚いて父を見上げる。今日、家を出てから何度か父が何気なく肩や腰に手を回した事が在ったが、それは全て、周りの人から守ってくれていたのだろうか。
 まだ、彼女の服はワンピースのまま。父が触っても変わらないようだ。
 優しい、甘いとも言える眼差しに先を促され、みなもはまた、取りとめもなく話し出した。
「あ、えっと、それでですね……」
 青い空の先にある灼熱の太陽からも。
 吹き付ける風も。
 道の脇を走る車からも。
 そして、すれ違う何物からも。
 守ってくれる、という、穏やかな気持ちが心地よかった。









 父が連れてきてくれたのは、「ふれあい動物園」という、普通に生活していたらあまりお目にかかれない、ヤギやウサギ、ウマやウシといった、動物と触れ合えると言う触れ込みの広場だった。とても珍しい動物を柵ごしに観賞するのではなく、直接触れるというのが評判なようで、意外に人が入っている。
 流石に入り口付近では色々な人にぶつかったが、父曰く「一般人なら、命の危機レベルの想いじゃないと、変わったりしないよ」ということで、ワンピースはワンピースのまま。
 中学生一枚と大人一枚、券を買って係りの人に手渡し、広場に入る。服が変わるかもしれない、という思いでびくびくしていたが、それもないと解り、珍しい父との外出ということもあり、みなもははしゃいでいた。
「お父さん! 見てください! ウシさんです!」
 白と黒の乳牛だ。のんびりと歩いている父の腕にまとわりついて、早く早く、と引っ張る。こらこら、と言いながらも嬉しそうなのを隠しもしない父と一緒にウシを見て、乳搾りを見学した後、その横のふれあい広場、という場所に放し飼いにされているウサギを見るためにはいった。妙に閑散として人が入っていないが、好都合だ。
「可愛いです!」
 ぴこん、と耳を立てて立っているのは、茶色の大型のウサギだった。学校などで飼われている穴ウサギよりもずっと大きいが、それゆえに珍しい。
 触ってみたいと想って駆け寄ったが、直ぐに逃げられてしまった。
「あ……っ!」
 放し飼いにされているのだ。そう簡単に捕まえられるわけがない。そして、どうして客がここに来ないか解った。ウサギは可愛いが、触れないのでは意味がない。
 後ろからの笑い声に、若干むっとして振り返る。
「笑わないでください」
 ぷい、と視線を逸らす。子供っぽいことこの上ないが、相手が父親なら仕方がない。
 父は困ったように笑って見せたが、直ぐに近づいてきた。
 ひょい、とばかりに捕まえたウサギを手に抱いて。
「わぁっ!」
 ふわふわの毛皮。くるりとした黒い瞳。体のバランスとしては耳はそれほど長くないが、愛嬌があった。
 嬉々として手を伸ばす。
 悲劇は幕を開けた。
 父がウサギを抱かせてくれた瞬間。
 胸元に痛みが走った。
「っつ!?」
 ウサギを抱いた手が滑る。慌てて父がそれを受け止めてくれたが、既に意識は向けられなかった。
 どくん、と。
 何かが脈打ったのが解る。
 視界の端で、藍色が茶色に色を変えていく。どこかで見た色。ついさっき、抱こうとしたウサギの色。
 理解が広がった瞬間と、服が姿を変えたのは同時だった。
 ふわりと体を覆っていたワンピースというよりは布が、体にまとわりつき、肌に張り付き―――…一体化する。体中の皮膚に悪寒が走るような違和感。痛みではなかった。ただ、違和感と、侵食されていく神経が軋んだ。
「―――――っ!!」
 声にならない悲鳴を上げてその場に崩れ落ちる。砂利の上に膝をついて、それでも支えきれずに顔から倒れこんだ。頬が砂利に擦れる事を覚悟して眼を閉じたが、衝撃は想っていたよりずっと柔らかかった。痛みがなかったわけでなはないが、頬を砂粒に抉られることはない。
 全身のなんともいえない違和感と、何かが決定的に変わってしまうと言う予感。それを、自覚しながら、頬に指を伸ばし―――
「いやぁっ!」
 尖った爪と、茶色い体毛に覆われた指先が視界に入った。思わずそれを体から離し、砂の上で身じろぐ。自分の体を見下ろして、今度は悲鳴も出ないほどに呆然とした。
