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■ジンガイさんじゃなかったよ〜
陽気に鼻歌など歌いつつ、本郷・源はおかっぱ頭を揺らしながら路地を歩いていた。小学校からの帰り道である。
そんな源の前に、ふらりと何かが現れた。
「あのう、名前を」
立ち止まった源が何だろうと顔を上げると、そこには
「ッぎゃああああーーー!」
二つの丸いワクに囲まれて、大きな青い目がこちらを見ていた。
悲鳴と共に五メートル程後ずさった源は、もう少しで口から飛び出しそうになっていた心臓を押さえて正体不明のジンガイさんを見る。そしてそれがジンガイさんではなく、外人さんだった事に気付いた。
「な、何じゃお主。びっくりさせるで……」
途中で言葉を切り、源はまじまじと外人さんを見詰める。
外人さんの大きかった目は、かけていた眼鏡を所定の位置に戻した事で普通の大きさになっていた。源は外人さんを指差し、大声を上げる。
「ああぁあ! お主、ケント・デ=ソケット殿じゃろう! テレビで見た事があるぞ。そうじゃろうそうに違いない!」
外人さんは眼鏡を目から近付けたり遠ざけたりしながら云った。
「そうだよ〜。ケント・デ=ソケットだよ〜」
大きくなったり小さくなったりする目に、源は瞳を輝かせる。
「うわあ、本物じゃ。テレビで見た通りじゃ」
源は、そのパフォーマンスにもう少しで口から心臓が飛び出して死亡と云うとんでもない最期を迎えさせられそうだった事など、もうすっかり忘れていた。
「のうケント殿。それ遠視用眼鏡って本当か?」
「ホントだよ〜。ボクは遠視なんだよ〜」
「一番初めに日本に来たのはムラムン教の布教が目的だったって本当か?」
「ホントだよ〜。キミも入るか〜い?」
「い、いや。遠慮する。だってムラムン教は飲酒が禁じられておるのじゃろう?」
「そうだよ〜。でもキミは未成年だから関係無いじゃないか〜」
「遠慮すると云ったら遠慮する」
「そうか〜。残念だな〜」
因みにムラムン教とは、キリスト教の親戚の宗教らしい。
源はランドセルを漁り、表紙に『こくご』と書かれたノートを取り出す。
「今日は『じゆうちょう』を忘れてしまったんじゃった。仕方無いからこれにしよう」
ペンと共に、源はノートをケントに差し出した。
「サインをくれ! おでん屋に飾るんじゃ。源ちゃんへと宛名を入れてくれるか」
「オゥケィだよ〜。ミナートちゃんだね〜」
ノートを受け取ったケントに、源は再び質問を浴びせる。
「のうのう。ケント殿は今アメリカのユタ州に住んでおるんじゃろう。そこって、田舎だって本当か?」
サラサラとノートにペンを走らせていたケントの手が止まり、眼鏡がギラリと光った。
「ユタは田舎じゃないよ〜!」
「ぎゃッ!」
間近で巨大になった目を見せられて、源は思わず声を上げる。
「みんなユタは田舎だ〜ッて云うけどね〜。本当はそんな事ないよ〜。信じないならみんな一度自分の目で確かめれ〜ば良いんだよ〜」
メガネで目を大きくしたり小さくしたりしながら、ケントは怒った様子で云った。その言葉に、源はポンと手を打つ。
「それじゃ。自分の目で確かめよう!」
そんな訳で、源の自家用ジェット機に乗っている二人である。
「ケント・ジ=ルパート殿とケント殿は兄弟なのか?」
「違うよ〜。ケントはファミリネィムじゃなくてファストネィムだよ〜」
「苗字はケントじゃろう?」
「違うよ〜。アメリカでは苗字は後ろだよ〜」
「ん? それじゃあわしの名前もアメリカ風に云うとミナート・ホンゴーになる訳か」
「そうだよ〜」
ほのぼのとした時間を過ごしていると、やがて機長からアナウンスが入った。
『ユタ州上空です。広い道路がありますので、そちらに着陸します』
「おお、ジェットが着陸出来る程広い道路があるのか。これはケント殿が云う通り、ユタは案外田舎じゃないのかも知れぬな」
「ユタは田舎じゃないよ〜」
軽い衝撃と共に、ジェット機はユタ州に降り立った。完全にジェット機が停まるのももどかしく、源は立ち上がって出入り口に走る。
そして開いた扉から源が見たものは
「……」
どこまでも続く広大な岩だらけの大地だった。
「と〜ても綺麗でしょ〜。ユタには自然がた〜くさん残ってるんだよ〜。と〜ても広いでしょ〜。ユタは日本の本州位の大きさがあるんだよ〜。北の方は寒いから、冬季オリンピックもやった事があるんだよ〜」
