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『Devil Of Hymn ― 第四楽章 天魔別離 ―』
【序楽章】
天界にて動きがあった。
堕天使の剣。それが人界の天使と悪魔の手に渡った。
それを見過ごす訳にはいかない。あれは神をも殺す呪われた剣なのだから。すぐに回収し、そして魔王の血を引く彼の悪魔を滅せねば。
それから裏切り者の天使の処罰。本来ならば天使の断罪をするべきその天使の裏切りの罪は大きい。
四人の天使長たちは天使軍一部隊に戦闘準備をさせ、そして智天使が下界(人間界)へと降臨する事となった。
この動きはまだ神に知られてはいない。
知らせる訳にはいかない。
愛しい神にあの時のような想いをさせぬために。
天使は皆、神を愛していた。
魔界にて動きがあった。
魔界は地下へと行けば行くほどそこに住む住人のレベルも上がっていく。
魔界最下層に住む魔王は中階の魔王が人界において堕天使の剣によって滅せられたのを見ていた。
そして人間の血のワインを注いだグラスをいっきに呷ると、自分の子どもを呼び寄せた。
黒い欲望が動き出した。
【第四楽章 天魔別離】
【T】
「ねえ、きょうちん」
「ん?」
「この世で一番かわいいのは誰?」
「それはゆうだよ」
「わぁー、本当にきょうちん♪」
「ああ」
「じゃあ、きょうちん」
「ん?」
「この世で一番にきょうちんが愛しているのは誰?」
「決まっているじゃないか。それはゆうだよ」
「わぁー、本当にきょうちん。私もだよ。きょうちん」
「当然」
「じゃあ、きょうちん」
「ん?」
「お風呂と、ごはん、どっちを先にする?」
「決まっているだろう。お風呂やごはんよりも先にゆうを食べるに」
「「きゃぁー。きょうちんのえっちぃ〜」」
「誰がだぁ!」
もちろん、御手洗京也としてはまだ小学生の分際でそんな事を口走って、自分たちをからかう弟と妹の頭をすぱーん、とシスターのハリセンで叩いた。
それから良い感じで曲がったそのハリセンで自分の手の平を叩きながら引き攣った笑みを浮かべて、弟と妹を見据える。
「朝から何をやっているんだよ?」
無意味に穏やかな声で言ってやると、弟がにこりと笑って言う。
「とあるカップルの未来の光景。やぁー、俺も若いのにすっかりとおじさんになりそうな予感だよ。で、きょうちん、ゆう姉ちゃんとはや………」
皆まで言わせない。
弟の頭をハリセンでもう一度叩いてやる。
「っ痛いなぁ〜、きょうちん。んな、ばんばんと叩かなくってもいいだろう!」
「おまえがくだらない事を言うからだろうが!」
「なんだよ、きょうちん。男なら誰でも考える健康的な事なんだから良いだろう! それにきょうちんだって予習はばっちりじゃん。ベッドの下の参考書に、勉強机の一番下の引き出しの下に隠してある教材用ビデオ、知ってるんだぜ、俺」
顔がかぁーっと赤くなる京也。
話のわからない他の弟や妹たちがその弟を取り囲んで、興味津々で何やら質問をしだす。
もちろん、京也は笑顔でその弟や妹たちを散らす。
「おら、何でも無い。何でも無いから、もうおまえら、学校に行く準備をしろ!」
「「「「「わぁー、きょうちんが怒ったぁー」」」」」
散る弟に妹。
だけど朝からからかってくれたませた弟は後ろから羽交い絞めにして愛ある指導をしてやる。
「くぅおら、この」
「わぁ、あ、こら、やめろよ、きょうちん。きょうちんがエロなのが悪いんだろう!」
「誰がエロだ。誰が! ってか、てめえはいつの間に人の部屋を漁りやがったぁ!」
「へーんだ。あそこは俺の部屋でもあるし、年頃の男の子がいる部屋にあんなわかりやすい場所に隠しておくきょうちんの方が悪いんだ!」
「この、ませガキ」
弟はおどけた動きで両手を万歳するけど京也は許してやらない。そのまま羽交い絞めからコブラツイストに移行する。
