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危険知らせ隊
●序
ごんごん。
そんな音がドアから鳴り響き、草間は怪訝そうに立ち上がってドアを開ける。依頼人がいたかと思ったのだ。そっとドアを開くと、そこには茶色の毛をした雑種らしい犬がちょこんと座っていた。
「……犬?」
「どうも、犬です!」
ばたん。
草間は思わずドアを閉めてしまった。突然のことで驚いてしまい、ばくばくと心臓が鳴っている。
「気のせいかもしれない」
きっぱりと草間は呟き、再びそっとドアを開ける。すると、やっぱりそこには犬がいた。少しばかし不満そうな顔をしている。
「本当にいるか」
「いますとも。手品じゃあるまいし、いきなり消える訳が無いでしょう?」
犬はけらけらと笑い、堂々と興信所内に入ってきた。草間は大きく溜息をつく。普通の興信所を目指している筈なのに、どうして自分のところには一風どころか二風も三風も変わったものが舞い込むのかが不思議でたまらない。
「で?犬がどうしてうちにきたんだ?」
「そりゃ、依頼をしにきたんですよ。依頼人ならぬ、依頼犬って所ですか」
「それはいいから、どういう依頼だ?ついでに報酬は?」
「依頼は、僕の飼い主である高橋・健太(たかはし けんた)君に、隠れ家の場所を移動して貰う事です。報酬は、これを」
犬はそう言い、首輪についていた小袋を器用に外して机の上に置いた。中に入っていたのは、大量の小銭。が、しょせん小銭なので、トータル3000円くらいだろう。
「隠れ家の場所を移動して欲しいって言われてもな」
「今、健太君が隠れ家を作っているのは、薬剣(やっけん)神社でして。そこの狛犬と僕は仲が良いんで、教えてもらったんですよ。どうも、神社の神木近くに隠れ家を作っているって。その神木には余りよくないものが集まりやすいみたいなんですよね」
「神木を清めればいいんじゃないか?」
「それじゃ駄目です。神木に集まるのは、救って欲しいものたちなんですから。神木で穢れを取ろうとして集まるんですから、神木を清めても意味がありません。健太君に諦めてもらうのが一番良いんです」
草間は「ふむ」と頷く。
「あと、僕がこうして喋れるのは内緒にしているんです。なので、関わっている事が分からないようにしてもらえますか?」
「一応、募ってはみよう。ええと……?」
名前を呼ぼうとし、まだ名を聞いていない事に気付く。犬も「ああ」と言って気付く。
「僕はモンジロウと言います」
「お、木枯らしか?」
洒落てるな、といおうとした草間に、モンジロウは笑顔で首を横に振る。
「健太君の家なら、飼ってくれそうだなって目星をつけて、門の前でじっとしていたんです。なので、モンジロウです」
モンジロウはそう言うと、笑顔で「じゃあ」と言って出ていった。草間はそれを見送ると、どっと疲れがたまったのを実感するのであった。
●集合
草間興信所に、草間が募った調査員が集まってきていた。合計6人という大人数に、草間は思わず「物好きな」と呟く。
「依頼人は犬だぞ、犬」
草間が言うと、草間の隣で調査員の数に大喜びしていたモンジロウが「違います」と突っ込む。
「僕は犬ですから、依頼犬ですよ?依頼犬」
「そんなんどっちでもいいんだよ」
草間の顔が渋くなる。
「あら、武彦さん。モンジロウさんは礼儀正しい、なかなかの方だと思うわよ」
シュライン・エマ(しゅらいん えま)がそう言ってモンジロウと草間を交互に見て微笑んだ。
「わーい、しゃべる犬さんなのー」
藤井・蘭(ふじい らん)はそう言ってモンジロウの頭を撫でる。どうやら、犬が喋って依頼をしにきた、という不思議な行動も蘭にとっては喜ぶ一因にしか過ぎないらしい。
「……その事に関して疑問を覚えないのか?」
草間の問いに、蘭は暫く「うーん」と考え込み、ぱあ、と顔を明るくする。
「モンジロウさん、面白い名前なのー」
