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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


ピンチヒッター

 草間興信所の机に珍しいものが広げられていた。それは二冊の野球のスコアブック、一冊は古くもう一冊はボールペンの文字も鮮やかな新品である。
「こっちは先週俺たちが県大会に優勝したときのものです。そしてもう一冊は十年前やっぱりうちが甲子園に出場した年の、決勝です」
スコアブックを持ち込んできたのは丸坊主の高校生であった。小柄だが肩幅のがっしりとした、日によく焼けた顔は一目で野球部だとわかる。彼は今年、夏の高校野球大会東東京代表に選ばれた学校のキャッチャーであった。
 二冊のスコアブック、開いたページに記録されたスコアは恐ろしいほどに酷似していた。特に、ピッチャーの投球記録が同じなのである。
「あいつは元々変化球投手なんです。なのに決勝ではあいつらしくない速球ばかり投げて、おかしいなと思って調べてみたら、この記録を見つけて・・・」
考えてみると、ベンチの中の態度も違っていた。あれはなにかに乗り移られているとしか思えなかった。
「次のページ、見てください」
古いほうのものを指さされ、武彦は素直にページをめくった。そこには甲子園初戦の記録、なんと十二対一の大敗が記録されている。そのうち九点は県大会で投げたピッチャーの自責点だった。
「このピッチャー、大会が終わった後交通事故で亡くなっているんです」
静かな声で彼が言った。
「このままじゃきっと、あいつは死んだピッチャーに乗っ取られたまま甲子園で投げる羽目になります。その前に誰かと勝負して、あいつを打ち崩してもらいたいんです」

 真剣勝負の当日は、よく晴れた日曜日だった。野球は多少雨が降っていようとも敢行されるものなのだが、悔いの残らない勝負をするにはやはり晴れているほうがいい。が、夏の陽射しは強すぎるのも考えもので、熱射病対策なのか皆三塁線沿いに立てられたテントの下へ避難している。
「一番バッターはやっぱり武彦さんだよな、頑張れよ!」
緑色のチア服で愛くるしくポンポンを振っているのは二匹の小動物。鈴森鎮とペットであるイヅナのくーちゃん。小さな体でベンチの上を跳ね回っていた。武彦はその片割をむんずと掴むと、小さな尻尾を引っ張りながら
「お前なあ、俺を一番に推薦するってことは俺が打てないって思ってんだろ」
「思ってない思ってない」
助けてえ、と叫びながらも鎮の目は笑っていた。その鎮を応援するように、ますます一生懸命にくーちゃんはポンポンを振り回す。
「はいはい二人とも、そこまでにしなさい」
バットを片手にシュライン・エマが仲裁へ入る。もちろんバットは威嚇のためではなく武彦に渡すためである。
「弾丸よりは安全よ、武彦さん」
「・・・・・・俺が野球なんて経験ないの、みんな知ってんだろ」
ハードボイルドは青春とは関わりないのだ、というのが武彦の口癖だった。
「頑張ればきっと打てますよ」
「振るだけだ、なんとかなるって」
真面目に嫌がっている武彦を無責任に応援しているのは、既にお弁当のサンドイッチをつまんでいる羽角悠宇と、みんなの分のスポーツドリンクを抱えて応援に来た初瀬日和。少年のようなベースボールキャップをかぶった白姫すみれは櫻紫桜にバットの振りかたを習っている。すみれは野球に関しては見るのが専門、紫桜も野球は体育くらいしか経験がないのだが、なんとかできるだけやってみようという姿勢を見せていた。
 最早、依頼を引き受けた本人が後に引ける状態ではない。
「頑張って」
皆の声援を背中に受け、観念した武彦は足取りも重く、革のブーツでバッターボックスへ立った。が、プロテクタ姿でマスクだけ外しているキャッチャーが気まずそうに武彦へこう聞いた。
「あの、利き腕どっちですか?」
「え?」
妙なことを聞かれると思いつつ武彦が答えると、
「それじゃきっと、ボックスが逆ですよ」
「・・・・・・」
道理でバットが振りにくかった。