京也に敵うにはまだまだ弟は実戦不足だったが、それでも悪知恵ではどうやら京也よりも上なようだ。
通りがかった矢島悠香に大声で助けを求める。猫をかぶって。
「わぁーん、ゆう姉ちゃん、きょうちんがいじめるぅよぉー」
焦る京也。
ん、っと眉根を寄せる悠香の視線に耐えかねるようにコブラツイストを解いて、その京也の横を弟は脱兎の如く、逃げていくのだ。捨て台詞を残して。
「へぇーんだ。きょうちんのばーかぁ」
「ったく」
前髪をくしゃっと掻いて、京也は苦々しそうに弟を見送った。
悠香は呆れたように腰に片手を置いて溜息を吐く。
「もう、朝から何をやっているの、きょうちん?」
「スキンシップ」
溜息混じりに言う京也に、悠香は肩を竦める。
「スキンシップね。私にはなんだかきょうちんが遊んでもらっているように見えたんだけど。もう、本当にきょうちんったらいつまでも子どもなんだから」
「悪かったな」
あっかんべーをする。
ほら、こういうところがきょうちんは子どもだって。
悠香は軽く肩を竦めた。それから少し意地の悪い顔をする。
「ちなみにもちろん、ベッドの下の参考書も、引き出しの下の教材用ビデオなんかも廃棄させていただきますからね」
耳まで赤くなる京也。顔を片手で覆う。
悠香はにこりと笑って、背伸びして、京也に囁いた。
「きょうちんのスケベ」
それから京也の足をえい、って踏んで、脱兎。
京也は足が痛いやら、心が痛いやらで大きく溜息を吐いた。
本当にもう、どうして男の子はあーいうモノを見るかな?
汚らわしい。
思春期特有の女の子の潔癖さで悠香はぷんぷんと怒っていた。
台所の机の上には京也のお弁当が置かれているのだが、それを見て悠香はくすっと悪戯っぽくほくそ笑む。
「私という恋人がいるのに、エッチな本やビデオを見ていた罰だ、きょうちん」
京也の嫌いなおかずを一品。
それから自分で言った恋人、という言葉に自分で悶えた。
顔を真っ赤にしてくしゃっと前髪を掻きあげる。
「そうだよね。私たち、恋人同士になったんだよね」
まるで夢のようだ。
きょうちんはお兄ちゃん、時折大きな弟、ずっとそう思っていたのに、こんな事になるなんて。
悠香は唇を右手の人差し指の先でなぞる。
「キス、もしちゃったんだよね」
と、呟いて、少し嫌そうな、哀しげな顔。
「って、あれがファーストキスじゃやっぱり嫌だぁ〜」
という事であれはノーカウント。
それから悠香は台所の椅子の背もたれにかけられている京也の学校の制服であるブレザーの上着を胸に抱いて、それの匂いを嗅いだ。
―――きょうちんの優しい温かな匂い。陽だまりのような。
それから悠香は肩を竦めると、自分のお弁当の分の、京也の大好物のおかずを京也のお弁当箱に入れた。
もちろん、私というものすごくかわいい恋人がいるにもかかわらずにエッチな本やビデオを見ていた事へのささやかな報復の嫌いなおかずはそのままにして。
愛の飴と鞭のお弁当はこうして完成した。
【U】
就職訪問、面接、テスト、ずっとそればかりをやっていた。
だけど就職はなかなか決まらない。
これまでやっていた事へのツケ。
自業自得。
親が居ないからって、その事でいじめられたり、なんかしたりしたってちゃんとしている奴はちゃんとしている。
―――でも心でそうわかっていたって、そうそうちゃんとできるわけでもない。
八つ当たり、ただそれだけで触れるモノすべてを切り裂くナイフのようだった若かりし頃。
その頃の自分を遠くに想いながら京也は黄昏ていた。
児童公園の滑り台の上。そこで缶コーヒーを飲みながらぼぉーっとこれからの事を考えている。
「フリーター、かな。このままで行くと」
夢、が無い訳じゃない。
ただ今の京也の状況では難しいだけ。
シスターに、弟や妹たち。
支えたい、素直にそう想う。
それに逃げている訳では無いのだ。
だけどそれが重い。18歳の小僧の肩には。
