コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


■歩道橋の人■



 ――その人は、いつも歩道橋から人を見ている。食事にも行かずに。昼となく夜となく。いつ行ってもその人はいる。けれどその歩道橋を通るといないんだって――


** *** *


『僕と一緒に人間を見てくれる人募集
 一時間だけでも半日でも、最高で一日中
 僕はいつも歩道橋から人を見ている
 この掲示板に来る人なら場所もこれでわかると思う
 よろしく』


 空木崎辰一がその書き込みを見る頃には、何人かが噂の歩道橋へと行ってみた後だったらしかった。
 いなかった、ガセだ、釣りだ、いたずらだ、削除しろ。
 ひとりとして『歩道橋の人』には逢えないまま、文句だけがその書き込みにレスされていく。けれど相変わらずその書き込みは存在を主張していて、時折擁護するかのような――例えば「優しそうに上から見てたよ」だとかそういったレスも追加されていた。
 それを思い出しながら買い込んだ食料、飲み物の類をぶら下げて歩く。
 甚五郎と定吉は今頃結界符を張り終わっているだろうか。
 目的の人物が消えたりしないようにと事前に甚五郎に様子を探って貰っていたのだが、ずっと笑顔で下の歩道を見ていたという話。
「旦那、なんやあいつ普通に人間見てるだけや」
 変なもん欠片もあらへん。
 尻尾を揺らしてそう言った甚五郎の隣では定吉も小さく尻尾を振って。
 食料を買いに向かう前に辰一自身もちらりと眺めてみたけれど、その人影からは悪意の類は感じられず、ただそこに立っているだけの存在にしか見えなかった。その印象のせいだろうか、書き込みについていた擁護のレスになんとなく賛同したくなるのは。
 結界を抜ける感覚があり、出迎えた二匹と一緒に歩道橋へ。
 今度は遠目にではなく、階段を上って対面するべく向かう。
「消えないでくださいね」
 零れた声が届いたとも思えないが、歩道橋のちょうど中程から見下ろしていたその人物がゆるりと頭を巡らせた。

