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<東京怪談ノベル(シングル)>


招かれざる客


 時間のさっぱりわからない部屋だった。何しろ遮光性のカーテンが夏の激しい陽射しを遮っているのだから。
 薄暗い部屋は足の踏み場もない程散らかっている訳ではないが、完璧に整理整頓されている訳でもない。居心地の良い乱雑さに支配されていた。壁にかけられた時計の針はちょうど真上を指している。
 ベッドの上のタオルケットが大きく横に動く。その動きに従って黒髪が流れるように動き、その主の姿に辿り着いた。寝顔でも整った造作が判る。
「う……ん? 朝か」
 やや掠れた声がこぼれる。悠はもう一度惰眠を貪ろうかというように、寝返りをうったが、しばし後に体を起こした。
 ベッドから降りるとキッチンの冷蔵庫を開ける。牛乳パックを取り出すと行儀悪くそのまま口をつけて、ごくごくと飲み干した。
「あー、生き返る……」
 悠は空になった牛乳パックをゴミ箱にポイっと投げ捨てて冷蔵庫の中身を確認する。元々面倒な事は嫌う性質だ、中身のほとんどはすぐに食べられるようなものばかりで量に乏しい。
「買いに行くか……」
 だるそうに頭を掻きながら悠はベッドまで戻ると枕元の財布に手を伸ばした――コインが3枚。
「12円か。仕方ないなぁ……」
 心底面倒そうに悠は呟く。
「銀行に出かけるかぁ」
 本日の予定を決めたのは甚だやる気のない声だった。