「あ〜ぁ。ったく」
缶コーヒーをひょいっと京也は投げた。滑り台の上から投げたそれは綺麗な放物線を描いてゴミ箱の中に入る。
それを見ていた小さな男の子がすごい、と嬉しそうに笑みを浮かべた。
でもすぐにその表情は消える。
京也はその子を見ながら頭を掻いた。
ずっと気にはなっていたのだ。
まだ普通の小学生は学校にいる時間だ。
「やれやれ。登校拒否かな?」
京也にはそれを責める資格は無い。散々自分もサボりまくっていたし、それにそれをするにはするなりの理由もあるのだ。
昔を思い出して、京也は肩を竦めると、滑り台を降りた。
それからその子の前に来て、話しかける。
ちょうど足下に転がっていたサッカーボールを爪先で蹴り上げて、そのままリフティングをしながら。
「よかったら、やらねーか、サッカー」
にぃっと笑いかけるが彼はそっぽを向いた。
構わずに京也はそのままリフティングをする。
京也はリフティングテクにはサッカー部にも負けない自信があった。
そのままひとり遊びかのようにリフティングから、シャドーサッカーに移行して、公園の隅にある小さなサッカーゴール目掛けてシュートを打ち込む。
いつの間に男の子が見ていた。
京也は軽くボールを蹴って、彼の方へとボールを転がす。
彼の足に当たったボール。
その子は少し躊躇って、それから京也にボールを蹴り返した。
そして京也はそれをそのままリターン。
男の子もそれを真似る。
「上手い。上手い。上手いじゃないか、サッカー」
褒めてやると、彼は喜んで、それから京也と彼はサッカーを楽しんだ。
それから夕方まで二人で遊んでいた。
その二人に声がかけられる。
品の良さそうな老紳士がそこにいた。
京也はぺこりと頭を下げた。
「良かった。ここにいたんだね」
老紳士が男の子にそう言うと、彼は京也の後ろに隠れてしまった。
そんな彼にわずかに両目を見開き、それから老紳士は京也に微笑みかけた。
「よかったらうちに来ないかい?」
「はい? はあ………」
「さあ」
老紳士は穏やかに微笑みながら歩き出した。
案内されたのは古い旅館のような建物(どうやら実際に前は旅館であったらしい)で、そして看板には保育園の名前とフリースクールとあった。
男の子は迎えに来てくれた京也よりも少し年上ぐらいの女の子に連れて行かれ、それを見送っている京也の背に老紳士の手が当てられた。
「さあ、こちらです」
執務室に案内され、そこの古いソファーを勧められる。
すぐに中年の女性が入ってきて、ソファーに座った京也の前にお茶を置いてくれた。
「はあ、どうもです」
ぺこりと京也は頭を下げる。
どうにも何故自分がここに居るのかわからない。京也はお茶を啜りながら茫然としている。
「君は高校三年生ですか?」
「え、はい」
「今日は学校は? まだこの時期は自宅待機にも入っていないでしょう」
「はい。あ、いや、今日は就職活動で」
「ああ、そうですか。就職するの?」
「はい。…………したいんですけど、でも難しいです」
京也が居心地悪そうな苦笑を浮かべると、老紳士の方も穏やかに微笑んだ。
「そうですね。今は不景気ですからね」
京也の気分が重くなる。忘れていた夏休みの宿題を8月31日の夜に思い出したような、どうしようもないような感が彼の胸をきゅっと軋ませる。
「御手洗君はフリースクールって知っていますか?」
「はい。知っています」
「そう。では単刀直入に言いましょう。どうですか、高校を卒業したらうちで働きませんか?」
「…………はあ?」
穏やかで紳士的な声で申し入れられた申し出に思わず京也は鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしてしまった。
「あの、どういう事で………?」
小首を傾げた京也に老紳士は上品に微笑んで、説明してくれた。
