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■わたしだけの名前
「名前?」
何の事だか良く解らない。
が、目の前に居るこいつの事だとしたら、そうだな。
「ほのか」
か。見た目そのまま。
聴いて、そいつは首を傾げた。気に入らなかったんだろうか。
「ネーミングセンスなんて持った覚えは無いんだよな」
「ほのか」
その声は、初め名前を呼んでと云った時よりしっかり聴こえた気がした。
そいつは何度も繰り返し名前を口にする。気に入ったんだか違うんだかはっきりしないが、思い付きで呼んだ名前を連呼されるのが何だか恥ずかしくなって来て、俺は遮る様に云った。
「それにしてもどうしてこんなところに居るんだ。ここにいたら通行人が驚くし、何か悪いもんだと誤解されてどうにかされる」
そいつはまた首を傾げる。
「ああ、いや。あんたが悪い存在だって云いたいんじゃなくてだな」
「ほのか。名前はほのか」
「は?」
どうも話がかみ合ってない。もしかして言葉が通じないんだろうか。でもその割にはこいつちゃんと日本語喋ってるし、俺が呼んだ名前は判ってるし。
「……面倒だな。ついて来れるか?」
説明するのを諦めて、俺はそいつに手を差し伸べた。そいつは、輪郭のぼやけた手をそこに載せる。
感触は確かだ。俺の手より暖かくて、小さい。まるで子供の手だ。
と、そいつの姿が急にはっきりした。俺の胸にも届かない身長の、子供。突然の事に固まってしまった俺を、そいつは大きな瞳で見詰める。
「えっと。ほのか、だよな」
ほのかは、答える代わりににこりと笑った。正直照れて、俺はほのかから目を逸らす。
目つきが悪いと云うのは自覚してる。その所為で俺は子供になつかれた事が無い。ほのかが今してるみたいに、無邪気に笑いかけてくれる奴は居なかった。
「どこに行くの?」
ほのかが問う。
さっきまでの人間だか幽霊だか判らない姿と違って、今の姿なら悪いもんだと誤解される事は無いだろう。でも、だからってこのまま置いて行ったら今度は変な奴に誘拐されたりしそうだ。
「まあ、そこら辺の散歩で良ければ。但し、バイトが始まるまでな」
実体を持ったほのかとは、ちゃんと話がかみ合った。
ほのかは道端にあるもの殆ど全てに興味を示して、一々これは何だと訊いて来る。俺が名前を知らない小さな花や、虫の死体。転がっている犬の糞にまで手を伸ばそうとするので、流石にそれは引き止めた。
しばらく行った所に小さな公園を見付け、案の定ほのかは駆け出す。
滑り台にジャングルジムにブランコ。それだけの公園だ。夕方だからか、もう他に子供の姿は無かった。
「まこと、あれは何?」
「あれは滑り台。あっちの階段から上って、そっちから滑り降りるんだ」
「行って来るね!」
早速ほのかは階段を上り、地面に続くスロープの前に立つ。
「あ、おい。それは座って」
滑るもんだと云う前に、ほのかはサーフィンでもする様な姿勢で見事にそれを滑り降りた。全く、子供ってのは怖いもの知らずだ。
何度か同じ滑り方をしてから、飽きたのか今度はスロープ側からよじ登り始める。
思わず笑ってしまった。俺も子供の頃はあんな風に、一生懸命遊んでいたんだろうか。それを大人は、今の俺みたいに笑って見ていたんだろうか。
ブランコに座って、ほのかを眺めながらそれに小さい頃の自分を重ねる。俺はあんなに可愛くない、目つきが悪い無愛想な子供だったけれど。
「ねえねえまこと! これは何て云うの!」
ジャングルジムのてっぺんに立って、ほのかが叫ぶ。俺はそちらに駆け寄った。
「そんな所に立ったら危ないだろ」
「大丈夫。ほのかは落ちたりしな、わッ!」
云ったそばからバランスを崩し、ほのかは俺目がけて降って来る。辛うじて受け止めた俺に、ほのかはばつが悪そうに笑った。
「だから云ったろ」
「ごめんなさい」
俺の腕から降りたほのかは、ブランコに向かう。俺は腕時計を見た。そろそろバイトに向かわないといけない。
ほのかは、ブランコに立って鎖をガチャガチャ鳴らしている。
「バイトの時間だ。もう行くな」
「うん。行ってらっしゃい」
特に動揺した様子も無く、笑ってほのかは手を振った。
「あ、ああ」
もう少し、厭だまだ遊ぶとかついて行くとかあると思ったんだが。何だか拍子抜けしながら、俺はバイト先のコンビニに向かった。
