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◆◇ 最期の花火 ◇◆
小汚いテーブルの上に、色鮮やかな硝子壜が置かれていく。
手のひらにすっぽりを隠れるほどの、可愛らしい小瓶。色は、赤、青、黄、白。コルクで封がされた中身は、とろりと透明な液体に満たされている。
「つい先日亡くなった祖父の遺品です」
まだ、中学生くらいか。
可愛らしいおさげ髪の少女が、よっつ並んだ壜越しに草間を見詰める。
「祖父は、名の知れた花火師でした。夏を愉しみにしていたのに、夏を待たずして入院して、早く退院したい、今年の夏も花火を打ち上げたい、とそればかり。でも、死ぬ前日になにも云わずに、このよっつの小瓶をわたしにくれたのです」
ぎゅっと、涙を堪えるように少女は唇を噛む。
草間のなかで、やばいやばいやばい、の合唱が聞こえてくる。
どう考えても次に来るのは、興信所にあるまじき依頼の破片。でも、泣きそうな子供の話を途中で切り捨てる勇気は、草間にはない。
ハンカチで目尻を押さえた少女は果たして、草間の予想通りの話をしてくれた。
「中身がなんなのか、わたしにもわかりません。ただ、きっとこのなかには、祖父の今年も花火を打ち上げたい、と云う気持ちが籠もっています。どうか、その気持ちを、願いを、叶えてあげてはくれませんか?」
「叶える、と云いますと……」
完全にそれは俺の仕事の範囲外です、と流石に云えずに、草間は言葉を濁す。
むしろそれを助けと感じたのか、潤んだ目のままで少女は、草間に訴えた。
「この中身を使って、花火を打ち上げてください。この小瓶、あたしでは封さえも切れません。どうやって締めたのか、本当に緩みもしないんです。でも、きっと、本職の草間さんでしたら色んなことを調べて、祖父の最期の願いを叶えて下さる。そう、お縋りするしかないんです」
なんの本職だなんの! と喚くのは、インナースペースの草間のみ。
現実の草間は、宜しくお願いします、と深々と頭を下げられたところでゲームセット。
泣く子に勝てぬのは、草間の習性。
甘っちょろい自分を嘆きつつ、草間は、黙って頷くしかなかった。
◆◇ ◆◇◆ ◇◆
そこはかとなく減り込み気味の草間が、天井に向けて煙草の煙を吹いている。
その前には、困惑気味の依頼人。そして、呆れ半分、憐れみ半分のシュライン・エマがいた。
草間の消沈の理由がわかっているシュラインは、仕方のないひと、と云う視線を草間に向けている。もうそろそろ、電話で呼んだ助っ人が来る頃だろう。
「お人好しが好いところのひとつなんだから、落ち込まないで叶えてあげましょ。武彦さん」
依頼人に聞こえないように囁いた慰めに、逆に草間は煙草を間違えて噛み潰したような顔をする。
「それもまた、なあ……ハードボイルドがますます遠ざかっていく……」
地を這う呻き声に処置なしと肩を竦めたとき、丁度大音量の呼び鈴とともに待ち人がふたり、訊ねてきた。
「こんにちは。なにやら、夏めいた依頼が来たそうですね」
少しばかり愉しそうに切り出したのは、セレスティ・カーニンガム。その背後に、外で一緒になったと思しきあどけない少女・四宮灯火が密やかに、影のように佇んでいた。
「綺麗な色……ですね……」
件の壜を手に取り、灯火が微かに溜め息を吐く。ゆらゆらと揺らし、日に透かして眺める姿があどけなくて、大人たちは思わず笑みを浮かべる。
「折角花火を見るのでしたら、場所を確保しなければね。そう、花火を上げても危険ではない場所。少しばかり、お祭り気分で見物するのも好いかも知れませんね」
そこまで云ってどこかしんみりと、セレスティが付け足す。
「きっと、最期の花火なら、ひとりでもたくさんのひとに見て貰いたいはずですから」
優しい視線を、依頼人に向ける。俯いた彼女は、微かに頷いたようだった。
「まずは、どうやって打ち上げるかが、先決でもあるわね」
アイスコーヒーを人数分運んできたシュラインが付け足したところで、また心臓に悪い呼び鈴が鳴った。
「こんにちは」
明るい声と共に飛び込んできたのは、華やかな、浴衣姿のカップルだった。