「うちは保育園を経営する傍らでフリースクールもやっていましてね、日本全国から子どもを預かって、一緒に共同生活をしながら勉強をしているんです。君が遊んでいた子ね、あの子はごく最近うちに来たんだけど、まったく喋らないし、笑わないしで、本当に心配していたんです。でもあの子、先ほど笑っていたでしょう? 本当に嬉しくってねー、あの笑顔を見て。御手洗京也君。君にはとても不思議な魅力を感じるんです。とても優しく温かい、そういう魅力を。どうですか、高校卒業後はうちで働きませんか?」
「あの、でも、俺、孤児院暮らしで、そりゃあ弟や妹の面倒を看るのは慣れていますけど、でも俺には何も無くって………」
生きていくための力………。
俯いてしまった京也の手を老紳士は両手で握ってくれた。
「君はまだ18歳でしょう。これからです。これから。これから少しずつ手に入れていけばいい、そういう力。うちで働きながら何かを見つけて、そして育てていけばいいと想うよ、自分を。人、自分を育てるのは花を育てるのと一緒です。諦めずに手をかけてやれば、必ず応えて、綺麗な花を咲かせてくれます。うちで働きながら通信教育で保育士の免許も取れますし、君さえやる気があるのなら、ここで働きながらどんな勉強でもできる」
穏やかに優しく笑う老紳士に京也は泣きながら頭を下げた。
「はい。お願いします」
「はい、こちらこそ」
【U】
久しぶりにきょうちんの嬉しそうな笑みを見た。
ずっと大変だったもんね、きょうちん。
おめでとう。
悠香は教会の裏にあるベンチで座って、自分の太ももの上にある京也の頭をそっと撫でてあげた。
「おめでとう、きょうちん」
「ん、ありがとう」
「ずっと大変だったもんね。でもこれで幸せになれるのかなぁー」
それはどこか問いかけよりも疑問の方が強く感じられた。
だから京也は優しく言った。
「幸せになるんだよ。二人で、ゆう」
「ん。でも私はきょうちんの隣にいられれば幸せだよ」
悠香は顔を真っ赤にして、言った。
京也も顔が熱い。
「俺も。俺もゆうがいれば幸せになれるよ」
「きょうちん」
「今だって、ゆうの太ももが柔らかくって、弾力があって、幸せ」
「………きょうちん」
えい、って悠香は京也をベンチから落とし、ぷりぷり怒りながら、孤児院の方へと戻っていく。
そういえば前にもこんな様な事があったような気がして、京也はくすっと笑った。どうにもここで、という所で恥かしくなって、逃げてしまう。
悠香の後ろ姿を見送って、京也は地面の上で大の字になって星空を見上げた。
充実していた、全てが。
京也は自分の父親の事を思う。
自分に悪魔としての遺伝子を伝えたあの父親を。
断罪の天使が教えてくれた過去は壮絶だった。
遠い昔、彼と悠香の母親は天界から人界へと降りてきて、そして悠香の母親は幕府によって苦しんでいた隠れキリシタンたちを先導して乱を起こした悠香の父親と恋に落ち、そうして悠香の母親は彼の子を身ごもり、彼らの乱を支持しようとした。
しかしそこへ天界からの使者が現れ、悠香の母親は逮捕され、処刑された。
そして悠香の父親も幕府軍に負けて、神と幕府、様々なモノに怒りと憎悪を抱き、魔王となった。
その時にもうひとり、悠香をこの時代に逃がしてくれた天使がいたそうだが、その天使の事については彼は語らなかった。
「父親、か」
京也は自分の親はシスターだけだと想っている。
でも彼もまた父親として自分たちを導こうとした。魔王。
だけど彼がやりたかった事、それは………
「あんたがつけてくれた力は利用させてもらう。でも俺は、俺たちはあんたが望んだような道は歩かない」
京也は押し殺した声で呟いた。
夜は未だに深かった。
【V】
心地良い振動が全身に伝わってくる。
就職が決まって初めての日曜日、京也と悠香はバイクで走っていた。
京也がバイクを走らせ、悠香が後ろに座って京也に抱きついている。
「どこへ行きたい、ゆう?」
空が蒼い!