「あなたですね。掲示板に書き込みをした人は」
「そう。そうだね。多分僕だ」
「多分?」
 振り返った『歩道橋の人』はとても普通の、普通過ぎる程に特徴の無い青年。
 その青年が、訝しげな辰一の声にひっそり笑う。困ったなぁと言わんばかりの表情を見ながら、肩に乗った二匹が小さく肉球を押し当てて訴えるのに辰一は頷いた。
「僕はいつもここにいるから。でも最近呼びかけた気はする」
「ええ。ゴーストネットOFFの掲示板で呼びかけていらっしゃいましたね」
「そうか。そうだね。書き込めたのかもしれないな」
 夢現。どこか現実からずれた空気が『歩道橋の人』にある。
 甚五郎達がたった今訴えたのはこれだ。この、人かどうか不明な存在。
 けれど悪意は感じられず、微笑むばかりの青年と辰一は向かい合い、それから並んで歩道を見下ろした。
 行き交う人々を眺める彼の瞳はどこまでも優しい。
 その隣で、時折その横顔を眺めながら辰一が問いかける。
「何故……書き込みを?」
「うん?」
「あなたのことは掲示板でも話題になっていました。いつだって一人で歩道橋から人を見ている、と」
「そうだね。ずっと人を見ている」
「寂しくなって、書き込みをしたとか」
「どうだろう。僕はずっとここにいるけど考えたことはないよ」
「そうですか」
 自分だけの世界を持っている人は、こんな風なのかもしれない。
 身体半分、心半分、自分とは違う場所に置いているようなどこか曖昧な姿。
「でも掲示板を見て来てくれたのなら、僕と付き合って人を見てくれるのかな」
「勿論です。僕でよければいくらでも」
 その曖昧な人が辰一を見るのに答えながら、手に持っていた食料を『歩道橋の人』に差し出した。
 きょとんとした表情は出会ってから初めて見るそれで、なにやら新鮮だ。
「食べ物?」
「一日中ここにいると、お腹も空くでしょう?どうぞ」
「……ありがとう。いただくよ」
 飲み物も取り出して、渡す。受け取った彼の手に触れた瞬間、それらは辰一の手にあった時よりも確かに色褪せ輪郭が曖昧になった。曖昧な人に渡したから、曖昧になったのか。
 その現象に辰一が反応したのは一瞬だったけれど『歩道橋の人』にはそれで充分だったらしい。
 きゅ、と飲み物のふたを回しながら苦笑していた。
「きみ――ええと」
「空木崎辰一です。ご挨拶が遅れました」
「よろしく。僕は名前がないからごめんね。それで、その辰一くんが来る前にも何人か僕を呼んでる人がいたんだけど」
「掲示板にも報告がありましたよ」
「そうか。でもその人達は、階段を上ったところでもう僕が見えなくなってたみたいで」
 液体は彼の咽喉を通り抜ける。変哲の無い、ただ飲み物を呷っているだけの姿。
「面白半分みたいだったし、そのせいかな。それとも辰一くんは何かしたのかな」
「――どうでしょうね」
 笑って誤魔化した。そうか、彼らはただの好奇心だったのか。
 結界無しで上った場合、辰一にはさて『歩道橋の人』は見えたか見えなかったか。
 真摯に向き合おうと考える限りは見えただろうと、なんとなく感じられるけれど。
 そんな風にしてただぼんやりと歩道橋から人を眺めるのに付き合えば、随分と面白い事に辰一は気付いた。
 同じ高さからでは一部しか見えない出来事が、あちらでは子供達が、こちらでは若夫婦が、といちどきに知覚出来るのだ。眺める事そのものに退屈しないのであれば、なかなかに楽しい場所とも言えた。
 しばらく甚五郎と定吉を手摺に乗せて皆で眺める。
「それで、あなたは」
 眺め出せば『歩道橋の人』は沈黙も気にならないらしい。いや、いつだって一人で眺めているのだから会話は必要ないのだろうか。幸せそうにあちこちを眺めている姿に、控えめに呼びかける。
 その辰一の言葉を遮るようにして、ゆるやかに『歩道橋の人』が腕を伸ばしたその先。
 若い娘が二人、座り込んだ老人に声をかけていた。それを見ながら辰一の言葉に先回りするかのように口を開く隣の彼。
「あんなふうに、優しい気持ちが何気なく出てるのを見るのが僕は好きで、見ている」
 どうして一日中ここから人を眺めているのですか。
 その問いの答えがそれだと。
「逆に嫌な場面も確かにあるけれど、ここからだと誰かのちょっとした優しさがよく見えるんだ」
 その間にも娘二人は老人の前に屈みこみ、あれこれと話しかけている。片方が荷物を預かり、もう片方が老人を支えるようにして立ち上がって、とそれは辰一には当たり前の行為だったけれど、誰かがするのを見れば胸の奥がじわりと温まった。
「なんとなくこっちも優しい気持ちになれるだろう?」
「……そうですね」
 甚五郎の揺れた耳。定吉はみゅ〜と相槌を打つ。『歩道橋の人』はにこにこと二匹を見、また地上を見る。
 ぽつぽつと思い出されたように零れる会話の他には、ただ車と雑踏の音だけが耳に届く時間。
 それがどれだけの長さだったのか、辰一にも感覚が曖昧になってきた頃に誰かが階段を上ってきた。ほどなくして同じ高さに姿が現れる。老年に入ろうかという女性だった。ゆったりとした歩調で歩き、二人の傍を通る時にはそれぞれに会釈して――『歩道橋の人』にも。
「あの人は毎日通るけど、僕をただ同じ時間に会う人だと思ってるみたいだよ」
 すかさず隣から解説が入った。
 掲示板に書き込んだ人間には見えなくて、『歩道橋の人』だと認識していない人間には見えて。
 日々の中で溶け込んでただそこに居る。
「あなたは本当に、人を見る為だけに存在しているかのようですね」
「そうだね」
 言った辰一に答える彼の手に、いつのまにか小さな花。
 通り過ぎた女性も花なんて持っていなかったのに、と目を丸くする辰一に甚五郎が呼びかけた。
「旦那。あの花、ひょいと染み出してきたんや。普通の花とちゃう」
「染み出して……」
 まじまじと辰一が見つめるものだから『歩道橋の人』がまた笑う。
 摘んだ小さな花は、ごく普通のありふれたもので優しい色をしていた。
「花はどこから出て来るんですか?」
「人から」
「人、ですか」
「これはさっきの女の子達の気持ちかな」
「気持ちが花になったんですか」
「うん。ちょっとした優しさを見る度に花が出てくるね」
「へぇ……」
 それはまた、ほのぼのとしたものだ。
 なんとなく感心する辰一の傍らで、彼は定吉の鼻先に花を寄せて笑っている。ひとしきり小さな定吉に構ってから『歩道橋の人』はふと手を差し出した。
「折角だからひとつあげよう」
 その手の中には小ぶりの可愛らしい栞。フィルムに覆われた小さな押し花。
「よくあるものだけど」
「そんなこと、ないですよ」
 彼が言うとおりだとすれば、この花は誰かの優しい気持ちが咲いたものではないか。
「とてもいいものだと思います」
「そうか」
 ええ、と頷いて手を差し出した。そこにそっと渡される押し花。

 栞が輪郭をはっきりさせていく。
 それは飲み物を『歩道橋の人』に渡した時とちょうど逆の流れだ。
 誰かの温かな欠片から出来たその押し花の栞。それから添えられた言葉。
「僕が書き込んだのはきっと、誰かにもこの優しい気持ちを見せたかったんだろうな」
「ええ。見せて頂きました」
 優しい気持ちを、と受け取って微笑む辰一に、思い出したように『歩道橋の人』が言った。
「実は、最初きみを男の子か女の子か、悩んだんだ」
「……そうですか」
 ごめんね、と微笑むのに返した笑みは多少引き攣っていたかもしれない。


** *** *


 ――小さな栞には優しい色の小さな花。
 それを傍らに置いて辰一はキーボードを叩く。
 ゴーストネットOFFの掲示板。『歩道橋の人』の書き込みにレスをつけるのだ。
『押し花をありがとう。大切にします』
 甚五郎と定吉が覗き込むディスプレイの文字を確認し、エンターキーを軽く叩けばあっけなく終了。

 打ち込んだ文章が表示されるのを眺めながら辰一には『彼』が今まさに歩道橋で優しく笑っているだろう確信があった。





□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【2029/空木崎辰一/男性/28/溜息坂神社宮司】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

・はじめまして。ライターの珠洲です。優しいプレイングをありがとうございました。
・ある程度は決めていたのですが、空木崎様のプレイングで『歩道橋の人』は更にえらく優しげな生物に。
・空木崎様がきっちり浮かび上がる話ではなく申し訳なくもありますが、気に入って下さる部分があれば幸いです。