「木枯らしじゃなく、門の前でじっとしていたからだぞ?」
「木枯らしが分からないのー」
蘭とのやりとりが、何故だか草間を哀しい気持ちにさせた。ジェネレーションギャップ、という言葉が頭の中に流れる。
「……報酬だって、3000円くらいだし」
一人頭いくらだよ、と草間はじっと小袋を見つめる。
「失礼ですね、草間さん。それは僕が散歩途中に必死でかき集めた大事なお金ですよ?」
不服そうなモンジロウに「そーなのでぇす」という声の加勢がついた。
「300えんもあれば、たこやきがたべられるのでぇす!」
ぐっと小さな身体で力強く言うのは、露樹・八重(つゆき やえ)である。体長10センチほどしかないというのに、体の何倍以上もの食べ物が入っていくというミステリーを孕んでいる。
「お前の基準は、食べ物しかないのか」
「しつれいでぇすね。くさまのおぢちゃにもわかるように、いっているだけでぇす」
八重は小さく「ふん」と草間に言う。何となく悔しい思いをする、草間。
「でも、食べ物は大事だと思うのです」
何故だかアイスを片手にしつつ、マリオン・バーガンディ(まりおん ばーがんでぃ)はそう言った。八重の目は、マリオンのアイスに集中する。だり、と涎まで出てきそうである。
「おいしそうでぇすね」
「……食べますか?」
マリオンはそう言いながら、草間興信所にある冷凍庫からアイスを取り出す。八重は大喜びしながら、それを受け取る。
「お前、そのアイスは俺が食べようと……」
「これは僕が買ってきたものなのです」
「いや、今八重にやった奴だ」
草間が言うと、マリオンは「ああ」と言ってにっこりと笑う。
「いいと思うのです。いっぱいあったし」
「そういう問題じゃなくてだな」
「あら、いいじゃない。アイスの一つや二つ」
にっこりと笑いながら、綾香・ルーベンス(あやか るーべんす)はそう言った。
「アイスという問題でもなくて、だな」
「今度私の作った『まろあい』を食べさせてあげるから」
「まろあい?」
怪訝そうに尋ねる草間に、綾香はにっこりと笑う。
「私特製、マロンアイス!素敵な名前でしょ?」
そうでもない、という言葉を草間はぐっと飲み込んだ。論点がずれ始めているので、そろそろ修正したい所である。草間は助けを求めるように、皆を見回す。すると、海原・みなも(うなばら みなも)と丁度目が合った。草間は一縷の望みを、みなもにかけた。
「美味しそうですね。是非、食べさせてくださいね」
にっこりと笑いながら出てきたのは、修正とは言えぬ言葉であった。
「勿論よ。沢山作って、ここの冷凍庫一杯にするわ」
「わあ、素敵です」
しかも、不思議な未来予想図まで作られてしまった。いくらおいしいとはいっても、冷凍庫一杯の『まろあい』はどうだろう、と草間は思う。もし余ったりなんてしたら、結局片付けるのは草間の役目となるのだから。
「ほらほら、アイスはその辺にして。モンジロウさんの依頼について、考えましょう」
シュラインが苦笑しながら、皆を取りまとめる。頼りになる言葉の出現に、草間はほっと安心する。
「そうですよね。私、短期のアルバイトを捜しにきたんでした」
みなもはそう言い、にっこりと笑う。
「これはあまりアルバイト料が良くないぞ?」
「金額でアルバイトを決めたりしない主義なんです」
きっぱりと言い放つみなもに、草間は思わず「そうか」とだけ答える。
「神社に勝手に隠れ家を作ってるんですよね?参拝者がいると、すぐに見つかりそうなのです」
アイスをすっかり食べ終えてしまったマリオンがそう言うと、モンジロウが「それはですね」と言いながら口を開く。
「誰もいない神社なんです。お正月とか七五三とか、そういう時だけ神主さんが来るような」
「隠れ家って、人通りが無い場所に作るものよね。なら、よく人が来る場所だと思ってもらうって言うのはどうかしら?」
「直接的に関わってはいけないんじゃなかったっけ?」