「こんにちは、シュラインさん、セレスティさん、灯火さん」
はにかんだ笑顔と共に、浴衣に似合うはんなりとした仕草で会釈をするのは、初瀬日和。
「なんだか、勢ぞろいだな」
と、あけすけに云い放つのは、羽角悠宇。
一気に人口密度が増えて、興信所のなかの空気が薄くなる。ぶんぶんと回るクーラーの当てにならない設定温度を下げながら、シュラインは草間に声を投げた。
「この子たちも呼んだの? 武彦さん」
「いいや。お前ら、随分めかし込んでいるじゃないか」
咥え煙草で草間が云うと、愉しくて堪らない、と云った風情で悠宇が応えた。
「今夜、河川敷で花火大会があるんですよ。この近所ではこの夏最後だから、草間さんたちもどうかと思って」
悠宇の言葉に、依頼人が小さな声で呟く。
「祖父が、毎年携わっていた花火大会です」
「どうやら、場所と時間が先に決まったようですね」
セレスティがにっこりと笑う。灯火が手慰みに、傷だらけのテーブルに、よっつの小瓶を綺麗に整列させたところだった。シュラインと草間は、顔を見合わせる。
「最後の仕事を、花火師さんにして貰いましょう」
――花火見物には準備が必要ですよね?
そう云って屋敷に戻ったセレスティ。残された草間・シュライン・灯火・日和・悠宇は、祈るような顔をして見守る依頼人を前に、よっつの小瓶を眺めていた。
日和が、そのうちのひとつを手に取る。指先が染まりそうな青い液体の入ったものだ。
釣られたように、悠宇は黄色、シュラインは白、そして灯火が赤い小瓶を手にする。
「なかに入っているのが水なら、私にも読むことができるのですけど……」
そう云ってためつすがめつしながら、少し残念そうな笑みを浮かべる。
「なんだか、この中身は水じゃなさそうですね。私を受け容れてはくれない」
とんとん、と開いた方の手で、悠宇が少し落ち込んだような日和の肩を叩く。
「わたくしが……読んでみましょう……」
ぽつん、と呟いて、灯火がそっと、胸元に小瓶を引き寄せる。
ほんの少しの、間。
依頼人の少女が、忘れ去られたアイスコーヒーに手を伸ばし、水っぽくなってしまった液体をひとくち、飲み込んだ。
「……ざわめきが、聞こえます……」
「ざわめき?」
草間が、訊き返す。律儀な仕草でそれに頷いて、灯火がふっくらとあどけない唇を開く。
「そう、たくさんのひとの、声……それと、歓声が聞こえます……」
「花火、大会のような?」
シュラインが訊ねるのに、灯火が小首を傾げる。
「花火大会……どうでしょうか……」
「あまり行ったことがないの?」
日和が、灯火の顔を覗き込む。灯火はこっくりと頷いた。
「花火は、見たことがあります……あの方を探して彷徨っていた時に。……儚く、とても美しかった……」
「お祖父さま、今年も、お元気だったら花火大会に行かれるはずだったのよね?」
「ええ」
シュラインの問い掛けに、依頼人が答える。
「花火大会……でもそれだけじゃ、これをどうやって花火にするか、わからないわね」
悔しそうに綺麗に塗った唇を噛んで、もどかしげに壜のコルクを弄る。知らず、他の壜を持つ三人もまた同じ動作をしていた。
「……あら?」
するり、と、いままでちっとも動かなかったのが嘘のように、コルクが動き出す。
「へ? わあ! ちょっと待て!」
シュラインが手にした壜の外れ掛けたコルクを逆に押さえて、草間が喚いた。
「こんなところで花火をぶち上げるのは御免だぞ! 事務所が壊れる!」
「……もう結構、壊れ気味な気もするけどな」
不穏なことを呟いた悠宇を、目線だけで日和が諌める。二人の手にある小瓶のコルクもまた、少しばかり緩み始めていた。
「よっつ一緒に開けようとすると、開くってことかしら……」
「そうみたいだな」
草間の肯定に、シュラインはもう一度用心深くコルクを押し込んで、テーブルの上に戻した。
「そうとわかったら、私も浴衣を着てくるわ」
「へ?」
いそいそと動き出したシュラインに、草間が目を瞠る。
「やっぱり、花火見物には浴衣、よ。灯火ちゃんも来なさい。お姐さんが浴衣、着付けてあげるから。そうそう、零ちゃんも呼びましょう。ね、皆で花火見物しましょう」