 先ほど抱こうと手を伸ばしたウサギと同じ、ふわふわのそれ。
 手の爪と足の爪は妙に鋭い。
 別にウサギの恰好をしているわけではない。手も足も、人の長さがある。だが、これはきぐるみというような可愛いものではなく、全身タイツという生易しいものではなった。
 恐る恐る顔をぺたぺたと触ってみて、そこも毛皮に覆われている事が解る。口元を触ったときに前歯に触れた。妙に大きくなっているらしい。
「えっと……」
 声は、人のものだった。それだけは安心する。
 まるで自分の現状を確かめるように、ゆっくりと呟く。
「動物の生殖本能って、確かに、ある意味”生命の危機”ですよね……」
 動物にも適応するのか、とか。
 あのウサギは雄だったのか、とか。
 言いたい事は幾つか在ったが。
 言うべき言葉はそんな事でなない。この魔法の洋服、というどうしようもなく期待を持たせたぶん、叩き落されるショックが大きいこのプレゼントの贈り主に向かって。
「これはもう服じゃないですっ!!」
 みなもは吠えた。否、吠えようとして、もっとぺつの事を彼女は反射的に叫んでいた。
「って、何してるんですか!!!」
 握りこぶしで親指を立てて。父はこれ以上なく晴れやかに誇らしげに、何より嬉しそうに「ぐっジョブ!」と言いたげだ。
 デジタルカメラを構えて。
「何撮ってるんですか!」
 ぱしゃ。
「止めて下さい! 悪趣味もいいところです!」
 ぱしゃ。
「最低です!」
 ぱしゃ。
「イヤだって言ってます! だから、止めてって言ってるんです!!」
 挙句の果てに真面目腐って諭してくる父に、みなもは脱力した。カメラを取り上げようと伸ばしていた手を引っ込め、その場に体育座りする。膝を抱えて丸くなった。
「青と藍色のワンピース。青と藍色のワンピース。青と藍色のワンピース。青と藍色のワンピース。青と藍色のワンピース。青と藍色のワンピース。青と藍色のワンピース。青と藍色のワンピース。青と藍色のワンピース。青と藍色のワンピース。青と藍色のワンピース。青と藍色のワンピース。青と藍色のワンピース。青と藍色のワンピース。青と藍色のワンピース。青と藍色のワンピース。青と藍色のワンピース。青と藍色のワンピース。青と藍色のワンピース」
 呪文のように唱えてみたが、中々元に戻らない。さすが生命の危機、というべきだろうが、今の彼女に自然界の偉大さを痛感している余裕はない。
 その間にも悪趣味極まりないシャッター音は続いている。
 あえて救いを求めるとすれば、このウサギの広場には人がこない、というところだが、それすら陰謀だったのではないかという気がして仕方がない。
「この際、制服でも何でもいいですから! バニーガールでもいいです! 早くこの恰好以外になってくださいっ!!」
 涙ながらに叫んだ、夏休み日曜日のお昼前。
 結局、みなもの服が戻る前に、父の用意していたデジタルカメラのメモリーカードが底をついた。買いに走ったようだったが、戻った頃にはみなもは青と藍色のワンピースに戻っており心底がっくり来ていたのに、足の脛に一撃お見舞いした。これくらいは赦されると彼女は信じる。
 以後、動物には決して触らないように動物園を辞して、昼食を奢ってもらい、家まで無事―――かどうかは微妙だが、帰り道では別段変わったこともなかった―――送り届けてもらい、父はそこで直ぐに仕事に戻っいった。








 翌日。
 みなもは父から送られた愛の溢れる写真を見て、自分の恰好を客観的に見る事が出来た。
「耳まで変わってたなんて………っ!!」
 留めなく涙を流した後、彼女は決然とその写真と例の服を、以前より厳重に封印してクローゼットの奥に放り込んだ。両方とも燃やしてしまえば遺恨も残らないだろうに、それでも父の歪んだ愛を無碍に出来ない、海原みなも十三歳。何の変哲もなく終わるはずだった夏休みの一日は、こうして、彼女の記憶に新たなトラウマを刻んだのだった。





END