綾香が尋ねると、シュラインはにっこりと笑う。
「姿の無い人の気配や音だったら、怖がってくれるんじゃないかしら?って思ったの」
「こわいおもいをさせるのでぇすね!」
八重がふっふっふと笑いながらそう言った。妙に嬉しそうだったり、何故だか怖い笑顔を浮かべていたりしているのを、あえて誰も突っ込まない。
「そういえば、健太さんって何歳なんですか?」
みなもの問いに、皆の顔がはっとした。
「そう言えば、聞いてなかったわね」
シュラインはそう言って、頷きながらモンジロウの方を見た。モンジロウは「あ」と言いながら笑う。
「小学校三年生です。わんぱくの盛りですね」
「ああ、それくらいの子ってそういう場所ほど行きたくなるんだよねぇ」
綾香はそう言って苦笑する。
「うちの妹を知る限り、ある一定の年齢の人たちって理屈や正論はもちろん、おどかしても実体験させても考えを変えさせるのって難しいんですけど……それくらいならば大丈夫かもしれませんね」
みなもはそう言って笑う。
「やっけんじんじゃが危険だって教えてあげられるのー」
蘭はそう言ってにっこりと笑う。無邪気な顔で「危険」と言われると、何故だか不思議な感覚が襲ってくる。
「ともかく、ちょっと考えてみましょうか」
シュラインはそう言って皆を見回した。皆、何故かわくわくしたような目をしながらこっくりと頷くのだった。
●計画
草間興信所の壁に、大きく「隠れ家対策本部」と書かれた紙が貼られた。それを貼り終えたマリオンは、こっくりと大きく頷く。
「これで、ばっちりなのです」
「ばっちりって、おい。ここを訳の分からない本部にしないでくれ」
「いいじゃない、武彦さん。面白そうで」
ぐぐぐっと唸る草間に、フォローになっているかなっていないのかよく分からない事を言うシュライン。
「直接的に健太君に関わっちゃいけないんだよね。それなら、逆に色々やりようがあるかも」
綾香がそう言いながら「うーん」と考え込むと、蘭が「はいなのー」と応える。
「モンジロウさんがしゃべることも、秘密なのー」
「そうですね。健太さんにモンジロウさんが喋れると言う事は、内緒にしないといけませんし」
みなもはにこっと笑いながらそう言い、モンジロウに向かって「そうそう」と言いながら問い掛ける。
「ご家族の構成や性格は、どうなってるんです?」
「家族は、お父さんとお母さんとの三人暮らしです。性格は……元気で優しいいい子ですよ」
モンジロウはにっこりと笑いながらそうかえす。
「なら、しょうしょうこあいおもいをしても、だいじょうぶでぇすね」
ふっふっふ、と八重が笑う。やっぱり笑顔が妙に怖い。
「子どもはちょっとしたことで怖がる事があるから、神社に色々仕掛けをして驚かせてもいいかもしれないかも」
綾香がそう言って皆を見回し「ね?」というと、皆がこっくりと頷く。
「植物さん達に協力してもらったらいいと思うのー」
にこ、と蘭が笑いながらそう言った。
「植物さんがぐいーんってのびたり、さわさわ動いたり、移動したりすれば驚くと思うのー」
神社の木々が、植物が、伸びる。動く。移動する。それは確かに驚くだろうし、傍から見てもシュールな怖さがある。
「かくれがをてっきょしてもらうのは、あまりよくないでぇすね……」
うにゅう、と八重が考え込む。そしてはっと何かに気付く。
「きんじょのねこさんに、かくれがにすんでもらうというのは」
隠れ家の中に、大量の猫がにゃーにゃー言いながらいる、というのは中々にして可愛らしい風景かもしれない。
「それは、猫さん達が困るんじゃないかしら?」
シュラインが苦笑しながら言うと、八重はふたたび「うにゅう」と考え込む。
「入り口なのに、出口というのはどうでしょう」
突如、マリオンが口を開く。
「隠れ家の入り口に入ると、自動的に違う場所に移動するように僕の能力で作っておくのです。さしあたり、狛犬さんの所とかに」