夜のコンビニは暇だ。殆ど独りなので喋る相手も居ないし、当然客も少ない。BGMだけがやけににぎやかだ。電気代や人件費の事を考えると絶対割に合ってないだろうに、どうしてこんな時間に営業してるのか不思議でならない。
ようやく次のシフトのバイトがやって来て、俺は上がれた。空は白み始めている。
ほのかはどうしているだろう。
まだ遊んでいるのだろうか。それとも飽きて他の場所に行ってしまっただろうか。もしかして、元のぼんやりした姿に戻っているかも。変な奴に見付かっているかも。
どうしよう。
どうして俺は、あいつを放ったらかしてバイトなんかに行ったのだろう。心配するなら、後悔するなら、どうしてそんな、中途半端で放り出す様な事をしてしまったんだろう。
「俺の馬鹿ッ」
俺は、公園へ走った。
そこには、ほのかが居た。
ブランコに座っていたほのかは、俺を見付けると駆けて来て抱き付いて来た。
「ほのか」
俺はほのかの髪を撫でる。ほのかは俺にしがみ付いたまま、首を振った。
「ごめん。ごめんな」
「違う」
何が違うのか判らなかった。眉を寄せた俺を、ほのかは赤くなった瞳で見上げる。
「違うんだ。ごめんなさいはほのか」
そして俺の手を引いて、ブランコの前へ連れて行った。ブランコにほのかが座ったので、俺も隣に座る。少しの間、地面を見詰めていたほのかは、俺の方を向いて口を開いた。
「ごめんなさい」
「何が」
一体何を謝る必要があるのだろう。謝るのは俺の方の筈だ。
「あのね。ほのかがあそこに居たわけ」
そう云えば、どうしてほのかがあの路地に居たのか、ほのかが何者なのか、俺は知らない。
「ほのかはね。ひとの望む姿になって、愛をもらうの。愛をもらうためにあそこに居たの」
それなら、ごめんでも何でもない。愛を貰う為に人が望む姿に外見を変えるなんて、人間だってやる事だ。ダイエットとか美容整形とか。
それを言葉に出来ないまま無言の俺に、ほのかは続ける。
「ほのかが愛をもらうと、そのひとは他のひとに愛をあげられない。だって。ほのかが食べてしまうから」
愛をなのか、それとも人自身をなのか。訊こうとしたが、俺は目を見開いただけで、やっぱり何も云えなかった。
「だからごめんなさい。でもね」
「食べろよ」
口をついて、そんな台詞が出ていた。
「食べれば良い。それが、生きる術なら」
死にたい訳じゃない。けれど、それがほのかの為になるのなら、それでほのかが生きて行けるのなら、構わない。
しかし、ほのかは苦しそうに目を伏せた。
「みんなね。そう云ってくれるんだ」
違う。
ほのかは、食べたい訳じゃない。食べたかった訳じゃない。そうして自分が在る事が、厭だったんだ。
「どうすれば、良い」
ほのかの前に行き、俺は地面に膝をつく。
「どうすれば、ほのかを一番幸せに出来る」
ほのかは笑って、俺の首に腕を回した。
「こうしていて。お日さまが昇るまで、あと少し」
俺はほのかを抱き締めて空を見る。空はもう明るくて、いつ太陽が顔を覗かせてもおかしくなかった。
太陽が昇らなければ良いのに。そう思った俺の耳元で、ほのかが囁いた。
「まこと、ありがとう」
「え?」
「だれかの名前じゃない、ほのかの名前を呼んでくれて、ありがとう」
太陽が昇って、抱いているほのかの感触が消えた。
まだ温もりの残る手を見詰める。涙が溢れた。
これで良かったんだろうか。きっと答えは出ない。でも、
ありがとう。
その最期の言葉が、救いだ。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【4441/物部・真言/男性/24歳/フリーアルバイター】
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■ ライター通信 ■
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物部・真言 様
初めまして。御発注ありがとうございます!
納品が遅れに遅れてとっても申し訳ありません。気合い入れすぎて空回ってました…。
お楽しみ頂けたならば幸いです。
「俺はこんな奴じゃない!」とかありましたらおっしゃって下さいね。
では、またお逢い出来ます事を心よりお待ち致しております!
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