 真夏の空は暴力的な陽射しにうんざりしながら、悠は歩いていた。
 まずったなぁ。
 悠は声に出さずに呟く。こんな事なら夕方になってからにすればよかった。が――今更引き返すのも面倒だ。
 じぃぃぃーーぃ
 銀行の自動ドアの向こうには涼しかった。
「生き返る……」
 心底から呟きながらATMの列に並ぶ。
 平日の昼間だと言うのにATMはちょっとした行列が出来ていた。
「あーあ。窓口にした方がよさそうだな。……通帳と印鑑いるんだっけ?」
 じゃあダメだ。あっさり諦めてATMの最後尾に並ぶ。悠の後にも数人が同じような選択の末、並んでいた。ようやく悠の番が回ってくる。手順に従って操作をし、蓄えの一部を下ろした時だった。
 じぃぃぃーーぃ
「大人しくしろ!」
「手を上げろ!」
「抵抗すれば撃つぞー!」
 なんだかTVドラマみたいな展開だ、とややぼんやり思った悠と違って周りはしっかりとパニックに陥った。
「ぎ、銀行強盗だー!!」
「い、痛い! 止めてください!」
「み、皆さん落ち着いてください!」
 落ち着ける訳がない。行内は騒然となった。逃げ場を探して意味もなく走る者もいる。
「大人しくしないとコイツの命がどうなると思ってんだ!?」
「ほら、とっととこの袋に金を詰めるんだ!」
 三人組の銀行強盗は手近な妊婦を捕まえて、拳銃を突きつける。そして、妊婦にはまだ幼い息子がいた。息子は状況も判らず突然母が押さえ込まれた事にただ恐怖を覚えたようだった。
「ままー、ままー!」
「来ちゃダメ! 逃げてっ!」
「うるせー、ガキ! 近寄るんじゃねえ!」
 一途に母の手を求めた小さな子供を男が殴りつけた。母親が悲鳴をあげる。
「うわぁぁぁんっ! ままぁ!」
「うちの子に何するの!?」
「おとなしくしろって言ってんだろ! 黙らねーと撃つぞ!」
 人質と銀行強盗とのやり取りに怯えた客達は誰も近付かない。行員も受付台の向こうでちらちらとこちらの様子を伺いながら袋に札束を詰めている。頼りになりそうな警備員は銀行強盗も警戒しているのだろう、拳銃を向けられていて動く所ではない。悠だとて、この状況をただ見ている事では何の変わりもない。けれど――けれど。
「何だよ、それ……」
 口の中で悠は呟く。むかむかした。知らず拳を握り締める。
 どうしてそんな理不尽がまかり通るのだろう。
 あの親子に何の罪がある? 罪があるのは銀行強盗だろうに、何故?
 ふと、視界が翳った。二重写しの光景に悠は唇を歪めた。写されるのは未来の光景だ。見えてもどうしようもない、ただ見せられるだけの光景。
 ――それは黒い車だった。この暑いのに窓は全開だ。
 ――背後が気になるのか運転席から何度も顔を出す男がいた。今目の前にいる銀行強だ。 ――車の中では苛立たしげに煙草を吹かす男と、イライラとラジオのチャンネルをつけたり消したりする男。
 ――この車は銀行強盗が逃亡するのに使っているのだろうか、と悠が思った時だった。
 ――前を見ろ! と助手席の男が叫び、後部座席の男は意味不明の叫びをあげた。
 ――運転手が顔をあげた時にはもう遅かった。目前に壁が迫る――そして。
 ――大きな音を立てて衝突した車は爆発を起こす。あれでは、誰も助からない。
 視界が元に戻る。さらに殴られたのだろうか、子供が床に倒れていた。
 こんな事をしていても、すぐに死ぬのに。
 それは決定だ。望むと望まざるとに関わらず、彼女に訪れる予知という客は絶対だった。一つとして外れた事などない。――いくら望んでも未来は変わる事がないのだ。
 薄い笑みが悠の顔に浮んだ。どうして自分は、そう思いながら刻まれたのは自嘲の笑みだった。こんな自分に何の意味があるというのだろう。ただ見るだけの自分に何の意味が。
 悠はその笑みのまま、そっと子供に近寄った。気を失っている様子に躊躇いながら体に触れると辛そうに目を開けた。
「大丈夫か?」
「う、うん。でもままがぁ!」
 よしよしとその背を宥めるように叩きながら、悠は静かに銀行強盗を見据えた。
「死ぬよ」
「あぁ?」
「追われて逃げても、今すぐ逃げても死ぬよ」
「んだとぉ?」
 強盗が苛立たしげに拳銃を向けても悠は身動ぎ一つしなかった。ただ、静かな眼差しが向けるだけだ。他の二人も胡乱な様子で悠に注目した。
「黒い車。ナンバーは――」
 知らない筈の彼らの車のナンバーすらも正確に言い当てた事で男達は気色ばんだ。
「壁に正面衝突する。炎上した車からあんた達は逃げられないよ」
 その口調はさながら運命を告げる女神の如く。確信有り気に継げる悠に恐れをなしたのか、男達は後ろに下がる。
「特にあんた、窓から余所見なんてするんじゃないよ。事故の元だから」
「お、おい。ずらかるぞ」
「まだ金が!」
「こんな気味の悪い女がいる場所に長居できるか!」
 同意見だったのだろう、もう一人も頷き、金に執着を見せた男だけが名残惜しげに振り返りながら逃走を開始する。男達の姿が消えると漸く行内に安堵の空気が流れる。
「まま! ままー!」
「ごめんね。怖かったわね。……ありがとうございます。あのままだったらどうなっていたか」
 息子を優しく撫でて妊婦が深く頭を下げる。悠は子供が母親に抱きついたのを確認してから立ち上がった。
「別に。大した事は何もしてない。……その子、頭を打ったみたいだし、病院に連れて行ってあげてくれ」
「あ、待って!」
 呼びかける声に振り返らずに片手を挙げて、悠は銀行を後にした。ポケットに両手を突っ込みコンビニに向かう。早く家に帰って寝てしまおう、そうするに限る。
 ――臨時ニュースです。
 コンビニに入った所でラジオがニュースを伝えているのに気が付いた。それは、先程の男達の末路を知らせる物だった。
「まるで死神みたいだな」
 ぽつりと呟いた言葉は聞く人もなく消えて。悠は軽く肩を竦めてコンビニを出た。変えられない未来の結果などこれ以上聞いていたくはなかった。
「下らない。意味なんてないのに。それなのに」
 それは確実に来るのだ、招かれざる客は悠の意図と無関係に――。


fin.