隠れ家に入ろうとしたら、何故だか狛犬のいる場所に移動している。それは確かに怖いかもしれない。
「何回もすればおかしいことに気付いて、神社には何かいるんだと分かるとおもうのです」
「一回で充分、何かいるって思うと思いますけど」
みなもが、突如違う場所に辿り着いて驚く健太を想像して呟く。
「さらに、神社で良くない事すると、勝手に違うところに移動するのだと大人な人に説明して貰えれば、信憑性もアップなのです」
ぐぐっとマリオンは拳を握る。
「逆に、興味を惹かないようにしないといけないのよね。……幽霊さん達に手伝って貰うとか」
綾香がそう言うと、皆の顔がきょとんとする。
「幽霊さんって……手伝って貰えるものなんですか?」
みなもが尋ねると、綾香は悪戯っぽくウインクする。
「あの神社の管理人になっちゃえば、手伝って貰えるじゃない?本格的に驚かせてくれるだろうし」
本格的な恐怖を与えるつもりらしい。綾香はウインクの後「でも使うと数日寝込むから、最終手段で」と付け加えた。中々難しい能力らしい。
「納涼さーびすでぇすね」
八重がふっふっふと笑った。やっぱり楽しそうだ。
「男の子の趣味ってよくわかりませんけど……ドキドキやワクワクが一番なんですよね?うちのお父さんを見る限り」
みなもが言うと、草間と蘭が顔を見合わせた。数少ない男性という種類だが、草間は男の子からはかけ離れているし、蘭もまだ年齢が足りない。マリオンが一番近そうだが、少しだけ普通の「男の子」の感覚とは違うのでは、と思えてならない。
「穏便なのも、いいのです」
こっくりとマリオンは呟く。返答として、何かがおかしい。
「……だったかなぁ」
頼りない口調で、草間は言った。頼りにならない。
「楽しいのは、好きなのー」
蘭はにっこりと笑っていった。やっぱり、何かが通じていない。みなもは「ええと」と微笑みながら続ける。
「ある程度お家に近くて、安全性があって、ドキドキワクワクするような、隠れ家候補地を捜すのはどうでしょうか?」
「それはいいかもしれませんね。安全というところが、特に」
やっぱり何か違うような気がしてならない、マリオンの言葉。
「それなら、僕がいい場所を知ってます。その神社から少しだけ離れた、山の麓なんですけど」
モンジロウが言うと、みなもはにっこり笑って「素敵ですね」と答える。その笑みにモンジロウは少しばかし照れていた。
「健太君は、どの時間帯にその隠れ家に滞在しているの?」
シュラインがモンジロウに尋ねる。モンジロウは「そうですねぇ」と言って時計をちらりと見る。現在、午前10時。
「大体、午後二時から五時くらいですかねぇ」
「なら今からすぐにセッティングすれば、丁度いいんじゃないかしら?」
小首を傾げる皆に、シュラインは微笑む。
「隠れ家にお邪魔させて貰って、傍の木の洞や根の隙間……それに、地面や頭上の枝とかにスピーカーを取り付けておいて、色んな音を流すっていうのはどうかしら?」
「いろんな音って、例えばどういうの?」
綾香が尋ねると、シュラインはにっこりと笑う。
「ぼそぼそと話す音とか、おどろおどろしい呪文……呪文といっても呪いとかじゃなくて、祝詞とか……あとは、足音とかラップ音とか」
「楽しそうなのー」
「たのしそうでぇすね」
心の奥底から楽しそうな、蘭と八重。八重のほうは、更に何かを含んでいるかのような笑みである。
「とりあえず、まとめましょうか」
シュラインはそう言って皆を見回す。皆、こっくりと頷く。
「まずは、健太君が帰ってくる前にスピーカーをセッティングしておくのよ。神社の出入りや木々を傷つけない程度の細工をして。……許可は、武彦さんがとってくれるから」
「……分かった」
シュラインの目線に、草間は小さくため息をつきながら電話を手にする。
「植物さんに、協力してもらって動いてもらうのー」
蘭が嬉しそうに言う。
「そのあいだ、いろんなおとをだすのでぇす。ねこさんたちをよんでもいいでぇすね」