「あんたたち、一体なんなんだ?」
ピッチャーは今日のことをなにも知らされていないらしく、マウンドの上で訝しげに球を転がしていた。キャッチャーからただ、投球練習をしようと誘われただけらしい。
「お前こそなんなんだ」
「え?」
「いくら甲子園に未練があるからって、高校生でもないのに出場するのは反則だぜ」
バッターボックスから皮肉を投げつける武彦、ピッチャーの右肩が大きく引きつった。一瞬とぼけようとしたのかもしれないが、思い直すように首を振った。キャッチャーのサインを嫌がるような仕草であった。
「俺を、こいつの体から引っ張り出すのか?」
「いいや」
武彦はサングラスを外し胸ポケットへつっこみながら
「力で無理矢理追い出すってのは、俺たちの趣味じゃない。だから勝負だ。俺たちの誰かがお前の球を打ち返して見せたら、お前は大人しく帰るんだ」
「・・・・・・わかった」
ピッチャーの中の幽霊は、誠実に頷いてみせた。正々堂々勝負する、高校球児らしい眼差しであった。
 クールに勝負を取り付けた武彦。ここでさらにピッチャーの投げた球を鮮やかに打ち返せたならば、最高のシチュエーションだった。が、武彦のバットは三度続けてボールにかすりもせず空しく回ってしまった。これが、彼がハードボイルドになりきれずハードボイルドに憧れつづける理由なのである。
「ほんとにあんな球、打てるんでしょうか」
ピッチャーの投げる球は、高速道路を走る車よりも速い。遠くで見ていてもはっと息を呑むくらいなのに、バッターボックスに立つなんてみんな本当に勇気がある。
「悠宇くんの順番は、最後なんですよね」
さっきから日和は独り言を話しているわけではない。隣に座っているシュラインに聞いてもらっているのだ。シュラインは頷くことで相づちを返してくれている。
「なんだかあのピッチャーの人を見ていると、コンクールの前の私みたい」
凛とした横顔は、一度しかないチャンスに臨む張り詰めた神経に縁取られていた。打たれてたまるか、という気迫が溢れている。そんな彼の球を打つのは悪い気がするし、けれど打たなくてはならないのだ。
「投げるほうが真剣なら、打つほうだって真剣にならなきゃ」
避けようのない勝負なのよとシュラインが長い足を組み替える。そして結局打てなかった武彦を見守りながら
「でも打とうが打つまいが、見ていてどっちもかっこいいわよね」
「ええ」
スニーカーの靴紐を結びなおしている悠宇を振り返りながら、日和は頷いた。

 こちらの打順は、あらかじめ来るときにじゃんけんで決めておいた。勝った順に、好きなところを選んだのである。ちなみにじゃんけんの強い順は悠宇・鎮・すみれ・紫桜の順番で実際の打順は鎮・すみれ・紫桜・悠宇の順番になっている。慎重に相手を計るため後ろを選んだ者と、とにかく打ったもの勝ちで先を選んだ者と、極端な結果であった。
 さすが甲子園に出場するピッチャーである。意気込んでバッターボックスに立つみんなを、次々と空振りさせていく。日和はみんなの打順を、日傘の柄を回しつつ見守っていた。ピッチャーに乗り移っている少年は速球投手だと聞いていたが、本当に速い。
「・・・・・・でも」
「どうした?日和」
野球のルールなどほとんど知らない日和が訝しげな表情を浮かべていたので、なにかと思って悠宇は訊ねた。この勝負に関しては、不思議に思うことはないはずだ。とはいえ、悠宇は日和の些細なことに気をとめる、その洞察力を信じている。
 日和は悠宇を見上げた。言おうか言うまいか、迷っている顔だ。だが気の弱い日和が湧いたものを自分の中だけに収めておくことができるわけもなく。
「あのね」
いつだってためらいがちに打ち明けるのだった。
「あの人、さっきから見てると、肩が痛そうなの」
他のみんなは、自分の打順が来るのを待っている。日和だけが、勝負の一部始終を見守っていた。ピッチャーとキャッチャーと、打者と。球の行く方向へつられながら首を動かしていた。
 ピッチャーの肩が、段々妙な角度に曲がってきたのに気づいたのはいつ頃だっただろう。武彦のときはただその速さに驚いてしまい、鎮のときはその驚きが続いていたから恐らくすみれの打順のときだ。そして今紫桜と勝負をしているのを見ていて、その違和感はますます強くなっていた。
 一球投げるたび、キャッチャーからの返球を受けるたびわずかに顔が歪む。しかもその変化をキャッチャーには悟られまいと懸命に隠している。だが、もし怪我をしているのなら無理はよくないのではないだろうか。
「キャッチャーの人に、教えてあげなくていいのかしら」
「あいつが投げたいんなら、いいんじゃないのか」
突き放すような物言い、悠宇は冷たい。もっとちゃんと心配してくれてもいいのに。
「でもお前は、俺が止めろと言ってもやめなかっただろ」
「え?」
「お前、いつだったかコンクールの前に怪我したことがあったろ」
練習のしすぎで、腕の筋を痛めてしまったのだ。悠宇は本番に障るから練習を休めと諭したのだけれど、日和は頑固に聞かなかった。治療をしながら、それでも練習を減らすわけにはいかないとチェロを弾きつづけたのだ。
「お前とあいつの一途さは、よく似ているよ」
だけど、と悠宇はバットを握った。紫桜の勝負が終わったのだ。
「俺があいつに引導を渡してやるよ」