そうだ、デートをしよう♪
そんな軽いキャッチフレーズが浮かびそうなぐらいの気軽さで二人でデートに出た。
行き先は決まっていない。
悠香は後ろに流れて行く風に負けないように叫んだ。
「北極、ペンギンが見たい」
そう叫ぶと、抱きついている京也の身体に心地良い振動が走る。
メットの下で悠香が眉根を寄せる。
「ペンギンは南極」
「あっ」
赤信号で止まって、京也が笑いながら言う。
悠香は舌を出す。
「じゃあ、南極。私を南極に連れて行って♪」
京也は肩を竦めた。
「南極まで行く金はないんで、水族館で勘弁してください」
「はーい」
それからバイクは発進する。
水族館。
手を繋いで水族館を回る。
とても美しい水槽の中の魚たちに二人で喜んで、とくにイワシの群れはとても美しかった。
「美味しそう、って言わないんだね、きょうちん?」
「うーん、美味そうっていうよりも何でイワシは食べられないんだろう、っていう疑問の方が強くってさ」
その京也のもっともな疑問に悠香はふふんと笑う。
「お魚は自分たちよりも数の多い群れには向かわないの。だからどこの水族館もイワシの群れよりも大きな魚の数は少なくするんだよ」
「へぇー」
思わず口にしたへぇー、っていう言葉に京也は嫌そうな顔をする。なんだか某番組の真似をしたようで嫌だったのだろう。
悠香はくすくすと笑って、京也も苦笑した。
悠香が見たがっていたペンギン。
そのよちよちと歩く姿を見て喜ぶ悠香の横顔や、
イルカの水槽の前ですぐ目の前まで寄って来たイルカにとても嬉しそうな無邪気な顔をした悠香の横顔を、
京也は楽しげに見つめていた。
悠香も京也が自分のそういう顔を見ているのは知っていたがちょっと恥かしかったので気付かないふり。
そんな幸せな感じで二人は水族館のデートを終えて、その横の遊園地の観覧車のてっぺんで、京也と悠香はキスをした。
「えへへへ。ファーストキス。なんだか漫画みたい。照れるね、きょうちん」
「二回目じゃなく?」
「あれはノーカウント」
ぷぅーっと悠香は頬を膨らませる。
女の子としては、あのようなシチュエーションでは嫌なのだろう。
京也は肩を竦めて、それからまた悠香の後頭部に優しく左手をまわし、悠香の頬を覆う髪を右手で優しく掻きあげて、キスをした。
わずかに唇を離す。
「好きだよ、ゆう」
「うん、私も。きょうちん。嬉しい」
「うん」
そしてまたキスをした。
それが二人の幸せの最高潮だったのだと想う。
京也の就職も決まり、
二人の想いもちゃんと重なって。
しかしその二人の前にそれぞれの世界からの使者が来るのはその夜の事だった。
【W】
教会の礼拝堂。
断罪の天使と悠香は話しをしていた。
これからの自分の事。
自分たちはどうすればいいのか?
その事に関して彼が口を開こうとしたその瞬間、だけど彼の純白の羽根が空間に舞って、前のめりに倒れた。羽が吹き飛んだ彼の背中に赤い染みが広がり、あっという間に彼を中心に赤い水溜りができあがる。
その光景に悠香は悲鳴を上げた。
しかしその声はすぐに空間に吸い込まれる。
そしてその反対に空間から排出されたのはひとりの天使だった。
四大天使長がひとり、智の天使だ。
「矢島悠香よ。おまえの大切な者すべてを守りたかったら、私と共に来なさい。おまえにもわかるはずだ。神の前では何人も無力であると。もしもおまえが私と一緒に来るのなら、誰も傷つきはしない」
その声には恫喝の響きは無い。寧ろ哀れみの感情があり、だからこそ悠香はそれが脅しではなく、どうしようもない現実である事が嫌でも理解できて、だから悠香は涙を流しながら頷いた。
目の前に現れた巨大な扉、その開いた扉の向こうには眩しすぎる光があって、その扉の前で悠香は立ち止まり、背後を振り返り、泣きながら呟いた。
「ごめんね。きょうちん。ごめんね…」
そして悠香はその扉をくぐった。
+++
夜を流れるように京也の運転するバイクは走っていた。
そのバイクのタイヤがいきなり何の前触れも無く、破裂する。
ヘルメットの下にある京也の顔に驚愕の表情が浮かんだ。
しかしその瞬間に京也の血が目覚める。
どくん、と心臓が大きく脈打った。
京也の身体が悪魔化によって変化する。そしてその運動神経を持ってすれば、タイヤが破裂して転倒するバイクから飛び降りるのも簡単だった。
深夜のアスファルトの上に降り立った夜の闇が人の形を象ったような魔王京也の前に現れたのは天使たちであった。
その光景に京也は目を見開き、それから孤児院、悠香が居る方を見た。
天使が笑う。
「正解です。矢島悠香は死にました」
ぷつん、とどこかでそういう音がしたような気がした。
そして京也は咆哮をあげて、天使たちに襲い掛かった。
天使たちは失笑を浮かべ、翼を羽ばたかせる。
京也が個である事に対し、天使たちは群であった。
組織だった動きの前で京也がやれる事は無かった。良い様に翻弄されて、ズタボロにされるだけだった。
ボロ雑巾のようにその場に落ちた京也を天使たちが取り囲む。
両腕に力を込めて立ち上がろうとするが、しかし身体に走った焼けるような激痛の前に京也は無力だった。
無様に顔からアスファルトの上に落ちただけだ。
しかしそれでも獰猛な敵意を剥き出しにして京也は目の前の天使たちを睨んだ。
だがそれで何ができる?