妙に楽しそうに八重が言う。
「それで入ろうとしたら空間が別の場所に繋がっていて、何度かは狛犬のところに出るのです」
マリオンはそう言いながら、こっくりと頷く。
「それでも怯まなかったら、幽霊さん達にお願いをしてみればいいのよね」
綾香はそう言って微笑む。
「そして最終的に、新しい隠れ家に行くようにする……と言う事ですね」
みなもはそう言って、ぱん、と手を打った。完璧なプランである。モンジロウも「素晴らしいです!」と言いながら目を潤ませている。多少大袈裟な犬である。
「それじゃあ皆、いくわよ!」
シュラインの呼びかけに、皆が「おー」と答えた。
「やりすぎるなよ」
草間のぼそりとした呟きは、皆の耳に届く事はなかった。
●実行
かくして、作戦は始まった。
計画をまとめた一行は、軽くお昼を済ませ(草間興信所にあった草間の昼食を横取りという形になったのだが)すぐに薬剣神社にあるという隠れ家に向かった。神社に着くと、まずモンジロウは狛犬たちに挨拶をし、社近くにある大きな木を前足で指す。
「あれです、皆さん」
モンジロウの指し示す先にあった隠れ家は、何処からか見つけてきたらしい板と捨てられていたらしいタオルケットや毛布から出来ていた。太い幹や枝に張り巡らせた板で床を作り、その周りには少し高いところにある枝にロープを張り巡らせ、毛布やタオルケットで壁を作る。最後に軽い板をまた少し高いところにある枝に張り巡らせれば、屋根の出来上がりである。
「なかなか本格的ですね」
みなもがぱちぱちと手を叩く。
「なるほど、あれが男のロマンなのですね」
妙に感心するマリオン。
「まるでおうちなのでぇす。あのなかでおひるねしたら、きもちよさそうでぇす」
観点が少し違う八重。
「神木さんが痛がってないから良い隠れ家なのー」
更に違う視点の蘭。
「強風が吹いたら……ううん、台風が来たら大変ね」
冷静に、だがやっぱりどこか不思議な判断を下す綾香。
「ほらほら皆。早速取り掛からないと、間に合わなくなるわよ」
隠れ家に夢中な皆に苦笑するシュライン。その言葉に、皆ははっとしてスピーカーを取り付ける。
「これで、ふっふっふなのでぇす」
やっぱり妙に八重は楽しそうである。
30分ほどで、全てのスピーカーを設置する事が出来た。勿論、全て健太の目からは死角になるように設置されている。
「後は、ターゲットがくるだけなのです」
空間を何処につなげるかを確認して、マリオンが言った。
「植物さんたちも、協力してくれるのー」
蘭が嬉しそうに笑った。
「幽霊さん達も、協力してくれるみたい」
綾香が嬉しそうに微笑む。そのさらりとした言い方に皆が流されそうになったが、少ししてから皆「え?」と小首を傾げる。綾香は少しだけ照れたように笑う。
「それが、しめじ荘の住人のご先祖様がいて。頼んだら、快くオッケーをもらえたの」
「それは凄いです!」
みなもは素直に感心したが、凄い以外に何も言いようが無いとは誰も言わなかった。
「ま、まあこれで全ての準備は整ったのよね……?」
シュラインが確認すると、八重が「ばっちりでぇす」と言ってにっこり笑う。
「ねこさんたちも、このかくれがをものすごいはやさで、かけぬけてくれるそうなのでぇす」
八重はぐっと拳を握ったが、それは果たして脅しとなるかどうかは誰にも分かる事はなかった。
午後二時。決めているのではと思えるほど正確に、健太はやってきた。それを見て、シュラインは皆に密やかな声で言う。
「じゃあ皆、いくわよ」
シュラインの声に、皆がこっくりと頷いた。モンジロウの目には、皆口元が緩んでいるように見えた。
健太が嬉しそうに走ってくる。隠れ家に向かって一直線だ。早く隠れ家に行って、遊びたいのだろう。
だが、そうは問屋がおろさない。
「……隠れ家に入ります」
みなもが双眼鏡を覗きながら言うと、マリオンが「分かったのです」と言って、狛犬のいる場所に空間を繋げた。確かに隠れ家に入ったはずの健太は、突如戻された狛犬のいる場所で「あれ?」と小首を傾げる。