 全員の勝負は終わった。紫桜がファールを叩き、悠宇がピッチャー返しを放ったものの、結局誰もピッチャーをマウンドからひきずり下ろすことはできなかった。
「あいつの勝ちってことか」
正々堂々と約束したからには、諦めなくてはならないのかと武彦が煙草をくわえた。
「いや」
しかしピッチャーは、自ら首を横に振った。そして自分の球を打てる奴はまだ残っている、と言った。
 まだ打席に立っていない人間といえば。皆の目が自然とシュライン、そして日和に集中する。このどちらかが、あの速球を打ち返せるのだろうか。シュラインならありえるかも、と武彦が想像する隣で日和のほうはとても無理だと顔を真っ赤にしている。
 するとピッチャーは少し笑い、
「違う。こいつだよ」
と、今までずっと自分の球を受けていてくれたキャッチャーを指さした。
「お前、わかってたんだろう。俺の投球が、この体には向かないってこと」
元のピッチャーは肩が強くなく、そのために変化球投手として腕を磨いた。そんな体に速球は負担で、一球投げるたびに実は肩を痛めていたのだった。
「俺だって本当はあの決勝戦だけで満足するつもりだったんだ」
そうだったのか、とキャッチャーは俯いた。どうやら、引き止めていたのは自分のほうだったらしい。
「だけど最後にこんな勝負の場所をもらって、本当に感謝してる。ありがとう」
マウンドの上でピッチャーの体がかすかに揺らいだ。紫桜の目には、ピッチャーの体から霊が抜けていくのがはっきりとわかった。
「あ、待って!」
しかし、抜けきらないうちにシュラインが少年の霊を呼び止める。そして
「せっかくだから、もうちょっとだけ私たちに付き合わない?お弁当、たくさん作ってきたからみんなで食べましょう」
「・・・・・・」
ピッチャーは、キャッチャーと顔を見合わせた。キャッチャーは頷くと、ピッチャーの肩を叩く。
「いただきます」
少し照れたような顔で、嬉しそうに、ピッチャーが笑った。
「やった!お昼だお昼!」
どちらかといえば昼食のあとのデザートを目当てに、鎮がはしゃいだ。くーちゃん、いっぱい食べようなとペットのイヅナを探す、だが見当たらない。
「くーちゃん?」
「君の探している子なら、ここよ」
すみれがさっきまでかぶっていた帽子を手に持って、その中身を鎮に見せた。帽子の中ではくーちゃんが、丸くなって眠っていた。どうやら、勝負に飽きて寝てしまったらしい。
「俺も帰ってさっさと寝たいよ」
武彦はくわえ煙草で大きく伸びをした。途端に、腰がぴりっと痛み顔をしかめる。やっぱりハードボイルドに野球は似合わない。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0086/ シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
2320/ 鈴森鎮/男性/497歳/鎌鼬参番手
3524/ 初瀬日和/女性/16歳/高校生
3525/ 羽角悠宇/男性/16歳/高校生
3684/ 白姫すみれ/女性/29歳/刑事兼隠れて臨時教師のバイト
5453/ 櫻紫桜/男性/15歳/高校生

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■         ライター通信          ■
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明神公平と申します。
今回は「誰か一人がピッチャーを打ち崩す」という
話だったんですが、一人を選べない己の気の弱さを思い知りました。
話の中で一番書きたかった日和さまは、みんなから注目され
自分は打てないと顔を真っ赤にするところでした。
きっと日和さまは、バッテリーの分までおやつを
作ってきてくれるのではないかなと思います。
またご縁がありましたらよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。