天使の腰に帯びた鞘から剣が抜かれる。
その剣が振り上げられる。
とどめが刺される、そう京也が思った時、
「あーらら、ボロボロね、きょうちん」
そう女が笑う声がした。
シースルーのオープンボディースーツを着た妖艶な少女がその場に現れた。
天使たちの間に戦慄が走る。そして彼らは動こうとするが動けなかった。
少女は京也の傍らに立ち、そして足でボロ屑のような京也を蹴った。うつ伏せから仰向けになった京也の顔を見て、その少女は淫らに微笑む。真っ赤なルージュが塗られた唇で言葉を紡ぐ。
「ねえ、京也。この天使たちに勝ちたい? 勝ちたいのならあたしがあなたを勝たせてあげる。さあ、どうする?」
小首を傾げた少女を睨みつけながら京也は言った。
「勝ちたい」
それは大きなダメージのせいで空気が零れただけだった。しかし少女は笑う。笑いながら頷く。
「うん、いいよ。じゃあ、あたしがあなたを勝たせてあげる」
そう言って少女は京也の胸元を鷲掴んで引き起こすと、彼女は毒々しい赤のルージュが塗られた唇を、京也の唇に重ねた。
瞬間、京也はシースルーのオープンボディースーツを引き千切って、露となった少女の零れるようなたわわな白い左胸に手を突っ込んだ。そしてそこから剣を抜く。
それは堕天使の剣だった。
京也の中にあったそれが口づけで少女の心へと移動して、そしてその少女の心が刃となった。
毒々しい赤い刀身を持つ堕天使の剣。
それを振るい、京也は夜に吠えた。
【ラスト】
天界の牢獄、そこに悠香は幽閉された。
光りも何も望めぬそこで彼女はただただ家族の、そして京也の幸せを祈る。自分を犠牲にして。
しかし京也は人間界にはいなかった。
横にシースルーのオープンボディースーツを着た少女を従えて、魔界にいた。
魔界最下層のもっとも濃い瘴気が支配する魔界に。
背の蝙蝠のような翼を羽ばたかせて魔界の空に舞うその魔王京也の目に光は無い。あるのは絶望と怒り、憎しみ、嫌悪、そして悲しみ。
魔王京也。彼は真の魔王として、魔界に君臨し、そして、
「これより天界に魔天戦争を仕掛ける」
天界への戦争を宣言し、すべての魔界の住人を引き連れて、天界への門を開けた。
これより天使と悪魔の戦争が始まる。
そしてそれを指揮するのは、天界に愛する悠香が居る事を知らぬ、すべての光りも優しさも失った、魔王京也であった。
― To be continued ―
++ライターより++
こんにちは、御手洗京也さま。
こんにちは、矢島悠香さま。
いつもありがとうございます。
このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。
ご依頼ありがとうございました。^^
前半戦はプレイングの通りにきょうちんとゆうちゃんの幸せな日常を演出してみました。
いかがでしたか?^^
お気に召していただけていましたら幸いです。
きょうちんの詳しいお仕事に関しては、最終楽章にて。^^
そして後半戦、ついに物語は佳境に入りました。(><
ゆうちゃんは天界に、そしてきょうちんは魔界の魔王に。
果たしてきょうちんは自分を取り戻せるのか?
ゆうちゃんは囚われの身から救い出されるのか?
堕天使の剣、それが切り開く運命は?
本当にどうなるのか私もすごく楽しみです。^^
それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
ご依頼、ありがとうございました。
失礼します。
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