「健太君、不思議がっているようね」
まだ、何でだろうという思いしかないのかもしれない。健太は気を取り直し、再び隠れ家に挑戦する。
「また向かいます」
「じゃあ、もう一度繋げるのです」
みなもの言葉に、マリオンはそう言って空間を繋げた。やっぱり狛犬の所に戻されるという事態に、健太は「ええ?」と大声をあげた。思わず皆が吹き出した。
「皆、失礼よ」
シュラインはそう言って諌めるものの、やっぱり笑っている。
そんな妨害にも負けず、再び健太は隠れ家に向かった。それをみなもが伝えると、次は蘭が「じゃあ、お願いなのー」と植物達に問い掛けた。
その途端、木々が、草が、花が。植物と名のつくものたちが皆、こぞって踊り始めた。枝を揺らし、幹を震わせ、花は飛び跳ね、草は庭駆け回る……というのは冗談だが。ともかく、植物たちが祭りを始めてしまった。健太は「うわぁ!」と叫びながら、隠れ家に向かって行く。まるで、避難するかのように。
「いまなのでぇす!」
八重がゴーサインを出すと、茂みに隠れていた猫の大群が、勢いよく飛び出してぐるぐると健太の周りを走り回り、そして去って行く。健太はその様子に植物がおかしい事も忘れ、呆然と立ち尽くした。
「呆然としているみたい。なら、今が狙い目かも」
綾香はそう言い、しめじ荘の住人のご先祖様に一礼をした。すると、ご先祖様がこっくりと頷き、集まっていた幽霊達に向かって頷いた。
行く気だ。
次の瞬間、幽霊の軍団が健太の周りをぐるぐると囲った。健太は青ざめた顔をしながら「うわぁ」と叫び、涙目になった。中には悪乗りをして「うらめしや」なんて言葉を吐く者もいる。
健太は意を決したように拳を握り、隠れ家に一直線に向かった。なかなか勇気のある行動である。一同は妙に感心した。
「凄いですね、健太さん。幽霊さん達にも負けず、隠れ家に辿り着きましたよ」
みなもが皆に言うと、シュラインが「それじゃあ」と言ってマイクを手渡す。八重はやっぱり嬉しそうに受け取った。
「あまりやり過ぎないようにね」
シュラインは一応、皆に釘をさした。
その頃、健太は隠れ家に落ち着いていた。隠れ家まで来たら、ご神木の力の所為で幽霊達が近づけなかったのである。子孫が日頃お世話になっている管理人に恩返しをやり足り無い気がし、何となくご先祖様は残念そうだ。
健太は、ほう、と息を漏らす。そして次にゆっくりとタオルケットの隙間から外を覗いた。幽霊や猫がいないかどうかの確認である。さすがにもういなかったため、ようやく落ち着くことが出来たようだ。
そんな中、スピーカー攻撃は始まった。
まず聞こえたのは、ひそひそ話だった。実際は、皆でカタコトみたいに「キョウハイイテンキ」とか「ナマムギナマゴメナマタマゴ」とかだったりするのだが、それをひそひそとやられたらたまったもんじゃない。しかも、時々甲高い笑い声まで入ってきた日には、話している意味が例え分かったとしても、恐怖の対象でしかない。
「そういえば、健太君は雷も嫌いなんですよ」
モンジロウがふとそんな事を言った為、シュラインは雷の声帯模写をやってしまった。リアルな雷の音に、びくりと健太は身体を震わせた。そして、スピーカーからの声に耐え切れなくなり、思わず隠れ家から飛び出した。
「今です、マリオンさん。新しい隠れ家へ!」
みなもの言葉に、マリオンは隠れ家の出口と新たな隠れ家候補の場所を空間で繋げた。これで、健太は無事に新しい隠れ家に行った筈だ。
「これで、30分くらいしてもここに帰ってこなかったら成功よ」
シュラインがそう言うと、皆が頷いた。そうして皆で息を潜めつつ待ったのだが、結局健太は薬剣神社に現れなかった。
「これでもう、大丈夫だと思います」
モンジロウは現れない健太にほっと安心しつつ、皆に頭を下げた。その途端、皆が「わあ」と声を上げた。