依頼人の少女まで手招きして、うきうきとシュラインが動き出す。草間はぽかん、とした顔で、それを見送る。
その様子に、悠宇と日和がくすくす、笑い出した。
午後六時五十分、河川敷にて。
セレスティの車に便乗してきた一行は、芝生の上に茣蓙を敷き、花火見物の支度万端で花火が上がるのを待っていた。
「せっかくだから、いろいろと作って来たわ」
そう云いながら広げられたシュライン手製の花火見物弁当に、舌鼓を打つ。
草間はビールを抱えて、結構好い気分になっているらしい。零が、少しばかり心配そうな目を兄に向けている。依頼人の少女と日和は、年齢が近いせいか他愛もない話に花を咲かせている。それを微笑ましそうな、どこか蚊帳の外で寂しそうな顔をしてみているのは悠宇。悠宇に控えめに懐いているのが灯火、と云った光景。シュラインとセレスティはなんとなく、一行の保護者状態だった。
そして、少女の傍らには祖父の位牌。
「いつ、始めましょうか」
セレスティの問いに。
「やっぱり、最後でしょう?」
シュラインが微笑む。
「最後の最後に、夜空に大きな花を咲かせる。それって、素敵じゃない?」
「同感です」
頷いて、セレスティが懐中時計を見る。
午後七時ジャスト。暗くなった空を見上げれば丁度、最初の花火が上がったところだった。
わっと、周囲から歓声が上がる。
「綺麗」
華やいだ声で、日和が囁く。悠宇が見返すと、ふんわりと微笑む。お互いにいつしか知らず、指先を絡めていた。綺麗に咲く夜空の花。花を綺麗と感じる気持ち。そういったもの全てが、なんだか触れた指先から伝わってくるような気がした。
シュラインは花火を前にだらしなくも寝入ってしまった草間を膝に乗せて、夜空を見上げている。
灯火は、ぼんやりと感情の薄い眸を空に向けて、それでも一瞬たりとも逸らさない。彼女なりの情で、光っては消える花火を見上げていた。
花火が佳境を過ぎた頃、依頼人の少女と、セレスティ、灯火、そして日和と悠宇がひとつずつ、小瓶を持つ。
「シュラインさんは好いんですか?」
「好いのよ。武彦さん、起きちゃうもの」
控えめに訊ねた日和に、シュラインは笑う。日和が頬を赤らめた。
「シャンパンシャワーみたいですね」
セレスティが依頼人の少女に云う。
「最後ですから。すごくすごくすごく、綺麗なものを見せて欲しいです。……ね、お祖父ちゃん」
彼女がそう応えた途端、ぱちん、と四人の手の中のコルク栓が弾けた。
「うわッ」
少しばかり予想外の反動と、花火に付き物の破裂音。手の中から弾丸が発射されたように、よっつの小瓶の中身が一直線、天に向かって伸びていく。
ぱあん、と四色の光が弾けた、瞬間。
響いた歓声はその夜、一番のものだった。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【 0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員 】
【 1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い 】
【 3041 / 四宮・灯火 / 女性 / 1歳 / 人形 】
【 3524 / 初瀬・日和 / 女性 / 16歳 / 高校生 】
【 3525 / 羽角・悠宇 / 男性 / 16歳 / 高校生 】
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■ ライター通信 ■
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この度はご依頼ありがとうございました。へたれライターのカツラギカヤです。
今回は、皆で花火を愉しもう、をコンセプトに集団として描かせて頂きました。個々のPC様を取り上げて描くことはできませんでしたが、賑やかな花火見物の様子を愉しんで頂ければ幸いです。
繰り返しになりますが、この度は本当にご依頼、ありがとうございました。これからも是非、宜しくお願いします。
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