無言の源に、ケントは誇らしげに云った。
「治安もアメリカで一番良いと云われてるんだよ〜」
「で?」
源はこめかみをピクピク引き攣らせながら、ケントを睨む。
「これのどこが田舎じゃないんじゃ?」
ああ、とケントは今思い出した様に手を打つ。
「ここから車で五時間位の所に街があるよ〜」
「五時間!」
「そこは全然田舎じゃないよ〜」
「そう云うのを田舎って云うんじゃああッ!」
帰りの自家用ジェット機の中で、源は溜息を吐いた。
「折角はるばるユタ州まで来たと云うのに、全くの無駄足じゃったな」
憂える小学一年生の姿を、ケントは済まなさそうに見る。
「ごめんね〜。ボク、ユタは田舎じゃないと思ってたけど、ミナートちゃんには田舎だったんだね〜」
源にとって田舎だったのではなく、明らかに誰が見ても田舎だったのだが、ケントはそれだけはどうも認めたくないらしい。
「まあ、ケント殿に逢えて、サインも貰った事じゃ。それで良しとするか」
「良い子だね〜、ミナートちゃんは」
良い子と云われた事に照れ笑いを浮かべた源だが、不意に問いかけた。
「あ、そう云えばケント殿。ケント殿は、どうしてあの路地で名前を訊いて来たんじゃ? 見たところ記憶喪失でもなさそうじゃのに」
「記憶喪失じゃないよ〜。ボクは仕事で日本に来てたんだよ〜。帰りに空港に向かう途中で道に迷って、そこにミナートちゃんが居たから、ボクは路地の名前を教えてもらおうと」
「そうか。名前と云うておったのは路地の名前じゃったのか」
「そうだよ〜。でもようやく家に帰れ……あ」
「それじゃあもしかしてケント殿は日本に戻って来る必要無かったのでは」
固まる二人に、無情にも機長のアナウンスが響く。
『日本上空です。今から着陸態勢に入ります』
「ミナートちゃん、お願いだからユタまで戻ってよ〜」
「もう日本に着いちゃったじゃろうが! 今更引き返すなんぞ」
「お願いだよ〜。愛する妻と子供に早く逢いたいよ〜」
遠ざかった眼鏡の向こうの大きな目から、涙を流しながらケントは頼み込む。
源はしばし考え、息を吐いた。
「仕方無いのう。泣くでないわ。家族に逢いたいケント殿の気持ちに免じて、家まで送り届けてやろう」
ケントの顔がぱっと明るくなる。
「ありがとうミナートちゃ〜ん」
「何のこれしき。機長、Uターンじゃ!」
『了解しました。ユタ州に向かいます』
ジェット機の機体が傾き、方向を変える。そしてユタに向かってスピードを上げた、その時。
『あ』
機長が呟いた。
『燃料が切れた』
「えええぇえ!」
慌ててコックピットに向かい、源は機長に掴みかかる。
「お主機長じゃろうが! 何とかせんか!」
機長だからと云って、この状況を何とか出来る訳ではない。その前に機長なら燃料のチェック位してほしいものだ。
しかし源はお構い無しに機長の頭をシェイクする。
「ミナートちゃん、そんな事したら機長さんが操縦出来ないよ〜」
「メ、メーデー、メーデー」
機長のSOSは今にも消え入りそうだ。その間にもジェット機は高度をぐんぐん下げている。
「もうお終いじゃああッ!」
「オゥマイガ〜ッ!」
三日後、あやかし荘にボロボロになって帰って来た源は、それから一週間口をきかなかったと云う。その三日間に何があったかは、誰も知らない。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【1108/本郷・源/女性/6歳/オーナー 小学生 獣人】
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■ ライター通信 ■
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本郷・源様
二度目ましてのご発注、ありがとうございます!
今回も楽しませて頂きました。の割に以下略……。
ケントさんがこんな所に居らした理由が気になったので、勝手なオチを付けさせて頂きましたがいかがでしたでしょうか。
そして勝手に、小学一年生の源様は英語をあまりお知りではないと判断したのですが、間違いだったらごめんなさい。
それでは、またお会い出来る日を心よりお待ちしております!
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