「あとは片付けをして帰ればいいだけかな」
綾香がそう言うと、皆てきぱきと動いてスピーカーを回収する。
「もうすこし、やりたかったでぇすね」
回収時、ぽつりと八重が呟いたのだが、誰も気付く事はなかった。
●結
草間はドアのほうに何かの気配を感じ、そっとドアを開いた。すると、そこにいたのは犬のモンジロウであった。
「どうも、モンジロウです!」
「またお前か」
モンジロウの出現に頭を抱えつつ、それでも初めてではない分「まあ、入れ」と言う事の出来る余裕まで生じていた。
「お陰さまで、健太君は無事に薬剣神社には隠れ家を作らなくなりました」
「そりゃ、あれだけやればな」
草間は調査員たちの報告書を読んで軽く頭を抱えた事を思い出し、苦笑交じりにそう言った。
「ただ、困った事が一つ起きていまして」
モンジロウの言葉に、草間はとてもいやな予感を覚えた。……覚えたのだが、あえて「何を?」と尋ねた。
「狛犬たちが、自分たちが活躍していないぞ、と」
「……はぁ?」
草間は思わず問い返す。静かな毎日が帰ってきて喜べば良いだけなのに、何を言い出すというのだろうか。
「それで、自分たちも活躍したいから、やり直しを要求する……と」
がくっと崩れてしまった草間に、モンジロウはそう言ってから「まあ」と付け加える。
「そんなのは放っておけばいいだけなんですけどねー」
あっはっは、と笑うモンジロウを、草間はじっと見つめる。
「……大丈夫だろうな?」
「え?」
「狛犬は、放っておいても大丈夫なんだろうな?」
草間の問いに、モンジロウは笑顔のまましばし言葉を発さず、大分してから「多分」と答えた。
「本当に大丈夫なんだろうな?」
草間の再びの問いに、モンジロウはくるりと踵を返し「じゃ」と言いながら去っていってしまった。草間は再びがっくりとその場にうな垂れた。
その後、草間がドアを開けるたびに「どうも、狛犬です」という存在があるのでは、と怯える事なくドアを開けられるようになったのは、それから一週間という年月が必要になるのだった。
<狛犬の影に怯えつつ・了>
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【 0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員 】
【 1009 / 露樹・八重 / 女 / 910 / 時計屋主人兼マスコット 】
【 1252 / 海原・みなも / 女 / 13 / 中学生 】
【 2163 / 藤井・蘭 / 男 / 1 / 藤井家の居候 】
【 4164 / マリオン・バーガンディ / 男 / 275 / 元キュレーター・研究者・研究所所長 】
【 5546 / 綾香・ルーベンス / 女 / アパートの管理人 】
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■ ライター通信 ■
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お待たせしました、コニチハ。霜月玲守です。このたびは「危険知らせ隊」にご参加いただき、本当に有難うございます。如何だったでしょうか。
今回は予告無いままに窓を開けたというのに、参加していただけて嬉しいです。あと、会話がテンポよく進むように、全員共通文章となっております。個別文章はありませんが、テンポ良い感じを楽しんでいただければ幸いです。
海原・みなもさん、再びのご参加有難うございます。出来る範囲で、という姿勢がとても素晴らしいです。新しい隠れ家があったから、古い隠れ家に諦めが着いた事でしょう。
ご意見・ご感想等、心よりお待ちしております。それでは、またお会いできるその時迄。
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